対魔人戦略についての話を終え、とりあえず今日は解散することになった。
昼間まで寝ていたとはいえ、色々あってオレも疲れている。横になると、すぐに眠りについた。
翌朝目覚めると……なんだろう。不思議と良い匂いがした。
最初、神主さんが朝ご飯の支度をしているのかとも思ったけど、即座に否定する。食欲をそそるような匂いじゃなかったからだ。香水のような、違うような。花の匂い……。いや、芳香剤?
考えるも答えは出ず、疑問を抱えながら大学へ行くための支度をする。
着替えを終え、食堂へと向かった。
一昨日もそうだったけど、雅さんは既に食堂に居て、オレを迎えてくれた。
「おはよう。今日も早いね」
「おはようございます。東堂様をお出迎えいたしますのは当然のことでございます。どうぞこちらへおいでくださいまし。朝餉の支度は整っておりますゆえ」
雅さんが小さくお辞儀をし、掌でテーブルと椅子を示した。雅さんが示すオレの席には既に朝ご飯が用意してある。おいしそうだ。実際、雅さんの御飯って美味しいんだよね。初めて会ったときもそうだったけど。
一昨日の朝と同じなら、雅さんはもう食事は済ませているんだろう。
テーブルの上にオレの食事しか置いていないのは……神主さんや涼音がもう食べたというわけではなく、雅さんがオレの分の食事しか用意してないからだ。これは一昨日の朝もそうだった。
涼音や神主さんの世話をする気は一切ないらしい。徹底してオレだけを優先する姿勢には逆に感心するし、特別扱いされること自体には悪い気はしない。涼音や神主さんを蔑ろにしないなら、ではあるけど。雅さんは神社の家政婦というわけでは無いし、涼音たちの食事を作る義務も別に無い。だからオレの分だけしか朝ご飯を作っていないことを責めることは出来ないし、責めるつもりもない。ここで涼音たちが自分たちの分も作れと言うのなら、オレは涼音たちを窘める側に回らないといけないだろう。
涼音たちは雅さんを守ろうとしているし、涼音に関しては雅さんの境遇に多少の同情を感じているのは確かだろうけど、雅さんの方からすると涼音たちの助けは別に……って感じみたいだし。
オレ自身、一昨日の朝、雅さんの献身に対し、申し訳ないからと一度断ったんだけど、それを聞くつもりはないようだ。オレに絶対服従のようでいて、その実、オレの役に立つと雅さんが確信していることについてはオレの意見を聞かず押し通そうとするところは……実のところ好感を持っている。
しっかり自分を持っている、という意味で。
雅さんの割り切り方とかも、オレとしては嫌いじゃないんだよね。
ただ、雅さんの言動で嫌な思いをする人が居て、それがオレの目に入るようなら止めるし注意もするけど。それを見ないといけないオレが不愉快だから。
涼音との関係は……互いにぶつかり合ってるから別に良いかなって。どちらかが一方的にっていうならそれも止めるけど。見ないといけないオレが不愉快だから。
オレがテーブルに近づくと、雅さんは椅子を引き、オレが所定の場所に立つのを待っている。
「雅さん。そういうのはやらないで欲しい。ありがたいとは思ってるんだけど、あんまり細々とした気遣いはかえって居心地が悪くてね」
車のドアを開けて貰うというのは最初こそ新鮮で面白かったけど、ずっと続くとちょっとね。雅さんを使用人として雇用している形ならオレだって遠慮なくサービスを受けるけど、今は雅さんのサービスに対する対価をオレの方で用意できていない。雅さんをサポートするというのも今のところは口だけで、肝心の魔人襲撃時に不在という体たらくだ。かえって申し訳ないと思う。
「雅さんは以前、対価がどうと言っていたけど、逆だよ。オレの方が雅さんのそういった気遣いに対してかえせるものがない。心苦しいよ」
ただの親切だったり、現代ではなかなか見られないけど雅さんの忠誠心なんかが天元突破してるからオレの世話をしたくてたまらない、とかならそれはそれとして受け入れるけど、雅さんは明確に見返りを求めているわけだし、受けたサービスには対価を払わないといけない。タダより高い物はないのだ。
「……」
雅さんが考える素振りを見せる。
オレのことを気遣ってサービスを中止するかどうか考えている……と思いたいけど、どっちの方がオレの機嫌を損ねないかって方を考えてそう。
「……そのようなことは」
雅さんが言った。
「そのようなことはおっしゃらないで。お慕いする殿方の身の回りのお世話をさせていただくことは女の幸せに御座います。そもそも、わたくしは既に、東堂様によって救われた身……。どうかわたくしをお傍に……」
これだもんな。
断ったり遠慮しようとするとこれだもの。
魔人が余程怖く、オレの異変抗体を余程頼りにしているようだ。
以前、オレが不在のときに魔人を二人で撃退したり式神を使えるようになったりと、雅さん本人も強くなっているらしいのに徹底してこの態度を崩さないのは……上澄みの魔人達がそれほど強いということなのか。それとも、やっぱり今後のことを考えてオレの懐柔は続けたいということなのか……。
どちらでもいいんだけど、ただ気になるのは……。
「疲れない?」
「と、申されますと……?」
「涼音と喋ってるときの雅さんは素というか、自然体な感じがして楽しそうだから、オレに対して無理してたら哀しいと思ってさ。前も言ったけど、魔人関連については、どうあれオレは雅さんの味方をするよ」
「甘いよ、雷留君」
「涼音、おはよう」
寝ぐせでぼさぼさの長髪をそのままに、眼鏡をかけていない涼音が部屋の中に入って来た。話を聞いていたらしい。
「昨日見たでしょ? 雅はどこまで行っても妖怪なの。人類の危機ってことでわたしも味方をしてるけど、必要以上に気を許すのはダメ。あくまでわたしたちは人間と妖怪なの」
「涼音がそう思うのは自由だけど、それを本人の前で言うのはさすがに配慮に欠けるんじゃないかな?」
「雅の前だから言うんだよ。見張ってるぞって、釘は刺しておかないと」
「それは分かるよ。でも雅さんにそんなつもりが無かったら、いたずらに心を傷つけるだけになる。信じて貰えるかどうかはともかく、疑っていることを露骨に態度に出されることは辛いことだよ」
「雷留君は知らないから言えるんだよ。過去、妖怪たち……。特に妖狐のせいでどれだけの家庭や人間が破滅して来たか……。鈴院家の書物を貸してあげるから、雷留君も読んで。そしたらわたしの言ってることも分かるから」
鈴院家に伝わる書物によると、多くの妖狐というのはそうやって人を堕落させ、骨抜きにし、やがては精神的な立場を逆転させて人を服従させるものらしい。そして妖狐に屈した人間は、妖狐の餌を運ぶ働きアリとなり、破滅する。かつて鈴院家はそういった妖怪を祓っていたらしい。妖狐専門というわけではないけど、人のコミュニティに入り込んで悪さをする妖怪の悪行には詳しいようだ。
だからそういったことが詳しく書いてある古い書物を幼い頃から読み漁り、その思想に染まっている涼音は雅さんへのあたりが強くなるんだろう。
正直、堕落する人間の方もどうかと思うけど、水は低きに流れるとも言うし、甘い誘惑を断ち続けるというのは難しいことだ。
それはそれとして、やり方が迂遠というか、妖狐側の努力も凄いと思う。
強大な妖狐は昨日雅さんがやったように、そんな手間を掛けずに幻術を使ってさっさと人を洗脳したり、孤立した人間を幻術で巣に誘い込んで単に食べる妖狐もいたらしい。それが物理的にか性的にか、どちらもかは分からないし、妖狐を含めた妖怪は既に現代では滅び去っているので、確認はできない。
「……」
少し考える。
雅さんは目を閉じ、静かに佇んでいる。口を出す気はないようだ。
いつもなら、
「涼音ぇ……」
「雅ィ……」
なんて睨み合っている頃だろうに。
落ち着いて考えよう。
オレは雅さんを内心では信用していない。これは一貫している。だけどそれを露骨に態度に出すのは雅さんを傷つけるリスクを考えて控えている。だから涼音の言葉を否定して反論する気は無いし、だからといってすべてを受け入れる気もない。
オレだけは雅さんを信じる!
なんて気も無いし。
涼音の言葉にムキになって反論したり、感情的になって雅さんへ肩入れしても碌なことにはならない。
仲良くしてくれるのが一番ではあるけど、個別の感情や価値観を持つ者同士、みんながみんなそう上手くはいかないからね……。反発せざるを得ない二人が密接な関係を保たなければならない今の状況が悪いよ。
「分かった。涼音の言う通り、書物は読んでみるよ。ただ、オレが哀しくなるから、そういう忠告は雅さんのいないところでお願いできない?」
「雷留君……」
涼音がほっと息をついた。
オレもほっとする。受け入れてくれるようだから。
四人のコミュニティで、うち三人から疑心を向けられるって辛いと思うからね。オレも全部を信用しているわけじゃないけど、中立でいたい。判断を下すのは、雅さんという存在の心をもっと知ってからでも遅くは無いだろうし。
そんな雅さんは薄っすらと目を開け、横目に涼音を見ていた。色々と思うところがありそうな目だ。恨みが籠ってるような……。オレ達の仲違いを狙ってたとかじゃないよね……。そういうところで信用無くすんだよと思わないでもないけど、今のやり取りはそうなっても仕方ないところはあったと思う。
かと思えば、雅さんは哀し気な表情を浮かべて、こう言った。
「東堂様……わたくしを疑われるのですか……」
「雅、わたしはそれをやめろって言ってるんだ。気にもしていないくせに、白々しい」
「涼音ぇ!」
「雅ぃ!」
睨み合う二人。
やっぱり始まったよ。
霊力と妖力がぶつかり合っているのか、部屋がきしむ音がする。オレは何も感じないけど。
「あのー、二人とも、ヒートアップする前に聞いて欲しい。何をしてるかは分からないけど、それ、やめた方が良いんじゃない? クリック音っていうのかな、凄いし。少なくとも涼音は止めた方が良いよ。なにかが壊れて苦労するのは神主さんだからね。これ以上あの人の胃を壊さないであげて欲しい。雅さんも抑えて貰えるとありがたいかな」
魔人に襲われて娘と他人に全裸を晒し、1000年受け継がれてきたという家宝を失い、先祖伝来の結界が壊れ、神社の備品や社が破壊され、世界存亡の危機の只中に叩き落とされ、その対策に頭を抱えている神主さんにさらに苦労が増えると思うと胸が痛くなる。
というか、涼音は一人娘なんだから労わってあげてくれないかな。
妖怪退治屋になるっていう無謀な夢、強力な霊能者として生まれたからこその一般社会でのしがらみ、魔人に命を狙われるかもしれないという危惧……ただでさえ一人娘の涼音を案じてただろうに、さらに畳み掛けるように厄介事が増えたんだから。
せめて神主さんを支える奥さんが居ればと思うけど、ずっと前に離婚してしまっているらしいからなぁ。
涼音の親権を神主さんが持っているということは、余程別れた奥さんの方に離婚原因の非があったか、あるいは涼音の体質とかで夫婦間で何かあったか……。詳しく知らないし聞くつもりもないけど、神主さんの悩みは尽きないだろう。
可哀そうだよ、神主さん。その割には……というのは偏見だけど、髪は少なくないんだよね。
「うっ……」
涼音がバツの悪そうな顔をしている。
雅さんは、オレが言うなら、と佇まいを直した。
部屋のクリック音が止まる。
止めてくれたらしい。
「二人ともありがとう」
二人に笑いかける。
「雅さん、御飯、ありがたくいただくよ。雅さんの御飯は美味しいから、正直なところ、もっと食べたいって思ってるんだ」
「東堂様……」
雅さんが感激したように口元を両手で隠した。
「く……っ! わたしだって雷留君に……っ!」
料理が出来ないらしい涼音が悔し気に唸り、拳を強く握りしめた。
別にオレに……友達のために料理を作れないからって、それをそんなに悔しがる必要はないと思うんだけど、妖怪に負けるっていうのが癪に障るのかな。まあ……涼音の田辺に対しての態度を見るに、涼音の『友人』という概念と、その距離感がバグってることはオレも察してる。だけど、そこに恋愛感情は無い、と思っている。信乃ちゃんや律ちゃんのような感じはしないし。
「涼音。オレは妖怪とか霊能力とか……涼音が知っていることを何も知らないから、フォローしようとしてくれてありがたいと思ってるよ。思えば初めて会ったときからオレのことを心配してくれていたし、感謝してるよ。ありがとうね」
「雷留君……」
ほう、と涼音の吐息。
落ち着いてくれたようだ。
「それに、車も出して貰ってさ。本当に、頭が上がらないよ」
これはマジでそう。
オレも車かバイク買わないとな……。買おうと思えば買えるけど、そういうのはやっぱりちゃんとバイトで稼いでからにしたいところだ。お小遣いとして自己管理して貯めて来たお金は、タクシー代と電車代と病院代、お見舞い代で吹っ飛んだし……。
哀しい。
思えば、結果として奢ることになった明日香さんとの喫茶店代から妙な浪費は始まったんだよな……。
明日香さん……。
いや、さすがに八つ当たりだ。控えよう。
そういえば、明日香さんは今、何をしてるんだろう。あの人と御曹司みたいな奴との会話も、今から思うとめちゃくちゃ物騒なワードが飛び交っていた気がするし。連絡が取れないからどうしようもないけど、もし彼女の身に何かが起きていたらと考えると心配になる。元気でいてくれていれば良いけど。
涼音もオレのことを心配してくれてるんだってのは伝わった。
妖怪や魔人という常識を超えた存在が相手だからこそ、涼音も初めての友達を守ろうと必死なんだろう。異変抗体があるから大丈夫だと考えず、オレの心身を案じてくれることは嬉しいし、好ましい。
涼音の態度が必要以上のものなのか、適切なものだったのかは、いずれ分かることだろう。
☆彡☆彡
あの日、あたしの世界は終わった。もしかしたら、始まってすらいなかったのかもしれない。
男漁りをする母親は、常に家に見知らぬ男を連れ込んでいた。同じ男だったり、別人だったりしたけど、ともかく、あたしの……あの女の家に、男がいないという日は無かった。あの女の嬌声と、男の唸り声を聞かない日は無かった。
あの女は男から金を貰い生計を立てていた。あたしはその金で育った女だ。
汚い、と思った。
それがあたし自身のことなのか、あの女のことなのか、金のことなのか、男達のことなのかはよく分からない。ただ……汚いという強い思いだけがあたしの中にあって、あの女の家にいたくない、あの女の顔を見たくないって思った。だからあの女の家に帰ることは、中学になってからは少なくなった。
夜の街を歩いていたら、必ず男があたしに群がって来た。
いくらで寝るのか、そんな話ばかりだった。
一度、人の良さそうなおっさんについていったことがある。こんなおっさんでもこういうことすんだなぁって、落胆と呆れが強かったことを覚えてる。
おっさんと一緒にホテルに入り、おっさんの裸を見たとき、あたしは吐いた。
おっさんはうげぇ、と汚い声を出し、あたしの嘔吐にドン引いて、距離を取った。当たり前だと思うけど、何故かあたしは凄く哀しくなって……激昂した。
おっさん……ジジイは逃げるように部屋を出て、一人になったあたしは泣いた。
それから、あたしは男に期待しなくなった。
それからもあの女の家には帰らず、夜の街を彷徨った。
一度、でけぇ男に絡まれたことがある。
ナンパ。下卑た魂胆が露骨な野郎だった。
すげなく断ると野郎は激昂し、力ずくでものにしようと襲い掛かってきやがった。
レイプされる、という生理的な恐怖を上回る激しい怒りを感じ、気づいたとき、男は血塗れでその場に倒れてた。
そのとき、あたしは喧嘩が強いってことに気づいた。
それからも、夜の街を彷徨った。確信を持って。
はっきり言えば、声を掛けて来るジジイたちから金を巻き上げるためだ。
近寄って来るジジイ共は、一喝したらすぐに尻尾を巻いて逃げた。そんな姿が面白く、それだけでもあたしの中の何かが満たされる感じがした。
一喝しても喰いついて来る馬鹿を煽り、手を出させ、返り討ちにする。そうして金を巻き上げ、あたしは漫喫やらで寝泊まりし、飯を食った。
腹が減ったらあの女の家に戻り、飯を食って外に出る。そんな生活から解き放たれて、あたしは自由になれた気がした。
あんな……金のために娘を売ろうとしたクソ女の家にはいたくなかった。
気づいたら、あたしの周りには人が集まっていた。
身売りするしかなかった女たちが、あたしのおこぼれに与ろうとしてることには気づいていたけど……良い気分だった。
姐さん、姐さん、と年上年下問わず、あたしを崇め奉る女たち。あたしは男達から金を巻き上げ、女たちを養ってやった。男たちも、自分達より強いあたしに媚び、取り入ろうとおべっかを使っていた。中には善人ぶって聞こえの良い言葉を並べるカスもいたけど、結局はあたしの体目当てだった。強い女を抱いた……そんな称号が欲しかったみてぇだ。反吐が出る。
色んな奴らから持ち上げられて、あたしはいつしか……自分が何か特別な存在だって勘違いしてた。
いっちょ前に特攻服と木刀なんかも用意して気合いを入れて、親の金で飯を食ってる勘違いしてるチンピラ、ヤンキー、中坊なんかもぶちのめし、あたしは天下を取った気でいた。
あたしには……未来を見るって特別な力があった。
自分の危機を映し出す力だ。自由には使えねぇけど、何かをしようとしたとき、フラッシュバックするみたいに頭ん中に浮かぶ。
だからホントにヤバいことからは手を引いて、絶対に安全なことだけをして、好き勝手やった。
半年くらいそんなことをして……バカなことをしたと思うけど、あの女の所に帰った。
なんでかは分からねぇけど。なんとなく。
それが間違いだった。バカなことをしたと思ってる。
そのとき、あたしはレイプされるっていう未来を見た。
あの女が連れ込んだ男に。だけど帰った。
馬鹿だと思う。
本当に、バカだと思う。
あたしは……あの女を試した。
あの女があたしのためになにかしてくれんじゃねぇかって。
結果、血塗れで倒れている男を前に、あたしはあの女から罵倒された。
そのあと……また根無し草に戻ったけど、いつのまにか、気づいたときにはあたしの周りから人が消えていた。あたしに群がっていた女も、あたしを自分の女にしようと性欲丸出しのくせに口ではくせぇことを言ってた野郎どもも、みんな。
そのころから、妙なヴィジョンを見るようになった。
地球に隕石が落ちて……世界が荒廃し、暴力が支配する世界に変わるって未来を。
そればっかりが見えて、他に見えなくなった。
自暴自棄になって……好き放題やった。
きっと乱暴で横暴だったと思う。
あたしの周りから人が居なくなったのはそれだけが理由じゃねぇけど、それも半分くらいはあったと思う。
もう半分の理由が分かったのは、闇討ちをされて怪我を負ったとき。
いつも通り特攻服着て木刀持って、調子こいてる馬鹿をぶちのめすために、その馬鹿どもが溜まってるって場所へ向かったら、想像以上の人数が居て、あたしは背中から襲われた。孤立させるために、あたしの周りから人がいなくなるように細工してやがったんだ。そして誰も、あたしにそれを知らせなかった。それがあたしの築いた王国の答えだった。
意気揚々と現れてご高説を垂れたのは、あたしが半殺しにしたあの男。
そいつは半グレで、ヤクザにも通じてたらしい。
質の悪い暴走族まで動員しやがって、あたし一人を大勢で囲んだ。でも……あたしがこれまでぶっ飛ばして金を巻き上げて来たチンピラも混ざってたから、自業自得かもなって思った。
あたしは必死に戦って、包囲網から逃げ出したけど……動けなくなって蹲った。久しぶりに地球滅亡以外で見たヴィジョンは……ここに居続けるとすぐに見つかり、男達の慰みモンになるってもんだった。
必死でその場から逃げて、あたしは身を隠した。
昔世話をしてやった年上の女を頼って……売られた。
違和感を感じて逃げ出したから事なきを得たけど、あたしの中のなにかにひびが入る音がした。
街は見張られてる。
あたしは前の女より信用できる女を頼り、また売られた。
あたしは過去、一番世話をしてやった女を頼り……やっぱり売られた。
そのとき、あたしの中の何かが壊れる音がした。
途方に暮れていたとき、昔、気まぐれに助けてやった女と再会した。助けてやったというか、邪魔したというか。
桃香って名前の、電車に突っ込んで死のうとしてたバカだ。桃香はあたしを見つけると駆け寄って来て、聞きづれぇ小せぇ声でなんか言ってた。
こいつなら……と思って、半ば脅して家に転がり込んだ。
親が共働きで家に帰らねぇことが多く、しばらく身を隠せることも都合が良かったが……正直、桃香との生活は楽しかった。
けど、桃香とリビングで飯を食ってたとき、桃香の親が帰って来て、追い出された。桃香は泣いて縋ってくれたけど、言葉は無かった。桃香はあたし以外には口がきけない奴だった。
桃香が親にぶん殴られて、あたしは激昂して親をぶん殴った。そのときの、桃香の猫のように伸びた目、嬉しそうな顔は忘れられねぇ。
あたしは警察を呼ばれ、逃げ出した。
そして当てもなく、残った金で漫喫を梯子していたとき……桃香が攫われたことを知った。
あたしのせいだ。
あたしのせいで、半グレ共に目を付けられた。
あたしは桃香を助けるために単身で半グレ共の巣に乗り込み、男どもを半殺しにして桃香を逃がし……数に押され、敗けた。タイマンなら負けねぇのに。
腕を折られ、足を折られ、動けなくなったあたしは、あの半殺しにした男に……最低な形で女にされた。
あの半グレはきもちのわりぃ畜生野郎で、動けないなりに反抗したあたしを好み、唾を吐きかけられて喜んでいた。思い出したくもねぇ扱いをされて……そのうち、あたしん心は折れた。
あたしは半グレの女になった。
吐くほど嫌だった行為にもいつしか何も感じなくなり、自暴自棄に生理的な快楽に身を委ねた。
あたしは半グレから昔のような攻めたファッションを禁じられ、娼婦のように着飾り振舞うことを強いられ、やがてそれに違和感を持たなくなった。歳を偽って、あるいはそれが良いとそのままの歳を明かし……あの女と同じことをさせられるようになった。心は既に冷たく凍り付いていた。
外も中も、あたしという存在は消えていった。
それからしばらくして、ヴィジョンが実現した。
地球が滅び、世界が変わった。
遠くに引っ越したと聞いた桃香とは、遂に再会することは出来なかったが、それで良いと安心した。あたしの今の姿を、桃香には見られたくないと……変わり切った心の奥で思ってたから。
世界が終わり、新しく始まった。
そこでは超能力……特殊な力を持つ人間が増えて、世界は暴力が支配した。
あたしは運が悪いことに生き残り、もっと運が悪いことに、あの半グレも生き残り、強い力を得て、勢力を拡大していった。
王として君臨する半グレの横に、あたしは所有物として置かれた。あたしは勝ち取ったトロフィーだとよ。これまでで一番反抗的な女を屈服させた証だとよ。
反吐が出る。でも、あたしは死んだ目で、従順に半グレの言うことを聞く機械になっていた。
そして……ある日のことだ。
あたしが、昔の世界でならとっくに成人式を終えていただろう時代。歳を数えることもしなくなったが、たぶん、三十手前って頃。
暴虐の限りを尽くしていた半グレの勢力を打ち破り、あたし達の前に、たった一人の女が殴り込んできた。
昔、あたしが着ていた特攻服と木刀を持って、大人になった女が殴り込みを仕掛けてきた。
各地で半グレが従える構成員が次々に虐殺され、拠点が放火されているとは聞いてたけど、本拠地まで攻めて来るとは思っていなかった。
そして準備不足で女と女が率いる軍勢を相手取った半グレの勢力は崩壊し、ついにたった一人の女が、大将首目前まで迫った。あたしは半グレの盾として、半グレ野郎に言われるままにその女と戦い……敗けた。
最期はあっけないもので……半グレに文字通り盾にされ、あの女の超能力が直撃して瀕死の重傷を負った。
本当は分かってた。
あたしは、半グレの勢力が滅びない道を選ぶことも出来た。王のお気に入りとして、贅の限りを尽くす今の暮らしを続けることだってできた。
あたしには未来を知る力があったから。
だけど……あたしは。
この終わりが訪れることを願ったんだ。
「桃香……ごめんなさい……。私は……」
「えっ……? なぜ、オレの昔の名を……。お前、まさか……。信乃、ちゃん……?」
どうやら、桃香はあたしだって気づいていなかったらしい。
仕方がない。
あたしはあの頃からは見た目も、中身も、何もかもが変わってしまった。
そのあと、あの半グレと桃香がどうなったのかは分からない。
ただ、あたしは桃香の腕の中で、暗い世界へと沈んだ。その頬を伝う涙に、途方もない喜びと幸福を感じながら……。
☆彡☆彡
「信乃ちゃん、泣いてるね……」
「そうですね……。だいじょぶかな……」
見舞いに来たら信乃ちゃんが寝ていて、どうしようかなって思ってたら、桃香ちゃんが話しかけて来た。正直今までで一番ビビったまである。
ただ、桃香ちゃんが話せるようになったことは嬉しいね。良い声してると思う。
良かったねと、オレがはしゃぐと驚かせてしまうかなと思って自制し、あれからのことを話していたんだけど、寝ていた信乃ちゃんが急に眠ったまま涙を流し始めたものだから驚いてしまった。桃香ちゃんも心配し、同調してくれている。
でも、なんというか。アレだな。
普通に話が出来る桃香ちゃんに違和感がある、というと失礼だけど、まだ慣れないな。
聞くところによると、話せるようになったのは……病院前での信乃ちゃんの奮闘と、オレの放火未遂を見たときからということだ。消火器用意!って叫んだところ。
ええ……?
どういう心境の変化が……。
「捨て身になれば何でもできるって。そう思えたんですよね。ふふ」
そう言った桃香ちゃんの笑顔は、オレが知る誰よりもその……極まってたと思う。
責任感じるけど、強くなったのは良いことだ。いいね。もしも……アレが桃香ちゃんに悪い影響を与えたなら、感じる通り、責任は取ろうと思う。
「あ、信乃ちゃん。起きた?」
はっと飛び起きるように上半身を起こした信乃ちゃんが息荒く肩を揺らしている。
ぎこちない動きでオレを見る信乃ちゃんに、オレはこう言った。
「大丈夫? うなされてたみたいだけど」
「う……」
最初、呆然とこっちを見ていた信乃ちゃんだったが、急に顔をくしゃくしゃにして、目元に涙をためだした。
オレは足早に信乃ちゃんに近づき、軽くしゃがんで目線を合わせ、笑いかける。
「大丈夫だよ。もう怖いことは無いから。オレもいるし、桃香ちゃんもいる。シュークリーム、買って来たよ」
「う、わああああ!」
信乃ちゃんが飛びついてきた。
元気と言えば元気だけど、傷に響くから止めた方が……とも思いつつ、信乃ちゃんを受け止め、頭を撫でる。
よっぽど怖い夢を見たのか。
そうだよな。普通にトラウマになるような事件の連続だったもんな。
本当に、信乃ちゃんにはゆっくりと休んでもらいたい。
オレは信乃ちゃんの頭を撫で落ち着くのを待つ。
ちらと視線を送った先で、桃香ちゃんが満面の笑みを浮かべていたのが印象的だった。
何を考えてるんだろう……。