夜の帳が下りる中、デルタは森の中を走っていた。冬という季節故か、うるさい虫の声は聞こえず、生物の気配もだいぶ少ない。
だが、いるところにはいるもので、デルタの鋭い五感は確かに獣の存在を捉えていた。向こうもデルタの接近に気付いたようで、のっそりと動き出した気配がする。この気配は、熊か。
この時期に起きているとは珍しい。デルタは特に何も疑わず、そう思った。
これはデルタが知る由もないことなのだが、冬眠中だった熊は、あまりにも強烈な気配を放つデルタに驚いて、目を覚ましてしまったのだ。その正しく野生の勘で、危険を察知したのが、熊にとっては逆に仇となる。寝ていれば気づかれなかっただろうに、起きてしまったがために、デルタに感知されてしまったのだから。
熊は咄嗟に逃げようとするも、もう遅かった。デルタの爪は、もう熊の首に届いていた。
デルタは倒れた熊を見下ろしていた。傷口からどくどくと溢れる鮮血も、次第に勢いを弱めていく。もわっと広がる鉄の香りに、いつもなら達成感や征服感が込み上げてくるところなのだが、今日はどうにも調子が悪い。何だか、胸の辺りにモヤッとしたものがあって、それが胸に広がる高揚感を押し留めている気がした。
「きっと、お腹が空いているからなのです」
デルタは手際良く皮を削いでから、生肉に齧り付く。
不味くはないが、美味しくもなかった。
□□□
「デルタ戻った!」
バンっと勢いよく扉を開けながら、デルタは入室する。ぎょっとした顔で何人かが振り向くが、この部屋の主──アルファは何でもないようにゆっくりと顔を上げた。
「早かったわね。ガンマは?」
「ガンマはまだあっちにいるのです!」
「あなただけ戻ってきたのね。何かあったの?」
「えっとー……」
デルタは頭に手を当てながら考える。ラワガスを発ったのはいつだったか。スポンジのようにスカスカで、なのに吸収性に難アリの脳みそをフル回転させる。
「ボスと会った!」
「彼と? やっぱり何かあったんでしょう?」
「それで、狩りした!」
「そう。それで、何があったの?」
「なんか牛みたいなのもいた! デルタとボスで狩った! 強かった!」
「牛? ちょっと分からないけれど、彼が動いたのなら、何かあるわね」
本当はゼータやシェリーもいたはずなのだが、デルタにとって重要ではないので、頭から完全に抜けていた。因みに、牛ではなく、サイのような見た目だったのだが、そこもデルタにとっては些事なので、頭から完全に抜けていた。
アルファは何やら紙にすらすらとペンを走らせた後、それを近くにいた部下に渡した。
「そう言えば、ゼータの様子はどうだった?」
「メス猫は……」
デルタの尻尾と耳がピンっと伸びる。両手五本の指と指を合わせて、こねくり回していた。
「デルタにはよく分からないのです……」
それは普段の彼女とは違う困惑と不安の入り混じった声音だった。
デルタは耳を伏せて、尻尾を垂らしながら拙い言葉で更に続ける。
「デルタはバカだけど、この群れがボスのために盗賊狩りしてるのは知ってるのです。それだけじゃなくて、みんなボスが好きなのも知ってるのです」
デルタのシャドウ・ハーレム計画では、強い女を沢山集めることになっている。そのとき、大部分が"この群れ"から入ることになるだろう。
「メス猫も……ゼータも、他のみんなと同じ匂いがするのです。猫臭いけど」
言いたいことは伝わっただろうか。あまり伝えるということが得意でないデルタは、いつになくもじもじとして、アルファを見る。
その様子を見たアルファはふっと相好を崩す。
「あなたの言いたいことは分かったわ」
「そ、そうです?」
「えぇ。それより、あなたは帰ってきたばかりで疲れてるでしょう。少し休みを取ったらどう?」
「大丈夫なのです! デルタは、元気ピンピンなのです!」
「元気満々でしょう。言葉は正しく使いなさい」
「ほら、尻尾もピンピンしてる!」
「それはブンブンでしょう」
アルファはそうツッコミながら、手元の資料をパラパラ捲る。そして、引き出しから地図を出すと、
「じゃあデルタ、ここに"盗賊"の拠点があるから、お願いできる?」
「任せろなのです!」
そう言って、デルタは窓の方へと走り出す。その直前上の窓を、部屋にいた一人が素早く開けた。流石に手慣れている。
地図を持たず、ろくに見もしなかったデルタが道に迷ったのに気付いたのは、それから半刻後だった。
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「道に迷ったのです……」
デルタは再び森の中を歩いていた。スンスンと周囲の匂いを嗅いでみるが、人の気配は全くない。
適当に走っていれば、見つかるだろう。
「うん? この匂いは……」
再びスンスンと鼻を鳴らして嗅いでみると、覚えのある匂いがしてきた。高速でこちらに近づいてきている。デルタも、全力で駆け出した。ブンブンと尻尾を振りながら。
向こうもこちらの接近に気付いたのだろう。足を止めた。デルタは構わず全力でダッシュする。
「ボスー!」
「やっぱデルタか」
直前にしっかり勢いを弱め、ボス──シャドウに飛びついた。
「どーどーデルタ」
「えへへっ」
頭を撫でられたデルタは嬉しそうに笑う。抱き着いたついでに、マーキングもしておこう。
「やめろ」
だが、マーキングしようとした瞬間、強い力によってデルタは引き離されてしまった。
「ボス! なんでここにいるのです?」
確か、デルタがラワガスを出る少し前、ボスはまだ学校があると言っていたのだ。実際、彼は今学園の制服を来ている。
「うん? あぁ、この前の騒動で留学が終わったんだ。やることは、もうほとんど終わってたしね。それで、帰って来る道中に、近くに大きな盗賊がいるって話を聞いたから、宿から抜け出してきたんだ」
「うーん?」
言っていることの意味がよく分からないので、デルタは首を傾げた。首と一緒に尻尾も傾げている。
まぁ、なんであれ、盗賊狩りに来たのは間違いないようだ。
「デルタも狩りする!」
「いいけど、何かやることがあったんじゃないの?」
「アルファ様に盗賊狩れって言われてる!」
「なるほど。じゃあ、同じところなのかな? 場所は分かる?」
「分かんない!」
「そうかぁ。僕も大体の場所しか分からないけど、まぁ行けば分かるか」
何やら一人で納得したらしいボスは、「よし行こう」と前を行った。
□□□
結局、盗賊の拠点があったのは、ボスと遭遇したところから、街を挟んだ反対側であった。
そこにいた盗賊たちを一人残らず討伐し、今はボスが戦利品を漁っているところである。ボスは、機嫌良さげに鼻歌を歌っていた。
「こっちは無理かな。絵画は捌けないし……おっ、こっちの宝石なら、質屋で高く売れそうだ」
デルタは積み上げた死体の上に座ってその様子を眺めていた。
「ボス」
「うん? なに?」
「その鼻歌は?」
「あれ、前に教えなかったっけ? ……いや、確かあれはゼータに教えたんだったかな」
何故か聞き覚えがあったのは、ゼータがよく歌っていたからか。
デルタはその鼻歌を聞きながら、下を見た。そこには、理由の分からない内に殺され、無理解の表情を浮かべた死体たちがあった。
いつもはそれを見て多幸感を覚えるデルタは、しかし、このとき彼女の胸中には、そのようなものが芽生えなかった。むしろ、ただ漠然とした掴みどころのない不安が波のように打っては引き、打っては引きを繰り返していた。
──いつもとみんな違う。
デルタが報告に行ったときの感想がそれだった。正確にどこが違うのかは判然としないが、彼女は肌でそう感じたのだ。そして同時に、その違う理由がゼータにあることも、デルタは感じ取っていた。
ラワガス遠征。アルファには、ゼータと戦うかもしれないと言われていた。デルタはそれを"何かやらかしたゼータにガツンと怒りに行く"のだと思っていたのだ。だから、それが終わればいつも通りになると考えていた。
だが、結果は戦わなかったのに、ゼータ関連でピリピリしている。そのピリピリは──まるで敵に向けるようなものだった。
「ボス、メス猫は大丈夫かな?」
「ゼータ?」
ボスの漆黒の瞳がデルタを捉える。絡み合うように視線が交わり、音がなくなる。まるで深い闇の中に吸い込まれてしまったかのような錯覚を、ふっと笑う声が断ち切った。
「大丈夫だ。彼女にも考えがある」
「……そうですか。そうです! まったく、あのメス猫は世話が焼けるのです!」
「あっ、デルタ。いいかい。ちゃんとアルファに伝えとくんだぞ。『ここにはお宝はなかった』って」
「分かったのです! 一言一句、全部ちゃんと伝えるのです!」
「よし良い子だ」
頭を撫でられ、デルタはえへへと笑う。そして、彼らは盗賊の拠点を後にした。
尚、アルファへの報告で「ボスは『いいかい。ちゃんとアルファに伝えとくんだぞ。ここにはお宝はなかったって』って言ってたのです!」と言ったのはまた別の話である。
活動報告にも書きましたが、3月、4月はそれなりに余裕がある見込みなので、いつもより沢山書いていきたいなぁ(願望)と思っております。
次から八章となります。一話目はプロット作るので少し遅れます。