魔剣凄春譚 作:桜餅
「カヨコさんの御友人とは知らず、無礼を働いてしまい、申し訳ございません!」
土下座の姿勢を取った沖田総司を前にして、ソファーに深々と腰をおろす陸八魔アルがとった行動とは、詰るのでも赦すのでもなく、ただただ不敵に笑う事であった。
堂の入った、悪党の笑みである。
しかしその笑みの裏側に、混乱の嵐が吹き荒れていたことを、果たして沖田総司は知っていようか。
(ど、どうすればいいのよ~っ!? 大人に土下座されるなんて初めてなんだけど……!)
ゲヘナで便利屋を営む彼女達は、大人の悪意や策謀に翻弄される事が殆どである。
あまりにも度が過ぎる輩には、ムツキが爆発という手段をもって対応するのが常であったが、それゆえに正面から真っ当に謝罪を受け入れる機会は皆無だった。
(取り敢えず笑ってみたけれど……これってし、失礼よね? せっかく謝ってくれてるんだし、話ぐらいは聞いてあげた方が──)
「頭を下げれば許して貰えるって、本気で思ってるのー?」
懊悩しているアルの横に座っているムツキは、愉快そうに顔を歪めつつも、冷徹な言葉を沖田のつむじに向かって放った。
慌てたのはアルである。せっかく穏便な方向に持っていけそうだったのにと、ムツキの肩を突っついた。
「む、ムツキ……! なにもそこまで……」
「アルちゃんはそれで良いの? ケジメつけなくて」
「ケジメってなんなのよ!?」
「ケジメはケジメだよ」
行動隊長と突撃隊長を担うムツキは、便利屋に迫る危機に対して、誰よりも早く対応しなければならない立ち位置にある。
数々の依頼をこなす中で培われてきたムツキの感覚は、男が先程みせた一連の動きが尋常の物ではない事を敏感に察知していた。今はカヨコが預かっている、鞘の内側に刃を秘めた物騒な長棒の存在が、それをより研ぎ澄ましている。
間合いがあれば、必ず勝てる。
だが、果たしてこの近距離で──得物を手にした男よりも、先に動けるかどうか。
その自信を持つ事が、ムツキはどうしても出来ずにいる。
「ちょっと、ムツキ……!」
「いえ、陸八魔さん。浅黄さんが仰られている事は、最もです。わたしの行いは、決して許されるものではありません」
「じゃあ、どうするの?」
ムツキの問い掛けを受けた沖田は、上げかけた顔を沈み込ませる。
新選組ではかつて、烏合の衆にも等しい浪人集団を統率すべく、鉄の掟が定められていた。
一つ、士道ニ背キ間敷事──武士道に背く行為をしてはならず。
一つ、局ヲ脱スルヲ不許──新選組からの脱退は許されず。
一つ、勝手ニ金策致不可──無断での借金をしてはならず。
一つ、勝手ニ訴訟取扱不可──無断で訴訟に関係してはならず。
一つ、私ノ闘争ヲ不許──個人的な争いを行ってはならず。
これら規律のうち一つでも破った者には、厳しい粛清が与えられる。それが死という名前を冠している事を、沖田総司はよく知っていた。
その隊規を頭に浮かべた上で、沖田はふたたび自分の行いを省みる。
一度ならず二度までも、素性も得体も知れない自分を拾ってくれた女性に、無礼を働いた。
それが、士道ニ背キ間敷事──武士道に背く行いである事は、口にするまでもなく明白であった。
「──腹を切りましょう」
「はあ!?」
「えっ」
「──」
「……!」
覚悟を決めた沖田の言葉に、アルは面食らい、ムツキは口を開き、カヨコは目を細め、ハルカは頬に熱を宿した。
その言葉を誰も「冗談だ」と笑い飛ばす事が出来なかったのは、面を上げた男の表情があまりにも真剣だったからである。
(局中法度はガチで
時代や時空を超えようとも、かつて掲げた「誠」の意志は、今も沖田の心に在る。
ゆえに、カヨコから刀を借り受けた場合、沖田は躊躇なく自身の腹を一文字に割くつもりであった。それを鋭く見抜いたカヨコは、己が身に縛りつけるかのように、菊一文字を抱き寄せた。
賃貸である事務所内で流血沙汰を起こされては、立ち退く際になにを請求されるかわかったものではない──という冷然とした考えも少なからずあったが、沖田総司という得体の知れない男を少しずつ受け入れつつある事が、一番の理由でもあった。
このキヴォトスに、ロクな大人はいない。
便利屋で参謀を担当するカヨコはその事をよく知っていた。知らされた、と言った方が正しいかもしれない。
勿論、便利屋という稼業を営んでいる以上は、そうした大人と接する機会が自然と多くなるのは承知の上である。
しかし、カヨコが思っていたよりずっと、大人には子供から搾取する事を憚りもせず行う存在が多かった。
だから、最初に銃を向けられたのは自分のくせに、土下座までした挙句の果てに腹を切ろうとする男が微かに光って見えたのは、気のせいではないと思った。
「……社長」
「な、なに?」
「どうするの? 切腹してもらう?」
「してもらう訳ないじゃないのよ……!」
問いかけに、アルは顔を青褪めさせながら小声で答える。予想していた通りの解答が返ってきた事にカヨコは胸を撫で下ろしつつ、次にムツキに目をやった。
沖田に一番警戒心を露わにしていたムツキは、カヨコの視線に気付くと、観念したように肩を竦めた。
「べっつにー。ムツキちゃんはどーでもいいよ」
「そ。……ハルカは?」
「わわ、わたしの意見なんて露ほどの価値も……けれど、その人は全部本気で言っているのは、その、間違いないです……」
ハルカの目には、沖田に対する奇妙な親愛があった。
それは自身が犯した失態を償うにあたって、自害という選択肢を含める者同士という、非常に危うい共感から成り立つものであることは、疑いようもない。
「……程々にしなよ。それで、社長」
「はい!」
「もう一度聞くけど、どうするの?」
「えっ、ええ……?」
ひと通り意見を聞き終わったカヨコは、最後にもう一度アルを見た。
どれだけ意見が割れようとも、便利屋68での最終決定権を持っているのは、陸八魔アルその人以外に他ならない。「ここで私に振っちゃうの?」という顔をしていたって、彼女が決めなければ、永久に話は進まないのである。
その瞬間、アルの脳裏に今日までの思い出がめくるめいた。
走馬燈ではない。遭遇した未知の事態に対して、脳がそれに対処する方法を記憶の中から探し出そうとしているのである。
脳内時間で、二分は経ったであろうか。
答えは、つい先日に足を運んだ映画館のなかにあった。
「──沖田、だったかしら。あなたの名前」
「はい」
「私達は便利屋──信用を得る事も重要だけど、それ以上に侮られちゃお終いの仕事なのよ。今日まで私達を嘗めてきた連中を、許した事は無いわ」
「……さっき足元見られたって言ってなかった?」
「あ、あれはノーカンよ。ノーカン。報酬はキッチリ貰えたんだから」
カヨコの指摘にごほごほ、と咳払いを返して、アルは表情を作り直す。
「あなたは、私達に武器を向けた。それを許すつもりは無いけれど──……命を捨てる気概があるなら」
アルはそこで言葉を区切ると、艶めかしく光る白い足を組み替えた。
「その命──便利屋の為に使ってみるつもりはない?」