明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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「いい加減諦めちまえばいいのによぉ。……アンタの妖力に耐える男なんざいるわけねぇんだから。夢でも見てたんだろうよ。早く忘れちまえって……」


「なんでいないのぉぉおおおお! どこ行っちゃったのぉおお!!」


 四肢を捥がれた黒竜が横たわる場所から遠く離れたビル街にて、走り回って誰かを探しているらしき女の余裕の欠片も無い声が響く。


追放……?

 あれは何だったんだろう。大学の空き時間、図書室で勉強をしようとしていたオレは、ふと先日のことを思い出した。

 街を破壊する巨大な黒い竜と、それと戦っていたと思われる高校生くらいの女の子のことだ。

 

 あれから数日が過ぎている。

 ニュースでは都市の一角でいきなり建物が爆散し倒壊したと連日騒がれている。その場所というのが、オレの記憶が正しければ、あの黒竜が暴れていた場所のはずだった。まあ、オレも黒竜のことは遠くから見ただけで、正確な位置は正直なところ分からないので、「その辺のような、そうでもないような……」といった程度のものである。爆発自体はともかく犠牲者はいない。関連性もありそうでなさそうな、微妙な感じではある。しかし関係ありそうな気がしてならなかった。

 一体、アレはなんだったんだろう。単なる偶然の可能性の方が高いだろうが、しかし立て続けに非日常を目の当たりにしたことが理由か、オレの中で萎びていたはずの好奇心がむくむくと顔を出し始めていた。

 とはいえ、大学が忙しい、ようなそうでもないような微妙な感じを理由に、わざわざ調べに行こうとは思わなかった。

 ほんとのところは、調べに行った結果「何も関係なかった」と判断せざるを得なかった場合、寂しい現実を目の当たりにしてしまうので、それを忌避したというのもある。

 オレは転生したし、非日常は実は気づいていないだけでそこにある。そう思いながら生きていた方が楽しいというか、精神的に気楽なので、あるかもしれないし、ないかもしれないという状態で放置しておきたかった。

 

 オレは今、大きな黒い怪獣が暴れ回るパニック映画を見ている。大学の空き時間での視聴なので、当然大学内にいるわけだが、図書室にはDVDを見るためのブースがあるので、そこで暇をつぶしているというわけである。勉強しようと思って来たのだが、ふと目に付いて見始めてしまったのだ。

 

「しまった……」

 

 ふと腕時計を見ると、講義の時間がかなり過ぎていた。映画が思っていたよりも面白かったので、オレは熱中しすぎてしまったのだ。ならば仕方ない。オレは講義のことは忘れることにして、一時停止していたパニックホラー映画を再生した。後で同じ講義を取っている友人から今日の授業の内容を聞いて、家で勉強しよう。

 

「ふう……」

 

 そうしてオレはパニック映画のシリーズを完走し、一息ついた。ずっと座っていたので腰が少し強張っている。ヘッドホンを取って立ち上がり、伸びをする。そして荷物を纏め、借りたDVDを返却するために受付へと向かった。

 

「雷留様、こんにちは」

 

「ん? やあ、明日香さん。こんにちは」

 

 映画ブースから離れ、DVDを返却し、図書室の出入り口へ歩き出したオレに声を掛けて来た女性がいた。この人は朝光院(ちょうこういん)明日香と言う名の女性で、オレと同じ学年で、同じゼミを取っていて、同じ講義を受けている、何とも奇遇な人である。オレは彼女を見て、いつものように言った。

 

「今日も素敵な髪型だね。こだわりを持って手入れしているのが分かるよ」

 

 彼女は銀髪ドリルだった。いわゆる縦ロール、お嬢様御用達の髪型である。服装もお嬢様御用達のドレスっぽいものだ。靴もそう。

 上から下まで見た目全部凄いが、オレは彼女との初邂逅のとき、なによりその髪型に衝撃を受けた。顔も整っている女性だが、何よりもその髪型に視線が吸い込まれてしまう。そして、それは今でも同じだ。会うたびにすげえ、と感嘆の吐息が出る。毎日(会うわけではないから、本当に毎日かは分からないが)、彼女の髪型はいつも決まってこれだった。寸分違わぬセット。左右で長さの誤差は数ミリも(数ミリの誤差なんて分かるわけないが)無いと思わせるほどに手入れされた艶やかな髪は、頻繁に美容院に通っている証だろう。銀色が地毛と言うことはないだろうから、染めてもなおこの艶やかさ。素晴らしいキューティクル。どれほど手間暇を掛ければそれほどの髪を維持できるのか……。それはきっと凄まじい努力の賜物だろう。その情熱に、オレは敬意を示さずにはいられない。何故ならオレは髪なんて数か月に一回切る程度だし、風呂上がりに髪を乾かすなんてこともしない不精だからだ。

 

「ありがとうございます。わたくし、雷留様に褒めて頂けると、本当に嬉しいんですのよ」

 

 僅かに頬を染めて微笑む姿はまさに優雅なお嬢様である。図書室であるからか、小声なのも気配り上手な印象を受けてポイントが高い。オレは普通に喋ってしまったので、反省すべきだろう。図書室なんて普段来ないため、そういうマナーを忘れてしまっていた。

 

「そう? オレも本心から言ってるから、素直に受け取って貰えると嬉しいよ」

 

「ええ。雷留様が素直でいらっしゃるのは、わたくし存じていますわ。今も……うふふ」

 

 明日香さんは、と小さく笑う。オレの声量がさっきと比べて小さくなったことで、彼女の声を聞いたオレが、ここが静かにすべき場所だということを思い出したことに気づいたのだろう。それが面白かったようだ。

 

 しかしまあ、なんともお上品な笑い方である。前世のオレの周りにいた女性たちは、「ちょーうける!ケラケラ」みたいなタイプしかいなかったので、新鮮だった。

 

「それに、雷留様のお言葉ですもの。わたくし、信じたい、とも思っています」

 

「そう……?」

 

 信じているとか、疑ってないとか、じゃなく、信じたい、というのは彼女独特の、奇妙な言い回しである。オレはここに毎回引っかかりを覚えるが、まあ口癖だろうといつものようにスルーした。

 しかし、本当にすごい。尊敬に値する。だってそうだろう。毎日だぞ、まいにち(毎日かは分からない)。それでいて、優雅で気品あふれる立ち振る舞いで、毎日こんな大変そうな髪型のセットをしていることをひけらかさない。大変アピールも、毎日頑張ってますアピールも無い。そう在ることが当然のことだと言わんばかりに、彼女はただ自然にその髪型でそこにいるのだ。

 それだけ、彼女のファッションへの思い入れ、熱量は凄まじいのだろう。恐らくはムダ毛の処理や、プロポーション作り、そしてその維持にも余念は無いはず。それはつるつるの顔肌、白魚のような指先や整えられた爪を見れば、その努力の片鱗だけでも伺い知ることができるというものだ。

 ここまで来るともはや尊敬しかない。女性は美への向上心が凄いとは聞くが、ここまで一生懸命な人をオレは知らない。そして女性の知り合いなど数えるほどしかいない。何故ならば野郎といる方が楽しいからだ。ただ一つ懸念があるとすれば、それなりに仲良くさせて貰っている明日香さんに、オレの女性の基準が定まってしまうかもしれないことか。彼女が髪型一つとっても、美への意識が凄い人だと言うことは伝わったと思うが、世の中そういう人ばかりでもない。彼女はきっと芸能界、それも世界で昇り詰めることができるだろう逸材だ(とオレは勝手に思ってる)。そのうち芸能界デビューとかするんじゃなかろうか(と思っている)。他の女性を見て、明日香さんと比べてしまうような矮小な人間にはなりたくない。今のところなってないと思うが、気を付けるべきだろう。ノンデリにはなりたくないんだ。

 

 

 それはそれとして、(この髪型)凄いよなぁ。オレは彼女に会うたびに敬意を抱いている。講義でオレの視界に彼女の姿が映りこんでいると、どうしても「すげえ縦ロールだ……」と感心してしまう。

 時間もかかるだろう。セットのための道具とか、髪や肌の質を維持するための化粧用品みたいなのも必要だろう。オレには計り知れぬ努力をしているはずだ。

 いやあ、凄い。オレには出来ない。維持する努力と根性、そして決して髪型を変えないという彼女の固い意思に、オレは毎度心の底から敬意を表する。口に出すと長くなるし重そうなのでやめとくが。

 

「ど、どうしてそういうところだけ……っ」

 

「え? そういうところ? どういうところ?」

 

 彼女は急に視線を逸らし、俯いてしまった。しかもその肩は小さく震えている。

 

 え?

 なに?

 オレなにか変なこと言ったかな?

 でもオレ、「そう?」としか言ってないんだけど。それ以前は普通だったし。

 オレって「そう?」って言葉だけで明日香さんの気持ちをそんなに逆撫でしちゃうような奴なの?

 それとも、体調でも悪いのかな?

 でもそんないきなり震えだすようなことある?

 あるにはあるか……。

 

「明日香さん、大丈夫? ちょっと様子が……」

 

「い、いえ。なんでもありませんの。お気になさらないでくださいまし」

 

 彼女は腕を動かすと、自分の手の甲と指先を掌で覆うようにして、胸の前に置いた。まるで指先の震えを抑え、隠すかのように。そしてぎこちないような、それでいて嘘偽りないと思わせられるような笑みをオレに向けて来る。

 

「そう……?」

 

 何か隠したいことがあるんだろう。というか、これ以上深入りして欲しくない、みたいな感じかな?

 普通に心配だなぁ。でも本人が気にするなって言ってるしな……。男気で踏み込んでもいいけど、本当に踏み込んで欲しく無かったら申し訳ないからな。取り返しがつかなくなることってあるし。

 とりあえず今は様子見して、今後また同じようなことがあったら、でいいか。

 

「なにか悩みがあるなら相談に乗るよ。オレで良かったら、だけど」

 

「そ、それは……わたくしを心配してくださっている、と受け取っても……?」

 

「もちろん」

 

 明日香さんの恐る恐ると言った様子の言葉に、オレはすぐさま頷いた。

 明日香さんがそういう確認をわざわざオレにしてくるということは、悩みがあるということで間違いないのだろう。そして、悩みを打ち明けられる人間があまりいない、とも思える。

 誰かに縋りたいが、縋れない。信頼したいが、信頼できるかどうかわからない。頼っても良いのか、そうでないのか、悩ましい。オレは敵ではなくとも、寄りかかってもいい味方なのか、判別を付けかねている。そんな感じかな?

 なんとなくだが、そういった内心が今の言葉から感じ取れた気がする。

 結構重い話だったりするのかな?

 何も出来ないかもしれないけど、友人として話し相手くらいにはなれるか。だけどもし、縦ロールの維持が辛いとかなら、オレはどうすればいいんだ……。オレは彼女の縦ロールへの情熱と努力に敬意を表しているが、本心では彼女も縦ロールはもうやめたいなんて思っていたとしたら……。支えるべきか、受け入れるべきか……。

 

「ふふ」

 

 悩んでいると、目の前の明日香さんから小さく笑い声が零れた。

 

「雷留様のお気持ち、わたくし、とっても嬉しいですわ」

 

「オレの気持ち?」

 

「ええ。雷留様がわたくしを助けたいって思ってくださっていること……わたくしのことをとっても、とぉーっても心配してくださっていること……わたくし、強く感じましたの。ありがとうございます。でも、ご心配なさらないで? わたくしに悩みなんてありませんもの」

 

 彼女は嬉しくてたまらない、という感情を、その笑みを使い表情全体で示している。彼女の中にあった迷いか悩みか、抱えていたものに区切りがついたのかもしれない。

 だからオレは小さく息を吐きながら、こう言った。

 

「そっか。それなら良かった」

 

 オレはほっとした。彼女の表情的にも、瘦せ我慢とかではなさそうだ。

 オレがしょうもないことで悩んでしまったという事実は今は消し去るとして、オレが明日香さんのことを心配している、ということが伝わったのは良かった。人間、心配してくれる人が近くにいるってことを感じられれば、勇気とか活力みたいなのが湧いて来るからな。マジで。そしたら自分で納得できる答えも出て来るだろう。オレも混乱してるときは弁護士先生に助けられたし。

 そうであれば、とオレはこう言った。

 

「さっきも言ったけど、何かあれば相談に乗るからね。それじゃあ、またね」

 

「えっ」

 

「え?」

 

 オレのあっさりとした別れの言葉に、明日香さんはきょとんと瞳を丸くした。ハトが豆鉄砲喰らった、みたいな。なんでそんなに驚いてるの。

 だって、オレと明日香さんは図書室でたまたま鉢合わせただけだ。彼女は図書室に何かしらの用があってここに来たんだろうが、オレは用事を終えて帰るところだった。お悩み相談も無いならここでさよならするのが自然な流れだと思うんだが。

 それともまだ何かあるのかな?

 そう思い、オレはこう言った。

 

「やっぱり、話があるのかな?」

 

「そ、そうですわね。ええ。ええ。そうですわね。少し、悩みを聞いていただけたら、と思います」

 

 そう言った彼女の眼が僅かに泳いでいたのをオレは見逃さなかった、が、自分で「悩みなんてない。大丈夫」と言い切った手前、改めてオレに相談を持ち出すのが気まずかったのだろう。オレにも、彼女は大丈夫そうに見えたが、実際はそうでなかったらしい。見誤った結果だが、まあ、ままあることだ。ともかく、彼女に「相談するに値する人間」だと思って貰えたことは、信頼の証として喜ぼう。

 

「ここじゃなんだから、どこか場所を変えようか」

 

 オレは率先して歩き出した。オレの少し後ろに彼女が続く。図書室を出て、構内を歩く。その途中、オレは後ろにいる彼女に話しかけた。

 

「隣、歩かないの?」

 

 後ろに付かれると話しづらいので、隣に来るように明日香さんへ伝える。すると明日香さんはこう言った。

 

「よろしいのですか?」

 

 よろしい、とは一体?

 並んで歩くことに良い悪いなんてあるのか?

 隣を歩くんじゃねぇ、なんて100年前の亭主関白な男でさえ言わないと思うんだが。それとも、そういう教育をされてきたのだろうか。男の隣を歩くな、みたいな。

 なにそれヤバイ。そんな家こんな時代にあるの?

 見た目完全に西洋のお嬢様なのに、間違った大和撫子育成機関みたいなところで厳しい修業でも受けてたのかな?

 そこでオレは気づいた。恐らく、悩みと言うのはそれだ。だから彼女は最初渋ったのだろう。男の隣を歩くな、なんて教育をされるような場所にいたのだとすれば、男に悩み相談なんて出来るはずもない。そんなことはするな、と教わっている可能性もある。だとすればこれは由々しき事態だ。

 オレは立ち止まった。彼女もまた立ち止まる。一歩歩く。彼女も一歩歩いた。オレと彼女の距離は変わらない。背中越しにそう感じる。

 

 だからオレは振り向いた。そして彼女を安心させるように微笑み、気持ちを伝えた。

 

「並んで歩こう。その方が話もしやすいからね。どこに行くかとか、歩きながら決めようよ。明日香さんが嫌じゃなかったらだけどね」

 

「嫌だなんて、そんなことあるはずがありませんわ」

 

 立ち止まっているオレに、彼女は一歩、二歩、三歩と近づいて来る。そしてもう一歩を踏み出して、彼女はオレの隣に立った。

 オレは思った。

 なんか普通に寄って来たな、と。オレの考えが正しければもっと忌避したりすると思うので、どうやらオレの取り越し苦労だったようだ。

 にこにこしてオレを見上げて来てるし。ちなみにだが、彼女は女性の中では背が高い方だが、オレは男性の中でも背が高い方である。

 

 何だったんだろう、と思いつつ、まあいいかとオレは進行方向を戻し、歩き始めた。彼女もまた歩き出す。

 大学を出たオレだが、オレは大学周辺の地理に詳しくない。オレが大学と家を行き来するのは電車とバスで、バスは駅から大学への直通だからだ。そしてオレは大学から駅の途中でバスを降りたことはない。よって相談を受けるに都合が良さそうな場所も知らなかった。

 そこでオレは恥を忍び、明日香さんに質問をした。

 

「明日香さん、どこか良い場所を知らないかな? オレはこの辺の地理に疎くて」

 

「雷留様はバスでの移動でしたものね」

 

「そうなんだ。それに、オレは外の景色もあまり見ないからね」

 

「では、携帯電話を?」

 

「そうだね。ずっと弄ってるかも」

 

「現代っ子、ですわね」

 

 明日香さんは口元を伸ばした指先で隠しながら笑った。徹底したお嬢様な所作に、感心する。見た目高飛車系だけど、立ち振る舞いは深窓の令嬢って感じだ。

 

「そう言えば、雷留様はお車の免許をお持ちだとお聞きしましたが」

 

「そうだね。車の免許は持ってるよ。持ってるけど……あれ? それ、明日香さんに言ったかな?」

 

「……」

 

 明日香さんは微笑みを浮かべたまま黙ってしまった。蝋人形みたいに、表情が微笑みで硬直し動かない。数歩進んでも変わらない笑みに困惑したオレが立ち止まれば、彼女もまた立ち止まった。やはり微笑みはオレに向けられたまま動いていない。

 彼女の頬を一筋の汗が流れた様に見えた気がした時、彼女が口を開いた。

 

「ええ。そうですわ。雷留様が、田辺さんとお話しされていたところをお聞きしてしまいまして。申し訳ありません。盗み聞きのような真似になってしまって」

 

「ああ、そういうことか。大丈夫。気にしなくても良いよ。そういうことはままあるし」

 

「ありがとうございますわ」

 

 にこり、と明日香さんが微笑む。

 田辺、というのはオレの友人のことだ。初年度で講義を取りまくって後半は遊ぶという考えから、現在地獄の講義三昧の日々を送っている。今日も朝から晩まで講義のはずだ。それはそれで賢いやり方なのかもしれないと思うが、オレは適度にやりたいので、講義はぽつぽつと取る形にしている。

 それは良いとして、話は車の免許についてだったな。話を切ってしまったオレは明日香さんにこう問い返した。

 

「ごめんね。車の免許の話だったね。それがどうかしたの?」

 

「はい。お車はお持ちではありませんの?」

 

「車? まだ持ってないけど、買おうとは思ってるよ。ただ、気に入った車が無くてね。高い買い物だし、初めての車だし、ちゃんと吟味したくて。新車にするか、中古にするか……軽自動車か普通車か、それもまだ決められてないんだ」

 

「どのようなお車にしたいか、なども?」

 

「そーだねぇ。四角いのが良いかなってのは、漠然と思ってるよ」

 

「角ばったお車がお好みですか?」

 

「カッコいいかなって」

 

「角ばったもの……。では、色はいかがでしょう? 赤や青、黄色などお好きな色はありますか?」

 

「好きな色、か。特にこの色が良いってのは無いんだけど」

 

「好きな色は無い……。では、赤と緑でしたら?」

 

 この子なんかやけに質問してくるな、と思いつつ、何か意味があったのことだろうと考えて、オレは話を続けることにする。もしかしたら相談するにあたってオレの人となりみたいなものを探る、最終段階かもしれないし。

 

「どっちでもいいんだけど……赤と緑なら、緑かな」

 

「では、赤と青でしたら?」

 

「うーん……。青?」

 

「では、青と緑でしたら?」

 

「あー……。難しいな」

 

「では、雷留様。今日の空は快晴ですが、今日の空は雷留様にとってどのように映りますか?」

 

「空? 綺麗だなって思うよ」

 

「でしたら、雷留様はいわゆる空色、がお好きなのかもしれませんわね」

 

「そう言われたらそうかも」

 

 明日香さんのなんかの心理クイズだったのかな?

 明日香さんにそう言われると、妙に納得してしまった。

 

「四角くて空色のお車、まずはそれで探してみませんこと?」

 

「そうだね。車と電車の乗り継ぎも疲れるし、いいかもしれない。ありがとう、明日香さん」

 

「そんな。わたくし、雷留様のお役に立ててとても嬉しいですわ!」

 

 オレはちょっと嬉しくなって明日香さんに微笑みかけた。明日香さんも嬉しそうにはにかんでいる。

 そうしてオレがどんな車を買いたいか、という話を掘り下げていくうちに、気づけば駅が目前に迫っていた。

 

 まずい、とオレは思った。明日香さんの相談に乗るはずだったのに、いつの間にかオレの車選びの相談になってしまっていたのだ。

 言い訳をさせて貰えば、オレは話の途中でちょくちょく明日香さんの悩み相談に話を持って行こうと、話題を変えるための言葉は発した。だが明日香さんはそれを退けて、オレの車の話に話を戻してくるのだ。そうしているうちにここまで来てしまった。歩いたのは1時間と少しくらいだと思う。

 だが相談に乗ると言って遂行できなかったのは事実であり、オレは明日香さんに気持ちを伝えた。

 

「ごめんね。悩み相談に乗るって言ったのに、ここまで結局歩いて来ちゃった」

 

「そんな。謝らないでくださいまし。わたくし、雷留様とのお散歩、とても楽しかったですわ」

 

「そう? でも、どうしようか。この辺でもよければ、今から話を聞くけど……それとも……」

 

「あ! わたくし、思い出しましたわ! 南口を少し行った先に、おしゃれなカフェを見掛けましたの。雷留様さえよろしければ、そちらに行きませんこと?」

 

「カフェ? 良いの? 周りに聞かれちゃうってこともあるかもしれないよ?」

 

「大丈夫ですわ」

 

 大丈夫なんだ。実は大した悩みじゃないのかな?

 ともかく、今度は明日香さんに先に行って貰い、オレは付いていくこととなった。

 カフェに着くと、明日香さんは勝手知ったるとばかりの足取りで店の最奥までスタスタと歩いて行く。

 

 これ絶対この店の初心者じゃねぇだろ。見掛けました、じゃねえ。この子、通い慣れてやがる。

 と思いつつ、オレは彼女に付いて行き、席に座った。

 立てかけられたメニューを迷うことなく手に取った明日香さんはオレに二つあるメニューのうち、一つを差し出して来た。それを受け取ったオレはメニューを開き、目を通す。

 少ししてオレはメニューを閉じ、元あった場所に戻した。明日香さんも同じタイミングでメニューを戻したため、オレは一声かけて呼び鈴を鳴らした。なんとも耳心地のよい音色であった。

 すぐに来た店員に、オレはこう言った。

 

「アイスコーヒーと、モンブランを」

 

「わたくしも同じものを」

 

 かしこまりました、と店員は行儀よく丁寧に頭を下げて去って行く。

 

「同じものなんて奇遇だね」

 

「ほんとう。奇遇ですわね」

 

 奇遇だ。

 明日香さんは微笑んでいる。雅だ。

 が、お悩み相談が本題である。少し待って注文品が届いてから、オレは明日香さんに問いかけた。

 

「それで、明日香さんは何を悩んでいるの?」

 

「実は……わたくし、皆さまよりも年が上なのです」

 

 なるほど、とオレは頷いた。明日香さんは浪人生だったか。 

 だが気にするほどのことかな。大学生ってそんなもんじゃないのか?

 しかし女性ならではの悩みということかもしれない。失礼を断って明日香さんに聞いてみれば、現役合格の人達よりも一年上というだけだった。

 なんならオレなんてダブりどころかトリプルなんだけど。一応だが、安心させるためにオレはその事実を明日香さんに伝えると、明日香さんはそのことは知っていたと答えた。

 

「実は、それで雷留様に興味が湧きまして……」

 

「うーん。オレがみんなより2つ年上ってことを知って気になったってこと?」

 

「はい……」

 

 明日香さんが申し訳なさそうな表情をしている。何故そんな表情を浮かべるのか疑問だ。

 確かに、彼女とオレの接触は大学に入学して数日、どんな講義を取るか悩んでいる際に、彼女の方から話しかけてきたのが始まりだった。そのとき、既にオレが年上だと知っていたのだろう。別に隠してもいなかったし、友人の田辺とそう言う話をしたこともあるので、例によって聞こえていたのかもしれない。

 

「なるほどね。それで、同じ悩みを抱えているかもしれないオレに、その悩みを打ち明けてみよう、と思ったわけだね?」

 

「そういうこと、ですわね……」

 

 彼女はやはりどこか申し訳なさそうにしている。

 よく分からないが、不安の表れなのかもしれない。だとしたらオレが伝えるべきことはこうだろう。

 

「オレは別に歳が上ってことに負い目なんてないし……明日香さんも気にしなくていいんじゃないかな? 大学もそうだけど、学ぶことに年齢なんて関係ないよ」

 

「そうですわよね。わたくし、気にしないことにいたしますわ。雷留様、ありがとうございます。わたくしスッキリしましたわ」

 

 明日香さんは快活な笑みを浮かべた。

 なんか思ったより呆気なく悩みが解決したような……。

 拍子抜けだが、良いことではある。よかったよかった。

 

「役に立てたみたいだね。良かったよ」

 

「はい。重ね重ね、ありがとうございます」

 

 明日香さんは小さく頭を下げた。上下する縦ロールが気になっているオレに、明日香さんはこう言った。

 

「あの雷留様、よろしければ今日のお礼を差し上げたくて。次の日曜日、よければ雷留様のお時間をわたくしにいただけませんか?」

 

「日曜日? 特に用事もないし、構わないよ。けど、お礼なんて別に良いよ。オレは何もしてないし」

 

 実際、オレは何もしてない。本当に。謙遜でもなく。だって「気にしなくていいんじゃない?」って言っただけだし。しかし明日香さんは納得できない様子で、強めな語気でこう言った。

 

「わたくしは気にしますわ。雷留様。わたくしを恩義に報いない女にするおつもりですか? 雷留様。わたくしを助けると思って……」

 

「そこまで重く考えなくてもいいんじゃないかな?」

 

「……読めない」

 

 明日香さんが小さく何かを呟いた。聞き取れず、問いかけ直したオレに、明日香さんは首を振って「なんでもありませんわ」と小さく答えた。そして不安げにこう続けた。

 

「ご迷惑、でしょうか? そうでしたら、わたくしも……」

 

 尻すぼみに言葉を途絶えさせた彼女の様子を見て、オレも何故か悪いことをしている気になって来る。根負けしたオレは、実際嫌と言うわけではないので、了承を伝える。そうすると、彼女は満面の笑みを浮かべて喜んだのだ。

 だが、突如として彼女の表情が強張り、眉間にしわが寄った。こんな明日香さんの姿は初めて見たので、オレは首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「いえ……」

 

 オレの問いかけに対して、明日香さんは意識の浮ついたような返事をした。目線はオレではなく、オレの後ろの方、店の入り口へと向いている。オレは身を捻って後方へと体を向ける。黒い服の男たちがこちらへ向かって来ているところであった。

 

 オレはこう思った。

 ええ、なにあのシークレットサービスみたいな連中。

 

 確かに来店あるいは退店を告げる鈴の音が鳴ってはいたが……。あの黒服、もしかして明日香さんのボディガードとかかな?

 在りえる。この子めちゃくちゃいいところのお嬢様って感じだし。

 

 なんだろう。この非日常が始まった感じ。既視感があると言うか……。少しばかりオレの精神の高揚が始まったのを感じる。

 ずかずかと連なり近寄って来た黒服の男達が、オレ達の傍で立ち止まる。そして規則正しい動きで、入り口からオレ達の傍まで一列に横並びになった。

 

 オレは困惑した。

 なんだ。何が始まるんだ。

 想像できることと言えば……例えば赤い絨毯でも転がして敷き、明日香さんにお迎えに上がりました、なんて言ったりするとか?

 

 からんからん、と再び誰からの来店を告げる鈴の音が鳴る。オレが視線を向けると、何やら着飾った若い男と、明日香さんに勝るとも劣らない綺麗なドレスを着た女が腕を組んで入店して来たのが見えた。そしてこちらへと歩いて来る。さすがに赤い絨毯は無かったか。

 

 腕を組んだ男女はオレ達の傍で止まると、オレを一瞥した後、目を細めた。見下すような嘲笑を向けられて気分が悪い。男女はすぐにオレから視線を外した。興味無さそうに、あるいはいないものとして扱うかのようにだ。そして今度は明日香さんを見つめる。

 座っている明日香さんは静かに男女を見上げて、こう言った。

 

「わたくし、今忙しいんですの。後にしてくださらない?」

 

 この男女はやっぱりというか、明日香さんの知り合いらしかった。まあ見た目御曹司とどこぞの令嬢っぽい組み合わせだ。明日香さんの知り合いじゃないわけがないだろう。これで全くの他人だったら逆に面白い。

 男女は愉悦を滲ませた嘲笑を浮かべ、見下すような視線を明日香さんに向けて、こう言った。

 

「明日香。君の素行不良は目に余る。よって、君との婚約を破棄することにした」

 

「あら、まあ」

 

 明日香さんはわざとらしく驚いた様子を見せ、口元を指先で覆った。

 

「では、そちらの方と婚約を?」

 

 明日香さんはどこか楽し気だ。しかし苛立たしげでもある。男女のうち、女性には憐れみを、男性には苛立ちを向けているようだ。

 どうしたものか、とオレが男女と明日香さんの間で視線を彷徨わせる中、男はこう言った。

 

「そうだ。彼女は素質が高く、気立ても良い。君のような下劣な女とは違ってね。君はぼくの好みの格好もしないし、ぼくの神経を逆なでばかりする。そんな君を反省させるため、父上に君を下界へと追放させたが……他に男を作ろうとは、とんだ阿婆擦れだ。君は不快だよ。とてつもなくね。よって、君をこのまま下界へ永久追放することとした」

 

 御曹司君が言った。それに続けて、お嬢様が口を開く。

 

「あなたのような出来損ないは不要と言うことよ。わたしが、彼の妻になるの。阿婆擦れは消えてくれるかしら?」

 

 明日香さんへの心の無い煽り。腹が立つな。

 同時にオレは思った。

 

 ―――あ、悪役令嬢追放もの、だと……?

 

 驚いた。魔法少女、かと思えば、現代バトルファンタジーモノだったはずだ。しかしここにきてこの展開は、間違いなく何らかの物語と考えて間違いないはず。だとすれば一体これは……。あの黒髪の女と黒竜の一件にどう繋がる?

 気になる言葉もあった。下界、素質。なんだ? 明日香さんは確かにきれいな人だが、まさか天界の天女とかそういうのだったりするのか?

 それとも、あれはやはり白昼夢で……。茶々ちゃんと明日香さんが本筋だとすれば……どうだ?

 いや、魔法少女と悪役令嬢追放系が重なり合うヴィジョンが……。

 

 気づけば、店内がざわついている。他の客や店員が注目している。良い見世物のようだ。実際、この男女は見世物にすることで明日香さんを辱めようとしているのかもしれない。

 

 ……。

 ところで、オレはどんな立ち位置なんだ……?

 婚約破棄の理由にするための間男……?

 ここにオレを連れて来たのは明日香さんだから、つまり明日香さんに利用されたということだろうか?

 それは別にいいけど……。なんというか、後日この御曹司君に闇討ちとかされないだろうか。

 

「うふふ」

 

 突然聞こえた鈴の音のような笑い声は、明日香さんのものだった。

 意識を戻されたオレは明日香さんへと視線を向ける。

 

「よろしいのですか? わたくしは構いませんが、きっと後悔なさると思いますわよ?」

 

「後悔? 後悔があるとすれば、君のような阿婆擦れが僕の婚約者だったという汚点だけだ。だがそれも、君を追放すれば、無かったことになる」

 

「そうですか。それは良かったですわ。では、よい最期をお迎えくださいませ」

 

 明日香さんは自分の顔の前で両手の指を絡め合わせると、小首を傾げ、にこり、と微笑んだ。御曹司君の顔が分かりやすく怒りに染まる。

 

「本当に、腹立たしい女だ。おぞましい売女め。我らの恥さらしもいいところだ」

 

 御曹司が吐き捨てるように言った。

 さすがにオレも黙ってはいられない。オレは立ち上がった。友人を目の前でここまでコケにされて、黙っていることは出来ない。あとからオレが「うーん、あのとき知らんぷりしてたのさすがに薄情過ぎるよなぁ」と後悔するからだ。

 だからオレは御曹司を見つめて、こう言った。

 

「君はとても失礼な人だね。歪んでいて、醜悪だ」

 

「なんだと?」

 

 御曹司が不快気に表情を歪め、オレへと視線を寄越す。

 

「目障りだ。消えろ」

 

「彼女に謝るんだ。彼女を傷つけるようなことを言ったことをね。オレも友人を目の前で侮辱されて、とても不快にさせられた」

 

「……なんだと?」

 

 御曹司は驚いたように言葉を零しながらオレを見て、こう続けた。

 

「もう一度命ずる。消えろ」

 

「君が彼女に謝ってくれたならそうするよ」

 

 オレがそう言うと、御曹司は戸惑ったように視線を揺らしている。

 なんか最近こんな感じのやり取りをどこかでしたような気がする。

 

「……バカな。下界の者が何故オレに……」

 

 御曹司は恐怖すら感じている様子で僅かに後ずさろうとするが、女と腕を組んでいるためにその場にとどまった。御曹司の喉奥から、く、と小さく苦悶の音が零れた。

 

「いや、そうか、下界だからか。だとすれば……っ!!」

 

 御曹司は怒っている。普段からおべっかを使われて担がれて生きて来たのだろうか。歯向かってくる存在が許せない様子だ。

 気になるワードは多々あるが、見た目的にも確信を持てるのは、こいつが金持ちだということだ。金持ちを敵に回すのも面倒くさいが、オレには別に守るべきものなんてないので、問題はない。

 御曹司は令嬢の腕を弾き、突き飛ばした。令嬢が小さく悲鳴を上げる。野蛮だなぁ。

 御曹司は赤色に染まり始めた瞳でオレを睨みつけて来る。オレもまた、睨みはしないものの、御曹司をじっと見つめ返した。

 

 ……ところで、赤色に染まり始めた瞳って何? さっきまで明日香さんと同じように薄い茶色っぽかったよね? 急に色が変わるカラコンなんてあるの?

 

 自問自答だが、オレはこう答える。

 そんなカラコンがあるわけがない。いや、あるかもしれないが、これはそうじゃないだろうということは分かる。

 『下界』だの『追放』だの、今日日どんな金持ちでも言わないようなワードだろう。繋げ合わせれば、自ずと答えは見えて来る、気がする。彼らは天上に住まう天使、とかそういう感じの存在なのかもしれない。神じゃないだろうなと言うのは分かる。何故なら神々しくないからだ。だが、それなりにやんごとない存在のような気はする。

 

 そんな人?相手に歯向かって、オレはこの後どうなってしまうんだろう。別に後悔はないが……。まあ、なるようになるか。しょうがない。

 

 御曹司の瞳が深紅に染まり切り、妖しい輝きを放ち始める。

 

 なんか不穏な感じになって来たな……。とんでもないことが起きそうな予感がする。

 オレはただ謝って欲しいだけで、御曹司と口論をする(たたかう)気なんて全然無いんだけど……。喧嘩とか苦手だし。

 だけど……アレはあまりにも酷い言葉の羅列だった。あんなものを叩きつけられた明日香さんの心は、どれだけ傷ついただろう。それを思うと、オレはとても胸が痛い。今は事なかれと見過ごして、後で明日香さんを慰めたりフォローするという手もあるだろうけど、オレはやっぱり、居ても立ってもいられなかった。何故かと言えば、御曹司にも言ったことだが、オレも十分に不快な思いをしたからだ。

 

 ようこそ、とオレを抱擁しようとする非日常のかいな、その気配を感じる。

 しかしそれは、とんとん、と突然響いた軽く乾いた音によって、霧散した。

 オレと御曹司が音の方を見れば、明日香さんがテーブルを指先で叩いている。視線を集めた明日香さんは御曹司の方へ細めた視線を向けて、こう言った。

 

「それ以上はおやめなさいな。ここでのそれは禁じられているはずですわよ。お叱りを受けるのではありませんこと? あなたは未だ、次期でしかないのですから」

 

「貴様ァ!!」

 

 明日香さんの言葉に、御曹司は顔を真っ赤にする。効いてるなぁ……。

 しかし強く握った握り拳を震えさせながらも、御曹司はオレ達に背を向けた。叱られるのが嫌だったらしい。現在の感情よりも、何やら知らないが定められた規則みたいなものを優先したようだ。

 御曹司が大きな歩幅で乱暴に歩き出した時、明日香さんは御曹司の背中に声を掛けた。

 

「よろしいのですか? 多くの方に見られましたが」

 

「どこまでも……ッ!! 父よ、約定に従い使用する! ―――忘れろ!!」

 

 明日香さんの言葉を聞いて、御曹司は苛立たし気に怒鳴り、店から出て行った。続いて、令嬢と黒服が続く。

 最後の黒服が出て行ったと思ったら、店内は何も無かったかのように元に戻った。こちらを見る人もいないし、店員も普通に業務に戻っている。

 

「なんだったの今の?」

 

 謝って貰いたかったが、まあ退散させたということでとりあえずは良しとしておこうと思う。

 仕方なく座り直したオレは、明日香さんの方へと向き直り訊ねた。明日香さんに気持ちを吐き出して貰い、少しでも心を軽くしてもらうきっかけになれば、と思った。

 しかし明日香さんは哀し気な瞳を空色に染めながら、こう言った。

 

「……雷留様。本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます。もう会うことはございません。どうか、お忘れくださいませ」

 

 意味が分からない。迷惑をかけてしまったので、これ以上迷惑を掛ける前に姿を消します、ということかな?

 いや、それはあまりに……なんというか友達甲斐が無いというか、寂しい選択ではないかな?

 呆然とするオレをそのままに、明日香さんは立ち上がった。そしてオレの隣を通り過ぎる際に、小さくこう言い残した。

 

「さようなら……」

 

 鈴の音が聞こえる。明日香さんは退店したようだ。

 小さくなっていく鈴の音を聞きながら、オレはこう呟いた。 

 

「何だったの今の……」

 

 残された二人分の伝票が、オレの財布を軽くした。




なんか思ってた以上に評価高くてびっくりしました。ありがとうございます。
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