長く裏社会にいると、五感とは違った感覚──シャドウはシックスセンスと呼んでいた──が鋭くなってくる。例えば、相手に察知されているかが分かったり、調べる前に重要な資料があるかが分かったり。
今回のもそうだ。空気が変わったのを感じる。体に妙な緊張が走って強張り、全身の毛が逆立った。
来るッ! と、ゼータは直感的に思った。
「ゼータ」
「分かってるよ、シータ。準備はいい? ウィクトーリア、ニーナ」
「勿論です」
「はい」
薄暗い地下水路の一室。ゼータは招集していた二人に声をかける。
ウィクトーリアは元559番であり番号は後の方ではあるが、その実力はニューやシータと比べても何ら遜色ない。むしろ、超えている可能性すらある。彼女とシータには、アルファたちが連れて来るであろうナンバーズの相手を任せるつもりだ。
ニーナもそれなりの実力者だが、ウィクトーリアや『七陰』に比べると一段、二段見劣りする。彼女には、『七陰』とナンバーズ以外の一般構成員の足止めをして貰う予定だ。厳しい戦いになるが、ガーデンに属していない部下を二人付けているので、時間くらいは稼いでくれるだろう。
では、ゼータの相手は誰か。
闇夜も見通す紫色の瞳は、その強大な存在の影を二つ捉えていた。
「デルタとアルファさ……いや、アルファ」
「久しぶりね。ゼータ」
シャドーガーデンの中でもぶっちぎりの戦闘力を誇っている二人だ。彼女たちの相手だけは、他の誰にも任せられない。たとえ二人同時に相手しないといけないとしても、だ。
アルファに続き、『七陰』からはデルタ、ガンマ。ナンバーズからはニュー、カイ、オメガ、ラムダ。その他構成員が二〇名ほど。相当な戦力だ。過剰戦力と言ってもいい。こちらは合計六人しかいないのだ。
「素材の警備が心配」
「心配なのは分かるけど、ちょっと静かにしてて」
張り詰める緊張感の中、いつものごとく空気を読まないシータがぽつりと呟く。なんでこの状況で他の心配ができるのか不思議だが、もう長い付き合いだ。気にすまい。
「それで、こんな地下水路に隠れて何をしていたのかしら? ゼータ」
「アルファには関係ない」
「そう。ならいいわ──あなたたち、行きなさい」
「がうぅッ!」
「デルタ、あなたは待ちなさい」
「きゃん! アルファ様! 尻尾ダメ!」
アルファが命令を下すと、アルファとデルタ以外がこちらに向けて突撃してくる。デルタは尻尾を掴まれて、強制"待て"だ。こちらも予定通り応戦の構えで、シータ以下が突撃を受け止めた。
ゼータとアルファ、デルタは人の壁を挟んで対峙する。お互い動かずに、その戦いを静観していた。
しかし、それも長くは続かない。波が引くように、前線が割れる。それぞれの戦地へ移動しているのだ。誰だって怪獣同士の戦いに巻き込まれたくはないように、彼女たちも圧倒的な三人の戦いには巻き込まれたくはない。
やがて、この場には三人だけが残った。
アルファが掴んでいたデルタの尻尾を放す。
「がァッ!」
直後、それを突撃して良しと解釈したデルタが走り出す。一呼吸の間に両者間の距離を踏み潰し、咄嗟に後方へ跳んだゼータに肉薄する。
スライムで作られた鋭い爪が、ゼータの首元を狙う。
「バカ犬」
「なっ!」
しかし、その爪は、空を切り裂くだけで全身を黒い霧に包んだゼータに届かない。
できた隙を逃さず、霧から生み出された槍が死角からデルタを襲う。
デルタは人並み外れた野生の勘でそれに気付き身を捩るが、避けきれずに槍は左腕を掠めた。
「デルタ、吹き飛ばしなさい」
「了解なのです!」
だが、その程度で怯むデルタじゃない。即座に体勢を立て直し、スライムで剣を生み出す。ありったけの魔力を込めて、剣を薙いだ。
暴風が荒れ狂い、壁に、天井に亀裂が走った。耐久の限界を迎えた壁は崩れ、天井が落ちてくる。
デルタとアルファはその崩落に巻き込まれないように、部屋を出た。
けたたましい音が地下水路内に響き、部屋は完全に潰れた。
□□□
砂埃が舞い、暗い視界の中、アルファは油断なく周囲を見回した。
隣では、デルタがくんくんと鼻を鳴らしている。
「まだいるわね」
「分かってるのです」
アルファは、デルタ以外の気配を確かに近くに感じていた。けれど、どこにいるかは分からない。デルタもそうなのだろう。頻りに、鼻を鳴らしているが、その表情は芳しくない。
だが、不意にデルタの尻尾がピンと立った。
「アルファ様後ろ!」
「──ッ!」
暗闇から突如として二つのチャクラムが現れ、飛来する。自分の真後ろに来るまでその存在には気付けなかった。なんて高度な魔力隠蔽だろうか。
アルファはそれらを難なく弾き飛ばす。
だが、弾かれたチャクラムは威力を減衰させることなく、軌道を変えて再びアルファを狙う。恐らく外部から魔力を繋いで操作しているのだろう。
美しき弧を描き、まるで蝶が踊るようにチャクラムたちが宙を舞う。その連携はまさしく阿吽の呼吸。長年苦難を共にしたコンビのそれだ。
弾かれ、飛ばされ、躱されて、それでも尚迫りくるチャクラムに、アルファは小さな傷を付けられていた。浅いと言えど、傷は傷。このまま血を流し続けるのは良くない。
ならば、チャクラムに魔力を送っている導線をぶった切り、動きを止めるまでだ。
アルファは、チャクラムをいなしつつ、隠蔽されているだろう導線を探す。けれど、その導線はどこにも見つからない。そんなことはあり得るのだろうか? いくら巧妙に隠したところで、完全に消すことは不可能だ。あると思ってみれば、普通は簡単に見つかる。何か、からくりがあるはずだ。
そう思い至ると同時に、アルファは一つ見落としがあったことに気が付く。それは──
「水……」
不意に耳が音を拾う。この戦闘音の中では、掻き消されてしまうほどの小さな音だ。その拾われた音が思考に割り込んできた。
用水路にあって然るべきもの。始めからずっとあり、その存在を疑わなかったもの。故に、無意識的に観察する対象から外していたもの。
アルファは流れる水を観察する。ほんの少しだが、この水には魔力が込められている。アルファは確信した。
剣に魔力を込めて、水流に突き刺す。水は相変わらず流れていくが、剣が突き刺された以降には魔力は含まれていない。
直後、今までの追尾が嘘のようにチャクラムは沈黙した。カランカランと音を立てて転がり、その形状すら保てなくなっている。どろどろとしたスライム状の塊が広がった。
「見つけたのです!」
アルファが隠し場所を見破り、チャクラムを無力化したのとほとんど同時に、剣を握ったデルタが地下水路の更に奥へ飛び込んでいく。
そこは先程の天井崩落によっていくつかの光源が潰されたために、陰になっている場所だった。真っ黒な陰の中、よく目を凝らしてみると、微かに靄のようなものが漂っていた。
デルタは再び大量に魔力を込めて、剣を振るう。全てをひっくり返すような暴力的なまでの強風。地下水路を構成する全てを吹き飛ばし、攫っていく。
その余波は、迷宮のような地下水路の広域に響き渡る。まるでそれが悲鳴のようで、何回もやれば崩壊しそうなことは容易に知れた。
「デルタ、それ以上は──」
「メス猫、食らえなのです!」
先ほどと同じように、デルタが剣に魔力を込める。目標はついさっきの一撃から何とか逃れ、実体となっているゼータだ。
ゼータは再び霧になろうと体の一部を霧化しようとしていたが、その行為を途中で止める。ピンと尻尾を伸ばした彼女は、半身を霧化したままに、剣を生み出した。そして、その剣でデルタのそれを受け止める。
何とか受け止めることには成功していたが、デルタの剣の衝撃でダメージは受けている様子だった。
では、何故霧化を止めて剣で受け止めたのか。
一瞬の攻防で、アルファも完全に見えたわけではないが、一つ推論がある。
──デルタの剣には魔力粒子が纏わりついていた。それも超高密度の、だ。
大きな塊では、霧をすり抜けるだけでダメージを与えられないのに対し、小さな塊なら、霧の粒子そのものにぶつけることができる。一撃で相手を仕留めることはできないが、これなら確実にダメージを蓄積させられるだろう。
それを嫌ったゼータは実体となり、剣で受け止めたというのがアルファの推論だった。
デルタの連撃がゼータを襲う。一刀、一刀が即死級の威力を秘めていて、変わらず魔力粒子を纏っていた。ゼータは防戦だけで精一杯のようだ。
故に、周りに気を配る余裕はない。故に、気付けない。
気配を消してゼータの背後に回ったアルファは、デルタに習って魔力粒子を纏わりつかせる。
そして、完全に不意をつく形で、無防備な背中を晒すゼータを切った。肩口から腰にかけての一太刀は、容易にゼータを両断したのだった。
最短あと2話くらいで終わるかなと思っております。