綾小路がAクラス卒業ではなく童貞卒業を目指す話   作:ファウストの劫罰

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#76 悪魔との契約

 

 

「ニ〃ャ〃ーーッッ〃」

 

気性の激しい猫の声。

 

俺達は予定通り猫カフェに来ていた。

 

…というわけではない。

包み隠さず言えば、これは出オチである。

 

「お客様…」

「彼女は猫の真似をしているだけです。何か問題でも?」

「いえ……ないです…」

「ですよね」

 

有無を言わせない下手くそな愛想笑いを向けると、店員はおずおずと引き下がっていった。

 

恵に喝を入れる度にスタッフから再三の注意を受け、行きついた結論がこれだ。

これが認められないとなれば、猫系女子の称号を欲しいままにしている一之瀬帆波もジムの出入りが怪しくなる。

 

「おい、恵。いい加減慣れろ」

「あ、あんたが触らなければいい話でしょっ!?」

「恵が音をあげなければいいだけの話だ」

「だから、それが無理だって言ってんのっ!!」

「その言葉は声が出なくなるほど限界に達した奴だけの特権なんだよ。あんな風に」

 

俺が指差した先では、櫛田がマットの上でうつ伏せになって痙攣していた。

栽培マンに殺されたヤムチャ。太陽に焼かれて干乾びた蛙。

 

女子に当てはめる表現としては、いささか不適切なはずなのだが…どうしようもなくこれが最適。

彼女の内に潜んだ残念具合は猫を被る程度ではもはや隠せない。

 

思わず目を背けたくなるような光景だが、鈴音にまんまと乗せられ身の丈に合わない速さでランニングマシンを使用した彼女の自業自得でしかない。

 

「…あれ、ほんとに櫛田さん?別の生き物じゃなくて…?」

「失礼なやつだな。メイクを落とした女の子の素顔を見た時みたいなこと言いやがって」

「それ…は、綾小路君が…失礼だと…思う…」

 

隣で恵と同じメニューのスクワットを懸命にこなしながら佐倉は口を挟んできた。

指導通りに腰を落としてはいるものの、少し足幅が広くなっている。

 

「佐倉、足は肩幅だ。足先の向きも常に意識してくれ」

「分かった…。意識…するね…」

「その調子だ。あと10回終わったら一休憩しような」

「う…うん。頑張るっ…」

 

健気・素直・ひたむき。

その三拍子に加え、高いモチベまで持ち合わせているのだから良い意味で指導者泣かせだ。

佐倉への対応を見て、恵はあからさまに唇を尖らせているがこの差はあって然るべきものだ。

 

「…あんた…佐倉さんは…叩かない…わけ…?」

「そんな奴がいたら、俺はそいつを許さない」

「…っ。目がガチじゃん…。でもそれなら…私…あんたを…許せないんだけど…」

 

口では文句を垂れ流しつつも、スクワットは止めない恵。

ようやくこっちにも指導の甲斐が出てきたようだ。順調順調。

 

「ニ〃ャ〃ッ〃。って、言ったそばからっ!!…って、あれ?」

 

恵がお尻を触られ再び猫の声をあげて俺を睨む。

俺はすぐに両手をあげて無罪を主張する。

それでもボクはやっていない‼︎

 

「綾小路君。随分と手を焼いているようね」

 

貴方も随分と妬いているようですね。

 

俺が咎めなかったということは、恵のスクワットに修正すべき点はなかったということ。

つまりは完全なる彼女の八つ当たり。

大方、俺と恵のやり取りを見て、不満が溜まっていたのだろう。

 

恵はスクワットを中断して、鈴音に正面切って威嚇する。

ほんとに、猫みたいになってきたな……。

 

「ちょっと!!!!自分が終わったからって邪魔しないでくれるっ?」

「あら、私の勘違いだったのかしら?彼に触って貰いたくて、わざとそういう態度を取っていたのだと思っていたのだけど」

「は、は、はぁ~?そんなわけないでしょっ!!イミワカンナイッ‼︎」

「それは良かったわ。なら、私がコーチングしても問題ないわけね」

「…は?」

 

鈴音の目配せに俺は首肯する。

それは双方にとって非常に魅力的な提案だった。

 

彼女なら指導力にも問題はないし、同性からのボディタッチなら恵が猫の真似をする必要もなくなる。

 

何より、これ以上騒いでいたら変にマークされて今後このジムに来づらくなる。(手遅れ)

 

「言っておくけど、私は彼みたいに優しくないわよ?」

「は?ちょっと待って。私は了承してないんだけdo…な、なにそれ…?」

「櫛田さんからの預かり物よ。次、口答えするならこれを口に詰めてって」

 

…猿轡。別名ボールギャグ。

だが、それを付けられた姿はギャグでは済まされない。

所謂、そういう作品やそういう店でしかお目にかかれない代物。

 

…え?櫛田さん、これを普段から持ち歩いてるんですか…?

胆ッッッ‼︎肝ッッッ‼︎‼︎膽ッッッ‼︎‼︎‼︎

 

櫛田のぶっ飛びすぎた価値観を目の当たりにし、思わず御堂筋三段活用が出てしまった。

 

「なんでも聞こえてたらしいわよ?死にかけのヤムチャだの、蛙の焼死体だの貴方達が言ってたことを」

「「そこまで言ってない!!」」

 

心の内をドンピシャで言い当てられて、思わず声が出た。

その声が恵と重なったのは、もしかしたら彼女も俺と同じことを内心では思っていたのかもしれない。

酷い奴だ。女の子を両生類に擬えるだなんて。

 

「兎に角、私は櫛田さんの肩を持つ」

 

「努力してない人が努力した人を笑うなんて間違ってるもの」

 

恵はこの後、知ることになるのだった。

俺の指導がどれだけ優しかったかを。

 

「佐倉。あっちは見ちゃいけません」

「え、でも…」

「大丈夫だ。人間はそんなヤワじゃない。向こうで続きやろうな」

 

俺は佐倉の手を引いて、別のブースへと移動する。

尻目に恵を見る佐倉はどこか不安そうだ。

どこまで優しいんだ。この子は。

 

そして別のブースについた途端、佐倉は意を決したように口を開いた。

 

「あ、綾小路君っ!!」

「…どうした?」

「き、厳しく指導、お願いしますっ!!」

 

佐倉…。

恵の痛みを少しでも分かってあげようとして、そんな提案をしてくるなんて…。

こんなに涙腺が崩壊しそうになったのは、クレしんのオトナ帝国を見た時以来だゾ……。

 

「分かった。佐倉がそこまで言うならそうする」

「う、うんっ。…そ、その…」

「まだ何かあるのか?」

「え、えっと…、その…、わ、私も、た、叩いていいからね?」

 

……………。

 

俺は佐倉をまだ甘く見積もっていたらしい。

こんなに裏切りを身近に感じたのは進撃の巨人を見た時以来っちゃ。

 

まさかの展開に南方マーレの訛りが出そうになりながらも、俺は佐倉の赤くなった頬の理由を考えてみた。

 

…これはあれだ。

櫛田が言っていたドのつくやつだ……。フランス貴族の奴だ…。

 

「俺が佐倉を叩けるわけないだろ」

「えぇぇぇぇぇぇっ。な、なんでっ?」

「なんでもだ」

 

少し寂しそうな佐倉を見て、俺は内心で愚痴った。

 

佐倉に不用意に手をあげたら殺されるんだよ。(罪悪感)に。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「やばっ……。これ癖になるやつだ」

「やめられにゃい。止まらにゃい。」

「ほわにゃあああぁぁ」

 

猫吸い。言葉通り猫を吸う行為。

恵、櫛田、佐倉の3人は完全にキマッているが勿論合法である。

 

されるがままの猫の気持ちは猫にしか分からないが、もしも俺が猫ならいい迷惑である。

 

そう、俺達は本当に猫カフェに来ていた。

 

一人離れたところに座ってその3人を眺めていると鈴音が近づいてきた。

そういや、こいつだけ入店した後いつの間にかいなくなってたな。

どこ行ってたんだ…?

 

「猫可愛がりとは昔の人はよく言ったものよね」

「鈴音はやらなくていいのか?」

「ええ。あれがもし流行っているなら、誰が口を付けたものか分からないもの」

「身も蓋もない話だが、そんなの気にしてたらキリがないぞ」

 

自分の糞尿を踏んだ足や体で室内を駆け回り、誰のどこを舐めたかも分からない舌で舐めてくるのだ。

細かい事は猫の可愛さを前に忘れて、ただそれを享受する。

 

それが猫に対しての最大のリスペクトで、猫カフェの礼儀作法だ。

 

「そうは言うけれど、貴方も本音では衛生面が気になっているんでしょう。だから踏み出せずにいる」

「単純に俺に猫が寄ってこないだけだ。ここの猫は例外なく女好きらしい」

「どこかの誰かさんと同じね。同族嫌悪かしら」

「最後に全て台無しにするなら、濁す必要ないだろ…」

「芸人養成所で学ぶ丁寧なツッコミだけして、本文を否定しないあたり本物ね」

 

今日の鈴音は強火だ。

いつもより、言葉に棘がある。

俺は佐倉と違ってMの意志を継ぐ血筋じゃないのでやめて欲しい。切実に。

 

「偽物より本物の方がいいじゃないか。それで、用件は?」

「…猫に女の子を寝取られてしまいそれを眺めることしか出来ない可哀想な人。貴方の余りある不憫さに見て見ぬ振りが出来なくて、慰めを用意してあげたの」

 

猫に女の子を寝取られるってなんだよ。

そんなコアなジャンルを作らないで欲しい。絶対に流行らないから。

 

「慰める気があるやつは一々刺してこないんだよ」

 

鈴音はさっきから両手を後ろに回して何かを隠している。

まさか、慰めとは首根っこを掴んだ猫をデリバリーする事じゃないよな?

 

思ったよりも猫好きというわけでもなさそうな彼女なら、あっけらかんとして

『あら、何か問題があるの?猫は法律上、器物に分類されるのよ?』

なんて、倫理観のない論理的な発言をしても不思議じゃない。

 

「手に持ってるそれが慰み物か?」

「ええ。雌猫好きの貴方はきっと気にいると思うわ」

「猫に性別を求めるほど性的倒錯に陥ってないんだが」

「あら、多様性文化に背反的なのね。いいじゃない、愛の形は一つじゃないんだから」

「それは何でもありって意味じゃないんだよ。悪いがその領域には一線を引かせてもらう」

 

愛に答えはなくても、恋愛に答えはある。

多様性とは近親相姦や青少年保護育成条例違反の類いを許すものでは決してない。

 

「好きに言ってればいいわ。口では否定していてもこれを前にすれば、貴方もあの彼女達のようになるはずよ」

 

チラリと向けた目線の先では、半分白目を剥きながら猫相手にスーハースーハーと深呼吸してる三人。

ジムで蓄積させた疲労からか、猫じゃなくてもうざったくなるほどに癒しを求めていた。

 

佐倉に付き合って軽く体を動かしただけで、全くと言っていいほど疲れていない俺はああはならないだろう。

 

「どこから出てくるんだよ、その自信」

「伊達に半年間、貴方の隣人をやっていたわけじゃないわ。貴方のことなんてお見通しよ」

「…そこまで言うなら、勿体ぶらずに見せてもらおうか」

 

鬼が出るか蛇が出るか。

少し悩んだが、俺は鈴音の誘いに乗ることにした。

 

「いいわ。悩殺してあげる。」

 

その豪語が鈴音の最後の言葉だった。

出たのは蛇でもなく鬼でもなく、果たして猫。

 

ご存知、尻尾と耳を生やした四足歩行の愛くるしい動物だ。

だが目の前の雌猫は、この猫カフェで大切に飼われているものとは一線を画す。

 

何故なら生物学的分類が紛れもなく人間だったからだ。

…というか、黒猫のコスプレをしただけの鈴音だった。

 

「ニ、ニャ~!!」

 

黒猫は人間臭さが抜けきらない鳴き声をあげて、俺の胡座の上へと転がり込んできた。

 

…夢の国に連れて行くとは言ったが、猫耳と尻尾を持参してまではしゃげとは言っていないんだが。

 

「ニ、ニャ…?」

「…疑問符を浮かべたいのは俺なんだよ」

 

…人には馬鹿になる瞬間も必要だと言ったが、猫になれとは言っていない。

 

彼女の計画的犯行を前に言いたいことは山ほどあったが、相手は猫である。

 

「ミュゥ~?」

「俺が疑問視してるのは発音のディティールじゃないんだよ」

 

どうやら、この猫はあの手この手を使ってまで俺に猫吸いとやらをさせたいらしい。

黒猫が太腿に頭を擦り付けてくるが、俺は至って冷静に現状を分析していた。

 

どうして鈴音が猫になってしまったのか。

ララ・サタリン・デビルークのポンコツ発明品を誤って使った訳では無いだろう。

 

俺は余計な思考の寄り道の末に一つの答えに辿り着く。

 

猫になった恵を散々叩いてる俺。

猫系女子と名高い一之瀬帆波に入れ込んでいる俺。

 

悲しきかな。

その乏しい判断材料で彼女は悲しい勘違いを導いてしまったのだ。

 

それは俺が猫系女子が好きだというこの学校なら即退学レベルの誤解である。

 

「…いいんだな?鈴音」

「ニャー」

 

俺の太腿に顔を埋めたまま、鳴き声だけで返答してくる。

もしかしなくても、これは恥ずかしくて目も合わせれないだけだろう。

 

「お前のことを猫だと認識していいんだよな?」

「……グギュグバァッ」

 

ダーウィンの進化論を逆走していた鈴音は吐血に近い声をあげて立ち止まった。

文字起こしすればネットでオモチャにされそうな反応だ。

 

何にせよ、俺が彼女の脇腹に手を添えただけでそれを反射的に跳ね除けて女子とは思えない声をあげる有様である。

 

「撫でるなんて、初歩的なコミュニケーションだぞ?」

 

鈴音の弱点は水筒事件の時に既に履修済み。

次は脇腹じゃなく脇に追撃しようとするも、それは到達する前に捕らえられてしまった。

猫のような反射神経だが、既に人間に戻っている様子だ。

 

俺が既に履修していることを履修して先んじて防止するなんて猫の知能指数では不可能だ。

 

彼女は俺の胡座の上からサッと起き上がり、俯いたままボソボソと言い始める。

 

「ごめんにゃっ…。……ごめんなさい。取り乱していたわ」

「…ああ」

「先に帰るわ」

 

この状況で考えうる限り最悪の噛み方をした鈴音はその謝罪と猫装備一式を置いて、逃げるように店を出ていった。

 

…この一件は事あるたびにいじろう。そうしよう。

なんなら堀北兄の卒業の手向けにしてやろう。

 

『貴方の妹は猫になりました』と。

 

店内に貼られたポスターの一つに目が留まった。

 

『猫吸いは用法用量を守って正しく行いましょう』

 

その少しズレたキャッチコピーが無性に頭に残ったのはきっと俺だけでは無い。

 

…あ、俺が猫系女子が好きだと言う誤解をとくのを忘れていた。

というか、そもそも猫系女子ってにゃんにゃんだよ一体。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

スズネキャットに出会ったあの日から、3週間と少しばかりが過ぎた。

 

今日は11月23日。勤労感謝の日である。

バイト一つした事のない学生身分だが、俺達はその休日に肖ることになった。

 

ダラダラと一日を消費したり、祝日を利用して羽を伸ばす生徒が多い中、俺は勤勉にも学校へと向かっていた。

 

祝日の学校は意外にも、平日以上に賑わっていた。

体育会系の部活動の経験がある者にとって、それにもはや疑念を抱くことすらない事象。

 

学校はなくなっで部活動は無くならない。

祝日は休日ではなく、むしろ部活動に打ち込める時間が多い分、平日よりカロリー消費が多い日なのだ。

 

熱の籠った吹奏楽部の音色と暑苦しい運動部の掛け声。

俺はそれらに紛れるようにして、目的地まで辿り着いた。

 

『1-D』

 

本来、施錠されているはずのその教室の扉は少し力を加えるだけで簡単に開いた。

 

「休日でもスーツですか。先生の私服を見れるかもとドキドキしていた男子高校生の純情を返して欲しいですね」

 

俺は後ろ手に扉を閉めて、きっちりと鍵をかける。

 

「学内で私服を着るほど公私混同していない。それよりも、休日返上で私を駆り出した罪は重いぞ。綾小路」

「なら、先生は今のこの時間が仕事かプライベートのどっちかはっきりしてるんですか?」

「無論だ。私にプライベートはないからな」

「…悲惨すぎる。それだと、最初から混同するものがないじゃないですか」

「政府主体の働き方改革が政府管轄の学校では適用されない。中々の皮肉だろう?」

 

社会未経験の俺はその言葉に息を呑むことしかできなかった。

彼女が棚に上げた公私混合の塊の星之宮先生すらも、業務時間外に関わらず対応はしてくれたしな…。

 

この学校の闇は思ったよりも深そうだ。

 

「それで?呼び出した理由は何だ?」

「それは最初にお伝えしました」

「…まさか、あんな冒涜的な理由で本当に呼び出したというのか?」

「個人の見解は置いとくとして、さっきからそう言ってるじゃないですか」

 

冒涜的という部分には口を噤ませてもらう。

今から彼女にすることはそういう側面も少なからずあるからだ。

 

「本当に期待外れでした。ですが予想通りでもありました。先生、これに着替えて下さい」

「……なんだ、これは?」

「男子高校生の純情ですよ」

 

俺は準備していた紙袋を渡す。

彼女はそれを怪訝な目で受け取り、覗き込んではさらに眉間に皺を寄せた。

 

「ご存知、学校の制服です。櫛田に借りました」

「…櫛田だと?」

「ええ。喜んで貸してくれましたよ」

 

むしろ、押し付けられたと言っていい。

無性にニヤニヤというかニコニコしていた感じから使用用途を勘違いしてそうだ。

やましいことに使うつもりは……ないとは言えないな。うん。

 

「随分と櫛田に傾倒するようになったものだな」

「言わずもが、彼女の能力はAクラスに上がるために必要ですから」

 

あくまで、Aクラスに上がるために必要という事実を述べたまで。

 

だが、彼女はそうは受け取らない。

俺がAクラスに行くために必要なプロセスを着実に踏んでいることにどうしても目がついてしまう。

 

「…どうせ私に拒否権はないんだろう?」

「言い掛かりです。俺が茶柱先生の権利を一度でも剝奪したことがありますか?」

「ふっ。本当にいい生徒をもったものだな。私も」

「同感です」

 

自嘲の余り笑うしかない茶柱先生に俺は心からの言葉を返した。

 

「せめて顔を背けてくれ」

「生着替えも男子高校生の純情の一つなんですが…」

「それはもう、三分の二は劣情だろう」

「ただでさえ感情に乏しい俺の心情を代弁するなんて酷い人ですね。…ですが、この前の件に免じてそれくらいは聞き入れますよ」

 

俺が彼女に背中を向けると衣擦れの音が聞こえた。

例え、今俺が振り向いたところで彼女は受け入れるだろう。

 

俺が生まれ持ったこの性癖と同じ。

自分ではどうしようもならない性分を人は呪いと呼ぶ。

 

Aクラスに上がるためなら、なんだってする意気込みだ。

だけど、それは意気込みであって覚悟じゃない。

 

「先生には本当に感謝しているんですよ」

「な、なんだ。急に」

「貴方のリークがなければ、父親と面談なんていう地獄みたいなイベントを回避する事は叶わなかったでしょうから」

 

桃鉄でいう赤マス。マリパでいうクッパマス。

それは百害あって一利なし。

 

情報はそれを視覚化して回避するための方法論。

その価値を分からない俺ではない。

 

「本当に感謝してるのだとしたら、忘恩負義もいいとこだな」

「俺達は情けを掛け合う関係性じゃ無いと認識していましたが?」

 

感謝はすれど、恨みは消えない。

忘れる恩も果たす義理も最初から存在しない。

 

彼女の因果応報はまだ完済されていないのだから。

 

「…しがない独り言だ。それより、これで満足か?」

 

会話しながらもお色直しは終わっていたらしい。

中々マルチタスクな人だ。

 

「…まだまだ現役じゃないですか」

「褒め何処が見当たらなかった十年選手に向ける言葉だそれは」

「とても二十八歳には見えません」

「実年齢と比較しなきゃ取り立てる所もない容姿で悪かったな」

 

可愛い。綺麗。巨乳。

12も上の女性に単刀直入な美辞麗句を並べ立てることを避けて、遠回りに誉めてみたのだが失敗に終わる。

流石元Dクラス。屈折具合が伊達じゃない。

 

「凄く可愛いですよ。もし先生が同じクラスにいたら、男子は放って置けないでしょうね」

 

百戦錬磨の星野宮先生の口説き文句の威力は筋金入りだった。

一転して黙り込んだ彼女を見て、大人の表皮くらいは剥がせた手応えを感じる。

それに制服効果か。心なしか女子高校生らしい表情だ。

 

「……茶番はいい。それより、いつまで私はこの格好をすればいい?」

「俺が目を背けるまでですかね?現状、目が釘付けですが…。三日は飽きなさそうです」

「…っ。…折角の休みに私に構って何がそんなに楽しいんだ」

「楽しいですよ。凄く。それに祝日だからこそです」

 

スーツを脱がせて、大人の皮も剥いだ。

肩書きも属性も取っ払い残ったのは…

 

「被写体としての性能を確かめても?」

「…三十路手前の女が暴れ回る姿が見たいなら好きにしろ」

 

斬新な脅迫。

好奇心がうっかり勝ってスマホを構えてしまいそうになったが流石に自制する。

 

我が教室をそんなドメスティックバイオレンスな現場に変えるつもりはない。

 

「分かりました。では、被写体の性能を確かめるのは諦めます」

「賢明な判断だな」

「代わりにもう少し距離を詰めてくれませんか」

「…何を企んでいる」

「それは距離を詰めてから教えますよ」

 

彼女は一瞬怯むが、それはすぐに嚙み殺した。

それだけがこの状況で取れる唯一の選択肢だ。

コツコツと制服に合わない革靴を鳴らして俺との距離を埋める。

 

「これだけ近ければいいだろう。早く用件をー」

 

俺は大きく一歩踏み出して、茶柱先生が詰めた距離をさらに詰めた。

卒業証書を授与するような距離から、社交ダンスのサビのような距離になる。

 

茶柱先生が反射的に後退るも、俺の腕は既に彼女の背中に回っていた。

何せ、社交ダンスはホワイトルームで完璧に会得済みである。

 

「…何のつもりだ」

「分かりませんか?」

 

「飛車落ちですよ」

 

引き寄せの法則。

非科学的なその論理は皮肉にも物理には逆らえない。

 

茶柱先生の背中に回していた腕を引くと、それに抗えなかった彼女はバランスを崩して俺に撓垂れかかってきた。

 

「もう、貴方に出来ることは俺を受け入れることだけ」

 

「貴方の人生は詰んでいるんです」

 

綾小路清隆と茶柱佐枝。

邪魔なものを取っ払った二人の間にあるのは強力すぎる主従関係。

 

「…くだらない言葉遊びだ」

「そうかもしれません。ですが遊びなのは言葉だけでこっちは本気ですよ」

 

言葉遊びは彼女を弄ぶためのただの糸口でしかない。

終着点は彼女に隷属としての自意識を教え込むことにある。

 

「…っっ‼︎…綾小路…。…やめろっ」

「言葉遊びが好きなのはどっちですか?抵抗の一つもしないで俺が止まるとでも?」

「…ッ!」

 

俺は深く深く指を沈ませていく。

櫛田と同じ制服を着ているが、まるで別物だ。

流石十年選手。貫禄が違う。

 

「言葉遊びついでです。この状況で一句詠ませてもらいます。『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』どうです?才能アリ頂けますかね?先生」

 

豊穣の秋。収穫の季節。

季語まで惜しみなく使い、言葉も掛けた。

素人にしては中々の出来ではないだろうか。

 

「…こ、超えてはならないっ…ラインを超えたな……綾小路っ」

「何を言ってるんだか。貴方が教師の範疇を逸脱した時から、俺たちは生徒と教師の間柄じゃない。ラインなんて存在しない」

「…っ。これが…っ表に出ればお前もただじゃ済まない…っ。だろ…」

「制服の上から胸を揉んだくらいで大袈裟だな。その歳で処女というわけでもあるまいし」

「……ッッ!!」

 

彼女の言葉通り、本当に冒涜的だ。

俺は櫛田の制服を着せる前に、呼び出した用件を伝えていた。

 

それを承知の上で制服に身を包んだ彼女はまるでそれを望んでいるみたいだ。

 

「祝日で監視カメラは機能を停止し、唯一の証拠の指紋は櫛田の私物」

 

その完全犯罪に密室要素まである。

盛りすぎたミステリー小説みたいな冗談だ。

 

「ですが俺も人間です。場は完璧に整えましたが、無理を押し通すのは趣がない」

「……」

 

彼女が壊れるか壊れないかの境目は把握している。

同じ轍を踏むつもりはない。

 

放心状態に近い彼女の脳に刷り込むように言葉の続きを送り込む。

必要なのは最初で最後の選択肢だ。

 

「だから、これが正真正銘の最後。最後くらいは悔いのない選択を期待しますよ」

 

「俺と一緒に後悔するか、一人で後悔するか選んで下さい」

 

何も知らない人が聞けば矛盾しているように聞こえるだろうか。

だが、後悔の多い人生を送ってきたなんて太宰治の二次小説みたいなことを言う彼女は気付けるはずだ。

 

後悔は上書き出来ることに。

 

「…悪魔そのものだ。お前は…」

 

彼女の後悔は今日をもって明確に終わった。

 

そして期限付きの最後の後悔が始まるのだ。

 

 

 





被写体からの飛車落ち

ただこれが使いたかっただけ。だって思いついちゃったから
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