ゼータは、今何が起きたのかが理解できずに、呆然と元いた場所を見ていた。勿論、誰がやったのかは分かる。ディディだ。それに、推測もできる。彼は、シャドウがこの場に現れる直前に、ゼータの目の前から突然姿を消して、背後に現れた。その後も、ことあるごとに、そのような振る舞いを見せていた。
とすると、導かれるのは——彼が転移している可能性だ。
どうやっているのかは知らないが、それなら、彼のここまでの挙動にも説明がつく。がしかし、それならば一つだけ分からないことがある。それは、ただ転移しているだけならば、その攻撃の瞬間が見えるはずだということだ。当たり前だが、転移するだけでは攻撃はできないのだから。
けれども、つい寸刻前の彼は、転移と同時にゼータに攻撃をしてきていた。全く、その攻撃の動作が見えなかったのだ。
「ふっ、そういうことか……」
困惑する中で、闇に溶けるようなその呟きが、ゼータの耳まで届いてきた。
シャドウはバサッとマントを翻すと、かつかつと靴音を立てて、無造作にディディに歩み寄る。
訳の分からない攻撃をしてくる相手に、不用意に近づくのは、どう考えても自殺行為だが、ゼータは彼女の主の言葉を、そしてその行動を信じている。故に、固唾を吞んで事の成り行きを見守った。
「迂闊に近寄っていいのかな?」
「ふっ、そう言うのならば、迂闊に近寄ってはいけないと証明して見せろ」
ディディがやれやれと肩を竦める。その間にも、シャドウは距離を詰めていた。
「ちょっとは期待していたんだけどね」
と、ディディが言うか早いか、彼の姿が搔き消えた。否、彼の姿が掻き消えるのと全くの同時に、彼はシャドウの目の前にいたのだ。
そして、そこから攻撃を行うのかと思っていたのも束の間、シャドウが口から血を吐きだした。見れば、ディディの剣がシャドウの腹を突き刺していた。
「シャドウ!?」
叫ぶゼータの胸の内に広がるのは、真っ黒に塗られた冷たい闇だった。
ずっと、彼女の中には光があった。暗い闇夜でも、まるで彼女の行くべき道を指すように、光があったのだ。
その光が、だんだんと淡くなっていくのをゼータは幻視した。闇と光との境目が、徐々に、徐々になくなっていくのだ。
知らず零れていた涙が彼女の頬を濡らして、同時にその視界を歪めたのだった。
だが、ゼータがそんな状況である中で、シャドウがにやりと笑った。涙によって歪む視界の中で、その様が見えたゼータは再び困惑する。
「やはりか」
シャドウは剣を振るって、ディディの首元を狙う。彼は剣を引き抜きつつ、それを普通に躱して、距離を取った。
「これは驚いたなぁ。まさか、腹を貫かれても大丈夫とは」
青紫色の魔力が、シャドウを中心に渦巻く。その魔力が彼の貫かれた腹の辺りに収束すると、見る見るうちに、その傷は塞がっていった。
だが、ゼータは知っている。あれだけでは、失った血は取り戻せないと。つまり、完全回復とはいかないのだ。
それでも、シャドウは口元にたたえた笑みを崩さない。
「お前の手品はもう見破った」
「ほう。それじゃあ、種を聞いても?」
「べらべらと話す趣味はない。が、一つ言えるとすれば、お前——時間を止めているな?」
ディディは、薄い笑みを浮かべたまま、何も言わない。いや、言わないどころか、反応さえしなかった。彼は口角を上げたままに、じっとシャドウを眺めていた。
「時間を、止める……?」
なかなか聞きなれない概念に、ゼータは首を傾げる。が、仮にディディが時間を止められたとして、その中を自由に動けるとして、確かにそれならば、今までの彼の不可思議な動きにも納得がいく。時間が止まった中を動くから、一瞬で移動したように、転移したように見えて、時間が止まった中でこちらに攻撃をするから、転移と同時に攻撃されたように見えたのだ。
だが、それが分かったとして、どう戦えばいいのだろう? 時間を止める相手に、ゼータが今までの人生で培ってきた武術が、技術が通じるのだろうか。
「いや……」
無理だ。ゼータの脳裏にそんな言葉が浮かんでくる。
攻撃の知覚はおろか、回避行動さえとれないのだ。受け身も、まして反撃も、止まった時間の中ではすることはできない。攻撃ができないのであれば、勝つことはできない。
どんなに優れた技術を持っていても、どんなにたくましい肉体を持っていたとしても、どんなに強靭な精神を持っていたとしても、何もできないのであれば、それらは意味をなさないのだ。
そこまで考えたが故の“無理”という二文字。主ならあるいは、と思う心もあれど、その一方で流石の主も勝てないのでは、と思う心もあった。
ゼータは、少々よろけながら立ち上がる。思ったより、ダメージを受けていたようだ。
「シャドウ! ここは私に任せて、一旦引いて!」
彼に万が一のことがあってはならない。それに、今はまだ勝てなくても、彼なら一度相手の術を見たならば、何らかの対処方法を考え出すことだろう。あるいは、アルファやデルタなど、戦闘に長けた『七陰』がいれば何か変わるかもしれない。
少なくとも、今ここで決着をつけるのは得策ではない。
何より、だ。ゼータは、たとえ今まで無敗の主が逃げるところを見たとしても、彼が死ぬところだけは絶対に見たくなかった。
あの日。彼に助けられた日に、ゼータは誓ったはずだ。彼のためならば何でもすると。
もし、彼が最終的に死ぬのだとしても、自分より先に死なせるわけにはいかない。
——主が、シャドウが逃げるだけの時間は稼いでやろう。
「問題ない」
そうやって腹をくくるゼータに、シャドウは手を振って、制止する。
「なっ!? 私のことは気にしなくていいから、撤退して!」
シャドウは少し優しすぎる。その優しさが、彼の枷になっていると思うこともある。もっとも、その優しさがあったからこそ、ゼータは今ここにいるのだが。
しかし、もしゼータを庇って、そんなことを言っているのなら、それは大きな間違いだ。ゼータは、主のためなら死ぬことも、駒として使い潰されるのも、切り捨てられるのだって厭わない。彼がやれと言えば、喜んでそれを実行するし、そうすることが彼のためになると考えれば、独断でもやるだろう。
今ここで、最も避けなければいけないのは、当然シャドウの死だ。彼の喪失は、ガーデンの瓦解をも意味する。そうなれば、また教団の蔓延る世の中に戻るだろう。
「シャドウ……お願いだから——」
ゼータはほとんど懇願するように呟いた。彼女にとって主の言葉は絶対だ。それを覆そうとするなど、今まで考えたこともないようなことだ。
けれども、ゼータは、ゼータの信念を以て、そう言わずにはいれなかったのだ。
故にこそ、
「大丈夫だ、ゼータ。俺を信じろ」
「——っ!」
その言葉の持つ意味は大きかった。
ここまで言われては、もう引けなどと言うことはできない。
信じろと、彼が言うのならば、最後まで信じて戦おうではないか。
そう思い、ゼータは彼の横に立つ。
「俺が合図したら、俺目掛けてチャクラムを投げろ」
シャドウはそう言い残し、目にも止まらない速さで、ディディに向かって、突撃していく。瞬き一回の間にその距離を踏み潰す常軌を逸した動きだが、相手もまた理の外にいる存在。時間停止によって回避と攻撃を同時に難なく行った。
シャドウの肩口から血しぶきが出るが、ゼータは動じない。彼が大丈夫だと、信じろと言ったのだから。合図があるその時まで、黙して成り行きを見守る。
案の定、傷は浅かったようで、すぐさま二の太刀を放つ。ディディはそれを間一髪のところで躱していた。今度は、攻撃と同時ではない。
「もしかして、連続で使えない?」
その一連の攻防を見ていたゼータは呟いた。
だが、その考えをより深める前に、戦闘はさらに進んで行く。
一旦、ディディが距離を取ったかと思えば、その姿が突然掻き消えて、シャドウの背後に現れる。それに気づいたシャドウがすぐさま振り向き、剣を薙ぐが、体勢のためか、十分に力が乗っていない。ディディはその剣を軽く受け流して、その流れのままに、シャドウの足に剣を突き刺した。
しかし、シャドウはまるで痛みなど感じさせずに、返す刀でディディの首筋を切る。
「流石だね」
動脈を傷付けたのだろう。どくどくと流れる血を魔力によって止血しながら、ディディは言った。シャドウも、そのタイミングで、自身の傷を治す。
「思ったより手応えがないな」
「それはそれは。期待未満で申し訳ないね」
言いつつ、ゆっくりとディディが近寄る。
「思った通りだな」
「というと?」
「貴様の虎の子の時止めも、そこまで便利ではなさそうだという話だ」
ディディは何も言わずにそのまま歩を進め、シャドウの真正面、お互いの剣が届く位置まで来る。
「この距離で勝てるかい?」
「愚問だな」
舞い降りる沈黙。お互い敵同士が手に剣を持って、しかし棒立ちしているその様は、異様の一言に尽きた。
そして——シャドウと一瞬だけ目が合った。
次の瞬間、シャドウが剣を一振りしたかと思えば、ディディの姿が消える。
いや、傍目から見ていたゼータには、彼がどこに行ったのかが見えていた。
——ディディは、シャドウの後ろに回り込んでいた。
完全に無防備なその背中に、今まさに剣を突き立てようとして、
「ぐふっ……」
ゼータの投げたチャクラムが彼の体を切り裂いた。赤い飛沫が飛び散って、彼は地面に崩れ落ちる。上半身と下半身が、真っ二つになっていた。
「ふっ、よくやった」
シャドウは地面に伏すディディを見下ろした。
「まさか、あの獣人の子に殺されるとは、ね」
ディディは荒い息を吐きだしながら、そう言った。
「結局、貴様の目的は何だった?」
「勿論、君を殺すことさ」
シャドウは首を振る。
「それならば何故、そんなに清々しい目をしている」
シャドウがそう言うと、ディディは苦笑いを浮かべた。
「流石に長話は、できないけどね。君には期待しているよ」
「期待だと?」
「あぁ、ずっと、期待していた」
彼は遠い目をしていた。
「もうすぐ、魔人が眠りから、覚める。君には、俺にできなかったことを——」
まるで眠るように、穏やかにその瞼が閉じられていく。
「——きっと、教団を、滅ぼしてくれたまえ」
最期、まるで寝言かと勘違いしてしまいそうなほどに、小さく力のない声で、ディディはそう言った。
「魔人が復活する……」
ディアボロスの体が奪われた時点で、その可能性はガーデン内でも指摘されていた。
遂に、世界を混沌に導いた存在が復活するというのか。
早くこれをアルファに伝えようと思ったところで、
「お前は……」
入り口に見覚えのある人物が立っていた。
「こんなところにいたのね。シャドウ——いえ、シド・カゲノー」
その人物は、ミドガル王国の王女、アレクシア・ミドガルその人だった。
シャドウがフェンリル戦(原作)のように、時止めをし返す展開も考えましたが、シータと最も仲良くしていたゼータが敵を討つ方がいいと考え、こうなりました。