綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話 作:ファウストの劫罰
エナジードリンク。通称:魔剤。
『1日に3本以上飲むとカフェイン中毒で死ぬ』
都市伝説めいた噂話。健康的によろしくないのは尤もだが、大袈裟だ。
飲料メーカー敵対企業による陰謀論がいいとこだろう。
俺は缶に記載されているカフェイン含有量になど目もくれず一気に飲み干す。
今朝の1本目とは趣向を変えて、全く知らないメーカーのパワーが漲ると銘打たれたものをチョイスしたが味に大差はないように思えた。
しかし、プラシーボ効果のせいか、心なしか胃が熱い。
こんなもので活力が戻るなら世話はないんだがな。
(…無人島に行きたい。)
この学校の生徒なら、誰一人共感しないであろう話。
そんな脈絡もない願望が顔を出したのは、こんなものに頼ってしまうくらいには体が参っているからだろう。
さんま御殿のゲストに呼ばれたのかと錯覚する程度に厚遇を受けた俺は昼休みにはすっかり疲弊しきっていた。
移動教室の時は、スケールの小さい大名行列のような行進が廊下で行われ。
休み時間には、まるで叩けば増えるビスケットのように俺の鞄の中では個包装された駄菓子が増殖した。
他にも、「綾小路、そんなにあってもいらないだろ。俺にも寄越せ」とか他人の誕プレ乞食してくるガキ大将気取りにダル絡みされたり、「綾小路殿、もひかひて、妹とか姉とかいるでござるか。そうに違いないでござる。拙者の目は誤魔化せなひ。」とよく分からない詮索されたりと散々だ。
ちなみに前者は山内で、後者は外村。
外村に関してはデュフフフだとかデュラララだとかよく分からない奇妙な笑い方してて怖かった。
入学当初、多少は彼の能力を買っていたのだが、あのプールの事件以降、どんどん救いようのない方向に突き進んでいる。
もう二人ともとっくに手遅れだろう。
治療を施せる域を超えている。禿げきった頭にAGA治療が無意味なのと同じだ。
本日の主役の襷を着けて浮足立つ陽キャもキャバクラのサービスと部下の接待で鼻を伸ばす重役も、特殊な訓練を受けているとしか思えない。
すっかり人酔いした俺は、そんな皮肉を胸に、校舎から外れた場所に向かっていた。
そして、これから語る内容はそんなたらればに思考が支配されていたから、としか説明できない。
俺は不俱戴天の敵と言っても過言ではない男に内心をぶちまけていた。世間一般でいう愚痴というやつだ。
「くくっ。お前がこんな陰気臭い場所に来たと思えば、よく喋る口だな。」
「…天下無双の龍園様がこんな場所で煙草じゃなくて、臆病風を吹かせてるんだ。普段通りとはいかないだろ」
「喧嘩を売ってるなら買おうか?」
いつもは喧嘩っ早い龍園にしては煽った俺に優しい対応。
同じ境遇同士、思うところがあるのかもしれない。
何の間違いか。いや、本当に何の間違いか、俺は龍園と一緒に体育倉庫の中のマットの上で共に読書に勤しんでいた。
恋愛ドラマ、ミステリー小説、ヤンキー漫画。そのどのジャンルにも引っ張りだこのロケーション。
共通しているのは、そこが決戦場であるということだ。
例に漏れず、俺と龍園は刀の切っ先を結び合う武士のように火花を散らしあっている。
スケールだけで言えば、上杉謙信VS武田信玄くらいのドリームマッチ。
まさか、そんな戦がこんな辛気臭い体育倉庫で行われようとは誰も思うまい。
ちなみ二人は当時「越後の龍」「甲斐の虎」なんて恐れられていたらしい。
両方、龍園にぴったりの二つ名だ。
…それだと龍園vs龍園になるか。
「怒るなら石崎に怒れ。ここに来る途中にすれ違った時に聞いて回ってたぞ。『泣く子も黙る。笑う子は泣かす。天下無双の龍園様はいませんかー?』ってな。」
もはやネガキャンでしかない。
彼によるとこの目の前のお方はどんな相手でも黙らしてしまうらしい。流石は、「越後の龍」。(笑)
だが、泣く笑うには無縁どころか、そもそもデフォルトで黙りこくってる受動的な俺は例外だ。
龍園の対象から上手く外れて、石崎にヘイト向けることに成功する。
武士の時代、一番恐れられていたのは兵力や個の武力ではない。
知将という名の軍師だ。300の兵力で3000の兵力を覆した話は進学校の生徒なら流石に知っているだろう。
俺はさながら毛利元就の知恵と策略を使い、石崎があることないことしてたと続けざまに龍園に報告した。
敵に情報を売る参謀が最後に生き残る。これが処世術。ライフハックともいう。
「あいつのバカは殺さなきゃ治らんらしい」
「悪気はないんだ、半殺しで勘弁してやれ」
そもそも、龍園は石崎達からのウザ絡みから逃れるためにここにいる。臆病風に吹かれたというのもあながち間違いじゃない。
龍園は『男絡みいらん卍』って感じの辟易とした表情だ。だが、ここでも俺は特例扱いのようだ。
特定の人にだけ優しい俺様系が好みじゃなくてよかった。うっかり惚れてしまってもおかしくなかった。
極論、本当に目障りなのであれば、石崎を殺して山に埋めてしまえばいい。
それをしないのは頭脳明晰な天才よりも何も考えていないバカの方が俺や坂柳のようなタイプにとって有効な武器だと熟知しているから。
だから、龍園は石崎という男をこれからも傍に置くだろう。
すまん、石崎。肋骨の2、3本くらいは覚悟しておいてくれ。
「でもまさか、お前と同じ誕生日だったとはな。偶然か?運命か?」
「頭イカれてんのか?それとも、その小説にそんな設定でもあったか?」
「ない。だが、可能性としては有り得ない話ではないだろ」
誕生日を示し合わせるなんて簡単だ。
倫理的な問題を無視すれば、無理矢理孕ませて無理矢理出産させてしまえばいいだけなのだから。
俺の親ならやりかねない。そして多分、龍園の親も。
「気色の悪いやつだ。お前がDクラスであることを疑問視する奴は見る目がない。狂人。変人。奇人。その他に理由がいるか?」
「お前が言える立場か?それを言うなら坂柳も相当だろ。」
「違うな。お前は俺や坂柳とは一線を画す。例えるなら原子力だ。今は都合のいいように働いているその能力は何かの拍子に有害物質をばらまいて大爆発するだろう。」
「お前や坂柳ではそうはならないと?」
「ああ。ならない。何故なら俺達には意思があるからだ。さっきの続きを話すなら、お前は原子力を携えた人間ではなく、原子力を携えた兵器なんだよ。」
「よく回る口だな。」
俺が意趣返しのように返したその言葉を無視して、龍園は手元の文庫本に目を落とす。
あたかも核心をついたような言葉を言いたい放題して満足したようだ。もう、顔をあげるつもりもないだろう。
それにしても、意外にも本が似合う男だ。
よほど内容が面白いのか薄ら笑いを浮かべている点は不審だが。…エロ本でも読んでるのか?
行動だけあげつらえば、電車でニヤニヤしてるキモイ奴と同じ類。その癖、異様に様になっているのがムカついた。
それは偏見だと言われてみればそれまでだが、筋骨隆々とした体格に小さな文庫本は馬子にも衣裳だと思っていた。
ところが、蓋を開けてみれば、生粋の読書家のひよりと対をなすほど、絵になる男だ。
「くくっ。」
(俺が同席してるの忘れてない?普通に笑ってるんだけど)
俺には龍園が、垢ぬけて化粧を覚えた同棲中の女子が、自分にだけすっぴんを見せてくれたような気持ちになった。
…待て、例えが可愛いすぎるな。いや、俺が内心でほくそ笑む龍園を可愛いと感じていて、つい可愛い比喩が出てしまったとかそういうのではない。それだけは断言しておく。誓って絶対に。
これは、櫛田との同棲生活が始まったせいでしかない。いやぁ、櫛田恐るべし。
体育倉庫の中、俺と龍園のページを捲る音だけが響く。龍園も小説の山場を越えたのか、無言で手を進めるだけ。
(…なんなんだよ、この時間。静かなはずなのに全然落ち着かない。)
もしも、龍園と俺が二人で無人島に行くとこんな風にお互いに干渉しないまま生涯を終えると確信できる。
さっきまで益体のない雑談をしていたのは、やはり似た境遇の者を見つけた喜びを一瞬分かち合っただけ。
粉うことなき、気の迷いだ。
鼓動の脈打つ音がいつもよりはっきり聞こえるのもこの静寂のせいに違いない。
ページを捲る音がぴったり重なった時に、お互いが顔を上げて、凛々しい瞳が重なり『トゥンク』なんて展開は天変地異が起きてもあり得ない。
そう…有り得ない…。絶対に…。
『身長173cm。体重82kg。天秤座。性は龍園。名は翔様。ハッピーバースデー龍園様はいませんか~』
この時間に終止符を打ったのは、ムードという言葉が脳に搭載されぬ不良品のままこの世に生まれ落ちてしまった可哀想な男の声。
内容は聞けたもんじゃない。名が翔様だと翔様様になるだろ。
ハッピーなのはお前だけだ。龍園が二人とか地獄でしかないから。
田舎の生活道路を徘徊する焼き芋の屋台みたいな声量で龍園のプロフィールの布教活動をする石崎がどんどん近づいてくる。
龍園は見せつけるように舌打ちして、体育倉庫を凄まじい勢いで出ていった。
俺としては、自分の身にも近い将来こういうことが起きるのではないかと考えるだけでゾッとした。
龍園を憐れみながらも、誠に遺憾ながら、長い髪を靡かせて駆け出していく彼は時をかける少女のようだった。
…龍園翔。違う世界線なら、きっと時をかける少女として華々しいブレイクをすることもあっただろう。
…はっ。待て、俺は今の一瞬、龍園を女として見なかったか…?
有り得ない。俺の重要な部品の何かが欠落してしまったとしか考えられない。
俺は恐る恐る自分の股関に手を伸ばす。そこには確かに一層立派なものが存在していた。
そして、その存在を認知したと同時に、視界がやけにくっきりと鮮明になっていく。
数秒後には龍園の存在など頭の中からすっかり消えていた。
手元には『策士と奥手の攻防戦』という不思議なタイトルの小説とその上に一つの栞。
栞を本に挟んでいないということは、もう読了したということだ。
…おかしいな。内容がさっぱり思い出せない。
それでも、何となく、もう一度読む気になれなかった俺はそれを図書室に返しに行くことにした。
何の因果か、俺の中で無性に女性に会いたい欲望が膨れ上がっているのを感じた。
――――――――――――――――――――――――
昼休みも残り半分。
「ウギャァァー」
龍園と石崎のあまりに一方的な決戦を横目に俺は図書室へと向かった。
石崎はなんであんなに嬉しそうなんだ。まあ、幸せならそれでOKか。
秋の装飾が散りばめられた図書室に足を踏み入れると、実家のような安心感で満たされる。
だが、それは同時に体内にざわつく違和感を異物として際立たせる。
まるで、いまだかつて例を見ない新しい病魔に侵されてしまったかのよう…。
自分の体が自分のものじゃない。そんな風に感じた。
龍園が俺に言った『原子力』という言葉がリフレインする。
…有害物質を巻き散らして爆発?いやいや、爆発オチだなんて今日日流行らないだろ。何年前のトレンドだよ。
悩み多き男子高校生の一介でしかない俺だ。
正体不明の体調の変化に、こんな日もあるよな、そう開き直るしかなかった。
だが、そんな大病の初期症状のようなものの正体に気付いたのは本を返却BOXに入れたすぐ後のことだった。
太陽の光から隠れるようにして、図書室の端で本を物色している彼女。
無差別な手つきで本を取り、目次やタイトルを見て自分のフィーリングに合うものを探している。
「ひより。」
彼女の名前を呼んだ瞬間、劇的に体内で男性ホルモンが過剰分泌しはじめる。
さっきまでのイライラが、その化けの皮を脱ぎムラムラへと変貌を遂げた。
そして…何かが弾けた。
「あっ。清隆君っ。」
オレの声に気付いたひよりが胸の前で手を合わせて微笑む。
図書室の端っこ。周囲に人の気配はない。
オレはそれをいいことにまるで大型のスライムが人間を一飲みで吞み込んでしまうかのように彼女の全身を強く抱擁した。
ひよりの匂いが鼻腔から脳へ。
ひよりの可愛い声が耳朶をうち脳ヘ。
ひよりのありったけの感触が全身の細胞から脳ヘ。
「会いたかった。」
「き、急に、ど、どうしたのっ!?」
ひよりの一挙手一投足。甘い匂い。優しい声色。エロい体付き。全ての誘惑を余すことなく享受する。
これは、オレを受け入れるために、精緻に造形された器だ。
「そ、その。私としては大変嬉しいのですが……、き、清隆くんッ!?」
白い首筋に唇をあてがうと、甘い匂いに相応しい、甘い味がした。
意地汚く、最後の一滴まで逃さないように吸い尽くす。
「…き、清隆君っ。だめっ……」
毎日のように図書室を利用している文学少女は律儀だ。
この状況でも『図書室では大きな声を出してはいけない』を破らない。
悶え堪えるような姿が、さらに欲望を掻き立てる。
今の状況の説明を直接的な単語を使わずにするなら、こうだろう。
『人生はおっぱいと同じ。吸った揉んだの繰り返し。』
有名なラッパーの言葉が本当なら、オレは今、彼女の人生を弄んでいることになる。
「き、清隆君っ。ほ、ほんとっにだめです……。」
ひよりの力弱い声がオレの欲望の堰を切ってからどれだけの時間が経っただろうか。
もう、今手の中にある感触がどの部分であるかも分からない。
朦朧とした中で認識できたのは、図書室の茶色のマットにできた黒い染みだけだった。
「……っ!!」
突如、お尻に信じられないほどの痛みが走る。
まるでハイヒールの底で思いっきり蹴られたような鋭角な痛み。
手足の自由は奪っているため、ひよりではない。
「さ、坂柳さん…。」
…坂柳だと?なんでここに。
振り返ると杖をこれ見よがしに手入れする坂柳。
その隣には両手につけた数珠を擦り合わせて『悪霊退散悪霊退散』と連呼する森下。
二人の記憶がオレの最後の記憶だった。
――――――――――――――――――――――――
『椎名さん。不随意筋という言葉はご存知ですか?』
『え、えっと。自律神経で動いてる筋肉のことですよね?』
『ご名答。流石は綾小路君が選んだ相手。博識ですね。』
『え、選んだ?…どういうことですか?それにさっきの話は今の話とどう言う関係が…』
『ふふ。疑問が絶えませんね。ですが、その好奇心が制御できない様子も綾小路君が惹かれた理由の1つかもしれませんね。』
『…??』
『さて、森下さんそれでは綾小路君が起きる前にお暇しましょうか。プレゼントも無事、渡せましたし…、何をされてるんですか?』
『実験です。今後の参考にしたいので。ですが、それももう終わりです。起きてきましたから』
――――――――――――――――――――――――
海の底にいた。
だが、沈んでいくのではなく、少しずつ浮上している。
差し込む太陽の光と異言語のように聞こえる声。
そして、執拗なまでに小突かれている感触。
つんつんではなく、つんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつん…………
「綾小路君。お身体の調子はどうですか?」
…近い。俺の視界が覗き込む坂柳の顔で占領される。
毛穴一つなく、目鼻のパーツが整った美顔。
表情にはおくびにも出さないが、綺麗だと素直に思った。
横目には必死に森下を引っ張っているひよりがいた。
まるで、アイドルの握手会で厄介客を弾く警備員。
ひよりが顔を真っ赤にしているのも珍しい。森下、一体何をしたんだ。
体の痛みに気付き、坂柳の言葉を思い出す。
…お尻が痛い。こいつ、筋肉の部分を避けて的確に狙いを定めてきたな…。
「最悪だな。誰かさんのせいで。」
「…なるほど。記憶が残るタイプでしたか。」
都合の良い酔っ払いのように、綺麗さっぱり記憶消せればどれだけ良かったか。
俺は真っ先にすべきことをすべく、すぐに立ち上がる。
「ひより。」
「…は、は、はいっ!」
肛門付近に響く痛みを噛み殺しながら、俺はひよりの元へと向かう。
森下が物知り顔で『ほぉ…』なんて言ってるが今は無視だ。
彼女が何故ここにいるかも見当がつかないが、彼女の行動は意味を伴わないことが大半。考えるだけ無駄だ。
「すまなかった。本当に悪いことをしたと思ってる。」
「……わ、わたしは……」
頭を深く下げて、誠心誠意謝る。
恥ずかしさと驚きが入り混じった表情と喉で突っかかったようにでない声。
俺がしたことを考えれば、冷静沈着の彼女が吃るのも仕方ない。
何が、『おっぱいは人生だ』だ。くたばれ。
「…わ、私はだ、大丈夫ですから。ほ、ほんとに。あ、清隆こそ、大丈夫ですか……そ、それ……。」
ようやく紡ぐことができた言葉。
ひよりの気持ちは百も承知だ。優しい彼女なら、許してくれると分かっていた。
だが、今回ばかりはそれに甘えて、『ありがとう』の一言で済ますわけにはいかない。
俺は頭を下げたまま言葉を続けた。
「それでは俺が納得できない。自己満足の罪滅ぼしになってしまうが、俺にできることなら何でもする。ひよりの好きにしてくれ」
慣れない謝罪。下手くそな言葉。
だけだ、真摯さを伝えるために態度で尽くすしかない。
深く下げた頭を恐る恐るの手つきで起こしてくれたひよりにはそれがどうにか伝わったようだ。
そして、ひよりが何かを俺に恥ずかしそうに伝えようとした瞬間、5限目の予鈴が図書室に響き渡る。
「あら、もうこんな時間ですか。」
チャイムの音を追って、思わず天井のスピーカーを見上げてしまうのは学生の性というものだろう。
だが、それは俺と坂柳だけだったようだ。
ひより、森下、2人は何故か目を離せないかのように俺を見ていた。
いや、正確には俺のある一点を。
…というか、一点物の俺を。
「き、清隆君。そ、それ…」
「悪霊退散。悪霊退散。鎮まれ〜。鎮まれ〜。」
その事象に俺が気付いた途端に恥ずかしそうに目を伏せるひよりと大幣を取り出して、俺の一点に目掛けて振り翳してくる森下。
…森下、それは逆効果だ。
別にこれには邪気が篭ってるいるわけでもなく、血液の循環が活発なだけ。
こいつは、神道の前に一般常識ついて勉強したほうがいいだろう。
…俺の脳はそんな余計な思考にリソースを割く。
最初から、この状況を打破する方法を考えることすら諦めていた。詰みでしょ、これ。
「き、清隆君。そ、それ苦しいですよね。何とかしたほうが…」
「南無阿弥陀〜。南無阿弥陀〜。」
「いや、苦しくはないが……。」
別にこれ爆発したりしないからね。
…え、まさか、龍園が原子力って言ってきたのこれのことじゃないよな…。
ちなみに森下に関してはもうフル無視を決め込んでいる。
「全く困った人ですね。綾小路君は。」
森下の大幣を杖で叩くように払い除けて、坂柳は俺と対面する。
二人とは違い、いつもと変わらない坂柳がそこにはいた。
「さ、坂柳さん。ど、どうするんですか…?」
「愚問ですね。解放して差し上げるしかないでしょう。」
普段から、人が死ぬ本や性描写の激しい本をを読んでいる割には察しの悪い人ですね。そんな皮肉まで言う余裕がある坂柳。
だが、ひよりにとってそんな皮肉よりも解放に至る手段の方が重要だ。
「ま、待ってください!」
「貴方も困った人です。時間の猶予が無いのは理解してますか?要件は手短にお願いします。」
「わ、私がやります。そ、その、そうなった責任は私にもある…の、で……。」
おかしな展開になってきた。そう思わずにはいられない。
だが、ひよりは茹で上がったように真っ赤な顔だが、その顔付きは真剣そのもので、突っ込みも入れづらい。
しかし、坂柳にとってはそうではなかったらしい。
「節操がないですよ。ひよりさん。まさか、今ここで手淫や口淫の類を行うつもりですか?さらに言うなら、ド素人のそれでは、射精に至る頃には5限目が終わってるでしょう。」
見た目は清楚なお嬢様風。
坂柳の口から出た言葉はその容姿に逆行するような下品な言葉の羅列。
生娘のひよりが言葉を失うには十分すぎた。
「……で、でも、じゃあどうやって…。」
「先程も言ったでしょう。不随意筋ですよ。」
小説を嗜むなら伏線や布石の回収くらいはして欲しいものです。
坂柳が呆れるように呟いたのは、どこか耳馴染みのある話だった。不随意筋……?どこかで…。
だが俺の脳がその話の処理をする前に、坂柳は右手を本棚について、俺に杖を向けてきた。
…その杖、嫌な思い出しかないんですけど……。
「ご覚悟を。」
春麗の百烈脚ばりのスピードで坂柳の杖が俺の全身の筋肉
を殴打していく。
それを受けるために俺の筋肉は条件反射で力が込められる。
一箇所に込められていた筋力が分散するかのように…。
「とった!!!悪霊とった!!!」
まっくろくろすけでも捕まえたかのように森下が手をパンと合わせた時には、俺のそれも鎮静化されていた。
……あいつには何が見えてるんだろうか。
ここまで重症だと不思議ちゃんとかで片付けられない。
「綾小路君。何か言うことは?」
「ああ。ありが…。いやお礼を言うのも変だな。今度、何か返させてくれ。」
「ふふ。楽しみにしてますね。ですが、これに懲りたら、精力剤なんて物には頼らない事です」
……精力剤だと?
まさか、俺が買ったよく分からないメーカーのエナドリって……、なんで学校の売店に精力剤売ってんだよ…。
売店にそんなものが売られているとは夢にも思っていなかったので、俺は購入の際に人目は特に気にしてなかった。精々、Dクラスの連中がいないことを確認してたくらいだ。
坂柳がそれを知っていたということは、Aクラスの誰かがそれを目撃してたのだろう。
「それと遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。綾小路君。ささやかですが、ポケットにプレゼントを入れておきました。後で確認しておいてくださいね。」
坂柳はそれだけ言い残して、森下を引き連れて図書室を去っていった。
図書室には俯いたままのひよりと全身がまだヒリヒリとする俺だけが残される。
彼女の複雑な心境は重々承知だが、もう残された時間はあまりにも短い。
「ひより、俺達も戻らないと間に合わなくなる」
「……………はい。」
何かを言いたげな彼女だが、今は丁々発止の論争を繰り広げる余裕はない。
横並びで小走りで廊下を駆け抜けていく。
授業開始2分前といったところでCクラスの教室が見える。彼女が教室に入る前に俺は声をかけた。
「ひより。本当に色々とごめん。あと、これを伝えるのが正しいのか分からないが、さっきは嬉しかった。」
我ながら不器用な言葉だ。
先の謝罪もそうだったが、ひよりと話す時、何故か言葉が纏まらない。
ひよりは俺の言葉を聞いて、振り返った。
図書室からここまで一度も合わなかった彼女の目は、どこか不安の色を帯びていた。
「こっちに来てください。」
「あ、ああ。」
不安でいっぱいの目だが、その奥には揺らがない確かな芯がある。
それは、俺への好意。不変の感情だ。
手招きされるがままに、俺がひよりの身長に合わせて少し屈むと耳元に口を寄せてくる。
「覚えておいてください。今度は私の番ですから。」
「…怖いな。少しは手加減してくれよ…。」
ひよりは俺の戸惑い混じりの言葉に悪魔的微笑を浮かべる。
怖い半分。可愛い半分が率直な感想だ。
ひよりはそのまま、俺のシャツの第一ボタンを外して首筋を露出させた。
そして、唇を舐めた矢先、吸い付くような口付けをしてきた。
時間にすれば僅か5秒にも満たないそれは長く長く感じた。
「これは予約です。これが消える前にお願いしますね。」
仕上げのように甘噛みした後、しなやかな手つきでシャツのボタンを閉めてくれる。
そして、ひよりは自分の首筋を指してとどめとばかりに、
「ふふ。お揃いですねっ。」
「…勘弁してくれ。」
前屈みで教室に入る羽目になったらどうしてくれる気だ。
俺に上手を取ったことに満足したひよりは教室の中に消えていく。
シャツの影に隠れた首筋の少し赤みがかった肌がとても美しかった。
ずっと書きたかった綾小路清隆のバックボーンと裏設定について少し触れているお話。
原作の綾小路清隆が知っている方なら、彼がこんなにも性欲に塗れた人間ではないと知っているはず。
オリジナル設定ですが、彼が性欲の化け物である点と複数の女性に拘っている点にも理由がありますのでそこもお楽しみいただければ幸いです。
原作よりも坂柳はホワイトルームについて詳しい設定です。