陰のボスになりたくて!   作:若林布吉

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長くなったので分割します。
時間軸はアルファたちがシドくんの元を離れる前のどこか。本編とは関わりがなく、少し早めのエイプリルフール企画とでも思って頂ければ幸いです。
シータが出るので本作の幕間としました。


幕間【祝WBC優勝】野球しよう! 前編

「野球しよう」

「やきゅう?」

 

 ある夜、いつものように小屋へとやってきたシャドウは唐突にそんなことを言った。

 アルファは聞いたこともない単語に首を傾げる。

 

「野球っていうのはね」

 

 シャドウはアルファの知らない"球技"について楽しそうに話し始めた。

 シャドウの説明を一通り聞き終えたアルファは顎に手を当てて考え込んだ。

 

「なるほど……チームワークを養うのと同時に、各種個人技能も鍛えられるわね」

「そ、そうだね……それでアルファ。『七陰』みんなでやらない?」

 

 シャドウがそう聞くと、アルファはふっと笑みを浮かべて首を振った。

 

「あなたが提案することを無下にするわけないでしょう。分かったわ。明日はみんな空いてるはずだから」

「そう来なくっちゃ」

 

 シャドウはパチンと指を鳴らした。そして、日課の剣の修行をするのだろう。小屋の外へと出ていく。

 アルファは大きく深呼吸して、胸いっぱいに木の香りを吸い込んだ。

 

□□□

 

 翌日。この日はシャドウは珍しく昼間に小屋を訪れた。

 事前にアルファに集められていた一同は驚きに目を丸くした。

 

「ボス! 会いたかったのです!!」

「主さま!? どうしてこちらに?」

 

 シャドウは黒いロングコートではなく、シドとしての装いだ。長袖をまくりつつ、今日やることと、"野球"のルールについての説明をする。

 

「頭も結構使いそうだね。どこかのワンちゃんには難しいんじゃないかな?」

「メス猫こそ、すぐ飽きちゃうじゃないです?」

 

 小馬鹿にしたように、デルタとゼータが言い争う。それをアルファがパン、と手を叩くことで静かにさせた。

 

「あの、シャドウ様。先程、野球は九人と九人、計十八人でやると仰られましたが、今ここには九人しかいません」

 

 ベータはきょとんとした表情で周囲を見回す。そう、ここには『七陰』とシャドウ、そしてナンバーズのシータしかいないのだ。

 

「いや、シータには審判をやって貰おうと思ってたから八人だよ。いいよね? シータ」

 

 シータはこくりと頷いた。

 

「それじゃあ、今回の特別ルールの説明ね」

 

 シャドウは軽く指揮をするように指を振りながら説明する。

 以下が特別ルールだ。

・その一、チーム戦ではなく個人戦で順位を決める。それぞれが四打席を打ち得点を競う。打者以外は全員守り。

・その二、打ってからアウトになるまでに進んだベース分進塁する。

 例えば、一打席目でライト前に打ち一塁に出る。ランナーはその場に残留するものとして扱うが、打った者は第二打席へ。そこでツーベースを打てばランナーは二、三塁となる。

・その三、アウトはボールをピッチャーマウンドにいるピッチャーに返すか、フライを捕るかで判定する。フライは捕る前にベースを踏んでいてもヒットにはならない。

・その四、ピッチャーは直前に打ったバッターがやる。

・その五、スライム、魔力の使用は認める。バットやグローブはスライムで自作。

 

「とまぁ、こんな感じかな」

 

 長々と喋ったシャドウは「ふう」と息を吐く。

 

「シータには審判もだけど、キャッチャーもお願いしていいかな?」

 

 シータはまたこくんと頷いた。

 

「うぅ……ルールが難しくてこんがらがってきたのです……」

「早くも一人脱落かな?」

 

 ゼータの余計な言葉に険悪な雰囲気が広がる。

 

「はいはい。二人とも。今はそんなことしている場合じゃないでしょ」

 

 静かになったのを見てシャドウは機嫌良さげに笑った。

 

「それじゃ、早速やろうか」

 

□□□

 

 厳正なくじ引きの結果、打順は以下のように決まった。

一.シャドウ

二.イプシロン

三.ベータ

四.デルタ

五.ガンマ

六.ゼータ

七.イータ

八.アルファ

 

 最初に打つのはシャドウ、投げるのはアルファだ。それ以外の各々は、思い思いに広がった。

 シャドウはスライムで作った棒状のものを持って打席に入る。

 アルファはイータ手製の硬いボールを握り、十八歩越しにシャドウと向き合った。

 

「いつでもおいで」

 

 シャドウはバットを構え、そう言った。

 アルファはぎゅっとボールを握りしめる。

 

「行くわよ」

 

 アルファは大きく振りかぶった。

 

□□□

 

 アルファが大きく振りかぶるのを見て、僕は内心舌を巻く。

 まさか教えてもないのに、それが最も威力が増す投げ方であることに気付いたのだろうか。

 僕は『陰の実力者』になる一環で様々なスポーツに手を出していた時期がある。どれもそれなりで辞めてしまったけれど、見るのは嫌いじゃなかった。

 先日ふと、昔見た野球の試合を思い出して野球がやりたくなったのだ。

 注目の第一球。

 

「──っ!」

 

 大きく流麗なフォームから繰り出される球はまさに剛速球。砂ぼこりを巻き起こしそうな勢いで突き進む。

 

「ストライクー」

 

 僕は見逃した。いや、正確には手が出なかったのだ。

 やる気のないシータの声が響き渡る。

 

「どう? 私もやるでしょう?」

 

 少し勝ち誇ったような顔でアルファが言った。

 

「ふっ、まだ焦るようなカウントではない……」

 

 球はもう見切った!

 二球目……そこだ!

 

「そんな!」

 

 やや鈍い金属音が鳴り響く。僕のスライムバットは真芯でボールを捉えた。確かな感触に僕は笑みを浮かべた。

 

「ベータ!」

 

 ライナー性の当たりはイータとゼータの間を抜けてそのままベータのいる場所へ伸びる。

 

「えっ、えっ!?」

 

 ベータは慌てたようにグローブを出すも間に合わない。見事顔面で受け止めてしまう。

 

「よしヒットだ!」

 

 僕は一塁を蹴って二塁へ。しかし、ベースまでもう少しのところでボールがピッチャーの元へ戻って来た。

 

「アウトー」

「ふっ、このくらいにしてやろう」

 

 僕はバットを持って打席に戻る。ランナーは一塁だ。

 二打席目。

 

「まさか打たれるなんてね」

「真っ直ぐを打つなんて朝飯前さ」

「……?」

 

 なぜだか考え込んだ風のアルファはすぐに顔を上げる。

 それから先程と同じように振りかぶった。

 ふっ、性懲りもなくまたストレートを──

 

「なに……?」

 

 完璧に捉えたと思った。しかし、僕のバットは宙を切る。これは……

 

「変化球か」

「単純に投げただけでは打たれる。ならそこに変化を加えればいい……どう? 驚いた?」

 

 してやったりとアルファは笑う。

 

「うん。驚いた。けど、甘いね」

「甘い?」

 

 僕は意味深に口の端を吊り上げた。

 

「その余裕、いつまで持つか見ものね」

 

 そうしてアルファは振りかぶる。

 僕はぎゅっとバットを握る。

 

「よいしょ!」

 

 僕は変化のしない真っ直ぐを芯で捉える。アルファは僕の予想通りストレートを投げたのだ。

 アルファは裏をかこうとして、けれども失敗したわけだ。

 心理戦は僕の勝ちだね。

 打球はアルファの僅か右側を通り抜け、誰もいない場所へ飛んでいく。先程と同じライナー性の当たりで、もうしばらくは落ちないだろう。

 これならホームランも狙える。

 僕が一塁を回り、加速しようとしたときだった。

 

「がうっ!」

 

 どこからか現れたデルタがライナーをくわえた。

 

「アウトー」

「あれが捕れるのか」

 

 僕は呆然とする。

 

「アルファ様、アルファ様! デルタがボール捕ったのです!」

「えぇ、良くやったわね」

 

 デルタはぶんぶんと尻尾を振っている。

 さて、第三打席だ。

 第三打席は球こそ甘かったものの、僕は打ち損じてしまい、キャッチャーフライとなった。

 そして第四打席。

 

「悪いけど、このまま押さえさせて貰うわ」

「野球はここからだよ、アルファ」

 

 最早馴染みつつあるアルファの振りかぶり。

 僕はテイクバックを取り、ボールのリリースと同時に踏み出した。

 これは……ボールだ!

 僕はゆっくりと流れる時の中、確信を持って見逃した。

 

「ストライーク」

「えっ? 今のストライク?」

「そう。多分」

 

 忘れてた。イータは適当な性格だったのだ。 

 僕は深呼吸する。まだ慌てる時じゃない。

 二球目……今度こそ、ボールだ!

 

「ストライーク」

「えっ、今のも?」

「うん」

「シャドウ。審判の言うことには従うものよ」

 

 ここに来て僕は追い込まれてしまった。

 だがここで負けるわけにはいかない……!

 三球目。

 アルファは剛速球を投げる。その速さも伸びも、最初の頃とは比べ物にならないくらいに速かった。

 けど、それも僕の敵ではない。

 

「よっ、しっ!」

 

 僕はスライムバットを振り切る。

 感触はあった。打球は──

 

「ガンマ! 行ったわよ!」

「お任せ下さい! アルファさ……ぺぎゃっ!?」

 

 ボールを捕りに行ったガンマはなんと、何もない場所でこけた。

 ボールは無情にもそのガンマの頭上を通過する。

 僕は二塁を蹴って三塁へ。その間にゼータがカバーに回り込んだ。

 

「行かせないよ」

 

 拾ったボールをゼータは投げる。アルファに負けず劣らずの速球が、マウンドに立つアルファ目掛けて飛んでいく。

 

「がう!」

 

 そのまま行けば僕はホームに辿り着かなかっただろう。だが奇跡は起きた。

 デルタはゼータの投げたボールをカット。くわえてしまったのだ。

 僕は悠々とホームインする。これで僕は二点獲得だ。

 

「なっ!? バカ犬っ!」

「何ですか、メス猫? 欲しいならデルタから奪ってみるのです」

 

 ゼータが何か言おうとして、口を噤んだ。デルタの背後にいるアルファを見たためだ。

 

「デルタ。ちょっといいかしら?」

 

 びくっ、とデルタの肩が震える。

 

「あ、アルファ様ならこのボールあげてもいいのです!」

「あ?」

 

 それからしばらく、デルタは大人しくなった。

 

□□□

 

 二番バッターはイプシロン、ピッチャーはシャドウだ。

 

「それじゃイプシロン。いくよ」

「は、はい!」

 

 イプシロンは緊張に体を強張らせつつ、スライムバットを握った。

 注目の第一球。

 

「せいやっ!」

 

 シャドウの投げたボールは至って平凡の球であった。アルファの投げた剛速球や鋭い変化球には到底及ばないものだ。

 普段のイプシロンであれば難なく打ち返せただろう。

 だが──

 

「ひゃっ!」

 

 緊張で固まった体は思うように動かなかった。結果、ぶーんと大きな楕円軌道を描いたバットにボールがかすることはなかった。

 

「むっ……ストライク」

 

 シータが少し固い表情でコールをした。

 返球されたボールをシャドウは捕る。

 

「ふっ、イプシロン」

「は、はい……」

 

 きっと不甲斐ない自分を叱責するのだろうと思い、イプシロンは肩を震わす。

 

「型にハマる必要はない……やりたいようにやれ」

「……分かりました」

 

 一体何のことだろう。

 シャドウの言わんとしていることは分からないが、イプシロンは少しだけ勇気を貰う。体から力も抜けたようだ。

 

「行くよ」

 

 シャドウはセットポジションから足を上げて、踏み出した。

 

「くっ……!」

 

 今度の放たれたボールはまさに超速球。先程のボールとは比べ物にならない。

 目にも止まらない速さでボールはシータのミットに収まった。

 イプシロンは何もすることができなかった。

 

「次で決める……」

 

 三球目。

 先程と同じく、セットポジションからシャドウは動き出す。

 

「絶対打つ……!」

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、イプシロンはシャドウを見据える。

 シャドウのしなやかなフォームからは再び超速球が繰り出される。音すら置き去りにするほどの速さだ。

 

「それでも……!」

 

 イプシロンは懸命にスライムバットを振った。

 

「ストライーク。バッターアウトー」

「う、そ……」

 

 イプシロンは崩れ落ちた。

 ボールの影は捉えることはできたのに……! あと一歩届かなかった……!

 

「立て、イプシロン」

「シャドウ、様」

 

 シャドウの冷徹な瞳がイプシロンを見つめる。

 

「お前はその程度ではないだろう?」

「──っ!」

 

 イプシロンは顔を伏せた。よく見れば耳が赤い。

 自分はなんて恥ずかしいことをしたのだろう。シャドウが自分のことを信じてくれているというのに、早々に諦めるだなんて。

 

「行くぞ」

「はい!」

 

 先程の緊張していた頃よりも随分と柔らかい表情で、イプシロンは打席に入る。しかし、その集中力は凄まじいものだった。 

 

「シャドウ様の期待に応えなくては……!」

 

 二打席目、第一球。

 相も変わらぬ超速球だ。視認することすら困難なほどに速い。しかし──

 

「見え、たっ!」

 

 イプシロンのスライムバットに強い衝撃が走る。

 直後、空高くボールが舞い上がった。

 

「アウトー」

「ふふん」

 

 しかし、ふわりと上がった打球に勢いはなく、デルタが口にくわえてキャッチする。

 

「ボスー! デルタ捕ったのです!」

「おーよしよし……マーキングはやめろ」

 

 シャドウが頭を撫でていると、デルタは尻尾を振って体を擦り付けようとする。それをシャドウは押し返した。

 一方イプシロンは未だに手に残る感触を確かめていた。

 

「イプシロン、大丈夫かしら?」

「アルファ様……」

 

 心配そうにアルファがイプシロンに話しかける。

 イプシロンは今一度手に視線を落とし、

 

「はい! 大丈夫です!」

「そう。なら良かったわ」

 

 今の一球でイプシロンは何かを掴んだ気がした。それが何かまでは分からないが、もうイプシロンは下を向かない。

 

「さて行こうか」

 

 イプシロンの第三打席。

 一球目。僅かに外へ外れてボール。

 続く二球目は内角を抉る超速球だった。体を大きく開いてしまったイプシロンは空振る。

 三球目。今度は外の低めいっぱいに超速球がいく。やや開き気味だったイプシロンのバットは届かないように思われたが、元々長めのバットなので、かろうじて当てられた。

 

「ほう。今のを当てるか」

 

 感心したようにシャドウは言った。

 

「ならば……」

 

 四級目。今までと寸分違わないフォームからは超速球──ではなく、最初にシャドウが見せた普通のボールだった。

 虚を突かれたイプシロンは一瞬気後れをするも、考える。

 

「このボールなら、今からでも間に合う」

 

 態勢を立て直し、イプシロンはバットを振る。そして、何の苦労もなく真芯に当てることができた。が──

 

「──っ!? 重い!」

 

 ずっしりとした重みが伝わってくる。まるで巨大な岩を相手にしているようだ。

 踏ん張るイプシロンの背中が悲鳴を上げる。全身の至るところに鉛が詰められた気分だ。

 それでも──

 

「──あぁぁぁーっっ!!」

 

 大量の魔力による身体能力とバットの強度の底上げを行う。まさにイプシロンは死力を尽くした。

 そして、バットを振り切った。

 

「ゼータ!」

 

 ライト方向への打球は仰角四十度で綺麗な放物線を描く。

 眠っていたのだろうか。名前を叫ばれたゼータはむくっと起き上がって周囲を見回す。そして何とかボールを目視した。

 だが、そのときにはもう遅かった。

 

「やった!」

 

 一塁を回るときに、イプシロンは歓喜の声を上げた。

 続いて二塁も回り、結果は三塁打であった。

 

「見事だ」

 

 三塁に座り込むイプシロンにシャドウが声をかける。

 

「ありがとうございます!」

 

 イプシロンは満面の笑みで応えた。

 

「だがまだ終わりじゃない……」

 

 そう。次が第四打席。最後の打席だ。

 そしてこの時点でイプシロンが点差でシャドウに勝てる可能性はない。

 

「それでも、必ず追いついて見せます」

「ふっ……行くぞ」

 

 イプシロンは打席に入り、シャドウと対峙する。

 シャドウの真剣な眼差しがイプシロンを見つめた。その視線にイプシロンはたじろぎそうになるが、もう下は向かないと決めたのだ。

 一球目。

 一見平凡に見えるボールが投げられる。だが、それに秘められた力をイプシロンは知っている。

 

「ストライクー」

 

 イプシロンは見逃した。もうあの球を打ち返すだけの力は残っていなかったからだ。

 狙うは超速球。シャドウがイプシロンの力が尽きていることに気付く前に仕留めなければならない。

 二球目。

 またしても平凡な球だ。

 

「くっ……!」

「ストライーク」

 

 もしやシャドウは気付いているのだろうか。それとも偶然なのか。

 もう追い込まれたイプシロンは、次は何が来ても打つ覚悟をする。

 

「行くぞ、イプシロン」

 

 美しく完成されたフォームから伸びのあるボールが放たれる。 

 ──超速球だ。

 イプシロンは体の力全てを使い、バットを振る。

 

「ファールー」

「うぅ……」

 

 けれどもバットは想定よりも下方の軌道を描いた。思ったよりも力が入らなかったのだ。

 

「どうすれば……」

 

 重い球はまず打ち返せない。かと言って、超速球はバットに当たらない。

 これでは八方塞がりだ。

 そのとき、悩むイプシロンに天啓が舞い降りた。

 

『型にハマる必要はない……やりたいようにやれ』

 

 最初のイプシロンを見たときにシャドウの言った言葉だ。

 あれはただの励ましだと思っていたが──

 

「私のやりたいように……私らしく」

 

 イプシロンは胸に稲妻が走る思いだった。 

 

「私は──」

 

 四球目。シャドウはまた、超速球を投げる。振りに行くイプシロンのバットは悲しいかな。下から振り上げ、アッパースイングの形だ。これでは万に一つも当たらない。

 けれども、

 

「──私は、美しい!!」

 

 イプシロンはバットに魔力を込める。すると、バットは見る見る間に形を変え、ボールの軌道上に、変形したバットが合わさった。

 それは誰にもできるものではない。後に『緻密』と呼ばれるイプシロンだからこそできる芸当だ。

 確かな衝撃を覚え、イプシロンは無我夢中で振り抜いた。

 高くボールは舞い上がる。

 

「なに!?」

 

 誰かの驚く声が聞こえる。

 だが、そんなものには取り合わずに、イプシロンは駆け出した。

 四つのベースを踏まなければシャドウに追いつけないからだ。

 イプシロンは一塁の手前まで来る。これを踏まなければ、そもそも一点も取れない。

 一点を確信し、イプシロンは一塁ベースを踏んだ。が、

 

「アウトー」

「えっ?」

 

 同時に、シータのアウトコールが響き渡る。

 シータの視線の先、見れば地面に突っ伏したベータがいた。

 そのベータは右手にボールを持ち、高く掲げていた。

 

「う、そ……」

 

 イプシロンは崩れ落ちる。

 

「天然に、負けた……?」

 

 そんな言葉が虚しく木霊した。

 

□□□

 

 三人目はベータ、ピッチャーはイプシロンだ。

 イプシロンの目は何故かギラギラと燃え盛っている。

 

「行くわよ! ベータ」

「う、うん」

 

 一打席目。ベータはシャドウの見様見真似で構える。因みに、右手と左手が逆だ。

 

「おぉぉらぁぁっ!!」

 

 雄叫びを上げながら、イプシロンがボールを投げる。普通の球だ。

 

「これなら……!」

 

 ベータはテイクバックをとり、振るのだが、なぜだか力が入らない。

 冗長なスイングは空気さえも切り裂かずに終着する。

 

「ストライクー」

 

 返球されたボールを捕ったイプシロンは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「どうやら、役者が違うようね」

 

 それが気に障ったのか、ベータは頬を膨らました。

 

「それは、やってみないと分かりませんよ」

 

 ベータはシャドウの美しくも力強いフォームを思い出す。頭の中では、完璧にトレースできていた。

 ただし、右手と左手の順番は逆である。

 二球目。さっきと変わらない普通のボールだ。

 

「えいっ!」

 

 そしてこちらも冗長なスイング。またしても空を切るかと思われたバット。しかし、ミラクルが起きた。

 

「やっ!」

 

 突如として、ボールが失速し始める。イプシロンは既に体の力をほとんど使っていたのだ。

 そのボールの軌道と、完全にアッパースイングたるベータのスライムバットの軌道が、寸分違わずに合わさった。

 

「やったー!」

 

 転がったボールを見てベータは喜ぶ。跳び跳ねんばかりの勢いだ。

 だが、無情なことに、打ったベータの勢いとは反対に、ボールにはこれっぽっちも勢いがなかった。

 

「アウトー」

 

 結局、アルファが捕ってピッチャーに返しベータはアウトとなる。

 イプシロンは当然満面の笑みだ。

 

「ぐぬぬ……」

 

 ベータは眉を寄せて考える。

 

「フォームも、力の抜き差しもシャドウ様と同じはず……何が足りないというの?」

 

 それは勿論、バットの持ち方である。

 そんなことにも気が付かずに、二打席目が始まる。

 結果は言うまでもない。平凡なピッチャーフライと相成った。

 だが、先程とは対照的にイプシロンは唖然としている。その視線の先には、ベータ──正しくは、彼女の胸があった。

 

「また、大きくなってる……?」

 

 先程、ベータが打つときに見てしまったのだ。その"揺れ"を!

 イプシロンは歯噛みする。

 そしてベータも、悔しさから歯噛みしていた。

 お互いが歯噛みし合っている珍妙な状況で、ベータの第三打席が始まった。

 一球目、二球目はベースの前でバウンドしてしまい、ボールとなる。

 三球目も同じ球であったが、ベータは振ってしまいストライク。

 四球目はバットにこそ当たりはしたが、根っこも根っこでどん詰まり。ギリギファールで首の皮一枚繋がった。

 そして、五球目に入ろうとしたときに、ベータはふと気付く。

 

「シャドウ様は、左手が下だった?」

 

 シャドウのフォームを完璧にトレースしていたつもりなのに、何故か打てない。

 だが、よくよく思い返してみれば、ベータのそれには違和感があったのだ。

 その正体にベータは遅まきながら気付いた。

 何度か軽く素振りをしてみる。

 

「こっちの方が打ちやすい」

 

 それが感想だった。

 

「……急に、雰囲気が変わったわね」

「もう今までの私じゃないですよ」

 

 マウンドとバッターボックスから、二人は見つめ合う。

 西から東へ流れる雲は形を変えて、広がった。どこか遠くから、遠吠えが聞こえてくる。

 イプシロンが足を上げた。それに合わせて、ベータもテイクバックをとる。

 イプシロンから放たれたそれは今までと同じ平凡な球──ではなく、それに少し毛が生えたものだった。

 ベータは完璧なタイミング、完璧な間合いで振り出す。

 

「甘いわね」

 

 それを見たイプシロンは笑った。

 そして、イプシロンが手をぎゅっと握ると同時にボールは失速する。

 

「ストライクー、バッターアウトー」

 

 ベータのバットは結局、何も捉えられなかった。

 

「どうして……」

 

 困惑するベータにイプシロンは笑みを浮かべる。そして、髪をバサッとかき上げた。

 

「ただ魔力を抜いただけよ」

「魔力を抜いた……?」

 

 イプシロンはもう何も語らない。ベータは考えてはみるも、その真意は測りかねていた。

 第四打席。

 イプシロンはまたしても、平凡に毛が生えた球を投げる。

 ベータは迷った。また失速するかもしれない。

 

「ストライクー」

 

 けれども、そんなベータの予想を裏切り、スーッとボールは通り抜ける。

 続いて二球目。

 球は同じだ。迷っていても仕方がないと、ベータは打ちに行く。

 すると、ボールは突然失速し始めた。

 

「ストライーク」

「もしかして……」

 

 ベータは顎に手を当て考える。

 ベータが振れば失速し、見逃せば変化がない。

 であるならば、誰かが見て、その場でボールを動かしているのではないか。その誰かとは勿論イプシロンだ。

 イプシロンは、魔力を抜いただけと言っていた。

 これらから考えられるのは、ボールには元々魔力を込めており、それを遠隔で操作し、抜いている可能性だ。

 そんなこと、普通はできない。しかし、『緻密』のイプシロンと呼ばれる彼女ならできるかもしれない。

 ベータは考えを纏めて、打席に入る。

 どうすれば打てるか。

 イプシロンは全力でボールを投げる。その球は平凡な球に毛が生えたようなボールだった。

 ベータはバットで打つことを諦めた。

 だから、バットを鉄板のように平べったくする。線で打てないなら、面で打てばいいのだ。

 奇しくも、この発想はイプシロンの変形バットから得たものだった。

 

「そんなのあり!?」

 

 失速するボールに、ベータの体は泳ぐ。体勢を崩されたベータは、しかし、最後まで体幹で粘り、ボールを打ち返した。

 

「デルタ!」

 

 イプシロンが叫んだ。

 ベータ打った球はライナーでデルタのいる方向へ飛んだのだ。

 デルタは地につく前に捕ろうと、突っ走る。

 

「貰ったのです……?」

 

 そうしていざキャッチしようとしたそのとき、ベータのボールは失速した。

 それは元々体勢が崩れていた上に、平べったいバットでは力が伝わりにくいからだ。

 

「あぅーっ!」

 

 前に跳んだデルタの下をボールが抜ける。デルタはそのままでんぐり返しをした。

 

「よし!」

 

 ベータは二塁を回り三塁へ。その間にカバーに入っていたアルファがボールに追いついた。

 

「イプシロン! 行くわよ!」

 

 アルファが恐ろしいまでの強肩でボールを投げた。その球はまさにレーザービーム。

 その時既に、ベータは三塁を回りホームへ走っていた。

 

「間に合えー!」

 

 ベータは叫ぶ。叫んで、頭から思いっきりジャンプした。ヘッドスライディングだ。

 それと同時にイプシロンがボールをキャッチする。

 砂けむりが舞い上がり、静寂が訪れる。全ての視線がシータに向いた。

 

「んー、じゃあアウト」

 

 その視線を受け、こくりと頷いたシータは宣言した。

 

「や、やったー!」

「えっ、ちょっとシータ!」

 

 天然と人工の二人は、正反対の反応をしたのだった。

 

□□□

 

 四人目のバッターはデルタ。ピッチャーはベータだ。

 一打席目。

 ベータは「シータ、しっかりジャッジしてください……」と未だに落ち込んでいた。

 

「ベータ! 早く投げるのですー!」

 

 そんなベータを見てデルタはぷりぷりと怒る。

 

「それではデルタ。いきますよ」

 

 ベータはシャドウそっくりのフォームでボールを投げる。一球目だ。

 そこそこの速さのボールは、綺麗な縦回転で走る。デルタは見るからに大振りで、めちゃくちゃなフォームで打ちにいった。

 

「ふふん」

 

 だが、それでも余りある才能があった。

 見事に捉えたボールは綺麗な放物線を描く。

 

「これは無理かなー」

 

 シャドウが全力で背走するも、追いつけそうにはなかった。

 

「早速一点ゲットなのです!」

 

 デルタは四足歩行で駆け出した。

 まず三塁を回り、二塁へ。二塁から一塁を回り、ボールが返ってくる前にホームインした。

 

「デルタ、やったのです!」

 

 ホームベースに立ってデルタはふんぞり返る。しかし──

 

「アウトー」

 

 シータは無機質な声でアウトコールをした。

 

「えっ!! どうしてです!?」

 

 デルタはシータの肩を掴み、がくがくと震わす。シータは為されるがまま、行雲流水の如しだ。

 

「だってデルタ、逆走してたもん」

 

 ギャーギャーうるさいデルタにシータは迷惑そうな顔をして言う。

 

「逆走? デルタが?」

 

 訳がわからないとばかりにデルタは首を傾げる。

 

「どっちに走ろうとデルタの勝手なのです。弱いやつがデルタに指図するな」

「はぁ……デルタ。そういうルールなんだから」

「あ、アルファ様!」

「いい? 打ったら右に走るのよ。み、ぎね」

「分かったのです……」

 

 デルタはしょんぼりとして頷いた。

 

「デルタ、いきますよ」

 

 二打席目。

 ベータの投げたボールをデルタは完璧に打ち返した。しかし、先程のような勢いはなく、シングルヒットに留まった。

 三打席目。

 一球目、二球目はかなり外れた球を振り、一気に追い込まれる。

 続く三球目もボール球であったが、流石に学習したのか、デルタは見逃した。

 

「うぅー……デルタは待てが苦手なのです……」

 

 四球目も見逃したデルタはそう呟く。

 しかし、五球目も外れてボールであった。

 

「ベータ! お前わざとやってるな?!」

「これは戦いですよ」

 

 デルタがベータを睨む。対してベータも睨み返した。

 そして六球目。

 インコースギリギリに、ベータはボールを投げた。

 その球をデルタは「ようやく来た!」とばかりに思いっきりひっぱたこうとした。

 

「ゼータ、お願いします!」

「任せてよ」

 

 金色の尻尾を揺らして、ゼータは落下地点に入る。そして何の苦もなく背面キャッチをした。

 

「これであと一打席──」

「デッドボールー」

「──えっ?」

 

 シータのコールにベータは驚く。

 なぜなら、確かに"打球"は飛んでいたのだから。

 

「わうー、痛いのですー」

 

 しかし、デルタは尻尾にフーフーと息を吹きかけて撫でていた。耳も垂れ下がっている。

 

「あの、シータ。デルタはバット振ってましたよね?」

「さぁー」

「振ってたなら、ストライクデ三振になるのではないでしょうか?」

 

 最初にシャドウにされた説明では、デッドボールでも振ればストライクになるはずだ。

 ベータはそれを根拠にシータに問い詰めるが、シータはピンと来ていないようだ。

 

「審判の言うことは絶対。シャドーもアルファ様も言ってた」

「そ、それはそうですけど……」

 

 ベータはそう言われ渋々と引き下がった。

 現在、ランナーは一、二塁だ。

 四打席目。

 デルタはうー! と唸りながら打席に入る。かなりベータを睨んでいた。

 

「ベータ、覚悟するのです」

 

 デルタの纏ってるそれはもう殺気だった。歴戦の戦士ですら震え上がるほどの殺気。

 ベータは固唾を飲んだ。

 

「怖いけど……」

 

 ベータは覚悟を決めて、足を上げる。遠く理想のシャドウを意識して。

 

「がぁうぅぅっ!」

 

 ベータの投げた球をデルタは巨大で無骨なスライムハンマーバットで迎え撃つ。

 ジャストミートした当たりはまさに会心の一撃。凄まじいほどの爆音と共に、ボールが飛ばされる。

 

「わっ!?」

 

 そしてそのボールは一直線でベータ目掛けて飛んだ。

 ベータは反応が遅れるものの、先の経験からグローブだけは出していた。

 そのグローブによってボールは弾かれる。弾かれて、それでもまだ余力を残しているようだ。ベータの大きく後方へ落ちた。

 デルタは四足歩行で疾走する。既に二塁を回っていて、この時点で一点が確定している。

 

「そこを退くのです!」

「ちょっと!」

 

 三遊間の辺りで立っていたイプシロンに、デルタは突撃する。そのままもつれ合い、転がった。

 

「イプシロン! デルタの邪魔するな!」

「そっちからぶつかってきたんでしょ!」

「アウトー」

 

 そうして言い争いをしている間に、デルタはアウトとなる。

 シャドウを追い越せる機会をデルタは見す見す逃したのだ。

 そんなことにも気づかずに、デルタとイプシロンはしばらく言い争いをしていたのだった。

 




皆様はWBCは見ましたか。因みに作者は決勝は見逃しました。
WBCのアーカイブを見ていたから投稿が遅れたなんてことはありませんよ。いえ、本当に。
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