急ぐシャドウの背中を追いながら、ゼータは光の柱が現れた場所まで走り行く。
一応ゼータを気遣っているのか、彼はギリギリついていけるスピードで走ってはいるが、それでも時折置いてかれそうになる。彼の焦りが、その様子を通しても伝わってくるようだ。
既に光の柱が現れた位置からの魔力の反応は消えている。一体何があったのだろうか、非常に不気味である。
シャドウの後ろを付いていくと、やがて古びた遺跡のような場所に辿り着く。長年人の手が入っていないのか、蔓やら苔やらで緑みどりし、外壁には所々ひびが入っている。だが、いくつもの教団の拠点に潜入してきたゼータから見れば、自然に同化したこの遺跡の、人工的な部分を見つけるのも訳ない。例えば、地面を見てみれば、足跡を消すためかかなりきれいに掃除されている。一部だけ掃除すると不自然になるからであろうが、これでも見る者が見れば不自然だ。
間違いなく、ここは教団の拠点である。問題は、どこに隠し扉があるかだが……。
「こっちだ」
シャドウは、しばし入り口付近で周囲を観察すると、徐にそう言って歩き出した。初めて見る場所でも、彼にかかれば一発で構造を把握できるのだろう。
薄暗い通路を進み、シャドウはある場所で立ち止まる。そこは、何の変哲もない壁の前だった。
コンコンと軽くノックのようにして壁を叩いた彼は、「離れていろ」とゼータを遠ざけ、スライムでバールのようなものを作りだす。そして、それに軽く魔力を込めて振り、壁に穴を空けた。その衝撃で遺跡全体が揺れるが、崩壊することはない。上手く手加減していたのだろう。
風穴の開いた壁の向こうには、彼の推察した通り、通路があった。魔力で点く明かりがあるところを見るに、かなり豊富な資金がある施設のようだ。
だが、人の気配がしない。やけに物静かだ。
「行くぞ」
異様な通路を突き進む。こんなに堂々と入ったならば、いつもなら、わんさか敵が出てくるというのに今日は人っ子一人いない。それが酷く不気味であり、先ほどの謎の光とどうしても関連付けてしまう。
通路は一本道で、途中にいくつも部屋へ続くだろう扉があったが、シャドウはそれを無視してさらに奥を目指す。そして、一番奥にある両開きの扉の前まで来た。横には『関係者以外立ち入り禁止』の文字が躍っている。
シャドウと目配せをし、彼がドアノブを握る。ゼータはチャクラムを構えて、いつでも投げられるように、あるいは攻撃を防げるように準備してする。
「開けるぞ」
その声とともに、勢いよく扉が開き、ゼータは中に転がり込む。即座に攻撃に転じようとして——しかし、鼻を覆いたくなるほどの強烈な血の香りに一瞬思考が停止する。見るまでもなく、大量の人の死体が転がっており、床一面が赤一色に染まっている。どれも引き千切られたり、潰されたり、ある意味で怪物的な殺され方をしており、辛うじて原形を留めている人間の顔を見てみれば、引き攣っているのが分かる。
そして、この場には、誰一人として生きている者がいない。全員、死んでいた。
「ゼータ、上だ!」
刹那の間にそこまで観察していたゼータに向かって、シャドウが叫ぶ。駆け寄ってくる彼を視界の端に捉えながらも、上から落ちてくる醜悪な魔力の塊に気付き、天井を仰ぐ。
直後、強烈という表現が生温く思えるほどの衝撃が体を貫き、ゼータの意識は闇に染まった。
□□□
天井から猛スピードで落下してきたそれが着地した衝撃で、突風のような風が吹き抜けた。地吹雪という言葉があるが、それによく似たこの光景で、舞い上がったのはまだ新しい血だった。さながら、血吹雪とでも呼ぶべきであろうか。
いつもなら、僕はこれを良い演出だと思っただろう。だが、今の僕にそんなことを思う余裕はなかった。
目の前で、ゼータが潰されたのだ。辛うじて、霧化しているのは見えたが、完全にはできていないようだった。周囲を見ても彼女の姿はなく、潰された死体も見当たらない。つまり、生死不明だ。幸いなのは、ここが密室であり、遥か彼方まで吹き飛ばされて、バラバラになる可能性がないということだろうか。
もし、先に入っていたのが僕だったら。
そこまで考えて、けれども僕はその思考を追い払った。考えても仕方がないというのもあるけれど、仮に僕があの一撃を受けていたとして、僕もただでは済まなかっただろう。あの一撃にはそれだけの威力があった。
それに、
「再開がこんなものになるとはな……ヴァイオレットさん」
「……」
今目の前にいる彼女は、かつて女神の試練で対峙し、その後一緒にオリヴィエたちと戦ったヴァイオレットさんだ。見ない間に随分たくましく、禍々しくなっているが、魔力の質が同じであるので、間違えようがない。
彼女は、僕の言葉に応えることなく、しげしげとこちらを見つめてくる。その瞳に、昔のような理性や知性はないが、『対話』をしようとしているのは伝わってくる。あんな姿になっても、彼女の本質的な部分は変わらないということだろう。
だが、そんな彼女との再会の喜び以上に、ゼータを傷付けられたことへの不快感、怒りが湧いてくる。
僕も、変わったものだ。
「……」
二人の間に、もう言葉はいらなかった。お互い、相手を倒すことだけを考えているのが分かる。
彼女は、前見た時とは比べ物にならないくらいの強さになっている。体の大きさも、この広い部屋でもまだ手狭に感じられ、魔力量は時間が経過するほどにどんどん増幅してさえいる。
「もう少し、広い場所に行こうか」
どこか僕の分からないところで気絶しているだけかもしれないゼータを、僕と彼女の戦いに巻き込むわけにはいかない。
僕は、魔力を込めて天井に穴をあける。分厚い天井を突き破り、地上の光が見えてくる。今の彼女でも通れるくらいの直径は確保したはずだ。僕は壁ジャンプを繰り返し、外に出る。背後からは彼女が追ってくる気配がした。
そして、地上に降り立った僕に、挨拶代わりと言わんばかりに、彼女は拳を振るってきた。
膨大な魔力の込められたその攻撃は、全力の僕でも即死しかねないほどの威力を秘めている。万が一にもそれを食らうわけにはいかない僕は、いつものように最小限の回避ではなく、大きく後ろに飛び退いた。
だのに、その拳は僕の体を掠める。大したダメージがあったわけではないが、彼女は攻撃力だけでなく、その速度も規格外のようだ。
彼女に対する評価を、数段上方修正しつつ、剣を抜いた僕は全力で切り込みに行く。恐らく、彼女は僕よりも体力的な面でも優位だろう。いくら鍛えているとはいえ、流石に僕も本物の怪物より体力はない。さらに、今も彼女の体は少しずつ大きくなっている。地上に出てから、その傾向はより加速し始めていて、本来の力を取り戻しつつあるのが分かる。
故に、技術も魔力も体力も全て使った短期決戦で、彼女を倒す。『陰の実力者』にあるまじき泥臭い戦い方になるかもしれないが、今回ばかりは仕方がないだろう。
軽いステップで左右にフェイントを入れつつ、彼女の次の動きを予測する。右肩付近の予備動作を捉えた僕は、一度左に踏み込んでから、即座に反転して右側、つまり
彼女の左肩の方に深く踏み込んだ。
迫りくる殺人級の右拳はまだ遠い。一太刀入れてもまだ僕には届かない。
脇腹付近に入り込んだ僕は、彼女の脇下を狙い、剣を突き上げる。
だが、僕が懐に入ってきた時点で、狙いを悟っていたのだろう彼女は、ぎゅっと脇を締めると、腕でその突きを防いだ。
脇で剣を絡めとられる形になるが、肘と手首を回し、剣を回すことで無理やり引き抜く。そして、戻ってきたその刀で、先ほどからずっと迫ってきていた右拳の軌道をずらした。そのとき、薄く彼女の皮膚を裂くが、僅かな血が飛び散るだけで効果は薄い。それに、その傷もすぐさま治ってしまった。
そして、僕は気づく。彼女から出てきた血に、僅かに彼女の血が混じっていることに。これを吸い込むのは不味い。
そう判断し、再び彼女の傍から離れる。あの場は少し危険すぎるのだ。
だが、彼女がそれを許さない。後ろに引く僕に、彼女は追いすがり距離を詰める。速度は同程度。故に距離は開かず、彼女の間合いギリギリの位置をキープしている。後少しでも近づけば、構えているあの拳が飛んでくることだろう。
このまま鬼ごっこをしているわけにもいかないので、僕はぐっと足を踏ん張ると、反転して逆に彼女に切り込む。当然、待ってましたとばかりに、拳が飛んでくるが、それはさっきも見ている。最小限からは遠い動きで、それを躱し、彼女の隙を突く形で二の腕から肘にかけて剣で切り裂いた。同時に、真っ赤な鮮血に僕の魔力をぶつけて無力化する。
悲鳴のような方向を上げる彼女に、僕はもう一歩踏み込む。
が、突如地面から血の槍が突き出てきた。直前に気付いた僕は、急いでそれを躱す。
これは、確かに『女神の試練』で見たものだが、あのときよりも気配の隠ぺいが上手くなっている。本当に、足元から出てくる直前まで気が付かなかった。
数本体を掠め、血が流れ出る。このまま、削り合いをするのは良くない。先ほど僕が切った彼女の腕はもう治っている。
「仕方がない」
溜めの時間、どう彼女の攻撃から身を守るか。
具体的なプランの浮かばないままに、僕は魔力を練って高める。
周囲には見慣れた青紫色の模様が浮かぶ。彼女に見せるのは、これで二度目となるだろうか。僕の今打てる最大威力の攻撃だ。
「アイ・アム——」
動きを止め、魔力を練る僕に、しかし彼女は何もしない。むしろ、彼女もまた魔力を溜めているようだった。
膨大な魔力が、小さな空間に高密度で満ちていく。吐き気を催すほどの高濃度だ。
二つの青紫色の光が重なって、ある種の密室のような空間ができ上がる。
「——アトミック」
その声共に、練っていた魔力を解放する。荒れ狂う暴風のようなそれに、彼女もまた、練っていたものを解き放つ。
二つの魔力がぶつかり合い、眩いほどの光が周囲を包み込んだ。
——辺り一帯は光に包まれ消失した。