明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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GBF?8/魔巫法女妖少狐女9

 本堂の外に出て涼音を探す。

 すると、涼音は魔法少女の姿になって空の彼方へ飛んでいた。ぴゅー、と。

 

 それはさすがに無理だわ。

 

 オレは踵を返して本堂へと戻り、神主さんへと言った。

 

「すみません。自転車借りていいですか?」

 

「う、うむ……構わんよ」

 

 神主さんは面食らった様子で許可してくれた。自転車の鍵が置いてある場所を聞いて取りに行く。さすがに涼音の自動車を勝手に使うのはマズいと思った。

 本堂を出る前に、茶々ちゃんと瑠璃ちゃんに声を掛ける。

 

「ごめんね。びっくりしたよね」

 

「べ、べつに……っ」と声が裏返っていた瑠璃ちゃんは真っ赤な顔で首を振り、茶々ちゃんは「えへへ……」と茶々困ったように笑った。

 

「葵ちゃんも、ごめんね」

 

 葵ちゃんは静かに首を振った。

 

「……。よく見る……」

 

「そうなんだ」

 

 どこでよく見るんだろう。

 もしかして葵ちゃんの両親ああいう喧嘩するのかな。

 

「神主さん、この子たちのこと頼みますね。では」

 

 神主さんに向かって手をあげて、オレは自転車を取りに駆け出した。

 

 

 ☆彡☆彡

 

 

 涼音が向かった方へちゃりんこを転がす。流れていく風は冷たいを通り越して痛い。耳がひりひりする。

 オレは痛みを堪え、立ちこぎへとランクアップする。地上の障害物を素通りして飛んでいく涼音に追いつくにはもっと早くしなければ。もう見失っているけど、もしかしたら見つけられるかもしれないし。

 

 チャリンコ爆走族として風になっていたとき、それは起こった。

 音も風も色も無くなる感覚。

 

 彩乃さんかぁ……。

 

 ちゃりんこを走らせる。

 

 そのとき。

 

 オレは重い衝撃を受けた。いつのまにか、宙を舞っていた。

 ゆっくりと世界が回って見える。浮遊感。

 

 咄嗟に後頭部に両手を回した。

 オレの体は地面に激突し、ごろごろと転がった。

 

 いってぇ……。

 

 後頭部を守っていた手の甲を擦りむいた。季節柄長袖で上着も着てたから、顔を守っていた腕や上半身は痛いは痛いけど、打ち身くらいだと思う。下半身は太ももの布が破れて擦り傷が出来ているようだ。痛い。多分血も出てる。

 

「いってぇ……。なに?」

 

 独り言をつぶやきながら上半身を起こす。

 太ももの痛いところからはやっぱり血が滲んでいた。

 

 なにかに乗り上げたとか滑ったとかの事故じゃない。なにかが自転車を……。

 

「あっ……」

 

 神主さんの自転車が……。前のホイールがぐちゃぐちゃになっている。

 うわぁ、弁償かぁ……。すみません。

 

 周りを見渡す。

 

 いた。

 彩乃さんだ。

 

 彩乃さんは半裸だった。ところどころ服だったと思われる布が残っている半裸の姿。

 少し離れた場所の小さなクレーターの中からのそりと起き上がってきたところだった。

 

「あら?」

 

 オレに気づいたらしい彩乃さんが目を丸くした。

 頭から血が流れている。痛々しいが、どこか神秘的でもあった。

 

「やあ、彩乃さん。自転車壊したのってキミ?」

 

「えっ?」

 

 彩乃さんは驚いた様子でオレが指差した自転車だった物体へと視線を向けた。

 

「……」

 

 彩乃さんはオレに視線を戻し、頭から流れている血を腕で拭った。気まずそうな表情だ。

 

「そうとも言えるかもしれないわね……」

 

「あれ、借りもので―――」

 

 言い終わらないうちに、オレ達の前に何かが空から降り立った。

 白夜さんだ。だが、以前と違う。今回は傷だらけだ。彩乃さんがやったのかな?

 

 オレは彩乃さんを見たが、彩乃さんは白夜さんに鋭い視線を向けていた。だが白夜さんはオレの方へ視線を向けた。なにその三角関係。

 

「また、お前か……」

 

「どうも……いてっ……」

 

 お辞儀をしようとしたら体が痛んだ。

 

「あっ、豚だ」

 

 白夜さんに少し遅れて、あの豚も飛んできて、白夜さんの隣に降り立った。

 彩乃さんはオレの傍に近寄り、オレを庇うように立つ。スパークを纏った剣がカッコイイ。

 

「「またお前か、人間」」

 

「ヤな感じだね、その言い方」

 

「「……」」

 

 豚は……分かりづらいけど、オレを値踏みしているようだ。

 白夜さんが静かに剣を構えるが、豚は「「待て」」と白夜さんを咎める。

 

「何故止める。一撫で首を落とせる」

 

「「分からんか。やはり貴様は木偶人形だな」」

 

 豚が白夜さんに吐き捨てる。

 白夜さんと彩乃さんがぴくっと反応した。

 白夜さんは苛立たし気ではあるが、「なにがだ」と豚に問いかけた。苛立ちは抑えたらしい。

 

 豚はこう言った。

 

「「我が妖気の流れが歪だ」」

 

「なに……?」と白夜さんは改めてオレを見ると「まさか……!」と目を見開いて驚いた。

 

「は? なにが?」とオレが問いかけると、白夜さんは言った。

 

「避けているのか……? 妖気が、あの人間を……?」

 

 妖気、妖気ねぇ……?

 周囲を見渡す。特に何があるわけでもない。

 

「「避けているのではない。これは……消されているのか」」

 

「バカな! 三妖の妖気を、人間如きが!?」

 

 三妖。

 また新しいワードだな。

 幹部クラスの役職名かな?

 

「「侮るな。かつて『妖魔の妃』を堕落させ、我らを裏切らせた者もまた人間。彩乃の父だ」」

 

 豚はなにやら身じろぎをした。

 よく見れば出血している。紫色だけど、豚のでかい体に滲んでいるのはきっと血だと思う。彩乃さんが刀で斬りつけた痕のようだ。

 

「「あれもまた妖魔の血を引くのだろう」」

 

 あれってオレのことだよね。

 彩乃さんも言ってたけど、引いてないと思うよ。

 

「やっぱり、そういうこと……。わたしは間違っては……」と彩乃さんが小さく呟くのが聞こえた。

 

 やっぱりじゃないし、ちゃんと間違ってるよ。

 

「「どんな妖魔の血を引くかは分からぬが、彩乃然り……どうやら混血は特殊な力を持つようだ。既に『天蓋』が滅ぼされている以上、侮ることは出来ぬ。妖魔皇帝に報告をする。一度、妖魔界へ戻る」」

 

 妖魔皇帝。

 さすがにこれは一番偉いやつだろうな。

 

 豚はばさばさと翼を羽ばたかせる。突風が吹き荒れて、豚の巨体が宙に浮いた。

 白夜さんもまた足が地面から離れている。

 

「あらぁ? 逃げるのかしら?」

 

 豚は彩乃さんを一瞥だけして、さらに空高く浮いていく。

 彩乃さんは無視されたことに苛立ったのか、表情を凄めて言った。

 

「逃がすと思う? ここで死んでいきなさいな」

 

 彩乃さんが身を屈めて空を見上げた。

 今にも飛び掛かりそうだ。

 

 豚は彩乃さんを見下ろして、こう言った。

 

「「追って来るなら殺してやろう。構わん、好きにしろ」」

 

「……」

 

 彩乃さんは豚を見据えたまま、静かに構えを解いた。

 

「「正しい判断だ」」

 

 そう言い残し、豚と白夜さんが消えた。

 

 彩乃さんは「ふぅー」と大きくため息を吐いて、肩から力を抜いた。すとんと肩が落ちる。そして振り返ってオレを見ると、微笑んだ。

 

「ふふ。ふふふ。ねえ、あなた。わたしのあなた。今回はすぐに会えたわねぇ」

 

「君のオレじゃないけど、すぐに会えたのはそうだね。元気そう?」

 

「あら、元気そうに見えるかしら? なら良かったわぁ。痩せ我慢している甲斐があったもの」

 

 彩乃さんは相変わらず微笑んでいる。

 やっぱり絶好調というわけでは無いようだ。痩せ我慢をしているらしい。

 

「元気じゃないの?」

 

「ふふ……」と笑った彩乃さんの表情にほんのりと影が落ちる。

 

「やっぱり、少しきついかしらね」

 

「白夜さんのこと?」

 

「そう、ね。分かってはいても……といったところかしら。似姿とは言え、切り刻むのは心が痛むわ」

 

 彩乃さんは楽しそうに笑い、こう続けた。

 

「お父さんの似姿……。何故かしらねぇ……。切り刻むと涙が出て来て……」

 

「彩乃さん……」

 

「少し、ぞくぞくするの」

 

 さらに彩乃さんはお腹に手を当ててこう続けた。

 

「背中と、ここが」

 

「なるほど……」

 

 思わず彩乃さんのお腹に目を向ける。

 今回は股間が隠れているので遠慮なく見れる。いや、女性の肌を遠慮なく見るというのもマズいか。

 そして気づく。

 彩乃さんのへその少し下あたりがぼんやりと発光し、その光が何か……模様のようなモノを浮かび上がらせていた。

 

「え、入れ墨?」

 

「ち、違うわよ!」

 

 彩乃さんは取り乱して叫んだ。

 珍しい。

 

「違うの?」

 

「違うわよ……」と呆れたように言った彩乃さんだったが、すぐにいつもの妖艶な笑みを浮かべてこう続けた。

 

「これはね、淫魔大覚醒というものなの」

 

「なにそれ?」

 

「ふふ」

 

 彩乃さんは勿体ぶったように笑った。

 

「少し長くなるけれど……」

 

「いや、それならいいや。オレ今日も急ぎでね。それじゃ」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいな!」

 

 彩乃さんに背を向けて自転車だった物体の方へと歩き出したオレの腕を、彩乃さんが焦った様子で掴んだ。それが丁度痛めたところで、オレは思わず声を出した。

 

「いたっ!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 彩乃さんが慌てて手を放した。

 

「そう言えば、あなた……怪我をしているのね。というか……するのね……」

 

「まあ、派手に転んだからねぇ……」

 

 彩乃さんは切なげな表情でオレの手の甲の傷を見つめている。

 

「治してあげたいけれど……以前のように跳ね飛ばされちゃうのもねぇ……」

 

「その節はごめん」

 

「気にしてないわ」

 

 彩乃さんの笑みは自然なものに見える。そしてまた傷をじっと見て、またオレの目を見た。

 

「自分では治せないのよね?」

 

「そのうち治るとは思うけど、そう言う意味じゃないんだよね?」

 

「そうね……。こう、自分の中の妖力に意識を向けて……」

 

「ないよ、そんなの」

 

 オレは苦笑した。

 

「前も言ったと思うけど、オレ、純粋な人間だからね」

 

「『蛆の主』もあなたを半妖と言っていたけれど?」

 

「あの豚のこと?」

 

「そうよ。あれは暗黒の泥に巣くう蛆たちの主。妖魔王の傘下、『風食(かぜばみ)』、『海枯れ』と並ぶ三妖魔の一角」

 

 あの豚、そんなたいそうな肩書持ってるんだな。

 

「本当に不思議。『蛆の主』の妖気は触れた生きとし生けるすべてのものを腐食させ狂わせる腐敗の霧。私でも影響を抑えるためにかなりの力を使うのに……。ふふ。あなた、平気な顔をしているのだもの」

 

「それでもオレは―――」

 

「いいの。いいのよ。あなたが何者でも構わないの」

 

 そう言って、彩乃さんは楽しそうに微笑んだ。

 

「あなたが欲しいわ」

 

「ごめんなさい」

 

「ふふ、断られちゃったわね。ふふ」

 

 彩乃さんは頬を赤く染めて笑った。

 胸元に片手を当て、心臓を掴むような所作で拳を作る。

 

「ああ……」

 

 彩乃さんが艶めかしい吐息を零す。

 

「ぞくぞくしちゃう……っ」

 

 そう言ってぶるりと身を震わせた。

 

 ……。

 

 なるほど。

 

「ねぇ、あなた。恋人はいるのかしら?」

 

「ごめん彩乃さん。今、ホントに急いでるんだ。また今度にして貰える?」

 

 オレは自転車だった物体を持ち上げた。これを持って涼音を追いかけるのはちょっと大変だな……。

 どうしたものか……。

 

「ちょっと貸してくれるかしら?」

 

 彩乃さんが近づいてきてオレに手を差し出した。

 もしかして何か魔法的な力で治してくれるのかな?

 そう思ったオレは彩乃さんに自転車を差し出した。

 

 すると……。

 

 彩乃さんはひしゃげていた自転車のホイールに電気をバチバチと流しながら、力技で形を整えてしまった。涼し気な顔で。

 

 ぱわふるぅ~。

 ちょっとだけだが、ときめいてしまった自分がいた。

 

「すごいね……」

 

「喜んで貰えたかしら?」

 

「うん。凄く。マジで切実だったから」

 

 チェーンは問題なさそうだ。きっとまだ走れる。

 

「ありがとう、彩乃さん。本当に助かったよ」

 

 オレは笑って彩乃さんの手を掴み、ぎゅっと握りしめた。

 

「うふふ。いいのよ。もとはといえば、私が壊したのだし」

 

「彩乃さんが気にすることじゃないよ。アレはあいつらが悪い。いつもみたいに吹っ飛ばされてたんでしょ?」

 

「……いつもみたいに、というのは心外だけれど。ふふ。言われてみれば、そんな出会いしかしていなかったわね。私たち」

 

「そうだね。次は……そうだな。会う約束、しておく?」

 

「……!」

 

 彩乃さんは驚いたようだ。目を丸くしている。

 

「いいの?」

 

「もちろん。もともと、彩乃さんからの連絡を待ってたんだし。そうだな……初めて会った駅、覚えてる?」

 

「ええ。覚えているわ」

 

「あそこの南口に、来週の土曜日の午後一時。どうかな?」

 

「ええ。大丈夫。私、必ず行くわ。だから、あなたも必ず来てね?」

 

「うん」

 

「それと……彩乃って呼んでくれるかしら?」

 

「いいよ。じゃあ、来週ね。またね、彩乃」

 

 オレは手を挙げて挨拶をし、直して貰った自転車に乗って漕ぎ出した。

 

 しばらく走り、景色が変わる。

 涼音はどこに行っただろうか。

 

 

 ☆彡☆彡

 

 

 日暮れまで探したけど、涼音は見つからない。

 特に思い出の場所とかもないしなぁ……と思ったとき、閃いた。

 神主さんに心当たりを聞いてみよう。

 

 自転車を止め、携帯を取り出す。ちゃんとつながった。なんで毎月料金を払ってるのにそんな心配をしなければならないのかと思いつつ、コールする。

 すぐに神主さんは出た。開口一番、涼音の心配をする神主さんを宥め、涼音が向かった方角と現状・事情を説明する。すると神主さんはその方角にある川の近くの公園を候補に挙げたので、オレはお礼を言って電話を切り、其処へと向かう。

 

 いた。

 涼音はブランコに乗っていた。ゆらゆらと揺れている涼音を見て、思わず苦笑する。

 オレの接近に気づいた涼音は、どこか怯えた様な警戒心の滲む瞳をオレに向けた。

 

「そんなに怯えないで?」

 

 オレは涼音の前……ブランコの前に設置された柵の上に座った。細い鉄の棒だ。お尻が痛い。止めとけばよかった。けど涼音と視線を合わせるにはここ以外には……。しゃがむとオレの方が低くなるしな……。

 

「涼音、探したよ」

 

「雷留君……。何しに来たの?」

 

「涼音と話をしに」

 

「話を……?」

 

 涼音の瞳から警戒心が僅かに溶ける。

 

「そう。話を。連れ戻しに来たと思った?」

 

「……」

 

 涼音はじっとオレを見つめている。

 オレはやんわりと微笑んだ。

 

「心配したんだよ、涼音」

 

「……」

 

「ここにいるんじゃないかって、神主さんから聞いたんだ」

 

 まだ涼音のお母さんが生きていた頃、ここで家族三人、休みの日には川遊びをしていたと聞いた。神社の神職という仕事柄あまり遠出が出来ない神主さんの、精一杯の家族サービスだったようだ。神主さんは早々に切り上げて神社に戻り、また夕方ごろに迎えに来ると言った感じだったようだが。

 

「……」

 

 オレはじっと座っていた。尻が痛いのを堪えて。

 やがて涼音が言った。

 

「雷留君も……どうせお父さんと同じなんでしょ」

 

 拗ねた様な口調。

 オレは苦笑した。

 

「そう思っちゃうよね。あのとき、オレは何も言わなかったから。何も言わないって言うのは、消極的な同意だと思われても仕方ない」

 

「……違うの?」

 

 か細く、どこか甘えた様な声音。

 涼音は上目遣いにオレの顔色を伺うようにして言った。

 

「部分的には同じだけど、部分的には違うかな。端的に言えば……」

 

 そこまで言って、オレは手を挙げた。

 

「分かんないや」

 

「……」

 

 涼音はきょとんとした表情でオレを見ている。

 

「オレはさ、特別な力が無いんだよ。空も飛べないし、魔法も霊能力も使えない。涼音たちが感じられるものをオレは感じられないし、涼音たちが見れるものをオレは見られない。霊長の魔獣人も、鬼や天狗も、オレにはコスプレをしている変態にしか見えない。この間の敵情視察って言う案も、結局は戦記物の受け売りでしかなくて……その場しのぎの案だったけど、オレとしては良い案だと思ってた。でも結果、みんなを危険に晒すことになった。雅さんの言う位階とか、皆の言う魔力とか妖力とか、そういうのも感じられない。危険度って言えばいいのかな? オレにはそれが分からないんだ」

 

 苦笑する。

 

「ライオンとか熊とか、見るからにヤバそうで、かつ事前知識があれば良いんだけど全くの未知過ぎてね。涼音の言う通りみんなでかかれば倒せるのかそうでないのか、オレには判断がつかない。だから改めて聞きたいんだけどさ。涼音は霊長の魔獣人……あの女を、みんなでかかれば倒せると思うの?」

 

 涼音は頷いた。

 

「そうなんだね。でも瑠璃ちゃんはそうは思わなかったし、雅さんは懸念点が多いと判断していた」

 

 涼音が眉を寄せる。

 

「それはどうしてだと思う?」

 

「……どうして?」

 

「うん。どうして涼音と瑠璃ちゃんたちの考えは一致しなかったんだろう? 同じものを見て感じたはずなのに」

 

「それは……」

 

 涼音は悩まし気に目を伏せた。

 

「茶々ちゃんを危険に晒したくないから……って」

 

「そう言ってたね。じゃあ雅さんは?」

 

「あいつは臆病者だから」

 

 雅さんに関しての問いかけに対して、涼音の返答は早かった。

 オレは頷いた。

 

「なるほど。涼音はそう思うんだね」

 

「違うの……?」

 

 涼音が恐る恐るといった様子で問いかけてきた。

 オレが答えを持ってるって思ってるんだろうけど、そうじゃないよ。

 

「さあ、どうだろう? 雅さんの考えていることはあんまり分からないんだ。まだ隠していることもありそうだし」

 

「……?」

 

 涼音は少し苛立たし気に眉を寄せる。

 

「瑠璃ちゃんは茶々ちゃんを想って、雅さんは自分可愛さに、それぞれ戦いを避けた。涼音はそう思ってる」

 

 涼音が頷く。

 

「じゃあ、神主さんはどうして涼音を止めたと思う?」

 

「それは……」

 

「ホントは分かってるんじゃない?」

 

「……」

 

 涼音は俯いた。

 

「神主さんはただ涼音が心配なだけだよ。怪我をしたりしてほしくないだけだ。そこは認めてあげてくれないかな? 神主さんの言葉は少し……きつかったかもしれないけど、涼音を否定するつもりはなかったと思うんだ」

 

「……でも。霊能力を持ってない方が良かったって言った……」

 

「そうだね。それは涼音にとってすごく苦しい言葉だろうなって、オレも聞いてて思った」

 

「うん……」

 

 涼音は小さく頷いた。

 

 神主さんは涼音に普通の女の子として生きて欲しかった。

 でも涼音は自分の力を受け入れてアイデンティティとして昇華させている。唯一の肉親にありのままを受け入れて貰えなかったという事実は、彼女の心を酷く傷つけたことだろう。

 

 涼音は多分、ありのままの自分を受け入れて欲しいんだと思う。もちろんそれだけじゃないだろうけど、初めて会ったときから今まで、涼音は『霊能力を持つ普通じゃない自分』に自負を抱いていた。でも神主さんは涼音の幼いころから一貫して『普通の女の子として生きて欲しい』と願い、涼音にそう接して来た。抑えつけられていたものが、魔獣人という明確な悪を見つけたことで爆発しているんだろう。

 形は違うけど、要するに反抗期ということだ。厳しい親を持った子がグレてヤンキーになった、みたいなものだろう。それがあくまで人助けに向いているのは、涼音が良い子である証拠だなと思う。オレも好きなところだ。

 

「涼音。オレは涼音のことが好きだよ。大切な友達だと思ってる」

 

「えっ……?」

 

「その上で言わせてもらうけど……。もしもあの夜、涼音がオレの制止を聞かずに一人で病院を飛び出すことを強く望んでいたら、オレは涼音を見送るつもりだった。追いかけることもしなかったよ」

 

「……え?」

 

「オレは涼音を大切に思ってるから、危険なことをしようとしていたらそれを止めるようお願いするけど……涼音が強く望むならその選択を受け入れるしかない。もちろん出来る限り力を貸すけど、あのときは瑠璃ちゃんが居たからね。涼音と瑠璃ちゃんなら、オレは瑠璃ちゃんを優先したと思う」

 

「そ、そんな……」

 

 涼音が青褪めた。

 

「勘違いしないで欲しいのは、瑠璃ちゃんの方が大切ってわけじゃないってこと。オレと涼音の二人しかいなかったらオレは涼音に着いて行ってたし、涼音が躊躇って瑠璃ちゃんが行くことを強く望んでいたら、そのときは瑠璃ちゃんを見送って涼音の傍に残ったと思う。あくまで本人が望むから見送るっていう話ね」

 

「どういうこと……? 何が……言いたいの……?」

 

「神主さんはたとえどんな状況下であっても、涼音がどんな選択をしても、最終的には涼音と一緒に行っただろうな、ってこと」

 

 涼音が息をのんで目を見開いた。

 

「そ、れは……」

 

「涼音は小さい頃に同級生に心を傷つけられて、今、何回も魔獣人に瀕死の重傷を負わせられている。それをずっと見てきた神主さんは、ほんとのところ、気が気じゃないと思う。オレに八つ当たり……っていうと違うかもしれないけど、「なんで涼音の傍に居てくれなかったんだ」って、怒ってたよ。オレが居たらそんな怪我をしなくてよかったかもしれないのに、って」

 

「お父さんが……?」

 

「うん。電話だったけどね。この間倒れて病院に運ばれたときも、似たようなことを言われた」

 

 苦笑する。

 

「神主さんは涼音が大好きなんだなって、オレはそのときも思ったよ」

 

 涼音に笑いかける。

 

「親の気持ちなんてオレ達には分からない。それが分かるのは、オレ達が親になったときだろうね。だから実感としては掴みにくいとは思うんだけどさ。きっと神主さんのあの言葉は、自分から傷つきに行こうとする娘を何が何でも止めようとする……不器用な親心から出たものだったんじゃないかな? いつまで経っても、親からしたら子供は子供だって言うしね」

 

「……」

 

「ああ言えば涼音が止まると思ったんだよ。オレは逆効果だなぁって思ったけど」

 

 涼音は俯いて、しかし少しだけ……笑いをこらえているような震えた声でこう言った。

 

「そうだよ。ひどすぎだよ、あの言い方は」

 

 そうは言いつつ、どこか嬉しそうに見える。

 

「うん。オレもそう思うよ」

 

「お父さんはわたしのこと、なんにも分かってない」

 

「そうかもしれないね」

 

「ごっこ遊びのフリーターだよ……!?」

 

「そうだね」

 

「ひどいよね!?」

 

「うん。ひどい」

 

「お父さんは昔からそうなの。あのときだって―――」

 

 と涼音の神主さんに対する愚痴がヒートアップしていく。しかしその声音にはどこか楽しそうな雰囲気が滲んでいた。

 オレは相槌を打ちながら、涼音の話を聞く。

 

 涼音もお父さんが大切なんだなぁ。

 そう思いつつも、それを言ったら涼音は反発しそうなのでやめておく。

 

 そして涼音の愚痴が落ち着いたころ、オレは言った。

 

「涼音は神主さんのことって詳しいの?」

 

「え?」

 

「なんとなくなんだけどさ。もしかしたら意外と、神主さんも同じこと思ってるかもなぁって」

 

「同じこと……?」

 

 涼音は可愛らしく小首を傾げた。

 

「うん。『涼音は父さんのことを何にも分かってくれてない!』って」

 

 涼音はぽかんと目を丸くした。そして少しだけ間を置いて、「ぷっ」と噴き出した。

 

「あはは。あの堅物お父さんがそんなこと思うわけないよ」

 

「そうかな? 実は思ってるかもしれないよ?」

 

「ないない。無いよ」

 

 涼音は笑って言うが、ふいに物思いにふけるように少し顔を伏せた。

 

「そうなのかな……」

 

「一回、ちゃんと話してみてもいいかもしれないよ?」

 

 とはいえ、関係が近いと互いに「分かってよ」っていう甘え合戦が始まるから、三者面談みたいな形の方が良いかもしれないけど。

 

「ま、とりあえずは神主さんに謝って貰ってからだね」

 

「え……?」

 

 涼音が不思議そうに小首を傾げる。

 

「だって涼音、傷ついたでしょ? そのことはしっかり伝えて良いと思うよ」

 

 オレも目の前で涼音が傷ついたことには心を痛めている。

 それに、今は涼音も穏やかだけど、神主さんの顔を見たらまた傷つけられたときの感情を思い出して荒れると思う。今だけだよ、穏やかなのは。多分ね。

 

「それと……」

 

 とオレは間を置いて、じとっとした目つきで涼音を見た。

 涼音が可愛らしく怯える。

 

「子供たちの前で取り乱さないの。怖がってたよ、あの子たち」

 

「はい……。それは……ホントにすみません……」

 

「あの子たちには謝ろうね?」

 

「はい。謝ります……」

 

 涼音がしょんぼりと頭を下げた。

 素直に謝れたのは、心に余裕が出来ている証拠だろう。

 

「えらい」

 

「えへへ」

 

 オレがそう言って微笑むと、涼音はぱっと顔をあげて、嬉しそうに顔をほころばせた。嬉しそうだ。まるで尻尾振った犬みたいだな。

 

 そこでオレはもう一歩踏み込むことにした。

 

「それでさ、涼音」

 

「うん? なあに?」

 

 涼音はもう何でもないように返事をしてくる。若干猫なで声なのは気になるが……。

 

「一旦待ち、っていう方針、受け入れられそう?」

 

「それは……」

 

 と涼音が言い淀む。

 

「いいよ、聞かせて? 受け入れられない?」

 

「そういうわけじゃないけど……でも……。本堂でも言ったけど……。わたしは霊能力者なの。妖怪退治屋の血を引く女だから」

 

「うん」

 

「怪異に背中は見せられない……」

 

「うん」

 

「みんなで戦えば絶対に勝てるのに。どうして分かってくれないのかな……」

 

「そっか。もどかしいねぇ……」

 

「うん……もどかしい……」

 

「ところで涼音ってさ、ゴキブリ、大丈夫?」

 

「え? 無理……。うち、山が近いから多くって……一回、足の上に乗って来たこともあって……ああ! 思い出しただけで気持ち悪い……っ!」

 

「そっか。じゃあ、今から神社中のゴキブリ探し出して殺して回ろ」

 

「え? やだよ!? 雷留君何言ってんの!? あんなの見たくもないのにわざわざ探すなんて、無理無理無理!」

 

「なんで? 放って置いたら繁殖するし、いつかまた同じことが起きるかもよ? もしかしたら……寝てるうちに天井から落ちて来て口の中に入って来るかも……」

 

「ええ!? やめてよ! 怖いこと言わないで!」

 

「えー? 今のうちに駆除して置けば絶対楽なのに……どうして分かってくれないのかなぁ……?」

 

「……」

 

 なんとなく察してくれはしたらしい。

 

「ねえ、涼音。瑠璃ちゃんはさ……今、心に凄い傷を負ってるんだ。もしかしたら、見たくもないくらいかもしれない」

 

「うん……」

 

「瑠璃ちゃんは友達も家族も……全部を失う寸前で、何日も孤独に過ごして来たんだ。今すぐ戦うことは難しいと思うよ。あの子も強がりだから、昼間はああ言ってたけど……本当のところはどうだか」

 

 茶々ちゃんを助けるという一心で奮起した瑠璃ちゃんは、その目的が達成された今、果たして何を思っているのか。あのとき瑠璃ちゃんが抱えていた恐怖・絶望感、そのすべてを払しょくできたとは、オレは思っていない。

 

「みんなで戦えば勝てるっていう涼音の言葉を、オレは信じる」

 

「うん……」

 

「オレは涼音が間違ってるとは思ってない。涼音は正しいことを言ってる。でもね、もしかしたら、それが瑠璃ちゃんたちを精神的に追い詰めてしまうかもしれない」

 

「……」

 

「『涼音さんの言っていることは正しい。正しくて……戦うべきなのに……。どうしてわたしはそれができないんだろう』とかね。もしも自覚のないトラウマが彼女たちを縛っているんだとしたら、それはとても辛いことだと思うんだけど、涼音はどう思う? 瑠璃ちゃんの約三週間の話は聞いてるでしょ? そのときのトラウマ、瑠璃ちゃんに何も残ってないと思う?」

 

「思わない……。思わないよ……」

 

 涼音が苦し気に目を伏せた。

 

「そうだよね。でも、瑠璃ちゃんは魔法少女だからね……。すぐにでも戦うべきかな?」

 

「……」

 

 涼音は静かに首を振った。その表情は悲痛に歪んでいる。

 

「涼音もそう思う? オレも思うんだ。すぐに戦うのはちょっと酷だなぁって」

 

「そう、だね……。可哀そうだと思う。わたしも」

 

 オレは「そうだよねぇ」と相槌を打ち、続ける。

 

「だとしたら雅さんも同じなのかも」

 

「雅も……?」

 

「うん。彼女、日頃の行いがちょっとアレだから、そうは見えないんだけど。ずっと弱い立場にいたんだよね……。魔獣人にずっと命を狙われ続けてた。怖かったと思うよ。そう考えると、あくまで迎撃っていう態度も納得できちゃうというか……。もうそうするしかないにしても、よくやってるなぁって」

 

「確かに、そうかもしれない……」

 

 不服そうではあるが受け入れてくれた涼音に、オレは微笑みかけた。

 

「ねえ、涼音。初めて会ったときに言ったこと覚えてる?」

 

「え? 初めて会ったとき……?」

 

「うん。オレが涼音に感銘を受けたって話」

 

「あ……。うん、覚えてるよ。覚えてる……」

 

「霊能力のせいで子供の頃は辛い目に遭ったのに、誰かのために頑張ろうって思ってるなんて、凄い立派な巫女さんだなぁ、すごく優しい人なんだなぁって、思ったんだ」

 

 涼音の頬がほんのりと赤くなる。

 

「だからこれはオレのエゴというか、オレが涼音のそういうところが好きだから、っていうお願いなんだけど……。あのとき、初対面のオレの心を慮ってくれて……毛嫌いしてた雅さんの境遇を憐れんでくれた涼音の優しさを、どうか忘れないでいて欲しいな」

 

「雷留君……」

 

 涼音の目が潤んでいる。

 あー、や、泣かせる気は……。というか泣くようなとこあったか?

 

 涼音も追い詰められてたんだろうな、とは思う。

 

 彼女の妖怪退治屋、霊能力者としての自負は、神社では蛇の魔獣に、先日は霊長の魔獣人に敗北したことで完膚なきまでにへし折られてしまった。それを立て直すために焦っていたところもあったんだろう。目に見える結果が欲しかったんだと思う。それが神主さんの言った『視野が狭い』という言葉と、『ごっこ遊び』の言葉の真相だとオレは思う。

 

 以前、妖狐について記された本と一緒に涼音に借りた妖怪退治屋についての書記によると、彼らは被害者のアフターケアにも力を入れていたらしい。

 

 涼音の目の前には、一番に気に掛けてあげないといけない人たちがいたんだ。魔獣人という怪異に心身を酷く傷つけられた、小学生の女の子たちが。そこに気づけてないからこそ、『視野が狭く』『遊び』だと神主さんは言いたかったんじゃないかな、と思う。もしかしたらそこまで考えてないかもしれないけどね。

 

「涼音。納得できない気持ちがあるならいつでも言ってね。涼音の話ちゃんと聞くし、一人で悩まないで欲しいな。付き合いはまだ短いけど、オレも涼音のことを大切な友達だと思ってるから。さっきもさ、一人で飛び出されて寂しかったよ。『雷留君、来て!』って、連れてってくれたらよかったのに。オレは涼音の敵じゃないんだからさ」

 

「……っ! 雷留君……っ。ごめんね……」

 

 言葉に詰まりながら、涼音は続けた。

 

「ほんとに、ほんとにごめんね……。わたしが……悪かったの……」

 

 涼音は泣きそうに顔を顰めている。

 オレに謝ってるけど、実際は色んな人に……涼音が内心で罪悪感を抱いていた人みんなに謝ってるんだろう。神主さんにも瑠璃ちゃんにも……きっと、雅さんにも。

 

 オレは涼音に微笑みかけてこう言った。

 

「涼音は悪くないよ」

 

「……っ!」

 

 オレの言葉を聞いた涼音は、その直後、涙腺が決壊したかのように涙を流し始めた。

 

「悪いのぉ……っ! わたしが悪いのぉ……っ! だって、雷留君、傷だらけで……!」

 

「ん? ああ。これは転んだだけで……」

 

 触れて来なかったから気づいてないのかと思ったけど、言い出せなかっただけだったか。

 

「わたしを、わたしを探してて、転んだんでしょ!? ごめんねぇ!」

 

「いや、そういうわけじゃ……っと」

 

 涼音がブランコから飛び降りてオレに突撃して来た。

 

 オレは思った。

 

 ―――あぶねぇって。

 

 意地で涼音を受け止める。涼音の突撃にそこまで勢いが無くてよかった。膝に縋りつくくらいで止まってくれてよかった。

 それでも尻が鉄パイプに食い込み、ケツが痛む。打ち身も痛む。

 

 ぐおおおおおお。

 

 ごめんね、とオレの膝の上で泣く涼音の頭を、ケツの痛みを堪えながら撫でる。

 しばらくして涼音が泣き止み、恥ずかしそうに離れた頃、さすがにケツの痛みが我慢の限界を超えていたのでオレは立ち上がった。少しよろける。

 

「さて、と。オレはそろそろ帰るよ。話したいことは話せたから。一緒に帰ってくれるなら、凄く嬉しいけど……、どう? というか、神主さんに大見栄を切って出てきたから、一緒に帰ってくれると嬉しいなぁって……。ダメかなぁ?」

 

 涼音に横目を向ける。

 ぶっちゃけ、ケツが痛くてチャリンコに乗りたくない。抱えて空を飛んで欲しい。

 

 涼音は「ふふ」と失笑し、目を袖で人拭い、こう言った。

 

「もう、しょうがないなぁ!」

 

 涼音は爽やかに笑った。

 

 

☆彡☆彡

 

 

 その夜、激しい戦いが起きた。

 わたしたち三人の魔女を相手に、『霊長』と名乗る『魔獣』は圧倒的な力を見せた。

 これまでわたしたちが戦って来た魔獣とは比べ物にならないほどの強さ。多くの人間の夢と心を喰らって来た、人間の天敵、化け物の力。

 

 わたしと、友達の「みどり」ちゃんはもう満身創痍。わたしは立つのがやっとで、みどりちゃんはもう立つことすらできなかった。傷だらけで倒れて動かないみどりちゃんを、わたしは魔法の杖を支えにしてかろうじて立ちながら見つめた。

 

 みどりちゃんの名前を呼ぶ。返事はない。

 

 空ではまだ戦いが続いていた。

 魔法の剣を持つ、年上の魔女『瑠璃』さんは、霊長の魔獣の放つ銃弾を魔法剣で弾きながら空を飛び回り、果敢に攻め立てている。でも、焦りと疲労が見える瑠璃さんに対して、霊長の魔獣は涼し気で、楽し気だ。人を見下し食い物にする下品な笑みを崩していない。

 

「あああああああ!!」

 

 瑠璃さんは魔法剣を振りかぶり、雄たけびをあげて突っ込んでいく。だけど霊長の魔獣の放つ弾丸の幕を越えることは出来ない。何度も何度も押し返されて、既に瑠璃さんの体は傷だらけだった。

 それに……瑠璃さんはずっと大人の女性だと思っていた。無口で厳しいけど、頼りがいのある大人の女性だって。でも今の瑠璃さんの姿は……わたしたちとそう変わらない、少女のもので……。どっちが本当の瑠璃さんなんだろう。大人の姿は、魔法で変身した姿だったんだろうか……。

 

「怯えているなぁ?」

 

 霊長の魔獣は楽しそうに瑠璃さんを煽った。瑠璃さんが魔法剣を握る手は霊長の魔獣が現れてからずっと……小さく震えていた。

 

「なんのこと?」

 

 瑠璃さんはそう言ったけど、それが強がりだってことはわたしでも分かった。瑠璃さんと実際に戦っている霊長の魔獣には、瑠璃さんの抱える『恐怖』をわたし以上に実感していると思う。

 

「瑠璃さん!」

 

 わたしの叫びに、瑠璃さんは驚いた様子でわたしを見た。

 

「まだいたの!? 逃げなさい!」

 

 瑠璃さんはわたしたちがまだここに残っていることにすら気づいていなかった。それだけ心に余裕が無いということだろう。仕方ないと思う。わたしだって……怖くって。足が竦んで動けない。

 

「ふっ」

 

 霊長の魔獣が笑った。その笑いに含まれた意味は嘲りだった。

 

「この瞬間が……一番楽しいんだ」

 

 霊長の魔獣はそう言って、わたしの方へと銃口を向けた。

 

「やめろ!」

 

 瑠璃さんは叫んだ。だけど霊長の魔獣は瑠璃さんを一瞥することも無く、手に持った魔法銃の引き金を引いた。

 瑠璃さんがわたしの前に飛び出し、銃弾を弾いてくれる。二発、三発。続けて発射される銃弾をすべて弾き切ったとき、霊長の魔獣はふいに銃口を動かした。

 

「みどり!」

 

 わたしと瑠璃さんの声が重なった。

 瑠璃さんはみどりと霊長の魔獣の間に体を滑り込ませようと飛び出した。でも、きっと間に合わない。

 わたしは情けないことに、動くことは出来なかった。

 

 銃声が響く。

 瑠璃さんは手に持っていた魔法剣を投げて銃弾を弾いた。

 しかしそのせいで瑠璃さんは……。

 

 次々に発射される弾丸の雨に撃ち抜かれ、血しぶきを上げながら地面に墜落した。

 

「あ、あ……」

 

 わたしの声は震えていた。

 情けない、絶望に濡れた声だったと自分でも思う。

 霊長の魔獣はニタニタと笑っている。弱い者いじめ……そんな言葉が脳裏を過る。わたしは自然に、自分たちが弱い立場の存在だと心で認めてしまっていた。

 

 血の水たまりが瑠璃さんの体の周りに広がって行く。

 

「あはははあは! たのしぃ~!」

 

 霊長の魔獣が高笑いをする。

 悔しくて涙が出てきた。

 

 わたしは瑠璃さんのところへよろよろと近づいた。

 助けようとか、そういうことを思ったわけじゃない。ただ、一人で立っていることが怖かった。

 

 わたしは瑠璃さんの傍でぺたんと座り込んだ。

 瑠璃さん、とか細い声で呼ぶ。

 すると、返事が返って来た。

 小さな声だった。きっと魔獣には聞こえていない。

 

「走りなさい。あの子を……お友達を連れて……死ぬ気で……走りなさい」

 

「瑠璃さん……? 瑠璃さんは……?」

 

 瑠璃さんはわたしの問いかけには答えず、血濡れの体で立ち上がった。

 その背中に庇われる。大きな背中だと思った。背丈も年齢も、全然離れていないのに。

 

「ほう? ほーう? まだ立つか。魔法剣を失って、死にかけの体で? ほーう?」

 

 そう言って魔獣は獣のように笑った。

 

「まださせてくれるんだぁ!?」

 

 魔獣は嬉しそうに銃を構える。

 放たれた銃弾は……突然、地面から飛び出した鎖によって弾かれる。

 

「いま、分かった……」

 

 瑠璃さんは言った。

 誰に伝えるでもなく、ただ、一人で。

 

「そういうことだったのね……。あの人が……遺したものは……。そして……」

 

 瑠璃さんの体が光る。わたしの体が光る。なにかがわたしのなかに流れ込んで来る。

 

「お前がすぐに動けなかった理由も……」

 

 瑠璃さんは魔獣を見上げている。どんな顔をしているのか分からなかった。魔獣は瑠璃さんを見下ろして……不愉快そうに顔を顰めていた。

 

「行きなさい……」

 

 瑠璃さんはきっと今、わたしに話しかけている。

 わたしは迷った。本当はすぐに逃げたかったけど、それが出来なかったのは、見栄と執着だった。

 

「夢を……持ちなさい。希望を……」

 

 瑠璃さんはそう言って……。

 

「あたしにはもう……何もないから……」

 

 振り返った瑠璃さんは、静かに……泣いていた。

 そしてまた、瑠璃さんは前を向き、どこかの誰かに向けて、こう言った。

 

「ねぇ……。名前も、顔も……なにもかも忘れてしまった『あなた』。あたしもいま……行くから……」

 

 瑠璃さんがクリスタルを掌に浮かべ……それを見た魔獣が初めて、焦った様子を見せた。

 

「やめ―――」

 

 魔獣が言い終わらないうちに、瑠璃さんはそのクリスタルを握り潰した。クリスタルの破片が飛び散って、そのいくつかがわたしの方へと飛んできた。

 少しだけ、力が出てきた。わたしはその場から飛び出して、みどりを掴むと魔獣とは反対方向へと一直線に飛んで行った。湧いてきた力に動かされているような、不思議な感覚だった。

 

 がむしゃらに逃げて逃げて、気づいたとき、わたしは……両親の名前と顔を思い出せなくなっていた。眠るみどりが微かに息をしていることを確認して、安堵する。

 そして……わたしのすぐそばの地面に魔法剣が突き刺さっていることに気づいた。鈍く光る剣を見て、わたしは持ち主の名前を思い出せなくなっていることに気づき、泣き喚いた。

 

 

 

☆彡☆彡

 

 

 

 

「……」

 

 女がいた。

 女は生まれたままの姿。その裸体は、芸術品のように美しい。

 女はまるで恋人にしな垂れかかるように、名の刻まれていない石に……墓石に、身を預けている。

 

 物思いに浸るように瞳を閉じていた妖狐は、ふと目を開き、空を見上げた。

 

 夕暮れ。

 日中と夜の境界。

 光と闇の境目。

 

 狭間のとき。

 

 そこは『狭間』と呼ばれる地。幽世。

 

 女にとってはとても短くて、けれど最も長く『生きた』戦いを終えてから……長い時間が流れた。当時美しかった墓石の輝きは失われている。

 女はただ一人、静かに想う。

 

 あれから、どれくらいの時が経ったか……。

 

「……」

 

 ―――なあ、■……。この戦いが終わったらさ。一緒にお前の故郷を……。

 

 女は、薄っすらと目を開ける。

 それが微睡の中の幻聴だと気づき、女は再び目を閉じた。長いときの中で、その幻聴も、その夢も……女は何度も見聞きしていた。

 

 叶わなかった約束、過ぎ去った記憶に浸り、女は小さく笑う。

 

「鈴の音は……聞こえぬのう……」

 

 女は待っている。

 

 いつか来る終わりの時を。

 

 女に終わりを齎す人間の誕生を。

 

「やはり無理な話じゃ……。もはや人の世に、おのれ以上の術者など……現れるはずもない……。いずれ楔は外れ……儂もおのれも……現世も……魔の世に呑まれ……」 

 

 女は言い切らぬうちに、再び微睡の中へと落ちていく。

 

 女と墓石の向こう側に広がる巨大な『裂け目』の上に鎮座する五芒星は……長き時を経た今もなお、その輝きを失うことは無かった。

 

 

 

 

☆彡☆彡

 

 

 

 

 

「んあー?」

 

 布団を蹴とばして腹を出して寝ていた少女は、頬を伝うよだれのこそばゆい感覚に目を覚ました。

 

「久しぶりに変な夢見たなぁ……」

 

 ぽりぽりと腹を掻き、蹴とばしてた布団を引き寄せ被る。

 

「明日は久しぶりにライルくん来てくれるしぃ……? クマ浮かんだ顔、みせらんねぇもんな……ちゃんとねにゃきゃ……」

 

 少女はすぐに寝て、夢のことを忘れた。

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