陰のボスになりたくて!   作:若林布吉

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終幕

 ゼータへの完全に無防備な背後からの一撃。アルファは殺ったと、思った。実際、アルファ視点ではゼータの胴体は完全に上下に分かれていたのだ。

 では、今の状況はどう説明しようか。

 激しい痛みが、アルファの背中に走った。真っ赤な血の花が咲く。背中は嫌に熱を帯び、困惑と無理解が脳内を占拠する。

 切られた? でも誰に。

 ゼータを切った一瞬の、アルファの気の緩み。そこを突かれたのは分かる。他の戦場から敵が来た? だとしても早すぎる。どの戦場でも、こちらが戦力で上回っていたはずだ。

 困惑が困惑を呼び、刹那の時間を無意味な思考に費やしてしまう。だが、空回った思考、無理解もすぐに形をなくす。例えばそう、理想が現実を上回ることがないように、振り向き見た真実が、信じていた前提ごと粉砕したのだ。

 

「ゼータッ!」

 

 そこには、半身を霧に包み剣を握ったゼータの姿があった。彼女も無傷ではないようで、額からは大量の血を流し、だいぶ息も荒いようだ。即座に追撃をする素振りもない。よく見れば、肩の辺りから血が滲み出ていた。

 どうやって、あの状況で後ろに回ったというのだろうか。ゼータを切った手応えはあった。肉を断つ感触は、確かにあったのだ。

 それでも、現実問題として彼女は背後を取った。半身は未だ霧のままだが……

 

「まさかっ」

 

 頭の中で閃くものがあった。あり得ないような推論だが、考えるほどになくはないと思えてくる。

 

「ドッペルゲンガー……いえ、バイロケーション?」

 

 以前シャドウに教えられた単語を呟く。

 アルファの立てた推論とは、ゼータは攻撃を受けた瞬間半実体であったというものだ。霧の粒子を二つに分ける。片方は傍から見て実体と変わりないよう調整し、もう片方は影に潜む。そして、隙ができたあの一瞬に、潜んでいた方が実体化して切りつけてきたのだ。

 どちらが本体という話ではない。どちらも本体なのだから。今も一部霧化し、ダメージを受けているのは、アルファが切った方に霧の大部分を使っていたからだろう。

 二つの場所に同時に出現する能力、バイロケーション。それなりにしっくりくる推論だった。

 

 ゼータは依然、体の一部が霧化していて仕掛けてくる気配はない。

 アルファも傷を治し、体勢こそ立て直したが、血を失い過ぎた。激しい運動をしたにも関わらず、手足の先が冷たい。呼吸も知らず浅くなり、剣先は僅かだが震えていた。握力が低下しているのだ。意識も少し遠くなっている。

 両者そんな状況の中で、しかし動く者がいた。

 デルタだ。

 彼女は大きな傷を負っておらず、万全に近い状態だ。アルファが重症を負っていようと、デルタというほとんど最高戦力が健在であるアルファ側が優勢なのは変わらない。

 

「がァァッ!」

「ッ……!」

 

 唸るような猛烈な一閃がゼータを襲う。先の連撃とは比べ物にならない程の魔力が込められている。

 直撃したのなら、間違いなくゼータの命を刈り取れるはずだ。

 ゼータも、剣を横にして受け止める構えだが、今の彼女では止めきれないだろう。再びバイロケーションによる攻撃を許さないために、アルファはその攻防を視界に収めつつも、油断なく周囲の状況を見ていた。デルタの側面を全力でカバーする構えだ。今のところ、ゼータの周辺以外に霧のある場所はない。

 周囲の状況把握を終えるのとほとんど同時に、デルタの刃が簡単にゼータの剣を砕き、その首筋に迫りつつあった。

 今度こそ終わる。アルファはそれを確信した。

 

□□□

 

 ゆっくりと流れていく時間。迫る剣のスピードは速いはずなのに、よく見える。既に自身の剣は両断され、緩慢な世界の中で自分だけ速く動けるはずもなしに、この凶刃を防ぐ術はない。

 短いのに長い時間の中で、ゼータは死を覚悟した。後悔はある。できなかったことがあるから。未練はある。主の望みを叶えられなかったから。

 しかし、どれたけ後悔しようと未練があろうと、結末は変えられない。抗う方法はもう手元には残っていないのだ。

 故に、諦観の極地でゼータはただ一つのことを願う。

 ──主の願いが叶いますように。

 信じてもいない神に願ったのか、信仰している主に、主の願いを、願ったのか。どちらであれ、叶ってほしいという思いは同じだ。別に気にすることでもあるまい。

 目を瞑り、闇を見る。見慣れた景色だ。そして、これからずっと付き合っていく景色だ。少し寂しくなっても大丈夫。いつかこの闇に、一番星が咲くだろうから。迷わず進めるように。

 

 生を諦め、死を覚悟し、長い一瞬でやるべきことは終えた。だのに、いつまで経っても、痛みも衝撃も来ない。あるいは、もう死んでしまったのだろうか。

 それを確かめる方法が一つだけある。ゼータはゆっくりと目を開けた。アイスパープルの瞳が、光を吸い込む。

 光は瞳の中で結像し、確かな世界を映し出す。眼前、真ん前には、ゼータの首元に剣を当てながらも、そこから力を入れる様子のないデルタの姿があった。

 遅れて、首元に冷たい感触があることに気が付く。剣越しに、デルタの手の震えが伝わってきた。

 

「何故です?」

「……」

 

 絞り出すように、デルタが言った。

 

「何故、何もかも諦めた顔をした? いつもみたいに、尻尾巻いて耳隠して、スタコラサッサって逃げれば良かったのです。なのに、なんで。なんで、諦めて死のうとした?」

 

 デルタは悔しげな、恨めしげな表情だった。

 なんでバカ犬、お前がそんな顔をするんだ。場違いに、ゼータは思った。

 

「向かってくるなら力で潰せた。逃げるならこの足と鼻で狩れた。……でも、です。こんな終わり方は許せないのです。忌々しいメス猫を! 憎たらしいメス猫をっ! こんな形で狩るのなんてデルタが許さない! 最後まで、最期まで、全力で足掻けよッ!」

 

 剣の感覚が遠のいたかと思えば、デルタの足がブレる。蹴り飛ばされましたという理解が追いついたのは、数メートル吹き飛ばされ、自分が地面に倒れていることに気付いてからだった。

 

「ゲホッ」

「立て、立つのです!」

「バカ犬が……」

 

 再び剣を取り、ゼータは立ち上がる。震える足で、遠い意識で、目まいも吐き気も気合いで捻じ伏せて、ゼータは立ち上がる。

 引くことはできない。ここまでついてきてくれた仲間たちへの重大な裏切りになるからだ。彼女たちを失ってしまっては、いよいよゼータの願い──主の願いを成就させることはできなくなる。故に、ここで立ち止まりデルタとアルファを下す以外に選択肢はなかった。

 

「それでいいのです」

 

 デルタは剣を舐め、牙を鳴らす。ゼータも、散っていた霧の粒子を掻き集め、なるべく体力を回復させる。

 アルファの方をちらりと見ると、彼女が動く気配はない。ゼータがまた搦め手を使ったときのカバーをしようとしているのだろう。戦闘そのものはデルタに任せる構えだ。

 次第に高まる緊張感。胸打つ鼓動はインターバルを狭めて、ドクドクと鳴る。肩の傷は重症で、酸素が体に行き届いていない感覚がある。

 そんな中で、戦いは今にも始まりそうな雰囲気になっていた。ゼータはデルタだけしか、デルタはゼータだけしか視界に映らない。どちらかが倒れるまで続く生死をかけた闘争。それが今まさに、始まろうとしていた。

 

「待って!」

 

 だが、そこに水を差す声が放たれた。デルタへの警戒はしつつも、その声の方を見る。

 

「ゼータ。あなたの目的はなに? 主さまのために全てを捧げるあなたは、何のために動いているの?」

 

 そこにはガンマがいた。ガンマは真っ直ぐとゼータの目を見て、問いかける。

 

「それは……」

「教えてちょうだい。私は、あなたが裏切ったとはどうしても思えない。よしんば、『シャドーガーデン』を裏切っていたのだとしても、主さまは裏切っていないって信じてる。だから、教えてほしいの。あなたの抱えているそれを」

 

 三つの視線が集まる中で、ゼータは押し黙る。

 今までずっと言えなかったこと。それは──たとえ世界を犠牲にしたとしても、主のために永遠の命を用意するというものだ。

 優しいアルファのことだ。それを聞いたら、なんて思うだろうか。平静ではいられないかもしれない。

 アルファだけじゃない。他の『七陰』も──バカ犬は何も思わなそうだが──各々何かを考えて、今まで通りではいられないだろう。歪みだって生まれるかもしれない。

 それが嫌だったから、ゼータは全て背負い込んで、ここまでやってきたのだ。

 だが、こうして争ってしまうのなら、不和を生み出してしまうのなら、今までの行動は正しかったのだろうか。

 一旦湧き出てきた疑念が、懐疑が、ゼータの胸の内を一気に占拠する。それは、ガーデンから離反したときからずっと考えないように目を瞑っていたものだ。大切に心の奥底に閉じ込めて、封印していたものなのだ。

 自分の行動の正当性を、自分すらも信じられなくなった時、ゼータはもう歩けなくなってしまうから。

 だからしまっていた。見ないふりをしていた。なのに。

 

「私は、主に拾われたちっぽけな子猫」

 

 不意にそんな言葉が口を衝いて出る。

 寂しい木霊が、遠く水路の端まで響く気がした。

 

「主のためなら何だってする。たとえ、世界を滅ぼしてしまおうと、世界の罪を背負うとしても、私は何だってできる」

 

 そう。一言主に命じられれば、ゼータは何だってできる。命さえも厭わず何だって。

 

「だから私は、ディアボロスを復活させる──永遠の命を、主に渡すために。主がそう、望んだから」

 

 かつて世界を混沌に陥れた存在を復活させること。それは酷く傲慢で、罪深いことだ。多くの命が失われ、技術が消し飛び、積み上げてきた歴史は時間の彼方へ追いやられる。

 だとしても、ゼータの覚悟は固い。どんな罰だって受け入れてみせよう。

 

「馬鹿ね、あなた」

 

 深いため息と共に、アルファが言った。

 

「メス猫はいつだってバカなのです」

「うるさい。わんちゃん」

 

 そして、そのアルファの言葉に追従するようにデルタも言った。恐らく、何も考えず脊髄反射で言ったのだろう。

 

「ゼータ、どうしてそれをずっと隠していたの?」

「教団を倒すために動いているガーデンに水を差して、混乱させたくなかった……から?」

「なんで疑問形なのよ」

「……それに、罪を背負うのは私だけでいい」

「シータや559番もいるのに?」

「彼女たちはあくまで協力者。復活させるのは私だから」

「詭弁ね」

「うっ……」

 

 黙ってしまったゼータを見て、アルファは再度ため息を吐く。

 

「主のためなら何だってする。あなたはさっき、そう言ったわよね。すごい覚悟だとは思うわ。

 でも、そうやって覚悟しているのはあなただけじゃない。流石に末端までは分からないけれど、『七陰』や、その直下の部下たちにはその覚悟がある。もし、彼に死ねと命じられれば死ねるくらいの覚悟が」

「……」

「あなたは、私たちを見くびっていた。見くびっていた挙げ句、一人で抱え込んでこんな騒動を起こしたのよ」

 

 ぐうの音も出ないほどの正論だ。ゼータは確かに、彼女たちを見くびり侮っていたのかもしれない。

 ガンマを見れば、彼女はそうだと言わんばかりに頷いている。デルタを見れば、話に飽きたのか爪を研いでいた。なんなんだあいつは。

 

「今回の騒動を起こしたゼータは『七陰』から除名。それ以外に加担した者は、降格処分とする」

「っ……!」

 

 ゼータは驚き、目を見開く。除名されたことに驚いたのではない。この言い方では、ゼータたちをまたガーデンに迎え入れると言っているのと同義なのだ。一度は離反した者を、また入れる。ともすれば、トップが侮られ、組織を弱体化させかねない行為だ。

 アルファがそれに気が付かないわけがない。つまり、そのデメリットを受け入れてでも、再びゼータたちを仲間に入れてくれるということだ。

 そうやって宣言したアルファはデルタの首根っこを掴み、「戻るわよ」と言って踵を返した。そして、何か思いついたかのように足を止めて、振り返る。

 

「ただし、『七陰』の第六席は欠番とするわ」

 

 今度こそ、彼女は振り返らずに去っていく。ガンマはこちらに何か言いたそうに口をパクパクさせていたが、結局何も言わずに後を追った。

 一人残されたゼータは、その場に座り込み、大きくため息を吐いた。とても、肩が軽くなった気がする。荷が下りた、いや、荷物を分け合った思いだ。

 やがて、ゼータの意識は微睡みに沈んでいく。悩まず眠れる夜はどれだけぶりだったか。

 もう眠りに落ちてしまったゼータには、それは分からなかった。




これにて長かった本章も終わりです。落とし所が難しかったのですが、一先ずこんな形になりました。原作の方はどうなるのでしょうか。気になりますね。
次回はいつも通り幕間なのですが、まぁやらかす予定なのでお楽しみに!
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