綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
俺は予定通りの時間に目を覚ました。
昨日も見た質素で飾り気のない庶民的な天井だが決定的に違うのは腕の中にスヤスヤと静かな寝息を立てて寝ている堀北がいること。
俺は起こさないようにゆっくりと起き上がる。
「…いかないで。」
まるで一生の別れを拒むようなそんな声。
起こしてはないよな?
一定のリズムを刻む呼吸を見てまだ寝ていることを確信する。
俺は惜しむような堀北の寝言を聞かなかったことにして堀北の部屋を後にした。
朝にしても早すぎる時間帯。
誰にも会わずに自分の部屋に戻り部活に行く身支度を整えた。
朝練は朝7時からだが、かや乃はその前に入って練習しているらしい。
かや乃は俺に対しては7時に間に合うように来ればいいと言っていたが、俺はかや乃の時間に合わせることにした。
朝の学校だが、外は暗く夜に学校に来てる気分になるな。。
この静けさはすぐに朝が来ると分かっていても少し不気味だった。
俺は男子更衣室で着替えを済まして、荷物を置きにプールサイドにある部室へと向かった。
水泳部は男子女子で別れておらず1つの部活だ。
昨日、見せてもらった部室にはタイマーなどの備品やミーティングが出来る椅子や机などが置かれていた。
部室からは光が漏れており誰かが既にいるようだ。
まだ時刻は5時を少し回ったところ。
かや乃はやはり相当早い時間に来ているようだ。
俺はドアを何の躊躇もなく開く。
「えっ!?」
素っ頓狂な声と同時に目に飛び込ん出来たのは、一糸まとわぬ真っ白な背中と下半身には対照的黒い下着1枚のかや乃。
「わるいっ」
かや乃の悲鳴から耳を塞ぐように俺は戸を閉めた。
その間、実に1.7秒。我ながら素晴らしい反応速度だったが、もうかや乃の姿はもう目に焼き付いていた。
後ろを向いててくれたのがまだ救いだった。
部室のドアの前で待っていると暫くして気まずそうなかや乃が部屋から出てきた。
「…見た?」
「見てないって言って信じてくれるか?」
今、競泳水着を纏っているかや乃のその下の素肌を俺は記憶している。
「…その言い方。見てるじゃん」
「悪い。あんなとこで着替えてるなんて思わなかったんだ」
「そ、それはっ。。だ、だって誰か来るなんて思ってなかったんだもん」
かや乃も自分の横着な性格が招いた事だと分かっているからこそ俺を強く責めれない。
「ぅぅぅ。最悪だぁ…。」
体を縮こませるようにする後悔に苛まれるかや乃に投げかける言葉は浮かばなかった。
一頻り悔いていたかや乃だが、もう過ぎたことでどうしようも無いことだと切り替えるように顔を上げて胸を張る。
切り替えの良さと自己完結出来ることは大きな長所だな。
「…もういい。見られたのが綾小路君だっただけマシだったって思うことにするから。」
「で、でも。…出来れば忘れて?」
「ああ。善処する。」
まあ、見えた部分は今着てる競泳水着とそこまで出ている肌の面積は変わらないと思うが。そういう話じゃないんだろうな。
「…それにしても早いね。綾小路君。」
「俺も水泳の授業以来だしな。楽しみだったんだ。それに、顧問の先生からのメッセージが怖くて早めに目が覚めた。」
俺は軽くメッセージの内容をかや乃に伝えておく。
「あはは。うちの顧問らしいなぁ〜」
「それに、かや乃もいるって言ってたから、早めに行こうって思ったんだ」
「え?わたし?」
「ああ。流石に入部初日でプールを1人で私物化する訳にはいかないだろ」
入部初日のやつが、水泳部の備品を好き勝手にするのは気が引けるという話だ。
「…そ、そうだよねっ。あはは。そ、そうだ。なら、色々準備について教えるよ。昨日休みだったからね。まだ水も張れてないし。」
「それは助かるな。よろしく頼む」
プールに水を張ったりと諸々を準備していく。
後は水が張れるのを待つだけだな。
俺達は部室の中でプールに水が張れるのを待つことにした。
「ラッシュガードつけたまま泳ぐの?」
俺はこのラッシュガードを水泳の授業の時からつけていた。かや乃もそこまで物珍しそうにはしていない。
「ああ。もしかして駄目だったりするか?」
「んーん。いいと思うよ。うちの部にはつけてる人いないけど。」
「つけないのが一般的なのか?」
「うーん。どうだろ。ラッシュガードつけてると泳ぎにくくなったりするからじゃないかな。つけてる人は大会でも少数派かも。」
俺の着用してるのは半袖タイプのラッシュガードだが、確かに肩を回す時に僅かに抵抗を感じるな。
伸縮性の良い素材だから俺は気にならないが。
「たしかに。俺は気にならないが気になる人はいそうだ」
「うん。基本的にタイムを伸ばす競技だからね。そういう細かいところを変えるだけでもタイムって伸びたりするんだよ。だから、顧問の先生には何で着用してるのか聞かれるかも」
まあ、1秒2秒を争う勝負だ。ほんの僅かな違和感でも消せるなら消しておくべきだろうな。
「実は、肌があまり強くないんだ。日光ですぐに荒れてしまう。大会の時くらいは脱いでもいいが、練習の時は着用しておきたいな。」
かや乃も多分気になっていたことだろうと思い、ここで適当に理由を作って誤魔化しておく。
あまり人の目に体を晒すのも気が引けるしな。
「…そっか。そういう理由なら顧問の先生も何も言わないんじゃないかな。」
顧問の先生としても、身体的理由ならつっこめないだろう。
「あ、そろそろ泳げそう。」
プールの水を張っていた音が止み、少し静かになったことでかや乃は目を輝かせて部室を出ていく。
俺も後に続く。朝練開始の7時まであと1時間だ。
「ねぇねぇ。勝負しようよ。50m。」
「かや乃に勝てる気はしないな。というか、その前に、準備体操くらいはしておいた方がいいんじゃないか」
「…あっ。忘れてた」
玩具を与えられた子供のように、今にもプールに飛び込もうとしてたかや乃の動きは止まった。
いきなり0の状態から体をフルで動かせば、何処か怪我してもおかしくないからな。
「じゃあ、柔軟体操教えてあげるよ。いつも、部活でやってるやつ。知っておいた方がいいでしょ?」
「そうだな。ありがとう」
「うんじゃあ、私が先に補助役するから座って足開いて」
俺は言われるがままに座った状態で脚を開く。
「じゃ、押すから、痛かったら言ってね。後、膝は曲げないでね。」
まあ、よくある柔軟体操だ。
柔軟性は格闘技においても重要なファクターだ。
それはあの部屋で俺にも当然求められていたことだ。
「えっえっ。体柔らかすぎない?綾小路君」
かや乃に背中を押されて、足を全開に開いたまま、ほぼ床に上半身密着させる程に体を倒される。
「ストレッチと筋トレは日課なんだ」
ホワイトルームでの生活で染み付いてきた習慣は、この学校に入学してからも欠かさずに続けている。
「す、凄いよ。私が見た人の中で1番体柔らかいよ。」
「それはありがとう。次は俺が補助役をするよ」
一通り体が伸びたところで交代する。
「ちょ、ちょっと待って。私を綾小路君と一緒にしないでね」
俺がかや乃の背中を押そうとすると、やりすぎるなと言う忠告に遮られる。
「分かってる。柔軟性は人それぞれだからな。」
それにしてもかや乃の競泳水着は背中の部分の空いているタイプなので少し触るのに抵抗があるな。
だが、かや乃は気にしていないようで、早く押してと指示してくる。
指示に従って、俺は遠慮なく背中を軽く押すが、それに反発しているかのように力が返ってくる。
「おい、まさか。」
「あは。私、体が硬いのが悩みなんだよね〜」
足もほとんど開いていない上に体がほとんど倒れていない。硬いにも程があるだろう。
「かや乃。少しいいか?」
「え、何が?」
「体、柔らかくなりたいとは思わないか?」
「そ、それは。先生からも言われてるし。ならなきゃとは思ってるけど…。」
タイムを伸ばす事よりも怪我を防ぐ意味でもこの体の硬さは少し致命的だろう。
「なら、いいよな?」
「…あ、綾小路君。顔が怖いよ」
「心配しなくていい。俺が柔らかくしてやろう」
かつて、俺がホワイトルームで受けてきた荒療治。
一日一日限界ギリギリまで伸ばし、少しずつ限界値を底上げしていく。
今やっているこんな生半可な柔軟体操では柔軟性を得ることは出来ない。
痛みを伴ってこそ初めて、体の進化が促せるのだ。
俺はかや乃の背中を押すことをやめて、かや乃の剥き出しの太腿の内側を片手でそれぞれ掴む。
「ひゃっ。」
俺が急に太腿に触れたことに可愛らしい声を上げるが俺は止まらない。筋肉の付き方も申し分ないだけに、柔軟性が無いことが余計に気になるな。
「まず、この足。もう少し開けるだろう」
俺が体に触れたことで動揺しているかや乃の太腿を遠慮なく開いていく。
「いっ!いたいいたいいたい~!!」
その痛みは俺が触っていることすら気にならなくなるものだ。
筋肉の痙攣具合から見るにもう少しいけるな。
俺のさらなる追撃にかや乃は声も出なくなり、上半身の力すら抜ける。
そうだ。本当に痛みを伴う柔軟体操は声すらあげる余裕がなくなるのだ。それを経験してきた俺はよく知っている。
それが限界値の合図。俺はその状態で30秒キープさせてようやく解放する。
「…し、死ぬかと思った…。」
「何言ってるんだ。まだこれからだぞ」
俺はその後も柔軟体操でかや乃の体を隅々まで伸ばしていった。
「も、もうこれ以上は無理っ!!!!」
色々と限界を迎えたかや乃はとうとうギブアップの声をあげた。
まだ下半身しか伸ばせてなかったが、上半身の柔軟性はそこまで悪くない。
水泳を練習する過程で下半身の筋肉だけがバランス悪く発達して、柔軟性を失ってたんだろう。
逃げるように立ち上がったかや乃は何かに気付いたかのように驚いている。
「え?あ、あれ?体がなんかいつもより軽い?」
「下半身の筋肉だけが異様に硬かったからな。それが伸びればそういうこともあるだろう」
「おはよう。かや乃」
「あ、水瀬先生」
水瀬先生。水泳部の顧問だ。
初対面だがもう忘れることは無いだろう。圧巻の外面だ。
黄昏に燃える麦穂のように豪奢な金髪。鮮血を想起させる深紅な瞳。その相貌はぞっとするほど見目麗しく整っていた。
上下ジャージを着用しているが、まるで美術モデルのようにいかにも女性らしく過不足ないプロモーションを誇るグラマラスな体型が隠しきれておらず色気が漂っている。
日本人の名字だがその外面は明らかに純日本人のものでは無いな。
「お前が新入部員の綾小路だな。初日から朝早くから来ていて感心しているよ。だが、まさかうちのエースとイチャつくために入部したんじゃないだろうな?」
「い、イチャついてませんからっ!!!」
かや乃は必死に否定するが、水瀬先生はかや乃には目もくれずに、俺を見定めるような視線を向けている。
どうやら、かや乃の体を改造していた所を見られていたらしい。
「ただの柔軟体操ですよ。かや乃から体が硬いと相談を受けたので手伝っていただけです。」
実際には悩んでると聞いただけで、俺が勝手にやったことだが。
「本当にそうか?かや乃を虐めて楽しんでいたように見えたが」
確かに、かや乃が痛がる反応は少し面白かったが。
「まさか。俺はかや乃の為に全力を尽くしてました。楽しむ余裕なんてなかったですよ」
「つ、尽くすって。。」
俺の言葉の一部を拾って何やら、かや乃は動揺しているが、水瀬先生は全く気にした素振りは無いな。
「全く本心に聞こえないが、まあいいだろう。かや乃、体の調子はどうだ」
ここでようやくかや乃に話を振る水瀬先生。
「え?あっはい。そ、そうです。今日は綾小路君のおかげか少し体が軽いんです」
我に返ったかや乃は正直に水瀬先生に伝える。
水瀬先生は俺に一瞥くれた後、かや乃の傍に寄り、かや乃の全身を触り始めた。
「え、ちょ。せ、せんせいっ!くすぐったいですっ!」
嬌声を上げるかや乃を意に関せず、かや乃の体に無遠慮に触れていく。
同性同士とはいえ、かや乃さえその気になればセクハラでこの先生を左遷させることが出来るんじゃないだろうか。
下心はないんだろうが、隅々まで知ろうとしている手つきはエロい手つきだった。
「なるほどな」
「な、なるほどな。じゃないですよ!せんせいっ!そのやり方はやめてくださいって言ってるじゃないですかっ!!」
かや乃の言い方からしても、恐らく、これは日常茶飯時なのだろう。
かや乃の弱々しく言い放った言葉にもあまり抵抗力はなく水瀬先生とかや乃の信頼関係が見て取れる。
「おい。綾小路。大会に出るつもりなんだろう?」
「あ、はい。」
「大会に出るか出ないか決めるのはお前じゃなく顧問の私の裁量で判断する。その意味が分かるな?」
つまり、大会に出る実力があるのかどうかを問いかけてきているのだろう。
「はい。」
「いいだろう。かや乃。50m自由形。綾小路と勝負してやってくれ。」
「あっ。はい!」
かや乃からはやっと泳げることに対して喜びが溢れている。
「結局。勝負することになっちゃったね。綾小路君。」
水泳の授業では常に1位だったかや乃。
男子女子の差はあるにしろ、水泳の経験が乏しい俺は″まだ″勝てないだろう。
「安心しろ。綾小路。勝てなんて言わない。かや乃は全学年。男女関係なく1番早いからな。」
「なら、俺の実力を証明するにはどうすれば?」
「言っただろう。私の裁量だと。」
「なるほど」
俺はかや乃と並んで飛び込み台に立った。
「綾小路君。負けないから」
「ああ。見せてくれ。自由ってやつを」
水瀬先生のホイッスルと共に俺達は飛び込んだ。
かや乃はホイッスルの音と同時に綺麗なフォームで飛んだ。日頃からホイッスルの合図で飛び込んでいる。それが体に染み付いている証だ。
俺はそれを見てから1秒弱遅れて飛び込んだ。
フォームのモデルは水泳の授業でも群を抜いて凄かった高円寺。だが、まだ俺のものになりきっていない。
着水の仕方も完璧とは言えず、勢いを殺してしまっている。
隣のレーンでは激しく水飛沫を上げて進む小野寺の足が見えた。
なるほどな最小限に細かくフラッターキックするタイプか。
下半身の筋肉も固まるはずだ。
50m自由形とは言え、クロールが主流。俺もかや乃も選択したのはクロールだ。
飛び込みの勢いを殺してしまったものの、俺はここから加速する。
シンプルな競技だからこそ、俺の鍛え上げられた肉体なら力のベクトルを間違えないように手足を動かすだけで自然と加速していく。
50mはあっという間に終わり、俺はかや乃の数秒後にゴールした。
「この時期に入部するやつはだいたい大会でのプライベートポイント狙いの身の程知らずだ。だが、お前は違うようだな」
一応は実力を認められたらしい。
かや乃も驚いたような表情で俺に話しかけてきた。
「やっぱり早いね。綾小路君」
「やっぱり?」
「うん。水泳の授業では、そんなに早くなかったけど、フォームが綺麗だったから。きっとほんとは早いんだろうなって思ってた」
「よく見てたな」
「うん。…え。あっ。変な意味じゃないよ?ほんとにフォームが綺麗だったから見てただけ。」
俺のフォームは水泳の授業に向けてプロの選手のを見て真似をして得たものだ。
ホワイトルームでの水泳の経験は無いに等しいものだったから、水泳の授業中にそれを少しずつ自分のものにしていった。
「そうか。でも、別に水泳の授業中に手を抜いてたわけじゃない。全力でやる機会に恵まれなかっただけだ。」
結局、プライベートポイントを巡って競い合うのは初日だけだったしな。その後は泳げない生徒中心の授業だったからな。
あれは、無人島試験に向けての授業だったんだろう。
「うん。分かってるよ。水泳の授業、そんなに本気で泳ぐやつじゃなかったもんね。」
「ああ。」
「決まりだな。」
かや乃と共にプールサイドに上がると仁王立ちしている水瀬先生は俺達に言う。
「何がですか?」
「綾小路。お前は大会に出てもらう。」
どうやら、問題なく出場させてもらえるようだ。
「それに加えて、かや乃を明日から大会まで毎日欠かさず虐めてやってくれ」
「えええええええっ!」
かや乃は驚いているが、まあ、要するに柔軟を続けろということだろうな。
「分かりました」
俺は二つ返事で了承する。これでかや乃の硬い体を改造する表向きの理由ができた。好都合だ。
かや乃の筋肉は非常に勿体ない。
柔軟性さえ身につければ、他の競技でも大幅に応用できるだろう。
「かや乃。今日のタイムだ。」
水瀬先生はストップウォッチをかや乃に渡す。
「…えっ。せ、先生。これほんとですか?」
「私が嘘をついたことがあったか?」
「…。」
「特別試験で2週間に及ぶブランクがあったんだ。タイムは落ちていて当然だ。だが、お前のタイムは自己ベストと大差ないスコア。それが何故だかくらい分かるだろう。」
「…。綾小路君。明日からもお願いしますっ!」
「ああ。明日からはもう少し厳しくしよう。今日みたいに逃げるなよ」
「ええええ。今日より!?」
俺は恐らくこの先生よりも柔軟においてはスパルタだ。
なぜならこのやり方以外を知らないから。
「あ、綾小路君。で、出来れば…優しくして欲しいな〜なんて…。」
誤解を招きそうなその台詞に反応したのは水瀬先生だった。
「かや乃。体の柔軟性は水泳においても大切だが、貞操も大切にしろよ。そいつは、かや乃の体を触って虐めて喜んでいるような男だ」
「えっ!?」
この先生は俺の何を知っているんだろうか。
酷い言われようだ。
「かや乃。先生の冗談だ。」
「で、でも。太腿とか脇とか触られたし…。」
今更、恥ずかしさが込み上げてきたらしく、体のあちこちに刻まれた俺に触られた感触を確かめるように、自分の体を触れる。
「触ったのはそうだけど、別に水瀬先生みたくイヤらしく触ってないだろう。全部、体を柔らかくしてやろうと思ってした事だ。」
「…それはそうだけど。。綾小路君は男子だし…。」
水瀬先生を引き合いに出しても性別の壁は越えられないようだ。
いけっ!多様性。相手は弱っている!
その微妙な空気を破ったのは引き合いに出した水瀬先生だった。深紅の瞳には炎が宿っており、有無を言わさぬ形相で、俺達2人はその空気に飲まれるしか無かった。
「おい。今私をイヤらしい女だと言ったか?」
はい。あの手つきと貴方のそのボンキュッボンな体はイヤらしいと思いますが。なんてことはこの威圧感の前で言うことは出来ず、謝ることしか出来なかった。
どうやら、周り全てを焼き尽くしそうな勢いの炎の標的は水瀬先生を引き合いに出した俺らしい。
うん。水瀬先生に冗談言うのはやめよう。
そんな事をゴタゴタとやっていると他の部員がぞろぞろとやってきて部活は始まった。
先輩方と同学年の女子達にも挨拶して、無事に入部することが出来た。
1年生の水泳部はこれで合計4人だ。
少人数の水泳部だったが、皆、水泳に懸ける想いは本物で、大会前ということをあってか、朝練が本格的に始まってからは、談笑もなくただただ自分との戦いになった。
確かに。これは水泳が好きじゃないと耐えられないだろうな。
こんな美貌の顧問がいても、この部活の時間の苦痛に対しての鎮痛剤にすらならないだろう。
その日の最後には大会の参加の仕方が顧問に言い渡された。
個人では100m自由形と1500m自由形に出場すること。
400mメドレーリレーをかや乃と俺。渡部さんと児島さんという2人を含めた1年生のメンバーで出ることになった。
俺が入部したことでメドレー種目に参戦出来るようになったらしい。
俺のタイムがほとんど落ちないことから、体力があると見込まれて遠泳種目にぶち込まれたのが少し面倒だな。
まあ、文句も言えない立場な訳だが。
メドレーの方は男女競合チームということで、相手も男子が含まれていて優勝への道は険しいものになるだろうというのが顧問の見解だった。
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朝練にお昼休みに昼練と練習は夕方まで続いた。
水泳好きには至高の一日だ。つまり、俺にとっては耐え忍ぶ一日だ。
「疲れたね〜〜」
「それ〜」
「うん。でも久しぶりに泳げて楽しかった〜」
さっぱりとした疲労感を漂わせる2人と大満足のかや乃と並んで寮への帰り道を歩く。
渡部さんと児島さんは共に一之瀬率いるBクラスのメンバーなようで俺の事も快く迎え入れてくれた。
「それにしても綾小路君。早いね〜。中学の時も水泳やってたの?」
渡部さんに気さくに話しかけてられるがどう答えようか悩む質問だな。
「いや、中学は水泳部がなかったんだ。水泳は小学生の時に習い事でやっていた。だから、高校では入るかどうかずっと迷ってたんだ」
まあ、こんなとこだろうか。
俺が水泳を齧る程度に叩き込まれたのは年齢で言えば小学生の時だし、水泳部が無い中学は別に珍しくもないだろう。これなら、この時期に入部したことにもあまり違和感が無いはずだ。
「そうなんだ。でも良かった〜。ほとんど諦めてたんだけど、メドレーはやっぱり楽しいから出たかったんだ〜」
児島さんにもそう言われてお礼を言われる。
Bクラス特有のこのお人好しな性格は一之瀬から伝播しているんだろうか。
いずれフェードアウトするつもりなだけに若干心苦しいな。
「かや乃ちゃんも流石だよっ!2週間ぶりなのに全然タイム落ちてないなんてっ。私なんて右肩下がりだよ〜」
「あ、それは…。うん。今日は調子良かったかも」
俺の柔軟のおかげだと言うのかと思ったが、誤魔化すことにしたようだ。
「綾小路君も早いし私達も頑張らなきゃねっ!」
「うんっ!」
Bクラス特有の純粋さが眩しいな。
「あっ!帆波ちゃんと麻子ちゃんだっ!」
児島さんが前を歩く2人を見つけたように立ち止まって声をあげた。
渡部さんはその2人に聞こえるように声をかける。
一之瀬はその声に振り向いて、俺を見つけて笑顔に向けてくる。
「俺達のことは気にせず、行っていいぞ」
「ありがとう。じゃあ、また明日ね。かや乃ちゃん綾小路君。」
2人は俺にお礼を言って、前を歩く一之瀬達に向かって走っていった。
一之瀬は2人だけが自分の元に向かってきて、俺が傍に行かないことを見ても俺に変わらない笑顔を向けていた。
「仲良しだね〜。Bクラス。」
「一蓮托生って感じだな」
「綾小路君は行かなくていいの?」
「どうしてだ?」
「一之瀬さん。綾小路君のこと見てたから」
かや乃もそれなりに女の子の視線には敏感なようだ。
「言っておくが、一之瀬はただの友達だぞ」
「あはは。別に何も言ってないのに」
「疑ってるような目をしてたんだよ」
「え〜。そんな目してないのに〜」
かや乃としてもこの話を引き伸ばすつもりは無かったようで、何もなかったように歩き出し、すぐに寮に辿り着いた。
寮のロビーに入ると一人で一之瀬が誰かを待つように立っていた。
かや乃はそれを見つけると、俺の方に体を寄せて、俺にだけに聞こえる声で言う。
「ただの友達が待ってるよ。」
「…そうだな」
「何があったか明日聞かせてね。何か問題があったらみーちゃんに報告しなきゃだから」
みーちゃんに報告することが目的なのか、自分が知りたいだけなのか怪しいところだな。
「じゃ、また明日ね。綾小路君」
「ああ。風呂上がりのストレッチ忘れずにな」
「分かってるって〜。じゃ、おやすみ〜」
「おやすみ」
俺とかや乃の会話を先程の見た笑顔を苦くした表情で一之瀬は見ていた。
その表情の変化は僅かだったが、かや乃も気付いたかもしれないな。
「にゃは。迷惑だったかな?」
「いや、構わない。何か用か?」
「少しお話しない?」
一之瀬はロビーの外を指差して言う。
「…実は今からケヤキモールに買い物に行くつもりだったんだ。話のついでにそれに付き合ってくれないか?」
「にゃは。私が頼んでたのに、いつの間にか綾小路君から頼まれてるな〜。」
「おぬし、もしかして相当なやり手だにゃ〜?」
こういう謎なキャラが一之瀬から出てくる時は、聞きにくい事を聞いてくる時だ。
「付き合ってくれるんだろ?」
「うん。もちろん付き合うよ」
「なら明るいうちに行こう。」
一之瀬としても俺の行動について謎に思ってることは多いだろうしな。
少しは明かしておくことが今後のためになるだろう。
それに堀北との関係についても気になっていたところしな。
俺と一之瀬は並んでケヤキモールに向かった。
初めてオリキャラを出しました。
水泳部顧問とBクラスのアンジャッシュのお2人です。
原作では明かされてない以上オリキャラで辻褄を合わせるしか無かったです。ストーリーには影響ないので気にせずお楽しみください。
コメント&誤字修正いつも励みになります。