高校生の時、家族旅行中だったオレは交通事故で家族を失った。運転席にいた父と、助手席にいた母は即死。
後部座席に乗っていた妹と弟も病院に担ぎ込まれたが、間もなく息を引き取ったらしい。奇跡的に生き残ったオレは事故の衝撃でそれまでの記憶を失い、代わりに今の『オレ』の記憶を手に入れていたのだ。言い換えれば、前世の記憶を思い出したとも言える。
ネット小説が好きだったオレは、インターネットで小説を探す機能に大変お世話になった。恋愛、SF、ファンタジー、ホラー、当時人気だった転生もの。
端的に言えば、現代社会で死んだ人間が剣と魔法の世界や、現代によく似てはいるが異なる文化や法則のある地球に生まれ変わる、あるいは転移する物語だ。特別な力を持つこともあれば、持たないこともある。
事故後、昏睡状態だったオレが目を覚まし、オレがその『転生』をしたのだということに気づいたのは、しばらく経ってからだった。意識を取り戻した直後など、状況が分からず混乱した。死んだ記憶もないのに明らかに記憶の中のオレよりも若い体になっている上に、顔も違うし体格も違った。髪の色も、量も、生え際も違った。
最初こそ取り乱したが、やがて悟った。
そうか、オレは転生したんだ、と。
事故によって記憶を失い、代わりに前世の記憶を取り戻したのだと。
事故後の経緯で特筆すべきことはない。事後処理は、入院中のオレの元に通ってくれた弁護士・鳴藤に丸投げしたので知らない。オレは前世での経験もあって、東堂雷留が暮らしていた家で一人暮らしを希望した。弁護士は高校生の一人暮らしを心配したが、押し切った。紆余曲折あったものの、今も大学生になったオレはその家で一人暮らしを続けている。
事故で留年したオレは元の高校を退学し、単位制の高校に編入。自分のペースで勉強して卒業し、今は平凡な大学生として一人暮らしをしていた。
非現実的な転生を経てなお、日常は退屈そのものだった。
転生、という非現実な出来事から以後、何もない退屈な日常を数年過ごし、期待もとうに消えうせた頃―――大学生になって半年後、事件は起きた。
大通りを曲がって直線に進んだのち旧街道に入り、さらに脇道へ逸れ、細い道を通った先に、『東堂家』は建っている。この地域には昔から住んでいる人が多く、一軒家ばかりが建ち並んでおり、オレの家の隣もまた例によって一軒家であった。
その物件は、東堂家を含めた周囲の家が軒並み年季の入った一軒家ばかりの中、唯一真新しい近代的な家屋であったため、周囲の家の中では一際異彩を放っている。さぞブルジョアな一家が暮らしているのだろうと思える見た目だが、その家は長い間空き家であった。
真新しい作りなのは、前の持ち主が同居していた老親のためにバリアフリーを取り入れた大規模リフォームを行ったためらしい。
そして空き家だったのは、そのリフォームのあと間もなく老親が亡くなり、残された独身の一人息子は海外へ転勤することになり、家を手放すことにしたからだそうだ。そうして、新築同然の空き家が発生した。それは東堂家が事故に遭う少し前の出来事らしい。長い間買い手が付かなかったのは、ほぼ新築のために相応に値段が高い割に、都市部から離れ交通の便が悪いという立地条件ゆえのこと。
その家に買い手が付いたのは、オレにとっての事件から二か月弱前のことだ。とある一家が都会から引っ越して来て、新たな住居に東堂家の隣を選んだらしい。最近は都会が物騒で、娘のために田舎暮らしを選んだ、と挨拶に来たお隣さんが話していた。確かにここ最近はガス爆発だの不発弾爆発だの物騒な事件が都会で立て続けに起きており、連日ニュースで騒ぎになってたが、娘のためとはいえ即座に田舎への転居を選択できるとかこの人らすげえバイタリティだなぁと呑気に思ったものである。よって、共働きがゆえに娘が家に一人でいることも多いから、迷惑でなければ気にかけてやってほしいと、ぺこぺこと頭を下げられたオレが、分かりましたと頷いたのは仕方ないことだろう。
とはいえ特に関わり合うこともなく、顔を見掛けたら挨拶をする程度である。
話を戻すが、オレの家はその一軒家の向こう隣りにあって、帰路に就く際、必然的にお隣さん家の前を通らざるを得ない立地にある。
墓参りを終え、帰路に就く途中、T字路を曲がり、東堂家のある道へ入った直後、遠くに小さな女の子の姿が見えた。それは件のお隣さん家の一人娘『
茶々ちゃんは慌てた様子で自分の体の至る所をいじり、泣きそうな顔をしている。
(なにやってんだあの子)
という感想がまず浮かんだ。
次に「何か探してそうな動きだな」という所感だった。後から聞いたところによれば、自宅の鍵をどこかに失くしたようだった。
彼女の両親から頼まれた手前、困っていて見過ごすことも寝覚めが悪い。
オレは茶々ちゃんに声を掛けることにした。
しかし大声を出すことは憚られた。オレは届く距離まで近づくため、足早に歩きだした。
すると茶々ちゃんは意を決したようにガッツポーズを取った。
直後、信じられないことが起きた。
茶々ちゃんの体が突如として浮かび上がり、光輝いた。
驚いたオレは思わず立ち止まった。
その出来事は一瞬のことだったはずだ。
しかし気づけば茶々ちゃんの服はふりふりの可愛らしいドレスに変化し、浮かび上がった茶々ちゃんの顔の前には、ピンクハートの形をした宝石のような意匠が先端にこしらえられた水色のステッキがふわふわと浮いていた。
茶々ちゃんは宝物でも扱うような所作で空中のステッキへと両手を伸ばし、その柄を両掌で包むようにして握った。
オレは立ち尽くした。
茶々ちゃんが何やら呪文めいた言葉を唱えたかと思うと、決めセリフらしき言葉と共に、掲げたステッキを振り下ろすように突き出した。
すると、なんと茶々ちゃんの家の門が、ひとりでに開いたのだ。
そして再び茶々ちゃんの体が輝くと、最初に見た通りの格好にまた戻っていて、普通に立っていた。綺麗なステッキは握ったままだったが、しかしそれもただのオモチャの様にしか見えない。先ほどまで感じられた神秘的な雰囲気が消えている。
オレは「まさか」と唇を戦慄かせた。
オレはそのとき、『転生』後から平穏な生活が長く続いていたために、非現実的なことが発生することに対して諦念を抱き始めていた。いや、もはや諦めていたと断言した方が適切だろう。だからこそ受けた衝撃は凄まじいものがあった。
オレは思った。
「魔法少女ものかよ……」
オレはどうすればいいんだ。
魔法少女モノに大学生なんて出て来るか?
昔から知ってるとかでもなく、最近引っ越した先で会ったばかりの、近所のお兄さんでしかないぞ……。
どう関われば良いのかを考えるが、大学生が魔法少女と関わるなんて、経験も知識もない。
立ち尽くしていたオレに、茶々ちゃんが気づいた。
「え……?」
茶々ちゃんの小さな呟きが、今度ははっきりと聞こえてきた。閑静な住宅街という状況以上に、何か別の力が働いているように、そのか細い戸惑いの声は、オレの耳にはっきりと届いたのだ。
閉じられていた門を『魔法』で開き、彼女を悩ませていた問題に一段落がついてようやく、少し離れた場所に立つオレの方にまで意識を割けるだけの余裕が出来たのだろう。そんなドジっ子ちゃんは、視界の端にオレを捉えた後、一瞬停止したかと思えば、小さく戸惑いの声を発し、今度はぎぎぎ、とでも音がしそうな動きでオレの方に首を向けた。
目と目が合った。
沈黙し、見つめ合う大学生と小学生(推定魔法少女)。
さすがにオレから動くべきだろうと、オレの中の冷静な部分が告げて、オレは止まっていた足を前に進めた。茶々ちゃんの少し前で止まり、内心を押し隠し、努めて平静な態度で声を掛ける。
「やあ、茶々ちゃん。こんにちは。元気そうだね。オレのこと分かる?」
安心させるべく、なるべく柔らかく穏やかな声音を発することを意識しながら、オレは冗談めかして自らを指さした。
「あ……。えっと、はい! らいるお兄さんこんにちは! わたしは元気です!」
「……」
「……」
挨拶が終わったところで、再び沈黙が訪れた。
何をしてたの?
そう聞くのは簡単だ。
しかし茶々ちゃんが何か言いたそうな表情を浮かべ、上目遣いに伺うような視線をオレに送って来るため何やら圧を感じ、にこにこと笑みを浮かべるに留まらざるを得なかった。
様子見をする。
やげて茶々ちゃんは意を決したという様子ながらも、不安げに首を竦めつつ、おずおずと口を開いた。
「あの……」
「どうしたの?」
「そのぉ……み、みちゃいましたか!?」
問いの中身は十中八九、さっきの魔法少女ムーブのことだろう。
勢いよく尋ねるのは良いが、声がでかいぞ。誰かが聞いてたらオレが変に思われるだろう。あいつは何を見たんだ、と勘繰られるかもしれない。
さて、どう答えるべきか。
見てない、と言うのは簡単だが、茶々ちゃんの様子を見るに、見られただろうことはもう確信しているだろう。いうなればこの質問はただの確認であり、オレがどう出るかを見るための試金石である。
そして、この状況をどうすべきかを考えるための時間稼ぎ。
それか、何の裏表もない馬鹿正直なポンコツ少女か。
恐らく後者だろうことを茶々ちゃんの慌て具合から察したオレは、内心に何かがふつふつと沸き上がるのを感じながら、偽りなく答えることにした。
「見たよ」
「み、みちゃいましたかっ!? あわわわわ……!!」
茶々ちゃんの表情が目まぐるしく、コロコロ変わる。
「あのあの!! な、なにを見ましたか!?」
「なにを見たか……?」
「は、はい!」
少し黙って考えているオレに、茶々ちゃんは不安げな視線を向けながら、そわそわと体を動かしており、時折「あわわわわ」と不安げに呟いている。
オレは茶々ちゃんの問いに、やはり素直に答えることにした。どう反応するかという興味と、もっと慌ててみせてくれるんじゃないかという期待があったからだ。
「しいて言うなら……魔法少女、かな?」
「あ、あわわわわ!! あわわわわわわ!!」
茶々はオレの返答を受けて、なんとも可愛らしい所作で唇を戦慄かせた。目を白黒させて、両手で握りしめ、胸の前に掲げていた杖を前後に動かしている。どうやら無意識の動きのようだった。
「あのあの! えっと、これはその、違うんです! えっとえっと! その、あの! 違うんです!」
滅茶苦茶慌ててんなこの子、可愛い。
「違う? 何が?」
「あの、えっと……!! その……!」
茶々ちゃんの目が潤みだした。やばいな、泣くぞこれ。パニックになって情緒が崩壊し、涙腺が決壊寸前だ。
やはり魔法少女といえば、秘密がつきものである。魔法が使えることは知られてはならない事案だったか。オレは茶々ちゃんを落ち着かせるために、こう言った。
「上手だったよ」
「え? じょ、じょうず……ですか?」
「うん。それ、あれでしょ。ほら。日曜の朝にやってる……何とかっていうアニメの。オレも昔、アニメの三刀流の剣士のごっこ遊びしたことある」
「え……? ……あ! そ、そうなんです!」
まるで蜘蛛の糸を見つけた地獄の罪人の様に、茶々ちゃんがオレの言葉に飛びついた。ごっこ遊びを見られて恥ずかしがっている女の子に配慮し、自分もそういう遊びをしていたから恥じることはないよと優しく微笑む、大人の対応。完璧だろう。
「そうなんです! 真似っこなんです! ごっこ遊びなんですぅぅぅぅぅぅ!!」
茶々ちゃんの目からは既に涙は引っ込んでいた。頬を赤らめ、必死に「ごっこ遊び」であることを強調している。
「そういえば、すごく光ってたけど……」
「あわわわわ……!!」
「そのステッキの作用なのかな? 最近のオモチャは凄いね」
「そうなんです!! しゅごいんですぅぅぅぅぅ!!」
「服が変わってたように見えたけど……」
「あわわわわわ……!!」
「そう見間違えるくらい上手だったよ」
「ああああありがとうございましゅぅ!!!」
なんだこの子。
オレの垂らした蜘蛛の糸を引きちぎらんばかりに縋りついているその言動は、可愛いの一言である。
嗜虐心を擽られたオレは微笑みでにやつきを隠しながら、そのような問答を繰り返した。
必死に誤魔化そうとしているが、その態度と必死さこそが真実味を増やすことに気づいていないところが最高に小学生をしてて可愛い。
そもそも普通の小学生なら、というかオレなら、だが、そんなごっこ遊びをしてるとこを大人にみられたらそのことを恥じ、ごっこ遊びなんてしてないとしらを切ろうとする。子供はごっこ遊びが好きだが、それはそれとして、それを見られることを恥じるプライドも持ち合わせているのだ。純粋にごっこ遊びに興じられるのは幼稚園や低学年くらいまでだろう。オレはそうだった。オレにとって茶々ちゃんの今の言動は、魔法を見られて焦ってます、以外のなにものでも無かった。
だがオレは考えた。関わろう、関わりたい、と思っていた非日常が目の前にあって、しかし考えを改めた。
茶々ちゃんが本当に魔法が使えたとする。だがこの子はその事実を隠そうとしているんだ。それを追及する権利なんてオレには無いだろう。ただのお隣さんだしな、オレ。なるようになる。それに、子供には隠しておきたい秘密などたくさんあるのだ。オレも小僧の頃、ボタン式の信号機のボタンを手当たり次第に押して回ったという隠しておきたい秘密がある。茶々ちゃんとオレの秘密に関して、今のところ善悪の差は明らかだが、まあ似たようなものだろう。それをわざわざ暴くのは正直どうかと思う。
茶々ちゃんが普通の女の子ならば、それはそれでいい。オレの言葉が正しければ、公道で魔法少女のごっこ遊びをしてしまったという、将来笑い話になりそうな、ちょっとした黒歴史をお隣のお兄さんに見られた、というだけだ。流行のアニメの真似、ごっこ遊びなど誰もがやるだろう。
そして、わざわざそんなことをねちねちと指摘して子供の熱を冷ますような大人が周りにいたか?
いーや、いなかったね。可愛らしい子供が元気に遊んでいる。それが例え寂しい一人遊びでも、無邪気でいいじゃないかとスルーするのが大人だろう。
はっきり言えば、非日常はあったんだ、とオレは感動を覚えている。だがまあ、無くても構わない。どちらでもいいとも思っている。しかし無関心なわけじゃない。ただオレは大学生になってしまって、いつかあったはずの熱は、やはり既に冷めてしまっていたんだ。
だから、非日常があったんだと、そう思わせてくれた、そう思えただけで、オレは満足してしまった。
「ありがとう、茶々ちゃん」
そう呟いたオレは大人の余裕を滲ませて微笑みを浮かべている。
しかしオレ自身、その微笑みの中に寂しさという色が滲んでしまっていることに気づいている。大人になるって哀しいことでもあるのねと、かつての熱を失ってしまった自分の変容に、寂しさを隠すことが出来なかった。
「え……?」
それを子供特有の感受性か、敏感に察知した茶々ちゃんが戸惑いを見せる。オレは何も気づいていないふりをして、穏やかな声で続けた。
「でも茶々ちゃん、この辺だって車の通りが無いわけじゃないからね。道路で遊ぶのは危ないから、魔法少女になるのはおうちに入ってからにした方が良いよ」
「えっ……? あ、はい! そ、そうします!!」
「ふふ。元気でいいね。それじゃあ、またね」
オレは微笑みを浮かべたまま手を振って、自宅へ足を進める。
「あの、お兄さん!」
「うん?」
茶々ちゃんから掛けられた声に立ち止まったオレは、体を斜めにする形で振り向いた。
「またあした!」
可愛らしくぶんぶんと手を振る茶々ちゃんを見て、オレは失笑した。
恐らくだが、それが彼女にとってのクラスメイトや先生、友達との別れの挨拶であり、定型句なのだろう。会えばおはよう、こんにちは、と言うように、別れの時には彼女はまたあした、と口にする。
だが小学生と大学生では生活リズムが違い過ぎる。今日の様に早々会えるということはないだろう。茶々ちゃんも分かっているのかいないのか。
「そうだね。明日もまた会えると良いね」
オレも野暮なことは言わず、微笑んでそう言った。
それを聞いた茶々ちゃんは満開の花のように笑みを咲かせる。なんともまあ純粋で可愛い小学生である。
そしてオレは今度こそ帰宅した。