WOLVERINE STRANGER OF LYCORIS   作:織姫ミグル

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第2章

 

 

スナイパー、ミカは狙撃用ライフルを構えていた。

 

彼がいるのは向かいのビル。特に何の許可もなくビル内に侵入し、階段を登って屋上までやって来た。物騒な世の中、用心のために屋上に勝手に出たり侵入されたりしないように電子ロックが付けられているのが一般的だが、彼の手にかかればそんなもの即解除出来てしまう。

 

屋上の端に鞄を置いて高さを調整し、そこから狙撃ライフルの銃口を伸ばしている。

 

距離はおよそ三◯◯メートル。

 

彼の腕なら外すことはないだろうが、障害となる窓が邪魔しており、一人倒したら今人質となっている『リコリス』が殺されてしまう。

 

だから待機する。

 

スコープを通して遠く離れた標的の動きを監視する。

 

と、彼の耳に装着しているインカムから声が飛んでくる。

 

 

『ミカ、千束の到着はまだですかね?』

 

「そろそろのはずだが、捕まったリコリスがヤバイぞ」

 

 

スコープ越しにいる犯人達は、一人の少女を人質にして向かい側にいる少女達に何かを叫んでいる。

 

表情を見るに、一刻の猶予もない顔をしている。焦燥に満ち溢れたその顔に大量の汗が浮かび上がっている。

 

あの心理状態では、いつ撃たれてもおかしくない。

 

 

「どうする? 撃つか?」

 

『いえ、商人は捉えたいですね。千束を待ちます』

 

 

インカムの向こうにいる女性の声には、一切の感情はなかった。もしかしたら、人質となっているリコリスなど気にも留めていないのかもしれない。

 

彼女達は戦うために存在している。治安を守るため、本来違法となる銃火器を持たせてこの街を守っている。人の命を奪うことを許している以上、こちらも撃たれても文句は言えない。そういう認識なのかもしれない。

 

ミカは少し苛立ち、奥歯を噛み締める。

 

と、インカムからまた別の声が聞こえてきた。

 

 

『あ、先生? 現場に到着したよ、何階に行けばいい?』

 

「六階だ。急げ」

 

『六階ぃぃぃぃぃぃいいいい!?』

 

 

いちいち的確な指示を出す暇もなかった。

 

切迫した状況に集中したくて、とにかく現場に到着して欲しかった。

 

向かい側にいるリコリス達を見ると、彼女達もどこか焦燥めいた表情をしている。いつでも撃てるように銃を構えて身を低くして様子を窺っているが、本音を言ってしまえばさっさと突入して人質となっている仲間を助けたいのだろう。

 

 

「どうする? もう時間がないぞ」

 

『まだ待って下さい。千束が到····まで······動か·······』

 

「!?」

 

 

唐突だった。

 

本部の指示を聞こうと通信を試みた時、急にインカムからザザザザザッ!! というノイズが走った。

 

 

(外部からのハッキングか······ッ!!)

 

 

これでは本部の指示を受けられない。

 

このままではチェックメイトだ。

 

思わず狙撃ライフルの引き金を引いて、援護に動き出そうとした······その瞬間だった。

 

 

「!?」

 

 

彼は目を見開いていた。

 

原因は、現場にあった。

 

その予想外の展開に思わず息を呑み、口を閉じることを忘れてしまった。

 

ありえない、と思った。

 

スコープを覗いていたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

「先生! ポイントに到着。いつでも行けるよ」

 

 

一方、こちらも準備が整っていた。

 

現場に到着して部屋の外で待機し、先生の指示を待つ。

 

が。

 

 

「? 先生?」

 

 

応答がなかった。

息をする音だけ聞こえてきたので、回線が途切れたわけではない。

 

一体どうしたのか。

 

千束は疑問に思いつつも、部屋の中の様子を窺おうと窓から部屋の中を覗き込む。

 

 

「······え?」

 

 

思わず千束も声を出してしまった。

 

部屋の中にいる奴らにも聞こえると思ったが、彼らは千束の存在に気付かない。

 

むしろ、別のところに視線を向けていた。

 

その様子を見た千束はバッ!! と手近な壁の陰に身を潜めつつ、

 

 

(何やってんのあの人ッ!?)

 

 

わなわなと震えるが、もうどうにもならない。起きてしまった展開を巻き戻す手段はない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

「司令部! 司令部! ······くそッ!! 」

 

「オラ! 聞いてんのか!? 畜生、仲間をこんなに殺りやがって······ッ!!」

 

「フキ! このままじゃエリカが······ッ!!」

 

「わかってる! でも命令は······待機だッ!!」

 

「でも······ッ!!」

 

「十秒だ!そっから出て来い!!こいつをぶっ殺すぞ!!」

 

「「ッ!!」」

 

 

彼女達は動けずにいた。

 

前方には、四、五人の武装した男達が固まっていた。しかもその中央には、仲間らしき少女が無理矢理座らされている。

 

距離にして十メートルほどだが、切迫した状況ではその距離はもっと長く感じる。全員が拳銃で武装している。下手に近づけば人質だけでなく、自分達も蜂の巣にされるのは避けられない。

 

 

(······何か手は)

 

 

黒髪の少女が、この状況を打開するために何か策を立てる。周りを観察し、彼らの気を剃らすためのものはないか探す。

 

 

「十! 九! 八────ッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

そうこうしている内に、いよいよ死へのカウントダウンが始まってしまった。このままでは仲間が殺されてしまう。

 

 

「······ッ!!」

 

 

と、黒髪の少女はあるものに目が行った。

 

ここに突入する際に無力化した奴らが使っていた機関銃。箱の上に置いて階段を登ってきた彼女達に対抗するべく備えられていたようだが、黒髪の少女の優秀な活躍によって、その銃口から弾が放たれることはなかった。

 

装填されている無数の弾が、箱の下に伸びている。

 

あれを使えば、奴らを一瞬で無力化できるはずだ。

 

 

(······でもッ!!)

 

 

しかし、彼女の中で迷いが生じる。

 

言い表すことのできない感情が彼女の行動を止めてしまう。何故それを使うのを躊躇うのか、理由は『命令違反』という言葉が原因だった。司令部の指示は、『商人の捕獲』と『待機』。それを破ってあの機関銃をぶっ放してしまえば、何らかの罰を受けるのは確実だろう。

 

その未来が見えた瞬間、彼女の体は石像のように固定された。

 

 

「七! 六! 五────ッ!!」

 

「構わず撃ってみんなッ!!」

 

「!?」

 

 

男がどんどん数字を下げていくと、人質となっている少女の声が聞こえてきた。

 

それが拘束を解くトリガーとなる。

 

迷っている暇はない。今こうしている間にも仲間の命が失われようとしている。それだけは絶対に許してはならない。

 

よって彼女の行動は決まった。

 

黒髪の少女、“井ノ上たきな”は箱の上にある機関銃をその手に取り、向こう側にいるならず者共に銃口を向ける。

 

 

「たきな!?」

 

 

今回の作戦のリーダーである赤い制服を着た少女がその行動に思わず目を見開いて声を出してしまったが、たきなは機関銃のロックを外しその引き金を迷わず引く······はずだった。

 

 

「······え?」

 

「「?」」

 

 

引き金を引けば終わりだった。

 

たったそれだけだ。

 

それだけのはずだった。

 

なのに、ふと何かに気付いたようにたきなは動きを止めた。

 

いや、たきなだけではない。向こう側にいる奴らも、いつの間にか死のカウントダウンを中断していた。彼らはたきなの方を見ていない、視界に捉えていない。

 

その様子に不審がった残りの二人も、ゆっくりと、バリケード越しに顔を覗かせて何かを見る。

 

 

「······な!?」

 

 

ここからだとよく見えない。

ちょうど立ち塞がる男達の体が壁となって、彼らが何を見ているのかがよくわからない。だが、全員凍り付いたようにそちらに視線を向けて動きを止めていた。

 

あれは、確実にイレギュラーな存在だ。

 

両者とも、その『何か』に目を奪われてしまっていた。

 

有利な立場であったはずなのに、動きを止めている今こそ引き金を引いて全てを終わらせればいいはずなのに、そんな事も忘れてしまったかのように。

 

 

「······()()()

 

「「「「「「「「!?」」」」」」」」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

全員が凍り付いたまま、“それ”はポツリと話しかけてきた。

 

この状況を見て何も思わず、平然と話しかけてくるその様子に全員が不気味に思った。明らかに不自然な空気が漂っていることに気付いてないのかこいつはとも思った。

 

少なくとも、“それ”の目の前には武装した集団が何人も立っている。その内の一人が、まだ成人にもなっていないか弱そうな少女を強引に座らせて銃口を頭に押し付けている。そんな光景を見て何も思わないのか? とならず者共全員が思った。

 

しかし、“それ”はいつまで経ってもそのまま動かない。

 

むしろ、これが平常運転ですとアピールしているようにも見えた。

 

おそらく、そこにいるのは何の関係もない『一般人』であろう。格好は黒い革のジャケットの下に白いシャツを着て、青色でダメージの入ったジーパンを履いている。多分高めのブランドものだ。おまけに、その手にはまだ中に入っているような酒瓶が握られている。

 

危険人物達に見られているというのに、人の目を気にせずそいつはその酒瓶に口を当て、中に入っている液体を喉の奥に押し流す。

 

ただの一般人とは誰も思わなかった。

 

どちらかと言うと、馬鹿野郎だと思った。

 

『ただの通りすがりの酔っぱらいです』と全身で表現していた“中年のおっさん”が、そこに立っていた。

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

「······ゲップ」

 

 

酒臭ぇ!! と目の前にいる男達は思った。

 

その男から発せられる体臭の八割が、アルコール成分だった。宣言した通り昨晩から酒を飲み続けた結果、体全体に酒が行き渡り、汗となって体外へ排出されている。人質となっている少女もその臭いに思わず顔をしかめる。

 

何なんだこいつという怒涛の感想をその男にぶっ放そうとしたがどうにか呑み込み。

 

 

「て、テメェ! どっから入って来やがった!? 何でこんなところにいやがる!?」

 

「あぁ·······? あのな、今何時だと思ってんだ。近所迷惑を考えろ」

 

「ああ!?」

 

「騒ぎたいのはわかるが、もうちょっと常識を持て。普通暴れるなら夜中だろ」

 

 

話が通じない。

 

一方的な意見を述べ、追い払うような手つきで手を振るその男性には空気を読むという常識が欠如していた。

 

みんなその男の様子に度肝を抜かれ、言葉を失っていた。その男から発せられる異物感の恐怖心によって、彼らの思考はバラバラに寸断され、各々が孤立している。

 

八人ほどの男と少女達はほんのわずかな間、黙ってその男に首を向けていたが、その中の一人が無言でその男に銃口を向ける。

 

ドバンッ!! と。

 

耳を破裂させるような轟音と共に、撃った衝撃が肩を潰しにかかる。

 

 

「「「「!?」」」」

 

 

それを見ていた四人の少女達は言葉を失った。

 

目の前で、何の罪もない民間人が射殺された。世の平和を守る彼女達からしたら、それは許されることではない事態。

 

ばったり倒れる男の体。撃った男の予想通り、散弾は標的にぶつかる前にあちこちへ散らばった。標的との距離はおよそ十五メートル。ショットガンは近距離なら近距離なほど、その威力が増す。正確に狙いを定めて発砲した銃弾は彼の胸に広範囲に当たり、割れた硝子片が散らばる部屋の中、液体を撒き散らして床へと倒れ込む。

 

男の着ている白いシャツに、彼のものと思われる血が染み込んでいく。倒れた拍子に、持っていた酒瓶が床へと落ちて粉々に砕け散る。

 

撃った男はそれを確認すると、つまらなそうに舌打ちする。

 

 

「全く、意味のわかんねぇこと抜かしやがって。こんなところに入り込むからそんな目に遭うんだよ」

 

「お前ぇぇぇえええッ!!」

 

「動くんじゃねぇ!! テメェらもこいつみたいになりたくねぇだろ!? 今度こそ確実にこいつを殺すぞ!!」

 

「「「ッ!!」」」

 

 

何も躊躇わず撃った男に向かって叫んだたきなだったが、空気の流れを取り戻した彼らは再び彼女達を脅す。

 

床に座らせている少女は撃たれた男性の遺体を見て、思わず体を震わせる。

 

せっかくの千載一遇のチャンスを逃してしまったたきなは、機関銃を持ったまま歯を強く噛み締める。さっさと撃てばよかったかもしれない。そうすれば、あの人も死なずに済んだかもしれないのに、と悔しさのあまり唇まで噛んでしまう。流れ出る血の味に苛立ちを覚える。

 

 

「おいテメェ!」

 

「ッ!?」

 

「その機関銃を下へと置け! さもないとこいつを今すぐに殺ブパァッ!?」

 

「「「!?」」」

 

 

脅しの言葉を投げ掛けている途中で、その男の意識は途切れた。

 

何があったのか、見ていたのは少女達だけであった。

 

見たままを説明すると、男の後ろにいた遺体がむくぅ、とゆっくりとした動作で起き上がり、まるでゾンビみたいな足取りでそいつへと近付いて鉄拳を喰らわしたのだ。

 

 

「······痛いじゃないか」

 

「「「「「「「「!?」」」」」」」」」

 

 

よろよろとした調子で、死んだはずの遺体がそう言った。複数の銃弾がその体にぶちこまれたはずなのに、彼は何事もなかったかのように立ち上がった。

 

流れ出ていた血も、予想よりも少なかった。

 

まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「お前ら······悪いことは言わない。悪いことは、言わない」

 

 

大事なことなので二回言った。

 

訳がわからないので反射的にもう一回撃ってみようと思ったのだろう、さらに男達は無意識にバンバンと引き金を引くが、もはやそいつは足を引くだけでビクともしない。

 

その様子に恐れを抱いたのかその中の一人が、銃口を震わせながら、

 

 

「お前······何で······死んでないんだッ!?」

 

「······なぁ、このまま大人しくどっか行ってくれないか。俺も、あまり騒ぎを起こしたくない」

 

 

そう言った直後だった。

 

彼は両手を丸めて拳を作ると、その指の付け根から見たこともないものが勢いよく飛び出した。

 

シュン!! と。

 

飛び出してきたのは、『銀色に輝く鋭利な三本の爪』。

 

それを見た全員が恐怖する。

本能的に身の危険を感じ、男共全員がそいつに銃口を向ける。だが、そこから動けなかった。下手に動いたらこいつに何されるかわからない。『人間ではない奴』に鉛弾をぶち込んだらどうなるか、予想できなかったのだ。パニック状態に陥った彼らは一歩ずつ下がって、それでも銃を降ろすことはない。

 

少女達も、その化け物染みた存在を見て動くことを忘れていた。無力化するためならどんな手を使ってでも行動しろと教え込まれているのに、未知なる存在に圧倒されて頭の中は空白に染まっていた。

 

彼はそんな目で見られていることにも気付かずに続ける。

 

 

「もう一度言う、悪いことは言わない······怪我する前に、とっとと失せろ」

 

「ふ、ふざけるな化物がぁぁぁあああッ!!」

 

 

一人の怒号を皮切りに、全ての銃口が一斉に火を噴く。

 

 

「ッ!! やめ───ッ!!」

 

「たきなッ!! よせッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

鼓膜を突き破るような銃声の嵐と共に、たきなは近くにいた仲間の少女の手で地面へと引きずり倒された。男達の近くにいた人質の少女は、一度銃口を向けられたせいか、雷に怯える子供のように身を屈めて震えていた。

 

男達は少女達のことなど気にも留めない。

 

まるで虫眼鏡で太陽光を集めているかの如く、集中砲火を男性に浴びせる。銃から発せられる弾のいくつかが訳のわからない方向へと流れ、周囲にある固いコンクリートや金属プレートに埋め込まれると、そこから火花を散らして周囲に一時的な煙幕を撒き散らした。

 

 

「くそッ!! これじゃあ何も見えないッ!!」

 

 

赤い制服を着た少女が煙で視界がゼロになった状態で、それだけ叫ぶ。ただ何も見えないという状況は余計に彼女達の焦りを助長させていく。

 

人質の仲間も心配だが、それ以上に撃たれた民間人の様子が知りたかった。

 

すぐ近くにいるはずの同僚の顔も見えない。

 

そんな状況で、

 

 

「この、クソッタレ共がぁぁぁぁぁあああああああああああああああッッッ!!!」

 

「「「!?」」」

 

 

聞き覚えのない男の裂帛とした叫び声が、彼女達の耳に響いた。

 

撃たれている男のものだ、と気付く前に。

 

 

「ぎゃああああああッ!?」

 

「や、やめ───ッ!!」

 

「ぐあぁあああッ!!」

 

「がぁあああああッ!?」

 

 

ザシュ! ドシュ!! という、何か肉的なものを切り裂く音が聞こえた。その後には、床に何か液体的な物が落ちる湿った音まで聞こえてくる。

 

たきなは様子を見ようと顔を上げるが、やはり煙がひどくて視界が確保できない。人質と民間人の様子を知りたくても動けない。

 

そもそも煙の向こうで何が起きているのか、それを引き起こしているものがなんなのかも一切判別できない。

 

 

「何なんだッ!! 一体何が起こっているッ!?」

 

 

何も見えない状況で、赤い制服の少女は判断できない状況に困惑して声を荒げる。

 

 

「フッ!! ハッ!! ぬぅァアアアアアアアアアッッッ!!!! 」

 

 

近距離で、裂帛した叫び声が飛んできた。

 

怒り狂っているような、そんな叫びだった。

 

いくつも刺す音が聞こえてきたり、肉を噛み千切るような鈍い音が何度も連続している。複数の絶叫が響き、さらに多くの鉄の臭いが充満した。

 

何度も響くその鈍い音は何秒も続いていたが、しばらくすると絶叫がいつの間にか途切れていた。

 

 

「······ど、どうなった?」

 

「「······?」」

 

 

三人は結局、身動きは取れなかった。

ただ黙って、成り行きに身を任せる事しかできなかった。

 

三人は部屋の向こうを見る。

 

それと同時に、驚愕する。

 

この世には、知ってはいけないことがある。それが幸運にも煙で遮られていたのだと、彼女達は悟った。

 

割れた窓ガラスによって視界を塞いでいたけむりが流れていき、ようやく景色が映し出される。

 

すると、人質となっていた仲間のエリカがすぐそこで尻餅をついていた。

 

彼女は青ざめた顔で、見てはいけないようなものを見たといった表情をしている。口を何度も何度もパクパクと動かし、何とか言葉を発しようとしているようだが、上手く声に出せない。

 

彼女は仲間達の姿を確認すると、真っ青な表情のまま震える人差し指で床へと指差していた。

 

三人ともそちらを見る。

 

ついでに、外で一部始終を見ていた『二人』も隠れながら見る。

 

そこには、撃たれたはずの男性はいなかった。どこを見渡しても、その影さえすでになかった。

 

代わりに、あるものだけが残されていた。

 

ちょうどそこは、彼女が指差した場所。

 

そこにあったのは。

 

大量に飛び散った血痕と、首や腕がバラバラに切り裂かれた複数の遺体だった。

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

「······ッ!!」

 

 

突然起こった出来事に、千束の全身へ緊張が走る。

 

一部始終を見ていたが、それが現実に起こったものなのか疑ってしまうほど信じられなかった。

 

何よりも彼女が驚いたのは、その存在。

 

言葉では説明できない、詳細が不明な存在を見て、思考が真っ白に染まっていた。

 

いつの間にか銃を持つ手から、異様な汗が噴き出しているのが分かる。

 

理由はわからない。しかしあの煙の中で暴れまわっていた存在は、今まで戦ってきた奴とは別格だ。どう立ち向かうのかとか、戦略を練れば勝てるとかいう段階を軽く越えた存在。

 

撃っても死なない存在。

 

その圧倒的な存在の前に、あの千束が茂みに隠れて猛獣をやり過ごす草食動物のように、息を止めることしかできなかった。

 

相手はおそらくこちらの存在には一切気付いていない。

 

それでも、千束の全身を緊張が包み込んでいた。

 

いつも陽気で活発な性格をしている千束がそんな状態になるなんて、本人も思っても見なかったろう。

 

 

「······!」

 

 

と、耳につけてるインカムから声が聞こえてくる。

 

 

『千束、無事か?』

 

「······」

 

『······千束?』

 

「······あ、うん! 先生! 平気だよ!!」

 

『ならいい······お前も見たと思うが、あの男がまだそこらに彷徨いているかもしれない。応援がそいつを追うためにここにやってくる。急いでそこから撤収しろ』

 

「はーい、またお店でね」

 

 

そこで会話は途切れた。

離れた相手との会話を終えると、千束は服に付着した埃を手で払う。

 

 

「······なんだったんだろう、あの人」

 

 

流れるような展開に出るタイミングを失い、完全に出遅れてしまったが、その出来事は彼女の記憶に永遠と刻まれるだろう。

 

千束はその存在を追えなかった。

 

身を出すこともできなかった。

 

正体不明の存在が消えた後も、その疑問が千束の中で消えることはなかった。

 

 

「······ってか私ただの走り損では!?」

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

「はぁぁぁぁ······ったく」

 

 

ローガンは、現場から離れたところで深くため息をついた。

 

定期的な振動音だけが彼の体を揺さぶっていた。その震源地の正体は電車だった。彼は今電車が走る橋の下で息を整えていた。

 

橋の上を通って川の向こうに走り去っていく電車の音が彼の体に侵入し、その体を震わせている。

 

 

「あいつら、めちゃくちゃ撃ちやがって······くそっ」

 

 

また、やってしまった。

 

そう言うかのように、彼は悔やんでいた。

 

消耗しきった体には、まだあいつらの返り血がこびりついている。これでは、洗っても落ちそうにない。お気に入りだったのに、このままでは行く所々で道行く人々から不審そうな目で見られるのは間違いない。

 

何の問題も起こさず静かに暮らすと決めていたのに、その決意は軽々と打ち砕かれた。何人もの少女達に自分の存在を知られた。彼女達が何者なのかわからなかったが、これで彼は世間にまた広く知られることになるかもしれない。

 

警察に事情聴取され、自分のことを話してしまうかもしれない。

 

自分はこれからどうすればいいのか、道に迷わないように地図を頼って進んできたのに、いきなり道が崩壊して転落してしまったような気分に嫌気が差す。

 

不死身のミュータント。

 

日本に隠れ潜む彼を知るものは今となってはいないだろうが、もしもその存在を知ってしまえば誰もがこんな感想を抱くかもしれない。

 

化物。

 

存在してはならない化物、と。

 

 

「······チッ!」

 

 

彼は舌打ちをすると着ていた白いシャツを脱ぎ、河原に投げ捨てる。黒いジャケットはチャックを閉めれば一応上半身を隠せる。いつかまた白いシャツを手に入れればいいと、気楽に考えた。

 

もう、どうでもよかった。

 

何が起きても受け入れると誓ったんだし、今これからのことを気にしても仕方がないように思えた。

 

彼は自暴自棄になったかのように、壁に背中を預けてその場に座り込む。

 

まるで、両親に捨てられ広い街の中を歩き回り、疲れ果ててうずくまる子供のように。

 

 

 

✕✕✕✕✕

 

 

 

ある日、一つの組織に『ある命令』が下された。

 

それは葉書サイズの紙切れにされ、全てのリコリスに行き渡った。

 

“彼女達”もまた、その指令を受け取った。

 

その紙切れには、似顔絵と共にこうあった。

 

 

『今日に起こった事件現場での証言の元、【濃いめの髭と漆黒の尖った髪を持つ男】、この者を殺人未遂の重要参考人として手配する』

 

 

 

 

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