「どこから情報が漏れたッ!?」
ガシャンと大きな音が鳴る。それはグラスが割れる音であり、机が破壊される音であり、そして築き上げてきたものが崩れ去る音でもあった。
目前のガーターは最早、呼吸するのもままならない様子で、顔を青ざめ沈黙していた。何かを話そうとしているのだろう。口をパクパクと動かしているのだが、残念なことに言葉が音となり、この世に生まれ落ちることはなかった。
その様子を見た月丹は、鼻を鳴らす。
「もういい。下がれ」
「は、はいっ」
一人になった部屋の中で、唯一無事な椅子に座り直す。まずは現状を整理しよう。
ことの始まりは、王女アイリスが団長である『紅の騎士団』からの便りだった。その内容を端的に表すのなら、『ガーター商会は他商会の積み荷を襲撃している可能性がある。よって、商会内の査察を行い、関係者には尋問を行う』だ。
更に、明文化されていたわけではないが、夜剣や噂ついても仄めかされていた。その文章はまるで、こちらは全部知っているのだと伝えているようでもあった。
もし、本当に全部知られているとして、問題はどこから情報が漏れたか、だ。
可能性の一つとして『紅の騎士団』が独自調査したというものも挙げられるが、これは可能性が低い。あの小さな組織に、そこまで調べられるとは考えにくい。
一番可能性があるのは、内部からの漏洩だろう。だが、こちらも先程のガーターの様子を見てないと判断した。もし、内部からの漏洩であれば、ガーターがとっくに裏切り者を始末しているはずであり、その報告をしてきたはずだからだ。その方が、月丹の怒りに触れなくて済む。
こうやって、可能性を排除していくと、残るのは外部犯の可能性だ。一番やってきそうな相手は、現在敵対している『ミツゴシ商会』か。もしくは、そのバックにいる謎の組織だろう。
「チッ、抜かったな」
『ミツゴシ商会』の関連施設には見張りを付けていたはずだが、報告はない。どこの報告も、我が戦線異常なしだった。
順当に考えれば、犯人は『ミツゴシ商会』ではない。しかし、あそこは謎も多く、未だにチョコレートの原料や、どこでその原料を入手しているのかすらも分からない。
その上、バックの組織に至ってはほとんど情報がない。オリアナ王国にいたラウンズ、モードレッド卿は何か知っているという話も聞いたが、こちらまでは情報が回ってきていないのだ。
どうやって情報を掴んだのか分からないが、これがラウンズとその他の違いということなのだろう。
いずれにせよ、犯人は『ミツゴシ商会』関連に違いないと、月丹の中では結論付けられていた。
これからどうすればいいか。
必死に思考を巡らせるが、てんで回る気配がない。もう見えなくなった目が疼く。遠い過去の記憶が、微かな熱を帯び、ジリジリと月丹の内側を焦がす。
「クソッ……まぁいい」
やるべきことは思いつかないが、やらなければいけないことならある。考えるのは、それを済ませた後でも遅くないはずだ。
「まずは裏切り者の始末だ」
ゲーテ・モーノ伯爵。一番最初に裏切り、計画を狂わせた男だ。その罪は、清算せねばなるまい。
外套を羽織り、外に出る。寒い夜の道を、月丹は一人歩いたのだった。
□□□
月丹は、途中にいる護衛を斬り伏せながら、廊下を歩く。立ち向かってくる者、逃げる者、ただ立ち尽くす者。様々といたが、全て一刀のもとに斬り伏せた。
赤く鮮やかな絨毯は、もっと暗い深紅色へとその色を変えている。ピチャピチャと水たまりを踏むような音を奏でつつ、月丹は目的の部屋まで来た。
しかし、月丹はその扉を開けるのを躊躇う。
この扉の先にある強者の気配。それだけなら、月丹は動きを止めることもなかった。強者との戦いは何度もやってきたのだ。今更尻込みするようなことではない。
だが、その気配には覚えがあった。本来、ここにいるはずがなく、こんなに強いはずがない者の気配だ。
故に戸惑い、開けるのを躊躇ったのだ。
「入りなんし」
その戸惑いを察知したのか、扉の向こうから声が聞こえた。
月丹は、ゆっくりと扉を開けた。
「久しぶりでありんすね」
そこには懐かしき妖狐──ユキメの姿があった。記憶よりもだいぶ大人びていて、尻尾の本数も違うが月丹が彼女を見間違えるはずがない。
「お前が、何故ここにいる?」
月丹は震える声で言った。
対してユキメは、悲しげに目を伏せる。
「月丹……わっちはずっと、この日が来るのを待っていんした。でも、いざこの日が来ると、どうしてこなにも悲しいのでありんしょう」
「まさか、貴様が……いや、そうか」
月丹は『ミツゴシ商会』とその周辺ばかりに気を取られていた。その状況で、全くのノーマークであった無法都市陣営の介入……。道理で、月丹は前兆を掴めなかったわけだ。『ミツゴシ商会』は何もしていなかったのだから。
ユキメはセンスで口元を隠し、月丹は剣を構える。
「ゲーテ・モーノはどうした?」
「主が来るのは分かっていんした……今はとうに、屋敷の外にいんしょう」
「あいつを唆したのはお前だったか」
「唆したとは人聞きが悪いどすね」
そこで沈黙が訪れた。重々しい空気の中には、微かに何らかの感情が入り込んでいた。
邪念、余念、無意味な感傷。どちらのものであるか、あるいは両者のものか。
それが明かされることは永遠にない。なぜならば──
「グハッ……! ここまでの力を……」
一閃。たったそれだけで、この戦いは決したのだから。
驚愕に目を見開き、そして、手を懐に伸ばしかけた月丹は結局何もせずに倒れる。内から温かいものが溢れ出し、真冬の中にいるように凍える。
それでも彼は、手を伸ばす。震える手は、もう見ることのできない顔に触れた。
「もうお終いでありんす」
ユキメは静かに言った。
「俺は……最期まで、お前を傷つけようとした」
ずっと胸にしまって、言えなかった言葉。いや、全てをふいにして、力を求め始めたときから外に出ないように蓋をした悔恨の言葉。
数多の命を切り捨ててきた彼の経験は言っている。お前はもう長くはない、と。
人生の淵で、ずっと押し留めていた言葉が際限なく溢れ出て、しかし混ざり合ってしまって、言葉にならない。そして、それに拍車をかけるように、思考の巡りが遅くなる。本当に、別れは近いのだ。
それでも、これだけは言っておかねばなるまい。
「すまなかった」
何に対して謝ったのか。目的語を失った言葉にユキメは、
「わっちは、主の全てを許しんす」
と、そう言った。
最早音も遠くなり、指先の感覚も存在しない。最期の瞬間、彼が感じたのは懐かしき彼女の香りであった。
□□□
「終わったみたいだね」
「えぇ」
ユキメが腕の中で息絶えた月丹の顔を眺めていると、背後からそう声がかけられた。
ユキメは月丹をゆっくりと横たえて、立ち上がり振り返る。
そこには、漆黒のボディースーツに身を包んだ猫の少女──ゼータがいた。
「まずはお礼を。主らのおかげで、長年の悲願を叶えられたどす」
「礼はいらないよ。利害の一致ってやつだから」
ゼータはそう言って肩を竦めた。
「それよりも、このことはアルファ様たちには内緒にしてね。今私が動いたことがバレるのは、都合が悪いから」
「分かりんした。報告書には、全てわっちがやった書きんしょう」
「助かるよ」
ゼータは窓を開けて、縁に足をかける。言いたいことを言ったら、すぐどこかに行くのはつい最近まで連絡役だった少女に似ている。そして、彼女らは窓しか出入り口として使っていない。本当にそういう規律でもあるのだろうか。
「よかったね」
ゼータの姿が掻き消える。
ユキメは、今度は誰もいない虚空に向かって返事をした。
「そうでありんすね」
□□□
「アルファ様。ゼータの居場所が分かりました」
ガンマはたった今、ニューから上がってきた情報をアルファに伝える。
既に日が落ちてから随分経っている。時計は見ていないが、深夜であることは疑いようがないだろう。
「場所は?」
アルファは少しやつれながらも、凛とした表情だ。そして、覚悟の決まった瞳をガンマに向ける。
ガンマも気持ちを今一度引き締めた。
「二つ、目撃情報があります。一つは、ゲーテ・モーノ伯爵の屋敷です」
「ゲーテ・モーノ伯爵……ダクアイカン侯爵の元懐刀ね。そう、彼女がやったのね……」
一瞬、彼女のその瞳の奥が揺らいだ。常人には見えない程の揺らぎではあったが、確かに揺らいでいた。
ここ最近、『ミツゴシ商会』は崖っぷちまで追い込まれていた。根拠のないデマを、デマと証明するのは存外に難しい。悪魔の証明をやらなければいけないからだ。
様々な対処方法を模索して、実行し、それでも結果は出なかった。そうした八方塞がりは、必然的にガーデンの士気に暗い影を落とす。誰も言わず、顔にも出ないように取り繕ってはいたが、嫌な疲労は溜まる一方だったのだ。
そんな中で転機が訪れた。突然、『大商会連合』が揺らいだのだ。どこからかのタレコミにより、彼らの不正が暴かれ、査察が入った。その査察で暴かれた内容が明らかになるにつれ、少しずつではあるが、『ミツゴシ商会』の売り上げも復調していた。
後に、タレコミ元はユキメだと分かったが、彼女にそんな力があるのかは疑問だったのだ。そんな中で、ゼータが動いていたとなれば、納得のいく部分も多い。
だが、それは同時にもう一つの事実をガーデンに突きつけている。──ゼータは、ガーデンを助けるために動いたということだ。
もし、ガーデンから完全に離反して、敵対するつもりならそんなことをする必要はない。
その感情が、僅かにアルファの脳裏を過ったのだろう。
「大丈夫ですか?」
「……ありがとう。大丈夫よ。続けて頂戴」
ガンマはそのことに気が付かないふりをして、報告を続ける。
「それでもう一つ、目撃情報があったのは、地下水路です」
「地下水路……」
「はい。迷路のように張り巡らされた王都内の地下水路です。確かに、あそこなら隠れるにはうってつけと言えます」
「そう」
アルファは一度だけ目を瞑り、深呼吸した。そして、ゆっくりと目を開ける。
「デルタと、空いている『七陰』、ナンバーズを呼びなさい」
「やるのですね?」
「えぇ」
このときが来るのは覚悟していた。ガンマは顔の強張りを感じつつ、一礼して了承の意を示す。
そんなガンマの内心を察してか、アルファは優しく言った。
「大丈夫よ。全ての責任は私が取るわ」
「……」
その言葉が恐ろしくて、ガンマは最後まで顔を上げられずに、退室したのだった。
本作では、ユキメは覚悟がしっかり決まっていたので、自分の手で月丹と決着が付けられました。ゼータは万が一に備えて見守っていました。