綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
投稿遅れてすいませんでした。
#41 少女の目的
二学期が始まった。
夏休みが終わり、2学期が始まることを嘆く声が聞こえた。
だが、俺にとってはそうではない。
俺の目的は冷房の効果が充満した部屋で大人しくしていても叶わないからだ。
振り返れば、あの白い部屋での俺の人生には、節目なんてものなかった。
切り替えのないレールの上を止まることなく進み続けてきた。
そのレールはただただ水平線に伸びているだけで、目的地なんてものはない。
俺の人生は、あの人にとっては、数あるうちの一つのプロジェクトに過ぎないのだから。
あの人の笑み一つない厳格な顔が脳裏に浮かんだ。
あの人の目は問いかけてくる。[何がしたいんだ]と。
その問いかけに返すには自分の核心を掴むしかない。
白い部屋で育った割に、この黒一色に染まったこの心中をあるかも分からない核心を闇雲に探すしかない。
皮肉にも雲一つない空は、太陽を邪魔する存在がいなくなったことを示していて、忘れていた夏休みの猛暑日を強制的に思い返させるように地面がゆらゆらと揺れていた。
生徒の大半がその暑さで頭がボーっとしていても、始まった日常は止まってくれない。
抱えている面倒事など全て投げ捨ててプールに飛び込みたくなるような暑さの中、熱さを求めている男の声が放課後の生徒会室に響いた。
「つまんねぇ。」
「「「……」」」
俺の頭の片隅にプールに飛び込みたいなんて比喩表現が出てくるくらいには水泳部での経験は俺の中で大きなものだったのかもな。
「つまんねぇ。そう思わないか。綾小路」
この部屋にいる誰もが、その独り言をスルーした事など気にも留めず、退屈を弄ぶ男の矛先が俺に向けられた。
「俺の言いたい事、分かるだろ?」
間違った事を答えれば『何で分かってくれないの?』とか言われそうだ。男のメンヘラには悪いがお帰り頂きたい。
「体育祭の組分けのことですか?」
「ああ。つまらないとは思わないか?」
共感でもした方がいいのだろうか。。
そう考えているうちに、南雲は波に乗ったかのように語り出す。
「常に競い合う事が求められているこの学校で、今回の体育祭は余りにも緩すぎる。赤組白組って小学生かよ」
南雲は体育祭自体に文句をつけるような表現だが、結局は組み分けで堀北兄や俺と敵になれなかったのが面白くないだけだろう。
「南雲先輩なら、どんな体育祭にしましたか?」
「俺なら、最低でもクラス単位で競う形だ。各学年4クラス。1位から12位まで順位をつける。そして、個人の活躍が大きくクラスの順位に貢献できるようにする。」
なるほど。確かにその形式は俺好みではある。
もし、南雲の案なら、最低限個人で結果を出せば、鈴音や茶柱先生にも顔が立つ。
「南雲。俺を睨むのは結構だが、今回の体育祭の詳細を決めたのは学校側だ。生徒会側が関与できる部分はほとんどなかった。」
「分かってますよ。堀北先輩がこんなつまらない試験にするわけがない。いや、こんなの試験にすらなってないんですから」
茶柱先生はこの体育祭が特別試験であると明言しなかった。
だが、クラスポイントを競うことを考えれば、それが特別試験であるかどうかなど関係なく、俺達にとっては試験だろう。
「まあ、でも帆波にとっては、最大の試験かもな」
南雲はニヤリとした笑みを浮かべて、借りてきた猫のように大人しい一之瀬に水を向けた。
「…あはは。クラスのみんなと力を合わせて頑張ります」
力なく笑う一之瀬に、以前のような活気は感じられない。
この先の体育祭に現状の問題にキャパオーバー寸前だろう。
俺は今日の午後のホームルームで茶柱先生に伝えられた体育祭の内容を思い返す。
まず、体育祭の組分けで、
赤組→各学年のAクラス•Dクラス
白組→各学年のBクラス•Cクラス
に二分化された。
個人競技と推薦参加競技の順位で積み重ねたポイントの累計を競う形で負けた組は−100cl。
そして、赤、白とは別に、学年ごとの順位もつけられる。
1位+50cl 2位変動なし3位−50cl 4位−100cl
個人の活躍で与えられる報酬も用意されているが、細やかなprも筆記テストの点数も俺にとっては大したものじゃない。
一之瀬は現在、生徒会室にいる俺、堀北兄、橘先輩、南雲を相手にする必要がある。確か、桐山先輩はBクラスだった記憶があるが今は不在だ。
生徒会初日の活動でこの状況なら、猫のようになるのも仕方がないな。
それに、普段からにゃははとか言ってるし、一之瀬は猫系女子なのかもしれない。
…ちなみに、さきほど名前をあげた橘先輩からさっきから目を逸らされ続けている。
何故だろうか。
「そうだ。帆波。俺がそっちの白組を勝たすように尽力してやろうか。俺が指示すれば、2年AクラスとDクラスは喜んで最下位をとってくるぞ。」
堀北兄や橘先輩の反応を見る限り、大口という訳では無さそうだ。
南雲が2年の生徒を支配下に置いているとは知っていたがここまでとはな。
そんな事が叶ってしまえば、赤組と白組にどれだけ戦力差があろうと簡単に結果はひっくり返ってしまうだろう。
だが、そのやり方を一之瀬が肯定するわけがない。
そして、そんなことは南雲も知っているはずだ。
目を丸くした一之瀬はチラリと俺を見た後、南雲の方を向き直す。
「……いえ、結構です。」
「まあ、そう言うよな。気が変わったらいつでも教えてくれ。俺はこの体育祭を面白くするためなら何だってやる」
南雲のこのモチベーションはどこから出てくるんだろうな。
唯一尊敬出来る部分かも知れない。
南雲の話に控えめに頷いた一之瀬は、堀北兄に話を振る。
「堀北会長。私はクラスと体育祭についての話し合いがあるので抜けても構いませんか」
「そうか。元々、今日は新入りとの顔合わせだけのつもりだった。目的は果たしたし丁度いい、解散にしよう。」
堀北兄の助け舟で南雲が掻き回していた生徒会の中がいっきに解散ムードになる。
よし、帰ろう。もう、これ以上長居する必要もない。
俺は話の流れを変えた一之瀬よりも、手荷物を手早くまとめ、一目散に出口に向かう。
「おい、綾小路。警告しておくが、体育祭。手を抜くことは許さないからな」
「無論です。手を抜いても自分にメリットなんてありませんから。俺はいつだって全力な少年ですよ」
俺の視界はもう澄み切っている。
「ほんとに舐めたやつだ。平気で噓をつく男の目だ。帆波。こういう男には気をつけろよ」
俺はその南雲の煽る言葉を無視して生徒会室を後にする。
・・2学期初日から疲れる。俺が望んでいるのはこういうのじゃないです。。
取り込んでしまった生徒会室の重い空気を一刻も早く吐き出したい。
その心理が無意識の内に行動に現れたのか、俺は廊下で思わず深呼吸をする。
…あぁ。これが澄み切った空気か。美味しいなぁ。。
――とはならなかった。
廊下の空気も何か先程とは違うもので濁っていたからだ。
「……2人揃ってどうしたんだ?」
それは有名人の出待ちのように迷惑じみた手厚い歓迎ではない。
何か言いたげにただただ無言で見つめられるのみだ。
まるで、犯罪者が連行される現場を目撃した野次馬のような目だ。
「「なにか、私に言いたいことは?」」
みーちゃんと堀北妹の方の声が重なる。
声だけじゃなく息遣いまで重なっているように感じえた。
「…いつの間に、仲良くなったんだ」
この後、俺に続いて一之瀬が出てきて、気まずい空気の濃度が増したことは言うまでもない。
――――――――――――――――――――――――
「一之瀬さんはともかく貴方が生徒会?柄じゃないわね。どういう経緯?それに水泳部の方はどうしたの?」
「清隆君。夏休みに堀北さんの部屋に泊まったって本当?嘘だよね?」
「……」
全く違う角度の質問がブスブスと飛んでくる。
そして、巻き込まれるように2人に強引に連行された一之瀬は無言で、貼り付けたような困り笑顔を浮かべている。
2人に無理矢理連れられたこの特別棟の非常階段は埃っぽくて、普段からあまり使われてないことが分かる。
人の目がないのは利点だが、その分、逃げ場がないことを考えると、厄介だ。
俺はこの状況の打破を試みて、一之瀬に話を振る。
「一之瀬。クラスの話し合いはいいのか?」
「…綾小路君は私がここにいない方がよかったりする?」
一之瀬は俺の顔色を窺うように、目を逸らさずに聞いてくる。
「生徒会室でクラスで話し合いがあるって言ってたから気になっただけだ。問題ないのなら構わない」
「うん。クラスの方は後でもいいから。私はこっちの話の方が聞きたい。もし、邪魔だっていうなら帰るけどね。」
……正直、今この状況だけを言うならいて欲しくないのが本音だ。
一之瀬を帰らせて人数を減らそうと思ったがそうもいかなそうだ。逆に変に火をつけてしまいかねない。
「俺が一之瀬を邪魔に思うことなんてありえない」
「…そっか。」
一之瀬の何か決意めいたものが秘められた鋭い視線が若干緩んだ。
俺と一之瀬の一幕を見て、鈴音がすかさず口を挟む。
「…私は回りくどいことを聞くのが苦手だから単刀直入に聞くわ。一之瀬さん。あなた、2年の南雲先輩と交際しはじめたという話は本当?」
鈴音にしては意外にも所帯じみた質問。
だが、それにはみーちゃんも気になるところがあるのか、首を縦に小刻みに振っている。
「そっか。堀北さんたちも聞いたんだね。私としてはなんでこうなっちゃったのかなって感じだけどね」
「…その言葉はどういう風にも捉えられるわね。」
一之瀬は肯定も否定もしない。
いや、できない。と言った方が正しいかもしれない。
「…清隆君はどう思う?」
話を大人しく聞いていたみーちゃんが俺に話を振る。
俺の意見が聞きたいのではなく、俺が答えを知っているかどうかを問いかけているようだな。
「その噂は嘘か本当かで答えるなら本当じゃないだろう。」
しかし、嘘ではないと断言できないのも事実。
客観的に見てそう見えるように南雲は仕向けている。
「一之瀬がどういう状況かは詳しくは分からない。だが、噂と事実は一致していないことだけは確信している」
「う、うん。あ…ありがとう」
一之瀬に向けて補足すると、俺から何を感じ取ったのか、少しドギマギしながらお礼を言う。
「結局、何が言いたいの?」
正確に意図を汲めなかった鈴音のレスポンスははやかった。
一之瀬に照れる暇さえ、与えない。
「言えることはないってことだ。俺の現状の分析が真実とは限らない以上、この話はするだけ無駄だ」
俺は切り捨てるように強く言う。
俺の考えを広めることは、南雲の策略の加速を促す恐れもある。
「……あなたの事だから、何か考えがあることは分かってる。」
「それでもいやなの。私に隠し事はしないで。」
……。す、鈴音の想いが重いです…。
「わ、わたしも一緒だよっ!清隆くん。それってわたしにいえないことなの?」
鈴音の恥を切り捨てて俺だけを見るような宣言はみーちゃんの燻っていたものに火をつける。
一之瀬はこの流れを少し寂しそうな目で1歩引いた位置から傍観する。
まるで、自分にはその資格がないと言わんばかりに。
「水泳部は2日前に退部した。生徒会には以前から堀北会長に誘われていたんだ。これ以上無下にも出来ない状況になって2学期から活動に参加することになった。
事情はあれど、鈴音の部屋に泊まったのは本当だ。」
俺は矢継ぎ早に、先程ぶつけられた質問に答えていく。
「俺に関することで隠し事をするつもりは無い。だけど、一之瀬と南雲に関しての情報は今の状況を悪化させる可能性がある。その情報だけは売るわけにはいかないな。」
俺は一之瀬に手を伸ばすことはしない。
だが、一之瀬の手が届く位置は全力で維持する。
一之瀬が必死に伸ばした手がいつでも俺の手を掴めるように。
他人に与えられたものよりも、自分で掴み取ったものに執着・依存してしまうように人間は出来ている。
一之瀬が俺との距離を噛み締めているかのように強く唇を結う。
その一之瀬の表情を見て、みーちゃんは何となく察したようだ。
鈴音は俺の答えを聞いてもまだ不満らしい。
だが、その言葉が不満に変わる前に、カツンカツンと杖が床を叩く音が聞こえてきた。
そして、その音はゆっくりではあるが確実に俺達の元に近づいてきている。
特別棟。非常階段。不気味な杖の音。ゆっくりと近づく何か。
今が深夜なら立派な怪談だが、窓からオレンジ色の日差しが廊下を照らしている。
「お久しぶりです。綾小路くん。今、少しお話よろしいですか?」
その少女は迷うことの無い足取りでやって来て、迷いのない声で、俺の名前を呼んだ。
雪のように銀に煌めく髪と雪のように白い肌。
別の世界からやってきたお姫様のような、そんな独特の世界観を放っていた。
「悪いが俺はお前を知らない。」
見たものを全て記憶する超能力を持ってる訳じゃないが、これだけ異彩を放つ少女は1度見たら忘れない自信がある。
「ふふ。そうでしょうね。私だけが一方的に知っていますから」
ほんとに可笑しそうに不気味に笑う少女。
だが、この状況で黙っていられる鈴音じゃない。
「…誰だか知らないけれど、義務教育でマナーについて学ばなかった?それとも、私達が会話しているのが分からなかったのかしら?分からないなら教えてあげるけど、今、貴方が話す権利はないの」
鈴音の内なる怒りが八つ当たりとして顕現する。
この少女がどこの誰か分からんがご愁傷様です。。
「ふふ。それは綾小路くんが決める事です。余裕のない女は見苦しいですよ。堀北さん。」
鈴音は煽るように返されたことが癇に障ったようで、俺を睨む。『さっさと追い払え』と目が雄弁に語っている。
だが言われるまでもない。
「俺がお前を歓迎するとでも思っているのか?」
俺の意見が自分と同じであることを察して鈴音の鋭い視線は目の前のこの少女に絞られる。
「はい。確信しています。」
それでも、少女は揺るがない。
「ホワイトルーム」
彼女が前触れもなく囁くように言ったその言葉に思わず耳を疑った。
「え、坂柳さん。今なんて言ったの?」
一之瀬はこの場の空気が変わったことに敏感に気付いて、坂柳が呟いた言葉を聞き直そうとする。
鈴音やみーちゃんもその単語を聞き取れたはいたものの、その単語は未知なもので、理解が及んでいない。
その答えはネットの海にダイビングしても見つからない。
だが、この少女はその言葉を知っている。
「坂柳…?」
一之瀬がこぼした言葉を拾って鈴音は呟く。鈴音やみーちゃんは心当たりがないようだが、俺はその名前を知っていた。
それはAクラスのリーダーの葛城の対に立つものだ。
「ふふ。自己紹介が遅れましたね。私、1年Aクラスリーダーの坂柳有栖と言います。以後お見知り置きを。」
丁寧な挨拶の中にも、好印象を感じる愛嬌が垣間見えた。
「確か、Aクラスは葛城と坂柳で2極化していると記憶しているが?」
「それは一昔前の話ですよ。綾小路くん。もう彼との格付けは済みました。」
あの夏のバカンスでの葛城の失策は葛城の株を失墜させるのに十分なものだったのだろう。
いや、葛城のミスの裏には坂柳の手が伸びていたと考えるべきか。
「葛城が龍園に負けただけだ。要は運が良かっただけ。それを自分の功績にするのは無理があるんじゃないか?」
「ふふふ。意地悪ですね。。ほんとは分かってるんでしょう?私が夏のバカンスに参加しなかった理由に。」
小さく笑う割に、謙虚さなど微塵も感じさせない。むしろ、傲慢に近い自信が坂柳にはある。
「内側に敵がいるのは面倒ですからね。早めに手を打っただけのことです。私のそれを運と見るか、実力と見るかは私の知るところではありません。どちらでも構いませんから。」
「ですが、今、私がここにいることも運でしょうか?」
人の気配が一切しない特別棟の非常階段。
生徒会室からこの場所に辿り着くまで、誰とも会わなかった。
にも関わらず、坂柳は不遜な態度でこの場所に現れた。
まるで、俺がこの場所にいることを知っていたかのように。
「悪い。話はまた今度にしてくれ」
俺の後ろにいる鈴音、みーちゃん、一之瀬に顔を向けずにそう告げた。
右手と左手に確かな感触があった。
右手にはみーちゃんの小さな手。
左手には鈴音の力強い手。
二つの手は感触さえ違えど、意味は同じだ。
「不安なのか?」
俺には不安なんて漠然とした感情は持ち合わせていない。
俺が進む道にどんな結果が出ようと、それを甘んじて受け入れられる懐の余裕があるからだ。
けど、彼女達は違う。
自分が描く未来が想像できなくなった時、不安で胸が埋め尽くされるのだろう。
繋がった手からそれがひしひしと伝わってきた。
「鈴音。ここで坂柳を無視することはできない。俺達の目的に必要な事だからだ」
「みーちゃんも分かって欲しい。これは俺の目的の為にも必要なことなんだ。」
俺は2人の手を優しく振りほどく。
「今日の埋め合わせは必ずする」
俺は数段下から見上げるような位置取りにいた坂柳の方に1人で向かう。
「待たせたな」
「ふふ。そうですね。待ち合わせ時間に遅れてくる彼氏を迎える気持ちっていうのはこういう気持ちを言うんでしょうか?8年と243日は待ちぼうけでした。」
わざわざこの状況で恋人関係のメタファーを使うあたり悪意に溢れている。
そして、坂柳は本当に俺を知っているらしいな。
「存外、健気な部分もあるもんだな。待ち合わせに大幅に遅れてくる彼氏を迎えにくるだなんて」
「今日会ったばかりなのに、私を知ったような口を叩くなんて酷いお方です。ですが、女性の扱いに慣れていないことも知ってますから許してあげます」
俺が存外という言葉を使ったことが気に入らなかったようだ。
この恋人のロールプレイも破局したし、そろそろ潮時だな。
「それで、どこで話す。最終下校時刻も近いし、選択肢は限られるぞ」
「私の部屋に向かいましょう。」
坂柳の言葉に3人が耳ざとく反応する。背中に凄い圧を感じる。
「他の場所はないか?Aクラスのリーダーの部屋に行くのは悪目立ちがすぎる。」
「ふふ。私は気にしません。私の部屋が無理ならここで話すしかありませんね」
どうやら交渉の余地はないようだ。
「分かった。だが、条件がある。一人同席させてもらいたい。」
「それは、構いませんが、私はブレーキを踏むつもりはないですよ」
「勿論だ。」
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「…。」
「乙女の秘密の花園に来たというのに、だんまりだなんて紳士的じゃないですね。」
坂柳の部屋といえどあくまで寮の一室。
みーちゃんのように飾り気があるわけでもなく、部屋のタイプでいえば堀北に近い。
「それとも、女子の部屋に行くのはもう慣れっこってところでしょうか?」
「いや以前、葛城の部屋に行ったことがあってな、それと酷似しているなと思った。だが、それは言わない方が良いと判断して黙っていたんだ」
当然、葛城の部屋など行ったことがない。
だが、このパンチは案外効いてしまったらしい。一瞬ではあるが頬に力が入ったのが分かった。
「…それで、そちらは軽井沢さんですよね。呼ばれたということは、もしかして、綾小路君の過去をご存知なのでしょうか。」
坂柳は居心地の悪そうな恵に話を振る。
「いや、恵は何も知らない。保険だからな。それに、俺の過去を知っているのはお前くらいだろう坂柳。簡単に知ることができる情報じゃないのは知っているはずだ。」
恵は証明力のある生徒だ。俺と坂柳がこの部屋に二人でなかったことを証明するには丁度いい。
それに、いずれ、軽井沢にも話そうと思っていた内容だ。丁度いい。
「それはそうですね。軽井沢さんが綾小路君の過去を知っているわけがないですよね。ふふ」
マウントを取るような行為だな。葛城の比喩が相当頭にきてたらしい。
「てか何?あんた高校デビューでもしてたわけ?」
だが、それに頭に血が上る恵じゃない。堀北やみーちゃんならともかく、恵はまだその段階にない。
言いえて妙だな。高校デビューとは。俺にとっては学生デビューだったわけだが。
「ふふ、ほんとに知らないようですね」
「さっきから知っているような口ぶりだけど、同中だったりするわけ?」
「似たようなものです。私は外からの彼を見ていたんです」
普通の高校生が抱く疑問に対して、坂柳は答える。
理解が及んでいない恵に坂柳は補足する。
「彼は小学校や中学校とは違い、個人が経営する教育施設で育成されたんです。」
「その施設は天才を超える天才を人工的に生み出すことを目的に作られました。そして、彼こそが、その施設の最高傑作、綾小路清隆君なんです」
両手を掲げるように広げて、彼女は大仰に語る。
やはり、彼女はある程度こっち側の事情を知る筋の者のようだ。
「…坂柳さんて、意外に頭の中ファンタジーなんだね…。」
アニメや映画の設定のような話が信じられないようだ。まあ、坂柳のセンセーショナルな宣伝のような身振り手振りも少し噓くさかったから仕方ない。
坂柳は静かに手を降ろし、恥ずかしそうにコホンと咳払いして居住まいを正す。
「すみません。取り乱しました。今まで8年半は心のうちに秘めていたことでしたので……。」
「それで、坂柳は何が目的なんだ。」
「ちょ、さっきの話にツッコミ忘れてない!?」
「事実だからな。」
落ち着いた坂柳の代わりに取り乱し始めた恵を軽くあしらって坂柳に目を向ける。
「簡単な話です。天才を超える施設で最高傑作の貴方。天才として生まれた私。どちらが上か決めてみたくはありませんか?」
「…要は何かしらの形で決着をつけたいということか。」
「はい。」
決着をつけるには運動以外のカテゴリになるだろうが。どちらにしてもだな。
「断る。」
「…理由を聞いてもいいですか?」
「坂柳が言ったように俺はあの施設での最高傑作だ。坂柳が天才である証明がどこにある?その前提がないならやる意味はない。結果が見えている」
「私を試すつもりですか?」
「必要ならな」
「綾小路君が求めているのは実績ですか。なら、今度の体育祭1年Aクラスが全学年1位にすることができればお眼鏡に叶うでしょうか?」
全学年1位というハードルは極めて高い。南雲や堀北兄を敵に回すということでもあるからだ。
「全然足りないな。1年Dクラスを全学年1位。これでやっと坂柳のカリスマが証明される。」
一年Aクラスを1位にするだけなら、龍園や俺にだってできる。
手札にあるカードのポテンシャルが高いからだ。
「…それは面白い話ですね。」
「幸い俺たちは赤組だ。俺が橋渡し役として話を回してもいい」
「その心配には及びませんよ。もう1年Dクラスを1位にする筋書きは組み立てました」
今回の体育祭。俺は楽ができそうで何よりだ。
「綾小路君。約束は守ってもらいますよ。」
「それは結果を出してから言ってくれ」
俺が恵と一緒に部屋を後にした。
拝啓。南雲先輩
体育祭。面白いものになってきましたよ。
原作での阪柳の切り札『綾小路の素性をばらす』が使えないため、交渉は阪柳劣勢ですね。
(綾小路君が自分の素性を隠す気がないため)