明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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限界を感じて悩みに悩んだ末、他視点をちょっとずつ入れていくことにした。だいぶ悩んだ。オレには一視点縛りはハードルが高かった……。


ヤンキー少女5

 

 翌日。

 信乃ちゃんと桃香ちゃんとの久しぶりの面会のため、オレは一人、バスに乗って病院へと向かっていた。クリスマスの前からお見舞いに行ってないから、会うのは久しぶりだ。めちゃくちゃ久しぶりな気がするな……。

 

 気丈に振舞ってはいるが、自分の居場所を守るために無自覚に無茶を続ける信乃ちゃん。

 信乃ちゃんに依存し、突拍子もない理屈で心を守っている桃香ちゃん。

 

 二人には、今は休養が必要だ。

 だから、涼音たちは連れてこなかった。来たがったけど、控えて貰った。今頃は神主さんと神社修復を頑張っていることだろう。

 

 バスの前方で、流れる景色を眺める。

 事故もなく、騒ぎもない。散歩する老人と、物陰に逃げる猫。飼い主を引きずる犬。

 

 穏やかな世界だ。

 

 日曜の早朝。郊外行きの路線。

 病院に着く頃には、乗客はオレだけになっていた。

 

 バスはやがて病院前で停車した。席を立ち、財布を取り出す。

 

(小銭、合うかな……)

 

 そのとき、気配に気づいて顔を上げた。

 運転席の運転手さんが、バックミラーを見つめている。落ち着かない様子だ。

 

「なにかありました?」

 

「ああ……いや……。その、後ろの席に、人がいたような気がして」

 

 振り返る。

 座席は空だ。

 

 運転手さんの顔は、青白く見えた。

 

「お疲れなんですね。安全運転、ありがとうございます」

 

 運転手さんは小さく息を吐き、ようやく笑った。

 

 料金を払ってバスを降りる。

 ドア越しに振り返って、オレは言う。

 

「交通祈願なら、鈴院神社がおすすめですよ」

 

 多分。

 

 発車するバスの中で、運転手さんの笑みは、最後まで硬かった。

 

 オレは歩き出す。

 

 本当に、何もなかったのか。

 

 それは、オレにも分からない。

 

 

 

☆彡

 

 

 

 病院に入る。

 若い女性が受付所のカウンター越しに座っている。

 面会の受付で用件を伝えると、

 

「ああ……。そうですか……。お待ちしておりました……」

 

 そう言った彼女の表情は固く、声も低かった。

 

「大丈夫ですか……?」

 

 オレの言葉を受けた彼女の肩がわずかに下がった。

 彼女は「実は……」と間を置いて、こう言った。

 

「譜宮信乃さんが」

 

「彼女が何か?」

 

 なんだ……?

 

「何度か脱走を企てていまして……」

 

「きつく、叱っておきます」

 

 彼女はただ、小さく頷いた。

 

 一度頭を下げて、受付に背を向け、信乃ちゃんの病室へと向かう。

 

 受付の女性の言葉を思い出す。

 

 まあ、やりそうだ。

 桃香ちゃんは、止めなかったのか。

 

 エレベーターを使い、階を移動した。

 辿り着いた病室の扉を、軽く数回ノックする。

 

「ライルくん!?」

 

 すぐさま部屋の中から信乃ちゃんの声が聞こえた。

 騒がしい足音が近づいて来る。

 扉が勢いよく開いた。

 

「やっぱりそうだ! ライルくん!!」

 

 扉が開き、信乃ちゃんが飛び込んで来た。受け止めた拍子に、よろめく。

 視線の先で、桃香ちゃんが笑っていた。

 

 信乃ちゃんが抱き着いたまま見上げてくる。

 頬は赤く、目が潤んでいる。

 

「元気そうだね」

 

「元気だけど、来なさすぎ!」

 

「ごめんね。不安だったの?」

 

 オレがそう言うと、信乃ちゃんは肩の力を抜いた。唇を尖らせたまま、目元が緩む。

 

「そっか……。電話はしてたでしょ?」

 

「電話だけじゃん……」

 

 幼いな(・・・)……。

 

 そう思って、オレは何も言わずに笑った。 

 

「それじゃあ、今日はゆっくり話をしようね」

 

「するする!」

 

 はしゃぐ信乃ちゃんを優しく引きはがし、病室に備え付けの小さなテーブルの上にコンビニの袋とカバンを置いて、改めて二人の方を見た。

 

「これ、差し入れ。コンビニのスイーツで申し訳ないけど」

 

「やった!」

 

 信乃ちゃんが近寄って来る。オレは静かに数歩下がった。

 

 信乃ちゃんは表情を顰める。

 ごめん。なんか不意打ちでキスとかしてきそうな勢いを、君からは常に感じていてね。

 

 脱走についてはどう切り出そうか……。

 

 オレは苦笑して信乃ちゃんに近づき、肩にぽんと手を置いて桃香ちゃんへと向き直った。

 

「久しぶり。電話でちょくちょく聞いてたけど、元気そうでよかったよ」

 

「おかげさまです~」

 

「あ?」と信乃ちゃんが急に呆けたような声を零した。

 信乃ちゃんの方を見ると、不思議そうに扉の方を見ている。

 

「どうしたの?」

 

「いや……」

 

 信乃ちゃんは扉へと近づいていく。そして身を乗り出すようにして廊下を覗き込み、左右の廊下を確認し始めた。

 

「どうしたの?」

 

「……?」

 

 信乃ちゃんは小首を傾げながら扉を閉めた。かと思えばまたオレ達の方を……いや、部屋の中を見渡して、また小首を傾げた。

 

「どうかした?」

 

「どうかされましたか~?」

 

 オレと桃香ちゃんがほぼ同時に言った。

 

「何か探してるの?」

 

「ん、ああ。今……視えて(・・・)さ」

 

視えた(・・・)?」

 

 オレは微妙なニュアンスを感じ取り、探りを入れる。

 一方で桃香ちゃんは「もしかして……」と前置きをしてこう言った。

 

「未来、ですか~?」

 

 やはりそうか。

 そして、桃香ちゃんは信乃ちゃんの秘密を知ってるようだ。打ち明けたんだろう。

 なんて思いつつ、信乃ちゃんに問いかける。

 

「信乃ちゃん、また視えるようになったの?」

 

 オレの発言に、桃香ちゃんは驚く様子を見せない。信乃ちゃんから、オレもそれを知っていることを聞いているんだろう。

 ただ……。

 

(信乃ちゃん、視えなくなったって言ってたけどな……)

 

「いや……、すっげぇ久しぶり。だからびっくりした」

 

 ふうん。

 彼女の話を聞く限り、未来予知は彼女の命と尊厳の危機を知らせるヴィジョンとして機能しているようだけど。

 また何か、彼女の周りで起きようとしているのかもしれないな。

 

 オレはこう言った。

 

「どうしたんだろうね、急に。何が見えたの?」

 

「あー……。女」

 

 信乃ちゃんがぽりぽりと頭を掻く。

 

「女?」

 

「そう。着物の、根暗そうなやつ」

 

 信乃ちゃんはオレを見上げて言った。

 

「ライルくん……。なんかわかんねぇかな……?」

 

 その言葉、口調からは、いつもの強気な感じが削がれてる。少なくとも心穏やかでは無いようだ。

 

「ごめん。まだ何とも言えない。もうちょっと詳しく」

 

「詳しく……? 詳しくって言っても……」

 

「たとえば、その女性のどんなところが根暗に見えたの? 姿勢とか表情とか……、どう?」

 

「んー……? そうだな……。表情は、ちょっとわかんねぇや。姿勢は……こんな感じ」

 

 信乃ちゃんは項垂れて手をだらんと垂らした。俯いているから表情は分からない。

 ただ……これは印象の問題でもあるけど、信乃ちゃんがやると単に疲れてるように見えるだけで、根暗には見えない。

 

「他に何か特徴とかある? 服の色とか柄とか、髪型とか」

 

「紫色の花柄だった。あと、髪はこんくらいで、もこもこしてた」

 

 信乃ちゃんが身振り手振りで髪型をオレに伝えようとしている。

 

 紫色で花柄の着物に、ふわっとした……セミロングの髪。

 オレは周囲を見渡した。その容姿には心当たりしかない。

 

「着物の女性、ですか。紫色。セミロング……」

 

 桃香ちゃんが言った。

 いつもの、のんびりとした口調ではない。

 固い口調、固い表情。

 

「桃香さぁ……。お前、なんつーか……。気分とか悪くねぇ?」

 

「え? 特にそのようなことはありませんけど……」

 

「ホントか? 寒かったりしねぇのか?」

 

「大丈夫ですよ。もしかして、私になにかあるんでしょうか~?」

 

「え? あ、い、いや別に、そういうわけじゃねぇけど!?」

 

 意図は分かる。でもそれは下手糞過ぎだよ……。

 それに、もう手遅れだ。

 桃香ちゃんは感情の機微に敏い子だから、信乃ちゃんの今の態度から、明らかに察してしまった。この状態で隠し通すことはかえって彼女の不信を煽ることになる、とオレは判断した。

 

「信乃ちゃん。桃香ちゃんに関係あるんじゃない?」

 

「うっ……。そ、それは……」

 

 信乃ちゃんが桃香ちゃんをちらちらとみている。

 桃香ちゃんの表情は固い。

 

「心配なのは分かるけど……」

 

「だ、だったら」

 

「ちょっと待って、信乃ちゃん。桃香ちゃん、少し時間を貰える? 信乃ちゃんと相談してから説明するよ」

 

 オレの提案を聞いた桃香ちゃんと……信乃ちゃんも、少し表情をやわらげた。

 ある程度は説明する確約をしたからか、桃香ちゃんも少し安心したようだ。

 

「はい」

 

「うん」

 

 ほぼ同時に同意を得て、オレは信乃ちゃんを連れて病室の外に出る。

 扉が閉まるのを待って端的に訊ねた。

 

「それで、君は何を見て、何を伝えるべきではない、と思ったの?」

 

 信乃ちゃんは「んー」と唸りながら小首を傾げる。

 

 びくん、と信乃ちゃんが跳ねた。

 

「どうしたの?」

 

「え? なに、この感じ……寒っ……」

 

 信乃ちゃんからさっと血の気が引く。

 そのとき、室内から小さな物音がした。なにかが落ちたような。続いて、何かが倒れたような重い音。

 

「桃香ちゃん?」

 

 オレは扉を開き、室内を見る。

 桃香ちゃんが倒れていた。胸元を押さえて浅く息をしている。

 オレは桃香ちゃんに駆け寄った。

 

「どうした?」

 

「急に、眩暈が……」

 

「分かった。すぐに―――」

 

 背後で重い音が聞こえた。

 振り返ると、扉の前で信乃ちゃんが倒れている。その後ろで、スライドドアがひとりでに閉まって行く。

 

「信乃ちゃん……?」

 

 さっきより顔色が悪い。

 

 ただ事じゃない。

 

 ナースコールを探すオレの視界に、信乃ちゃんの腕が入り込む。震えながら、どこかを指している。

 

「……」

 

 何も考えず、その方向へ向かう。

 手を伸ばし、動かす。

 

 ―――何もない。

 

 もう一度信乃ちゃんの方を見た。

 信乃ちゃんはもう動いていなかった。

 

 仕方なくナースコールを押す。

 気づくと、扉が開いている。

 

 廊下には誰もいない。

 

 静かすぎる。

 

 病室に戻る。

 

「……着物の女が……」

 

 震える声。

 

「分かった。今はいい。オレはここにいる」

 

 信乃ちゃんは指先を力なく彷徨わせ、やっと見つけたオレの手を、弱く握った。

 

 

 

☆彡

 

 

 

「お恥ずかしいです~」

 

 桃香ちゃんは頬を赤らめながらそう言った。

 あのあと、ナースコールに気づいた看護師さんが人を呼び、二人ともベッドに運ばれて、今は何事も無かったかのように元気にしている。

 

 度重なる夜更かし。

 医療関係者からすると、原因はそれだけで説明が終わることのようだった。

 

 オレは既に知っていたことだが、二人が内緒にしていた脱走計画についても白日の下に晒され、二人は揃って縮こまっていた。

 桃香ちゃんは「些事」とか言えないほどに半泣き状態、信乃ちゃんは今にも吐くんじゃないか、ってくらい顔を歪めていた。

 

 助けを求めるような視線を向けられたけど、オレは黙って頷いていた。

 

 そんなオレに気づいた瞬間、二人の顔がそろって絶望に染まった。

 

 オレは思った。

 

 ――正直、ちょっと面白かった。

 

 そして今、桃香ちゃんは身を竦め、もう一度、オレの様子をうかがってくる。信乃ちゃんはこっちを見ようとしない。

 

「どうしたの?」

 

 桃香ちゃんに聞いた。

 

「……」

 

 桃香ちゃんは話さない。

 オレも黙って待っている。

 

「あ゛ー!」

 

 沈黙に耐え切れなかったのか、信乃ちゃんが吠えた。

 

「あいつらうっせぇんだよ! いっつもいっつも!」

 

 そう言って振り返った信乃ちゃんはオレを睨みつけた。

 視界の端に、桃香ちゃんが目を泳がせた姿が入る。

 

「信乃ちゃん、声」

 

「なんで黙ってんの!?」

 

「え?」

 

「なんか言ってくれたっていいだろ! あいつらのうぜー説教、ずっと黙って聞いててさあ!? あのことまで……ッ」

 

 あのことってのは多分、脱走計画のことだろう。

 桃香ちゃんが信乃ちゃんの名前を小さく呼んだ。その声は震えていた。

 オレに聞こえた声が、信乃ちゃんには聞こえていない。

 

「信乃ちゃん」

 

 声を掛けるが、信乃ちゃんは止まらず、さらに捲し立てて来る。

 不満が溜まっている。甘えている。恥ずかしさによる精神の防衛反応……。

 

 オレは信乃ちゃんを見据えて言った。

 

「桃香ちゃんを見て」

 

 信乃ちゃんは桃香ちゃんの背中を見て……数歩後退った。

 そしてそのまま、力なくベッドに座る。

 

「あ、あたし……」

 

「桃香ちゃん、おいで。少し、散歩しよう」

 

 オレは桃香ちゃんにだけ声を掛け、病室を出た。

 少し遅れて、一人分の足音が付いて来る。

 病院の庭に出て、歩く。手入れされた庭は季節の花が咲き、目の保養にうってつけだ。

 

 少し、庭を歩く。

 

「あ……っ」

 

 ふいに零れたオレの呟きを聞いて、桃香ちゃんはすぐに顔をあげた。

 桃香ちゃんの意識がオレに向いたことを確認して、オレは笑った。

 

「さっき倒れたばっかの子、外に連れ出すの、まずいか……? オレも叱られるかも……」

 

 桃香ちゃんはぽかんとした。

 そして、噴き出した。

 

「いまさら、ですか~?」

 

 桃香ちゃんが笑った。

 

「いまさらでごめんねー。戻ろうか?」

 

「いえ……」

 

 ほんのりと、風が吹く。

 揺れた髪を優しく押さえて、桃香ちゃんは言った。

 

「もう少し……」

 

「そっか」

 

 また、黙って歩く。歩幅だけを合わせて。

 しばらくして、桃香ちゃんが言った。

 

「ありがとうございました……」

 

「……」

 

 オレは答えなかった。

 

「優しいですね……東堂さんは……」

 

「そう?」

 

「はい。今の間もそうですし……わたしのこと、気にしてくださって」

 

「……」

 

「聞かないんですか……? さっきの……」

 

 オレは答えず、ただ笑った。

 別に……言いたきゃ言うだろう。桃香ちゃんはもう喋れるんだし。

 

「え……」

 

 黙っているオレを見た桃香ちゃんは目を丸くして、少しだけ瞳を揺らした。 

 

 桃香ちゃんが足を止めた。

 オレも止まる。

 

「……」

 

 風に髪を揺らしながら、桃香ちゃんは空を仰いだ。

 絵になるなぁ……。

 

「なんでだろう……」

 

 胸の上に置かれた手。弱く握った桃香ちゃんの拳は、微かにふるえていた。

 桃香ちゃんはオレを見て、躊躇うように顔を逸らし、俯いた。

 

「……。いつもはこんなことないんです……。信乃ちゃん、いつもああだから。なのに……」

 

「そっか……。信乃ちゃんはいつもと変わりないんだ?」

 

「え……。はい。そうですね……いつも通り……だと思います」

 

「じゃあ、桃香ちゃんが変わったんだね」

 

「わたしが……変わった……? それって……どういうことですか?」

 

 オレは答えなかった。

 

「あの、どういうことですか? わたしの何が……」

 

「ごめんね。分からないよ」

 

「え?」

 

「オレは君の『普通』を知らない」

 

「それは……」

 

 桃香ちゃんは心細そうにオレを見ている。

 

「そうかも、しれませんが……。でも……」

 

 桃香ちゃんはそれ以上、何も言えなかった。

 

「……」

 

 視線をじっと固定して、桃香ちゃんは動かなくなった。

 

(桃香ちゃん、ちゃんと休めたんだな)

 

 オレは病院を見上げてから、傍の庭の草木に笑いかけた。

 

 

 

☆彡

 

 

 

 何故だろう。

 なにが変わったんだろう。

 

 じっと、考えていた。

 それが終わったのは、東堂さんに声を掛けられたときだった。

 

「これ、飲める?」

 

 あ……。

 

 いつの間に買いに行ったんだろう。全然、気づかなかった。

 東堂さんが差し出したのは、缶コーヒー。ブラック。

 

「それ……、どういう意味ですか」

 

 自然に、そんなことを言っていた。

 むくれた声だった。唇も少し、尖っていると思う。

 

「え?」

 

 東堂さんはへにゃ、と表情を緩めた。

 

「わたし、そんな子供じゃありません」

 

 子供舌だと思われているんだ。そう思ったら、なんだか少し悔しい。

 

「飲めます」

 

 受け取った缶は温かく、想像以上に苦かった。

 

「苦いです」

 

「だろうねぇ」

 

「苦いです……」

 

 頬に何かが伝う。

 東堂さんは少し目を丸くして、少しだけ笑った。

 

 ブラックコーヒーがほんの少しだけ甘く感じて。 

 胸のざわめきは、いつの間にか消えていた。

 

 

 

☆彡

 

 

 

 一人、病室に残った。

 ライルくんと桃香は出ていった。

 

 頭の中で何かがぐるぐると回っている。

 

「っ……」

 

 握った拳は力を入れ過ぎて白んでいた。

 

 あのとき見た桃香の背中は震えていた。

 

「なんでだよ……っ」

 

 いつものことだろ……っ。

 そう思って、言葉は続かなかった。

 

 扉の向こうから、声が近づいて来る。

 桃香とライルくんの楽しそうな声だ。

 

 その声にはもう、それを感じない。

 ライルくんが何とかしたんだ。凄い。

 

 何を話したんだろう?

 

 桃香は笑っているんだろうか?

 

 どんな顔で笑ってるんだろう。

 

 ライルくんは桃香の笑顔を見てるのかな?

 

 桃香は今、見守られてる。守られてる。

 

 ―――アタシから。

 

 震えているのは……桃香じゃなくて、アタシだった。

 

 

☆彡

 

 

 病室に戻ると、信乃ちゃんは布団にくるまって縮こまっていた。

 

 重症だなぁ……。

 

 桃香ちゃんがオレに目配せをしている。

 

「ホントにいいの?」

 

「はい……」

 

「そっか」

 

 オレは頷いて、立ち止まった。

 頑張って、と小さくエールを送る。

 

 桃香ちゃんは頷いて、信乃ちゃんの方へ近づいて行く。その震える手を、オレは黙って見守った。

 

「信乃ちゃん……」

 

「なんだよ」

 

「あのね。聞いてくれる?」

 

 返事はない。

 桃香ちゃんの声は少し震えていた。

 

 気まずいんだろうけど、態度悪いな……。

 

「わたしね……。女の人の大きい声、苦手なの」 

 

「……」

 

お母さん(・・・・)が……」

 

「……っ」

 

 布団の中から息をのむ音がした。

 

「大きな声で、命令だけで……。わたしの話、ずっと聞いて貰えなかった。だから、なにを言っても意味が無いんだって……ずっと……」

 

 桃香ちゃんの声が震えて、裏返り、途切れた。

 肩が上下し、呼吸音が荒くなる。

 

「信乃ちゃんの声は、平気だった(・・・)。駅で助けてくれたあのときの大きな声は、わたしにとって……」

 

 声が震えている。

 だけど少しだけ、温度が違った。

 

「……」

 

 信乃ちゃんは何も言わない。

 

「わたしね、少し変わったの……」

 

 オレは、震える背中を見守った。

 

「信乃ちゃんに会えて、良かった」

 

 少しの沈黙の後、

 

「意味わかんねぇよ……」

 

 信乃ちゃんの声は投げやりだった。

 まあ、確かに……。

 オレはさっき色々聞いたから分かるけど……。

 

「……っ」

 

 桃香ちゃんが信乃ちゃんの反応に、切なげに息を吞む。

 その音を聞いて、信乃ちゃんも苦し気に息を呑んだ。

 

 オレは思った。

 

 ―――めんどくせぇな……。

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