魔剣凄春譚   作:桜餅

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第四話 壬生狼、地獄で平穏に浸る!

 

 

 

 

 

 ゲヘナ学園自治区の路地裏は複雑に入り組んでおり、迷路さながらの構造となっている。

 土地勘が身に付いていなければ、数時間ほど彷徨ってしまう事もあるその場所は、それゆえに窃盗や恐喝等といった行為が蔓延る魔の巣窟となっているのだが、その隅々まで風紀委員会の手が加えられる事は無い。

 美食研究会や温泉開発部。

 己の本懐を果たす為ならば区画どころか学園の垣根さえ超えて、何もかもを容赦なく吹き飛ばそうとする問題児達こそ、風紀委員会が全力で対応に走らなければならない相手であるからだ。

 ただ、まったく歯牙にもかけないという訳ではない。

 どのような妨害を受けても諦めずに活動を行ってきた成果か、風紀委員会の人員数は、もはや一個大隊に匹敵する程となっている。

 そこに、風紀委員長を務める空崎ヒナが日々の哨戒を怠らぬように呼び掛けている事も相まって、当初と比べれば格段に被害は減っていた。

 それでも、未だに目を付けられていない悪事の痕跡が、あちこちに油汚れの如くこびりついている路地裏のひとつを、『彼女』は必死に逃げていた。

 息は散り散りに切れ、足には濃い疲労が溜まり、脈拍は上がり続ける一方である。

 それでも逃げ続けた理由は、ひとえに自由の為である。

 住処に不満を覚えた訳ではない。

 ただ、誰も自分を知らない場所に行ってみたかった。

 彼女が逃げ出した理由は、言ってしまえばそれだけであった。

 

「──」

 

 この路地裏を自分より知り尽くしているものなどいない。

 彼女が抱いているそのような自負が証明されるかのように、これまでしつこくついてきていた追っ手は、いつの間にか姿を消していた。

 しかし彼女は油断せず、思いつく限りの撹乱を織り交ぜながら、曲がりくねった道をすらすらと進んでゆく。追っ手という存在は、いつだって気が緩んだ隙ばかりを狙ってくる卑怯者であると、彼女はよく知っていた。

 それから暫く経ち、不意に視界の彼方に、細い光の柱が見えた。

 出口である。

 周囲の鬱々した暗闇に、気付かぬうちに精神を蝕まれていた彼女の足は、自然と早まりを見せる。

 もうすぐでたどり着くかと思われた、次の瞬間であった。

 彼女の行方を阻むかのごとく。

 立ち塞がる影が、一つ。

 

「──どうも」

 

 逆光によって輪郭以外が黒く染まったその影は、細い形をしていた。

 長い手足をしている。ぼうっと立っているだけのように見える姿勢は、その実少しでも動けばすぐに捕獲できるよう、節々に適度な力が篭っている事を察せた。

 だが、彼女が最も警戒を露わにしたのは、直前まで全く感じ取れなかった気配だった。

 

「……参ったなァ。この街の路地裏は夜の京に似ているから、ヘンに気分が昂って仕方が無い。だから捕まえるにしたって、あんまり手荒な真似はしたくないんですが」

「……」

「だんまりですか。まあ、当たり前っすよね」

 

 立ち止まって身構えた彼女を見て、影は頭を掻きながら、困った風に笑ってみせる。

 まるで隙だらけだ。しかし、下手な一歩を踏み込めば喰われる──と、彼女の本能が警鐘を鳴らしていた。

 この状態が続けば、いずれもう一人の追手も追いつくであろう事は容易に考えられる。なにか、手詰まりの状況を打破できる一手は無いものかと、彼女の瞳が周囲を探る。

 そして、見つけ出した。

 横倒しになったゴミ箱、その上に取り付けられてあるボロボロの換気扇、その先で外と繋がっているように光を浴びている看板──

 瞬間、彼女は走り出した。真っ直ぐではなく、右へ左へと揺れながら。 

 近づいていくにつれて鮮明になる影の両目は、しっかりと自分を捉えていた。

 やっぱり、という思いと、それでも、という思いが重なる。

 そして極限まで距離を詰めた刹那、彼女は唐突に方向転換を果たして、ゴミ箱へと跳躍した。

 

「おっ」

 

 驚きの声は既に遠い。なぜなら彼女の身体はゴミ箱ではなく、既に換気扇の上に飛び移っているからだ。

 そのまま、換気扇を踏み台に、更なる跳躍。看板を足掛かりに外へ飛び出ようとして、

 

 ──同じ高さに飛んできた影の腕に、成す術もなく抱きしめられた。

 

 自分を真似るように、道の両側を挟み込む壁を踏み台にして飛び上がってきたという事に気付いた時には、既に彼女が得た筈の自由はあっけなく終わりを迎えていた。

 

「あぶないあぶない。軽業師みたいな事しますね。不逞浪士がみんなあなたみたいな動きをしてたら、わたし達はきっと苦労したんだろうなァ」

 

 ニコニコと笑い続ける影の腕から抜け出そうと彼女は藻掻くが、細い腕はびくともしない。

 暴れる彼女を容易に抑え込んでいる影は、ごそごそと身動ぎして掌に載せられる規模の四角いなにかを取り出すと、四苦八苦の末に耳に押し当てた。

 

「陸八魔さん? あ、伊草さんでしたか。

 沖田です。はい……はい、捕まえました。場所っすか? ……最初の集合地点から、ちょっと離れたとこにある路地裏です。あの、近くに美味そーな蕎麦屋があります。

 はい、取り敢えず現地で待ってますんで、はい。じゃ」

 

 影──沖田総司は、耳に押し当てていた端末をしまいこむと、すっかり諦めて大人しく抱かれている、腕のなかの標的を──今回の依頼の捜索対象である、飼い主の元から逃げ出した猫を見下ろした。

 

「忘れてましたね、御用改めです」

 

 そう言ってから、指で喉を搔いてやる。

 ごろごろごろ、と不満そうな音が、薄暗い路地裏で静かに鳴り響いた。

 

 

 □ □ □ □

 

 

 沖田総司が便利屋68の末席に連なってから、早くも三週間の月日が経とうとしている。

 

 

 最悪の初対面を経た事と、キヴォトスとは縁もゆかりも無さそうなところから、一時はどうなる事やらとストッパーを担っている鬼方カヨコは不安であったが、沖田は意外と早くゲヘナに──細かく言えば、便利屋68という会社に順応していった。

 団体行動に慣れており、明るく爽やかで人懐っこい性格をしている事もあるが、やはり荒事に強いという、キヴォトスで生きていくにあたって必要不可欠な性質を備えていた事が一番の要因であっただろう事は、この三週間のなかで共にこなしてきた依頼での様子から見て取れた。

 

「今日はよくやってくれたわ、みんな」

 

 音頭を取ったのは、社長を務める陸八魔アルであった。依頼終わりに立ち寄ったラーメン屋のボックス席で立ち上がった少女に、視線が突きつけられる。

 それを意識するように、殊更に身振り手振りを大きくしながら、アルは発言を口にした。

 

「大きな仕事は、こういう小さい仕事を積み重ねてきた信用を得た者にのみ与えられる──あなた達の働きは、便利屋68を次のステージに進める為の、大きく偉大な一歩になったのよ」

「アル様……!」

「猫探しが本当にアウトローなお仕事に繋がるの~?」

 

 神から託宣を受けたかのように、感動で目を潤ませているハルカとは逆に、ムツキが悪戯な笑みを湛えてそう言った。

 

「先週はお家の雑草取りで、先々週は公園のお掃除。こんなの、アウトローじゃなくてボランティアだよ。ソージもそう思うでしょ?」

「ぼらんてぃあ、ってゆーのがなんなのか知りませんが、わたしは好きだなァ、そーいう仕事。

 都の治安ってやつは、如何に市中が綺麗に保たれてるかに強く影響されますから」

「私も、雑草取りは好きです……お友達が増える機会なので」

「そら見なさい! ハルカもソウジもこう言ってるじゃないの!」

「猫探しがアウトローなお仕事とはひと言も言ってなくない?」

 

 ムツキの指摘を受けて、アルはぎくり、と冷や汗を額に浮かべるも、すぐさま余裕の仮面を被り直す。

 

「私が繋がると言ったら繋がるのよ! それに、大事は小事より起こるって言うでしょ? こうした小さな仕事のなかにこそ、私達便利屋に相応しい依頼への縁が隠れているんだからっ」

 

 その時である。カヨコの隣に座ってメニュー表を覗いていた沖田が、弾かれたように顔を上げて、アルを見た。

 

「な、なに? ソウジ。そんなに見つめて、言いたい事でもあるのかしら?」

「いえ。土方さんの言葉を使ってらしたので、驚いて」

「その土方っていうのが誰かは知らないけど……本か映画から持って来たんでしょ、どうせ」

「そそ、そんな訳ないじゃないのよ! れっきとした陸八魔語録の一つよ!」

「もしかして、老子ですか?」

「さあ、老子じゃない?」

 

 適当に答えたカヨコであったが、沖田は「またまたパクりましたか土方歳三」と訳のわからない言葉を呟いて、しきりに頷いている。どうやらそれで納得したらしい。

 そして沖田は視線をメニュー表に戻すと、対面のハルカとムツキにおすすめのメニューを尋ね出した。

 

「うーんとねえ、ムツキちゃんのおすすめは、これ!」

「はァ、これですか? 随分イカチー色味っすね」

「え、ええっ! あのあの、それって激辛メニューで有名なやつじゃ……」

「こーいうのは見掛け倒しが殆どなんだから大丈夫っ。ソージもせっかく来たんなら、刺激の多いものを食べたいよねー?」

「うぅん、わたしはどちらかと言うと甘味の類が好きなんですが──せっかくの好意、有り難く受け取らせていただきます」

「くふふっ。後でちゃんと感想聞かせてね」

「了解です!」

「ひ、ひええ……」

 

 三人は、なにやら楽しげに会話している。

 その様子はまるで十数年来の友人であるかのようで、カヨコは夢でも見ているかのような、不思議な気持ちに何時もなる。

 その光景を、自分はあまり悪くはないと考えているらしい。

 胸をくすぐる仄かな暖かさとむず痒さを感じながら、カヨコは自らのメニューを頼むべく、沖田の肩を叩いた。

 

 

 □ □ □ □

 

 

 とある高層ビルの最上階にあるオフィスで、二人の異形が顔を突き合わせていた。

 片方は、瀟洒なスーツを身に付けた鋼鉄の偉丈夫。

 そしてもう片方は、全身を文字通り黒一色へと染め上げた、奇怪なる紳士。

 人の形に留まりながら、明らかに人ではない要素が詰め込まれた両者は、互いに剣呑な気配を漂わせていた。

 

「──貴様側から、私を訪ねてくるとは。何事だ? 黒服」

「大した用ではありません。ただ、少し頼み事がありましてね。カイザーPMC理事である、貴方に」

 

 偉丈夫の問いかけに、紳士──黒服は、くつくつ、と乾いた笑い声を喉から捻り出して、そう答えた。

 

 

 

 

 

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