WOLVERINE STRANGER OF LYCORIS 作:織姫ミグル
十九世紀のカナダ・アルバータ州。
その少年は、体が弱いという理不尽さを埋め込まれてこの世に生まれた。
二十四時間、まともに動くことすらできなかった。
他人に世話をしてもらわなければ自由にも生きられない、良いとこのお坊っちゃまだった。幸いにも名のある名家の息子ということでメイド達使用人が看病してくれたが、彼にとっては父親が慰めに来てくれるのだけが心の救いだった。
母は、一応愛してくれてはいるが、どこか自分のことを見てない気がした。
幼い子供には理解できない何か複雑な感情を持っているようだが、それは後に残酷な事実が隠されていたことを知る。
体が弱く、常に治療を必要とする病気がちな子供に必要だったのは、『母性』だった。
幼いながらも一人で孤独にベッドの中でしか生きられないジェームズは一人でいつも時を過ごすのが怖く、もうその年で将来の不安というものを抱えてしまった。
そんな彼の両親は、ジェームズを監視し元気づけるために『ローズ』という名の若い女性を雇ってみた。彼女との関係は良好で、いつも楽しく過ごしていた。
そんなある日。
彼の父が外出を許された日に、彼とローズはハウレットの邸宅の管理人、“トーマス・ローガン”の息子と出会い、一時的に遊ぶ仲になった。
しかし、その光景を見て不快に思うものがいた。
トーマスだ。
トーマスとその息子はスラムにある汚い小屋に一緒に住んでいる。大金持ちのお坊っちゃまとはえらい違いに、怒りを覚えてしまうのはおかしいことなのか?
世の中の不条理に腹を立てるのはいけないことなのか?
とにかく怒りっぽいトーマスは口汚い酒飲みで、ジェームズの父親である“ジョン・ハウレット”にひどく腹を立てていた。
邸宅の管理人を任されてても、金はほとんど貰えない。一銭も貰えないよりかはマシだが、これで喰っていけるわけがない。
こんな守銭奴どもが牛耳る世の中でどう生きろというのか、と誰にも当たれない不満を酒で解決していた。
それからだ。
トーマスの息子がローズを性的目的で襲い、ジェームズのペットの犬を殺そうとしたため、ジョン・ハウレットはトーマスを解雇した。
更なる罰として、資産を放棄させた。
その扱いにトーマスは糸が切れたような音がし、ついに頭のネジが外れてしまうことになった。
憎悪が憎悪を呼び起こし、それは次第に殺意へと明確に変わっていく。だが、まだ頭は正常だ。これではやろうとする時に平常心が邪魔をして計画が台無しになるかもしれない。
だから奴は、大好きな酒の力で動いた。
酔ったトーマスは猟銃を持って夜中にジェームズのいる豪邸に侵入し、家主であるジョン・ハウレットが勇敢にも立ちはだかり、二人は取っ組み合いになる。
『エリザベス!! こっちに来い!!』
『嫌よッ!! 貴方のところになんて行きたくないッ!!』
『家へは来るなと言ったろッ!? 解雇された分際で、家へ足を踏み入れるなッ!!』
『ふざけるなッ!! そもそもお前のような奴がいるから──────』
声が、聞こえた。
怒号が飛び交い、それは体の弱いジェームズの元にまで届いた。
『······んぅ?』
激しい物音は大金持ちの豪邸には不向きな音色。
家主達を満足させるために細心の注意を払って使用人達は動いている。
なのに。
その日は何故か物音が激しかった。
飾っていたツボが割れて湿った音と陶器が砕かれた音の両方が聞こえてくる。家全体が木で出来ているから軋む音もする。
『······お父さん?』
ごしごしと、まだ眠いジェームズは目を擦りながらその細い足でベッドから起き上がり、両親の寝室へと目指す。
壁に手をついて伝っていくようにして目指して、一歩、また一歩と進めている中で、寝室にたどり着いた時、ジェームズは目撃した。
バンッ!!
と。
鮮血を撒き散らし、高級カーペットに自身の父親の赤い血で汚れていくのを。
『········え?』
目の前で起きたことを、彼は一人ぼっちでガチガチと小刻みに震えながら見ていた。
『おい! 行くぞエリザベスッ!!』
『いやッ!! やめてッ!! ジョン!? ジョォォォオオオンッ!!!!!』
人を撃ったというのに、そいつは寝室に一緒にいた母親を連れて逃亡しようとしていた。
『お父、さん······?』
彼は重くなった足を動かして、床に倒れている父親のもとまでやって来る。いつも優しく撫でてくれたその大きな手をゆっくりと掴むと、その手は冷たくなっていた。
『·······そ、そんな·······ッ!?』
信じられなかった。
目の前で、自分の父親の死に目を見てしまった。それがどれだけ恐ろしいことか。
死んだ。
その事実に恐怖したジェームズは体が弱いにも関わらず、息が荒くなり、呼吸が困難になる。
肺がやられる。
汗が異常に吹き出す。
鼓動が早くなる。
そんな少年に、撃った張本人がその姿を見つけると、子供相手に対して冷酷な言葉を言う。
『ジェイムズ·····お前にはわからないこともある』
『······』
『世の中、不公平だ······お前もいずれわかる時が来る』
話している内容よりも、何か悪いことを述べているとしか聞こえなかった。
馬鹿にされているとしか、感じなかった。
息がどんどん荒くなっていくジェームズは、そんな男に対して憤慨するように拳を固く、岩のように硬く、握り締める。
拳をぶっ放したところで反撃されて終わり。
·······けど。
········だとしても。
目の前にいる人間だけは、存在しちゃいけない有害物質だ。
『うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!!』
血を吐くように叫ぶ少年の声は、何故か発砲音にも聞こえた。
まるで爆発したように、トーマス目掛けて勢い良く駆け出す。
瞬間、
『ッ!?』
それに気付いたトーマスは反射的に手に持っていた猟銃を構えてジェームズに対して放つ。
が、
鮮血が飛び散っただけで、彼の走る勢いは止まらなかった。
狙いを定め、確実に仕留めることを考えていたジェームズはその腹に拳を入れてぶん殴るだけのつもりだったらしいが、彼は自分の手から凶器が出ていることに気付いていなかった。
よって。
ザシュ!!
と、何かを貫いた感触が伝わってきた。
殴って手を痛める感触は一切なく、何かが肉の中に埋め込まれた奇妙な感覚がジェームズの脳内を支配する。
と、
『ご、ゴバァッ!?』
真っ赤な液体が顔面にかかった。
少し目に入って瞑ってしまったが、反対側の手で拭おうとして左手を目に近づけると。
ガリ、とした感触と何か鋭いものの先端が額に当たった気がした。
『え?』
ジェームズは着ていたローブの袖で血液を拭って自身の手を見ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
【手から、骨の爪が生えてる】
『あ、あ·······ああッ!?』
それに反応したのはジェームズ本人ではなく、彼の母親だった。
自分の子供のやったことと、そしてその恐ろしい姿を見て取り乱しているのか、目を見開いて言葉に出来ないことばかり呟いている。
やがて、彼女はトーマスが持っていた猟銃を手に取ると、ジェームズに銃口を向けて、
『あ、貴方は······なに!?』
『お、お母さん。僕は───』
『化物ぉぉぉおおおおッ!!』
『ッ!?』
そう叫んだエリザベスは、銃口を自身の顎へと向けて引き金を引いた。
引かれて飛び出た弾丸はエリザベスの歯を砕き、頭蓋骨を貫いて頭脳に穴を開けて絶命した。
『·······ッ!!』
ゾッと。
そんな当たり前の悪寒を感じることさえ出来なかった。
世界が変わった。実感が曖昧になる。
病気で弱いはずなのに、息が整っている。
『あ、ああ、あああ········ッ!!』
そしてついに、現実を受け入れてしまった。
何もかも、自分の身に何が起こったのかも。
それを理解してしまったジェームズは、恐怖のあまり一刻も早くそんなことから逃げなくてはという思いが膨れ上がっていく。
『うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!!』
罪と闇の訪れ。
それが一気にやって来た。
希望を失い、何もかもがなくなってしまったジェームズはそこから逃げるように屋敷の外へと飛び出していく。
ローブを着たまま、靴も履かないまま、土だらけの道を全速力で走っていく。
不思議だった。
こんなにも早く走れたことなんてないのに、こんなにも動けたことなんてないのに。
息切れ一つしなくなっている。
それが怖かった。
自分の身に対して起きたことについて考えたくもなかった。
それから先はどこからどうやって生きていったのかは覚えてない。
全ての認識が。
途絶した。
✕✕✕✕✕
それからはもう、ずっと走り続けた。
振り返らず、目の前に広がるいくつもの死を見てきた。
あからさまに敵を追い詰め、手に持った銃で額に穴を開けたこともあった。
銃弾を浴びても死ななかったということから軍法会議にかけられ、魔女裁判のように首に縄をかけられたこともあった。結局、縄がはずされた瞬間に息を吹き返し、死ぬまでには至らず除隊させられて国まで追放された。
生きる術がなくて、どこかの小屋に籠って訪れる者達から略奪して食い繋ぐことなんてこともした。
第二次世界大戦に入ってからまた入隊し、銃を手に持って弾丸をいくつもぶっ放した。人を一人ずつ、命を奪い、優勢になっていく感覚がもう堪らなかった。日本と戦うことになった際、海からの潜入で他の仲間がやられてしまう中、自分は死ぬことが出来なかったため捕虜となり、捕まったりした。だが、都合良く原爆が落ちてきてくれて、お人好しな日本人が自分を解放してくれたからその恩返しに、原爆の炎に焼かれないように自分が盾になってやったりもした。
いくつもの組織に属して銃を握り続けていた。
それで、自分が人を殺すことしかできない化物だと実感できたのだ。それでもう、自分は人間ではないと感じ、否定し、あの時のことをなかったことにしようとした。
あれをやったのは化物だ。
化物は人を殺すもの。
ならば、俺は化物。
化物だから人を殺しても何も問題ないんだと。
自分をなんとか保ってきた。
そしてある日。
アメリカ政府によって『特別な者達』が集って編成されたチームに入って国のために働かないかという誘いを受け、彼はそれに乗った。
最初のミッションはめちゃくちゃ簡単だった。
ダイヤモンド工場から、『ある鉱石』を奪うこと。
たったそれだけの仕事をした後、その鉱石の出所へと赴き、鉱石を神として崇めていた村人達を虐殺して鉱石の原石を手に入れた。
その時は知らなかった。
その原石は全て、『自分の体内に入れられてしまう』ということに。
彼は唐突に拘束され、実験台へと運ばれて溶解した液体状の金属が、中に流れ込んでくる感触は今まで以上に苦しかった。
体全体が内側から出たがっているような、そんな感触。
その実験によって、彼は破壊不可能な特殊合金『アダマンチウム』を骨格全てに身に纏い、銃弾どころか核ミサイルさえ通さない無敵の体になってしまった。
不死身の兵器。
そうするようにアメリカ政府は自分の記憶を消し去り、都合の悪いものは自分の手によって消させられていたが、ある日自我を取り戻して脱出に成功した。
それから、世界最強のテレパシー能力を持つミュータント『プロフェッサーX』に出会い、そこで同じ境遇の仲間達と共に、人助けをしていた。強大な敵に立ち向かい、自衛隊では対処できない相手に闘い、人命救助が困難であろうとそれに適した能力を持つミュータント達が手を取り合って活動していった。
その組織は、ヒーロー活動の他に『学校』としての面もあるため、彼はそこで歴史の教師として子供たちに教えていた。専攻が歴史な理由は、実際に見てきたからだ。これ以上の教材はないだろう。戦争の恐ろしさ、残酷さがどれ程のものか、子供達に教えてあげていた。
そこで、彼にはコードネームが与えられた。
ヒーロー活動をする際の、特殊スーツまで用意された。
それを見たとき、最初は着るのを戸惑ったが、それがルールだということで渋々着ることを了承した。もし、ここをやめることになったら恐らくもう二度と着ることはないと思う。
そして、名前についてだが、
由来は、彼の性格と能力から『クズリ』というイタチ科の小さいが獰猛な動物に似ていることから、その動物の名で呼ばれるようになった。
その名前が、
“ウルヴァリン”。
✕✕✕✕✕
だが。
十年前のある日。
人類とミュータントの両方を守る為に結成されたX-MENだったが、『インナーサークル』という敵対組織との戦闘中にメンバーの“ジーン・グレイ”が暴走し、やむなく死亡。
それだけじゃなく、こちら側の被害もすごく、X-MENもミュータントを匿うためのエグゼビア機関も壊滅したために、組織のボスであるプロフェッサーXは、世界から『ミュータントという生き物は存在しない』という認識に書き換えて、そのままお隠れになられた。
残ったミュータント達は、政府が引き続き計画していた『ミュータント殲滅作戦』によって市販の飲料や食品に仕込んでいた『キュア』によってミュータントの持つ細胞が死滅していき、どんどん息絶えていった。
認識は変わっても、その作業は無意識の内に続けられていたようで、耐性のないミュータントは次々と死んでいった。
それで、自分だけが残った。
そこからはもう知っての通り、あてもなく彷徨い続けて、十年間息をする死体のように生きて、存在が忘れ去られた頃には自分自身も本当に死んだんじゃないかとすら思えた。
だが、どうしても死ねなかった。
死ぬことが許されなかった。
何をやっても死ねない体になっている彼はもう何もかも諦めたような顔をして、ダメ元で日本行きの輸送船に乗り込み、世界一治安の良い街でゆったり暮らそうと考えた。
「······これで満足か?」
「「「「「·····」」」」」
全てを語り終えた頃には、ローガンはオレンジ色に染まるステンドガラスの当たる席で、呆けたように座っていた。
手足は力なくだらしなく下がり、その目は千束達からわずかにずれた天井をぼんやりと眺めていた。
「······そんな、ことって」
たきなが俯きながら信じられないようなことを聞いて頭を抱えていた。許容量オーバーしたのだろう。自分の頭では理解できない話を聞いて、その現実を受け入れられないといった感じか。
頭脳戦が得意なたきなでも理解できないスケールの昔話。
必死に理解しようとしても、何故か納得出来ない自分に腹を立てる。
「そして俺は、あのビルに一年間も過ごしていて、お前らがそこでドンパチ始めた結果こうなったというワケだ」
ローガンは。
その瞬間、奇妙にも笑いにも見える弛緩した表情を浮かべて皆を見ていた。確実に笑うための感情はそこには込められてない。
皆が皆息を呑み、話されたことを素直に受け止められないのだ。だから皆動揺し、自分の頭がイカれたんじゃないかとすら思えてきてしまった。
だから話したくなかったんだ、と皆のその表情を見て彼は鼻で笑って諦めたような目をして見ていた。
でも、彼はこう続けた。
「悪いな、こんなクソ話を聞かせてしまって」
その声に答えたのは五人の中で一人だけ、
「······ううん」
自身の左手に、一つの雫が滴る。
やがて。
錦木千束は、焼けるような瞳を擦り、涙腺から涙をこぼしながら、震える唇を動かしてこう言った。
「ありがとう······聞けて良かった」
千束だけは、ローガンという人間の胸の内から噴き出した言葉の数々を静かに受け止めていた。
それはきっと、並大抵の苦しみではなかったろう。
それはきっと、とても辛い生き方だったのだろう。
千束は、五人の中で唯一彼を理解した。
彼のその体に、どれほどの重みが乗っかっていたのか。
そして。
その中にはどれほどの苦しみが抱かれていたのか。
「·······それじゃあローガンさん」
彼の想いを受け止めたことで話が進められる。
仲良く出きるチャンスがやってきた。
それを待ちかねたように、ようやく自分達が持っている秘密を打ち明けられるという喜びを感じながら千束は笑って話す。
「今度は私達の番だね!」