綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話   作:ファウストの劫罰

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#74 ホリキタ✖️クシダ

 

 

「物言わぬは腹ふくるるわざなりって知ってるか?」

「公式設定がIKZOで有名な吉幾三って人のポエム日記でしょ」

「大胆すぎる吉違いに要らない予備情報を足すな。というか、流石にその愛称は非公式だと思いたい」

 

照明を落としたことで光を失った一室。

右隣の櫛田から嬉々としながら冗談めかした声が聞こえるが表情は窺えない。

これで案外こいつは真顔だったりするんだよな。ポーカーフェイスと言い張って四六時中真顔で過ごしてる俺が言うのも何だが。

 

視覚情報から彼女の感情を読み取るのを諦めると途端に押し付けられている柔らかい体に意識がいく。

 

シングルベットで3人寝るのはやはりどう考えても無茶だった。

二郎ラーメン全部マシくらいの欲張りだ。

器からはみ出る具材のようにに左隣にいる鈴音は今にもベットから落ちそうになっている。

 

「貴方、見かけによらず文系よね。悪口のラインナップが豊富すぎるもの」

「そういう堀北さんは文学少女の成りしてる割に、人の気持ちが分からないよね?何でか教えてあげようか?」

 

筆者の主張を述べよのノリで櫛田の感情をあてられるわけがない。

それは言うなれば、キキョーの定理として後世の研究者を300年に渡って苦しめる奇問に近い。

 

「だって堀北さん友達いないもん。IKZOも言ってたよ?よき友には3つありってね。でも、堀北さんには1つもないねっ」

「貴方もその表裏の激しい性格で本当の意味で友達がいるのか懐疑的ね」

「表裏が激しいって分かってるなら、ちゃんと言葉の裏まで読んでよ。友達がいないって言ったのは友達付き合いをしてないって意味だよ」

 

櫛田の理論では人の気持ちを理解できないのは、友達付き合いをしていないから。

鈴音の本当の友達がいるのかという返しは、的外れになった。…完全に後出しだ。

 

徒然草の冒頭のように、この暗闇を硯に見立てて心の内で思っては消してしまう些細なことまで話し合って欲しい。

そんなささやかな願いを込めて言ったんだが、荒れに荒れてきた。

 

「本当にそうかしら?愛想を振る舞って友達付き合いに精を出している貴方が、そこの彼の気持ちが分かっているとは思えないんだけれど?」

 

そして、その嵐の被災地は俺だった。

 

「…どういう意味かな?」

「あら?私は貴方と違って文学の才に秀でていないから額面通りに受け取って構わないわよ?」

 

銅40g、亜鉛25g、ニッケル15g、皮肉1500gで構成された鈴音の言葉を受けて、櫛田が俺の体を強く締め付ける。

今しがた、櫛田の体内のカルシウムが負のエネルギーに変換されて、体重は0.5kgほど減ったことだろう。

脂肪ではなくミネラルを燃焼させるとは斬新なボディメイクだ。彼女の美貌の秘訣を垣間見た。

 

「…ここまで言っても分からないの?仕方ないわね。綾小路君が呆れて言葉も出せないようだから代弁してあげるわ」

 

鈴音は櫛田が黙っていることをどう解釈したのかそんなことを言い始めた。

櫛田は黙ってたんじゃなくて鈴音が黙らせただけだというのに。

 

「彼はこう思ってるわ。貴方の贅肉に纏わりつかれるくらいなら、パック詰めされてる100g40円の鶏胸肉と一緒に冷凍されてる方がよっぽど快眠できるとね」

 

生きたままの人間を氷点下で保存しようとするな。それは永眠だ。

 

「…それのどこが額面通りなのよ」

「あら、私に文才があると言うことかしら?貴方に誉められてもいい気はしないけれどお礼は言っておくわ。ありがとう」

「…その減らない口が災いを生んでることに気付いてる?さっきのって要は『私の好きな綾小路君に離れて』って意味でしょ?あんたって長文で告白するタイプでしょ」

 

櫛田のその言葉にピクっと鈴音が身動ぎしたのが分かる。

そういえばどっかのダンジョンのモンスターの二つ名みたいな言葉を向けられたこともあった。

 

鈴音の皮肉は櫛田によって剥がされ、隠していた照れと言う名の骨が顔を出す。

そして、その骨を折る勢いで櫛田は追撃を重ねた。

 

「お生憎様…いや、ご愁傷様?知らないんだろうけど綾小路君は私の贅肉が大好きなんだよ。吸いも甘いも経験済みなの」

 

おい、自称文系よ。酸いの漢字が間違ってる気がするぞ?

 

「………綾小路君、それは本当?」

 

長い沈黙の後、言葉は紡がれる。

光一つない暗闇で映す光はないはずなのに目がギラリと光っているような気がした。

 

「鈴音」

 

「おっぱいが嫌いな男はいない」

 

俺は無駄に溜めてこの世の真理を口にした。

国の長にすら中々首を縦に振らないイーロンマスクやスティーブジョブズもこれには頷かざるを得ない。

 

「はぁ…ほんと…。男って…」

「うわ、もしかして『馬鹿だ』とか言うつもり?そんなの女も男も変わらないでしょ」

 

鈴音の呆れるような息遣いを櫛田がすぐさまシャットダウンする。

 

「少なくとも私はその類じゃないわね」

「うわ〜。拗らせすぎ。世のカップルを妬む典型的な奴じゃんそれ。そんなの好きな男に素直にアピールできないヘタレ女の言い訳でしょ」

「彼氏の一人も作ったことのない分際でよくそこまで独身を見下す既婚者の価値観を育めるものね。将来、離婚調停中に浮気しそう」

 

言葉の空中戦が止まらない。

彼女達の間にいるはずなのに俺は蚊帳の外。もはや議論がどこに進行しているかも分からない。

さながら天下一武道会を見に来た客の気分だった。

 

「堀北さんうるさっ」

「櫛田さん姦しいわよ」

 

彼女達の言い合いはシンプルな悪口にまで発展した。

そしてそこでも、堀北は無駄な語彙力を発揮する。

姦しいとはうるさいの更に一段上を行く、次世代を担う言葉として全鈴音から期待が集まっている。

 

完全に言い負かされた櫛田の歯の軋む音が聞こえた。

 

それが白旗をあげたという意味で終戦していればどれだけ平和的解決だったか。

残念なことに、第二ラウンド開始のゴングだったのだ。

 

「…はいはい。そんな清楚ぶっても部屋では一人で○○○ーしてる癖に。違う?」

 

「…」

 

耳を疑うような櫛田の発言に今まで威勢よく全て跳ね返していた鈴音が押し黙った。

否定も肯定もしないことが嫌にリアルだ。

 

…腹黒の櫛田に腹の内を晒け出すように諭したらこうなることは分かってただろ。誰だよそんなことしたやつ。

 

「あれ?堀北さん生きてるー?週に何回やってるか教えてよ〜?」

 

容赦も遠慮も節度もないダメ押し。

それはExcelにおけるセル統合、プログラムにおける全角スペースくらいタブーなもの。

それでいて足立区の砂利を港区に巻くような、被災地に千羽鶴を送りつけるような、そんなリスペクトに欠いたものだった。

 

俺はもう仏となりそんなどうでもいい悟りを開くことしかできなかった。

 

櫛田は完全に石のように固まった俺を器用に乗り越えて、位置を入れ替える。

そして、俺と同じく無言で押し黙っている鈴音を無理矢理抱き寄せて力強く頭を撫で始めた。

 

「よしよし。堀北さん。大丈夫だよ。博識な堀北さんなら既知だろうけど猿でも自慰行為するんだってさ。あっ、それだと堀北さんが嫌うお猿さんのお仲間になっちゃうかなっ」

 

鈴音には武道の心得がある。

追記するべきはこの事実だけで十分だろう。

 

刺されても文句は言えないくらいのことを櫛田はしてしまったのだ。

 

ドサッ。

何かがベットから落ちた音が聞こえたと共に少しベッドが広くなった気がする。

 

せめてもの報い。立派なお墓を特注しておいてやろう…。

 

「正当防衛。綾小路君、一部始終を見ていた貴方ならそう証言してくれるわよね?」

 

正当防衛とは急迫不正の侵害に対して権利を防衛するための止むを得ない行為。

ある意味、それにばっちり当てはまっているな…。

 

「証言して欲しいのか?」

「ええ。…私を選んで欲しいわ」

 

これが裁判紛いの案件になるとは到底思えないが、これは要は櫛田側につくか堀北側につくかという問い。

 

「正確な証言には事実の確認が不可欠だ。要は鈴音の主張する権利がどういう風に侵害されたのかを話してもらう必要がある」

 

目が暗闇に慣れてきてぼんやりとだが周りが見えるようになってきた。

人一人分空いたスペースを鈴音はジリジリと詰めてきて、俺の胸板に手を添える。

 

「…いじわる」

 

櫛田の前では身を潜めていた殊勝なまでの素直さが顔を出す。

彼女の熱を帯びた吐息が首筋に当たる。

 

「鈴音」

 

「エロい女が嫌いな男はいない」

 

一括り出来ないほどエロスというものは広義的だ。

だが、そのどれもが生理的に受け付けないという男がいるなら会ってみたいものだ。

 

俺の本日二度目の格言。

胸板を撫でる鈴音の手がその質感をゆっくり確認していくように這う。

 

「櫛田さんを拒んでいない時点でそんなの知ってるわよ」

「鈴音の中の櫛田像が気になるところだな」

エロいで片付けられるほど櫛田は単純な女じゃないからな。

 

「そうね…。正統派痴女ってところかしら」

「かけ離れた単語のように思えるな」

「他人事じゃないわよ?その彼女は貴方が作ったのだから。半年前までの彼女とはもうまるで別人よ」

「それは表の櫛田と比べてだろ?櫛田の本性は元々ああだったんだ」

「他責志向ね。」

 

鈴音の手が止まり、俺の胸板からゆっくりと離れていく。

 

「彼女は色情じゃなく貴方に溺れているわ」

 

だから、正統派痴女か。

俺としては櫛田が正統派であってたまるかと言いたいところだが…。

 

「もうここ最近ずっと。彼女から向けられていた殺意や憎悪と言った類の感情は感じられない」

「だろうな。今や櫛田が持つエネルギー全ては俺に向いている」

「…それは私のため?」

 

櫛田のためであり鈴音のためでもある。

だがそれ以上に、

 

「俺のためだ」

 

俺は誰の肩も持たない。

無派閥の人間の根幹は自分本位だ。

 

「…自惚れてたわ。櫛田さんの言う通り、私も馬鹿ね」

「人間には馬鹿になる瞬間ってのが必要だ。矛盾しているようだが、真面目で塗り固めた人生ってある意味嘘だと思う」

 

自分の本心を真面目と言う名前の嘘で上塗りするくらいなら不良の方がよほど健全だ。

 

「我慢する必要はないんだ」

「…いいのかしら?Dクラス最後の砦の私も馬鹿の仲間入りをすれば待っているのは崩壊よ」

「いや、そこは塩梅良くやってくれよ…」

「それはそうね…」

 

弱くなった言葉尻を埋めるように俺の背中に彼女の腕が回される。

俺は優しく抱き返すことでそれに答えた。

 

「頭を撫でて」

「ああ」

 

俺はあの時のように黒髪に指を通して梳く。

櫛田が散らかした髪を丁寧に整えていく。

 

「そのままキスして」

「お安い御用だ」

 

ぼんやりとしか見えてない彼女の唇に確実にピントを合わす。

櫛田との舌戦により、唇は乾いていた。

それをゆっくりと時間をかけて湿らしていく。

 

「…こ、このまま…する?」

 

鈴音の心臓の高鳴りが胸越しに伝わる。

彼女の熱が俺を求めていることを自覚させる。

 

「このっ、ヘタレがぁぁぁっ!!」

 

鈴音の後ろからゆらりと立ち上がった影は、俺から鈴音をいとも簡単に引き剥がした。

…復活する度に強くなるサイヤ人のように元気だ。

 

「最後の最後でなんで相手に主導権渡してんの!?何で疑問系なの!?いや、そうでなくても絶対邪魔してたけどっっ!!!!!!!!」

 

櫛田は鈴音を踏み超えて、俺と鈴音の間にズカズカと割り込んでくる。

布団の隙間を見つけて潜り込んでくる犬かこいつ。

 

「…いつから聞いていたの。」

「全部だけど!?誰かさんが中途半端に急所外してくれたおかげで気絶してたんじゃなくて、絶妙な痛みに悶絶してただけですけど!?」

「…私の腕も鈍ってるわね」

「図星つかれたからってすぐ手を出すな!謝れっ!足舐めて土下座しろ!」

「嫌よ、貴方それで興奮しそうだもの」

「は〜?今さっきまで、盛ってた雌に言われたくないですけど〜?大丈夫?下着変えてきた方がいいんじゃない?」

「……」

 

全く。姦しいとはこの状況の事を言うんじゃないだろうか?

 

「うわ、黙っちゃった?まさか図星?」

「ああ、ごめんなさい。好きな人にキスされたことを思い出してたの。それで何か言ったかしら?」

「〜〜〜ッッ‼︎あんたが我慢する必要はないとか言っちゃったからこいつ完全に調子乗っちゃったんだけどっ!!」

「腹を割った話し合いが出来て何よりだな。めでたしめでたし。じゃ、おやすみ」

「ちょっと待てぇ!!」

 

クラスに一人はいる芸人の物真似をするおもんない奴みたいなノリで俺に景気良くツッコミを入れる櫛田。

ほんとうるさいな、こいつ。

 

「櫛田さんの言う通りね。腹を割ったのは私と櫛田さんだけだもの」

「そうだよ!まだ、この女が週に21回致すって事を暴露しただけじゃん!」

「そんなにしないわよバカ」

「ふーん。なるほどなるほど」

 

体が火照っているだけでなく、頭まで完全に茹で上がっていた鈴音は櫛田の罠にまんまと引っ掛かかった。

冷静じゃなかったのは櫛田だけではなかったようだ。なんなら、櫛田の方がまだ冷静。

 

「仕方ないな。鈴音に免じて大出血サービスだ。俺が寝落ちするまで質問に答えてやる」

 

俺は壁側に体を向けて、彼女達に背を向けて完全に寝る姿勢に入る。

明日は折角の休日だ。映画にでも興じる予定なのだ。

  

「じゃ、私から。」

 

そう言うや否や、櫛田が背中から抱きついてくる。

鈴音と俺とのやり取りを見てたからなのか、鈴音を捲し立ててアドレナリンが溢れてるのか。どちらにせよ、体が異常なほど熱い。

 

「ヘタレって言ったのは別に堀北のことだけじゃないんだけど?」

 

…開口一番出てきたのは、質問と呼べるものかは分からないもの。

だが、俺には意図が伝わってしまった。

 

「月が満ちたら収穫するつもりだ。ホルモンバランス整えとけ」

「…は、ちょ、あんた何言ってんの!?」

「冗談だ」

 

やっぱり櫛田、若干スピってるな…。

満月の日に関わる性のオカルトを絡めた途端にこの動揺。

スピリチュアルやねとか関西訛りで言い始めたら、西成区に捨てに行こう。

 

「じゃあ次は鈴音だ」

「そうね…。では改めて聞くわ。貴方の目的は何?」

 

抽象的だが、無人島試験の時と同じ質問。

あの時はまだ教えないと言ったんだったな。

 

鈴音には教えてやってもいいが、問題は櫛田だ。

抱きつかれたまま振り返ると、まだ動揺の最中にいる櫛田と目が合った。

想像妊娠でもしたのか?と問いたくなるほど目が泳いでいた。

 

「櫛田、目を閉じろ」

「ぇ、で、でも、まだ月が…」

 

グダグダ言ってる櫛田の口に手を当てて強引に黙らせる。

俺の勢いに負けて目を閉じたところで、櫛田の両耳に手を当てて聴覚を封じた。

 

「分かってると思うが聞くなら、全面的に協力してもらう」

 

「俺の目的は気に入った女を全部自分の物にすることだ」

 

鈴音が理解出来ないことを考慮して、ハーレムと表現するのは避けた。

 

そして、俺は鈴音に反論させないために櫛田の聴覚を解放する。

俺の外殻を掴み始めている今でさえSNSを管理してくる櫛田だ。この話を聞けばどうなるかは分からない。

 

そして、全面的に協力することを取り付けているので、鈴音は必然的に言葉を返せない。

 

俺は櫛田に違和感を持たせないために、指で彼女の唇の輪郭をなぞる。

 

「櫛田、次はお前の番だぞ」

「……キスして」

「バカ、質問のことだ」

 

俺は上体を少し起こして、彼女の顔をベットに押し付けるようにして唇を奪う。

征服欲や支配欲なんてものは俺にはないが、彼女にはある。

それを満たすような少し乱暴なキスだった。

 

「……終わったようね。なら、次は私の質問…」

「悪いが深刻な赤血球不足だ。ない袖は触れない」

 

質問タイムの趣旨が変わりそうだったので、俺は強引に流れを切った。

 

そして俺は再び壁と向かい合わせになって狸寝入りを決め込み、この夜を乗り越えた。

 

鈴音が俺に対してする質問など最初から分かっていた。

俺の目的を伝えて、鈴音を強制的に巻き込んだのは俺が考えるプランの最後の一押しに鈴音が必要だったからだ。

 

橘茜が卒業するまで残り4ヶ月。

残された時間は余りにも少ない。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

昨日、完全に寝静まったのは夜中の2時や3時だろうか。

二人がずっと小突き合っている中、少しの物音で起きてしまう俺が眠れるわけもなく彼女達が寝息を立てるまで結局横になっていただけだった。

 

朝6時半。休日の土曜日にしては健康的すぎる起床。

…この睡眠時間だと、映画の最中で寝てしまいそうだな。

 

眠気を払って布団を抜け出すと鈴音が目を擦りながら俺を見ていた。

 

「どこに行くの?」

「トイレだ。まさかついてきたいとは言わないだろ?」

「…随分難産になりそうね。貴方が私にそれを見届けて欲しいと言うなら、ついていくけれど?」

 

私服姿の俺を見て、行く先がトイレじゃないことは寝ぼけていても分かったのだろう。

俺が俺の目的の為に動いている事を見透かして、助力を申し出てきた。

 

「そうだな。鈴音には大一番の仕事を任せる。ベビーシッターの業務だ。お前の横で寝てる大きい赤ちゃんは泣き癖が酷いんだ。あやしてやってくれ」

「…黙っていれば可愛いという点以外に赤子との共通点が見当たらないわね」

「手のかかると言う点も追加しておこう。じゃ、任せた」

「……いってらっしゃい」

 

鈴音の新婚さんみたいな挨拶に見送られて、俺は部屋を出て行く。

 

11月。長閑な秋模様と心地良い気温。

 

ホワイトルームは治外法権だ。日本だが春夏秋冬は訪れない。

この学校にいれば当たり前に巡り巡る季節と出会いは、俺にとって当たり前ではない。

 

だからこそ、一つも取りこぼさないように立ち回る必要がある。

 

「待ち合わせ15分前。中々、常識人じゃないか。マナーのガイドラインでも熟読してきたかな?」

「…そうですね。もし、鬼龍院先輩が先に待っていなかったら開口一番に服をベタ褒めする余裕はありました」

「ホストの心得とアパレル店員の殺し文句まで予習してきているとは御見逸れした。用意周到だな君も」

「というと?」

「これだ」

 

鬼龍院先輩は後ろ手に隠していた缶コーヒーを俺の頬に当ててきた。

新入社員を労わる美人上司みたいな立ち回りだが、それを真正面から向き合った状態でする人はいないんだよ…。

 

「ブラックは嫌いだったかな?」

「いえ、むしろ好みです」

「そうか。2択を当てれて良かったよ」

「へぇ…。ちなみにどんな2択ですか?」

「人生は苦いんだから珈琲くらいは甘くていいなんて戯言を抜かす怠け者か人生が甘すぎるあまり珈琲に刺激を求める怠け者かだ」

「どっちも怠け者じゃないですか」

「悲しいかな。日本人の性だね」

 

ニヒルに笑いながら鬼龍院先輩はそう結論付けて、とろけると銘打たれたカフェオレをプシュと開けた。

…彼女は刺激を求めているらしい。

 

鬼龍院先輩はショルダースリッドのホワイトシャツに茶色を基調としたツイードジャケットをだるく着こなし、それをカジュアルパンツで引きしめて纏めたコーデだ。

 

先輩の装いを褒めるというのも失礼な気がして口にはしないが非常に似合っている。だが…。

 

「ファッションにあまり興味のなさそうなものだが、茶色の髪色を意識したブラウンのパンツとベージュのパーカー。秋の季節感を取り入れているね。non-noも読んできたのかな?」

 

…気付いていないのか?

待ち合わせ場所で彼女の装いを見た瞬間から気付いてる俺は愉快そうに俺を吟味する鬼龍院先輩に苦笑いを返すしかなかった。

 

第三者が見ればペアルックをしてるカップルもしくは仲のいい兄弟の双子コーデか。

俺達が当て嵌まるのは前者だ。

 

「嫌かい?私とお揃いというのは」

「…気付いていたんですか」

「ああ。むしろ狙っていた。君の趣向に合わせてみたのだ。君ならトレンドに入っていてかつ無難なファッションに身を包むだろうとな」

 

…そして、それは大当たりだったと。

嬉しそうに俺のファッションを批評するわけだ。

 

「どうだい?いっそ腕でも組んで歩くかい?」

「魅力的な提案ですがお断りします。偶然ファッションが被ったと言い訳できなくなりますので」

「そうか。それは残念だな」

 

心にもない事を言いながら、カフェオレを一気にあおって豪快に喉に流し込む。

ロードレーサーの水分補給みたいにカフェオレを飲む人いるんだな。将来酒豪になりそうだ。

 

「さてと映画を見るまでにまだだいぶ時間がある。コメダにでも行くかい?」

「カフェインとアルコールを混同してませんか。珈琲をハシゴする人はその手のものしかいませんよ」

 

スタバならまだ分からなくもないが、コメダは珈琲店としては正統派だ。

 

「むっ。なら君にはコメダ珈琲を越える喫茶店を出せると言うんだね?シロノワールに勝る代案があるというんだね?いいかい?否定するだけなら生徒会長にだって出来るぞ?」

「何で喫茶店限定なんですか…。そして、相変わらずの南雲嫌いですね」

「必然だよ。だから、彼を大人しくさせた君には一目置いてるんだ。私を失望させてくれるなよ?」

 

南雲政権は衰退の一途を辿っている。

一之瀬に2000万支払った直後だ。

処分が下されればそれを取り消す資金はもうない。

 

真っ当に学園生活を送ることしか、今彼にできる事はないのだ。

 

「そうですね。なら、鬼ごっこと言うのはどうでしょう」

「…なるほど。それは楽しそうだ。ハイヒールを履いてこなくてよかった」

「それ以上身長を盛ると、低身長男子の立場がないですよ」

 

俺が冗談を言っていない事を即座に先輩は察してくれた。

人の目を気にしない過ごし方をしてる先輩だ。このねっとりと絡みつくような視線には気付いていない。

 

「先輩。腕を組むと言うのは無しですが、手は繋ぎましょうか」

「可愛い後輩の頼みだ。リードは頼んだよ?」

 

差し出された先輩の手を掴み、ケヤキモールへと入店する。

後方約65m。高級感のあるスーツに黒のサングラス。

 

この学校の敷地内にいるには不自然すぎる格好。

扮装しないのも、隠す気がない尾行なのも、俺に対して意味がない事を熟知していて開き直っているからだ。

 

むしろ、俺にその存在を気付かせて危機感を煽っていると思っていい。

 

「目線は前のまま聞いてください。後方65mの淡いスーツを着た男。彼が鬼です」

「後ろに目でもついてるのか?君は。…それで、捕まったらどうなるのかな?」

「俺と先輩の映画デートは無期限延期でしょうね」

「客に変な期待を持たせるのは辞めて欲しいものだ。中止と言っているようなものじゃないか」

 

…親父が動くのには遅すぎたくらいだ。

茶柱先生の脅しはなまじ嘘ではなかったと言うこと。

しかし、俺を引きずってでも連れ戻そうという意思はない。

政府の息がかかった敷地内で強引な手段は取れないのが丸分かりだ。

 

「ふぅ、何とか逃げ切れたかな?」

「…とりあえずはと言ったところですね」

 

エスカレーター、エレベーターを駆使して追手を撒いて、ケヤキモールの外に設置されている共同トイレに逃げ込むことに成功する。

まさに袋の鼠。俺の能力を知った人間が俺が逃げ込む場所としてここを選ぶとは夢にも思わないだろう。

 

「鬼龍院先輩がいなきゃこの発想は無かったですよ」

「君は安定思考だ。それは一か八かなんて手段を取る必要がないほどの能力が備わってる所以のものだ。特別だよそれは。誇るといい」

「先輩に褒められると変な気持ちになりますね」

「変な気持ちを持つのは結構だが、変な気を起こすのはやめてくれよ?この状況は確かに特殊で背徳感のあるものだが…」

 

…そう言われると途端に悪い事をしてる気分になってきた。

いや、利用頻度が少ないトイレとはいえ独占してる事は紛れもなく悪い事なんだけども。

 

「映画は観れなそうだな…」

「その節はすいません」

「謝らなくていい。映画なんてこのスリルに比べたら蚊蜻蛉に刺されるようなものさ。それに、そっちの方も無期延期と言うわけじゃないんだろう?」

「埋め合わせは必ず。平日のナイトシアターになるかもですけど」

「ナイトプールみたいな響きで少しムーディーだな。プラトニックなデートプランで頼むよ?」

 

ナイトとつけばなんでもかんでもエロいわけじゃない。

その事をこの先輩には知ってもらう必要があるな。

 

鬼龍院先輩の喉を転がした笑い声が聞こえる。

それは飲み込むような低い声によって掻き消された。

 

「『綾小路清隆は?』」

 

通話越しに聞こえたその声に俺は共有トイレを飛び出した。

鬼龍院先輩は俺を共有トイレに匿い、近くの物陰で見張りをしていたのだ。

 

その先輩のスマホを持つ右腕を掴み上げた男は俺の姿を確認して下品に口角を上げた。

 

「綾小路清隆。ホワイトルームを飛び出して学んだ事はかくれんぼのやり方か?」

「映画館のオンラインチケットの購入履歴までハッキングして俺に会いに来るストーカーから逃げない方がおかしいだろ?それに親父の盲目っぷりには目も当てられないな。子供一人捕まえるのに梃子摺る無能を側に置くとはな」

「親父の前で同じ事を言うんだな。付いてきてもらおう」

 

拒否権はない。

俺が妙な真似をしても、鬼龍院先輩の腕を何の躊躇もなくへし折るだろう。

 

「話はその手を離してからだな」

「聞き入れると思うか?」

「彼女は鬼龍院家の令嬢だ。父親の側近であるお前が乱暴に扱ったとなれば親父の権威は益々落ちるだろうな」

 

俺が彼にスマホを向ける素振りを見せた途端、男はすぐに手を離した。

そして憎しみのこもった顔で俺を睨むが、無視して先輩にアイコンタクトを送り俺の側に引き寄せる。

 

「分かっていたのか?俺が今日接触してくる事を」

「単なる虫の知らせだ。俺はトイレにボディガードを連れて歩くような親父の息子。用心は欠かさないさ」

 

黒いサングラスでは隠し切れないギラついた目を向けられても俺は平然としていた。

複数人相手じゃなくタイマンなら間違いなく勝てるからだ。

そして、相手もそれを心得ている。

 

「それで付いて来いだったな。その答えはNOだ。だが、手ぶらで帰るのは寂しいだろ。だから手土産に『俺に自主退学する意志はない』そう言っていたと伝えろ。慰めにはなるだろ」

 

親父と話し合ったとて俺と折り合いなどつくはずもない。

時間の無駄だ。

 

「その選択は後悔するぞ」

「絶賛後悔中のあんたがそう言うと身に染みるな」

 

仕事の出来ない男を側に置き続けるほど、親父は寛大じゃない。

もう彼を見る事もないだろう。

 

俺は鬼龍院先輩の手を引いて、その場を離れる。

もう男が追いかけてくる気配はなかった。

 

だが、こんなものはプロローグの前の作者コメントみたいなものだ。

 

親父の俺への執着心はこんなものではないのだから。

 

 





パワプロ2024 栄冠ナインの月曜日にテンション下がる仕様は修正されたようですが、俺が月曜日にテンションが乱高下する仕様が修正される時期はいつ頃になりそうでしょうか?

サブストーリーばっかで2学期が全然終わらなくてごめんねっ。20話も使っちゃって、ごめんねっ。(犬系)
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