綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
俺は生徒会に訪れた後、部活で必要になるものなどを買いにケヤキモールに向かい、結局俺が部屋に帰ってきたのは19時過ぎだった。
帰ってすぐに歩き回って疲れた体にシャワーを浴びせた。
もう今日は外出しないだろうと思いラフな部屋着に着替えておく。
…紆余曲折あったにしろ、俺は問題なく水泳部に入部することができたな。
携帯に目を通すと、顧問の方に早くも話が通ったようで、顧問の先生と思わしき人物からメッセージが届いていた。
「この時期に入部する度胸だけは買ってやる。明日の朝練から参加しろ。p.s.返信不要。」
妙な言い回しに脅しのような文面。。かや乃の言っていたスパルタがもう既にここから滲み出ていた。
俺はそれと同時に来ていたメールを確認していく。
茶柱先生の連絡を見ないようにするため、今日は一日、携帯の通知をOFFにしていた。未読無視していたことになる。
数件のメッセージに目を通す。彼女達には悪いことをしたな。。
俺の様子を伺うような文面の一之瀬。
一刻も早く『100年の孤独』を読むように催促してくるひより。
俺を真っ向からデートに誘ってくるみーちゃん。
どこからか既に俺が水泳部に所属したことを聞きつけて真偽を問いかけてくる恵。
そして、メッセージが取り消されましたという通知だけがある堀北。
俺は堀北以外には、水泳部に所属する手続きをしていて今日一日手が離せなかったことと返信が遅れてしまったことに対する謝罪を返しておいた。
気になるのは、ほんの30分前にメッセージが来ていた堀北だな。
わざわざメッセージを送信して一度取り消しているので、既に解決しているのか、もしくは俺の既読がつかないのを見て取り消しただけなのか。
妙な気がかりを覚えて、堀北に連絡することにする。
…俺に対しては2コール以内で出ろという割に、全く出る気配がなかった。
連絡に出ないことで妙な違和感が増した。
俺は仕方なく、堀北の部屋に向かい直接的な接触を図ることにした。
「…誰?」
俺のノックに冷静を装ったような堀北の問いかけが返ってくる。
部屋にいる時点で俺の電話を無視したことは意図的であることが分かる。
「俺だ。何か困っているんだろう。開けてくれないか」
「…綾小路君ね。別に何も困っていないわ。鬱陶しいから帰ってくれる?」
「困っているやつのセリフだな」
「それは貴方の…」
「アンコンシャスバイアスとでも言うつもりか?」
堀北の言葉に重ねるように、前に言われた言葉を先取りして余裕を奪っていく。
「…そうよ」
「そうか。なら、一度出てきて証明してくれ。納得出来たら大人しく帰る。」
「…」
頑なに姿を見せないことから察するに、姿を見られてしまえば一発で自分が困っていることを分かられてしまう状況だと推理する。
服を全部洗濯してしまい、着るものが何もないみたいな状態ならギャグ漫画みたいで面白いんだけどな。
俺の問いかけに返ってきてのは無言だった。
黙秘権を行使して、乗り切るつもりのようだ。
「堀北。船上試験での賭けを覚えているな。」
「…。」
「それを履行する。今、俺を部屋に入れてもらおう」
「…っ。いいのかしら。そんなつまらないことに使って。」
「構わない。今すぐ開けてくれ」
「…卑怯よ。」
「そう言われる謂れはないな」
これは俺が賭けで勝ち取った正当な権利だし、使い道にも困ってたところだ。丁度いい。
「…分かったわ。」
観念したような堀北の言葉と共に扉は開かれた。
裸にバスタオル一枚ってわけでは無く、柄のないシンプルな私服を着用していた。
この上なく似合っているのは素材の良さからだろう。
「はやく入って。」
この時間に玄関でいざこざしてる様子を他人に見られると面倒なことになるだろう。
堀北の観察は中断し、俺は手を引かれるように部屋の中に招かれた。
…まあ、堀北が今、不自然に背中の後ろに隠している右手が答えみたいなものだろうな。
俺が靴を脱ぎ終わったタイミングで左手で俺の腕を引っ張り、そのままその腕を背中の方に回される。
見事な手際だった。俺が身動きをとればそのままねじられ関節をきめられるだろう。
「何か習っていたのか?」
「ピアノと書道ならやっていたわ」
「…なるほどな」
「もしかしたら茶道もやってたかもね」
「…そうか」
俺に嫌味を言う余裕はあるらしい。
いや、逆に余裕はなく、言葉遊びで必死に心を整える時間を稼いでいるのかもしれないな。
それにしても、この台詞。言われたらムカつくな…。
「貴方は何か習っていたの?」
前に聞いてきたことと同じことを流れに乗って質問してくる。
「お前と似たようなものだよ。」
「…言い忘れてたけど私は合気道も習っていたわ」
「それでも、お前と似たようなものだ。」
「…そう」
与太話は終わったようで、堀北は俺の体を回転させ、先に部屋に入るように誘導してくる。
そこまでして右手を見られたくないらしい。暗黒竜でも飼っているんだろうか。
俺はあえて無抵抗のまま、堀北に従うままに部屋に足を踏み入れた。
必要最低限のものだけを揃えた部屋は飾り気がなく俺の部屋と酷似していた。
部屋の中に充満している女子特有のいい匂いは俺の部屋とは決定的に違ったが。
「綺麗に使っているんだな」
「あまりじろじろ見ないで。」
まあ、人様の部屋をじろじろ見るのは不躾な行為かもな。
部屋を見渡すのをやめるとどうしても手持ち無沙汰になり、理不尽に拘束されているのが気になった。
「おい。いつまで…」
振り返ろうとした際に、焦った堀北は俺の背中に冷たく固いものを当てる。
それは間違いなく人体ではないものだ。
「あっ…。」
堀北も咄嗟の行動で、当てるつもりはなかったのだろう。
つい出てしまった驚きの言葉を飲み込むように口を固く閉ざして、目で必死に言葉を探している。
「…ば、ばんっ。」
堀北の口から出たとは思えないほど可愛い効果音だった。
緩くなっていた左手の拘束を振りほどき、振り返った先には俺の背中に向かって銃口を突きつけるかのように差し出された水筒があった。
それは堀北の右手をすっぽりと覆いこんでいて何とも情けない姿だった。
「銃刀法違反で逮捕した方がいいか?」
今にも羞恥心と自尊心が爆発寸前で真っ赤な顔を浮かべている堀北にツッコミを入れておく。
これが俺の精一杯のお笑いセンスだ。すまん。堀北。
心の中で堀北の高度なボケに対して、低レベルのツッコミしか出来なかったことを謝っておく。
俺の謝罪は虚しく、堀北が無言で凶器を備えた右手を振り上げる。
「おいおい。冗談だよな」
にこやかに笑う堀北の目は据わっていた。
そういや、こいつ人の手にコンパス刺すような奴だった。
俺は振り下ろされる前に堀北の腕を掴む。
「お、おい。落ち着け。堀北。悪かった。」
「…貴方を殺して、私も死ぬわ」
安いドラマにありそうな台詞。だが堀北の目は本気だった。
たかが水筒一つでそこまでの覚悟がなんで出来るんだ。
「いやいや、こんなの取れば終わりだろう。」
「…取れないから、言っているのよっ。…水を使っても泡を使ってもとれなかったの!!」
八つ当たり気味に俺に言葉をぶつけてくる堀北。
どうやら、一人で取れる手段は一通り試したが、四苦八苦の末、諦めの境地に至ったようだ。
「一人じゃなければ取れるかもしれないだろう」
「…貴方の力を借りるのは癪だわ」
「そうは思ってないから一度は連絡したんじゃないのか?」
「…癪なのは承知な上で腹を切る覚悟で連絡したのよ。」
それを無視したのは貴方でしょうと咎めるような視線をぶつけてくる。
「手が離せなかったんだ。だから折り返して連絡しただろう」
「時すでに遅しよ。その時、既に私は無我の境地に達していたから。」
連絡一つでグチグチ言い合っている姿は、前に堀北がおれとみーちゃんの関係を形容した更年期の夫婦喧嘩そのものだったが指摘はしない。
「まだ遅くないだろ。取ってやるから。この手を下ろせ」
「…そこまで言うなら貴方の実力を試させてもらうわ。」
何の実力なんだこれは。
だが、ひとまず堀北の掲げられた狂気は凶器と共に矛を収めた。
「…取れなかったら責任とってもらうわよ」
何の責任なんだこれは。
水筒に右手の自由を奪われた情緒不安定気味の堀北の論理は破綻していた。
一刻も早く助け出した方が良さそうだ。
「お風呂は沸いてるか?」
俺は思いついたことを一つ提案する。
湯を張った湯船の中でなら比較的痛みも感じずに簡単に抜くことができるはずだと補足しておく。
「今沸かしてくるわ」
言うや否や堀北はバスルームへ引っ込んでいった。
堀北はすぐに帰ってきたがお風呂が湧くまでの待ち時間が生まれる。
無言の時間を繋ぐように俺は堀北に質問する。
「ちなみにどれくらいその状態なんだ」
「…昼過ぎよ」
右手解放の兆しが見えて、普通に会話はできるくらいの堀北には戻ったようだ。
「昼過ぎねぇ…。は?昼過ぎっ?」
ゴタゴタやっていて既に20時過ぎだ。
約6.7時間は拘束されていることになるわけだ。それは精神も狂うだろう。
「水筒を洗おうと思ったことが間違いだったわ。これが取れたらすぐにでも燃やしたいくらいよ」
恨みがましい目を水筒に向けているが完全に自業自得だ。
水筒に責任転嫁するのはお門違いもいいとこだろう。
お風呂も今ではボタン一つ押せば、ほんの数分で沸く時代。会話もそこそこに準備が整ったようだ。
かがくの ちからって すげー!
「はやく抜いて」
堀北は一目散にバスルームに膝をつき、哀れな姿の右手を湯船につけて、俺を急かすように見上げてくる。
「ああ。」
俺も堀北のすぐ隣に膝をつき湯船に手を入れて水筒を掴む。
「堀北。力を抜いてくれ」
堀北の右手には変に力がこもっていて上手く抜けない。
「っ…。そんなこと言ったって…。」
長時間、自分で抜こうと頑張っていたのか水筒から覗く手首は少し炎症を起こしていた。
抜く時に無意識に力を入れることを体が覚えてしまってるようだ。
その後何度試しても、力が入って抜けそうになかった。
埒が明かないな。
俺は前触れもなく、あいている手で堀北の隙だらけの右脇に手を伸ばし、くすぐるようにまさぐった。
薄いシャツ一枚隔てているだけで感触はほとんど生肌に近いものだった。
「ひゃっ…。ちょっ…。んぅっ…。」
普段聞くことのない女の子らしい声を上げて身を悶えさす堀北。そういう声は初めて聞いたな。
堀北の右手の力も自然と緩む。
「…っ!!!な、何考えているのっ!!あなたっ」
俺の攻撃に耐えきれなくなり、勢いよく湯舟から出した右手に水筒はなかった。
右手の自由がきくことに遅ればせながら気付いた堀北は口を噤む。
「取れてよかったな。」
俺は取れた水筒を湯船から出して見せる。
堀北は水筒が取れた喜びと今受けた辱しめがぶつかり合い言葉に迷っているようだ。
「…もうちょっと他にやり方あるでしょう…」
そっぽを向いて、文句をこぼす堀北は何かを振り切るように立ち上がりバスルームを出ていく。
バスルームに置いてきぼりにされるわけにもいかないので俺もついていく。
「…お腹空いたわ」
今まさにそれを思い出したかのように俺に聞こえるように独り言を漏らした。俺はそれに返事をする。
「何も食べれなかったんだろ。そりゃお腹もすくさ」
右手が不自由な状態ではご飯の用意も出来ないだろう。
それに、右手の対処でだいぶ疲労も募っているに違いない。
「…ねえ。ご飯もう食べた?」
今度は独り言ではなく、確実に俺の方を見て、俺に言葉を投げてくる。
「いや、まだ食べていない」
「…そう。なら一緒にどうかしら。勿論、私が用意するわ」
「…なら、お言葉に甘えてご馳走になることにする。」
これは堀北なりのお礼なのだろう。なら受け取ることが紳士としての礼儀作法だろう。知らんけど。
「そう。なら、少し待ってて」
堀北はエプロンを身につけ、キッチンに立った。
どうやら手料理を振舞ってくれるらしい。
俺は言われた通りに居室スペースに置かれた机で待つことにした。
手持ち無沙汰を携帯に溜まっていたメッセージを返信しながら潰していく。
こういう無意味なメッセージのやりとりを俺は無駄で面倒なものに感じる。
…今まで効率を追及して生きてきたことの反動なのかもな。
「あなた、ずいぶんと楽しそうね。」
いつに間にか背後にいた堀北は、料理が乗った盆を手に持って俺の携帯を覗き込んできた。
「美味しそうだな。」
「無理があるわよ。その逃げ方は」
「こんなものよりもお前の料理の方が気になる」
「…そう。」
携帯に来ていたメッセージをこんなもの呼ばわりした俺に少し驚きを見せる堀北だが、追求はしてこなかった。
机の上に料理が揃い、向かい合うように席に着いて食事が始まる。
「いただきます」
堀北の礼儀正しい挨拶を俺も倣うように続けて、料理を頂くことにする。
並べられるは一汁三菜を基本とした和食。健康的な堀北のイメージにもよく合う。
メインはカレイの煮付けだ。甘さ控えめの味付けがしっかりと魚の身全体に染み込んでいて非常に美味しい。
「美味い。堀北、料理うまいんだな」
どの料理一つとっても適当さは感じられない。手間をかけて完璧に作りこまれた味だった。
こちらを不安そうに見ていた堀北も、俺の感想を聞いて満足そうだ。
「…昔からやっているもの。このくらいは当然よ」
「ケーキとかも作れたりするのか?」
「ケーキ?…レシピと調理器具さえあれば作れるとは思うけど、どうして?」
「お菓子作りの分野には少し興味があるんだ。」
「…あなたが?」
怪しむ堀北に返せる言葉はないため、信用してもらう他ない。
俺は首肯して、食べ進めていく。このだし巻き卵も絶品だな。
「本当に美味しかった。ご馳走様」
「ええ。お粗末様」
大満足のまま俺は食事を終える。堀北も食べるのは早い方らしく俺に続いてご馳走様と締めくくった。
「洗い物くらいやらせてくれ。」
「別に必要ないわ。」
「いや、俺がやりたいんだ。それに、また水筒に手を奪われたくないだろ?」
俺は冗談交じりに堀北を言いくるめて、請負った洗い物をさくっと終わらせた。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るとする」
時計は10時を半分と少しを回ったことを指している。
もう既に寮規則違反となり誰かに見つかれば面倒な事になる時間だ。
これ以上長居する訳にも行かないだろう。
俺が帰る素振りを見せた刹那、堀北が自由になった右手で俺のシャツの裾を静かに強く掴まれた。
「…待って。」
「なんだ?」
「…どうせ、もう規則の時間は過ぎたのだから、どれだけ超えても同じことでしょう?人がいなくなってから帰った方がいいわ。」
「その台詞は帰って欲しくないみたいに聞こえるな」
「…別にそういうわけじゃなくはないけど」
だいぶ捻くれた言い方だが、存外素直だ。
「…あなたにはまだ聞いておきたいこととはっきりさせておきたいことがあるの」
「…それは時間がかかりそうだな」
「ええ。だから、…だめかしら?」
いつもより控えめな口調で懇願するように問いかけてくる堀北。
試験以外のことでも俺に頼ることを覚え始めている。押すなら今だろう。
「…なら、いっそのこと泊めてくれないか?」
「…え?」
「もう俺は入浴は済ませてあるし、部屋着だしな。そのまま寝れる。」
「待って。勝手に話を進めないで。」
「ならいい。お前は知りたいことが知れないまま。俺は今から帰るだけだ。」
「…っ!!」
「前に言ってたよな、関係なくはないって。なら、堀北にとって今がチャンスなんじゃないのか?」
堀北にとって俺の情報がないことは恐怖を感じることだ。
俺は今日、習い事やお菓子作りの話。堀北が知らない俺の情報を撒き餌として散りばめた。
堀北の中にある俺を知りたいという欲求を加速させるために。
「…分かったわ。」
「そうか」
堀北は唇を嚙みしめつつも、承諾した。
彼女の中の天秤はもう俺の方に傾いている。
俺が泊まることが決まり、先程食卓を一緒に囲んでいたとは思えないほど緊張感を出す堀北。
まるで自分の部屋じゃないみたいに居心地が悪そうだ。
「綾小路君。あなたはいったい…」
「堀北。話は長くなるだろう。先に風呂に入ってきたらどうだ。」
俺は遮るように現実的な提案をする。正論である以上断れはしない。
「…そ、そうね」
堀北は俺にこっちを見るなと忠告して、クローゼットから颯爽と衣服を持ってバスルームへ向かう。
俺に覗くなんて発想はなかったが、堀北は口酸っぱく俺に覗いたら殺すわよと宣言してバスルームに引っ込んでいった。
堀北がバスルームに入っている間、俺は大人しくしておく。
15分くらいの時間で、髪も乾かし終えた堀北がバスルームから戻ってきた。
「もうちょいゆっくり入ってもらって良かったんだが」
その長い髪を乾かして寝る準備まで整えたとすれば15分は短すぎる。
「…」
ゆっくりできるわけがないでしょうと顔に濃く書かれてあるような表情だった
食事の時と同じように向かい合って座った堀北の長い髪は入浴直後特有の艶が宿っておりいつもに増して綺麗に見える。
「何か飲み物はないか?」
いつもの堀北なら気が回っても良さそうな事だ。余程余裕が無いのだろう。
「…図々しいわね」
それは半ば無理矢理に堀北に泊まることを承諾させたことも含めて言っているようだった。
文句を零しつつも堀北はお茶を二人分用意して戻ってきた。
「綾小路君。あなたは…」
「ちょっと待って。俺だけ質問されるのはフェアじゃない」
「…意外ね。あなたも私に興味があるの?」
「当然だろう。」
「そ、そう。…なら、交互に1つずつ質問するってことでいいかしら」
「構わない。出来れば俺から質問させてくれないか?」
「いいわ。今更、貴方に隠す事なんて私にはないもの。」
「そうか。ありがとう。」
ここで今、この質問におけるラインを明確に設定する必要がある。
黙秘権を行使出来るのか否か。
連続して掘り下げる質問は1つの質問の範疇に入るのかどうか。
堀北は俺に隠す事など無いと言うがそれは強がり。誰にでも自分以外には知られたくない事情くらい抱えているものだ。
「堀北は男性経験とかあるのか?」
「…あなた。死にたいの?」
堀北は言葉の意味を理解するのに数秒要し、お決まりの殺害宣言をしてくるが、俺としても引く訳にはいかない。
「どうなんだ?」
「…あなた、本気?」
「当たり前だ。」
「はぁ…。あなたの言う私への興味ってそういうこと?呆れたわ。そんな下世話な質問に答えるつもりは無いわ」
堀北はため息をこぼして、予想通り質問に対して回答しない構えを取る。
「そうか。なら俺の質問は終わりだ。次、堀北でいいぞ」
堀北は、俺の引き際の良さに違和感を覚えるだろう。
本気で聞いてた訳じゃないこと、俺が先に質問する権利を得ようとした意味。
各所に含まれていた点と点が線で繋がる。
「あなた、私の質問に答える気あるのよね?」
「ああ。答えられることならな」
堀北は自分が明け透けに答えなければ、俺から何も情報を引き出せない。それを理解する。
「…やっぱりあなた卑怯だわ」
「お前はそうじゃないのか?」
「…そうね。…私も卑怯かもしれない」
卑怯じゃない人間がどれだけいるだろうか。
裏に貼り巡らせた策略も思慕も全て相手に隠してるのであればそれは正々堂々としたものでは無い。
「…無いわ。」
日本と韓国くらいの僅かな時差を持って俺の質問への答えが返ってきた。
堀北は開き直ったように俺を真正面から捉えて答えるが、顔は強ばっている。
まあ、処女を宣言したのも同義だし、当然の反応か。
「そうか。ならキスしたことはあるのか?」
「私の質問の番でしょう?」
「俺は男性経験について聞いた。堀北のさっきの答えでは駄目だな」
男性経験という言葉は何も性交渉の経験を聞く言葉じゃない。男性との経験談の話だ。
「私も確かに卑怯かもしれない。けどあなたの方が絶対卑怯だわ。」
「答えるも答えないも俺は強制してない。堀北の自由にしてくれ」
後に堀北が答えたからと言って俺がそうするとは言ってないという理論を突き付けるのは大人気ないだろうな。
「…キスはおろか、手を繋いだことも何も無い。…あるのは船の上で誰かさんに無理矢理ハグさせられたことくらいよ」
恋愛をテーマの小説を読んでいたくらいだ。
堀北も知識や興味くらいはあるようだな。
「そうか。なら…」
「も、もうっ。いいでしょう。この話は。」
堀北は顔をほのかに赤くしながら話にストップをかける。
まあ、この辺が潮時か。
「わかった。もうこの話はいい」
「はぁ。やっと私ね…。私は答えたんだから、貴方も分かってるわよね?」
「ああ」
まあ、大人気ないことはしない。誠意には誠意で返す。これが紳士の礼儀作法だろう。知らんけど。
「そう。なら遠慮なく。あなたと一之瀬さんの間にあったことの全てを話して。」
「全てか。大きく出たな」
「答えてくれるんでしょう?」
堀北が知りたいのは色恋沙汰ではなく、無人島試験、船上試験での話だろう。
一之瀬と堀北の関係性が見えてこない今、嘘をつけば見破られる恐れがある。全て話す他ないだろう。
俺は1学期、図書室でCクラスの連中からBクラスを助けた時に関わりを持ち始めたことに始まり、無人島試験と船上試験で手助けしたことの詳細を全て話した。
一之瀬が堀北にどういう接触の仕方をしたのかは見えないが俺の話が一之瀬の言動と被る部分はあるはずだ。
驚きはするものの、終始黙って聞いていた堀北も俺を疑うことはしなかった。
「どうして…。あなたはどうして一之瀬さんに肩入れするの?」
「友達だからだろうな。頼られたら断れない」
「無人島のリーダー当てはまだしも、優待者の情報を流すことはDクラスにとって明確な敵対行為よ。それが分かってるの?」
「一之瀬はその情報でDクラスにとって不利益になる行動を取ったか?」
不利益どころか、むしろDクラスにとって大きな利益を産んでいる。
「…信じてるのね。一之瀬さんを。…そして、一之瀬さんはあなたを」
「そうかもしれないな」
「私のことは信じてるの?」
「ああ」
「…そう」
「俺に信じられてると信じてないのは堀北だろ。俺は全幅の信頼を置いてる」
「……」
「それに、安心していい。Aクラスには少しずつ、そして確実に近付いている。」
俺が手助けしたのはAクラスじゃなくBクラス。
AとDの距離だけで言えば着実に詰まっている。
それが分かってるからこそ、茶柱先生は俺を切れない。
「ええ。…これからも一緒に戦ってくれるのよね?」
「そういう約束だからな。」
長話にも一段落つき、睡魔がやってくる時間になってきた。
俺がさらに聞いたのは堀北兄妹についての話。
俺がさらに与えた情報はみーちゃんとの関係と軽井沢との結末。軽井沢の方は辻褄が合うように改変して話した。
だが、話ももう終わりだ。明日も朝は早い。部活がある俺に夜更かしする余裕もないしな。
「もうそろそろ切り上げ時だろう。」
「待って。まだ聞きたいことがあるわ。」
そういう堀北の声にも少し疲労が溜まっている。
水筒の置き土産だな。
「それはまた別の機会にしよう。」
「…別の機会ってのはいつ?」
普通そこまで聞いてこないぞ。怖いな。
「先の予定が分からない以上。まだそこまでは決められないだろう」
「…分かったわ。なら、もう一つだけなら聞いてもいいかしら。時間は取らせないから」
「分かった。なら、それはそこで聞くってことでいいか?」
俺はこの部屋に一つしかないベットを指差す。フロアマットも敷かれていないこの部屋で寝れるスぺースはここ以外に無い。
「…え」
「泊まるってことは必然的に同衾するってことだが、まさか今更気付いたわけじゃないだろう?」
堀北は分かりやすく固まる。
「もしくはピロートークで話すってことでもいい」
俺はさらに過激に踏み込んでいく。堀北は知識だけはあるタイプ。言葉の意味も分かるだろう。
「…なっ!!…あ、あなた本気で!?」
体を守るようなジェスチャーを見せて少し後ずさる堀北。
「今のは冗談だ。だが、それに比べたら別に一緒のベットで寝るくらいどうってことないだろう。…もしかして怖いのか?」
ドアインザフェイスは非常に有用な交渉術、そして基本的に堀北は煽りに弱い。そこにつけこむ。
「……………。指一本でも私に触れたら、関節がなくなるわよ」
長い沈黙の末に出した答えは物騒な暴力宣言に埋もれてはいるが同意だった。
先程の堀北の拘束に無抵抗で貫いたことがここにきて発揮しているな。
「そりゃ、まずいな。絶対に触れないことにする。明日からの部活に支障が出そうだしな」
「…部活?」
「ああ。言ってなかったな。水泳部に入部したんだ。」
「…そう。そんなの知らなかったわ。私は知らないことばかりね。」
「まさか、一日とそこらで俺の事を全て知れるなんて思ってないだろう?」
「それもそうね。あなたは底が知れないもの」
部屋の電気は消え、俺は堀北に促され、先にベットに横になった。
「…ねぇ。やっぱり…私、床で寝るわ」
寮備え付けのシングルベットは無論狭く、俺が壁際に限界まで寄っても堀北一人分の隙間しかない。
2人でベットに入るという現実を目の前にして、堀北は怖気付く。
「堀北は俺を信じてるんだろ?」
さっきとは逆の質問。
「それとこれは別の話よ」
「同じ事だ。堀北が逃げるなら俺も逃げる」
俺が逃げるというのは堀北から逃げるということ。
堀北が頼れるのは俺しかいない。
だが俺には堀北だけという訳じゃない。
一之瀬も軽井沢もいる。
それは俺が今日堀北に明かしたもので頭にこびりついているだろう。
「…狭いわね」
堀北は逃げる選択肢を捨て硬い動きで堀北は俺の隣に向き合う形で横になった。
「堀北。その状態は寝れないだろう。もう少し寄れ」
堀北は俺から少しでも距離を取ろうとして、半身がベットから出ている。
「ほんとに。触ったら許さないわよ」
「分かってる。」
堀北が居住まいを正すともう、どちらかが少しでも動けば触れる距離になる。
「堀北。誰かと最後に寝たのはいつなんだ」
「…何よ。いきなり。」
「俺は初めてなんだ。誰かと一緒に寝るっていう感覚が少し不思議に感じてな。堀北が今どういう風に感じているのか気になった。」
俺が初めてだと言った時に、堀北は感情が揺らいだ表情になる。普通の人はそうじゃないんだろうな。
「…私は小学生低学年の頃。兄さんに一緒に寝てもらったことが何度かあったわ。でも、10年ぶり。それでも……。あなたの言うとおり不思議ね。感じていることは変わらない」
「窮屈なはずなのに窮屈じゃないわ」
「冷たいはずのあなたからどうしようもなく温もりを感じているの。…兄さんと一緒」
先程聞いた堀北兄の話では普段は冷たいが時折優しく褒めてくれると言っていたな。
そして、それはどうしようもなく堀北にとっては嬉しいことだったのだ。今も絶えずにそれを求めている。
もし、堀北が俺を堀北兄と重ねているのなら、俺がその優しさを与えてやろう。
「鈴音」
俺は自分の中にある慈しみと温もりを全力で込めてその名前を呼ぶ。
「1人でよく頑張ったな」
あの兄に孤高と孤独を履き違えるなと叱咤され、
堀北は自分が1人で精一杯努力して積み重ねてきたものを誰よりも認めて欲しかった兄に認めて貰えなかった。
俺は思う。
結果は報われずとも、その努力は尊いもので認められるべきものであったと。
なら、あの兄が捨てた役目は俺が全うする。
「…な、なによ。いきなり」
「これは俺が感じてる紛れもない本音だ。鈴音。その努力は誰にだってできることじゃない。鈴音。お前は凄いよ。」
「っ!!!…ちょ、やめて。」
堀北が俺の言葉を止めようと抵抗して、俺の胸に手を伸ばしてくるのを見て、俺は堀北を抱き寄せて、両手で精一杯抱き締めて、賛辞の言葉を続けて浴びせた。
堀北はされるがままで、あれだけ触れるなと言っていた口を固く結んでいる。
俺は堀北の頭を俺の胸に押し付けるように抱え込み、暗闇でも映えるその綺麗な黒髪を優しく撫でる。
堀北は認められたことに対する喜びで心が満ちて、心から溢れた分は涙となって流れていく。
俺は堀北の涙が止むまで強く抱き締め、優しく髪を撫でた。
狭いベットの中、狭い布団の中、紛れもなくこの瞬間だけは俺達2人だけの世界だった。
「この髪。今まで見てきた中で一番綺麗だ」
「……じつは。この髪。兄さんに振り向いて欲しくて伸ばしたの。でも兄さんは意に関せずだった…。でも、今、あなたに褒められて、そんなことはどうでもよくなってしまったわ」
「…ねぇ。好きって何かしら」
「まさか、それが俺にしたかった最後の質問か?」
「…ええ。少し違うけど似たようなもの」
「そんなの俺は知らない。むしろ教えて欲しいくらいだ」
「…そう。なら教えてあげる」
俺の胸から顔を上げた堀北は、兄に良く似た迷いなくそして淀みのない動きで俺の唇をいとも簡単に奪った。
歯と歯が当たり、不器用なものだったが、それは優しいキスだった。
「これが、私の″好き″」
「…そうか」
「…あなたも。いつか教えて。私にあなたの好きを」
「ああ。約束する」
お互いに少し早くなった心拍音を感じながらその夜は安らかに眠った。
#30 という節目なので長めに書きました。
明日も筆が進めば更新する予定です。
今作は須藤さんが居なくなった影響で割愛してた堀北くすぐりを堀北水筒事件で上手く回収出来た気がします。
みーちゃんと綾小路の関係と綾小路と一之瀬の信頼関係の情報を知ったことによる堀北の気持ちの変化を書いた話になります。
コメント&誤字修正いつも助かってます。
今回は長いのでいつもより誤字多いはず!!()