「‥‥さて、マスターはお休みになられたことですし、日課のアレをしましょう」
〇月〇日
朝8時。本日は目覚めが良かったらしく、私が起こす前にマスターが起床。「いつもなら二度寝をかますところだが、なんか目がさえちまってなぁ…」とのこと。加えて目がいつもよりも濁っていないので、機嫌がいい日であると思われました。非常に珍しい事なので今日は運がいい日かもしれません。
今日も今日とてマスターをからかって遊んでいましたが、私の行動一つ一つに反応していました。機嫌が悪いとからかってもされるがままで反応が悪いことから、確実に今日は機嫌がよいことが判明。したがって今日のボディータッチは気持ち2倍でアプローチしてみたところ、可愛らしい反応が得られたので上々の成果であると言えます。また、マスターは尻より胸派であるという情報を入手。今後は胸を強調するようなポーズやファッションを検討する必要があるようです。ただ、過度な露出はマスターの性格上逆効果になる可能性もあるので、衣類に関しては吟味する必要性があります。胸の大きさに関してはどうか、無理やり確認を取ってみたところ「‥‥まぁ、ないよりはあったほうがいいんじゃね?ほら、大は小を兼ねるっていうだろ。ただデカけりゃいいってもんでもないからな。過ぎたるは猶及ばざるが如しってな。つまりはほどほどがいいってことだ」と。なお、私の胸をちらちらと見ていたため、どちらかと言えば大きいほうが好きであると仮定して観察を継続することにしました。
本日の戦績、マスターの0勝4敗。まだ私との実力差があるように思われます。一度だけ盟約を用いて本気の勝負を持ちかけましたが、却下されてしまいました。機嫌がよくても盟約を用いる勝負に乗るかどうかはわからないと言ったところでしょう。そのほうが変な輩に騙されることがなく安心できますが、私が確実に勝負をしたいときには困ってしまいます。マスターがゲームに乗る条件の特定にはまだ時間がかかりそうです。
睡眠時の調教は良好。いつも通り髪、頬、耳、唇の順番に検証を実行。寝ている間でも盟約は働くので、マスターが嫌がる部分にはいたずら出来ません。しかし今日はついに、マスターが自ら弱いと言っていた耳を舐めることに成功。一度舐めただけで、もう一度舐めることは再び盟約によって禁じられました。普段であればここで検証を終了するところですが、一度舐めることができたため検証を続行。耳を除く耳周りに触れたり、嗅いだり、舐めたりするとどうなるか実験してみた結果、それでも十分に感じることが判明しました。今後は顔周りの感じやすい部分を模索し、私ナシではいられないよう調教の時間を増やすべきかもしれません。
「‥‥こんなところでしょうか。『聖書』の作成も楽ではありませんね」
ここは地獄だった。
話には聞いていた。
光の槍ともいえるそれは、海を蒸発させ、オーシェンドをただの穴へと変えた。
夢の中であるからこそいくら壊そうとも数秒ですべてが元通りになるが、これが大戦時には平気で使われていたのだという事実に恐怖を覚える。
加えて―大戦時に用いられた、『神撃』なる一撃を、一度ならず、思うがままに連発された。
それは
使用後は動けなくなるほど疲弊すると言い伝えられているが、ここは夢の中。発動後のインターバルも、あまつさえ発動条件さえ無視して、彼らが使いたいときに自由に使える。
何度滅びの時を迎えたかわからない。世界すべてが消し飛ばされ、世界ごと生まれ変わるのをもう十回ほどは味わった。
厳密には
いつのまにか生まれていた、
ただおびえ泣き叫ぶだけで、無慈悲に、無造作に、無邪気に蹂躙されていく。無論、私も例外ではない。
海の中で最強を誇る私も、海がなければ
あの目の腐った男の姿はもう見えない。どこに行ったのかすら知りえない。だからこそ、この地獄を終えるためには女王の間へと向かうしかない。あの空という男を惚れさせるために―
乾いた地を這って進み、際限なく降り注ぐ
水がなく、呼吸ができない。日の光に体を焼かれ、際限なく気力は奪われていく。
泳いでいけばすぐの距離を、何日もかけてたどり着いた。彼らがいる、女王の間。それに通ずるオーシェンドで最大の塔。
今なお後ろには地獄が広がっていた。天は白き光と無数の笑い声に包まれ、地は赤き血と無数の断末魔で覆われていた。
力を振り絞り、閉ざされた塔の扉を開ける。すると、そこには水があった。
私は安堵した。水があれば呼吸も魅了も出来る。しかも、この塔は唯一、
そして安心したせいか、ふつふつと、怒りの感情がこみあげてくる。
よくもまぁこの私を、コケにしてくれたものね。
今の私こそ最強。水があれば、私には逆らえない。それは比企谷という男が証明した。終止私の言うことは聞かなかったけれど‥‥反応からして、ただやせ我慢をしていただけ。このゲーム中で、私の力が通用しなくなったというわけではない。
虜にして、すぐさま捨ててやる。そして、夢が覚めた後でも、同じことをしてやる。私を怒らせたことを、生涯後悔しろ。
尾びれを激しく打ち付け、全速力で女王の間を目指す。ものの数分でたどり着き、見覚えのある扉を前にする。
「‥‥退きなさい」
ただ一言、それだけで塔に満たされた水がうねりをあげ、閉ざされた扉を強引にこじ開ける。
扉の先には見慣れた部屋。だがしかし、そこには
空が、芝居がかった不敵な笑みを浮かべ、出迎えた。
「―果たしてここまで来たか。いっそ清々しいまでに愚かである。だが結果的に最も望ましい形に進んでいるのはとても愉快―」
「‥‥にぃ、それ、もう‥‥いい」
「ええ~白、セリフキャンセルは勘弁しろよ準備してたのに」
目の前でなおも茶番を続ける二人に、私は怒りを覚える。
随分と舐めた真似をしてくれたが‥‥そろそろツケを払ってもらう時間だ。
「さぁ、気は済んだかしら?這いつくばりなさい」
まずは這いつくばってもらうとしよう。その後で、時間をかけてたっぷりと、脳が解けるまで魅了して―
「おいおいルール聞いてた?惚れさせてみろっつったろうが。口説き文句の一つないの?」
―絶句した。誰をも魅了する私の声を聴いてなお、ニヤニヤとただ、挑発的な言葉を返すだけだった。
ありえない。先ほどとは違い、声は届いているはず―であれば例外なく、すでに惚れて脳髄までしびれている身で。
いいえ。違うわはったりよ。ただのポーカーフェイス。鉄仮面。その化けの皮を剥がしてやる。
「‥‥そうね、ごめんなさい‥‥舞い上がって、失礼な態度を取ってしまったわ」
扇情的に、瞳を潤ませ、懇願するように言葉を紡ぐ。
「本心を、聞いて、感じてほしい。あなたが欲しいの。どうかこの気持ちに応えて?」
声だけでなく、しぐさ一つ一つが美の権化。洗脳さえ生温い、暴力的なまでの拘束力が働く。
逆らいようのない絶対的な魅了に、空は、要求通りに応えた。
「‥‥うーわないわ、さぶいぼ立ったぞゴメン無理」
‥‥‥。
‥‥‥‥‥は?
「つか、ぶっちゃけていうと、お前趣味じゃねぇから」
‥‥‥‥‥え?
「しかも惚れさせろってルールで第一声が這いつくばれ、二言目がごめんなさいで挙句本心じゃなかったの?ネットで見かけるテンプレ地雷女かよ実在したことが衝撃だ」
耳を疑った。やせ我慢でもなんでもなく、本心から自分の魅了が通用していない‥‥?
何故?夢に干渉された?いや、比企谷という男の反応からそれはないと、さっき自分でも論じたはず―
わからない。だが、確実なのは、この男は本当に、自分に惚れない確信があって、ここへ来た。
ただ呆けることしかできない私に、空は容赦なく罵倒の言葉を投げかける。
「あえて何回も言わせてもらうがルール分かってる?お前このゲームクリアしなきゃずっと
何も言葉にすることができなかった。ただ、罵りの言葉を浴び続けた。
反論も許さず、一気にまくし立てた空は、言い終えると清々しい笑みを浮かべた。
「よっし。言いたいことは言えたし、満足したわ。後はご自由に。俺らは帰る」
「‥‥は?え、ちょっとまっ‥‥」
「不可能ゲー楽しんでいただけたかな?アホ乙。じゃあな」
言うや、ふっとその姿を消してしまう。どうやら本当に帰ってしまったらしい。
驚きで胸がざわつく。自分の心臓が、強く拍動をしているのがわかる。
これで、ゲームは終わり?ただ何もなく、絶望を味わっただけ‥‥?
なるほど、確かに不可能ゲー‥‥どんな相手を連れてきても惚れない私と同じで、彼もどんなに魅力的な相手であったとしても惚れない人種だったのだ。
そう言い聞かせ、強く打ち続ける自らの鼓動を無理やりに押さえつけ、ゲームの終了を待つ。そして、また深い眠りにつくのだ。
けれど、どれだけ待ってもゲームが終わらない。まさかとは思うけど、
ともかく動かぬことには変わらないと、当たりを見渡す。すると空が座っていた玉座の後ろに見慣れない扉が見て取れる。私の記憶では、こんなものはなかったはずだ。
扉を開けると、どこかへつながっている螺旋階段が現れる。ここが最上階であったはずだが‥‥いや、もう記憶など頼りにはならないだろう。夢の中なのだから、
長く続く螺旋階段を登りきると、大きく厳重に閉ざされた扉がある。私の部屋の扉と比べて、より荘厳で、より美しく、より華麗である。
「‥‥そういうこと」
空は言った。「惚れさせてみろ」と。ゲームが終わらなかったのは、勝利条件がまだ残っていたから。あの比企谷という男を
そういえば、彼言っていたわね。「バッドエンドルート」って‥‥。最初に彼に言い寄った時点で、ルートは確定していた‥‥つまり、空を惚れさせることはできないようになっていたのかもしれない。それなら、私になびかず、あそこまで傲岸不遜な態度を取れたのも説明がつく。
「この感じ、ゲームで言うところの裏ボスかしらね」
しかしわかってしまえばどうということはない。
扉に手をかざし、開くように命ずる。ゴゴゴゴと重厚感のある音が鳴り響き、第二ラウンドの始まりを告げた。
部屋の中は派手な装飾が施されていた扉と違い、白単色のつまらない部屋。中央にベッドがあるのみで、家具はおろか窓一つない。
夢の中だというのに比企谷という男はベッドで寝息を立てている。どういう神経をしているのかしら。
眠っているこの男を叩き起こして、そして惚れさせなければならない。まさか、私がそれをするなんて思ってもみなかった。当てつけにしても皮肉が効いている。
「起きなさい」
声をかけても、起きる気配はない。眠っていたとしても、私の強制力は働くはず。本来であれば飛び起きるはずなのだけれど‥‥
待てど暮らせど、変化はない。ただ寝息を立て続けるこの男をこれ以上待ち続けることができず、怒りを込めて思い切り男の腹をめがけて殴りかかる。すると、ぐえっといううめき声とともに男は悶絶した。
「いってぇ‥‥衝撃の痛さなんだが‥‥もう一発喰らったら逆に眠りにつくレベル」
「目は覚めたかしら?」
お腹を抱えてうずくまっていたが、私の声を聴くとピタリと動きを止めた。ギギギという擬音が似合いそうな様子で、ゆっくりと顔をこちらへと向けた。
「‥‥なんでいるの?」
はぁ?と、呆れた声がつい口から漏れ出てしまった。そんなの、ゲームを終わらせるために決まっているでしょう。あなたが私に惚れれば、全てが丸く収まるの。
いけない。同じ過ちは犯してはいけないと気を引き締める。
できる限りいい女を演じ、堕とす。残っているということは、私に惚れない自信があってここにきているということだもの。
「決まっているでしょう?あなたを愛しているからよ」
「いやそういうんじゃなくて‥‥空達どうした。あいつらの部屋通らなきゃこここれないはずなんだけど」
「彼らは先に行ってしまわれたわ…私の愛を、受け取ってくださらなかったの…こんなにも愛しているというのに」
「マジかよ…ってことは、つまりは俺らでゲームを終わらせなきゃいけないってことか…そうだ、
「わからないわ。今も外で虐殺を行っているのか、もうすでにゲームから抜け出しているのかも。‥‥でも酷い人。あなたのことを愛している者が目の前にいるというのに、他の女を話題に出すなんて‥‥」
いじらしい視線、可愛らしい声。可憐さを身にまとい、ほんのりと微笑みかける。どれもこれも、男ならイチコロの仕草だというのに、ちっとも手ごたえがない。ただ気まずそうに視線をそらし続け、会話を続けるだけ。
ならば、最終手段だ。
するりと腕をとり、両手でその手をつかむ。そして、その手を自分の胸に当てる。
「いやちょ‥‥おまえっ‥‥!」
「聞こえるかしら?私のこの胸の鼓動‥‥このドキドキが、偽物なわけないでしょう?本当に、あなたを愛している証拠よ」
まぁ嘘だけど。空達と別れてから、ずっとこのドキドキは続いている。あなたが原因じゃない。けれど、あなたにそれを確かめるすべはない。
間髪入れずにそのまま体重をかけ、ベッドに押し倒す。顔を近づけ、息が吹きかかるほどの距離で、私は艶やかに囁く。
「どう?柔らかいでしょう?
これ以上ない、極上の取引。ただYESと言うだけで、何もかも、全てが手に入る。だから、惚れたと言え。
男はゆっくりと私の胸から手を離し、私の肩をつかんだ。そして―
「いや要らんわ」
「‥‥えっ?」
二度目となる衝撃。私の愛が‥‥要らない?惚れないならまだしも‥‥要らない、ですって?
「正直間に合ってる。財産とか権力とか別に必要ない。前までは人より多少いい暮らしができて、働きに出かけなくてよくて、家の仕事さえしてればいい環境が欲しかったんだが‥‥なんかこのままいけば多分手に入りそうだし。お前の愛だの身だの心だのも必要ない。
それに―と、男は続ける。
「お前、本気で惚れてないだろ。仕草や言葉面だけだ。目見ればわかる。まぁ惚れさせるゲームなんだから当たり前なんだが‥‥。それで全部あげるって言われても恐怖でしかないわ」
男はそう言いながら頭を掻いた。そしてただ呆然とするだけの私を置いて、話し続けた。
「てかこのゲーム、最悪俺か空が惚れなきゃ終わらないからなぁ‥‥。だから空に押し付けたのに‥‥あいつらどうやってバックレたんだ。ログアウトの方法教えやがれ」
どうしよう、とつぶやき、私のことをそっちのけで考えるそぶりを見せる。彼は本当に、嘘偽りなく、私のことを必要としていない。
「な、なんで‥‥なんで私の『魅了』が通用してないの!?」
さっきまで視線をずらしていたのはブラフ?本当は夢に細工されていて、それを見破らせないために。つまり最初から、勝ち目のない勝負を押し付けられていた?本当に不可能ゲーだったってことに‥‥
「ああ‥‥水の中なら何でも引き付ける力、だっけ。効いてるぞ。めちゃくちゃ効いてる。うっかり惚れそうになる」
「嘘よ!水の中の私を前にして、抗うことなんてできない!!全種族、唯一神だって!私の『魅了』から逃れられないのよ!!夢に細工されたとしか思えない!!」
「お、おう‥‥そうですか。そうかもですね。お前の言うとおりだわ。記憶にないが、細工したの忘れてたのかも。うっかりうっかり」
適当に私の怒りをあしらい、めんどくさそうな表情を浮かべる。それがまた私の怒りを買う。
この反応からして、細工はしていないのだろう。一切の細工なく、どうやって私の『魅了』を乗り越えたというの?
「仮に‥‥仮に細工されてないとして、『魅了』が効いてるなら‥‥どうして私に惚れないの!?」
はぁ、とため息をつき、面倒くささと恥ずかしさを混ぜたような表情で彼は答えた。
「お前さぁ、男という生き物を、魅力的な女性を見つけたらその度にコロコロ相手を変えるような存在だとでも思ってんの?中にはそういうやつもいるかもしれんが、多少魅力的に感じたからって、いちいち惚れたりしないんだよ。少なくとも俺は」
そんな‥‥そんなことが、あり得るの?
つまり、わたしがどれだけアプローチしても、どれだけの愛を伝えたとしても、どれだけの『魅了』をかけたとしても。
一切通用しない。いや、全て通用したうえで、それでも惚れないと。それこそ、盟約で縛りでもしなければ。手に入らない。
記憶の片隅に残る、
それが今、目の前にあった。
それを考えると、再び強く、胸が拍動するのを感じる。
「え?なにこれ。あたりが泡に包まれていくんだけど。ていうか俺消滅しそうなんだけど。ゲーム終了したの?そうならそうだって言って。八幡困っちゃう」
一人夢の世界で少し遅れて残された私は、ただ幸せだった。