明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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お久しぶり(おそるおそる


巫女・妖狐14/ MS11

 大蛇が動き出した。縮こまっていた体が大きく伸びただけで古びた木の天井が破壊されてしまう。瓦礫が散乱する中、蛇は動き続ける。天井に空いた風穴がさらに大きく広がって行く。ばきばきと乾いた音が鳴り続ける。

 

 雅さんの呟きを言葉通りに受け取るなら、この蛇が動き出そうとするのを誰かが止めてくれていたらしい。たぶん涼音だと思うけど、力尽きてしまったようだ。

 

 じっと蛇を見つめる。

 

「東堂様!」

 

 雅さんの悲鳴が聞こえたと同時にオレの体が浮き上がった。風を感じる。オレは雅さんに抱えられて中庭へと連れ去られていた。

 居間が崩れ落ちた。オレは間一髪、雅さんに助けられたらしい。

 

「ありがとう、雅さん」

 

 中庭に降り立ち、雅さんにお礼を言って、じっと蛇を見る。

崩壊していく家を見る。

 

 哀しい。

 

 酷い……。

 神主さんが何をしたって言うんだ。

 

 そもそも発端はオレだ。瑠璃ちゃんが頑なに拒んでいた魔獣についての情報開示を強い、さらに彼女の忠告を軽んじ、無関係な人間に口外した。因果応報はおれに在るべきだと思う。

 

「だってさぁ、楽しくない(・・・・・)んだよなぁ。こういうことされると」

 

 溜息が出る。

 

「ごめんね、神主さん、涼音。でも、安心してね。ちゃんと二人が『普通』に戻れるようにするから。信乃や律みたいに、ちゃんと二人を『普通』の暮らしに戻してあげるからね」

 

 拾ったガラス片を握り直す。

 

「涼音、オレの声は聞こえてる? もう少し待っててね。この蛇の腹を掻っ捌いて、すぐに出してあげるから」

 

 まずはこれで試してみよう。

 ガラス片で腹を裂けないなら、ハンマーで鱗を叩き壊してから、もう一度試してみよう。でも、動きを止めないと、近づいただけで圧死しそうだ。質量にはどうしようもない。

 オレは蛇を見つめたまま、雅さんへとこう言った。

 

「あいつを境内の方へ誘き出せないかな? 灯油で燃やそうと思うんだ」

 

「え? いえ、確かに効果的かもしれませんが……。しかしアレは怪異の類……でございましょう?」

 

 雅さんの声から戸惑いが伝わって来る。

 いや、生き物なら火は効くだろう。それが普通だ。

 

「怪異とかは関係ないよ。燃やす」

 

「……」

 

 台所にあるネズミ駆除用のホウ酸団子、台所とかトイレの洗浄剤、界面活性剤……化学薬品をなんとかして口の中に突っ込んで薬殺することも考慮しておこう。

 

「火で燃やして、ハンマーで叩いたりして鱗を剥がして、肉を斬る。このガラス片がダメなら、神主さんが買ってたノコギリとチェーンソーを使ってみよう」

 

「……」

 

「車で突っ込むのはやっぱり最後の手段かな。車が勿体ないし。高圧電線のところまで誘導して感電させられないかな? 体が大きいし引っかかりそうだけど……いや、それは上手くいっても街の人達に迷惑が掛かるかな」

 

「……」

 

「ああ、でも……涼音が腹の中に居るのかどうか……。火で焼くと中も熱いよね。人質を取られてるみたいなものだって考えると厄介だなぁ。どうしたものかな……? 雅さんはどう思う? 何か案ある?」 

 

「……」

 

 雅さんにもオレの考えを共有して貰おうと思って早口に独り言を続けたんだけど、雅さんは黙りこくって答えない。

 ごくり、と生唾を呑む音が聞こえた。

 

「雅さん?」

 

 返事が無いので振り返ったとき、今度は神主さんの部屋の方から大きな音が聞こえた。木材が圧し折れる音、瓦が砕けり散る音、それらが地面に落ちる音。

 

 鬼猿が飛び出して来たようだ。

 二体の魔獣がオレ達を挟む。巨大な蛇と、大きな猿。

 

 二匹はオレ達を標的と定めたらしい。

 猿は下品な笑いを浮かべ、蛇は舌なめずりをしてみせる。

 

「あの、東堂様。やはり今からでも逃げませぬか……?」

 

 ようやく雅さんが喋ったと思ったら、それは弱音だった。雅さんは表情を引き攣らせている。

 オレは雅さんに微笑みかけてこう言った。

 

「やるだけやってからにしようよ。さっき言ったようにここで二人を見捨てるのは雅さんにとってもマイナスだと思うし、オレは二人を助けたいんだ。大丈夫。もしも打つ手なしってなればさすがにオレも逃げるし、雅さんが逃げられるように囮になるからさ。どうかな?」

 

 二体の魔獣に挟まれて、雅さんはまた及び腰になっている。やはり短時間でトラウマを払拭するのは難しいようだ。この状況を切り抜ければ自信もつくと思うけど、立ち向かうことがそもそも難しいみたいだし、仕方ないね。

 

「お願いできないかな? もう無理ってなったらすたこら逃げて貰って良いから、それまでどうか助けて欲しい」

 

 またもや浮遊感。地面が遠のいていく。雅さんがオレを抱えて空を飛んでくれていた。

 

 蛇が口からなんかビームみたいなのを出して、猿が目からビームみたいなのを出した。オレ達が居た地面が黒焦げになる。

 魔獣ってそういうことやってくるのか。

 犬の魔獣のときは肉弾戦だけだった気がするけど、そういうのもあるのか。

 

「雅さん、オレの部屋に向かってくれる? そのあと、灯油を回収して、ノコギリを持って来よう」

 

「ぐう゛ー!!」

 

 雅さんが顔をくしゃくしゃに歪めながら、ヤケクソ気味に唸り声をあげた。

 

「ありがとう」

 

 眼下で動きがあった。

 鳥居の方から何かがこちらへ向かってくる。

 魔法少女たちの増援か、と期待したけど、どうやら雅さんと涼音の式神が動き出したようだ。

 

 本堂に近い位置にいた式神が到着し、魔獣へと飛び掛かった。小さな猿のような見た目をした式神で、雅さんと涼音が一番最初に造った子だ。力は弱いけど、最初に造った初めての眷属ということで、雅さんはその子をとても気に入り可愛がっていた。

 式神は一瞬で蛇に喰われた。南無。

 

 雅さんに連れられて、オレは目的のものを回収していく。その間、雅さんの眷属が足止めをしてくれていた。そして最後の物資を回収した際、「今、式神ってどうなってるのかな?」と雅さんに尋ねると、雅さんは「式神?」と戸惑った様子を見せた。記憶から失われている。多分、全滅したんだと思う。

 

 オレはあえてそれ以上は言及せず、「行こう」とだけ伝えた。

 雅さんは「はい」と小さく頷き、オレを抱え、再び魔獣たちの方へと向かう。

 

 雅さんに抱えられ、魔獣たちを上空から見下ろす。

 式神が全滅したことで、魔獣たちは再びオレ達を標的にしたようだ。ビームを放ってくる。雅さんが器用に避ける。

 オレ達は鳥居の方へと向かう。

 蛇と猿はオレ達を追って動き出す。途中にあるものをなぎ倒しながら。

 

「共食いはしないんだね」

 

「そのようで」

 

 と雅さんが相槌を打つ。

 

 低空飛行をお願いし、オレをエサに魔獣たちを誘き出す。

 いいところで急上昇をお願いし、オレは魔獣たちの頭上から灯油をぶちまけた。導火線に火をつけた爆竹を一つ落とす。

 

 爆発炎上した。

 

 良く燃える。

 

「やったか?」

 

「と、東堂様、そのお言葉は!」

 

 炎を纏った二体の魔獣を見下ろして呟いたところ、雅さんが焦った。

 炎の中から何かが飛び出してくる。

 蛇だ。 

 

 蛇は大きな口を広げてオレ達を呑み込もうと飛び上がった。

 

 その口の中に火炎瓶を投げ入れる。

 

 蛇の口の中で爆発が起きる。だが蛇は怯まずそのまま突っ込んで来る。

 同時に猿が飛び上がり、オレと雅さんに向けて鋭い爪を振るった。

 

 炎が効かないのか。失敗した。

 

「と、東堂様!! いやあああああああ!!」

 

 雅さんの悲痛な叫び。

 

 ごめん、雅。ごめん、神主さん、涼音。

 

 ―――蛇と猿が爆散した。

 

「……」

 

「……」

 

 ふーん……?

 

 なんとも居たたまれない沈黙。

 雅さんがゆっくりとオレを降ろしてくれた。

 

 ぱちぱちと火の音がする。

 

「さ……」

 

 雅さんが恐る恐るといった感じでこう続ける。

 

「さすがは東堂様でございます! お見事でございました! わたくしは信じておりましたとも!! まさに天下無双! 神算鬼謀でございますれば!」

 

 賞賛の言葉と、拍手の乾いた音が後ろから聞こえる。

 雅さんが拍手をしているようだ。よいしょを欠かさない一貫した姿勢は好ましい。

 

 振り返り、雅さんを見る。

 雅さんは張り付けた笑みでオレを湛えていたが、急に膝から崩れ落ち、地面に掌を突いた。

 

「わ、儂の眷属たちが……」

 

 どうやら眷属が全滅したことを思い出したらしい。

 

 可哀そうに……。

 

「儂の、初めての眷属じゃったのに……っ」

 

 雅さんの肩が小刻みに震えている。

 かける言葉が見つからない。

 

 ふと気づく。

 蛇と猿が爆散した場所に、人影が炎で照らされて浮かび上がる。

 

「神主さん、涼音。良かった。すぐに魔獣を倒せば戻って来るって言うのは本当だったんだね」

 

 全裸の神主さんと全裸の涼音がそれぞれ倒れていた。

 

 なんで全裸なのかは分からない。

 

 とりあえず消火しなきゃな。 

 消火器を持ってきて消火を始める傍らで、雅さんにお願いして涼音と神主さんを家の中へと連れて行って貰った。

 

 火がなかなか消えない。消防車を呼んだ方が良いかもしれないな……と困っていると、サイレンの音が聞こえてきた。

 誰かが通報したらしい。

 

 納得しかない。

 

 にわかに境内が騒がしくなる。わらわらと消防隊が駆けこんできた。

 オレは避難を促され、半ば強制的にその場から退去させられる。きびきびとした動きで鎮火作業が進んでいくのを傍目に、オレは消防隊の人達から体調の確認と事情聴取を受けることになった。

 

「薩摩芋を焼こうと思って火の扱いに失敗しました。申し訳ありません」

 

 さすがに言い訳としては苦しいかも知れないと思いながらも、この言い訳を貫こうと思っていたら雅さんが現れた。

 雅さんがひょひょいのひょいと指を回しながら消防隊の人達の周りを歩き回ったかと思ったら、消防隊の人達は寡黙になり、作業を終えたらさっさと引き上げてしまった。

 

 鎮火され静かになった境内で佇むオレと雅さん。

 雅さんを横目に、オレはこう言った。

 

「彼らになにかしたの?」

 

「面倒事はお嫌いかと愚考致しましたが……差し出がましい真似をいたしました」

 

「今回はオレは何も言えない……いや、ありがとう」

 

「勿体なきお言葉でございます」

 

 雅さんがうやうやしくお辞儀をし、オレは小さくため息を吐いた。

 

 目覚めた神主さんと涼音にオレは深く頭を下げた。オレの浅慮で迷惑をかけてしまったと深く反省した。しかし二人はオレのことを責めなかった。

 神主さんは無理やり聞き出したのは自分の方だからと手うちにしてくれ、涼音の方は「未熟……! あまりに未熟……!!」と自省していた。記憶はしっかりあるらしい。

 雅さんは魔獣に喰われた涼音のことを「最ww強wwのww霊ww能力者www」と煽り散らかしてまた喧嘩になっていた。

 

 その後、神主さんが破壊された家屋や焼け散らかした境内を見て膝を折っていたのを見て、オレは静かに合掌した。大晦日も修復作業で忙しくなりそうだ。年始はバイトが休みなのでオレも一日中手伝おうと思う。

 

 そうして普通に忙しい大晦日と新年を迎え三が日を終えたオレと涼音は、木材の調達のためにホームセンターへと向かっていた。雅さんは今回はお留守番。雅さんには神主さんのお手伝いをお願いした。きっと不服だっただろうがオレに対しては一切そういった態度を見せず、神主さんの方にはいつものように辛辣な言動を見せていた。諫めはしたけど、ナチュラルな見下しは多分改善されないと思う。

 神主さんには申し訳ないけど、涼音と雅さんの二人で買い出しに行かせるわけにもいかないし、オレと雅さんだと足が無いので受け入れて貰わざるを得なかった。

 

 ホームセンターで日曜大工の材料をたくさん購入し、車に詰め込んで神社へと戻る道すがら、涼音に頼んで茶都山家と瑠璃川家への寄り道をお願いする。立地的に瑠璃川家の方が近いので先に寄って貰おうと道案内をしようと思った矢先、歩道を歩く少女が視界に入る。

 

 何日もお風呂に入らず、着替えていないのかと思ってしまうくらいに衣服や髪の毛、肌が汚れていた。そんな恰好で俯いて肩を落とし、ふらふらと歩いていたのは……。

 

「瑠璃ちゃん……?」

 

 車で走行中なので視界に入ったのは一瞬だったが、多分そうだったと思う。

 そのとき、大きな音がした。がたがたと上下に、ふらふらと左右に車が揺れる。

 咄嗟にひじ掛けにしがみ付き、涼音の方を見る。涼音は「え、ちょ!? なに!?」と慌てた様子でハンドルを必死に握り車の制御をしようとしている。

 涼音は車を路肩に寄せて止めた。

 

 シートベルトを外し、外に出る。

 涼音もまた車から出て、車体の周りを見て回り、後輪を見て顔を顰めた。

 

「あっちゃあ、パンクかぁ……」

 

 涼音ががっくりと肩を落とした。

 

「釘でも踏んだのかなぁ?」

 

 涼音はしゃがみ、穴の開いたタイヤを哀し気に見つめる。

 涼音のつむじを見下ろしながら、オレは言った。

 

「予備のタイヤは?」

 

「降ろしちゃったの。今日、荷物たくさん載せるつもりだったから。ロードサービス呼ばなきゃ……」

 

 しょぼくれる涼音の肩にぽんと手を乗せる。

 

「ごめん、オレ用事が出来たから行くね」

 

「ええ!?」

 

「瑠璃ちゃん……例の魔法少女っぽい子が歩いてるのが見えたんだ。今を逃すといつ会えるか分からないから……。ごめんね。何かあったら連絡して?」 

 

「そういうことなら……まあ……」

 

「ホントにごめん。行ってくるね」

 

 涼音を置いて瑠璃ちゃんらしい子が歩いて行った方へと走り出す。

 しばらく走るが、瑠璃ちゃんらしき子は見つからない。

 

 やがてオレは立ち止まり、荒れる息を整えながら流れる汗を拭った。周囲を見渡すがやはり姿はない。歩きながらも姿を探す。なんとなく諦めきれず、そのまま歩いての捜索を続ける。

 

 しばらくして前から歩いて来る小さな人影に気づいた。

 俯いてふらふらと歩いている。観察する。きっと瑠璃ちゃんだ。

 間違いない瑠璃ちゃんだ。

 オレは立ち止まり、瑠璃ちゃんを見る。瑠璃ちゃんは俯いたままオレの隣を素通りしていく。

 

「瑠璃ちゃん?」

 

 通り過ぎて行った背中に声を掛ける。瑠璃ちゃんはびくりと肩を揺らし、立ち止まった。そして恐る恐るといった様子で振り返りオレを見た。目を丸くしている。

 

「やっぱり瑠璃ちゃんだ」

 

「東堂……さん……? あたしの名前……」

 

「うん。こんにちは。久しぶりだね瑠璃ちゃ……ん?」

 

 固まっていた瑠璃ちゃんがゆっくりと表情を崩していく。そしてぽろりと涙がこぼれた。

 

「うああああああああ!!」

 

 瑠璃ちゃんがオレに駆け寄り、抱き着いてきた。

 

「どうしたの?」

 

 声を掛けるが、瑠璃ちゃんは泣き続けて返事が出来る状態じゃない。人通りが少ないとはいえ、いないわけではない。周りの目が気になるがどうしようもない。オレは瑠璃ちゃんの頭を撫でながら、落ち着くのを待つ。瑠璃ちゃんは泣いてしゃっくりをあげながら、こう言葉を繋いだ。

 

「茶々が……! 葵も……! 死んじゃった……!!」

 

「……」

 

 おぉ……。

 

「どういうこと?」

 

 瑠璃ちゃんを宥めながら続きを促すも、瑠璃ちゃんは再び嗚咽を激しくし、話が出来る状態ではなくなってしまった。

 仕方なし。しゃがんで瑠璃ちゃんの背中を撫でながら、されるがままに抱き着かれる。

 

 どれくらい経ったか、瑠璃ちゃんはオレに抱き着いたまま泣きつかれて眠ってしまった。話の続きが気になるところだが、余程疲れていたのか起きる様子は一切ない。

 涼音に連絡をするが電話がつながらない。「なにか」が「起きている」らしい。慣れたものだけど不便だ。

 

 瑠璃ちゃんを抱えて移動する。近くでタクシーを拾い、瑠璃川家へと向かった。奇縁というかなんというか、いつものタクシーの運転手さんだった。

 

 そして移動したわけだけど。結論から言えば、瑠璃川家は「無かった」。

 

 茶々ちゃんのときと同じだ。空き家になっていた。つまり瑠璃ちゃんのご両親は再び魔獣の餌食になったということだろう。

 

「……」

 

 眠る瑠璃ちゃんの寝顔を見る。目元は泣き腫れて赤い。

 

 オレは思った。

 

 ―――涼音たちの力を借りよう。

 

 つい先日迷惑をかけたばかりだ。できるなら魔獣と涼音たちを関わらせたくはない。だけど多分きっと瑠璃ちゃんの抱えている事情はオレの手に余る。

 きっと神主さんたちは嫌な顔ひとつせずにオレの願いを聞き入れ、瑠璃ちゃんの抱える問題解決に尽力してくれる。申し訳なく、そしてありがたいことだ。

 

 オレは強く決意した。

 

「おえええええ」

 

 眠っていた瑠璃ちゃんが突然嘔吐した。胃液が飛び出し、オレの服にかかる。オレはゆっくりと瑠璃ちゃんの体勢を変えた。瑠璃ちゃんの膝を地面につけ、オレの片手にもたれさせる様に抱える。嘔吐物が流れ落ち窒息しないように。

 

「おえええええ」

 

 瑠璃ちゃんの嘔吐は止まらない。さすがに目が覚めたようで両手が踏ん張りを求めて地面へと伸ばされる。オレは瑠璃ちゃんから手を放し、背中を優しく摩った。

 

「つらいね……。大丈夫だよ。傍に居るからね」

 

 瑠璃ちゃんの背中を撫でながら声を掛ける。

 やがて瑠璃ちゃんのえづきが止まる。

 

「落ち着いた?」

 

「う……うん。ありがとう……」

 

 肩で息をする瑠璃ちゃんの背中を撫で続ける。

 

「疲れてたんだね」

 

「違う……」

 

 ストレスで吐いてしまったのかと思い声を掛けるが、瑠璃ちゃんの震える声がそれを否定した。

 

「進んだのよ……。進んじゃったの……!!」

 

「何が進んだの?」

 

 瑠璃ちゃんは四つ這いで地面を見つめながら絞り出すように言った。

 

「分からなくなった! 分からなくなったの!! 名前が分からない!! ああ!! 分からない!! ああああああ!!」

 

 錯乱し泣き出した瑠璃ちゃんの背中を撫で続ける。過呼吸気味に息が荒くなっていく。

 

「大丈夫。大丈夫だよ。落ち着いて。ゆっくり息をして」

 

「分からない! 分からない!! ああ!! 名前が!! なんで!!」

 

「何の名前が分からないの? 教えて? もしかしたら知ってる名前かもしれないよ」

 

 穏やかな声音を意識して声掛けを続けるが、瑠璃ちゃんが落ち着く様子はない。相当まいっているようだ。オレは嘔吐物塗れの瑠璃ちゃんを抱えあげるようにしてオレの方を向かせ、目を合わせる。

 

「瑠璃ちゃん」

 

 瑠璃ちゃんを立たせ、ぎゅっと手を握る。

 

「落ち着いて。オレを見て。オレの名前は分かる?」

 

 瑠璃ちゃんの目が揺れる。荒い息が少し落ち着いて、瑠璃ちゃんは言った。

 

「と、東堂さん……」

 

「そう。東堂です。君は瑠璃川瑠璃ちゃん。そうだね?」

 

「うん……」

 

「教えてくれるかな? 何の名前が分からなくなったの?」

 

 瑠璃ちゃんは瞳を揺らしている。また肩の動きが荒くなりそうな兆しが見えて、瑠璃ちゃんの意識をオレの方へと向けさせるために痛くない程度に手を強く握った。

 

「と、友達の名前……」

 

「友達……。茶々ちゃんのことかな?」

 

「茶々……。分からない。でも……」

 

 瑠璃ちゃんは言葉に詰まった。嗚咽しそうになっているのか、肩が小さく跳ね始める。

 

「大丈夫。泣いても良いよ。ゆっくりでいい。きっと辛いことがあったんだよね。落ち着いて話せるようになったらオレに教えてくれるかな?」

 

 そう言うと瑠璃ちゃんの肩から少しずつ力が抜けていく。

 瑠璃ちゃんはゆっくりと息を吸うと、一息に言った。

 

「友達が二人、魔獣に喰われたの。あたしを助けて、逃がしてくれた……っ」

 

 言い切った瑠璃ちゃんは再び表情をくしゃくしゃに歪めて、今度は静かに泣き始めた。

 

「うっ……うっ……。あたしが、あたしが悪いの。一人で突っ込んで……っ! うっ……うっ……うぅーーーっ!! うわああああああ!!」

 

 瑠璃ちゃんはそう言うと、堪えきれなかったのかオレの胸にしがみ付き大声で泣き始めた。オレは瑠璃ちゃんを抱きしめて頭を優しく撫でる。

 

 言葉はいらない。ただ温もりだけが必要だ。

 オレはそう思って静かに寄り添いながら……空っぽになった瑠璃川家へ鋭い視線を向けた。

 

 しばらくして瑠璃ちゃんが泣き止んだ頃、オレは後ろから呼びかけられた。

 

「兄ちゃんも色々たいへんそうだね。どうする? 乗ってくかい?」

 

 待たせていたタクシーの運転手さんだった。

 空気を読んで待っていてくれたらしい。大人ってカッコいい。オレはそう思った。

 

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