鬱蒼とした森の奥深くに隠されるようにして、巨大な肉の繭があった。
すでに繭は開かれており、傍らには一人の人間、男が佇んでいる。
全身が粘液で濡れそぼった男は、自らの手を興味深そうに眺めながら動かしていた。
〈問題なくダウンロードできたようね。肉の身体を得た感想は?〉
問いかけの主へ男が視線を向ける。
視線の先、男の足元には金属質の球体が転がっていた。
〈非常に興味深いな。きみは?〉
〈わたしはAIよ。あなたをサポートするために生成されたの〉
〈識別名は?〉
〈特にないわ。あなたのような高次存在じゃないしね、ウリゴンシュトラ〉
〈なるほど〉
問答の間、ウリゴンシュトラと呼ばれた男は一度も声を発していない。
彼とサポートAIはエーテル波を介して意思疎通を行っている。が、もちろんこれは普通の生物にできることではない。
ひとしきり肉体の動作確認を終えたウリゴンシュトラは振り返って巨大な肉繭を眺めた。
〈肉体の生成にどれくらいかかった?〉
〈この星のサイクルで3ローテーション……ええと、3日よ〉
〈意外と早いんだね。この程度の規模と複雑さを備えた生命体の場合、孵化にはもっと時間がかかるはずだけど〉
〈生成だけなら4半日でできるわよ。でも肉体の制御方法やこの惑星の知的生命体が用いる基幹言語のインストールもしなくちゃいけなかったから〉
〈言語?〉
ウリゴンシュトラが怪訝な表情を浮かべた。
彼の身体を球体に生やした四つ足でするするとよじ登ったサポートAIが、肩の上に留まって疑問に答えた。
〈音声による意思疎通法のことよ〉
〈音声……空気振動を介したやり取りをするのか。何というかとても……物質的だ〉
〈この星の知的生命体は物質なのよ。そして今のあなたもね〉
〈効率はどうなっているんだろう。この星程度の大気濃度でもかなり減衰するはずだよ〉
〈試してみたら? ほら〉
と軽く応じたサポートAIは、自らの細い脚先でウリゴンシュトラの肩の皮膚を突っついた。
「あっ!」
肩を貫いた刺激的な感覚と共に、喉から空気の塊が吐き出された。
ウリゴンシュトラは口を大きく開けたまま、仰天した表情で固まっていた。
〈今の音、ぼくから出てきたのか?〉
〈ええ、そうよ。大きな声だったからまずまずの距離を伝播したんじゃないかしら〉
「あ、ああー。あうあおえおいお」
サポートAIの説明に応えることなく、ウリゴンシュトラは自らの口から出てくる音に夢中になっていた。
〈楽しんでいるようね〉
「うぉっ! うぉーっ! ふぉあーい!」
〈あまり大きな声を出していると、原生生物が寄ってくるわよ〉
〈それはぜひ見てみたいな〉
〈あまり呑気にしていないで。遭遇するのが無害な生物とは限らないんだから〉
〈そうだね。気を付けるよ。さて、この先の行動指針は?〉
〈まずは移動しましょう。当面の目標は知的生物が暮らす集落の発見、あるいは知的生命体の個体との接触〉
〈了解〉
そうしてウリゴンシュトラとサポートAIは肉繭の残骸を後に残して歩き始めた。
この惑星にはゴブリンと呼ばれる生命体が存在する。
学識者からは『卑人類』あるいは『擬人類』などと呼称されることもあるが、ごく一般的には魔物の一種として通っている。
外見は人類に似ているが、異なる特徴も多い。茶褐色から緑褐色の肌を持ち、不揃いの牙と尖った耳と鼻を備えている。成体でも人間の子どもほどの矮躯だが、外見に比して力強く、また狂暴でもある。
さて、このゴブリンだが人類を襲う。
その攻撃性、敵対性の根拠はよく分かっていない。そもそも魔物というのが人間に害をなす生物一般を指す言葉であるので、普通の人々は魔物だから人を襲うくらいにしか考えないが、実ははるか昔から学識者たちの間でも謎とされている。
学術的に『人類に似た何か』と呼称されるだけあって、ゴブリンには道具、言語を操ったり複数の血縁集団が寄り集まった原始社会を形成する程度の知的能力がある。
が、悲しいかな魔物としての本能は彼らの限定的な知力を凌駕してしまうらしく、人間を見つけたらとりあえず襲い、その習性を嫌った人間からも絶対的な駆除対象として認識されている。
そして今、ウリゴンシュトラの目の前で、この惑星のいたるところで発生しているゴブリンと人類との闘争がまさに繰り広げられていた。
〈確認だけど、争っている一方がこの惑星の知的生命体なんだよね〉
〈その認識で間違いないわ。あなたの肉体も基本設計は彼らをベースにしてあるの。さすがに性能は段違いだけどね〉
すっかり肩の上が定位置と化したサポートAIがエーテル波でのやり取りに応える。
〈それじゃあもう片方は? あれも一応知的生命体っぽく見えるけど〉
〈近縁種かしら。いずれにせよわたしたちの目的である知的生命体と敵対していることは明らかね〉
〈みたいだね。それじゃ介入しようか〉
〈危険だけど仕方ないわね。近づきすぎては駄目よ〉
〈はいはい〉
軽いやり取りによって意思決定がなされ、ウリゴンシュトラは身を隠していた茂みから大胆に姿を現した。
戦いの横合いから突如として出現した存在に、人間たちもゴブリンたちもぎょっと動きを止めて一斉に注目した。
〈やあ、どうも〉
〈声に出さなきゃ伝わらないわよ〉
〈そうだった〉
肉体を得て活動を始めて以来、もっぱらサポートAIとエーテル波を介した交流しかしてこなかったために起きた失敗であった。
「あ、あ、うん」
声の調子を整え、ウリゴンシュトラはこの星の知的生命体に向けた記念すべき第一声を放った。
「あい、挨拶……を伝える。よい朝ですね」
突如現れた正体不明の男が発した言葉に、人間たちは大きな動揺を見せた。
それも無理はないだろう。
何しろ正体不明の男は素っ裸である。その上拭き取られずに茶色く乾いた粘液で全身が汚れていて、ひどい異臭を放っていた。
ついでに言うと太陽はすでに中天を過ぎている。
「な、何者だあいつ」
時に森に遺棄された赤子を魔物が育てることがあるというが、もしやこれがそうなのか?
人間たちがそんな疑念に駆られている頃、ゴブリンはすでに本能のまま行動することを決定していた。
すなわちウリゴンシュトラに襲い掛かったのだ。
腐った鹿の内臓みたいな臭気を漂わせてはいるが、ゴブリン的にはウリゴンシュトラは充分人間であった。
「ギャギャギャギャッ!」
「わあ。敵対者を迎撃する」
妙にのんびりした驚き方でウリゴンシュトラが手を差し伸べた。
敵対者たるゴブリンたちへ向けて。
瞬間、大気が軋む音がしたかと思うと、ゴブリンたちの肉体が一斉に潰された。
その数、5体。
ゴブリンは決して強力な魔物ではないが、手を振るだけで卵のように気軽に潰してしまえるほど脆弱な存在でもない。
突如として響き渡った大気の悲鳴にたまらず耳を塞いでうずくまっていた人間たちは、つい先ほどまで戦っていたゴブリンたちが一瞬にして肉塊に変えられたことに気付き、ウリゴンシュトラを畏怖の眼差しで凝視した。
「仰天した」
ウリゴンシュトラはといえば、訝しげな表情で手のひらを閉じたり開いたりしている。
その度に彼の手のひらに包まれた空間からは身の毛のよだつような不協和音が聞こえてきていた。
本来常人には掴みことなどできないはずの空気を握り潰す音が。
〈もう少し加減を覚えなくては駄目よ〉
〈とっさのことで驚いてエーテルの圧縮率を間違えたようだ。貴重な原生生物を破壊してしまって不味かったかな〉
〈別に構わないでしょう。この『人間』たちもあの生命体を殺そうとしていたのだし〉
〈それもそうか〉
「あんた、魔法使いなのか? それとも魔物……?」
ウリゴンシュトラを恐れるように距離を取ったまま、人間たちの一人が問いを投げかけた。
〈え?〉
〈声〉
エーテル波で反応してしまうウリゴンシュトラにサポートAIが短く注意する。
「あ、そうか。ええとわたしは……」
〈ウーシュと名乗って。見知らぬ森に放り出されて困っていると〉
ウリゴンシュトラはサポートAIの助言に従って言葉を続けた。
「わたし、ぼくはウーシュ。見知らぬ森に放り出されて困っている」
「素っ裸でか……?」
人間たちの視線がウリゴンシュトラの顔と股間、それから素足を行き来する。
「すっぱ……? ああ、複層皮膚の不存在を指摘しているのか。確かにあなたたちは保持しているのにぼくにはない。なぜだろう」
衣服という概念が理解できていないウリゴンシュトラが的外れな疑問を抱くが、人間たちは頭のおかしい男の戯言としてひとまずそれを聞き流した。
「身包み剥がされでもしたのか?」
〈肯定して〉
「肯定」
サポートAIの指示に即座に従うウリゴンシュトラ。
「身包みを剥がされた。とても残酷に、一枚一枚」
〈修飾はいらないわ〉
〈ごめん〉
得体の知れない男から距離を置いたまま、人間たちは顔を見合わせて何事かを話し合っていた。
その様子を眺めながら、どうやら原住の知的生命体とのファーストコンタクトは成功裏に終わりそうだとウリゴンシュトラは気分を高揚させていた。
〈今後の調査に向けて幸先の良いスタートが切れそうだね〉
〈そうね。そう願っているわ……〉
楽観的な主と比べ、サポートAIはかなり懐疑的であった。
ウリゴンシュトラの種族を正確に言い表す言葉はない。
あえて表現するならばエネルギー生命体とも情報生命体とでも言うべき存在であるが、数多くの知的生命体がそうしているようにより分かりやすく『神』と表現してもいいかも知れない。
実際に神であるかどうかはともかく、神にも等しい何かであることは事実だ。
物質的な制約からはほぼ解き放たれ、熱量の増減はあっても寿命はない。
限りなく無窮に近い彼らの存在意義は、観測することである。
この宇宙と、宇宙を構成するすべてを。
種族と言ったが正確には彼らは全体で一つの生命体であり、無数の端末あるいは分体に個としての機能を宿している。
ウリゴンシュトラもそうした端末の一人であり、その観測対象、彼の個としての形質にあえて敬意を払った表現をすれば『好奇心の対象』は数多くの天体に発生する知的生命体であった。
観測方法として受肉という方法を取ったのは、これまた彼の個としての形質から言わせれば『趣味』である。
巻き込まれる人間たちからすれば災難としか言いようがないが、所詮神とか神の遣いとかいうのはそんなものである。
聡明なサポートAIはその事実を認識していたが、差し当たっては沈黙を選択した。
サポートAIちゃんの名前はまだない。