WOLVERINE STRANGER OF LYCORIS 作:織姫ミグル
ミカを始めとしてローガン達がやって来たのは、この施設内で最も高い場所にある部屋だった。各々がソファに座ろうとして椅子の横で待機しているが、まだ皆さん座るつもりはない。
ローガンは軽く面々の顔を見る。
どこか緊張感があるというか、空気が悪いというか、主に千束から発せられる黒い感情を読みとったローガンはこれから始まるのは話し合いではなく論争なのではないかと疑い始める。
この中で最も偉いと思われる赤髪の女性に目を向けるが、彼女は千束と睨みあっている。特に顔は変えていないが、見下すようにわざと顎を僅かに上げているのを見るとあまり千束のことを気に入ってはいないようだ。千束はむしろ平常心、にやにや笑っておちょくるような感じで見ている。
その赤髪の女性、楠木が千束と何があったのかは知らないが、その隣にいる秘書らしき奴がこっちをめちゃくちゃ見てきていてなんか鬱陶しい。気付いていないふりをしているが、試しに目線を合わせてみたらビクッと肩を震わせて目を逸らした。
生意気な態度を取り続ける千束に、ずっと真顔でいる楠木に、司令である楠木が敬語を使うほどの男ミカに、特にこれといって特徴はない秘書。
最後に、一八三二年生まれでタイムスリップした経験も含めたら凄い歳上の不老不死人間がここに一人。
(······俺はなんでこんなわけのわからない場所にいるんだ?)
居心地が悪くなったローガンは特に動くことなく、大扉の前でため息をつく。なんとなく癖でポケットに入れていつも吸っている葉巻を取り出そうとするが、そもそも葉巻も煙草もライターもないのでリラックスする手段がない。
日本ってなんで葉巻置いてないんだろ、って思ったのはこれで何度目だ?
しばらくの間そんな空気が続いていたが、今回何故呼ばれたのかをようやく思い出したのか、楠木は千束から目を離してミカにこんな事を言った。
「······彼の処遇についてですね?」
「ああ······先にこちらの考えは知らせているからもう理解しているとは思うが、あれでどうだ?」
ローガンに気を遣っているのか、どこか説得をするような口調だった。
楠木は秘書から渡された資料を手に取り、
「報告書は読ませて貰いました。いくつか問題がある部分は多いですが、ミカとそれに······優秀なリコリスが常に監視していれば問題ないでしょう。不安は完全には拭いきれませんが」
「え!? 優秀なリコリスって私のこと楠木さん!?」
少し視線を千束に向けたのがまずかった。
千束は調子に乗って楠木にわざとらしく聞いてくるが、彼女は取り合わない。
ふむ、と楠木はローガンの顔を見た。
そのまま彼女はこちらにやって来る。少し間を空けて立つ。
「ここの最高責任者、楠木だ。お前の事情はミカ達から聞いている」
「そうか。そりゃあ良かった」
「何故お前がここに連れてこられたのか······それはお前がある事件の重要参考人として手配されているからだ。よって我々としては、お前をここに隔離して二十四時間態勢で常に監視をするという処置を取るつもりだった」
「フッ······光栄だな、そんなVIPな待遇を受けれるなんて」
鼻で笑って少し敵意を込めて言い放つローガンだったが、楠木はしかしと一拍置いて、
「千束からの報告を受けてそれは困難だと判断した。お前をここに置いておくには設備が足りなすぎるのに加えて、おそらく扱いきれないだろう。何人ものエージェントを配備したとしても無駄になりそうだ」
「お利口だ」
「よってお前の処遇について今から話し合うことになるが······その前に聞きたいことがある」
「?」
話を本題へと切り出そうとしたその直後、態度を変えた楠木は目の前にいるローガンの体を見ながら、微かに表情を歪めつつこう聞いてきた。
「お前······最後に風呂に入ったのはいつだ?」
ローガンはその質問に一体何の意味があるのかわからなかった。
が、周りの奴らはそれを聞いてギョッとしていた。別に楠木が何かをしたわけではない、しかしその一言で全員思い出したかのように気付かされた。
彼の今の格好を見てみよう。
黒いジャケットはボロボロで、銃弾でも受けたのかその跡が残っている。履いているジーパンもダメージジーンズとかではなく、ガチのダメージが入っている物だった。履いている靴も泥だらけで、靴底が少し剥がれている。
一見すれば喧嘩か何かで負ったのだと思うが、ここにいる者達はそういったものを見分けることに長けている。確かに戦闘で出来た傷にも見えるが、その他にも理由はありそうだ。毎日洗わずに虫に喰われ、腐食した結果ボロボロになったと見える。
髪型が尖っているのは元々だろうが、その形を保ったまま毛の量は草原並みに増えている。もしかしたらシラミが生息しているかもしれない。髭はもはやジャングル状態。濃くなりすぎて首元が見えない。
彼が今まで過ごしてきた場所を直接実際に見に行った者からすれば、彼の状態なんてすぐわかる。
ずっと野外で過ごしてきたんだから、汚ならしい格好になるのは当然かもしれない。
しかし彼は特に気にも留めずにこう答える。
「金がなかったから入浴できる頻度は限られてた。なけなしの金を使って最後に入浴場を利用したのは、雪が降り始めたくらいだったか?」
ピキリッ!!
と、空気が凍った。
主に女性陣から放たれる視線が絶対零度と化していた。楠木はポーカーフェイスを装っているが、千束に至っては白い目でガチで引いている。マジかコイツという目をして、先程まで自分は彼と一緒に手錠を掛けられていたことを思い出す。一気に全身が痒くなってくる。
今の季節は春。桜も咲き誇るシーズンとなった今ではお花見ブームが到来している。子供や大人達も春休みを使って新たな春の訪れを祝う時期だろう。
そして雪が降り始めたということは、大体二月下旬くらいか。
どんどん空間が寒くなっていく。
「······おい」
「はい」
楠木は素面のまま振り返りもせずに秘書に呼び掛けると、秘書は察したようにすぐさま手持ちのタブレットを操作する。
すると、
バーンッ!! と、ローガンの後ろから凄い音がしたと思ったら、いきなり両サイドから防護服を着こんだエージェント達によって取り押さえられた。
「!?」
何しやがると言いたげなローガンは怪訝そうに眉をひそめて睨み付けるが、楠木はやって来たエージェント達に命令する。
「消毒しろ」
「「「「「ハッ!!」」」」」
「おい待てッ!! 何処に連れてく気だッ!?」
「髪も髭も剃って新しい服を用意してやれ」
「「「「「了解です!!」」」」」
「おいクソッ!! 離せオイッ!!」
嘆きながらも拘束されて連れていかれるローガンの声は次第に小さくなっていった。
しばらくの間沈黙は続いていたが、千束の一言によって時間の流れは動き始める。
「すいませーん私もちょっと長めにシャワーを浴びに行きますのでその間に話終わらせといて下さい」
ほぼ一言で言い切った千束はどこか顔色を悪くして部屋の外へと出ていく。廊下を勢いよく駆け抜けるような音が響いてくる。この施設にもシャワールームは存在する。訓練施設で流した汗をお湯で洗うために、百近くシャワーを用意している。仕切りも完璧でちゃんと隠すように設計されている。千束はそこにもうダッシュで駆け込んで行ったようだ。
楠木は特に何も言わずに許可するように頷いて見送った。
大人だけとなった空間。
ようやく話し合いが始められそうだと思った楠木は、白いソファに腰かけてミカに対面の席につくことを勧める。
ミカは苦笑していた。
少しハプニングがあったことで気まずいと思っているようだ。
しかし楠木は、何の問題もなくいつものように真顔でこう切り出した。
「聞かせて貰いましょうか。新しい喫茶店の従業員の今後の活躍を」
✕✕✕✕✕
配慮のために音のみお送り致します。
「座ってッ!! 座りなさいッ!!」
「おい待て待て待て待て!!」
「もう動かないでッ!!」
「わかった!!」
「ほら湯船にちゃんと浸かってください!!」
「わかったわかったわかったわかったッ!!」
「そのままにしててください!!」
「オーケー······ッ!!」
「じっとしてッ!!」
「オーケぇ······オーケーッ!!」
「「「「「もう大人しくしてて下さいッ!!」」」」」」
「もういいもういいもういい!! そこは自分で出来るってッ!!」
✕✕✕✕✕
「ったく、ひどい目に遭った」
屈辱的な気分だった。
強引に湯船に連れていかれたローガンは、そこで何人もの女達に体を好き勝手に洗われた。むちゃくちゃ湯船が熱く、出ようとしたら戻されて石鹸が目に入るくらい多く付けられた。固いブラシで体を引き千切るようにゴシゴシと洗われて無茶苦茶痛かった。
それが、二時間も続いた。
のぼせるかと思ったが、適度に休ませたらまた再開といったサイクルを何度も繰り返し行った。水も含ませて熱が体内に溜まるのを抑え、その後髪や髭も勝手に整えられた。そしてまた体を洗って体に付着した毛を洗い流す。
解放されたのは、それら全てを終えてから五分後。
用意された服に着替えさせられて、司令室に向かってくださいとだけ言われた。
長時間に渡る監禁生活ってこんな感じなんだろうなとか思いながら施設の廊下をトボトボと歩く。
本当に奴らが自分をここに隔離するとするなら、さっきみたいなやり取りを繰り返さなければならないことになる。そんなのマジで耐えられない。だから隔離しないという判断を先に言い渡してきた司令には少し感謝している。
新しく用意された服は、赤いチェックシャツに青と水色が混ざったジーパン。靴も新調されて限りなく黄色に近い茶色のブーツを渡された。
アメリカン的なコーデを意識したのを見ると、彼女達なりの配慮だったのだろうかと思う。清潔感を意識して、それでいて自然体に見せるデザインだ。これでローガンお気に入りのカウボーイハットもあったら、昔カナダの田舎町で働いていた頃を思い出す。
自分の体が『ある研究施設』に改造される前に静に暮らしていた山奥。そこでかつての愛人と共にゆっくりと暮らしていた。平日は山に木を切りに行き、休みは彼女とドライブ。そんな生活が今では懐かしい。
「治安の良い国だと聞いていたんだがな」
静かに暮らすにはうってつけの場所だと思って、彼はかつての組織を抜けた後、日本に不法入国してきた。戸籍も今では過去のものとなってしまったので、彼のパスポートは無効になってしまった。よって彼は昔日本に行く貿易船に夜中に侵入し、着いたら誰にも見られないように入国した。治安が良い国だったからか、警戒網もかなり薄くて警備の目を簡単にすり抜けることができた。
それから長い時間、日本国内を放浪とした。
時には九州に、時には北海道に、伊能忠敬のような生活を何年も送って、最近までは東京の廃墟ビルに隠れて時を過ごしていた。
そこを拠点として、金を稼ぐため仕事探しに奔走していたところ、わけのわかんない抗争に巻き込まれて今に至るというわけだが、
「あいつら一体何者なんだ?」
まだ奴らの正体を聞いていない。
ローガンは施設の廊下を歩いている女子高生らしき者達を横目で見る。彼女達もこちらを興味深そうな目で見てきている。
全員ただの女の子、と見るのが普通だろうが、こんな設備が頑丈な所に普通の女の子達がいるのはおかしい。
何より皆、気付かれないように平常心を装っているが、
(······敵意の匂いがする)
どれだけ隠しても、修羅場を幾度も潜り抜けてきたローガンには筒抜けだった。
全員、よそ者のローガンに対して警戒しながらいつでも鎮圧できるように腕に力が入っている。手には何も握られていないが、隠し持っている武器をいつでも取り出せるように腕に力を集中させている。
素人の佇まいではない。
顎を引いて、息も鼻でしている。足もある程度開いていつでも戦闘に動けるようにしてある。
(軍人養成施設か?)
どれだけ考えても答えは出ない。判断材料が少なすぎて、結局は何もわからなかった。
しかし、わかることもあった。
「しまった······完全に迷ったな」
さっきから同じところをグルグルと回っている気がする。施設の部屋の構造がどこも同じように作られていて、自分が今何処を歩いているのかわからなくなっていた。もし仮に敵に侵入された際に錯乱させることを考慮して作られたのかもしれないが、これでは先程までいた司令室にたどり着けない。
人に聞こうにも、彼女達がこちらを警戒しているため気軽に聞けない。というか聞きづらい。
困ったなと頭を抱えていた彼の背後から、カツンという足音が聞こえた。
敵意を感じないから気付かなかったと思う前に、彼の背中が誰かに叩かれた。
「あ、あの······!」
「?」
ローガンの背中を叩いたのは、地味な女の子だった。
身長はもちろんだがローガンよりも低く、髪はわずかに赤色が混じった茶色だが、染めているのではなく元々そんな色なのだろう。そばかすがチャームポイントな女の子はそわそわとした様子でこちらに話しかけてきた。
「え、えっと······」
しかし何かを話そうとすると吃ってしまう。現代の若者達は人見知り傾向が続いており、吃音症に悩んでいるとか聞いたことがあるが、それを察したローガンは自分から先に話し出す。
「あぁ、悪いお嬢ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「は、はい!?」
「その、司令室ってどこかわかるか?」
「えっと······」
少女は少し困ったように、
「そ、そこの階段から一番上に上がって左の通路を真っ直ぐ進んだ後に右に行けば」
ボソボソとした声で言われて、少女の指が階段の方を指していることに気づいたローガンはその指の先を視線で追っていくと、自分の頭の中で地図を構築する。
構築し終えてルートも自分の中で組み立てたローガンは、少女にありがとう助かったとだけ言って去ろうとする。
すると。
「あ、あの!!」
少女は早足で行こうとするローガンを止めるために噛み付くように叫んだ。
急な大声に驚いたローガンは足を止める。
「あ、あの」
「······なんだ?」
「え、えっと········ッ!!」
それでもやはり言葉を出そうとすると詰まってしまう。
ローガンの視線が刺さる度にビクビクと小動物みたいに震えていたが、ゆっくりと深呼吸をすると恐る恐るといった感じでようやく自分の言いたいことを彼に伝えた。
「あ、あの時は! 助けてくれてありがとうございますッ!!」
「······?」
何のことかわからなかった。
どこを思い返しても、彼女と自分は今日会ったばかりの初対面のはずだ。会ったこともない奴にお礼を言われて困惑しているローガンに少女は一方的に話しかける。
「えっと、私······商人達に捕まって人質にされてて、そんな時にあなたに助けて頂いて······」
「······」
ダメだ、何も思い出せない。
事件の詳細が少なすぎて判断に困り、ローガンはオロオロと狼狽えている。事件に遭遇することなんて日常的すぎて、もはや当たり前とさえなっているローガンにとっては記憶にするほどの価値もなかったからどの時の事を言われているのか全くわからなかった。
それでも彼女は構わず続ける。
「え、えっと! あの時は怖くて震えていることしか出来ませんでしたが、あなたが救ってくれた事によって私もまだまだだと自覚しました!」
「あ、ああ」
「救ってくれたこの命を無駄にしないように、より一層精進して参ります!! あの時は助けてくれて本当に、本当にありがとうございました!!」
「······ああ」
少女の一方的な感謝になんとも言えない顔をするローガン。
彼女はそんなローガンに気付かず、最後にまたありがとうございました! とだけ言い残して立ち去っていく。
返答に困って、なんとも曖昧な言葉を繰り返して反応していたローガンであったが、
「あ、おーい!! ローガンさーん!!」
不意に後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた
振り返ってみると、お馴染みの顔が二つ見えた。
「こっちこっち!!」
「こら千束、あんまり施設内で大声を出すな」
飛びながら手を振ってこっちを呼ぶ千束に、そんな彼女に呆れているミカの姿がそこにあった。
✕✕✕✕✕
「なんかスッキリしたねー、ローガンさん」
「ああ、屈辱的な気分だ」
「えーなんで? そっちの方がかっこいいと思うよ」
姿が劇的ビフォーアフターしたローガンに千束が茶化してくるが、気にせず無視してミカに話し出す。
「話は終わったのか?」
「ああ、君が風呂で洗われている内に契約は完了した」
契約?
と、何の話なのかわかっていないローガンが疑問を抱いていると、
「ああ、
「······なに?」
ミカが何の躊躇いもなく普通の事のように言うが、聞き逃しちゃいけない単語が聞こえた。
ローガンが何か質問する前に、ミカが話し出す。
「君の事は全部ではないが調べさせてもらった。君は五年ほど前、鹿児島に停泊する予定のアメリカの輸送船に無断で乗り込み、この国に不法入国した······そうだな?」
「······」
「沈黙は肯定と取るぞ。理由がなんなのかは知らないが、君の戸籍をいくら調べても出てこなかった事から、何かワケがあるんだろうが私達は深入りするつもりはない。いつか君の意思で話してくれるのを待つ。しかし、だとしても君は不法入国者、つまりは犯罪者だ。我々としても、法を犯した存在を見て見ぬ振りをするわけにはいかないんだ。それだけじゃない、君には殺人の容疑までかけられている。警察のお世話になるのは時間の問題だ」
「ああ······そうだな」
「よって、君は我々の監視下に置かれる。二十四時間態勢でな。しかし、楠木が言ったようにここに置いても君の人間離れしたその力によって簡単に振り切れてしまうだろうから、隔離するのは金の無駄だと判断した」
ローガンはわずかに黙って、ミカの言葉を吟味する。千束だけが、あれ?いつの間に手続き終えてたのみたいに置いてかれている。
ミカが何を言いたいのか、ローガンは何となく察していた。
先程のうちで雇うという言葉。それこそが彼の狙いだ。隔離できないなら、逆の発想としてある程度自由にさせる方法で監視するという処置を取ったのだ。
「しかも、君のその並外れた能力を狙うものも多いだろう。警察だけでなく、どこかの研究組織なんかに狙われる可能性が高い。そこで我々の出番だ」
ミカが好都合と言いたげな顔で言ってくる。
「我々の組織は人知れずに治安を守ることを最優先にしている。そんな我々からすれば、君の存在はむしろ都合が良い。君を狙ってやってくる組織が仮にいるとするなら、それを逆手に取って先にこちらから動くことができる。もっとも、これから行く場所にわざわざ襲撃を仕掛けてくるような連中はいないと思うがな。街を守るために、我々は常に見えない場所で活動するのが基本だ。下手に攻撃してくれば、どちらが先に壊滅するかなんて手に取るようにわかると思うが」
「······」
「だから君をうちの店で雇うという形で監視をすると、上に交渉した。楠木もそれに了承し、こうして契約書にもサインしてくれた。なので君は今日から、うちの『喫茶店』で働いてもらうことになる。丁度一人空いているんでね、表向きは監視ということになっているが、ほぼ住み込みのバイトをするだけだと思ってくれて構わない。働いてくれれば住むところも食事も支給する。ここまでで何か質問はあるか?」
ミカは判子の押された契約書を見せる。そこには楠木と確かに書かれている。契約内容の文字が多すぎて見る気にもなれないが、大体書いてあるのはわかる。
ローガンはそのミカの説明に対してこう言った。
「後悔することになるぞ」
「何故だ?」
「俺を匿うということは、世界を相手にするのと同じだと思え。俺のこの能力の価値をよく切れるナイフ程度だと思っているなら考えが甘い。相手にしてきた連中の中には、それこそ世界を滅ぼすほどの力を持った奴だっていたんだからな」
「だからこそだ」
ミカは特になんとも思わず、
「そういうのから守るのが我々の役目だ。命懸けで戦うことを強いられている以上、一々そんな世界程度の力を怖がっていたら何も守れない」
ローガンは険しい顔をする。
どうも考えが甘い気がする。口先だけならなんとでも言える。だが、ローガンは本気で言っている。自分を匿えば、こいつらはおそらく跡形もなく壊滅する運命を辿る。
それを危惧して言っているのに、彼らは気にも留めない。
噛み締めるような表情をしているローガンに、隣にいた千束が笑みを浮かべて、
「大丈夫だよ!」
「なに?」
「
「······」
「それじゃ! 用も済んだし帰ろー!!」
ニカッ!! と笑って施設を出ていく千束。ミカもその後に続くように歩いていく。彼女たちの呑気さを見て、ローガンはまた不安になる。
だがしかし、彼女のその言葉には説得力があった。
人を安心させるような想いが込められた彼女の言葉に、ローガンはただ黙ってしまった。
頭の中ではわかっている。アイツの言っていた事は口先だけだと。子供の戯言だと。言うだけなら簡単だと。
たとえどれだけ自信があったとしても、世界を滅ぼすほどの力を持つ奴が相手ではどう足掻いても勝てるわけがない。応用次第でどうにかなるという段階を越えている。それなのにそれを止めると彼女は言った。愚かな考えだと指摘すべきだ。
なのに、
ローガンは千束の言葉を聞いて、納得し始めている。
そんなのどう考えてもおかしいのに、自分の中にある何かが強引に彼女の言葉を信じようとしていた。
「······」
ローガンは己の内側へ意識を向ける。
そうして、一人の男の言葉を思い出した。
自分を匿ってくれた、老人との会話。
『どれだけ隠していたとしても、どれだけ誤魔化していたとしても、君には善良な面がある』
『何故わかる? 会ったばかりなのに』
『
『······なに?』
『君が本当に恐れているのは、自分の苦しみだ。しかし、恐ろしいかもしれないが、苦しみは君を強くする。君がその苦しみを感じて受け入れれば、自分でも想像できないほど強くなれる。それこそが、私たちが持つ最大の能力なのだ。苦しみに負けず耐えるという能力。その源は、人間に備わった最高の能力、【希望】だ』
どうせ口先だけ。
あの時もそう思った。
でも、
あの人の言葉はどこか安心できるように聞こえて、信じてみようと思った。その言葉が偽りではないと、確かめたかった。
『私達と共に来いローガン。仲間達と共に、世界を守るためにその力を使うんだ』
「······」
ローガンは微かに鼻で笑った。
こいつらといい、いつの時代でも自分の周りにはこの手の愚か者が現れる。そういう奴らと共にいると、自分が凄く場違いな所にたった一人でいるような気分にさせられる。
しかし、ローガンは案外そういうのが好きだったりする。
わずかな間でも、誰かと一緒にいる。場違いだと言われても、不似合いだと言われても、その力を誰かのために使う時だけは、自分の本当の苦しみを受け入れて戦うことができる。
「ローガンさん早くー! 置いて行っちゃうよー?」
「ああ」
ローガンは前に進む。
忘れていたが誰かと一緒にいるというのは、案外そんなに悪いものではないのかもしれない。