あと、思ったより長引きそうだったので、話を分割しました。
アルファがその場所に来た時には、既に森の一部が更地と化していた。目に見える限りの木々が戦いの余波によってなぎ倒されており、背筋が寒くなるほどの魔力の痕跡が感じ取れる。
そして、今アルファの目の前には、その更地を生み出した怪物の一人、魔人ディアボロスが佇んでいた。体長はアルファの二倍は優に超えており、全身の皮膚が醜く変質している。赤い血が今も胸と思しき辺りからどくどくと流れ出ていて、しかし、その戦意は衰えておらず、感じるプレッシャーもこれまでアルファが敵対してきたどの敵よりも強烈で、禍々しかった。
本能的な恐怖を呼び覚ますその雰囲気に、けれどもアルファは剣を抜いて立ちはだかるのだった。
それはきっと、今アルファの後ろに彼がいるからだろう。この目の前の怪物と一人戦い、ここまで傷を負わせた彼。ずっと孤高に教団と戦ってきた彼。なにより——アルファたちを地獄から救い出してくれた彼。
ここまで、一体どのくらいアルファたちは彼の力になれただろうか。どのくらい恩を返せただろうか。恩を返すと、全てを捧げると決めたあの日以降も、アルファたちはまだ色々なもの——知識や力、そして目標——を貰っていた。返そうと思っても、どんどん恩が蓄積されていった。
それら全てを返せる日はついぞ来ないかもしれないが、かつて何度も彼がアルファを守ってくれたように、今度はアルファが彼を守ろう。
「アルファ、か」
頭を打ってまだ意識が混濁しているのか、若干焦点の合っていない目で、彼がアルファのことを見る。彼から感じる魔力の流れはいつになく乱れていて、とてもすぐに戦線復帰はできないだろう。
優しい彼ならば、もしかしたらアルファと戦うと言うかもしれない。
けれども、この魔人ディアボロスを打倒できるのは彼だけであり、悔しいが『シャドーガーデン』の力だけでは、足止めが精いっぱいだ。完全な状態の彼ならばともかく、今もの彼に無理をさせて後遺症が残るような事態は避けねばならない。
そして、もし彼が自分も戦うと言い出したなら、アルファにそれを止めることはできない。彼の命令は絶対だからだ。
アルファはスライムで作った冷たい剣を握りしめると、それを一息にシャドウ目掛けて振りぬいた。峰打ちだ。
彼は一瞬驚愕した表情を浮かべるが、すぐに抵抗もなく意識を失った。いつもの彼ならば、地面に背中を付けた状態でも最小限の動きで躱すか、剣で受け止めるかできたはずだが、それすらもできないほどに消耗しているということだろう。
「彼を連れていってちょうだい」
連れてきていたガーデンのメンバーにそう指示を出す。指示された者は、震える手で彼を担ぎ上げると、この場から去っていった。
「……アルファ様、本当によかったのです?」
それまで珍しいことに大人しくしていたデルタが、ディアボロスを警戒しながらもそう聞いてくる。
アルファは何も言わずに腰を落とした。
「今回の敵は、彼——シャドウでも勝てなかった相手よ。準備はいいかしら?」
挑発的なアルファの言葉へのデルタの返答は、まるで獣のような咆哮だった。
さて、この二人でどこまで時間を稼げるだろうか。
□□□
凄まじい戦いの余波が、森を駆け巡る中、アレクシアはようやく先ほど光が立ち上っていた場所までやってきていた。元々遺跡だったのだろう場所は既に破壊され、無残な姿になっているが、その下から漏れ出る強烈な血の匂いまでは消えていない。
間違いなく、ここでなにかあったのだろう。
今、現在進行で戦闘している場所に向かってもいいのだが、シャドウクラスの戦いに巻き込まれては、いくら強くなったアレクシアと言えど余波だけで死にかねない。実際、ここに来るまでの森の一部は、更地はおろか、砂漠化している場所まであった。もはや、あの戦いは神々の領域だ。
ならば、今アレクシアがすべきは、戦いの参戦や観戦ではなく、王女として現状の把握することだろう。王国の組織の者以外に戦いの命運を託すのは、情けなく業腹なことだが、仕方ない。
瓦礫の山を魔力パワーで強化された力を使い、押しのけ、ときには叩き切る。やがて見えた地下へと続く階段に、アレクシアは鼻を鳴らした。
「まったく、教団は地下に施設を作るのが好きね」
その地下へと続く階段を下りていくほどに、血の匂いはどんどん強くなっていく。
気持ちが悪いほどの静けさ。けれども香る血の匂い。それら二つの事実が、とても不気味であり、嫌な雰囲気を醸し出していた。
扉を開けて、まず目に入ったのは床一面に広がる赤色と——
「あなたは……!」
——瓦礫に埋もれて動かない獣人の姿だった。そして、アレクシアはその姿に見覚えがある。というか、彼女はついさっきまで一緒にいたはずの——ゼータだった。
急いでアレクシアは駆け出して、その瓦礫をどかす。一息に吹き飛ばすことも可能であったが、それでは倒れているゼータにも被害が及びかねないので、慎重に瓦礫を排除し、ゼータを引っ張り出した。
どうやら気を失っているが、息はあるようだ。けれども、安心はできない。土気色の顔色には既に生気がなく、呼吸があると言ってもかなり弱々しい。今にも死にそうな状況だ。
アレクシアは急いで、魔力でゼータの治療を試みる。シャドウほど緻密な魔力操作ができるわけでも、膨大な魔力が残っているわけでもないが、それでもここまでやってきた努力が無駄になることはない。
優しい光がゼータを包み込み、その傷口を塞いで、臓器に入った目に見えないダメージすらも癒していく。やがて、
「ん……ここは?」
まだ意識が判然としないのか、ぽつりと間の抜けた声でゼータが呟いた。そして、アレクシアの顔を見ると、驚いたように飛び起きて、アレクシアと距離を取る。その反応速度は、まるで猫のように素早かった。突然のその行動にアレクシアは目を丸くする。
「えっと……大丈夫かしら?」
「……」
とても気まずい空気が流れる。ゼータもようやく状況を察したのか、こちらへの警戒を緩めて、自分の体の状態を確認し始めた。
「もしかして、治してくれた?」
「まぁ、あなたが倒れてたから」
「それは……ありがとう」
小さく礼を言う彼女に、アレクシアは再び周囲を見回す。見れば見るほどひどい有様で、何十という人々の死体が、無造作に転がっている。そのどれもが、潰されたり、ねじ切られていたりしていて、普通に考えて死んでいると言っていいものばかりだった。そして、上を見てみれば、天井に大きな穴が空いていた。何故?
「ここで何があったのか聞いてもいいかしら?」
アレクシアの問いに、毛づくろいを始めていたゼータがこちらを見る。自由過ぎる……。
「それは私も聞きたいけど——私が覚えているのは、ここに魔人ディアボロスがいたところまで。彼女は、もう教団の手によって復活した」
「——っ⁉」
ディアボロスが、復活?
それは、ただごとではない。世界が滅ぶかもしれない災厄が解き放たれたということを、さらりと告げられたアレクシアは思わず言葉を失ってしまう。そんな中で、ゼータは更に言葉を続けた。
「私はそのディアボロスの一撃で気を失った……多分、ディアボロスとは主が戦ってると思う」
「えぇ、私もここに来るまでに戦場になっただろう場所を通ってきたけれど、その可能性が高いわ——あなたは、これからどうするの?」
「一緒に戦う」
迷う素振りすらない彼女のその返答は、しかし、アレクシアが予想していたものだった。そうだろう。あれだけの力があるのなら、あれだけの忠誠心があるのなら、その行動は必然と言えた。
「早く行かないと……」
だけれど、動き出そうとしたゼータは、その一歩を踏み出す前に地面に膝をつく。まだ体調は万全ではないようだ。それもそうだろう。彼女はディディを相手に死闘を繰り広げた後に、ディアボロスの一撃をまともに受けているのだから。
「あーっ! もう! 仕方ないわね」
「何を——」
抵抗しようとするゼータを担ぎ、アレクシアは空けられた穴から地上に出たのだった。
□□□
戦況は絶望的と言えるほどに劣勢であった。地でできた触手のような一撃も、その剛腕から放たれる一撃も、等しく即死級の威力を秘めており、攻撃するのはおろか、防御することだって難しい。
おまけに、血でできた兵士もよくもない。一体一体は並の魔剣士にとっても強敵たり得ない程度の強さしか持たないが、その数がとても多い。そして、小さな傷も蓄積すれば致命傷になり得る。触手や本体の攻撃に気を取られている間に、アルファたちの力は確実に削がれていた。
これでまだ本調子でないというのは、本当に恐ろしいことである。
「あーッもう、うざい! のです!」
纏わりついてくる兵士を剣でなぎ倒すデルタが叫ぶ。彼女は空いている手で兵士の首をねじ切ると、それを他の兵士目掛けて投げる。さらに、死角から迫りくる触手を逆に踏み台にして、ディアボロス本体の懐に潜り込んだ。
だが、限られたルートしか通れないその突撃は、軌道を読むのも容易い。ディアボロスのパンチがようこそとばかりにデルタを迎える。
アルファは仲間のそのピンチに、目の前の兵士を蹴りで吹き飛ばすと、手に持っていた剣を全力で投擲した。
スライムとはいえ数キログラムはあるその剣は、魔力によって多少の軌道修正はくわえられつつも真っ直ぐと飛んでいく。そして、今まさにデルタに襲い掛かろうとしていた右腕を貫き、吹き飛ばした。
ディアボロスもシャドウとの戦いを経て、まだ傷は完全に癒えていない。人外の治癒力を以てしても、回復できないダメージを与えるとは、つくづく彼は規格外な人間だ。
デルタはそのまま何事もなかったかのように突進し、未だに血が流れ続けているディアボロスの胸の辺りに剣を突き刺した。呻くような悲鳴が響くが、ディアボロスの動きに変化はない。見た目以上に、ダメージが入っていないのだろう。
そのとき、無数の触手がアルファを狙って迫ってきた。
「まずい——っ」
手に持っていた剣は既に放り投げてしまっている。新たに作ろうにも、流石に間に合わない。
せめて、ダメージは最小限にしようとアルファは回避行動を取る。が、そのアルファの目の前でそれら無数の触手が弾け飛んだ。
「遅れてすみません、アルファ様」
「間に……あった」
驚愕したアルファが声のした方向を見てみれば、そこには弓を構えるベータと変な装置を抱えたイータの姿があった。
次回は来週の同じ時間に投稿できると思います(多分)。