久しぶりの実家が見えてきた。
涼音や神主さんはとても良くしてくれているけど実家というのは特別だ。なんというか空気が違う。例え家族が他に誰もいなかったとしても、オレの普通がここにあるのは間違いない。
東堂家の前で瑠璃ちゃんが立ち止まった。
どうしたんだろうか、と瑠璃ちゃんに視線を向けて納得する。
瑠璃ちゃんは空き家になってしまった茶都山家を見つめていた。名前を思い出せなくなってしまった友達のことを思っているんだろう。茶々という名前は教えたけど、消えた友人と茶々という名前は瑠璃ちゃんの中で合致しないらしい。寂しげな横顔が切ない。
「つらいね……」
オレは労わりの視線を向ける。
瑠璃ちゃんは驚いたようにオレを見上げ、泣き出しそうなのを堪えて俯いた。ぎゅ、と繋いだ瑠璃ちゃんの手に力が籠る。
「行こう」
「うん……」
東堂家の玄関を潜る。
瑠璃ちゃんは物珍しそうにあたりを見渡している。
「どうかした?」
「ううん……お邪魔します」
瑠璃ちゃんはゆっくりと首を振り、東堂家に足を踏み入れた。
玄関、廊下、トイレ、居間とキッチン。家の中を案内し一階の間取りを教え、またお風呂へと戻り瑠璃ちゃんにお風呂を促す。
「女性用のシャンプーとかそう言うのは無いんだ。ごめんね」
「そ、そんなに図々しくないわよ……」
瑠璃ちゃんが元気が無いなりに突っ込みを入れてくれる。少し恥ずかしそうだ。
「着替えのことなんだけど、妹のお古があったと思うから探してお風呂の前に置いておくよ」
「東堂さんには妹がいるの?」
瑠璃ちゃんは不思議そうにオレを見上げた。
オレは優しい微笑みを浮かべて答える。
「さあ、どうだろうね?」
「なにそれ。妹のお古があるって言ったじゃない……」
揶揄うように笑うと、瑠璃ちゃんは不服そうに唇を尖らせた。オレは瑠璃ちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でた。すぐにお風呂に入るから髪が乱れてもいいだろうと思っての悪戯だ。
「ちょ、ちょっと……!」
「ほらほら、お風呂に入ってすっきりしてきな」
可愛らしく怒った瑠璃ちゃんから離れ、自室へと向かう。
「もう……!」
後ろから可愛らしいお怒りの声が聞こえて、その後に小さな吐息のような笑い声。そして脱衣所の扉が閉まる音がした。
オレは二階に上がり、自室に入り着替える。
瑠璃ちゃんが上がったらオレもお風呂に入るつもりだけど、胃液を被ってからずっとそのままにしていたせいで胃液は下着に染みこみ、既に肌にも付着してしまっている。瑠璃ちゃんを探して走り回ったときに流した汗もたくさん吸っている。とりあえず着替えたかった。
脱いだ服を貯めてあったコンビニ袋の中に入れる。部屋を出て扉のノブに袋を引っかけた。お風呂の前に取りに来ようと思う。
その後、普段使っていない部屋へ向かい、タンスの中を調べ始る。
亡くなった家族の衣服は手を付けずに残しているから、あるとは思うんだけど……。
「んー。どこだったかな」
しばらく探すと、良さそうな服があった。少し埃臭いが仕方ない。服を広げてファブリーズを振りかけてまた畳み、脱衣所の扉を開けて浴室の扉の前に置く。そして静かに脱衣所を出た。
「んー」
キッチンに向かったオレは習慣的に冷蔵庫を開けたが、中に食べ物は無い。生鮮食品は涼音の家に居候する際に全部処分している。
冷凍庫を開ける。中には冷凍のおかずが数個。腹は満たせそうにない。風呂に入ってから買いに行くしかない。
冷蔵庫の扉を閉めて居間へ向かい、ソファに座る。そして携帯を取り出した。
神主さんの携帯に電話を掛ける。繋がらない。
神社に電話を掛ける。繋がらない。メッセージを残しておく。どのみち神社にはすぐに行くつもりだけど一応。
オレは携帯をテーブルの上に置き、少し埃が被っているリモコンを手に取ってテレビをつけた。ワイドショーが流れる。アイドルの不倫疑惑だとか、おすすめのキャンプ場の紹介コーナーだとか、外国での首脳暗殺未遂だとか、様々なニュースについてコメンテーターがコメントしているのを流し見る。
「ん?」
しばらくして、瑠璃ちゃんが居間の扉の傍でもじもじとしているのに気づいた。火照った頬が可愛らしい。様子を見るに、少しは気持ちも落ち着いたようだ。
ソファの背もたれに腕を回し、背もたれ越しに振り返っているオレを、瑠璃ちゃんは恥ずかしそうに上目遣いで見ている。髪の毛をしっかり乾かしているのは、さすが女の子と言ったところか。
ソファから立ち上がり、瑠璃ちゃんの傍に寄ってしゃがみ視線を合わせ、オレは言った。
「すっきりしたね。可愛いよ。サイズもぴったりだね」
「あ、ありがと……」
瑠璃ちゃんはそうか細く言って、服の裾を握りしめて俯いた。
そんな所作が可愛らしく、オレは微笑んだ。
「何か食べたいもの、ある?」
「え……。別に……なんでも……」
瑠璃ちゃんは戸惑いがちに言った。遠慮しているんだろう。だけどそれが一番困る。オレは瑠璃ちゃんに喜んで欲しいから聞いている。適当に食べ物を買って微妙な反応をされたら面白くない。
「じゃあ、好きなものはある?」
オレの問いかけに、瑠璃ちゃんは「うっ」と泣きそうな表情で言った。
「ママのシチュー……」
オレは小さく息を吐き、肩に優しく手を置いた。
「そっか。お母さんの料理にはどうしても敵わないけど、シチューを買ってこようか」
労わり微笑みかけると瑠璃ちゃんがまた泣きそうになった。
「どうしたの? いやだったかな?」
「ち、違うの。マ……ママの顔が……分からな……くって……」
「そうか……。早く助けないとね」
そう言って少し考える。
瑠璃ちゃんの記憶から魔獣に呑まれた人達の記憶が無くなって行くのは結構ゆっくりなようだ。
茶々ちゃんたちが魔獣に呑み込まれたのは瑠璃ちゃんの話から推測するにおよそ3週間前。それだけ経ってようやく瑠璃ちゃんの記憶から被害者の名前や顔が失われた。
一方で数日前に涼音たちが魔獣に呑まれたとき、涼音と神主さんのことを雅さんは一瞬で忘れた。個人差があるのか、それとも魔法少女が特別なのか。まあ、知ったところで意味はないけど。
どちらにせよ、早く助けてあげないと。瑠璃ちゃんの哀しむ顔はこれ以上見て居たくない。
思考を切り上げ、立ち上がる。
「それじゃあ、オレも風呂に入って来るからゆっくりしてて。テレビはつけとくね」
瑠璃ちゃんが頷くのを見てオレも風呂へと向かう。と、その前に自室へ向かい着替えとナイロン袋を回収する。
脱衣所に入り扉を閉め、さっき着たばかりの服を脱ぎ、洗濯機に入れて……出した。
当然だが、洗濯機の中には先に入浴した瑠璃ちゃんの服が入っている。下着もだ。
嘔吐物塗れの服をそのまま洗濯機で洗うことは出来ない。
オレは瑠璃ちゃんの脱いだ服を洗濯機から取り出してから、脱いだばかりのオレの服を洗濯機に入れる。
全裸になったオレは、吐しゃ物に濡れた二人分の服を持って風呂に入る。シャワー椅子に座り、桶に湯を溜め、汚れた服の手洗いを始めた。残渣物は無かったので胃液を洗い流すだけで済んだのはありがたい。衣服を洗い終えたオレは一度脱衣所に戻り、オレの服はそのまま、瑠璃ちゃんの服は洗濯ネットにまとめてから洗濯機へと入れた。そして洗剤と柔軟剤を目分量で流し込んで洗濯機を起動する。
浴室に戻り、体を洗う。
烏の行水というほどではないが、それなりの短さで風呂から出る。体を拭き着替えて居間へ戻ると……瑠璃ちゃんはソファで眠っていた。すやすやしている。オレのお気に入りのソファは柔らかいから仕方がない。
「おつかれさま。今はゆっくりお休み」
毛布を持ってきて瑠璃ちゃんに掛ける。オレは書置きをし、オレは食べ物を買いに家を出た。
そしてコンビニでレトルトのおかゆとシチュー、そしてサンドイッチをいくつか手に取り籠に入れる。飲み物は何が良いかな。リンゴジュースと……カルピスとかはどうだろう。濃い奴だ。あとは麦茶とココアにしておこう。チョコレートはストレスに効くって聞いたことがある。
それと日用品をいくつか。
レジで会計を済ませ、コンビニを出た。
家へ向かう途中で電話の着信音が鳴った。ポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。
「東堂です」
「もしも……っ!! お、おい!」
「はあ、はあ……。東堂様!」
神主さんの声が聞こえてすぐに遠のき、雅さんの声に代わった。どうやら神主さんは雅さんに電話を奪われたらしい。雅さんの息が荒い。
「どちらに……おいででしょうか……っ!?」
「実家だけど、どうしたの?」
「魔人が……現れました」
……。
「それで?」
「わたくしが……退けましてございます」
「本当? 凄いじゃないか」
知らない間にまた魔人が神社に襲撃を仕掛けてきたらしい。それを雅さんが一人で退けたと。それは凄い。
「はい! わたくしが! 一人で! 退けましてございます!」
「うん。さすがは雅さん。大妖怪の名前に恥じない凄い戦果だ。驚いたなぁ。ところで、神主さんに代わって貰える?」
「承知いたしました」
褒めてあげたら満足したのか、雅さんが大人しく神主さんに代わってくれた。
「もしもし」
「神主さん、涼音のことは知ってますか?」
「というと? なにかあったのかね?」
「意識不明の状態で病院に運び込まれたそうです。外傷などはなく、原因は不明です。住所をお伝えしますので、向かって貰えますか? オレも用事を終わらせ次第向かいます」
「涼音が? ど、どういうことだ? 一緒じゃないのか!?」
「実は事情があって涼音と離れたんですが、その間に何か起きたようです。すみません、オレが離れたばかりに……」
「まさか、こちらに現れた魔人とは別の魔人が一人になった涼音の所に……? そんな……」
「いえ……その可能性は低いかと思います。オレの電話には病院関係者の方から連絡があったんです。涼音を保護したと」
「そうか。もし魔人に襲われたとしたなら、霊力的に無力な救急隊が涼音を保護できるわけがないということか……?」
「ええ。なので病気とかの可能性が高いんじゃないかと思うんです。オレとしてはそっちの方が心配です」
「え? いや、魔人の方が……。いや、そうか。そうだな。確かに……」
「病院には向かえそうですか?」
「ああ、直ぐに行く。君は用事があるということだが、それは?」
ほんの少しだけだが、言葉に圧があった。涼音より優先される用事とはなんだ、ということだろう。そうなるのも無理はない。愛娘の危機だからな。
神主さんの気分を害さないためにオレは言葉を選びながら答える。
「例の魔法少女を保護しました。魔獣に敗北し危険な状況です」
「なんだって!? ほんとうか!?」
「本当です。すみません、神主さん。涼音のことは本当に凄く心配なんですが……病院で保護されているということも踏まえて、今は魔法少女を優先させて貰えませんか?」
「確かにそれはそうした方が良いかもしれんが……。しかしまさか、そんな立て続けに? 信じられん……。一体今、この世界に何が起きているというんだ!? 涼音は
「落ち着いてください。生きていればそういうこともあります」
「え? き、君は……。あ、いや……。むぅ……」
神主さんが黙ってしまった。
「どうしましたか?」
「い、いや……なんでも。それよりも」
「神主さん。オレにとっても涼音は大切な人です。涼音のことはとても心配していますが……神主さんは実の父親です。心労は間違いなくオレ以上……。あなたの今の心境を想うとオレも胸が痛い。本当です」
一人娘がもしかしたら危篤かもしれないと、突然伝えられた父親の気持ちを理解することは今のオレにはできない。だけど神主さんが途方もない混乱と悲痛に襲われ、落ち着きを失っていることは想像できる。本当に胸が痛い。オレは神主さんに平常心を取り戻して貰いたかった。
神主さんが再び黙る。
オレはゆっくりと言葉を続ける。
「医療に明るくないオレ達に出来ることは少ないです。だからこそ、神主さんはにとにかく涼音の傍にいて、声をかけてあげて欲しいんです。おこがましいですが、すぐには傍に行けないオレの分まで」
「声を……?」
「はい。人間は意識が無くても、声は届いているらしいんです。涼音の身に何が起きているにしても、涼音は神主さんのことが大好きですから、神主さんの声は絶対に涼音の励みになります。だから神主さんには元気な声を涼音に届けて欲しいんです。雅さんは……多分、傍に居てもご迷惑をおかけするかと思いますので、オレの所に来るように伝えて貰えますか? 雅さんはオレの家を知っているので」
雅さんは基本的に人間を見下しているから、弱った涼音を見たとき神主さんの神経を逆なでするような言動をとりかねない。とりあえずこっちで預かって、魔法少女側の力になって貰おう。
少しの沈黙。電話越しに呼吸音が聞こえる。オレは返答を待つ。
「分かった。メモを用意するから少し待ってくれ」
そして神主さんがメモの用意を終えたタイミングで情報を伝える。
メモを取り終えた神主さんはこう言った。
「ありがとう。また病院で会おう」
「はい」
電話が切れる。
携帯をポケットにしまい、家へと歩く。
これで神主さんは涼音に声を届けることだけを考えて、ネガティブな想像を加速させることはないだろう。多分。
そして家に戻り……瑠璃ちゃんはまだ寝ていた。
起こすのも可愛そうだし、雅さんが合流するまでは家から離れられない。
オレは瑠璃ちゃんを起こさないようにソファに座り、携帯のアプリゲームを起動して遊び、時間を潰すことにした。