明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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巫女・妖狐 13

 魔獣が孵る際には予兆というのがあるらしいけど、オレは何も感じなかった。それは仕方ないとしても神主さん本人や近しい間柄である涼音からもそういった話は一切聞いていないから、予兆は直前まで無かった……ってことで良いと思う。

 

 そして瑠璃ちゃんの話では、魔獣は予兆が現れてから孵るまでの期間が短ければ短いほど強大な力を持つということだった。

 だとしたら、神主さんから孵る魔獣は、かなり強いってことになると思うんだよな……。

 

 一体何が始まるんだ……。

 

 涼音と雅さんは大声で呼んだし、きっとすぐに来てくれると思う。

 

 出来れば、魔法少女たちにも来てもらいたい。彼女たちは魔獣の発生を感じ取れるらしいし、今の状況をどこかで察知して駆けつけてくれないかなって。

 ただ……彼女たちとは三週間も連絡がついていない。そう都合よく来てくれはしないんじゃないかって言う予感はする。

 

 状況は進む。

 オレの目の前で、神主さんの腹から分離した肉の卵が砕け散り、中から何かが現れた。

 赤い体毛に覆われた、猿のような姿をしたやつだった。頭頂部にはサイのようなツノが生えている。

 

 鬼のような猿。

 

 神主さんに寄生していた魔獣がこんな姿をしているというのは、以前、神主さんが鬼の魔人に襲われたことと関係があるのか、単なる偶然か……。

 

「うきゃきゃきゃきゃきゃきゃぁあああああッ!」

 

 鬼猿が甲高い雄たけびをあげた。

 

 うるせぇな。

 思わず顔を顰めた。

 

 オレはそれだけしか感じなかったけど、魔獣の叫び声には何かがあるらしく、急に家が軋み始めた。猿の叫びが物理的に家屋に影響を与えているようだ。真上から塵や埃が降って来る。

 

「やめなよ。落ち着きな。叫ばないで欲しい。分かるかな? オレの言葉」

 

 通じるかも分からないが、鬼猿を宥めようと語り掛ける。

 これ以上、神社を壊すようなことはやめてあげて。神主さんがもう、持たない……。

 

「涼音ー! 雅さーん! 早くー!」

 

 家が壊れる前に来てあげて。

 

 二人を大声で呼ぶ。

 しかし、来ない。

 

 来る気配も感じない。

 足音も聞こえない。

 

 まさか聞こえてないのか?

 

 そんなはずは……涼音たちが居た居間と神主さんの部屋は中庭に隣する一本道の廊下で繋がっていて、そう遠くない。

 

 なんとなく、いやな予感がする……。

 

 そう思ったとき、家が大きく揺れ、轟音が響いた。

 その後、何か……乾いた木材が崩れ落ちるような音が聞こえてくる。

 

 家が壊れる音だ。

 

 だけど、目の前の鬼猿は特に何もしていない。

 何が面白いのか、仰け反りながら甲高い声で笑っているだけだ。

 

 つまり、音の発生場所はここじゃない。

 

 音は涼音と雅さんがいる居間の方から聞こえた。

 

 もしかして、向こうでも何か起きてんの……?

 

 たとえば……、こんなイヤなタイミングで魔人が襲撃をしてきたとか。

 

 そんなことある?

 それとも、魔獣と魔人が裏で繋がっていて……とか?

 

 分からない。

 

 というか、いくらなんでも人類の脅威多すぎんだろ。

 

 オレは鬼猿に背を向けて、駆けだした。

 神主さん、間に合ってくれ。

 

 魔獣の存在を知った人間に寄生して生まれるという、瑠璃ちゃんの話は正しかった。そしてその話には続きがある。宿主を喰らい、存在を消すという続きが。

 

 あの鬼猿を放って置けば、神主さんが殺される。

 

 目指すは居間の奥、台所。

 目的は包丁とホウ酸団子を手に入れること。さすがに拳銃とか猟銃とかは置いてないだろうし……刀とかないのかな?

 効果があるかはわからないけど、何か武器になりそうなものは。

 途中で涼音と合流したら聞いてみよう。そして涼音の車の鍵を借りよう。

 

 涼音、ごめんね。

 

 あまりやりたくはないけど、もしも他に手段が無いなら……涼音の軽自動車で魔獣に体当たりしようと思ってる。

 

「うわぁ……やっぱそうだったんだ……」

 

 神主さんの部屋から出て廊下を走る。

 居間の前を横切ろうとして、オレは足を止めた。

 襖が倒れて丸見えになった部屋の中に、まあ有り得ない大きさの蛇が蜷局を巻いて鎮座していた。ライオンのように顔の周囲を一周する鬣と、馬のような縦長の鬣を持つ大蛇だ。

 さっきの音と揺れはこいつが原因か……。大蛇の頭が天井を破壊したようで、木の板が居間の中で無造作に転がっていた。

 

 雅さんが廊下に近い場所で立ち尽くしていて、大蛇はしゅーしゅー、と舌を出し入れしながら、雅さんを見下ろしている。

 

「雅さん」

 

「東堂様……!」

 

 オレの声に雅さんが振り向いた。安堵の色が見える。

 

「この蛇は魔人?」

 

「い、いえ……。これは魔人ではありませぬ」

 

 雅さんは小さく言った。

 

 魔人じゃないのか。

 

 じゃあ、一体……。

 

 ふと気づく。

 

「涼音はどこ?」

 

「涼音……?」

 

「涼音」

 

「……?」

 

「……」

 

 雅さんが困惑した様子を見せる。

 演技には見えないし、こんなときにそんな嘘を吐く理由は無いと思う。

 

 それはつまり……。

 

 ふいに、魔獣に喰われた者の末路を思い出す。

 

 ―――世界からその存在が消える。 

 

 こいつ、魔獣か?

 

 だとしたら……。

 

「涼音、喰われたの……?」

 

 大蛇はしゅーしゅーと舌を出し入れして動かない。

 

 マジか……。

 でも、雅さんの反応からするとそれしか……。

 

 なんてことだ。

 涼音も魔獣に寄生されていたのか。

 

 オレのせいだ。

 オレが瑠璃ちゃんの話を真剣に考えていなかったから。

 

 関係者としての意識が希薄だった。

 自分が大丈夫だからと油断した。

 涼音たちなら大丈夫だろうと過信した。

 

 魔獣という存在の法則は、オレ以外の人間には確実に適用される。

 

 しかも、涼音のような、現代最高峰の霊能力者という肩書を持つ女性であっても。強いらしい涼音でさえ、魔獣にはこんな僅かな時間で捕食されるのか。雅さんだっていたのに……。

 

 魔人を撃退したこともある二人がいてこの有様って……もしかして魔獣って魔人よりヤバかったりすんの?

 

 雅さん。

 雅さんは大丈夫なのか?

 

 単に寄生されてないのか、人間じゃないから難を逃れたのか、それとも寄生はされてるけど、孵るタイミングが今じゃないだけなのか。

 ともかく、雅さんがいてくれれば選択肢が増える。急に雅さんからもなんか出てくるとかは止めてほしい。

 

 蛇の魔獣が雅さんをじっと見ている。ちろちろと舌を出し入れしながら、首を前後に動かしている。なんの動きなんだ。

 

 一方、雅さんは怯えていた。

 蛇を見据え、じりじりと後ずさりながらオレの傍に近寄って来る。熊に出会ったときみたいな動きだな……。目を離すなっていうやつ。

 

 怯えてるみたいだけど、こいつそんなヤバイのか?

 

 近寄って来た雅さんに問いかける。

 

「雅さん。あの蛇、倒せる?」

 

「……」

 

 雅さんは蛇から目を離さず、オレに背を向けたまま首を横に振った。

 

 無理らしい。

 

 大蛇がのっそりと首を持ちあげ、顔を雅さんに近づけて来る。

 オレは咄嗟に雅さんの肩を掴み、引っ張るようにして背に庇う。

 

 大蛇の首はぴたりと止まり、後退する。そしてまたオレ達の方へと首を近づけようとして、また首を後退させた。

 何の動きだよ……。

 

 というか、襲ってこないな。

 思えば、スーパーのときもそうだった。

 犬の魔獣は瑠璃ちゃんたちには襲い掛かっていたけど、オレのことは気にも留めていなかった。オレが体当たりしたときも、特に反撃もしてこなかった……。

 

 何か理由があるんだろうけど、今は……。

 

「雅さん、神主さんを頼める? 神主さんの所にも魔獣がいるんだ。鬼のような、猿のような奴が。魔法少女たちが来てくれるまで、なんとか神主さんを……」

 

「神主……?」

 

「……」

 

 怯えが滲んだ雅さんの声に、さっき涼音のことを聞いたときと似たような違和感を抱いた。

 オレは察した。

 

 ―――神主さん、逝ったか……。

 

 鈴院家が滅亡の危機に瀕している。

 

「雅さん……。魔獣の性質については理解してるよね?」

 

「人を喰らい、その存在を抹消する怪異であるとのことでございましたが……」

 

「そう。今、二人やられた」

 

「……二人?」

 

「うん。前もそうだったけど、オレは異変抗体で魔獣に消された人たちのことを覚えていられるらしい。喰われて消化されるまでに助けられれば、二人は戻ってくるはずだ。雅さんにも協力して欲しい」

 

「逃げませぬか……?」

 

「えっ?」

 

 雅さんが言った言葉に耳を疑った。

 背に庇っている雅さんの方へと思わず振り向く。

 雅さんは怯えが滲んだ表情でオレを見ていた。

 

「こ、このような事態は想定外でございます。この地を捨て、東堂様の本拠へと撤退することこそが最善かと。隣家に住まう魔法少女とやらに任せるのです」

 

「いや……、それは最善じゃないよ。放って置いたら神主さんや涼音がどうなるか分からない。助けないと」

 

「東堂様、どうかお考え直しください。わたくしたちの使命は、魔人よりこの現世を守ることにございます。万一わたくしが魔獣に喰われでもすれば、魔人共はこれ幸いと現世に現れ、人を襲うでしょう」

 

「それは……」

 

 確かに一理あるけど。

 

 オレは携帯を取り出した。

 茶都山家に電話をする。魔法少女に救援を要請するためだ。しかし留守番電話のアナウンスが聞こえ、電話を切った。

 やっぱりダメか……。こっちに向かっている最中って考えるのは希望的観測だよな。

 せめて魔法少女たちが参戦する確約があれば、尻の軽い雅さんの重い腰を上げてくれるんじゃないかと思ったけど。

 

 他に頼れそうなのは彩乃さんくらいか……。

 でも彩乃さんにはオレが一方的に連絡先を伝えただけで、オレの方は彼女の連絡先を知らないんだよな。

 武闘派とはいえ、信乃ちゃんを駆り出すわけにはいかないし、律ちゃんには戦う力はない。  

 

 警察を始めとする国家権力にも頼れない。

 

 オレのコネは何一つ使えない。

 そして雅さんには戦う気が無い。

 

「ふぅ……」

 

 溜息を吐く。

 

「いいよ、雅さんは逃げて」

 

「東堂様……?」

 

 雅さんが困ったように言った。

 

「まさか……戦うおつもりですか?」

 

「結果としてそうなるかもしれないけど、こいつと戦うというより、二人を助けたいんだ」

 

「東堂様は、おっしゃっておられたはずでは? 魔獣には、ご自身の体質でも対抗できなかった、と」

 

「まあね……。確かに、前はダメだった」

 

「ではなぜ……っ!?」

 

「何故って言われても……普通そうしない? さすがに二人を見捨てられないよ」

 

 涼音の車で突撃を……と思ったけど、茶都山家が消えたとき、車もなくなっていた。涼音の車も無くなってるかもしれない。なにか……なにかないか?

 

 オレは大蛇の横を駆け抜け、割れて転がっている窓ガラスを手に取った。良い感じに尖っている。刺すくらいなら出来そうだ。分厚そうな鱗を貫通できるかは分からないけど……。

 

「……っ。と、東堂様! おやめくださいませ! 御考え直しくださいませ! 東堂様は確かに魔人すらも寄せ付けぬ益荒男でございますが、魔獣とやらには……!」

 

「うん。まあ、無力だね……。分かってるよ」

 

「では、何故!? アレはわたくしたちを襲おうとはしておりませぬ! 放って置けばよろしいかと!」

 

「いや、だからさ……。二人を見捨てられないんだって。皆は忘れても、オレは二人のことを覚えてる。オレだけが消えてしまった人たちのことを永遠に覚え続けてるなんて、そんなのは嫌だよ」

 

「東堂様……!」

 

「雅さんは逃げても良いよ。オレは出来るだけのことはやってみる。まあ、出来れば手伝って貰えるとすごくありがたいんだけど」

 

「東堂様……! どうかお考え直しくださいませ! 万一東堂様の身になにかあれば、わたくしは……っ! わ、わたくしだけでは魔人共から逃げられませぬ! 討たれまする!」

 

「……。あのね、雅さん」

 

 オレ達を観察しているのか、しゅーしゅーと舌を出し入れするだけで動かない大蛇を前に、オレは雅さんの方を見た。

 

「雅さんはオレのことを頼りにしてくれてるんだろうけど、でもオレだって、いつかは雅さんの前からいなくなるんだよ」

 

「は……?」

 

 雅さんは何言ってんだこいつ、と言わんばかりに呆けた表情でオレを見つめる。

 

「できれば大往生をしたいと思ってるけど、人間なんて、いつどうなるか分からない。オレだって、いつか死ぬときが来る。人間である以上、いつかはね」

 

「人間……?」

 

「いや、人間だよ。さすがに。人間」

 

 雅さんの反応的に、普通とか普通じゃないとかを通り越して、そもそもオレを人間として認識していなかったことが分かってちょっと困惑する。

 彩乃さんもオレのこと人間じゃないとか言ってたけど、さすがに人間だろ。人間だろ……。

 もしかしてホントになんか隠された血筋が……みたいなことあったりする?

 少年漫画的な。宇宙人とか、そういう……。

 

「オレが生きてる間に片が付けばいいけど、魔人って江戸時代からいるくらいだから、かなりの長寿だよね? しかも長い時間をかけてこの世界への侵攻の地盤を固めてきたくらいには気も長いし、知恵もある。もし魔人がオレの体質を脅威と見て雅さんの排除を先送りにしたら……、人間であるオレは何もできないまま死ぬ。そうなればいずれ、雅さんはオレが居なくなった時代で、たった一人で魔人を相手にしなければならなくなるときが来る」

 

「そ、それは……っ!」

 

「そうなったら、もう終わりだよ」

 

 逃げ癖、というには酷だけど、雅さんはそういう傾向があるように思える。

 

 話して貰った生い立ちを考えれば仕方ないというか、そうならざるを得なかったのは分かるけど、ずっとそれだと、最終的には自分で自分の首を絞めることになると思う。

 

 少なくとも、御柱さんと他の妖怪が残っていた時代に、雅さんが勇気を出して動き、仲間集めをしていれば、ここまで魔人に追い込まれるってことは無かったはずだし。

 

 逃げ続けた先にあるものが幸せな結末だとは思えないし、その結果は既に出てしまっている。

 

 妖怪仲間が全滅し、雅さんが長い時間支えとしてきた御柱さえ姿を消し…孤独となった雅さんを待ち受ける未来は、既に現実となった。

 たまたま、オレと涼音がいて、終わりの一歩前に戻ってこれただけ。

 

「だけど今なら、終わりを避けた道を見つけ出せるかもしれない」

 

「それは、どのような意味で……」

 

「雅さんは忘れていることだけど、今オレが助けようとしてる涼音と神主さんは、魔人と戦おうって気概のある人達だったんだ。そして、その力もあった。妖怪が雅さんを残して全滅し、雅さんを守っていた御柱さんさえも居なくなった今、多分、これがやり直せる最後の機会だと思う」

 

「……」

 

「ごめん、雅さん。激励のために、あえてきつい言葉で言うよ。雅さん。あらゆることから逃げ続けてきた人生に、君は終止符を打つべきだ。きっと、今ならそれが出来る」

 

 雅さんが押し黙っている。

 悩んでるな……。

 

 大丈夫かな、時間。魔獣が動き出さないかなって言う意味で。

 

 それにしても魔獣が動かない。

 舌をちろちろ出し入れしているだけで……。

 

 なんでだろう?

 

「わ、わたくしは……」

 

「雅さん。怖いのは分かる。これまでそれを普通として受け入れざるを得なかったことを変えるって、とても大変だと思う。だけど、今を逃したら、君は大切なものを失うことになる。それも一つじゃない。雅さんの、有り得たかもしれない、より良い未来を失うことになるんだ。怖いのは分かるよ。でも、踏み出すべきだ」

 

「わ、わたくしは……っ。東堂様、わたくしは……! では、東堂様に永遠の命を! わたくしと契約を結び、妖怪となられれば、不老の力を……!」

 

「えっ?」

 

 思わず雅さんを凝視する。

 

 それマジ?

 雅さん、そんなことできるの?

 

 それはちょっと興味あるなぁ……。不老かぁ……。そうなってくるとちょっと話が変わって来るぞ?

 

 いや、違うよ。

 それは後で改めて詳しく話を聞くとして、今はそこじゃない。そもそも異変抗体で弾かれそうだし。

 

「雅さん。雅さんはもう一人じゃないんだ。もう逃げなくて良い。理不尽に屈さなくていいんだよ。勝ち取るんだ、雅さんの自由を。雅さんが望む普通を」

 

「東堂様……」

 

「想像してみてよ。魔人が居なくなった世界で、雅さんは何がしたいのか。雅さんの願いを阻む障害がなくなった未来で、雅さんはなにがしたい?」

 

「……」

 

 考えたな。

 そして、すぐに無理だと諦めた。

 

 それが雅さんを蝕む闇、諦念であり、トラウマだ。

 オレが囚われていたものと同じ。

 

 だけど、諦めなくて良いんだと伝えたい。困難はあっても、諦めなくて良いんだと。

 

 雅さんの件では、オレにも生活があるからと、受け入れるかどうかを酷く悩んだ。

 

 今でも考えることは多い。

 だけど結局、雅さんを受け入れた今が一番スッキリしている。

 

 咄嗟に麒麟から彩乃さんを守ったときもそう。

 信乃ちゃんや律ちゃんを助けに行ったときもそう。

 

 涼音や神主さんと一緒に雅さんを守るって割り切った今の方が、前よりもずっと気分が良い。やっぱりそれがオレにとっての『普通』で……その『普通』を捨てなかったからだ。

 

 最近自覚した、強烈な自我という名の、『オレだけの普通』。

 目覚めの直後、外から与えられた、一般社会としての『普通』。

 この二つが衝突することで生じていた歪みは、この半年間の出会いの中で、なだらかに整えられてきている。

 

 きっと雅さんにもあるはずだ。

 敵わないから逃げなければならなかったという、今まで甘んじる他になかった押し付けられた『普通』と反する、雅さんの本心が望む『雅さんだけの普通』が。

 

 それを捨てないことがきっと、一番大事なことだと思うんだ。

 

「雅さんの問題を片付けられたとき……。一体、どんな気持ちになるんだろうね……」

 

 想像し、思わず呟いた。笑っている、と思う。

 

 数百年に及ぶ、想像を絶するような雅さんの苦悩。晒されてきた苦境。

 それらが解決したときに抱く雅さんの解放感は、一体、どれほどのものだろう。

 

 雅さんが解放される瞬間を見届けられたなら、そのとき、オレの中にはどれだけの喜びが満ちるんだろう。

 

 考えるだけで……笑みがこぼれる。

 卑屈に逃げ続けざるを得なかった雅さんが、心の底から解放される瞬間、雅さんは何を思うんだろう。幸福だと、微笑むだろうか。静かに涙を流すだろうか。

 

「……と、東堂、さま……?」

 

「どうしたの、雅さん?」

 

「あ、いえ……その、お顔が……」

 

 顔?

 笑ってはいるけど……変だったかな。

 

 雅さんは狼狽えた様子でオレを見ている。腰が引けているようだ。

 

 雅さんの反応はよく分からないけど、オレは微笑んだまま雅さんにこう言った。

 

「いつになるか分からないけど、いつか魔人の件が片付いたら……。一緒に故郷を探さない?」

 

「……っ!」

 

 雅さんが目を見開き、大きく息を呑んだ。

 

 以前、住処を追われたとか、故郷を忘れたとか、そういったことを言っていた。

 同情を引くには有効なワードだけど、本当のことだとしたら、きっとそこに雅さんの無念があるんじゃないかと思って提示した言葉だ。

 

 もちろん、生きたいというのは生物の本能ではある。だけどそこに付随する、雅さんだけの思いがきっとあると思った。

 そして、それは正解だったようだ。

 

 雅さんが逃げ続け、生き続けてきた理由。

 

 理不尽を前に屈辱を抱き逃げ続け、基本的に見下しているらしい人間にずっと昔から媚び諂うことで身を守って来た雅さんが、その奥で抱えていた願い。

 

 それが、故郷に帰りたいという哀愁。

 帰巣本能。

 

 さっき、オレの問いかけにきっと想起して、瞬時に押し隠した雅さんの望み。

 

 雅さんは驚きに放心している様子だったが、徐々に涙ぐんだ表情へと変わっていく。もしかしたら、自覚すらしていない願いだったのかもしれない。

 それを言葉で伝えられたことで引きずり出され、封じていた思いが溢れて来た……って感じかな。

 

「雅さん。何度も言うけど、オレは雅さんの力になりたいと思ってる。魔人から守って欲しいって要望じゃなくて、雅さんの本当の願いを叶える手助けがしたいんだ」

 

「……」

 

「でも、雅さんが望むような……四六時中付きっ切りみたいなことは無理だ。オレの出来る範囲を越える」

 

 さすがに雅さんのためにオレ自身の生活を犠牲にすることは出来ない。前提として、あくまでオレの出来る範囲で、という条件が付く。

 

 だから根本的には、雅さんの願いを遠ざけたあのときから、オレの考えは変わってない。そこを変える気は無いんだ。そこが崩れると、自立を失い依存に変わる。オレはそれを好まない。

 

 雅さんには、なんで自分にだけそんなに冷たいんだと思われるかもしれないけど、それに関しては別に雅さんに限った話じゃない。他人のためにそこを踏み越えるには……、信乃ちゃんから受けたような、強い親愛を抱く特別な何かが要る。

 恋人や家族の為なら厭わないことも、さすがに友人には気後れする、くらいのもんだけど。金の貸し借りとか。

 

「だけど、『出来る範囲』は広げられるんだよ。助けてくれる誰かが居れば。どういう風に記憶しているか分からないけど、涼音が居たから、雅さんは大学にもついてこれたし、オレがバイト中も近くに居られた」

 

 車での移動、魔人と戦う場所の確保、相談相手、話し相手としての役割。涼音の存在はきっと、オレにとっても雅さんにとっても、得難いものだったはずだ。

 だから雅さんも、魔人に対抗すべく、戦う準備を少しずつ始めてた。

 

 まあ、それを雅さんが忘れてしまっているから困るんだけど。

 そうなんだよね。

 雅さん、少しずつ出来てたんだよ。オレから自立して、涼音っていう……悪友?を得て、逃げないことを始めてた。

 それを意味の分からない魔獣とかいうのに奪われるのは、どうにも癪に障る。

 

「そして、張本人である雅さんが積極的に動いてくれれば、それはさらに爆発的に広がるはずなんだ。強大な魔人……鬼と天狗は滅んだ。魔人一体なら、涼音と雅さんの二人で倒せる。道は今まさに、雅さんの目の前に広がっているよ」

 

 雅さんの瞳が僅かに動く。

 

 みんなで頑張って、それでももしものときが訪れるなら、そのときは責任を取って盾になる。それに関しては前例もあるし、まぁ……出来なくはないと思うし。

 

「だから……さあ、雅さん。オレの手を取って。雅さんの夢を、共に……」

 

 手のひらを広げ、雅さんへと伸ばす。

 雅さんはオレの掌を食い入るように見つめている。

 

 ほぉ、と雅さんが熱い吐息を吐いた。

 

 ……?

 その反応はちょっと想像していたものと違うな……。

 たとえば「はい! 頑張ります!」みたいなのを想像してたんだけど。

 雅さんのオレを見る目に、これまでと違う何かが灯っているようにも感じる。表面的な服従……乾いた瞳の中が濡れているような……。

 

 ……。

 何か間違った……かな?

 いや……嘘は吐いてない。そもそも事実しか言ってないし。

 雅さんが忘れてるだけで、雅さんと涼音、二人で勝ち取った功績も多いしな。

 

 雅さんは多分だけど、自己評価が低いんだと思う。だから自分の中で色々と格付けして、格下と見れば露骨に態度に出すんだろうし。

 逃げ続けてたらそうもなると思うけど、現状をしっかりと伝え認識してもらうことで、自己評価を改めて貰えれば良いよね。

 魔人に一人では立ち向かえないことが事実でも、雅さんはもう一人じゃないんだし。

 

「東堂様……。わたくしは、見つけられるでしょうか……。故郷を……」

 

「もちろんだよ。雅さんが望むなら、オレは協力を惜しまないとも」

 

「ああ……。東堂様……」

 

 雅さんが蕩けた様な吐息を漏らす。

 いや……だから、なんか違うんだよな……。

 

 オレは雅さんに近づき、雅さんはオレに近づいて来る。

 

「な……っ!?」

 

 途中、ふいに雅さんが大蛇の方へと弾かれたように顔を向けた。

 

「……?」

 

 オレも倣って大蛇を見るが、特に変わった様子はない。

 

「どうかした?」

 

「声が……」

 

「声?」

 

「声が聞こえる……。女……? 誰じゃ……。儂に語り掛けて来るこの声は……」

 

 オレには全く聞こえないけど……。

 

「おのれは誰じゃ……。誰なんじゃ……」

 

 雅さんが困惑した様子で大蛇の方を見ている。

 

 そして、雅さんはこう言った。

 

「は……? 早くしろ……? もう無理……?」

 

 雅さんがそう言った瞬間、とぐろを巻いて鎮座していた大蛇の体がうねり、頭が天へと伸びあがる。残っていた天井が蛇の体によって破壊された。

 

 車の急ブレーキ音にも似た金切り音が夜の静寂を切り裂いた。

 

 ……。

 

 もしかして、この大蛇がずっと動かなかったのって、涼音が中で止めてくれた感じ?

 

 


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