綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
俺は地面を強く蹴り上げ塀を飛び越える。
空中で茫然自失としている堀北兄の目とぴったり重なった。
これが女に愛想をつかされ逃げられた男の顔か。
「5.8m。これが何を示しているか分かるか?」
5.8mと聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは先日一人で見たサメ映画。
B級映画鉄板中の鉄板。その映画で引っ張りだこにされているのがホオジロザメだ。
サメ映画の魅力はやはりリアリティが生み出す迫力だろう。
人間なんかいとも簡単にかみ砕いてしまいそうなイカした広告が頭に浮かぶ。
イカだのタコだのサメだのややこしいな…。
兎も角、この間見たサメは迫力満点だった。
そのエンドロールには実際に日本で捕獲された最大サイズ5.8mのホオジロザメをモデルにしたと流れていた。
まあ、リアリティがあったのはサメだけだったが…。
迫力を追い求めるあまりか、空を飛んだり、砂漠に生息していたりとやりたい放題だった。
やりたい放題と言えばこの学校もそうか。
5.8mの塀が建築基準法に抵触していることは言うまでもない。
「…いや、今更だな。その調子ならアルカトラズ刑務所だろうとすぐに抜け出してしまいそうだな」
「人を勝手に大罪人に仕立てないでください。それに俺ができるのは5.8mの塀を越える猿の一芸だけです」
「この塀は設計者が絶対に越えられないように特許を得た特別製だ。つまりお前は設計者の想定を超えたわけだ。現状を打破する人物はいつも決まって常識外れの馬鹿だ。お前がいれば物語が破綻する。プリズンブレイクだって1シーズンも続かないだろう」
いつにも増して饒舌。話を無理矢理長引かせるような感じすら受けた。
よほど、さっきの告白に触れられたくないのか。それとも言い訳を作る時間稼ぎをしているのか。
どちらにせよ、これ以上雑談に付き合う必要はない。
それに発言も的外れだしな。
俺があのホワイトルームから抜け出すのに15年を要した。1シーズンどころの騒ぎじゃない。
優秀な監視員がいた訳でも、手足を拘束されていたわけでもなかったが、それでも協力者がいてやっとの思いで成せたことだ。
そして、それも条件付き。卒業後は誰も待望していないし全米が涙することもない続編が待っている。
「そんなことより、いいんですか?」
「その様子だと一部始終を知っているようだな。」
俺が話を素早く切り替えるもこの男に動揺はない。
「以前も似たようなことがあった。随分悪趣味だな。」
「以前…?ああ、夜中に人目のない場所で妹を襲ってた時ですか。」
両手の自由を奪うように壁に押さえつけて、無抵抗な妹の綺麗な腹に一発ぶち込もうとしていた。
エロ漫画のような構図を平然とやって退けるこの男こそ常識外れじゃないだろうか。
よく恥じもせず人のことを棚に上げれるものだ。
「出来の悪い妹を持つと苦労も絶えないものだ。」
「コミュニケーションに難ありなのは兄弟揃って同じだと思いますけどね」
「否定する気はないが、言うようになったな綾小路」
…否定する気はない?
この男が鈴音を認めていないのはコミュニケーション能力の不足じゃないのか?
孤高と孤独を履き違えるなとか言ってた気がしたが…試してみるか。
「あの夜の一件。堀北にはどう伝わってるでしょうね。」
「俺の知ったことではないな。妹が出した解釈が答えだ。」
「教育者の鏡ですね。思考の余地を与えることが美学ですか?答えを与えた方がいい時だってありますよ。」
「大差ない。」
「鈴音しかり橘しかり、どんな答えを出そうと何も変わらない。」
俺が聞く前に先程の橘先輩への対応についての真意も答えてくる。
「どうでもいいんですね。堀北も橘先輩も。」
「好きに解釈すれば良い。」
どこまでも他人行儀なやり方を俺相手にも貫くつもりのようだ。
この男は他人の解釈に全て委ねて、自分の意見一つ言うつもりがない。
『話は終わりか?』と目で語りかけてくるその余裕が心底気に入らなかった。
この男の余裕がどこから出ているのか。そんなのは簡単だ。
この男は未来に生きている。
この学校は次の進路への踏み台でしかなく、この男にとって既にもうその踏み台すら用済みとしている。
誰が何をしようと、この男が希望の大学に進学することは揺るがない。
「目の前にある確かなものより、不透明な未来が大切ですか」
「不思議なことを言うもんだな。それは未来のためにあるものだろう」
俺とこの男では目線が合うわけがない。
目的が違いすぎる。
そんなに未来が大事ならidecoに満額投資して、早死にした時に後悔すればいい。
「逃した魚は大きいって話です」
「問題ない。それに、魚は水の中でしか生きられないだろう。」
「魚が水の中でしか生きられないのなら、自分も魚になればいいだけの話です。」
「…お前は常識外れの天才だな。」
この男が自分の感情を一切言葉にしていないことを俺は咎めない。
鈴音や橘先輩とこの男との間を取り持って、解釈の帳尻合わせをするなんて死んでも御免だ。
だからこそ、俺はそのまま無言で堀北兄に背を向けた。
俺が生徒会に入ったのは、堀北兄の誘い文句に魅力を感じたからではない。
橘先輩のガードが崩れる瞬間を見逃さないため。
俺は虎視眈々と獲物を狙い続ける捕食者であって、恋のキューピットなんかでは断じてないのだから。
――――――――――――――――――――――――
堀北学。
3年Aクラスをまとめるリーダーであり元生徒会長。
文武両道は当然として、その他の能力もずば抜けている。
だが、常に受け身で安定志向なのが玉に瑕だろう。
その生き方は正しくて賢いのだろうが、退屈で臆病でもある。
俺から言わせれば、自分の感情が相手の生き方を変えることに怯えているだけ。
自己評価の低さの表れだ。
だからこそ、堀北鈴音が自分を追ってこの学校に来たことに失望した。
だからこそ、橘先輩の告白を拒絶し、今までの関係を継続させようとした。
自分を認めれない人間は他人を認められない。
その言葉を体現しているような男だ。
…一歩間違えたらメンヘラなんだよな、その面倒な生き方。
「茜ちゃんなら寮の方に向かったよ」
「橘先輩と随分親しいんだな」
「表面上はね。追わないの?」
俺が考えるメンヘラチェックリストの項目全てにレ点が付きそうな女が話しかけてくる。
目も合わせず、校門に背を預けてスマホをいじる櫛田からは不機嫌な空気が感じ取れた。
「そのつもりだったがやめた。」
「ふーん。どうして?」
「俺に用があるから話しかけてきたんだろ?」
橘先輩よりも櫛田を優先する。
俺が今やろうとしている事を櫛田が把握しているなら、それは大きな意味を持つ。
櫛田はスマホの画面を暗転させて、顔をあげた。
お茶だと思って飲んだのがコーヒーだった時のような渋い表情をしていた。
「…ついてきて。」
…意外だ。
周りに人がいないことをいい事に、文字に起こすのも躊躇うような暴言が飛んでくるものだと思っていた。
渋い表情から一転、何を考えているか分からない真顔で足早に歩き始める。
「誰かを待ってたんじゃないのか?部活帰りの彼氏待ってる彼女みたいな格好してただろう」
「もう先に帰るってLINEした。」
今日の櫛田は素直だな。
櫛田の様子を縁がないであろう彼氏云々の例えで比喩したが華麗にスルーされる。
「…誰が隣歩けって言ったの?最低でも15mは後ろ歩いてよね。」
…素直だな〜(白目)
「俺じゃなきゃ見失うぞ、それ。」
「見失わないんならいいでしょ」
「いや、そういう問題じゃ…」
「もう、うるさいなあっ。私に付き合うって決めたんなら、グチグチ…。樋口一葉が5000円札の肖像に選ばれたのって可愛いからって知ってた?」
帰宅中の上級生が近づいてきた事を素早く察知し、表の櫛田が顔を出す。
…櫛田のOAAの機転思考力は間違いなくSだろう。
スカートを軽く翻して振り返り、猫撫で声と上目遣いの笑顔をセットで提供してくれる。
…ドナルドの笑顔くらい怖いなぁ。トラウマになるぞ。
「そうか。なら、櫛田も将来はお札の人になるかもな」
「もう、そういうの照れるからぁ。そういう冗談やめてよね。綾小路君」
冗談めかして、俺の肩を叩く音は軽快で可愛い音を鳴らす。
だが、確実にダメージが蓄積されるように寸分違わず同じ位置を叩き続けてくる。
言葉がなくても、櫛田の脳に血がよく循環していることが分かる。
俺達の声が届く範囲に人がいなくなるまで、俺の肩はサンドバックと化した。
「…で、さっきの薀蓄は本当なのか?」
「知らない。でもお札にブスは載せないでしょ」
…冒涜的な発言だが、説得力があるのは事実だ。
企業の広告を見ても、アニメやゲームのキャラクターを見ても同様。
人の目が集まるものには、綺麗なものが採用されるのが世の常だ。
「ついた」
連れてこられたのは、ケヤキモールの裏手にある駐車場だった。
ケヤキモールの従業員と一部の教員専用だろう。生徒が立ち入ることはまずない場所だ。
「ここ一体のフェンス、妙に曲がっていると思わない?」
飲酒運転の車が追突したかのような歪に形を変えたフェンスを指差して櫛田は言う。
「ミステリー小説だと、フェンスに穴はつきものだな。」
「現実なら?」
「誰かが意図的にやったとしか思えないな」
「うん。そうだよね。これ、全部私がやったんだ。」
櫛田は軽々とその犯人だと主張した。
ミステリーなら、あからさますぎて逆に疑われないほどの堂々っぷりだ。
「ちなみに理由は?」
「綾小路君なら聞かなくても分かるよね?」
質問に質問で返してくる嫌な上司のやり方だ。
いや、大体分かってるけどね?
お前はクレヨンしんちゃんに出てくるネネちゃんかよ。
あれは五歳児でストレス発散の対象が自分の所有物の人形だから許されてるんだ。
15歳が公共物に同じことをしてたら洒落にならんて…。
「夏休みに一度大きな台風来たでしょ?そのタイミングでここ一体のフェンスがちょっと曲がったんだよね。なら、ちょっと曲がるのも、派手に曲がるのも変わんないよね」
最初から派手に曲がってた可能性もあったわけだし、経年劣化で徐々に派手に曲がっていくという化学変化が起きた可能性も無きにしも非ず。(無い)
なら、変わんないよな〜(錯乱)。
「それで、俺はこれを元通りに直せばいいのか?」
「え、出来るの?…ううん、やらなくていいや。直ってもつまんないし」
櫛田の力で曲げられるなら、俺の力であれば自由自在に形を変えることができるだろう。
フェンスアートなんていう新しいジャンルも開拓できるかもしれない。
「つまんない?」
「私がこうやったって跡が残ってないとね」
…メンヘラチェックリストにまた一つレ点が増える。
この人、手首に残った傷を数えるタイプだ…。
「直さなくていいなら、俺をここに呼んだ理由は?」
「わたし、最近ピンチなんだよね」
今月ピンチなんだよねが口癖のひもじい大学生みたいなノリだが、顔つきは真剣そのものだ。
「どうして私がDクラスなのか。どうして綾小路君がDクラスなのか。どうして平田君がDクラスなのか。今、クラスの皆が口を開けばそんなことばっかり。」
「あの一件の影響だろうな」
…来週、OAAが公開されればそれはさらに加速するだろう。
全く、人の悪い噂の魔力は恐ろしい。人の黒い噂だけを取り扱うyoutuberが流行るわけだ。
「他人事だね。綾小路君も言われてるんだよ?流石に危機感持ったほうがいいんじゃない?マジで」
「周りが騒いでいるだけ。他人事だろう。櫛田の方は焦っているみたいだな。」
一之瀬、平田の例がある以上、櫛田にも当然何かあると考えるのが自然だろう。
「…前に言ってきたよね。私と堀北が同中じゃないかって。それ、どうやって知ったの?」
無人島試験前に櫛田と話した時と全く同じ質問を意味なくするとは思えない。
堀北への確認は済んでいると思っていいだろう。
「出身中学校。見ず知らずの高校一年生の自己紹介だと相場の質問だよな。俺もこの質問された時は回答に困ったよ」
「…」
「だが不思議なことに櫛田と堀北の出身中学校の情報は一切出回らない。コミュ障の堀北は兎も角、顔の広い櫛田は一度は聞かれたことがあるはずなのにな。」
「…それを言うならあんただって」
「そう。俺も同じ。だからこそ、そういう人間の心理は簡単に読める」
出身中学校の名前までなくても、何県にあるとかそういう地理情報は出回るものだ。だが、櫛田にはそれすらない。
噓を付けば、堀北につつかれる恐れがあるし、正直に言えば、堀北が情報を開示した時に同中だとバレるからだ。
櫛田はこれまで、会話の主導権を常に取ることで質問されること自体を防ぐ荒業で何とかしてきたのだろう。
「…ならいいや」
櫛田の硬かった顔がほんの少し柔らかくなった。
まるで他人を許す時の表情だった。
「何がいいんだ?」
「こっちの話。それより聞いてた?私ピンチなんだよ」
一之瀬の事件による影響力で、自分の過去にフォーカスされそうな噂が流れ、その真相は同郷の堀北が知っている可能性が高い。
限りなく、あの時の一之瀬に状況は近い。
櫛田が手詰まりになって俺に頼ってくるのも仕方ないことだろう。
「それで、何か打つ手は考えているのか?」
「それは協力してくれると思っていいのかな?」
「内容次第だな。」
「まあ、そうなるよね」
櫛田は俺が乗り掛かった舟だと言って無条件に手を貸すお人好しでないことを知っている。
それなりの交渉材料を持っているはずだ。
まずはそれを提示させる。
「堀北鈴音を退学させる。これが私の策」
櫛田の目を見るに本気か問うのは愚問だろう。
だが、想定内。真実を知る人間から消していくのは推理小説や人狼ゲームでも同じこと。
口止めなんていうのは妥協案は本人にとって気休めにもならない。
「具体的にはどうする?」
「それは綾小路君の返事を聞いてからだよ。協力してくれない人に手を明かすわけないじゃん」
冷静でいい判断だ。フェンスをへし曲げるほどのストレス下でも、判断力は鈍らない。
「堀北が退学することは俺にとってデメリットしかないな」
「良かった。」
「ポジティブだな。今の返事は後ろ向きで捉えるべきだ」
「損得勘定で判断してくれるならまだ終わってないからね」
堀北が退学するデメリットを超えるメリットを提示できる算段があるのか。
「もし、手伝ってくれるならヤらせてあげてもいい」
他人を退学させることにここまで本気になれる人間のその言葉を疑わないほど俺は馬鹿じゃない。
後から「ほんとはイヤだった」とか言い出して、文春とのいたちごっこが始まるのはごめんだ。
…だが魅力的な提案なのは間違いないな。うん。
今、鈴音は俺に好意を抱いている女性の一人。能力はおまけで、俺はそれを失うことにデメリットを感じている。
それを穴埋めするような提案。
櫛田は俺のことをよく理解している。
「言葉の意味を分かって言っているのか?」
「当たり前。堀北、みーちゃん、椎名なんかより私のスタイルがいいのは知ってるよね?それに私の方が絶対うまくできるよ。」
「スタイル云々はおいといて、お前はそれでいいのか」
「風俗嬢に説教するおじさんみたいな上から目線やめてくんない?てか、あんたも童貞のくせに」
解像度の高い例えで切り返される。
出稼ぎで1日アベレージ16万稼いでますみたいな報告する風俗嬢のSNSでも見てるんだろうか。
……って今なんて言った?
「ちなみに私、相手を見れば分かるから。童貞かヤリ○ンか。勿論、女の方もね」
…なんだその世界一いらない無駄な能力。
流石に異世界転生ラノベの最弱スキルで無双できる主人公がいても、その能力では詰みだろう。
むしろ、メインヒロインの経験人数が2桁とかだと分かった日には物語が終わりそうだ。
いや、勇者の主人公がヘラってメインヒロインの元カレを一匹残らず駆逐する闇落ち展開があっても面白いか。
「まああんたは、一之瀬、堀北、椎名とはA。みーちゃんとはBってとこでしょ?Bは十中八九みーちゃんから誘ったんだろうけど、あのお子ちゃまにはまともな性知識ないし、避妊具の段取りとか出来ないだろうし、それでCまでいけなかった感じでしょ」
「…」
そんな詳細まで見抜けるのかよ…。最強スキルじゃん。
だが、みーちゃんの見識だけは少し違う。
キスをすれば子供が産まれるみたいな発想を持つCV釘宮理恵のロリヒロインよりはよほど性知識が成熟している。
「アタリかな?…そんな怖い顔しないでよ。私はこの情報を武器にするつもりはないんだから」
「だろうな。俺はその程度の武器じゃ崩れないように関係を構築してきている」
「それは甘いんじゃない?まあ、表面上は形式を保てるかもだけど、内側にヒビを入れるくらいの威力はあると思うよ。」
心の奥底で考えている事なんて、読み取りようがないことだ。
だからこそ、人間関係において一切の不満がない関係なんて夫婦でも無理な話だ。
キズはあることが自然。大事なのはそれをどうケアするかだ。
「武器にするつもりはないというのは、現段階の話か?そうでなければ、武器の威力の解釈を正す必要はない」
「勘繰りすぎだよ。綾小路君。それで、私の提案は受けてくれるかな?」
最初の爆弾発言は導入で、こっちが本命の矢か。
いや、その爆弾が不発弾だと決めつけるのはまだ早いな。
「最初の提案。あれは成功報酬か?」
「抜け目がないね綾小路君。そんなに私とシたいの?」
「交渉で不明確な点を残したくないだけだ。」
「むっつりだね綾小路君。うーん…そうだな。そこはいいよ、綾小路君の要望に応えてあげる」
「ならあれは交渉材料として考えよう」
「あははっ。やっぱりシたいんじゃん笑。こんだけ譲歩してることも加味して答えだしてね」
抜け目がないのは櫛田の方だ。
俺が提案に乗らなかった時の武器も用意してあり、この提案自体も保険になっている。
俺がこの形で櫛田と体の関係を持った場合、その事実が俺の交友関係を破壊する武器になるからだ。
勿論、櫛田にもダメージはあるCOだが、俺のダメージに比べれば可愛いものだ。
ここまで、鈴音を退学させたがっている櫛田の衝動を今まで抑えられていたのは、俺がいたからだ。
退学させるというのは非常に難解な事。そこに、俺という存在が守ろうとすればそれはもはや難解ではなく不可能。
例え、龍園や南雲や坂柳の力を借りようとそれは変わらない。それが理解できない櫛田じゃない。
なら、櫛田が自分を守るために行動できることは一つだ。
綾小路清隆にとっての堀北鈴音の価値を自分が上回ればいいだけの話。
これはもう櫛田を取るか鈴音を取るかの段階だ。
「具体的な話を聞こうか。」
俺は櫛田の話に乗ることを決断する。
――――――――――――――――――――――――
『いいよ、別に今日でも』
2時間前のあの台詞は今思えば、今日一番刺激的だったかもしれない。
俺の身体は今まで味わったことのない新鮮な感覚で支配されていた。
熱が少しずつ体から抜けていく感覚が心地いい。
「蛹から蝶になった気分だ」
「童卒しただけでしょ。」
小中学校を経験したことのない俺にとっては正真正銘の初めての卒業だ。
卒業証書はないけど。
「いつまで裸でいるつもり?服着てよ」
櫛田が床に散乱した俺の服を拾って投げつけてくる。
「見るなよ。恥ずかしいだろ。」
「棒読みで説得力ないから。」
「…ふっ。櫛田はよほど恥ずかしかったみたいだな。」
思わず鼻で笑ってしまったような音を立てて、制服姿の櫛田を煽る。
「裸を見られて恥ずかしいと思わない方が異常なの。わかる?」
「さっきはそんな風に見えなかったけどな」
「TPOだよ。プールに水着になるのは恥ずかしくないのと同じ。」
「なるほど。今日は静かだったが、あの時プールで水着流された時は叫んでたもんな。納得だ」
櫛田の舌打ちの音を無視して、そういう思考の切り替え方もあるんだなと俺は素直に感心する。
俺は投げつけられた服を見てふと思う。
「櫛田、急いで服を着てたがそれ、中すごいことになってるんじゃないか?」
「…ねえ、なんでそんなデリカシーないの?それわざとやってる?後者なら普通に潰すけど。」
「いやだって…」
「いいから。帰ったらシャワー浴びるし、洗濯するし」
もうこれ以上何も喋る気はないと言わんばかりに素っ気なく明後日の方向を向く。
ドライを装っているが案外、櫛田は照れているんじゃないかと感じながら俺は服を着始めた。
ピー。ピー。
俺の携帯の通知音が鳴り響く。
「…それ、着信音変えた方がいいよ。炊飯器の音かと思った」
「普段ずっとマナーモードだからこんな通知音なの知らんかったんだよ」
俺がメッセージの通知をONにしてたのは一人だけだ。
相手はもう分かっている。
『ダメだった』
遅かれ早かれ、報告は来ると思っていたが、今日とは思っていなかった。
案外立ち直りが早い。いや、一人の力じゃ立ち直るのが困難なのか。
「もう茜ちゃんじゃ満足できないかもね。」
「…櫛田って、俺のストーカーかってくらい俺のまわりのこと知ってるよな。」
「…なにそれ。私が好意を抱いているみたいに言わないでくれる?」
「自分の目的のためだろ。分かってるよ。」
「…うざ」
俺は櫛田の情報網を褒めたつもりだったんだがな。
忖度抜きで、櫛田の情報網はこの学校NO.1だ。
相手を見抜く能力も兼ね備えているのが遠山キンジにワルサーP99状態だ。
「ねえ、メッセージ見せてよ」
流石にこの言葉にはドキっとさせられた。
やましいものは別にないが、彼女にも携帯見られたくない派閥の俺としては彼女でもない櫛田に不快感を隠せない。
「なんでだよ」
「いいでしょ。減るものじゃないし。」
「減るものじゃないなら櫛田は見せるのか?」
「男ってすぐエロいことに使おうとするよねそのセリフ。」
「何とは言ってないだろ。」
「目が言ってるようなもんだよ。別に携帯なら見せてもいいけどね」
…櫛田の情報の根源の一つであるSNSは確かに気になる。
それに、どうせ櫛田には俺の女性関係やその進捗さえ把握されてるわけだし、費用対効果で考えれば悪くない気もする。
「…SNS苦手でしょ、あんた」
「手癖悪すぎだろ」
いつの間にか、俺の携帯と櫛田の携帯がスワップされていた。
マジックを疑うレベルだ。
「うわー、未読メッセージ多すぎ…。てか、男友達いなさすぎでしょ。」
櫛田の評論を無視して、負けずと俺も櫛田のSNSを物色する。
この機会だ隅から隅まで…。
…こいつ、友達多すぎだろ。グループの数も俺の10倍はある。
仕事だったら投げ出すレベルのメッセージ量だ。
男子からのしつこいアプローチから、流し見するだけで重たそうな女子からの相談全てにちゃんと返信している。
櫛田って凄かったんだな。俺には真似できそうもない。
「胃もたれしそうになったから返す」
「私も終わったから返すね」
…終わった?何がだ。
俺は急いだ手つきで携帯を操作すると橘先輩への返信がもう完了していた。
『ダメだった』
『堀北先輩、処女は無理って言ってました』
うおおおおおおおおおおおおおおいっ。なんだこれ。
俺は急いでメッセージを削除しようとするが、既に既読が付いていた。
「じゃ、私帰るね。」
「おい。待て」
俺が急いで手を掴んで止めるが、予想外の力に振りほどかれる。
「茜ちゃんの前にやることあるの分かってるよね?」
「…それはそれ、これはこれだろう。」
「私、綾小路君には期待してるから。」
「裏切ったら許さないから」
櫛田の意見は真っ当だが、やってることは滅茶苦茶だ。
余命宣告された患者の最後の足搔きのようだ。
OAAの存在は知らないはずだが、櫛田は悟っているんだ。
今の状態が続けば、自分の秘密が漏れるのはそう遠くないと。
また明日ねと言って櫛田は俺の部屋を出ていった。
彼女の残り香と中途半端に服を着た半裸の俺が残して。
禁断の果実に欲望のまま手を伸ばした俺の体には毒が回り始めているようだ。
橘先輩を出汁にして櫛田とのストーリーを書きました。
綾小路君にはこれから、堀北退学を巡ってのストーリーと橘先輩攻略を同時進行で行ってもらいます。
てか、ホオジロザメが5,8mでカイオーガが4.5mしかないんだけど、カイオーガって案外小さいんだなって思いました(小並感)