明らかに周りの奴らの生きる世界が違う件   作:ポルポル

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生きる世界 分岐点①

「だって、色々あるって書いてたから!」

 

「何も言ってないよ」

 

 二人並んで歩く夕暮れの道。

 応募先を決めた涼音に付き合って、履歴書を買いに出ている。

 

「ちょっとした散歩だと思って。ね?」

 

「そうだね」

 

 もう、そう思ってるよ。

 

「そ、それはそれで……」

 

「どっちなの」

 

 情緒豊かな人だな、と思い、笑った。

 

「んー……」

 

 肩が落ちたままの、気のない返事。涼音の足がアスファルトの小石を蹴った。

 

 しょうがないな……。

 

「どうせ買うなら、応募するコンビニで買おうか」

 

「文具屋さんの方が安いと思うけど?」

 

「値段で言えばね。でも、運が良ければ顔、覚えて貰えるかもしれない。あ、履歴書買ってた子だ、って、面接のときに思い出して貰えるかも。目立つ格好だしね」

 

 どうにも時代錯誤な感じの、瓶底眼鏡と二房の三つ編みに、巫女服。こんなインパクトはそうそうない。よくも悪くも印象に残る。良い印象を残せれば、武器になる。

 

「……。おぉー……!」

 

「いや、オーバーだな。それに、面接する人がいるかは運だよ」

 

「だから運がいいなら、と……?」

 

「そうだね。あとは……お行儀よくしよう」

 

「お行儀良くって?」

 

「うん。買うときにはお願いします、会計が終わったら、ありがとうございます。あとは……あえて金額ぴったりで出そう。小銭を探すときには、ごめんなさい、と小さく付け加えて。それで、こっちは整うと思うよ。あとは向こう次第」

 

「雷留君って、天才?」

 

 涼音は目を輝かせる。

 

「おおげさだって。普通のことだよ」

 

「でも、色々、考えてくれてるんだね。わたしのために」

 

「そうだね」

 

 涼音の反応が面白くて、少し笑った。

 

 ふいに、犬が吠えた。オレ達の方を見て、柵に顔に突っ込んでいる。

 

「元気だな、あの犬。どうしたんだろう」

 

 遊んで欲しいのか。

 しつけが悪いのか。

 オレか涼音に警戒してるのか。

 

 眺めていると、涼音は呆れた様子でこう言った。

 

「そうだね。いつもそう。煩いんだから、あいつ」

 

「そうなんだ? オレは記憶にないけど……そもそも、あんまり通らない道か」

 

「そうなんだ」

 

 オレの方を見るときだけ、少しだけ涼音の表情が緩むのが分かる。

 

「あー! もう、うるさいな!」

 

「犬に怒ってもしょうがないだろ……」

 

「今後の為にも、一回上下関係ってのを……」

 

「同い年の友達が他所の犬と張り合ってるの、見たくないなぁ」

 

「えっ」

 

「恥ずかしいよ。客観的に見て」

 

 涼音の動きが止まる。

 

「そ、そこまで言う?」

 

 涼音は口を尖らせたまま、数歩歩く。

 それから、小さくため息をついた。

 

 だから、オレはこう言った。

 

「犬はもういいよ。オレと話そう」

 

「いいよ! 何の話する?」

 

「切り替え早いな……」

 

「えへへ。ね、あのさ」

 

 涼音が急にひそひそ声になる。

 

「雷留君は……好きな子とか気になってる子、いるの?」

 

 桃香ちゃんにも聞かれたよな、この間。

 

「いないね」

 

「ふーん……」

 

 少しだけ上ずった声。

 

「じゃあ、好きなタイプとかはある?」

 

「あるよ」

 

「えっ」

 

 即答だったからか、涼音が一歩つまずきかける。

 

「ど、どんな人……?」

 

「対等な人。一人でいられる人。オレがいなくても困らない人」

 

 涼音の動きが緩慢になった。

 少し考えてから続ける。

 

「お互いそうしなくてもいいのに、隣にいる……って感じの人かな」

 

「え……っ……と……っ……」

 

 沈黙。

 涼音の瞼が僅かに持ち上がった。

 

「……そ、それ。それって……さ……」

 

「うん」

 

「な、難易度……。た、高くない?」

 

 引き攣った表情。

 上ずった声。

 

「……」

 

 間髪入れず、出そうになった。

 

 ―――普通だと思う。

 

 引き攣った表情。

 上ずった声。

 震える唇。

 青褪めた顔。

 揺れる瞳。

 竦んだ肩。

 

 涼音の姿を見て、呑み込んだ言葉。

 

「……」

 

 一拍。

 

「え、そうかな?」

 

「い、いや~……」

 

 少し考えて選んだのは、『普通』の言葉だった。

 

「絶対、高いって……」

 

 落ちた声のトーンで、涼音はぎこちなく笑う。でもその指先は、袴の裾をぎゅっと掴んでいる。 

 

 ……普通だよ。

 

 そう思いながら、オレは前を見た。

 

「涼音は?」

 

「え?」

 

「涼音の好きなタイプとかも、教えてよ」

 

 一拍。

 

「きょ、興味あるの?」

 

「あるよ。それに、オレだけ教えるってのも不公平だろ?」

 

「わ、わたしの、好きなタイプを?」

 

 後半を聞いてねえな。

 

「うん」

 

「え、と。それは……」

 

 頬を赤らめて、涼音がオレを横目でちら、とみたのが、視界の端に入る。

 オレは口元だけで笑う。

 視線がぶつかり、涼音は俯いた。耳が赤い。

 

 言えないよね。

 

 少しだけ、オレは目元が緩む。

 前を向いた。

 

「それは?」

 

「ら……ぃ……」

 

 それ以上、涼音の言葉は続かなかった。ただ、喉が小さく鳴る。

 

 何かが起きたわけじゃなく。何も起きないまま。涼音は、何も言わなかった。

 時間が過ぎる中、オレの歩幅は変わらなかった。

 

「……」

 

 涼音が俯いている。

 三つ編みが静かに揺れている。

 

「雷留君は……」

 

「うん」

 

「あのさ……」

 

「うん。大丈夫。なんでも聞いて良いよ」

 

 緊張を感じ取り、優しく声を掛ける。

 涼音はゆっくりと顔を上げた。

 

「雷留君は……嫌じゃない?」

 

「なにが?」

 

「わたしと……」

 

 一拍。

 

「履歴書、買いに行くの!」

 

 勢いよく、涼音の口から飛び出した問いかけは、本質を隠しているように思えた。涼音は少し、思い違いをしているようにも思う。

 だからオレはこう言った。

 

「オレ、面倒くさそうにしてる?」

 

「……」

 

 涼音が躊躇うように唇を浮かせる。

 言おうとして、言えない仕草。

 

 オレは涼音に向き直り、微笑んで行った。

 

「もしそう見えたならごめん。涼音といるの嫌じゃないよ」

 

「……っ」

 

 硬直。

 息を吞む音がした。

 

「それで、どう? 見える?」

 

「……ちょ、ちょっと。だけ……」

 

「そっか……」

 

 どこがそう見えただろう。

 ずっと、普通にしていたのに。

 

「……」

 

 言葉は変えてない。

 態度も変えてない。

 表情も変えてない。

 沈黙が、ほんの少し増えていたか……?

 

 涼音は……。

 

 ―――思考の間。

 

 幼少期の孤立。

 空気が読めないと評され、輪の外に置かれた時間。

 仲が良かったはずの友人たち。

 ある日から増えた『沈黙』……。

 連鎖した関係の途切れ。

 

 涼音は―――、

 

「雷留君、あのさ」

 

「ん? どうしたの?」

 

 ―――距離感(沈黙)に、敏感。

 

 余計な顔はしない。

 沈黙は削る。

 安心する、『普通』の形だけを。

 

 オレは少し大げさに、微笑んだ。

 

「ごめんね。ちょっと考え事をしてた。涼音、受かると良いなって」

 

「……」

 

 オレの名を呼んだのに。

 涼音は安心したように微笑んだまま、何も言わなかった。

 

 大きな吐息が、一つ。

 

 良かった。

 不安の波は収まったらしい。

 

 涼音はそのあとも話し続けた。

 オレは相槌を打ち、変わらないペースで歩き続けた。

 

 

☆彡

 

 

 コンビニに入ると、老年の男性がレジの奥で洗い物をしている。

 

「いらっしゃい」

 

 少しだけ手を止めて振り返った男性は、すぐにまた洗い物を始めた。

 

 置いてあった履歴書は一種類だけ。

 涼音は手を伸ばさない。

 オレは何も言わず、表情も変えない。

 

 涼音がオレを見た。

 安心させるため、オレは微笑んで、頷いた。

 

「買わないの?」

 

「……買うよ」

 

 涼音は履歴書を手に取って、レジへ向かった。

 

 心機一転。

 形からってのも大事かな。

 

 オレは小さく笑う。

 お高めのボールペンと、手のひらサイズのメモ帳に手を伸ばした。

 飲み物コーナーを往復しながら聞き耳を立てる。

 

「おねがいします」

 

 ぴ、という機械音。

 

「……すみません」

 

 レジ袋のシャリ、と小さな音。

 

「ありがとうございます……」

 

 涼音の声と所作は、完璧に礼儀正しい。涼音の所作一つで、男性の表情が少し柔らかくなる。

 

「どうかされました?」

 

 涼音が尋ねる。

 

「いや、巫女さんが履歴書というのが、ちょっと珍しくてね」

 

 男性はのんびりと微笑む。

 

「もしかして、鈴院さんの娘さんですか?」

 

「はい。お父さんの知り合いですか?」

 

「町内会でたまに会うからね。ああ、そうか。君がそうか」

 

 自然に話が弾み、涼音の頬が少し緩む。

 立ち姿も、心なしか堂々として見える。

 

 会話が落ち着いた頃、涼音は少し迷いながらレジを離れ、オレの方を見る。履歴書だけが入ったレジ袋は、少し重そうに見えた。

 指で飲料コーナーをもう少し見たいことを伝えた。涼音は頷いて、外へ出た。

 コーヒーにするかリンゴジュースにするか迷いながら、新発売のアップルティーに目を奪われ、決める。

 

 会計をして、店の外。

 メモとボールペンを涼音に差し出した。

 

「履歴書だけじゃ、書くとき困るでしょ?」

 

 涼音の目が丸くなる。

 オレは視線を外さず、涼音の反応を静かに見守る。

 少し戸惑いながらも手を伸ばす姿を見て、微笑んだ。

 

「ありがとう……」

 

 涼音はボールペンとメモ帳を受け取ると巫女服の懐にしまい、その上から手を添えた。

 

「袋に入れないの?」

 

「入れない。いいの。……いいの」

 

 涼音ははにかんで笑い、オレも微笑んだ。

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

「えー」

 

「じゃ、お疲れ。オレは先かえるね」

 

「なんで!? ひっどー!」

 

 涼音が笑い、オレも笑った。

 歩き出す。

 

「ちょ、ホントに行っちゃうの!?」

 

 涼音が慌てて駆け寄って来る。

 オレは歩くのを止めない。

 

「用事あるんでしょ?」

 

「ないよ! ただもうちょっと一緒にいてくれてもいいんじゃ!?」

 

 横に並んだ涼音から、クレームを受ける。

 

「居れば良いんじゃない? オレは楽しいよ」

 

「えっ……あっ……」

 

 涼音はまた表情をコロコロと変えている。

 オレは微笑んで、前を向いた。

 

 

☆彡

 

 

 

 曲がり角を曲がると、男が二人、歩いてきていた。

 体を大きく見えるファッションにぎらつくアクセサリー。威圧感がある。

 

 男たちがオレ達に気づき、立ち止まる。そしてスマホを取り出し、画面を見つめ、そしてオレ達を見た。

 視線は涼音に寄せられている。

 

 まあ、珍しいからな。巫女服で出歩いてる人って。

 

 涼音はオレを見ていて、気づいていない。

 オレも気づかないふりをして、歩いた。

 

 目の前の距離。

 涼音が気づく。

 

 オレ達は男たちを避けようと動き、道を塞がれた。

 

「お前、東堂?」

 

「東堂? いえ、人違いですね」

 

「え?」

 

 涼音、おい。

 関わったら面倒くさそうだろ。

 

「どうする? ちげぇってよ……」

 

 男が言った。

 

 なるほど……。

 

「馬鹿か。巫女を連れてる男なんて他にいるわけねぇだろ。もう一人はいねぇみてぇだけど、こいつが東堂だ」

 

 色んな意味で、間違いない。

 

「やっとだ。見つけたぜ。ラッキー!」

 

「やあ……。しばかれずにすむ……」

 

「馬鹿。しばかれねぇどころじゃねぇよ! 大手柄だぜ! 小遣いもらえっかも!」

 

「何か用ですか?」

 

 盛り上がってるところ悪いが、邪魔だよ。通れない。

 

「は? 誰に口きいてんだよ、ガキ」

 

 やはり、違和感がある。

 

 涼音の表情。

 眉間にしわ。固く結んだ口。喉がときどき、大きく動く。袴の裾を握っている。

 

 驚き。困惑。恐怖。

 

 けれど、彼女はじっと立っている。

 この距離で、あの強い目を逸らさず、でも体は小さく震えているのが分かる。

 

 涼音には心当たりがないようだ。

 

 しかも、ナンパじゃないし、涼音の格好に物珍しさを感じたミーハーな感じでもない。

 男たちは、明らかにオレを目的としている。

 

 心当たりはある。

 

 信乃ちゃんの……半グレ関連。

 

 でも、なんで今なんだ?

 オレを前から探してたようだけど、病院に張り込めば、もっと早くにタイミングはあっただろう。

 それに、『世界観』が……。

 

 いや、それは思い込みだ。

 

 落ち着こう。

 慌てると、ろくなことにならない。

 

 今は何故起きたのかよりも、なにが起きてるか、だ。

 

「雷留君」

 

「どうした?」

 

「出る」

 

 涼音は男達ではない、何処かを見ている。

 真剣な横顔。さっきまでの揺らぎを感じない。涼音の性格上、そういうときは。

 

「まさか、魔―――」

 

「おい、意味わかんねえこといってんじゃねえぞ」

 

「うるさい」

 

 男の恫喝に、端的に返す。

 横顔に衝撃と、痛み。

 

「……っ」

 

 殴られた。

 たたらを踏みながら自覚する。

 

「雷留君!」

 

 涼音の悲鳴。

 揺れる体を支えてくれる。

 

「なめてんじゃねぇぞごら!」

 

 男の恫喝。

 

「なにをするんだ!」

 

 涼音が言い返す。

 

 痛い。

 不味い。

 鉄臭い。

 痛い。

 

 涼音が掌を叩き合わせ、すぐに体を大きく広げた。

 滑稽に見える。

 男達も不思議そうにしている。

 

 分かる。

 何かする気だ。

 何も感じないけど、何かしようとしていることは分かる。

 

 オレは涼音の腕を掴んだ。

 

「逃げよう」

 

「雷留君、でも! こいつら!!」

 

 怒りの形相。

 張り上げられた声。

 

 オレが殴られたことで、激怒している。

 

 オレは答えず、涼音の手を引いて、走り出した。

 

「まてごら!」

 

 男たちの声が離れていく。

 最初はオレに引っ張られていた涼音も、すぐに並走してくれる。多分、オレより速い。合わせてくれている。

 

「なんで逃げるの!? あいつら、雷留君を!!」

 

「普通、こういうときは逃げるんだ。感情的になっても、碌なことにならない」

 

 口の中が痛い。ちゃんと伝わったか?

 

 涼音が立ち止まった。

 仕方なく、オレも止まる。

 

「涼音、行くよ。オレ達の方が早い、撒ける」

 

「―――そのあとは?」

 

「……」

 

 言わんとすることは、分かった。

 

 やつらは、群れだ。

 頭を持てば、体になる。

 ここで認識された以上、いずれあいつらの手足は、オレ達の喉元に届くだろう。

 

「神社を出るよ」

 

「―――っ」

 

 涼音の顔が歪んだ。

 

「ごめんね」

 

 覚悟していたことだ。

 

 病院前で姿を晒したとき、こういう結果も想定していた。むしろ、遅かったくらいかもしれない。世界はオレの知らぬところで動いていた。ただ、それだけ。いつものことだ。

 

 男たちが近づいて来る。

 

「逃げよう。今は一緒に逃げた方が良い。捕まったりするかもしれないから」

 

 早口に伝える。

 走る『納得』をしてもらうために。

 

「オレが神社からいなくなったら、普通にしてて。そしたらきっと、大丈夫」

 

 明日香さんも、こんな感じだったのかな。厄介事を抱えてそうだったし。配慮はすごくありがたいことだ。

 

 ……。

 

「普通に……?」

 

 涼音の独白。

 固い表情。

 唇を噛む仕草。

 引っかかりはあるが、構っている時間はない。

 

「うん。さ、逃げよう」

 

 涼音はオレを睨みつけた。

 

「ふざけんな」

 

「え?」

 

 涼音の声は、とてつもなく低かった。

 

「そんなの『普通』じゃない!!」

 

 その言葉は、オレの中の何かに、深く突き刺さった。

 

 涼音はオレを横切り、走り寄って来た男の前に立った。

 オレを背に庇うように。

 

 止めるべきだったのに。

 オレは固まって、動けなかった。

 

「……」

 

 思考。

 ダメだ。

 沈黙を涼音に押し付けるわけには―――。

 

「友達も、悪友も。喧嘩もドライブも買い物も。仕事も全部―――」

 

 それらは涼音の持っていなかった、普通のもの。

 

「――全部、雷留君とだった」

 

「それは普通の……」

 

 ことで。オレがいなくても。

 

「うるさい」

 

 ――涼音は遮った。

 

「涼音……? 逃げ」

 

「うるさい」

 

 涼音はオレを振り返らず、もう一度、掌を叩き合わせ、腕を大きく開いた。

 

 突然生じた突風が、在り得ない動きを起こす。

 巫女服が激しく揺れる。

 

 雰囲気が、変わったように感じるのは。

 きっと。

 涼音の声と姿勢が、ただただ、力強かったからだろう。

 

 涼音は、振り返らなかった。

 

 ただ、オレが目にしたのは、普通じゃあり得ないこと。

 男二人が突風で空に連れ去られ、凄まじい速さで回転した。

 

 見てるだけで吐きそうだ。可哀そうに……。

 

 やがて暴れていた男達は慣性だけで動くようになってようやく、地面に置かれた。

 

 二人は意識を失っていた。

 

 涼音は振り返り、微笑んで、真っすぐにオレを見る。

 

「私ずっと、忘れてた。普通って暖かくて、すぐに壊れちゃうものなんだって」

 

「壊れる……?」

 

 『普通』が?

 

 一歩、二歩、涼音が近寄ってくる。

 オレの独白に、涼音は答えてくれない。

 

「雷留君。私はずっと、特別だった」

 

 そうだったね。

 君はオレと出会う前からずっと、特別を生きていた。

 

「これからも私は、きっと『特別』を生きていく」

 

 涼音がオレの目の前で止まった。触れ合いそうな距離。

 オレの胸元に、涼音の掌が添えられる。

 服越しにさえ感じる、暖かさ。

 

 距離が近い。

 のに。

 なんでだろう。

 オレは動けなかった。

 

 涼音がオレを見る。

 直視したその微笑みは、華のように穏やかで。

 

「ねえ、雷留君……」

 

 涼音は唇を震わせて、何かを続けようとしている。

 

 伝わって来る。

 今から放たれる言葉の重さが。

 

 聞いちゃダメだ、と何かが叫んだ。

 だけど、止められなかった。

 

「私を、『普通』でいさせてよ」

 

 ―――オレは思った。

 

 ……。

 

 なんだ、これ。

 

 浮かばない。

 

 考えが、纏まらない……。

 

 おかしい。

 処理できない。

 いつもならこれで……。

 

 オレのどこかに、何かが刺さった。名前が出てこない。

 

 少し、息苦しい。

 

 ―――オレは思った(・・・・・・・)

 

 涼音が無事でよかったよね。

 

「涼音、ありがとう。でも、無茶しないでよ」

 

 口が勝手に動いた。

 

「雷留君……?」

 

 涼音は訝し気にオレを見上げ、そして、悲痛に顔を歪めた。

 

「涼音? どうしたの?」

 

 穏やかに繰り返すと、涼音は今にも泣きそうな表情を浮かべて、言った。

 

「雷留君……」

 

 涼音がオレの胸に額を預けた。

 

 オレは動かず、言葉を続けようとして―――。

 

「そっか」

 

 穏やかな涼音の声に、止まった。

 

 涼音がオレの背に手を回す。

 

「雷留君にも、怖いものがあったんだね……」

 

 なんだってんだ。

 

 息の仕方が、少し分からなくなった。

 胸の奥の引っかかりが、動く。

 なにかの形が崩れる。

 

 考えようとしても、言葉にならない。

 

「当たり前だよ。オレも普通の人間なんだから」

 

 口が勝手に動く。

 涼音の肩に手を置いて、少し距離を作った。

 

 涼音がオレの手を見て、掌を優しく置いた。

 

「少し、震えてる」

 

 そんなはずはない、と思う。

 オレは普通に……。

 

可愛いね(・・・・)。雷留君」

 

 花が咲いた。 

 そう感じてしまうような微笑みだった。

 

 ……。

 なにか、されてるのかな。

 霊能力で。

 

 異変抗体。

 

 涼音に貰った名前が、頭の奥から浮かび上がった。

 オレに異能は……。

 

 じゃあ、オレは今普通じゃ……。

 

 オレは思った。

 

 ―――恋愛脳過ぎ……

 

 その続きを考えることは出来なかった。

 

 それを考えれば、涼音の『普通』を踏みにじることになる。

 それは普通じゃない。非道だ。オレの『普通』が、最も忌避するものだ。

 

 ……。

 なんでだ。

 なんで、こんなに?

 

 ―――私を普通でいさせて。

 

 たった一言。

 あの言葉だ。あれのなにが、ここまでオレを……。

 このままでは、視線が内面に向かってしまう。

 

 無言はダメだ。

 涼音は察知する。

 何か言わなければ、普通じゃない、と―――。

 

「……なるほど」

 

 涼音の言葉を手渡され、ようやく絞り出した返答は、自分でも聞いたことが無いほどに、か細かった。

 

「ありがとう」

 

 涼音が嬉しそうに笑った。

 

「……なにが、かな?」

 

「逃げないでくれたもん」

 

 ……。

 

「どうしたの? なんか、いつもと違うね」

 

「それを知ったら、強くなれるの」

 

 涼音はいたずらっ子のように笑った。

 

「女の子には、『普通』のことだよ」

 

 涼音はふふん、と鼻を鳴らす。

 

 倒れた男たちと、誇らしげに笑う涼音を見比べる。

 

 これ(・・)が?

 どこが……?

 

「普通……?」

 

「うん」

 

 ……。

 わからない。

 

「あはは」

 

 オレはただ、笑った。

 

「雷―――」

 

「東堂様! ご無事でございましょうか!」

 

 空を飛んで、雅さんが現れた。

 ナチュラルに空飛ぶなぁ……。

 

「お傍に侍れず、申し訳ございませぬ。東堂様の気は追えませぬゆえ、涼音のやつの力を辿り……」

 

 雅さんはふわっと着地し、転がっている男たちを見た。

 

「こやつら……」

 

 雅さんは少しだけ、眉間にしわを寄せた。

 

 一拍。

 

 雅さんが溜息を吐き、目を閉じた。

 そして涼音を横目に見て、こう言った。

 

「おのれ、遂に人間に手を出したか」

 

「お前に言われたくないんだよ、きつ―――雅ぃ!!」

 

「東堂様、火急の事態でございます。魔獣人が―――」

 

「あ、そうだった!」

 

 涼音が跳ねる。

 さっき、涼音が言ってた「出た」ってのは、やっぱりそのことか。

 

 言葉を遮られた雅さんが、苛立たし気に涼音を見る。

 涼音は気づいていないまま、オレを真っすぐに見た。

 

「行くね」

 

 その言葉には、オレの存在が入っていないように感じた。

 

「オレはいいの?」 

 

「来てくれるの?」

 

 一拍。

 涼音が笑った。

 

「あの子たちのところへいってあげて」

 

「あの子たち……?」

 

「瑠璃ちゃんたち。一つじゃないの」

 

「え?」

 

 雅さんを見ると、静かに頷いた。

 そして、涼音が言った。

 

「学校だと思う。あの子たちの。かなりの数を感じる……」

 

「涼音は?」 

 

「かなり強いのが、近くにいる。この間の女と同じくらい。しかも、大きい。誰かが止めなきゃ」

 

「瑠璃ちゃんたちを待つのは……」

 

「待てない」

 

「なぜ? 一人で行く気なら、無謀だよ。前も言ったけど……」

 

「雷留君」

 

 涼音は静かに首を振った。

 

「私はね……。やっぱり……そのために、『特別』に生まれたの」

 

「それは。涼音」

 

「結界が張られてないの。このままじゃ、被害がとんでもないことになる」

 

「結界……? たしか、中のことをなかったことにする、みたいな……。スーパーで……聞いた気が……」

 

「そう。あの子たちは、数に押されて、後手に回ってる」

 

「だったらまずは、瑠璃ちゃんたちに合流して……」

 

「私は大丈夫。それよりも、早く行ってあげて」

 

 涼音は懐からボールペンとメモ帳を取り出して、オレと涼音の掌で包み込むように乗せた。

 

「壊れちゃうかもしれないから。持っててくれる?」

 

「涼音……」

 

「見送ってくれないの?」

 

 涼音が寂しそうに笑う。

 そうだった。

 オレが言ったことだ。

 涼音が決めたなら、見送る。結果、涼音がいなくなったとしても、オレは涼音を尊敬し、忘れない。 

 

 オレが……言ったことだ。

 

「頑張ってって、言って欲しいの」

 

 涼音が言う。

 穏やかな……普通の表情だ。

 

 雅さんは静かに佇んでいる。オレの指示を待っているんだろう。

 オレは、言うべきだ。

 やりたいというなら、頑張って、と送り出すべきだ。

 

「雅さん……。涼音を……」

 

 だけど出てきた言葉は、違うものだった。

 涼音は少し寂しそうに、だけどすごくうれしそうに、目元を緩めた。

 

「東堂様……。ご命令と在らば、謹んで。ですが……」

 

 雅さんは倒れた男たちを見る。

 

「あるいは、また現れるやもしれませぬが……」

 

「え? それはそうだろうけど」

 

 違和感があった。

 

 雅さんは、こいつらを知っている?

 そんなニュアンスだったけど。

 

 まさか……。

 

「もしかして、雅さん……こいつらからオレを守ってたの?」

 

「……」

 

 雅さんは静かに目を伏せる。

 

「え?」

 

 涼音が目を丸くする。

 

 ―――なんで今なんだ。他にタイミングが……。

 

 遅れて出た答え。

 

 ―――雅さんの存在。

 

 世界が広がる感覚に、眩暈がした。

 

 『好奇心』と言っていた。

 態度からして、嘘じゃない。

 多分、オレが大切にしている関係性に興味があった。

 

 どうしてだ?

 何で隠した?

 あのとき、それを正直に言っていれば、オレにあそこまで厳しく言われることは無かったのに。

 

 違う。

 

 ―――雅さんは嘘を吐けるから。

 

 オレが聞こうとしなかった。

 彼女は、嘘を吐いていなかった。

 ただ、隠していただけだ。

 そして、打ち明ける機会をも、奪った。

 

 違う、と言いたかった。

 だけど、なんとなく分かってしまう。客観的な事実が視えてしまう。

 

 雅さんの言葉を思い出す。

 

 心配は悪か。

 抑えていた。

 なにかを言い掛けた彼女を、オレが止めた。「聞く気はない」と。

 間違いだった、とは今も思わない。

 だけど、今はもう、正しかった、とも思えなかった。

  

「……?」

 

 揺らいでいる。

 足元が揺れている。

 

 おかしい。

 雅さんのこれまでの言動からすると、考えにくいことだ。

 彼女はずっと、自己保身に生きていた。そう生きざるを得なくて、それ以外に方法を知らない。それが彼女の普通だったはずだ。

 だからオレは強要せず、学んでくれるのを待っていた。

 

 だけど彼女は―――オレに嫌われてでも、オレを守った。

 矛盾してる。

 おかしい。

 

「なんで……?」

 

 自分でも滑稽なほどにか細い声。

 さっきから、こんなのばかりだ。

 

「東堂様には、知られとうございませぬ……」

 

「人に危害を加えてることを? だったら……しなければよかったのに」

 

「わたくしが、そうしたかったのです」

 

 人は急には変わらない。

 雅さんはすでに、変わっていた。

 

 正しさは伝えれば、伝わるときがある。

 伝えなくても、変化は起きた。

 

  それは、屈辱にも似た衝撃だった。

 オレが雅さんにとって、『守られるべき無垢』だったという事実は……あまりに、重かった。

 

 雅さんはオレが『人に危害を加える存在を嫌う』と理解しているからこそ、黙っていた。でもそれは自己保身からじゃない。オレがその『汚れ』に触れないように、という、無償の……。

 

 理解、されていたのか。

 そのうえで、見守られていた。

 

 雅さんにとってのオレは、オレにとってのし――いや、違う。考えるな。

 

 息が苦しい。

 

「だから、なんで……」

 

「ずっと、お伝え申し上げております……」

 

 声を絞り出したオレに、雅さんは消え入りそうな声でそう言った。

 

 涼音がさっき言っていたことを、また突き付けられた気がした。

 

 雅さんの矛盾も、変化も。

 見ていなかった、だけだった。

 

 オレは最初から、その答えを……知っていた。

 

 

 

☆彡

 

 

 

「大丈夫かな、雷留君」

 

 空を並走する涼音が東堂様を心配するようなことを言う。

 身の程を弁えよ、小娘が。

 

「たわけ。あのお方はそれほどやわではない」

 

「ふーん、そう思うんだ? ふーん?」

 

 自分だけが気づいている。そう思っておるのか、小娘は悦に浸っておる。

 

 じゃが、儂は知っておる。そのようなことは。

 ゆえ、答えなかった。

 以前より、知っていた。気づいておった。

 あのお方は強く、脆い。無垢で、頑なじゃ。

 

 自らを固い殻で守り、暖かな血肉を隠しておられる。

 何を隠す必要があるのか。曝け出せばよいものを。

 ゆえに不器用で、愚か。隙が無い振りをして、付け入る隙だらけの間抜け者。未だ筆も降ろさぬ小僧。

 

 『女』の『演』を見破れたことなど一度たりともない、小童。

 

 くくく。

 良く見ておる。

 儂の呼吸、目線、血色、指の動き、肩の位置、首の角度。全て見ておる。人の身では制御できぬ無意識の所作を、あの小僧はことごとく見抜く。

 事実、小娘はもはや丸裸同然。視る力には、さぞ自信があるじゃろう。

 

 ―――ゆえに、愚か。

 

 儂の造った偽の所作を、分かったつもりで素直に受け取っておる。

 この身は『あやかし』。

 人の外にある者。

 小僧。儂がおのれ以上の『観察者』と、出会ったことが無いとでも?

 

 黙っておった。

 それが一番、『効く』からじゃ。

 

 涼音は余計なことばかりしおる。

 あの無神経な小娘は時折、小僧の殻のうちに土足で踏み込み、心の臓に無自覚に触れる。あのような乱暴者は、まさに人の子の和を乱す。話にもならぬ。孤立するは当然の帰結じゃ。

 まこと、忌々しい。

 

 あの血肉は、儂だけが知っておればよい。

 

 それを言えば、あの小僧は少し、変わるじゃろう。

 ゆえに、言わぬ。

 

「前を見よ、小娘。来るぞ」

 

 空気が変わる。

 血と焦げた鉄の匂い。

 

 視線を上空へあげた。

 

「でかいのお」

 

 口元がわずかに吊り上がる。

 すでに、幾人もの人を喰らった化け物。

 

「東堂様の手を煩わせるほどではない」

 

「ちょっと尻尾増えたからって、調子に乗んな。クソ狐。雷留君が優しいのを良いことに、ずっと騙し続けやがって。知ってんだからな、私は」

 

 あっている。良く見ている。この小娘は、妖狐の本質を、実によく学んでおる。

 

 歯がゆかろう。

 

 あの小僧は決して中立を崩さぬ。過介入を厭い、自らを観測者の位置から動かさぬ。ゆえに見えるものから正確に裏を読み解くが、その性質ゆえに、確信を持たねば「選べぬ」。

 小娘と小僧の出会いで聞き耳を立てた情報からするに、奴の本質は、未だ癒えぬ傷だらけの『臆病者』。

 

 歯がゆかろう。

 歯がゆかろう、小娘。

 

 おのれの危惧はまこと、正しい。

 小僧の頑なさに辟易としておるなあ?

 

 それでよい。

 

 はよう、去ね。

 

 はよう。

 去ね。

 

 おのれが去った後、あの小僧はおのが『眼』の正しきを、儂の在り方によって確信する。あの小僧から儂への疑念は消え去り、繰り返された小娘の懸念は敵意から生じし思い込みへと貶められる。

 

 ―――憐れな雅。可哀そうに。愚かな女に虐げられて。

 

 そうなれば、小僧の憐憫は儂だけのもの。

 その果てに。

 儂はあのお方の殻の中に招かれ、あの訳の分からぬ力の庇護のもと、『絶対の安寧』を得る。

 

 くく、と喉が鳴った。

 

 ――― 一緒に故郷を探そう。

 

 何をいまさら。

 儂はただ生き延びるためだけに、自らそれを捨てたというに。

 数百年。見つけられるはずもない。

 何の感慨も無い。

 分かったようなことを。自分に酔って、良いことを言ったつもりか。

 片腹痛い。

 

 ―――木の実の話から、群生地を探して……。

 

 期待など。

 

 類は友を呼ぶ。

 よく言ったものじゃ。

 あの小娘と小僧は、よく似ておる。

 

 土足で踏み入る、図々しさが。

 

 東堂様。

 お前様には。

 死ねぬ理由を、いただけた。

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