綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
「遅くまで部屋使わせくれてありがとう。清隆君。」
「気にしなくていい。有意義な時間だった。」
「らしくないわね。『今の時間が有意義だったかどうかは結果が出てからしか分からない。』なんて言いそうなのに」
俺を冷やかすかのように澄まし顔で言う鈴音。
まさかとは思うが、その気取った口調は俺の真似じゃないだろうな…。流石に誇張された物真似であることを信じたい。
しかし、鈴音が皆の前でこんな風に俺を茶化すことは珍しい。余程、先刻の会議に手ごたえを感じているのだろうか。
だがまあ、鈴音の下手な演技は置いとくとして、概ねその通りのことを思っているから何も言い返せない。
結果にフォーカスするのが俺。過程にフォーカスするのが洋介。
だから、俺のらしくない発言は紛れもない社交辞令。洋介が喜びそうな返しをしただけだ。
「らしくないで言えば堀北さんもじゃない?バリキャリ系女子はやめてキャラ変?」
高校一年生でバリキャリ系女子の称号もらえるのこいつくらいじゃないだろうか?
恵の言葉の意味がイマイチ理解できていないのか、鈴音は首を軽く傾げる。
「確かに珍しいよね。こんなに遅くまで付き合ってくれるの。」
「マジ意外~。終わったらすぐ帰りそうなのに。てか、そうだ。このノリで堀北さんもこの試験後の打ち上げ来れば?そっちの方がおもしろそうだし」
「試験の勉強すらまだしてないのに打ち上げって正気?打ち上げではなくお通夜になりそうね。」
鈴音、多分だけど、こいつら負けても勝っても打ち上げする気だぞ。
勝てば祝勝会。負ければ次勝つための決起会。もはや何でもありだ。
そもそも、どうしてこんなに打ち上げをやりたがるのか謎だ。
社会経験のない高校生のはずだが、既に飲み会文化の土壌みたいなの出来てるんだけど…。日本の未来は明るいなあ()。
「僕からもお願いできないかな。堀北さんが来るってなったら頑張れる人もいると思うんだ」
「…いいわ。そんなことで少しでも勝てる確率があがるなら構わない。」
「え、マジ!?本格的にキャラ変じゃんっ」
「念の為言っておくけど、お通夜には行かないから。」
…ほんとらしくない。恵の軽いノリに付き合うなんて以前までの鈴音なら有り得ない。
彼女の心境が変化しそうな要因には心当たりしかないが、この変化は意外だ。
俺には何か裏があるとしか思えなかった。
多分、隣で笑ういつもより少し無口な彼女もそう思っているだろう。
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玄関先で4人を見送り、ようやくプライベートが訪れた。
『じゃあね』って挨拶した後、『そういやさー』って新しい話を展開してくるお化けってほんとにいたらしい。
部屋に戻ると、軽く滲んだ汗が引いていくのが分かった。やはり思ったよりも長引いたようだ。
「まずはシャワーだな。」
…独身の男性は独り言が多いなんて言うが、例に漏れず俺もその一途をたどっているらしい。
ひとりごちて可愛いのはちいかわくらいのもんだろう。
悪癖になる前に、辞めないとな…。
洗濯機に脱いだ制服を放り込み、慣れた手付きで操作する。
最近の洗濯機は初心者に優しいモダンタイプ。
ワンボタンで洗濯量に適切な量の洗剤が勝手に射出され、洗濯が終わるまで自動だ。簡単すぎる。
よくありがちな箱入りのお嬢様が洗濯機を使えない設定ってもはや無理があるよな…。
そんなたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいことを頭から消すと、洗面台の鏡に映る自分の体に目が留まった。
「噓だろ…」
独り言はよくない云々の話はすぐに頭から消え、思わず声が漏れる。
俺が驚いたのは鏡に女の霊が映っていたとかそういうオカルトの類ではない。これは紛れもなくリアル。
「これが俺の体?」
脱衣場で声をあげるなんて、久しぶりに体重計に乗った主婦かとツッコミたくなるが、それどころではなかった。
俺の体は運動部を引退した高校3年生のように、急激な速度で錆びていっているようだ。
(久しぶりに追い込むか…)
習慣的に行っている筋トレでは足りない。あのホワイトルームにいた頃の運動量を凌駕するくらいの熱量がなければ。
それくらいなければ、この体の錆びは払えない。
それに、まだ消化されていない胃に溜まっている糖質の分まで消費しなければならないしな。
偉い人言いました。『危機感持ったほうがいい』と。
いや、あの人そんなに偉くないな。偉いもといエロいだけの人だ。
口を開けばテストステロンがどうだ、男性ホルモンがどうだの薀蓄しか言わないし…。
というか、有名格闘家のような見た目ならまだ分かるが、野獣の先輩をマイルドにしたような顔でモテるモテないの話されても説得力ないって。
(…早速やるか)
俺はスペースの広いリビングに移動して、床にバスタオルを敷き手をつく。
筋トレの追い込み方として、一般的なのはマシントレーニングだ。
だが、俺のような筋力バランスを重視しているタイプの人間は自重トレーニングの方が向いている。
部分的に鍛えると体のアンバランスさがシルエットに出てしまい、筋トレをがっつりやっている感が表面的に透けてしまう。
俺には好ましくない話だ。それに、あまり女ウケもよくないと聞くしな。適度な細マッチョが大半の女性が好む男性の体付きだろう。
だがこの自重トレには難点がある。それは追い込むのが難しいことだ。
大前提として体力が必須。時間をかけてじっくりと追い込む必要がある。
体が疲弊して筋肉を追い込む前にやめてしまえば意味がない。
さらに言えば、単調で新鮮味のないトレーニングはつまらないと感じる人間も多い。
それを長時間やるとなると、ゴールのないマラソンのをしてる気分だろう。
だが、面白いやつまらないではなく、効率でしか筋トレを評価していない俺にとっては関係のない話だ。
…おっと、余計なこと考えていたら既に1セット目は終わっていたらしい。
やはり、筋線維が千切れるのがはやくなっているな。これはもっと追い込まないと…
---1時間後---
ブチブチ。空耳に近い感覚。だが、上腕三頭筋に残る確かな実感。今のが最後の一本だ。
俺はRPGのレベリングと似た達成感に満たされて、大の字で転がる。
ホワイトルームにいた頃は、達成感なんて微塵もなかったのにな。
あの時は育めなかった感情面が少しずつ成長しているのかもしれない。
トレーニング中は水分も制限していたため、汗は然程出ていないが、その反面体が鉛のように重い。
今すぐにでも、シャワーを浴びるべきなのは分かっているはずなのに体が動かない。
…もう、いいか。このまま寝てしまえば…。そんな甘えた思考がよぎる。
だが、それを一刀両断するかのように、リビングの扉が前触れもなく開いた。
「さっきのっっ…」
怒気がこれどもかとたっぷりに詰め込まれた声。櫛田だ。
顔を見なくても、鬼の形相を浮かべているのが雰囲気で分かる。間違いなく先ほどの件だろう。
寝転がったまま起き上がれない俺が目を向けると、啞然と立っている櫛田が見えた。
…奇しくも最高のアングルだった。
コスプレイヤーに群がるオタクが醜態を晒してでも見たかった景色がこれか…。
紺色に近い黒といったところ。だが、下着で重要なのは色ではなくデザイン。
その点、櫛田は完璧にクリアしている。
男が好みを的確に刺激するためだけに作られたようなデザインが艶めかしい肌色がそこかしこでチラ見えさせる。
白い肌と紺色が織りなすコントラストが美しい。ああ…、眼福や眼福や。
…だが外聞を気にする櫛田が、如何にもビッチ感満載の下着を常用するだろうか?
「はっ。…あぶない。キモすぎて気を失ってた。」
まるで専門家かソムリエのような分析も我にかえってきたような櫛田のドン引くような声で途切れる。
目を明後日の方に逸らした横顔は、汚物から目を背けるようなそんな表情。
彼女の物を映しているとは思えないほど黒く染まった目は焦点を結んでいないようだ。
下着を見られたのがそんなにショックだったのか…?
なら、スカートなんか履くんじゃねえよなんて、フェミニストに刺されそうなことを考えながら俺は立ち上がる。
さっきのが噓のように体が軽かった。体が空になった時特有の爽快感。
いや、それどころか全身に駆け抜ける開放感すら感じた。
…そして、ようやく事態の重要さに気付く。
下着どころじゃない。櫛田が全力で目を逸らした理由を先に考えるべきだった。
「…櫛田は女子だから知らないかもしれないが、筋トレは全裸でやるもんなんだよ。」
我ながら苦しい言い訳。馬鹿正直な佐藤くらいなら丸め込めそうだが櫛田には通用するはずもない。
櫛田はそれを無視して携帯のレンズを俺に向けてくる。
「犯罪だぞ。それは。」
俺は極めて冷静に櫛田の携帯の払いのける。
現代の携帯のカメラの性能は無駄に高性能。一眼レフで撮ったような解像度で自分の裸を撮影される危機感は羞恥心のない俺にもある。
デジタルタトゥーなんて冗談じゃない。
そう思い櫛田の目を覗くと、ゴキブリの甲殻より濃い黒色を浮かべていた。じょーじとか言い出しそうだ。怖いって。
「犯罪?襲われそうになったら通報するのが当たり前じゃない?誰の目で見てもどっちが犯罪者か一目瞭然でしょ」
「明らかにカメラ構える素振りだっただろうが。それに、通報して困るのは櫛田だろ」
そもそも櫛田がこの部屋に勝手にいる時点でおかしいのだ。
不法侵入に近い行為を言い訳すれば矛盾が生まれる。分が悪いどころか櫛田に勝ち目はない。
むしろ、裸を見られた俺が通報するのが普通ではないだろうか。
「…もういい。はやく服着て。あんたの裸なんか見たくない」
俺との会話を経て、十分状況が整理できたのだろう。
自分が衝動的になっていたことに気付いたようで、あっさりと身を引く。そもそも、彼女の要件は別だろうしな。
俺は足の指で器用に床に敷いていたバスタオルを掬い上げて、腰に巻き付ける。
それを確認した櫛田はようやく俺に向き直った。俺は重たい話を切り出される前に掌を彼女の顔の前に突き出して制する。
自分に都合の悪い話を先延ばしにする旦那みたいな立ち回りだなと自覚しながら言う。
「悪いが先にシャワー浴びてくる。2,3分で終わる話ならいいが、そうじゃないんだろ?」
「はああああああああ。…はやくして」
今年一番でかい溜息だった。かめはめ波を溜めているのかと疑ったくらいだ。
呆れる櫛田は俺の不審者じみた奇行に拍子抜けしたのか、怒りの居場所を見失っているよう。
櫛田は俺の提案を溜息一つついたものの承諾してくれた。
あまり考えたくはないが、もしかしたら、俺の汗の匂いが鼻についたのかもしれない。
「善処するが、休息も筋トレの一環だからな。少し待ってもらうことになるな」
「どれくらいよ」
「1時間だな」
「…頭おかしいんじゃないの?そんなに待てないに決まってるでしょ。5分で出てきて」
「それこそ無理な相談だ。」
5分程度の入浴では血流促進効果が十分に得られない。
どうしても待ちたくない。すぐにでもあの時の俺の発言を問いただしたい櫛田。
1時間たっぷりの入浴で、筋肉の休息を促したい俺。
話は平行線だ。
「なら、一緒に入るか?」
「は?冗談でも笑えない。」
「冗談じゃなく譲歩だ。俺の入浴と櫛田の話。両方を同時に実現できる論理的な提案だろ。」
「…あんたがその汗臭い体をシャワーで流して5分で出てこればいいだけ。」
やっぱ、臭かったか~。自分だと分からないもんだな…。
意地でも自分の意見を曲げない櫛田なんかどうでもよくなるくらいショックだな。
なら、俺も意地を張らしてもらうとしよう。なんか心に傷ついたし。
「時間の無駄だな。」
「5分で出てこないと怒るから」
俺は櫛田に背を向け浴室に向かうと、そんな言葉を投げかけてくる。もう既に怒っているだろうに。
今更になって、俺と風呂に入ることが余程自分にとって都合が悪いらしい。
話も重いし、空気も重いし、体も重い。
男が女の裸をうっかり見てしまうシーンはドラマやアニメでよくある光景。
その時は女側が可愛いらしい悲鳴をあげて終わりだったんだけどな…。
雄叫びをあげながらインディアンの踊りでも披露すればハッピーエンドだっただろうか…。
いや、それこそ流石に通報されても文句言えないな。
まあ、シチュエーションではなく結局は人の問題か。
もし、ここにいたのがみーちゃんだったら?ひよりだったら?佐倉だったら?
想像の域を出ない妄想だが、どれも面白い反応をしてくれそうだ。
俺は汗が引いて熱が冷めてきた体にシャワーを打ち付ける。
世の中にいるズボラ系の人は風呂に入らないというが正直信じられない。
視界に入らないように濡れた髪をかきあげて、鏡を見ると後ろの扉のスモークガラスに丸みのある人影が映った。
…飽きない女。その一言に尽きる。俺は扉の開く音を聞いて声をかけた。
「自分だけ恥ずかしがっているのは逆に恥ずかしい。そんな感じか?」
「…っ!!」
最近は学校でもプライベートでも、櫛田といない時間を探す方が難しい。それこそ、付き合い始めた高校生カップルよりも濃い時間を過ごしていると思う。
それは俺にとって櫛田という人間を解析するのに十分すぎるほどの情報と時間。
鏡越しに映る一糸まとわぬ櫛田の顔が歪んでいく。
俺は振り返り、何一つ隠すつもりのないヌードモデルのような櫛田を凝視する。
自分の体に自信を持ってしまうのも仕方ないと思えるほどの美貌だ。
だが、そんな自信は俺の視線一つで崩れ去る。
体裁だけ取り繕ってもヌードモデルのようなプロ意識までは真似できない。
「や、やっ。」
俺は思わず後ろずさる櫛田の手首を掴み、引き寄せて浴室の壁に押し付け拘束する。
既に表の櫛田ではないはずだが、漏れ出た声は意外にも可愛らしい。
流れるような動作で浴室の扉を閉めると、密室になった浴室に緊張感が走った。
「あ、あんた、どういうつもり」
「話があるんだろ。聞いてやる。」
「ほんとに聞くつもりがあるなら離して。話はそれから。」
武の心得がある俺の拘束から、強がりなだけの彼女が逃れるすべはない。
それを知る彼女は無駄な抵抗は一切しない。俺との会話も理路整然としている。
この状況でそんな冷静な判断が出来るのは異常だ。
普通なら叫び喚き暴れるのが普通で健全なはず。
だが、これは彼女が賢明だから故ではない。まだ俺を信じてるバカだからだ。
この状況でも俺が自分に牙をむくことはないと高を括っている。
「やっぱり櫛田は最高だな」
「…いきなり何言ってんの。本当に頭おかしくなったんじゃない?てか、いつまでこの状態で話すつもり?」
俺を信じてるのは間違いないが、それよりも疑っている。
不安が少しずつ言葉の節々から漏れ始めている。
自分だけが見透かされ、俺のことは何一つ掴めないまま。
何を考えているか分からない俺が怖くないわけがない。
「期待してたんだろ。シャンプーの匂いが濃い」
「っっ…!」
俺は櫛田の耳近くまで、顔を近づけて図星をつく。
近すぎる声に彼女の背筋から戦慄が走り、体を僅かに震わせる。
櫛田を売る提案をした俺に会いに来るのに、勝負下着を身につけ、体を清めてきた。
本気で怒っている人間の行動じゃない。
心では俺を憎んでいるのに、体は俺を求めている。
心と体が釣り合っていないちぐはぐな状態の彼女は今、自分が何をしたいのかも見失っている。
「…死ね」
鬱陶しい蚊を振り払うように首を振る彼女の攻撃をフレーム回避でひらりと交わす。
そして、俺は野性的衝動のままに小さめの耳に嚙みついた。
例えるなら、猫じゃらしに食いつく犬。猫の戯れではなく、これは捕食だ。
「嚙みちぎられたくなければそのまま動くな」
「…」
耳が嚙みちぎられるなんて、普通に生きていれば想像することすら難しい。
だが、俺の無色の声色はそれを無理矢理にでも想起させる。
面白いようにピクリともしなくなった櫛田。だが、脳の命令を無視するように体は痙攣するように震えている。
「何回でも言う。やっぱり櫛田は最高だ」
もう疑う余地もない。彼女にとって俺は明確な敵。
いつから敵だったのか。いつから自分はこんな立場になっていたのか。
櫛田が感じてある疑問に答えるなら最初からだ。
俺には敵も味方もいない。
ただ、俺は俺のやりたいことをやるまでだ。
俺は彼女の耳をまるで生き物が這い回っているかのように舐め始める。
無言で舐める俺とそれを受けいれるしかない櫛田。
始まってしまえば、無音・密室・拘束。そして恐怖すらもが欲望をかきたてる興奮材料。
そして俺は、性と密接な関係にある触角と聴覚を執拗なまでに刺激している。
櫛田にとっては脳をダイレクトに舐められているかのように錯覚するだろう。
「…裏切り者っ。」
彼女の体が変化するのに1分もかからなかった。
顔を離すと血涙混じらんばかりの悔し顔が目に飛び込んできた。
「その裏切り者にいいようにされて興奮してる櫛田はさしずめマゾ女か?」
「殺す。」
櫛田の声とは思えないほどドス黒い声色。喉仏が急に発現したかのよう。
俺を信じることをやめ、心と体がようやく一致したのだろう。
野獣のように獰猛。だが、今すぐにでも嚙みついてきそうな彼女を前にしても俺は揺るがない。
先程までの支離滅裂な彼女はいない。その証拠にもう一切の羞恥心を感じない。
(本当にいい目をするようになった。だが…)
(この開き直っている感じが、女捜査官が敵組織のアジトに侵入して敵幹部に捕まる系のアダルトビデオすぎるんだよなあ…)
(この後、快楽に堕ちていくフラグだろ、これ。)
どれだけ怒りを抱えていても、結局は彼女の行く末を決めるのは俺。
選ぶ側と選ばれる側。最初から俺たちは対等じゃない。
「聞き飽きた台詞だな。櫛田。そんな調子なら、俺も堀北も殺せない。当然、退学させることもできない」
「黙れ」
彼女は怒りの飼い方を知らない。乱暴な言葉を吐いているのがそれを物語る。
本当の怒りは内に秘めるものだからだ。
俺は怒りや殺意に支配された人間がもっと恐ろしいものだとよく知っている。
ホワイトルームでは、道徳を養えない。
体の使い方と壊し方だけを詰め込まれた人間が嫉妬に狂えばどうなるのか。
常にトップにいた俺は、身をもって知っている。
そうだな。例をあげるなら、口の中にホッチキスを突っ込んでくるやつとかいたな。
あれ、これ何かの文献で見た記憶あるな…。いや、まあいい。
他には…、あれだ。腕にコンパスの針を躊躇なく振り下ろしてくるやつとか…。
あれ、こっちは身近にもいた気がする…。おいおいもしかして、あいつ同郷か?
しかも、あいつの場合。怒りや殺意とかそんな大層な動機もないのにやってきた気がするぞ。
…あいつのせいで話が逸れた。
結局、櫛田は自分を承認欲求の化け物なんて思っているが、俺から見れば無様で可愛い少女でしかないと言いたいだけだ。
略すならブザかわだな。
「離して欲しいんだったか?」
俺は櫛田の手を何事もなかったかのように離す。力が入ってなかった手がだらんとおりる。
もし、本当に彼女がモラルや常識をも飛び越えてしまうような怒りに心と体が支配されているなら、衝動的に俺には飛びかかってきたはず。
そうじゃないということは、やはり俺の分析通りだったということ。
櫛田の本懐は…。
櫛田は両手を振り上げ、勢いのままに俺の両頬を挟むようにビンタした。
バチンと小気味いい音が浴室全体に反響する。
反響の音が鳴りやまない内に櫛田は強引に俺の唇を奪った。
思えば、何度も体を重ねたが、唇を交わすのは始めてだった。
俺の閉じている口を強引にこじ開けて、彼女の舌が入り込んでくる。
口で呼吸出来ない分、溢れ出す荒い鼻息がお互いに当たる。
鼻先が当たる距離で見開れた目は、櫛田のぐちゃぐちゃの感情が飛び込んでくるようだった。
これは純愛のカップルの始めてのキスのような、目を閉じてする上品なものではない。
雌と雄がお互いを貪りあうような本能的なもの。
だけど、その何割かは本能的じゃない人工的な何かが明確に混ざっている。
(慣れない感覚だ。人を好きになったことなんてないのに、好きになられたことだけは分かってしまう。)
肺活量の限界が来たのか、櫛田が顔を離すとお互いの口を繋ぐ糸が引いていた。
何となくそれに目を取られていると、ゴンっと鈍い音と共に頭に衝撃が走る。
彼女が思いっきり頭突きをしてきたらしい。それ、痛いの自分だぞ…。コンクリを殴っているようなもんだ。
予想通り、キンキンのアイスを丸かじりしたかのように、浴室にしゃがみ込み頭を必死に抱える櫛田。
こいつ…、馬鹿すぎる。なんで自分にもダメージがある方法を選んだんだ。
一件、無茶苦茶な彼女の行動。だが、その心理が俺には分かってしまった。
自分の裸を見られるよりも、櫛田にとっては恋心を見透かされる方が何倍も恥ずかしいのだ。
「可愛いな。お前。」
「~っ、う、うるさいうるさいうるさい。」
櫛田の実力なら、鈴音を退学させるなら簡単だ。手段も方法もいくらでもある。
なら、何故、それが出来なかったのか。
それは彼女が本気じゃなかったからに過ぎない。
鈴音を退学させてしまえば、俺との関係は終わるから。
(まあ、最初は本気だったんだろうけどな)
俺はしゃがみ込む櫛田に手を差し伸べるのではなく、目線を合わせるようにお尻を床に付ける。
随分時間が経っていたようで冷たかった。
俯く彼女の顔を覗くと、若干涙目だった。
頭突きの痛みのせいか、それとも他の理由かは分からない。
慰めようかと一瞬思ったが、何とも絵にならない裸の男女が鏡に映っているのを見て辞めた。
「噂には聞いたことがあったけど都市伝説だと思ってた。」
「…なによ、急に。」
もう、キャラがブレブレだ。口調もおかしい。
急な話を展開した俺を不審に思ってか、櫛田は不思議そうな顔(半泣き)で見てきた。
俺はその顔を逃がさないように櫛田の少し荒れた唇に手を添えた。
「セフレを好きになってしまう女ってほんとにいるんだな。」
一般的に思い描くような恋愛なら、好きになってから事に至るのが普通だろうか。
なら順序が逆になっただけで、好きという感情と行為自体は繋がっているのかもしれない。
「なっっ………。」
櫛田は珍しく顔を赤らめて、さらには言葉を失う。
俺に自分の感情が見透かされていることは分かっているだろうが、ストレートに伝えられるとは思っていなかったのだろう。
「おいおい。照れすぎだろ。ほんとに可愛くなったな。キャラ変か?」
認めたら追い打ちをかけられ、認めなくても追い討ちをかけられる。
何も言えなくなった櫛田は羞恥に染まりプルプルと震えだす。
学校中、探しても櫛田くらいだろう。
体を重ねることよりも、キスをすることよりも、好意を伝えることが何よりも耐え難いなんて。
ある意味、こいつが一番、初心な少女かもしれない。
「さ、触らないで」
「こんなとこにずっといると風邪ひく。」
俺は岩のように動かず固まっている櫛田を後ろから抱えて湯船に入れる。
もう、そこから無理矢理に出る元気もないようで大人しく収まっている。
彼女の冷えた体を触って、当初の目的を思い出した俺はすかさず、櫛田の足が伸びている方に強引に入る。
「ぬるいな」「せまい」
櫛田と全く違う感想が重なる。
自分だけ俺の存在を意識してしまったことに気付いた彼女はまた目を逸らした。
ほんと、別人のようだな。雌の顔というよりは女の顔をしている。
「で、いつから俺のことが好きだったんだ?」
「…しつこい。もうその話しないで」
「やっぱり否定はしないんだな。相当俺に惚れているらしい。」
居心地の悪くなった櫛田は、浴槽から逃げようとする素振りをしたので俺は足をしっかりと掴む。
無理矢理キスをしておいて、否定なんてできるわけがない。
そんな気持ちを俺は全て分かったうえで言っている。それが彼女にとっては悔しくてたまらない。
「はなして」
「櫛田が素直になるならな」
「…ブス。あんた、全部ブス。」
シンプルな悪口がとんでくる。これでも、一年男子イケメンランキング上位なんだがな…。
「でも、好きなんだろ?」
「~~~~あんた、それ恥ずかしくないのっ!?」
もはや、やけくそ気味に叫ぶのもいた仕方ない。彼女にとってはまさに四面楚歌だ。
櫛田がどんな手段で責め立てようと、この技一つ差し替えすだけでパニッシュカウンターだ。
「俺も櫛田が好きだが、それの何が恥ずかしいんだ」
「え?今なんて…」
「俺も櫛田が好きだって言ったんだ。」
「い、いやいやっ。だ、騙されないから。友人としてとか人間としてとかそんな…」
「その分類いるか?まあ、でもそれなら女として好きってのが一番しっくりくるな」
俺の発言をどう受け取ったか知らないが、櫛田は目を合わせられなくなり俯いた。
そして、そのまま勢い良く水面に顔をうちつける。
「○!※□◇#△!○!※□◇#△!○!※□◇#△!」
(冷静ぶるなナルシスト。ちょっとモテるからってイキるな。それ竿モテだしっ!!そもそも部屋で全裸で筋トレって変態すぎ。こないだまで童貞だったくせに!!あの時、蛹から蝶になってたとか言ってたクソゲロキモ中二病のくせに!!!どうせ高校デビューのくせに!!!…)
水の中で発狂する櫛田の言葉は、ブクブクと泡になっていく。
若干のこもりはあるものの普通に聞こえてくる。
てか、これ全然終わらないんだけど、俺への恨み言どれだけ腹の内に溜めてたんだ。
櫛田から俺への気持の配分としては怒り9割・好意1割と言ったところだろう。
ようやく顔を上げた櫛田は薄化粧が中途半端に落ちて、乱れた髪の毛が顔にかかり、口からが水が溢れて正直酷い有様だった。
「好き…ゴッホゴッホ。」
たかが、一割の好意。二文字の言葉。されど、その濃度はあまりにも濃厚。
そのあまりか、色々な犠牲を払ってでたその言葉は肺に入っていた水で咳き込み格好がついていない。
うん。なんだか、残念過ぎるヒロインだ。ほんと、美人でよかったな櫛田。
「なんか言ってよ」
「そうか。ありがとう。」
「そんだけっ!?そ、その、俺も好きだぞ。とかそういうこと言えないわけっ!?」
俺への気持ちが吐き出せたことが功を奏したのか、櫛田の調子がどんどんあがってきたようだ。
「まあ、好きだが、それは女として好きってだけで櫛田とは意味が違うぞ。」
「…ま、まって。それ…」
「ああ。俺は櫛田の体が好きだが。それ以上の意味はないってことだ」
「は、図ったなあああああああああああああああああああああああああああ」
当たって砕けろの精神か、ロケットのような速度で櫛田の頭が俺に飛び込んできた。
学習しないやつだな…。
ゴヅンンンっ。
先程より鈍い音が響いた同時に櫛田は水面にぼちゃんと沈む。
俺は死んだように沈んでいく彼女を慌ててひっくり返して顔を出させる。
水面に浮かぶ二つの上半球が一定のリズムで動いているのを見てホッとする。
良かった。現場証拠的に俺が犯人にされるところだった。
そんな安心と櫛田との関係に一段落がついたことに気付き、疲れがドッとやってくる。
いつの間にか、その疲れに体が支配されて、俺の意識が闇に落ちていった。
この後、二人とも仲良く風邪をひいて学校を揃って休むことになるのだがそれはまた別のお話。
原作読んでなさすぎて、書いてる途中、櫛田ってこんな感じだっけってなった。
でも、よう実の中では群を抜いて櫛田が残念ヒロインだと思っているので、こういうストーリーを書くなら櫛田しかなかった。
悪い、櫛田、俺のために死んでくれ(キャラが死ぬという意味)