「アルファ様大変です!」
バンと勢いよく扉が開かれたかと思えば、向こうからガンマが慌てた様子で入ってきた。が、特に何もない絨毯の上で、突如としてこける。そのまま勢いに任せて、前方のスタンドに自ら突っ込んでいった。ものすごい轟音を立てて、十数万ゼニーは下らないスタンドがへし折れる。
「どうしたのかしら、ガンマ。そんなに焦って」
そう言いつつ、懐から出したハンカチでガンマの鼻を押さえる。鼻血が出て顔に三角州ができていたのだ。
彼女に手を貸し立たせる。彼女は、アルファから受け取ったハンカチで自らの鼻を押さえると、やはり焦った様子で言った。
「ベガルタ方面で、異常な魔力の高まりを検知したとのことです! そして、反応的には恐らく、ディアボロスだとの報告もあります」
「……ディアボロス。ついに来たのね。ゼータからの報告は?」
「ありません。定時連絡も来ていないようで、今どこにいるのかも分かりません」
「確か、ディアボロスの体の保管場所に行っていたはずじゃないかしら?」
保管場所の裏付けを取るために、ゼータを向かわせていたはずだ。ガンマは「はい」と首を縦に振る。しかし、その表情は芳しくない。
「確かにそのはずなのですが、如何せん連絡がないので向こうの状況を断定するのは難しいのです」
アルファは、「まったくあの子は……」とうめき声のようなものを漏らす。彼女の報告嫌いと気まぐれはいつになったら直るのだろうか。
「しょうがないわ。今は彼女のことを信じて、私たちは私たちのすべきことをしましょう。ガーデンの準備はできているかしら?」
「はい。既にベガルタ方面に待機していた部隊は展開を始めており、ローズ王女の協力もあってオリアナに続く街道は完全に封鎖しました。また、ベータが構築していたパイプを使い、ベガルタ側ももうすぐ封鎖が完了します。ミドガル王国側はどうしますか?」
「ゲーテ伯爵に……いいえ、それでは時間が掛かりすぎるわね。とりあえず、人を通さないように人員を配置してちょうだい。多少の実力行使もやむを得ないわ。並行して、ガンマはアイリス王女に、話をつけてきて。その際、ミツゴシの名前までは自由に使っていいわ」
「かしこまりました。他の『七陰』はどういたしますか?」
「ベータには、そのままベガルタ・オリアナ方面を抑えてもらって、その補佐にイプシロンを。イータは準備ができ次第現場に来るように伝えといて。デルタは私が連れていくわ」
「承知いたしました。三人にはそのように伝えておきます。他に何かございますか?」
アルファは、口元に手を当て少しだけ考える。そして、青空の見える窓の外を見た。
「……彼に何か動きはあったかしら?」
「いえ、まだ報告はありません」
「そう。ありがとう。それじゃあ私はもう行くわ」
荷物の詰まったカバンを手に取ると、アルファは足早にガンマの横を通り過ぎる。
この日のために、入念に準備をしてきた。何も問題はないはずだ。
ないはずだが、どうにも引っかかる。そもそも、今回は後手に回りすぎている。何か、見落としていることでもあるのだろうか?
「アルファ様」
部屋を出る直前に、ガンマに声を掛けられる。
彼女は深々とお辞儀をする。
「健闘を、心よりお祈り申し上げます」
「……えぇ、そちらも」
とにかく考えても仕方がない。無用な不安を頭から追い出して、アルファは部屋を出る。まずは、どこかで昼寝でもしているだろうデルタを探すとこからだ。
□□□
「はははっ! ついにこの時が来た!」
ロキは、溢れ出るまばゆい光を全身に浴びながら、自身の気分が高揚するのを感じていた。自然と口の端から笑みが零れ落ちる。
「どうでしょうか、みなさん。これが私の研究の成果です」
その高揚も醒め止まぬままにくるりと踵を返すと、ロキは両手を広げて後ろにいる者たちの反応を窺う。今ここには、定員を大幅に割ってしまったラウンズの面々が揃っている。ディディだけいないが、それは最初から分かっていたことなので問題ない。今頃、偽情報におびき寄せられた敵と戦っているのだろう。
流石にこれだけ派手に魔力をまき散らしていれば向こうにも気づかれるだろうが、彼なら少しは時間を稼いでくれるはずだ。
その間に、教団の全戦力をかけてディアボロスを無力化し、その力を得るのだ。
そのために、長年の研究で得たディアボロスの血に流れる魔力を分解する技術も急ピッチで実用化まで漕ぎつけたのだ。
驚き、嫉妬、諦め。目の前にいる面々の顔には、それらがはっきりと書かれている。彼らも分かっているのだろう。今この瞬間に、ロキの功績、教団への貢献を抜かすことができなくなったことを。権力という点で、もう誰も彼には勝てない。
「特に何もないようであれば、彼女の無力化に手を貸してくれるとありがたいですね。そうすれば、多少は組織に貢献できますよ?」
唇を噛み締めたり、力を入れて拳を握り締めたりする者がいるが、誰もその言葉には逆らわない。ここまでの地位を得るまでに、彼らは学んでいた。長い物には巻かれろ、と。
各々、自身の得物を用意する。それを満足げに見たロキは、未だ眩しい光を放っているディアボロスへと向き直る。部下に指示を出して、魔力分解装置を起動させる。
その直後、次第に溢れ出ていた光が収束していく。体の芯を震わせるようなおぞましい魔力がその鳴りを潜めて、平穏なる静けさが戻ってくる。
残ったのは五体満足で、しかし人の体よりも断然太い鎖によって拘束された魔人ディアボロスの姿であった。醜く、くすんだ体は見上げるほどに大きい。その醜悪で凶悪な顔は、見た者の魂をそのまま食らっていきそうだ。ディアボロスは今の状況を確認するように周囲を見て、自身が鎖につながれていることを確認すると、その鎖を破壊しようともがき始める。
だが、じゃらじゃらと音が鳴るばかりで一向に鎖が切れる気配がない。
「くくくっ……」
それも当たり前だ。あの鎖は、ロキが本気を出しても切れないのだ。魔人とは言え、魔力を封じられては切れるはずがない。
ロキは自分の計画が恐ろしいほどに順調に進んでいることに、思わず笑みをこぼす。
後は、適当に痛めつけて体力と精神力を削り、教団の言いなりにすれば問題ない。もしくは、それが叶わなかったとしても、殺せばいいだけだ。昔は殺せず封印することしかできなかったとしても、今のロキならそれができるのだから。
もうすぐだ。もうすぐで、ロキはずっと欲しかった完璧な力を手に入れることができる。より上位の存在になることだできるのだ。
「さぁ、邪魔な虫が来る前に、終わらせてしまいましょう」
逸る気持ちを抑えて、ディアボロスに近づく。ディアボロスは相変わらず、魔力が分解され、その上拘束されており、ロキに指一本触れることはできない。
ロキは、自身の剣を鞘から抜くと、それをディアボロスの足に突き立てる。真っ赤な鮮血が飛び散り、獣のような悲鳴が室内に響き渡った。
「魔人ディアボロス。教団への恭順を誓え」
ディアボロスは尚も暴れて、拘束を解こうとする。その瞳にはまだ反抗心が宿っているのが感じ取れた。
ロキは一度剣を引き抜くと、再び別の場所にそれを突き刺す。刺したところから血がとめどなく溢れ出てきて、止まる気配はなかった。やはり、異常な再生能力も魔力なしにはどうにもならないようだ。
もわりと血の香りが室内に充満していく。毎年十二滴しか生成できなかったディアボロスの雫を、これだけの血があればどれだけ作れることだろうか。
「教団への恭順を誓え」
剣を突き刺す。
「教団への恭順を誓え」
血が飛び散り、ロキは返り血で真っ赤に染まる。
「教団への恭順を誓え」
剣を振る。剣を振る。剣を振る。
「教団への恭順を誓え」
面倒くさくなってきたロキは、後ろに控えるラウンズたちにも剣を突き刺すように命令する。
「教団への恭順を誓え」
剣を振る。血が広がる。怪物の慟哭が響き渡る。
「教団への恭順を——」
ぽとりと、手から剣が落ちた。カランカランと軽い音を立てて、剣が地面を転がった。同時に、自身から落ちた血の雫が血だまりに落ちて、ぴちゃりと音が鳴る。
そこに来て、ようやくロキは異変に気付いた。
体が動かない。何をしようとしても、何もできない。
唯一動く目だけを動かしてみれば、他の者も同じようで、まるで時が止まってしまったかのように静止している。その中で、しかしディアボロスだけは今も鎖を外そうともがいていた。
異質な感覚が体の中にある。その感覚は、さながら乾燥したワカメが水でふやけるように、漸次大きくなっていく。そして、それが無視できないほどに大きくなって、ロキは気づいた。
——この魔力は、ディアボロスのものと同じだ、と。
そのとき、ディアボロスと目が合った。その目は語っている。よくもやってくれたな、と。
何故、何故だ? 何故、ロキの体の中に、ディアボロスの魔力反応が——
「血、か?」
自身の周囲に満ちるこの血。伝承では確かに、ディアボロスは自分の血を操ったと言われている。だからこそ、血の魔力を分解し、無力化したのだ。
「いや、待て」
体の中のディアボロスの魔力が大きくなるごとに、自分の魔力が減っている感覚がある。まさか、ディアボロスの血がロキの体に入り込み、ロキの魔力を自分の魔力に作り替えているとでも言うのか?
そんなこと、普通はできない。でももし、できるとしたら——
「化け物かッ!」
すっかり暴れなくなったディアボロスの顔が、ある方向を向く。その顔の先には、魔力分解装置があるはずだ。
ロキの体が勝手に動き、その装置の方へと近づいていく。
そして、勝手に魔力が消費される感覚とともに、手が動き、その装置を破壊した。ロキなら、一つの装置を粉々に破壊することくらい造作もないことだったのだ。
背後で、人外の領域にある魔力が放出されるのを感じた。嫌な金属音がして、真上に大きな影が覆いかぶさる。
最早匂いも音も味覚も触覚もない。あるのは純然たる死への恐怖であり、現実の否定であった。
こんな怪物が世に解き放たれてしまった。罪悪感などを覚える心などはもうないが、ただ一つだけ、世界の終焉だけは確信していた。
最後に見たのはなんであったか、頭が潰される感覚とともに、意識は現実でないどこかへと溶けていったのだった。
というわけで、ラウンズは全滅しました。
次回からはVSディアボロスです! どのくらいの話数で終わるかは分かりませんが、あとひと踏ん張りと言ったところです。是非最後までお付き合いください。