綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話   作:ファウストの劫罰

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#32 自由の象徴

 

 

ケヤキモールに訪れたが、用があるのは内接されているスーパー。食材の買い足しである。

カートを押しながら一之瀬と並んで歩く。

 

「どう?水泳部は」

格闘技と同じようにまずは小手調べのジャブといったところか。一之瀬にはメッセージで水泳部に入ることを伝えていたしな。

 

「抽象的な質問だな。…まあ、まだ初日だが楽しめている」

運動不足だった体には鞭を打ち付けるような運動量だがな。

 

「一之瀬は部活には入らないのか?」

一之瀬にしても運動音痴という訳でも無さそうに見える。

「うん。」

一之瀬は迷いなく肯定する。

部活に入らない生徒の大半は面倒くさいや勉学との両立が難しいなどの理由が思いつく。

そのどれもが、一之瀬には当てはまりそうにない。

 

「これは勘だが、生徒会に入ることを諦めてないんじゃないか?」

 

一之瀬から直接生徒会関連の話を聞いたことは無い。

生徒会長が俺を勧誘した時に橘書記は来てくれた彼らに申し訳ないと言っていた。

現状、1年生はまだ誰も生徒会に入ることが出来ていない。 それはあの生徒会長が来るものを拒んでいるからだろう。

その拒まれた人物は葛城と一之瀬だと俺は思っている。

それに4月に職員室前で一之瀬を初めて見かけた時に星之宮先生と生徒会について話していたしな。

 

一之瀬は俺がその仮定に至ったことに目を細めて、少し思案して答えに至る。

「そっか。綾小路君と初めて会った時、星之宮先生との会話聞かれてたんだ」

「ああ。あの時期から生徒会に入ることを狙っていたのにまだ入っていないのであれば、門前払いをくらったと考えるのが自然だからな。」

 

「うん。綾小路君の考える通りだよ。でも、まだ諦めるのには早いと思うんだ。生徒会だって、後釜がいないと困るでしょ?」

「そうだろうな。生徒会長としても、いずれ誰かは生徒会の席に座らせるしかないだろう。聞いてもいいか?どういう理由で断られたのか」

 

「うん。会長からはまだ時期じゃないって。言われたかな」

堀北兄のセリフもそうだが、今の一之瀬の言葉にも含みがあるな。

「会長からは?」

「あ。うん。やっぱ鋭いね。綾小路君。副会長からは会長は肩書きを気にするタイプだからって言われたんだ」

 

副会長か。俺は名前も顔もまだ知らないな。

だが、矛盾しているな。その話は。

 

「どういう人なんだ?副会長は?俺はよく知らないんだ」

「南雲先輩は2年Aクラスのリーダー的存在だね。来年の生徒会長になるってのはほとんど確定してるって話。2年生のほとんどは南雲先輩を支持してるって話だよ。頭も良くて運動も出来る。完全無欠って言われてる堀北会長と実力では負けてないって噂だよ」

一之瀬はその南雲副会長のエピソードを幾つか付け加えて教えてくれた。

どこまで本当かは分からないが、一之瀬は南雲先輩の実力を買っているようだな。

 

「それは凄いな。それにしても、やけに詳しいんだな一之瀬は。」

「え、う、うん。実は、その南雲副会長のおかげで生徒会に入れそうなんだ」

俺の前で、違う男の情報を事細かに話したことに後ろ髪を引かれているのか、一之瀬は僅かに引き攣った笑みを浮かべながら話す。

 

「その副会長から生徒会長に一之瀬を推してくれるという感じか?」

「うん。南雲先輩も入学した時はBクラスだったらしいの。南雲先輩曰く、肩書きじゃなく実力で測るべきだって。だから、私が生徒会に入るのを手伝ってくれるって。」

今、1年生は三つ巴状態。AもBもCも肩書きとして大差ないだろう。

だが入学時は別だ。

明確なクラス分けの基準は分からないが、それだけ優秀な男がBクラスというのは気になる。目の前にいる一之瀬もそうだが。

 

「なるほどな。だが、同じ境遇だっただけで援助してくれるなんて副会長は随分優しいな。」

俺のその言葉に一之瀬の表情にほんの一欠片の雲がかかり影が刺した。

表情の変化が無いか凝視していないと気付けないレベルだ。

 

「う、うん。有難いよ。ほんとに」

俺に気付かれてないと思い、深くは語らない一之瀬。

 

堀北兄が蹴った一之瀬に南雲副会長が手を差し伸べる行為は堀北兄の思惑通りではないだろう。

生徒会も一枚岩という訳では無いらしい。

それこそが生徒会に1年生を採用しない理由じゃないだろうか。

 

「さっきの話で気になったんだが1ついいか?」

「え、う、うん。なんでも聞いて」

なんでもか。なんでも聞いて欲しい感じではなさそうだがな。

 

「肩書きってのはクラスのことだろう?ならAクラスの葛城が生徒会に入れないのはおかしくないか?」

「あ、それはね。えーと、葛城くんと坂柳さんの話は知ってるでしょ?それが影響してるらしいよ」

なるほど。Aクラス内部でリーダーの位置を確立出来ない者に生徒会は相応しくないということか。

 

「先日、俺は堀北会長から生徒会に入らないかと勧誘された。俺は水泳部に入部することを心に決めていたから断ったが、それを踏まえると肩書き云々は関係ないんじゃないか?」

あの場での話を堀北兄が外に持ち出すとは考えずらい。

副会長は無論。橘書記と堀北兄と当事者の俺以外は知らない事だろう。

 

「…それ、本当?」

さっきまで必死に俺に悟られないように繕っていた仮面も俺の話で目に分かるほどヒビが入る。

葛城の話に言い訳が作れてもこの事実には言い訳出来ない。その副会長の理論は破綻したも同然。

 

「ああ。極小数しか知らないが紛れもない事実だ。」

「……。」

俺が嘘をついてないと直感で判断した一之瀬は顔を青ざめる。

 

南雲副会長は2年生全体から支持されていると言っていたな。Aクラスだけに留まらず、全クラスから支持を集める。そんなことが正攻法で可能だろうか?

敵対するべきクラスである以上、不可能だ。

なら、何か裏がある。その裏から忍び寄る毒牙に善意の塊である一之瀬は気付けないだろう。

 

「何か思うところがあるようだな。一之瀬」

「え、そ、それは」

「言いにくいなら俺が言おう。一之瀬。お前がBクラスである理由が関係してるんじゃないのか?」

話を聞く限り、プライドの高そうな南雲が一之瀬に最初はBクラスに配属されたと明かすのは恥を晒す行為。

ならそれは一之瀬をウィークポイントを引き出すための供物だ。

 

「…っ。」

図星をつかれたことを隠すだけの余裕はないだろう。

それは恐らく一之瀬にとっての唯一無二かつ、最大のウィークポイントだからだ。

 

「一之瀬。別に俺は話して欲しいわけじゃない。俺だって一之瀬には話してないことばかりだ。」

 

「だから、話して欲しい時に話してくれ。そして、俺について聞きたくなった時に聞いてくれ。俺は一之瀬に嘘はつかない」

 

「…うん。…。ごめんっ。今日は帰ってもいいかな」

「ああ。いつでも相談に乗る。また、誘ってくれ」

「ごめんっ。」

一之瀬は俺とカートを置き去りに去っていった。

そこは『ごめん』ではなく『ありがとう』だと誰かが言いそうだな。

 

あの思い詰めた表情のまま、一人で抱え込んでもいい答えは出ないだろうな。

一之瀬は地雷を抱えており、それを起爆するスイッチは南雲が握っている。

それ自体は別に問題じゃない。

南雲の目的が見えないことが問題だ。

 

生徒会に入る理由がもう1つ出来てしまったな。

一之瀬は俺のものだ。誰にも渡さない。

 

それにしても、一之瀬の小手調べのジャブに対して、顔面右ストレートを返してしまい、話す機会を1つ失ってしまったな。

まあ、一之瀬と話す機会はすぐに訪れるだろう。

 

――――――――――――――――――――――――

部活漬けの毎日はあっという間に過ぎていく。

よく、毎日飽きずに水に浸かっているものだと周りを感心するが、水泳部の面々に苦痛の表情は無い。

 

俺も忍耐力だけは自信があるが、1500mを休憩なしで10本連続で水瀬先生がやらせてきた時は流石に一言くらいは言うべきだったな。

 

俺じゃなかったら労基かPTAに速攻連絡している。

今頃、先生の席はこの学校には無くなっていてもおかしくない程度にはパワハラだ。

 

「本日の練習はここまでだ。明日の大会に向けて今日はゆっくり体を休めておいてくれ。では、解散」

いよいよ大会が明日に差し迫った今日。

いつもより軽めのメニューの朝練が終わると、昼前には解散が告げられた。

 

「うぅ。もう明日かぁ。緊張するなぁ」

「かや乃ちゃんも緊張する?」

「私は小さい頃からやってるから、もう慣れっこかな。それに、いつもより自信あるんだ。」

俺に爽やかな笑顔でアイコンタクトを向けてくるかや乃。

 

かや乃の体改造計画は、朝練の前に集まって秘密裏に行われていた。

俺の厳しい指導にも根を上げずについてきただけあって体は随分柔らかくなり、フラッターキックも前よりだいぶ靱やかでだいぶタイムが伸びた。

 

「かや乃ちゃんと綾小路君仲良いよね〜」

「あ、私も思ってた〜」

「えっ!えっ、そ、そうかな。普通だと思うけど」

変に動揺するかや乃を暖かい目で見る、Bクラスの渡部と児島。

 

「かや乃ちゃんはこう言ってるけど、どうなの?綾小路くん」

かや乃は既に陥落したかのような表情で、俺に矛先が向いてくる。

「俺は仲良いと思ってる。俺にとってかや乃は大切な存在だ」

 

「せ、青春だ〜」

黄色い声援をあげるBクラスの2人に顔を赤くして俯くかや乃。

 

「ちょ、ちょっと誤解される言い方やめてよっ」

「別に誤解じゃない。俺にとってはかや乃は大切な存在だ。」

「…だっ、だからっ!」

「かや乃は違うのか?」

「ち、違わないけど…って!そ、そうじゃなくて!!」

 

「みーちゃんが悲しむでしょっ!?」

かや乃は2人には聞こえないように俺に体を寄せて言うが、それは今、彼女達の黄色い声援に対する薪にしかならなかった。

 

「悲しまないよ。」

「え?」

「みーちゃんはそんなに器量が狭くない。逆にみーちゃんは俺に特別優しくされれば怒ると思う」

「…。それ、みーちゃんが言ってたの?」

「ああ。」

告白の時、俺がみーちゃんに求められたのは、本当の優しさ。解釈の違いはあるかもしれないが、そういう事だ。

かや乃はその言葉を吟味するように考えているが、答えは出ないだろう。

 

「なぁ、今からお昼食べに行かないか?」

時間はちょうどお昼前。朝練でいい感じにお腹も空いている。

俺は全員に向かって提案する。

 

「え〜?いいの?私達がついていって。」

揶揄うように俺とかや乃をカップリングするが、それは今は必要ない。

「勿論だ。この4人じゃないと意味が無い。明日の大会に向けての食事会みたいなものだからな」

 

「そ、そうだよ!明日の大会は4人で出るんだから、皆一緒じゃないと!」

かや乃もそこには激しく同意のようだ。

 

「何気に初めてじゃない?4人でご飯」

「うん。それに、願掛けの意味を込めるならもう、あれしかないよね?」

その言葉に俺を除いた3人は一致団結する。

 

「あれってなんだ?」

「「「カツ丼!」」」

気持ちよく声を揃えて3人は笑う。

答えを聞いてもピンと来なかった。

何故、大会の前の願掛けでカツ丼なんだ。

 

「綾小路君。ナイス振り!」

俺は3人の合唱の指揮者の如く、振りをしたことになった。

今度、そんなことも知らないの?と馬鹿にされなそうな、ひより辺りにでも聞いておくか。

 

カツ丼屋に向かう途中に、もんじゃ焼きのいい匂いに女子3人が釣られて、結局食べたのはもんじゃ焼きだった。

カツ丼の願掛けはどこにいったんだ。

 

――――――――――――――――――――――――

 

待ち侘びた大会本番はやってきた。

俺は4ヶ月ぶりにこの閉鎖的な敷地を飛び出して大東京の大海原に出た。

茶柱先生が言っていた通りなら、奴らがこのタイミングで俺を連行する動きを取っていてもおかしくない。

彼らの情報収集能力から、俺がこの日に敷地を出てこの場に来ることは想定出来るはずだからだ。

 

俺は高度育成高等学校向けに与えられた控え室の窓から、大きなプールをど真ん中に構えて、観客席が囲むこの会場を見渡す。

オリンピックでも使用されるこの広い施設ではどこに監視の目があってもおかしくない。

既に競技が始まっていて、真ん中のプールに向かって、声援が飛び交っている。

闇雲から伸びてきた手にいつ攫われるか分からない。個別行動は避けるべきだな。

 

「綾小路君。やっぱり、めっちゃいい体してるね」

 

隣にやってきたかや乃がラッシュガードを着用していない俺の頭からつま先までを観察する。

監視の目は控え室の中にあったようだ。

 

俺の体はこの学校に入るまで食事に始まり運動量など全てが抜け目のない監視の元に、管理されてきた。

流石にラッシュガードが無いと人一倍引き締まった筋肉は誤魔化せない。

 

「筋トレとストレッチが趣味でな。それに体質的にも筋肉がつきやすいんだ」

「絶対それだけじゃ無理だよこの体は〜」

かや乃は人差し指をピンと立てて、俺の二の腕や肩、腹筋を触っていく。

 

「おい。くすぐったいからやめてくれ」

「え〜?…毎日、私の体触ってたよね?」

少し恥ずかしそうにそう言いながらも手は止まらない。

俺達水泳部の中で100m自由形に出場するのは俺とかや乃だけで、控え室には俺とかや乃2人しかいない。

人の目がないのをいい事に、遠慮する気は無いようだ。

 

「余裕たっぷりだな。かや乃は」

数十分後には名前が呼ばれ、大会が始まるというのに、他の部員とは違って、威風堂々としている。

 

俺の筋肉を堪能しながら、かや乃は答える。

「うん。私にとっては水泳が生き甲斐だから。」

俺の答えとは僅かに軌道が逸れた答え。

 

俺をつつくことをやめて、かや乃は控え室の窓からプールを見て言う。

「見て、皆、緊張して動きが硬い。」

水飛沫を激しくあげて、我武者羅に泳いでるその姿は自由とは程遠い。

 

「水泳を楽しむ気持ちが無いと自由にはなれないのにね」

 

かや乃は持論を展開しながら、泳ぐ人達を一点に見つめる。

かや乃の持論は自分の生き様だ。それに囚われてることもまた自由では無い。

井の中の蛙大海を知らずされど海の深さを知る。

その深さを知っているからこそ、この水泳という舞台において彼女の右に出るものはいないだろう。

 

「かや乃。昨日もんじゃ焼き食べ過ぎてタイムが出ないとかやめてくれよ」

「え〜?ちょっと失礼すぎじゃない?。私も女の子なんだからね?それに、あれくらい普通です〜。別に食べ過ぎてないです〜。綾小路君こそ、昨日あんまり食べてないせいで力出ないんじゃない?」

もんじゃ焼きの作り方が分からなかったんだよ…。

 

そうは言いつつも心配そうに自分のお腹周りを見ている。

「冗談だ。かや乃の体が引き締まっているのはよく知っている」

「まって、なんかちょっとえっちな目で私の事見てない?」

「自意識過剰だ。それは」

「うっそだ〜。ちょっと目がやらしかったよ?みーちゃんも、誰にでも優しいところは許してても、やらしいのは許してないんじゃない?」

確かにそれは許してくれなさそうだな。

みーちゃんの目が届く範囲ではの話だが。

 

「そんなことより、もうかや乃の番だ。」

「あ、ほんとだ。じゃ、そろそろいきますか~」

前の競技の選手の引き上げが始まっており、電光掲示板にはかや乃の名前が表示されている。

 

「負けないよ?今日″も″」

自信満々なかや乃は俺を振り返って言う。

あの初日以降も毎日俺はかや乃と競っていた。

まだ、1歩及ばず俺は勝っていない。

 

「今日″は″負けないさ」

男女別で直接競うことは無いが、俺達はタイムで競うことになっている。俺たちが被っている競技はこれだけだ。

俺が公式大会に出るのも今日で最後だし、かや乃と競うのも最後だろう。

 

合図と同時にかや乃は飛び込んだ。

何一つ文句の付けようのない出だし、周りが水飛沫をあげて泳いでる中、かや乃の泳ぎは静かにそして着実に進んでいく。

細かく靱やかな泳ぎは群を抜いて他と差をつけていく。

男子の部で出場しても性別の差など感じさせずにトップが取れるだろう。

 

かや乃はそのまま静かにゴールする。

タイムはかや乃の自己ベストをほんのごく僅かに下回ったスコア。測定者の誤差と言えるレベルの範囲のものだ。

 

ゴールの後にあげた表情の笑顔は今まで見たかや乃の笑顔での中で1番輝いていた。

 

俺はかや乃と交代するように控え室ですれ違う。

かや乃が余裕綽々とした様子のまま、俺に拳を突き出してくる。俺はその自由なかや乃を殺すような気持ちで拳を合わせた。

 

俺には努力の証も水の中での自由も水泳を楽しむことを必要無い。ただ勝つ。それだけだ。

 

俺の隣のレーンの男に大歓声が飛ぶ。

その男の風貌は高円寺を安くしたような見た目。

優勝間違いなしと謳われている彼は自信満々にその歓声に返している。

高円寺に対しては鬱憤が溜まっていたし、彼には少し気の毒なことをしてしまいそうだ。

 

開始の合図と同時に、俺は弧を描くように飛び込み、プロ顔負けに着水する。1歩間違えばフライング判定を受けるほど攻めた出だし。

 

俺はそのまま、鍛え上げられてきた筋肉に物を言わせて、加速していく。

教科書通りのフォームを維持しながら、俺は全てのちからを推進力に変えていく。

俺の泳ぎはかや乃と勝負してた時と変わらない。ただただ、少し出力を上げただけだ。

 

ゴールした時、訪れたのは沈黙。

その沈黙は歓声が止まっていたことの証拠。

タイムはかや乃を3秒近く上回ったスコア。

この程度のスコアなら好調な出だしとラッシュガードを外した事だと言い訳出来そうだ。

 

「〜っ!!流石だね。。悔しいけど、今回は私の負け」

「実は本番に強いタイプなんだ。練習よりもいいスタートが切れた。こう見えて緊張とかしないのが功を奏したかもな。」

「いやいや、どう見ても緊張するタイプには見えないから」

小野寺はからからと笑う。

おかしいな。小心者の何処にでもいる小市民を演じてたつもりだったんだがな。

 

「いやぁ、ほんとに悔しいけど、この後のメドレーで味方なんだから頼もしい限りだよ」

この後もすぐにメドレーが控えている。

ていうか、そのメドレーの後も遠泳がある。

日頃の練習もこの当日のハードスケジュールを見越してのものだったのかもな。

 

「俺も同じ気持ちだ。勝とうな。メドレー」

「うんっ」

 

その後、渡部と児島の個人レースも終わり、メドレーが始まる。

トップバッターは俺で、Bクラス2人を挟んで、最後にかや乃。

1番手のバタフライは力強さがいる泳法なだけに、俺が1番向いていたからな。

 

「ねぇねぇ。円陣組まない?」

控え室でかや乃が提案する。

Bクラスの2人もすぐに賛成した。

 

「綾小路君もはやくっ!」

誘われるようにして俺も女子3人の輪に入るが、正直初めての経験で都合が分からない。

肩を組まれたので見様見真似で肩を組む。

 

「じゃあ、かけ手は今日1番の注目株の綾小路君っ!」

「いいね~」

俺は優勝候補を倒してから、一気に注目の的になりつつあった。

「…わるい。やり方が分からない」

Bクラス2人組にそう言われ、ここに来てぼろが出る。

 

「え、円陣知らないの?ほら、えい・えい・おーってやつ!」

何一つピンと来ないかや乃の説明に首を傾げると、Bクラスの2人の矛先はかや乃に向かった。

「じゃあ、かや乃ちゃん!お願いっ!」

自分達でやる選択肢は無いようだ。

 

満更でもないかや乃はかけ手を担当して、控え室にやる気万全の女子達の声が反響した。俺も控えめに乗っておく。

心が一致団結した風の俺達はそれぞれの飛び込み台に向かった。

 

「じゃ、綾小路君!引き離しちゃってっ!」

3番手の児島の声援を背に俺はスタートを切った。

俺は肩を存分に怒らせて水を切り、差をつけた状態で渡部に繋いだ。

児島と渡部も懸命に泳ぐが、俺が広げた差は徐々になくなり、かや乃に繋いだ時にはアドバンテージは無くなっていた。

 

しかも、追いつかれた相手チームのエースは俺が適当にいなしたあの高円寺もどきの優勝候補。かや乃との実力は互角と見ていいだろう。

 

かや乃と高円寺もどきはほぼ同時にスタートを切った。

もう優勝はこの2チームだろう。

かや乃は隣で激しく水飛沫を上げて泳いでいる高円寺もどきにペースを乱されて、リードを許している。

 

「かや乃っ!!!!」

俺の柄にも無い大きな声はが届くかは分からない。

だが、今のかや乃の泳ぎは勝ちたさに楽しさを忘れている。

 

俺の名前を呼ぶ声に込められた想いに呼応するように、かや乃の泳ぎは本来の良さを取り戻してく。

柔らかさを帯び、水に溶け込むようなその泳ぎは波に乗るように加速して、高円寺もどきに並ぶ。

 

大歓声の中、タッチの差でかや乃が勝った。

かや乃の帰りを待っていた俺達3人の元に、かや乃が喜びを噛み締めるような表情で歩いてくる。

渡部と児島の2人も感極まった表情でかや乃に抱きついた。

…流石にここには混ざれないな。。

 

俺がそう思って、1歩退いた所で暖かい目を見ていると、2人を掻き分けて俺の元にかや乃がやってきた。

何の躊躇もなく、勝利の観劇を共有するように俺に強く抱きついてくるかや乃。

渡部&児島の2人はお決まりの黄色い声援をあげる。

 

「声。聞こえたよ。ありがとう」

2人の黄色い声にももう反応せずに、俺の顔をしっかりと見て屈託に笑うかや乃。

優勝チームなのもあるが、かや乃に抱きつかれてる状況がさらに注目を集めている。

周りから生暖かい拍手を浴びせられてもかや乃は俺への抱擁を止めなかった。

 

「かや乃、そろそろ離して欲しいわけだが」

「や〜だねっ」

子供のようなごねの後に聞こえてきたのは心から漏れた声だった。

「だって、今しか出来ないから」

 

今なら勝利を言い訳に背徳感の無い合法的なハグが出来ると思ってるんだろう。

だが、俺に抱きつくというのは合法かどうかなんて関係なく、泥沼に足を突っ込んでいるのと同じだ。それを知ってもらう必要がありそうだな。

俺もハグを返すように、かや乃の背に腕を回し強く抱きしめる。

 

かや乃は目を驚かせたように瞬きを止める。

「今しか出来ないんなら、それにあやかろうと思ってな」

「いやいや、綾小路君からはっ。だめだよ。」

しっかりとした素材ではあるが、たかが水着1枚を隔ててるだけ。

大観衆の中、お互いの生々しい肌の感触が伝わってくる。

 

「…っ。も、もう終わりっ!」

「や〜だねっ。だったか?」

「……っっ!!ば、ばか〜っ!!」

 

その後すぐに、般若の表情で、覇王色の覇気を纏った水瀬先生が乱入してきて、黄色い歓声は悲鳴に変わった。

 

その日、俺は出場した競技全てで1位を獲得して、

合計約30万プライベートポイントを獲得した。

かや乃も同じく全ての種目で首位に輝いた。

優勝筆頭候補達は俺達の邪魔により結果が奮わない、誰も予想していない展開のまま大会の幕は閉じた。

 

それにしても、怪しげな視線も俺に伸びてくる手も無かった。

本当にあの男は俺に退学するように言ってきたのだろうか。

手段を選ばないあの男にしてはこの絶好の機会を逃すのは脇が甘すぎる。

茶柱先生の言葉の信憑性もあと少しで剥がれ落ちそうだな。

 

 

 






水瀬先生とアンジャッシュコンビの出番も今後は少なくなるでしょう。
かませ犬をしてくれた高円寺もどきさんにも感謝です。

※水泳部のメドレーの順番を個人のやつと勘違いして書きましたが今回はこのままにしときます。ごめんなさいm(._.)m
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