やはり俺の遊戯人生はまちがっている   作:鳴撃ニド

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はじめてこのような小説を書くことになるので

大目に見ていただけると幸いです。

最近ノーゲームノーライフにはまってしまったので

書いてみました。


本編
やはり俺の遊戯人生は間違っている


青春とは、嘘であり、悪である。

 

青春を謳歌せし者たちは、常に自己と周囲を欺き、自らを取り巻く環境のすべてを肯定的にとらえる。

 

彼らは青春の二文字の前ならば、どんな一般的な解釈も、社会通念も捻じ曲げて見せる。

 

彼らにかかれば、嘘も秘密も、罪科も失敗さえも、さらにいえば、裏切り、だましあいですら青春のスパイスでしかないのだ。

 

ほろ苦い青春の一ページとして、何も思うことなく心の中に刻むのであろう。

 

だがしかし、それは一ページであるからスパイスなのである。

 

青春は楽しさや嬉しさにあふれていることが前提であり、苦痛や自責の念に駆られることはごく稀であるという暗黙のルールに対して、彼らは何の疑念も持ったことはないはずだ。

 

加えて、嘘も秘密も罪科も失敗も、後悔や反省といった行為を伴うからこそ美しく輝くのである。

 

つまり、楽しさを前提にした脳内お花畑の愚民どもは、失敗をただの一時の過ちとしてしか処理できないがゆえに、真に青春というものを理解していないともいえる。

 

もっというと、仮に失敗することが青春の証であるのなら、友達作りに失敗した人間もまた、青春のど真ん中でなければおかしいではないか。

 

友人や仲間と呼べるそれらを重視するあまり、それ以外のすべてを軽視するかの如く目をそらす。

 

たとえて言うならば、友達作りに少し秀でた凡人と、友達作りが苦手な天才では、前者のほうが圧倒的に重要視される。

 

天才がいかに数学ができようと、天才がどれほど運動ができようと、はたまた天才がオタクの様に一つのことにどれだけ詳しくあろうと、彼らの前では塵芥と同じであるといわざるを得ない。

 

特に現代社会では必須ではない、いわゆる娯楽と呼べるものに対する天才たちは、特に大した理由もなく、「気持ち悪い」の一言とともにつまはじきにされる。

 

自分とは異なる能力を持ち合わせる他者に対して、その人が自分と関わりを持つならば、その人に対する見方は「個性的」と好印象に受け取られる。

 

一方で同じ条件であるが、その人が自分と関わりを持たないと知ると、その見方は「異端者」に変わる。

 

自分にとって益になりそうな他人を受け入れ、害になりそうな他者を排除する。そのこと自体は間違ってはいない。

 

ただ、それがコミュニケーション能力の有無によってのみで決定されていることに彼らは気づいていない。

 

いや、気づいているが、気づかないふりをしているのだ。

 

なぜなら、それを気付いてしまえば最後、彼らが嬉々として行っていた青春とは、しょせんただの仲良しごっこに過ぎず、何も本質的なことを達成できていないという現実を突きつけられるからである。

 

しかし、彼らはそれを認めないだろう。すべては彼らのご都合主義でしかない。

 

結論を言おう。

 

青春を楽しむ愚か者ども。

 

砕け散れ。

 

 

 




プロローグなのでさらっと流してください。

本当はもう少し短くしたかったのですが、字数制限により長くなってしまいましたね
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