えずき続けている瑠璃ちゃんの傍に寄り添い背中を摩る。
少し離れて雅さんが蹲ってえずいている。
可哀そうに。
オレも胸が痛い。
オレは救急車を要請するために携帯を取り出した。さすがに二人同時に発生した原因不明の嘔吐の対応は手に余る。
だけど……雅さんはもともと人間社会の存在じゃないし、瑠璃ちゃんは魔獣のせいで存在があやふやになっているみたいだ。つまり二人には戸籍がない。保険にも入ってない。医療費は跳ねあがるだろう。明細書を見るのは恐ろしいが、そんなことは言っていられない。バイトを増やすか……。
だが携帯は圏外だった。それどころか、画面がバグってる。
古いブラウン管テレビのように砂嵐が吹き荒れ、かと思えばラグの酷いネット動画のように液晶は歪み、水に浮く油のような不気味な虹色が浮き上がる。
ポンコツが。
思わず舌打ちをしそうになるが、耐える。
今は瑠璃ちゃんが傍に居る。オレの舌打ちが自分に向けてのものだと瑠璃ちゃんに誤解されたくない。いたずらに心を傷つけてしまう。
オレは瑠璃ちゃんが窒息だけはしないようにと瑠璃ちゃんの姿勢に注意し、傍に居るよとだけ小さく伝え続けた。
雅さんは……ごめん。申し訳ない。蹲る雅さんへ、謝意を込めて視線を向けた。
しかし二人とも尋常ではない苦しみ方だ。
雅さんは……いつの間にか狐の姿になっている。5本の尾は力なくへたり、けれど体毛は逆立っている。余程苦しいんだろう。
少しして、まず瑠璃ちゃんがえずきを止めた。見ると気を失っている。
続いて雅さんが狐の姿のままよろよろと立ち上がり、オレの傍へと近寄って来る。
オレは近づいて来る雅さんに背を向け、瑠璃ちゃんを抱えて立ち上がり、家の中へと入った。そのときに見えた雅さんの表情からは、狐の顔であっても絶望感が伝わって来た。ホントにゴメン。
瑠璃ちゃんをソファへ連れて行き、また嘔吐しても窒息しないように横向きに寝かせる。そしてすぐに雅さんの方へと戻った。雅さんは玄関の前で倒れていた。優しく持ち上げると、「くうん」と犬のように切なげに鳴いた。
「ごめんね、雅さん。辛いときに傍に居られなくて」
雅さんは疲れ果てているようで、力なくオレの腕に身を預けていた。力のない呼吸が切ない。
「なんとも……ございませぬか……?」
こんなときにもオレの心配を……。
一貫した姿勢に感嘆すると同時に、想われる喜びも感じる。
「雅さん、今は自分のことを」
何が起きたのか気になるけど、それはもう少し回復してからでいいだろう。オレは雅さんを抱えて家の中に入り、座布団の上に雅さんを寝かせた。程なくして雅さんも寝息を立て始める。
眠る二人を見ながら、オレは居間の椅子に座った。
「……」
これでは涼音のところには行けそうにない。
電話はやっぱり通じないし……テレビすらつかない。
オレは一つため息を吐き、風呂場へと向かった。
☆★☆★☆
「東堂様……」
「ん……?」
居眠りをしていたらしい。
誰かに呼ばれてオレは目を覚ました。
見ると雅さんが人の姿でオレの前にいる。
「大丈夫なの?」
「おかげさまで落ち着きました」
「そうか……。水を用意するよ。飲める?」
「いえ……まことに勝手ながら、水道を使わせていただきました」
「そっか。なら大丈夫か……。話は出来そう?」
雅さんは小さく頷いた。
「なにがあったのか教えて貰える?」
「……。やはり東堂様は何も感じてはおられませぬか……」
雅さんは眉を八の字にして困った様子だ。
そりゃあまあ。人の嘔吐は感じようがないというか。東堂家の周りに集団嘔吐が発生するような何かがあるんか。ヤバイな。
オレの心配をよそに、雅さんは言った。
「なんと申し上げれば良いのか……。ぐにゃぁ~となりまして……」
「ぐにゃぁ」
「はい。痛みはありませなんだ。ですが……そうですね……。飴細工を捻じるが如く、わたくしの視界が……いえ、すべてがぐにゃ~、と歪み……。なにかに呑み込まれそうな……恐怖と不快感だけがございました」
「すごい眩暈ってこと?」
「……」
雅さんは静かに目を細めた。
その程度なわけねぇだろ、と言わんばかりだ。なんかごめん。
「わたくしの体が何かに吸い込まれていきそうな……けれど押し出されてしまいそうな……。圧迫されているような、引き伸ばされているような……。相反する不快で不気味な感覚でございました。加工されている飴細工の気持ちが、今のわたくしには理解できましてございまする」
「そうなんだ……。今は大丈夫なの?」
「ええ。特には……」
「そっか……。大変だったね。もう少し休む?」
できればお風呂に入って欲しい。
「いえ……」
雅さんはどこか怯えたようにオレを見た。
「どうかした?」
「……いえ、なにもございませぬ」
雅さんは何事もないように微笑んだ。気のせいだったかと思うほどに綺麗な笑みだ。だからこそ分かる。これは演技だと。
雅さんはなにか怯えを抱えている。
「そうは思えなかったけど……オレの勘違いなのかな?」
「……」
雅さんは綺麗な微笑みを絶やさないまま、何も言わない。オレも何も言わずに進展を待った。雅さんがしらを切るならもうこの話はするつもりはないけど……と思っていたら雅さんはこう言った。
「東堂様にご心配頂けるとは……恐悦至極にございまする」
「そっか」
言う気はない、と。
「なにかオレに言いたいことがあったら、遠慮せずに言ってね」
オレの言葉を聞いて、雅さんは恭しくお辞儀した。
だが、オレの疑問はすぐに解消されることとなる。
この話の少し後に目覚めた瑠璃ちゃんが言ったのだ。
「世界が歪んでいた」
と。
☆彡☆彡
目覚めた瑠璃ちゃんはまだ衰弱していた。もう一度風呂に入らせ、念のためにと買っておいたおかゆを食べた瑠璃ちゃんが落ち着いたころに、オレ達は話を始めた。
「儂は東堂様の下女の雅じゃ」
雅さんは相変わらずオレ以外には横柄な態度だ。瑠璃ちゃんにだいぶ偉そうに自己紹介をしている。瑠璃ちゃんは恐ろしいものを見るように雅さんを見て、オレの傍に隠れた。雅さんはそれはもうガンギまりの目でそんな瑠璃ちゃんを睨む。
オレは雅さんをきつめに叱りつけた。もういっぱいいっぱいの瑠璃ちゃんを苛めないで欲しい。不快だよ。
そんなひと悶着を終えて、ようやく本題に入れるようになった頃、オレと瑠璃ちゃんはテーブルを挟み、向かい合ってソファに座った。雅さんにはオレの隣に座って貰ったうえで、目を閉じさせた。変に強い目力で見据えられると瑠璃ちゃんが怖がると思ったからだ。なのでいつもの綺麗な姿勢で静かに座って貰っておくことにした。
瑠璃ちゃんには色々と聞きたいことがある。とはいえ一つずつだ。まずあの嘔吐について。オレはあれを一回目の嘔吐のように、記憶の変化によるものだと思っていたけど……。
瑠璃ちゃんはこう言った。
―――世界が歪んでいた。と。
瑠璃ちゃんは年齢の割に語彙が豊富だった。さすがは現代っ子といったところか。
瑠璃ちゃんの話を纏めるとこうだ。
雅さんを認識した瞬間、世界が歪み始めた。最初は眩暈だと思った。それこそ記憶の変化を認識できる魔法少女だからこそ起きる眩暈がまた生じたのだ、と。しかしそれは一瞬で終わるもの。雅さんとの邂逅によって生じた眩暈は、重さも長さもその比ではなかった。まるでパレットに伸ばした絵の具がゆっくりと混ぜ合わせられるかのように世界が歪み、瑠璃ちゃん自身もその歪みの中に吸い込まれそうで、けれど押し返されるような奇妙な感覚を抱いたという。そして紙粘土を引き伸ばしてこねるように、自分の体が
例え方は違うが、総括すると雅さんの言っていることと似通っている。しかし一つだけ相違点があった。その歪みの行く先だ。瑠璃ちゃんの話し方的に、瑠璃ちゃんは歪みの行く先が明確に分かっているような印象があった。
瑠璃ちゃんは心配そうにこう言った。
「東堂さんは大丈夫だったの?」
「大丈夫だけど……。どうして?」
「え、だって……。あれは……」
「小娘」
瑠璃ちゃんの言葉を遮り、雅さんが言った。あまりに冷たい声音だった。それでいて重い圧力を感じるような。今の言い方では、一般的には言われた人は恐怖感を抱くだろう。瑠璃ちゃんは怖かったらしく、肩をびくりと跳ねさせた。
「雅さん、やめてね、それ。瑠璃ちゃん、ごめんね。続けて」
「いけませぬ、東堂様」
「雅さん?」
珍しい。反論して来た。
オレは雅さんの方を改めて向き、話を聞く。
「どうしたの? なにか不都合がありそうだけど」
「それは……」
「言えない?」
「……」
「さっきオレが質問したことを濁したことと関係ある?」
「そのようなことはございませぬとも。わたくしはただ、この小娘が疲れているようでございましたゆえ、そろそろ休んだ方がよいかと提言したく」
「雅さん、オレ以外の人間にそんな優しい気遣いしたことないよね……?」
「東堂様のお言葉、身に染みましてございます。少しだけ人に優しく生きて欲しい……そのお言葉を賜ってよりこの方、精進してまいりました」
「そうなんだね。嬉しいよ」
それが本当なら。その言葉を素直に受け入れるには、オレは雅さんとの仲が深まり過ぎた。雅さんの本質は残念ながら人を見下し(物理的に)食い物にする妖怪だ。少なくとも彼女は長い年月をそうやって生きてきた。オレのために変わろうとしてくれていることが事実でも、人はそんなすぐには変わらん。
「瑠璃ちゃん、話すのは辛い? もし君が辛いなら、もう少し休んでからにしてもいい」
「あ……それは……」
瑠璃ちゃんがちらと雅さんを見た。顔色を伺っているところを見るに、雅さんのことがやはり相当怖いようだ。同性だからかな? 見た目は地味……親しみやすい涼音の存在が惜しまれる。
「小娘、分かっておるな?」
「雅さん、怒るよオレも」
雅さんを呼んだのは失敗だったか。いやでも、オレに出来ることは少ない。雅さんの協力は不可欠だし。
「雅さんは何をそんなに心配してるの?」
「小娘の体調にございます」
「もし……なにか……。不都合なことを隠すためにオレのお願いを使ってるなら、それはとても哀しいことだよ。オレにとっては。切ない」
「そのようなことは……っ」
「でも、話の流れと雰囲気から、オレはそう感じてしまってる。瑠璃ちゃんも言いたくないわけじゃないみたいだし。それにオレは瑠璃ちゃんが
雅さんが初めて表情を崩した。少しの焦燥。
「ねえ、雅さん。どういう理由で言いたくないのか、オレに知られたくないのかは分からない。以前、言いたくないという人の言葉を聞き出して後悔したこともある。だから雅さんが隠そうとしていることを聞き出すことが本当に正しいのか、正直、わかんない。聞くべきかどうかも実は悩んでる」
オレは瑠璃ちゃんに向き直り、訊ねた。
「瑠璃ちゃん、茶々ちゃんたちを助けることにその情報は関わってる?」
「それは……。あんまり、関係ないかも……」
関係ないんだ。
「瑠璃ちゃんはどう思う? オレは
「分からない……。でも、知っていた方が……」
ちらと雅さんを見ると、静かに目を閉じて表情を消している。
分からんな。
雅さんからするとオレはその情報を知らない方が良いんだろう。
だが瑠璃ちゃんからするとどっちとも言えないが、どちらかと言えば知っておいた方が良いという感じか。
意見は相違しているけど、二人が体験したことはほぼ一致している。
なんだろう。
違うのは雅さんの視点と、瑠璃ちゃんの視点。もともと持っている情報量の違い……。魔法少女としての情報と、妖怪としての情報……? 雅さんに何か不利益があるのか? でもなんか、雅さんの態度からすると、どっちかというと……。
「もしかして雅さん、オレの心配してくれてる?」
ほんの少し、表情に変化があった。気がする。
つまり雅さんはオレを心配しているからこそ、オレに反抗している。しかもいつもなら「東堂様を案じてます!」って全身でアピールするのに、今はそれを気取られないようにしている。つまり雅さんからすると、マジにオレに知られたらオレのためにならないと思ってるってこと。自分のアピールポイントを増やすよりも、懸念そのものを隠した方が良いと雅さんは判断しているってこと。だよな。
オレは思った。
―――オレなんかやっちゃいました?
マジに
二人が苦しんでいたあの時間がオレのせいで起きたのだとすれば……。
確かに、瑠璃ちゃんは知っていた方が良いと言うだろう。
この子は正義感が強いがゆえに人情への配慮に欠けるところがある。それは茶々ちゃんと瑠璃ちゃんのやり取り……茶々ちゃんを想うがゆえに生じる軋轢を何度も見てきたことからまず間違いない。間違ったこと、自分が正しいと信じたことははっきりと言う、それは瑠璃ちゃんの長所であり弱点。尊重されるべき個性だ。
一方で雅さんはオレに対し、どのような形であれ思い入れが強い。「東堂雷留に気を損ねて欲しくない」という彼女の姿勢は、神社で一方的にオレへの服従を誓って来た時からこれまで一貫している。価値観が違い過ぎて割とPONしてるけど。雅さんと涼音の口喧嘩も、お互いへの煽り愛を除けば、「同類」にしたがる涼音と、オレの主張を擁護する雅さんとのぶつかり合いがほとんどだ。そしてオレの主張といえば「普通である」ということ。
そう思い辺り、オレはあらためて二人に質問することにした。
「オレ、なんかやっちゃった?」
瑠璃ちゃんは恐る恐る首を縦に振り、雅さんは最初やはりすまし顔をしていたが、瑠璃ちゃんの動きを見て苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
マジやん。
オレなんかしとるやん。