各陣営の動き
「シド君、ヒョロ君遂にこの時期が来ましたね!」
いつも通りの学校、いつも通りの昼食の席でジャガが目を輝かせながらそう言った。
僕は日替わり定食の貧乏貴族コースをつつきながら、何かあったかと考える。
……いや、あった。それも一大ビックイベントだ。
「ん? ジャガ、何があるって?」
「分かってませんねぇ、ヒョロ君は」
ジャガはチッチッチと人差し指を振って三回舌打ちをする。そのドヤ顔は、いつも通り鼻につくものだ。狙ってやっているのだろうか。
「卒業式ですよ、卒業式!」
ジャガは大げさに机をバンッと叩いて、立ち上がる。周囲の視線が一瞬集まるが、いつものことか、とすぐに視線は散っていった。
そうだ。卒業式があるのだ。
貴族には、ミドガル魔剣士学園に十五歳から三年間通う義務がある。つまりだ。今年十七歳になる人物は卒業することになるのだ。例えば、ローズ先輩のように。……いや、彼女は中退しているから関係ないか。
コホン。話を戻そう。
そう、十七歳になる者は卒業するのだ。そして、僕の姉クレアは今年で十七歳になる。すなわち、姉さんはこの学園から卒業し、来年度からは
僕がそうやって一人嬉し泣きしている横で、ヒョロが怪訝な顔つきになっていた。
「あぁ、卒業式か。そんなものもあったな。それがどうしたんだ?」
確かにそうだ。あくまで姉さんの卒業が嬉しいのは、僕だけだ。いわば、超局所的ハリケーンな姉さんの被害を受けるのは僕だけであり、他の生徒──それこそ、何の関わりもないジャガには関係ないイベントではないだろうか?
僕とヒョロ、二人の訝しげな様子を見て、ジャガはやれやれといった風に肩を竦めた。
「これだからお子様は……いいですか? 卒業式といえば当然あるでしょう! あのイベントが!」
「なんだ? ……おっ、分かった。手で作ったアーチを先輩が通るときに、わざとよろけてラッキースケベを狙うんだな?」
「むっ、それはいい案ですが……いいえ、不正解です。僕が言いたかったのは、第二ボタンの交換というイベントですよ!」
「ほう……」
ヒョロの目が細められる。
「詳しく」
「いいですか? まず大前提として、僕たちはいい男です」
「そうだな」
「そうかな」
「そうです。つまり、必ず先輩たちの中に、僕たちを狙っている人がいます」
「そうだな」
「いないと思うけど」
「……彼女たちが僕たちに会えるのは恐らく最後。だから、せめてもの慰めと僕たちのボタンを欲しがるでしょう」
「そうか!」
「いや、それは絶対ないよ」
「後は、その場の流れで上手くやれば、ベッドイン間違いなしです!」
「おぉ!」
何やら盛り上がっているところ悪いのだが、その展開だけは絶対に起こり得ないのだ。
なぜなら、
「この制服のどこに、渡すボタンがあるの?」
「あっ」
「あっ」
つまり、そういうことだ。
□□□
冷たい風がシータの頬を撫ぜた。眼下には淡い星々の光が点々としている。もう、街も眠る時間帯だ。
風が目に滲みる。シータは薄く目を細めた。その隣に人影が一つ立ち並ぶ。
「シータ、やっぱり気付かれたみたい」
その声音はどこか寂しげで、また儚げなものでもあった。
「思ったより早かったよ……もう少し誤魔化せると思ってたんだけど」
「アルファ様はやるならとことんやる。もうお日様の下を、堂々と歩けない」
「別に構わないよ。だって、私たちは陰で生きてるんだから。今までと何も変わらない」
シータはふっと息を吐く。白い吐息が風に流され、消えていった。
「そうだね」
「しばらくは、王都に留まるよ。ここに左足があるって情報があった」
「それ本当?」
王都からは既に、右腕を回収している。同じ都市に二つもあるだろうか。
「分からない。けど、真偽を確かめる意味でも、留まる価値はある」
「分かった……ウィクトーリアは?」
「ちょっと所用で他に行ってもらってる。もうすぐ帰ってくるよ。多分」
そのとき、一陣の突風が吹いてきた。遠く彼方の空から流れ着いたこの風は、轟々と耳障りな音を置いて、また飛び去っていく。
後には無機質な石の冷たさが残るばかりで、他には何もない。まるで、何もかも突風に攫われてしまったかのように。
□□□
「どうやらゼータたちは潜伏したようです。アルファ様」
人払いをして、ガンマが告げた内容はそのようなものだった。
「そう……」
アルファは自分の顔が強張るのを感じる。これで、完全に退路は断たれてしまったのだ。
「もし、素直にここに来て、私たちにちゃんと説明してくれたのなら……私はきっと、彼女のことを信じられたわ」
アルファは暖炉で燻る燃えかすを見て言った。その言葉は、ふと口をついて出たのか、あるいは自分に言い聞かせたのか。
重い沈黙が、室内に舞い降りる。
「えぇ、分かっております」
ガンマに言えたのは、それだけだった。
「それで、いなくなったのはゼータだけ?」
「いいえ。彼女の他には、シータや559番含め数名がいなくなっています」
「そう。あの子たちも……」
他にも裏切り者がいると聞いても、アルファの心に波は立たなかった。
最早決心しなければならないだろう。怒りに任せてではなく、ちゃんと覚悟を決めて、彼女たちを断罪するのだ。
これが本当に、最後の決心である。
ふぅーと目を瞑って大きく息を吐く。机の上にあるマグカップを手に取った。
「あら?」
だが、仄かな柑橘系の香りがするだけで、中には何も入っていなかった。
「私が淹れてきましょうか?」
「いえ、今日はこの後すぐ休むから必要ないわ」
「そうですか。どうかご無理はなさらずに。アルファ様はすぐ仕事を溜め込みますから」
「えぇ、分かってるわ。あなたも適度な休憩はしなさい」
「分かりました」
ガンマは分かっていますよ、と言わんばかりな口調で言った。余計なお世話だっただろうか。
そこでほっと空気が弛緩した。先程とは違った穏やかな沈黙に包まれる。
そんな中で、廊下を慌ただしく走る音が響いてきた。何事かと二人の視線が扉に集中する。バンっと勢いよく扉を開けたのは、ニューだった。
「し、失礼します!」
「そんなに慌てて、どうしたの?」
「それが……」
ニューは彼女にしては珍しく、表情を曇らせている。それだけ、悪い情報なのだろう。
そう検討を付けて、アルファは報告を待った。
「先程、常連客の方から聞いた話なのですが……どうやら、近頃市井に"『ミツゴシ商会』は悪の秘密結社と裏取引している"という噂が流れているそうです」
「……! まさか、『ミツゴシ商会』と『シャドーガーデン』の関係が露出したの?」
「それは今から調査します」
ニューは優秀だ。既に調査は始めているだろう。
「ですが、もし噂の発信源に教団が関わっているのならば、そう見るべきでしょう」
ガンマはそれを察して、調査方法については触れずに私見を言う。
「……そうね。まったく、よりによってこんな時期に」
「とにかく、まずは噂の確認と、その源を辿ろうと思います」
「そうして頂戴、ニュー」
ニューは頭を下げて、今度は走らずに去っていく。
「……しばらくはゆっくり休めなさそうね」
「そうですね」
二人は口元に微かな笑みを湛えた。それが現状の余裕から来るものではないことは、双方理解している。むしろ、これから起こるであろう未知の障壁に対して挫けないように、繕って己を鼓舞しているのだ。
故にアルファは、全く不安を感じさせない口調で言った。
「ガンマ、紅茶を淹れてきてくれる?」
「承知しました」
ガンマも鉄壁の微笑みを以てそう返答したのだった。
□□□
「ククク、順調に噂は回っているようだな」
「流石です。月丹様」
月丹は上げられた報告書を見て、満足そうに頷いた。衰退し縮小した『大商会連合』の長カーターはそれに追従する。
「あの忌々しい『ミツゴシ商会』を崩すのに、あんな嘘をばら撒くとは……信用が大事な商売において、これは嫌な攻撃です」
「ふん、何も完全な嘘というわけではない」
「と、言いますと?」
『大商会連合』は昨年の秋に『ミツゴシ商会』に対抗するためにできた組織だ。当初の予定では、信用創造の隙をついて連合諸共、『ミツゴシ商会』を倒すはずだった。
しかし、突然フェンリルが死亡し、月丹属するフェンリル派が揺らいでしまったのだ。それで、その計画は白紙に戻り、連合の勢力はだんだんと縮小していったのだ。
その一連の騒動の中で、連合は傭兵を雇い『ミツゴシ商会』の馬車を何度も襲撃している。普通の行商人に対しては効果があったそれは、しかし、『ミツゴシ商会』直下の馬車に対しては効果がなく、傭兵は全て壊滅していたのだ。
つまり、『ミツゴシ商会』は相当な武力を持っているということだ。聞く話によれば、無法都市の『妖狐』ユキメも傘下になり、急速に勢力を伸ばしている。
彼らの裏には何かいる。それが、月丹の結論だった。
月丹はカーターの問いには答えずに、立ち上がる。
「夜剣の連中に連絡は取れたか?」
「は、はい。前向きに検討するとのことです」
「そうか」
月丹はその顔に獰猛な笑みを浮かべる。
──さぁ、第二回戦だ。俺はお前たちを踏み台にして、ラウンズになるぞ!
ここに、『ミツゴシ商会』対『大商会連合』の第二回戦が始まったのだった。
三つ巴の形になりました。月丹はフェンリル派残党をまとめたようです。
この章は長くなりそうですね……無駄話はなるべく削ぎたい所存です。