WOLVERINE STRANGER OF LYCORIS 作:織姫ミグル
昼時のオフィスは意外と静かだった。
DAの施設にも一応昼休みという時間帯は存在し、そこに住み込んでいる職員達は任務もしくは訓練がない場合、昼食を取るために食堂に向かったり、または談笑を楽しむためにあらゆる場所で息抜きをしている。
だが、司令である楠木にそんな時間はない。
昼休み自体は設けているが、彼女は仕事がメインという生き方をしているため、机の上にあるのは大量のコピーされた書類が乱雑に置いてあるだけで、弁当どころか飲み物一杯すら見当たらなかった。
羽織っているロングコートのポケットに片手を突っ込み、テーブルに広げられた書類の一つを手に取って眺めている。
何枚も印刷された紙束に記載されているのは、『何の信憑性もない事件のデータ』だ。
彼女の向かいにいる秘書もそんな仕事熱心な楠木に見倣って、昼食も取らずに彼女を畏敬な目をして見つめている。
「今集められるだけの資料はこれだけですが、何かわかりましたか?」
「ま、多少はな」
楠木は顔を動かさずに答えた。
「これでもまだ少ない方だが、どうでもいいと思われる文面には案外有益となる情報が記されていることは多い。過去の出来事を見つめ直し改めることで、その事件の本当の詳細を探ることもできる」
「本当の、詳細······?」
秘書は実感が持てない感じで呟いた。
楠木は今更何をわからない顔をしているとでも言いたげな口調で説明する。
「何もおかしいことはない。我々だって治安を守るために本来起きた出来事を世間に知られぬように隠蔽し、でっちあげた詳細を表舞台に公表しているだろう。それをしているのは我々はだけではない。我々よりももっと隠蔽が得意な連中は、もはやその事件すらなかったことにもできてしまう。過去に起きた出来事を、初めからなかったかのようにな。たとえどこかの大国が核爆弾で滅んだとしても、その国は元からなかった、核爆弾なんてそもそも使った痕跡すらなかった、といった具合にな」
「······我々ですら知らない、起きていたのに気付かなかった事件がこの世には大量にある。ということですか」
「そうだ。しかし、どんなに隠蔽しても少ない情報から徐々に解析を進めれば、その事件の持つ具体的な詳細の輪郭を浮き彫りにさせ、調査する上での重要な資料へとなり得る。ネットにばら蒔かれているガセネタであろうと、それが逆に真実であったりすることもある。信じられないからこそ見落としてしまうなんてよくあることだ。こういう資料でも、そこらに飛び交っている噂話よりよほど即物的でわかりやすい」
楠木は変わらない目付きで資料に目を通している。
書いてあるのは本当に嘘っぽい文章で綴られたものばかりだった。
矢志田産業総裁、矢志田市朗さんが語る、原爆の恐ろしさ。一九四五年、第二次世界大戦の青年将校として参加していた矢志田さんは八月九日に長崎に滞在しており、ちょうどその時に原爆が落とされたが、捕虜として捕らえていたアメリカ軍の一人によって助けられたと語っています。
一九五六年、アフリカにある小さな村に隕石が落下。大気圏に突入しても燃え尽きず地上まで落下したことから組成は鉄隕石と思われるものの、未だにその物質は見つかっていない。ツングースカ級の大爆発が起こった形跡も見当たらず、その小さな村というものも存在しなかった。
アメリカ合衆国人体実験、ロス将軍『ただの噂話』。一九七九年、アメリカ合衆国バージニア州アーリントン、ペンタゴンが極秘で進めていた研究の詳細が判明! 人間に改造手術を施したか!? この事を現アメリカ陸軍将軍のサンダーボルト・ロス将軍に真実かどうか聞いてみたところ『そんなのただの噂話だ、それにそんな昔の事は私は知らない。証拠もないのに、つまらんことで時間を取らせないでくれ』と一蹴した。
インタビュー記事や都市伝説サイト。
何もかも信憑性のないものばかりだった。出所も全く掴めず、ただの妄想話なのではないかとさえ疑ってしまう。
特に、今は亡き日本実業家の矢志田産業総裁、“矢志田市朗”が語ったインタビュー記事なんてまさに夢物語みたいな話だった。
『今でも覚えている、彼は私を文字通り身を挺して救ってくれた。マンホール状の牢屋に幽閉されていた所、原爆の警報が鳴り響いていたから皆が皆逃げていたが、私は将校という身分であったがために逃げることは許されなかった。日本の誇りとして自決することを強制的に選ばされたが、その時その牢屋に捕らえられていたアメリカ軍も見捨てることはできず、つい解放してしまったのです。その時代の日本人なら許されざる行為です。しかし私はどうしても見捨てられなかった。頭で考えるよりも先に体が動いて、ついその牢屋の鎖を断ち切ってしまった。全員逃がしたことを確認した私は、他の将校達と共に腹を切ろうとしました。でも私にはできなかった。直前になって死ぬことを恐れてしまったのです。他の者達がどんどん先に命を落としていく中で、私は死ぬことができなかった。覚悟を決めたのに、手に持っている小刀がずっと震えていた。その時だった。捕虜として捕らえられていたアメリカ軍に助けられたのは。彼は何を思ったのか自決しようとしている私の手を取り、その牢屋に一緒に駆け込むとマンホール状の蓋を私に押さえつけて、原爆の炎から私を守ってくれたのです。私の体は多少の火傷を負ったが、彼の体は真っ黒焦げになっていた。その時でしたね、原爆がどれだけ恐ろしいものなのかを思い知ったのは。人の体が本当に溶けてしまっているかのような状態で、目も当てられなかった。しかし、驚くべきことが起きた。なんと、彼の体がわずかな時間で回復したんだ。今でも信じられないし、忘れられない。まさに神のような存在を見ているようだったよ』とインタビューで述べました。果たしてこれは本当なのか、真偽は定かではありませんが、信じるか信じないかはあなた次第ということですね。
と、資料に記されているがネット上ではただの死ぬ間際に見た妄想だろ、信じるかどうかは置いておいてこういう人の言葉ってなんか重みがあるよね、死に直面すると人って現実逃避のために幻覚とか走馬灯とか見るって聞くけどこの人もそうだったのかな? などという意見が多く見られた。
驚くほど柔軟に人間社会に溶け込んでいるデマ情報。
そんな証拠となる素材が圧倒的に少ない情報を眺めている楠木に、秘書は不思議そうな表情で尋ねた。
「それでもやはり真偽がわからないのであれば正確かどうかはわからないのでは? たとえ出所がどこかわかったとしても、その情報そのものが間違っているかもしれないですし」
「それ故に、こういう信憑性のないものが一番怪しいのだ。知られたくない真実は、案外身近な所に隠れ潜んでいる。本当かどうか嘘かどうか、根も葉もない噂話だろうが、無視していい代物ではない」
「······」
「この世は幾重にも隠蔽が重なって成り立っている。些細な情報一つにさえ、それが世界を正常に回すための歯車となっているということを忘れるな」
情報ってのは人が思ってるよりも重要で価値のあるものだ。情報がなければ人は戦闘準備さえ取れない。
何も知らずに動くのは自滅を意味する。
敵陣の情報もなく入り込むのは銃火器相手に手ぶらで挑むようなもの、結果その命は無駄に終わる。犯人と思われる者の証拠となる情報もなく逮捕するのは不当逮捕となって、結果意味は違えどその身を滅ぼす羽目になる。
一つ一つの小さな情報でさえ、見落としてはならない。それがいずれ、大きな武器へと変わるかもしれないのだ。
楠木は真剣な目をして、書類に再び目を通す。
秘書はそんな楠木を称賛するような目で見た。
「ではやはり、その中に『彼』の経歴が隠されているということですか」
書類のほとんどは何か軍事的な物だった。
矢志田市朗も元日本軍であり、そこから日本一の実業家にまで登り詰めた。真偽はともかく、一九五六年に飛来した隕石についてもその調査にあたったのはアメリカの陸軍だという。一九七九年に行われたとされる人体改造の研究も、アメリカ政府とカナダ政府との共同プロジェクトで立ち上げた軍事計画とされている。
その過程には共通して、とある男が関わっていたという。
「疑問に思わん方がおかしい」
楠木は書類をペラペラと揺らしながら呟く。
「あれほどの化物を、何故誰も管理してないのか。人を遥かに越えた存在を野放しにするなんて普通ありえない。あんな常に怒り狂っているような者を飼い慣らすのは一苦労なのかもしれんが、だとしてもあんなものを見せられたら世界中の研究機関や軍事組織も黙っていないはずだ。確実に手に入れて手元に置いておくはずだ。そもそも、何故我々でさえその存在を認知してなかったのか。鋭い爪を生やしてその上死なない生き物が世に紛れ込んでいたら、我々の情報網を駆使すれば簡単に見つけられたはず。どこの誰なのかすぐに特定して確保に動けた、なのに出来なかった。その時点で怪しすぎる」
「確かに······」
「何でその存在を誰も管理していなかった? 何でその存在を誰も認知してなかった? そこにはおそらく『何か』があるんだよ。我々ですら全く理解できないような、何かがな」
「それが何なのかはわかりませんが、その何かによって彼の情報は全て消されていたと? そんなことが可能なのですか?」
「それを可能とするだけの技術を、そいつらは握っていたということだろう。少なくとも、そいつらは我々よりも遥かに上回る存在だということだ」
そいつらが、この記事をデタラメだという方向に持っていった。楠木は言葉では言い表さず、視線を書類に向けただけで秘書にそう続けた。
ここに書いてあるものは世間から見ればどこからどう見ても嘘だらけな情報に見える。原爆で焼かれて死ななかっただの隕石だの、明らかに都市伝説っぽい作り話だし、人体改造なんて国際法で禁止されている。それをアメリカが極秘で行っていたなんてそれこそ信じられないようなデマ情報だった。
だが、それを逆手に取って奴らはこの情報をそのまま流したのだ。
“嘘”、世間に絶対的にそう思わせるほどの力を持った『何か』が人々の認識を歪めて、その出来事の真実を隠蔽した。と、楠木は考えている。
たとえ違和感が生じようとも、秘密がそこにあるとバレても真相にさえたどり着かなければそれでいい。もしくは、絶対にたどり着けないという自信があって今でもその記事や都市伝説サイトを残しているのか。
どちらにせよ、その記事の体内には世界を揺るがすほどの情報がいくつも隠されている。
「『死なない人間』と『鋭い爪を生やした人間』。この二つを調べたところで出てくるのは当然信憑性のない物ばかりだ。嘘で塗り固められた噂話に都市伝説しかそこらに散らばっていない。だとしても、その中に宝物が潜んでいることがあるからな」
くどいようだが、だからこそ少しでも知るために些細な情報は見逃せない。信憑性がどれだけ薄かろうが情報の鮮度が落ちていようが、DAが所有する情報解析技術なら重要な単語を即座に見破って真実かどうかを解析し、十分な情報を抜き取る事が可能だ。
秘書は楠木を見ながら言う。
「では収穫があったと?」
いや、と楠木は答えた。
「これだけではまだ足りんな。今回集めてもらった書類だけでも結構なデータが取れたが、ここにさらにプラスして真実を確立させたい」
「それでは、もっと資料が必要となりますね」
「ああ、引き続き頼む。『死なない人間』と『爪を生やした人間』以外にも、新たな項目として『今はもう存在していない組織もしくは研究機関』、『飛来した隕石』についても調べておいてくれ」
「その二つと、あの男の繋がりは?」
「関係ないとわかったらすぐに抜き取ればいい。それを除外して新たな項目を付け足して、あの男と関わりがありそうな物を調べればいいだけだ。今はとにかく小さくても構わん、どうでもいいという情報だろうと入手してくれ」
「はい」
そう言うと秘書はオフィスから出ていった。
相変わらず楠木は表情には何も出さずに見送りながら頷くと、気を取り直したように資料に目を通しながら言った。
「千束の要望通り、世話係としてあの喫茶店にあの男を住まわせたわけだが」
現在調べている男の姿を思い浮かべる楠木は、嫌そうな顔をした。
「あいつの頼みに応えてやるのは不本意ではあったが·······ま、都合がよかったな」
千束が要求したのは一つだけ。『この人はただの一般人ですからウチの喫茶店で面倒見ますね!』という無茶苦茶な話だった。
無理があるだろう、と誰しもが思った。手から爪を生やしてしかも死なない人間が一般人とか、呆れて物も言えなかった。
しかし千束はそう言う人間だ。今の彼女は、その手で誰かを殺す事をよしとしない。錦木千束という人間は、相手が誰であろうと人間である限り殺したくない。極悪人であっても、人格破綻者であっても、誰であろうと彼女は同じ感情を向ける。人が人である限り、命を奪うことは間違っている。だからそれを食い止めるなら千束はDAの理念を無視してでも戦うことも辞さない。
一見、まっとうな人間の考え方だと思えるかもしれない。
だが、彼女がDAに要求したものは見方を変えればそれは監視という部類に当たる。
「生かさず殺さず·····利用価値がある内は監視下に置いて、奴を兵器化させる計画」
皮肉にも、その機会を与えてしまったのだ。
彼女同様、利用価値を見出だすチャンスを。
単なる監視だけならよかったものの、それだけで満足するほどDAは甘くない。何も聞かずにただ傍観するなんてこと、常に治安を守ることを最優先に置いている彼女達がするわけない。
千束に至ってもそうだ。
奴には利用価値があるからどれだけ問題を起こしても見てみぬ振りをして見逃してやっている。
リコリスとは、国を守る公的機密組織DAが抱える均一で使い捨ての
だが、千束は違う。
彼女は史上最強のファーストリコリス。
あまりにも強すぎる故に彼女は生意気な性格と化してしまったが、それでも許しているのは奴に利用価値があるからだ。
『喫茶リコリコ』は表向きは下町の喫茶店であり、書類上はDAの支部となっている。
だが。
その実態は一筋縄ではいかないリコリスを植えておく植木箱。
つまり、“隔離”。
リコリコは、彼女を隔離するために作られたといっても過言ではない。
だからあそこには千束を動かせるだけの道具も取り揃えてある。彼女を飼い慣らせる唯一の管理者に、素行不良の元情報部員。
これ以上ないくらい監視態勢がばっちりな環境であるからこそ、彼女は自由に動けていると錯覚している。
本当はただ利用されているだけだというのに。
従って、特定の条件が揃った場合に限り、彼女も迷わずDAに見捨てられる存在だ。
彼女は無意識ながらも、そこにあの男を招き入れてしまった。
疑われぬようにミカからは常に細心の注意を払いつつ情報を横流ししてもらってるが、現状彼が暴走する様子は見られない。
平穏が彼を支配する。
その間にも、彼の利用価値を見出だそうと彼女達は動いている。
少なくとも、錦木千束と井ノ上たきな以外のメンバーは。
「果たしてそれは救いになるのか、千束?」
楠木はまた新たな資料を拾い上げると、口の中で呟いた。
「あの男はお前が思ってる以上に、そしてお前以上に制御が効かない殺人兵器かもしれんぞ?」
今までの中で最も信憑性が高い情報が書かれた資料、それを読み上げながら彼の姿を思い出す。
「かつて、アメリカが極秘で進めていた計画、スーパーソルジャー計画の派生。遺伝子研究施設プロジェクト」
楠木は書類を眺めながら、ゆったりと笑った。
「······『ウェポンX』か」
✕✕✕✕✕
北千住から伸びている道路を、一台の地味な車が走り抜ける。
乗っているのは三人の人間。
そのうち二人は赤と紺の学生服に身を包んで後部座席に座っている。最後の一人は、どういうつもりなのか知らないが、道の駅なんかにいそうなリスのマスコットの着ぐるみを着込んで運転席に座ってハンドルを握り締めている。
錦木千束、井ノ上たきな、そんでマスコット。マスコットはともかく、後部座席にいる二人は治安を守るために組織されたエージェント、リコリスと呼ばれる集団に所属している。
ハンドルを握っているマスコットは、どう考えてもまともとは思えない。だがしかし、そんなことがどうでもよくなるくらいのルール違反が既に起きている。
まず、一つ。
今この場にいる三人は現在武装集団に追われている。
二つ。
そもそも後部座席の二人は銃刀法違反を無視して武器を所持している。
ついでに三つ。
この車実は盗難車である。
特例で持つことが許されているのだろうが、何も知らない第三者もしくは警察が事情聴取をした場合、世間一般の常識の視点から見たらマジでこいつらはヤバイ連中だと思われる。マスコットだけなら変な人と思われておしまいだが、銃なんてものが見つかれば卒倒するだろう。
しかし、見つかったとしても彼女達は武器の所持だけでなく殺人も許可されている。
たとえ武器が見つかったとしても上が揉み消してくれる。
問題は、今武装集団に追われているということだ。
少女達を乗せた盗難車は勢いよく住宅街を走り抜け、高速道路を目指してトンネルを潜り抜けていく。
「なんで守られる側が颯爽と車で現れるのよ······普通逆でしょ? あぁ~スーパーカーに乗りたかった~」
「目立つし、こっちの方がいいですよ」
千束は予想とは違う展開に項垂れている。彼女はすぐ目の前の運転席でハンドルを握っているマスコットに、
「つか、なんで着ぐるみ? なんかイメージしてたハッカさんとは違うんだけども」
『底意地の悪い痩せた眼鏡小僧でも想像してた? だとしたら映画の観すぎだよ』
「いやいやいやだとしても着ぐるみはないでしょうよ」
『ハッカーは顔を隠してた方が長生きできるってだけさ。JKの殺し屋の方が異常だよリコリス······』
その言葉を聞いて表情を変えたのは千束ではなくたきなだった。
「熊のハッカーよりは合理的ですよ」
「いやいやたきな、犬だよ」
『リスだ』
「「······」」
『······リスだ』
最後に強めな口調で言った。
そこだけはなんとしても訂正したかったんだろう。リスのマスコットはルームミラーを通して後部座席に目をやり、そこで改めて自己紹介をする。
『ハッカーの“ウォールナット”だ。今日はよろしく頼む』
「千束ですぅ」
「井ノ上たきなです」
『で? どう合理的なんだ?』
名前を知った直後に砕けた姿勢になるウォールナット。
その問いに答えたのはたきなだった。
「日本で一番警戒されない姿がこれなんです。世間に紛れ込むには、より怪しまれない服が求められますから」
『なるほど、女子高生の制服は都会の迷彩服というわけか』
ウォールナットは市街を歩く学生達に目を向ける。
確かに、この国は他の国と比べて学生服に身を包んでいることが多い。アメリカなんかでは高校生でも私服を来て学校に登校していることが多い。制服着用義務の学校が増え続けているアメリカでも、それと比べれば日本の方が断然制服を着用している率が高い。
よって、そこに紛れ込むために彼女達は周囲から高校生として見られるように、任務にあたる際は制服を着用することを義務付けられている。
「それで、私も聞きたいことかあるのですが」
『?』
「その大きな荷物はなんです?」
たきなは助手席にシートベルトで縛り付けている『黄色のスーツケース』について質問する。逃亡するには明らかにデカすぎる。文字通りお荷物になる代物だと思うが。
『国外逃亡には身軽な方がいいだろ?』
「いや、あんたのその姿の方が身軽じゃないけどね?」
マスコット的にはこれが最低限の荷物らしい。だとしても、身軽さを意識するならその着ぐるみと大きなスーツケースは論外だ。あんなに重そうだと、運んでいる最中に襲撃されてしまう率が高まる。着ぐるみも動きにくそうだし、足手まといにならないといいのだが。
しかし、ウォールナットは譲らない。
だからちゃんと守ってくれよ、とマスコットは二人に釘を刺すと、
『こちらからも質問してもいいか?』
「「?」」
唐突だった。
別に質問するのは構わないが、その内容がどうしても聞き捨てならないものだった。
ウォールナットはゆっくりとした口調でこう質問した。
『
「「?」」
『最近入ったって聞いたぞ?
「「!?」」
ハンドルを握っているウォールナットでさえも疑問に思った様子だった。自分から聞いてきたくせに、顔を勢いよく上げるとどういうわけか助手席に置いてあるスーツケースに目を向ける。
しかし、その質問に二人は眉を顰める。
何故、今ここで『彼』のことを聞いてくるのか。それだけが気になって質問に答えられなかった。ハッカーという立場からこちらのことは事前に調べておいたんだろうが、だとしたら彼の現状も理解しているはず。こちらの仕事には関与せず、普通の従業員として置いていることに。
しばらくの間、気まずい沈黙が続いていたが、千束が笑いながら続けた。
「あの人は普通の従業員だから、こういう仕事とは無関係なの」
『······DAの支部に普通の従業員を雇うなんて、そんなわけ───』
「ねぇ、ウォールナットさん?」
『?』
ウォールナットが何かを言う前に、千束が低い声でそれを遮った。
「あの人は関係ない。仕事は私たちが引き受けてるんだから、そっちも無事に逃げ切ることに集中してください?」
『······』
ウォールナットはしばらく黙った。
もしもこれ以上深入りするようなら、こっちの身が危ないと考えたのだろう。千束が放つ雰囲気が尋常ではないほど黒かった。何かを気にしているのは丸わかりだが、ここは敢えて詮索はしない方が良さそうだ。
そしてマスコットは言った。
『そうだな、今は逃げ切ることに集中しよう』
「わかればよろしい! で、たきな? このまま羽田に行くの?」
「いえ、途中で車を換えるように言われています。ウォールナットさん、ここへ向かってください」
『わかった』
千束に聞かれたたきなはスマホを取り出して地図を表示すると、体を前へと乗り出してそれをウォールナットに見せた。
マスコットは一回だけ頷くと、その地点に行くために高速に乗ろうとする。
およそ三百メートル先右方向です、とカーナビが案内しそれに従って車を操作する。しばらくカーナビから発せられる音を聞いて運転をしていると、まもなく高速入り口ですという声が飛んできた。
高速に乗ろうとハンドルを右に動かそうとするが。
『!』
「!? 高速に乗るはずでは!?」
「ちょっと!? 通りすぎたよ!?」
高速の入り口まで来たというのに、そこを素通りして下の道のまま車は突き進む。
千束達がどういうつもりなのか聞こうとした時だった。
『どうした?』
「いや······こっちのセリフなんだけど?」
ウォールナットが逆に聞いてきて千束達は困惑するが、マスコットはハンドルから手を離した。
その途端、ハンドルは不自然に曲がり始める。
それを見たウォールナットは、何かを察したように頭を抱えた。
『乗っ取られたか』
「「······」」
一言。
さりげなく呟いた一言に、二人は理解が追い付かなかった。
しかし、アクセルも踏んでないのに勝手にスピードを上げる車によって体が後ろへと倒れこんだのをきっかけに、ようやく理解した。
「うえええええ!? ちょっとちょっと!?」
『どうやらあちら側のハッカーの仕業みたいだ』
「あちらにもハッカーが!?」
『ロボ太か······腕を上げたな』
「感心してる場合かッ!!」
特にハンドルを操作しているわけではないのに、車が不自然にスピードアップする。
誰の仕業なのか心当たりのあるウォールナットは、確信したようにスピードメーターに目を向ける。電子版で映し出されていたメーターにノイズが入ると、そこにオモチャのロボットのような顔が何の脈絡もなく表示された。
ハッキング完了! とでも言いたげな自己アピール満載なシグナル。
トドメとばかりにカーナビの地図には目標経路が表示される。矢印の先を追っていくと、目的地は海の中らしい。
『このまま海に突っ込むつもりだ』
「回線の切断を!」
『いや、制御を取り戻してもすぐに相手に上書きされる』
「ええ~じゃあどうすれば?」
『こちらの作業完了と同時にネットを物理的に切れればいいんだが······』
「ルーターどこよ?」
『知らん。ボクの車じゃない』
ハイジャックされたというのに随分と余裕そうに話す三人は、冷静に頭を回転させて対応する。
すると、たきながルームミラーに目を向けると、あるものに気付いた。
「千束さん、あれ」
「ん?」
たきなの視線につられるように、千束もミラーに視線を向ける。
そこに、小さな影が写り込んでいた。
小さくて具体的な形はわからないが、おそらくその正体は虫なんかではなく、『ドローン』。
「はは~ん、アイツか」
「バレると逃げられます······どうしますか?」
その時たきなはわずかに笑っていた。ようやく出番か、とでも思っているような顔をしている。
千束はちょっと考え、そして鞄から愛用の銃を取り出してたきなに微笑みかける。
「お仕事といきますか」
✕✕✕✕✕
運転席と後部座席。
その間には、異様な空気が漂っていた。
ガキリ、と眼前に押し付けられている拳銃にローガンは表情を一切変えなかった。
それを見たボサボサ頭の男は浅い呼吸をし、彼に言った。
「その様子じゃ当たりみたいだな。アンタがウルヴァリンだったのか」
「······」
「あれ? だんまりってことは違ったか? 変だなぁ~絶対にあの世界を救った伝説のヒーローのウルヴァリンだと思ったんだけどな~」
「······」
「おいおい、その口と耳は飾りか? 少しは会話を楽しもうぜおっさん」
「ウルヴァリンなんて奴知るか俺の車から出ていけ」
銃口を向けられていても一切顔色を変えずに答えたローガンは、目の前にいる男を睨み付ける。
対して、男の方も表情を変えない。
相も変わらず、にやにやと気色の悪い笑みを浮かべている。馬鹿にしているようなその笑みに、ローガンはどんどん怒りが溜まっていく。
「連れないこと言うなよ、俺はこう見えてアンタのファンだぜ?」
「銃を向けておいて何言ってやがる」
「アンタもそんなことを言う割には、凄く冷静だな。ここは日本だぜ? 銃を抜くなんてこと、この国じゃ犯罪なのにやけにそんなの普通だろみたいな反応してるな。やっぱ、アメリカだと護身用に銃の所持が許されてるからこういうことは日常的に経験してて慣れてんのか?」
「銃は嫌いだ。それに俺はカナダ人······んなことはいいからさっさと降りろ。腕折られたいか?」
無感情な声の中に、ローガンは強烈な殺意を混ぜ込んで言い放った。本能的に身の危険を感じてしまうほどのオーラに圧倒されて、普通なら身構えるはずなのにボサボサヘアの男は銃を構えたまま笑う。
まるで、彼の本性を目の当たりにしたことが嬉しいとでも言いたげな目をしている。
それを確認した男は、彼を試すような口調で続ける。
「そうそう、秘密を知ってるぜウルヴィ?」
「あ?」
「何でアンタみたいな奴を政府とか研究者とかはほったらかしにしてるのか、それは十年前に『つるっぱげのじいさん』が世界の認識を変えちまったからだ。記憶、思い出、人間関係、それら全て。世を歪め、『ミュータントなんて元々この世界には存在しない』っていう風にな」
「······」
「だからアンタのことを誰も知らなかった。今じゃアンタ一人になってしまったから更にミュータントの存在を世界中が忘れてしまった。おかげでどこからも狙われなくなったみたいだが、俺みたいな奴に改めて認知されたんじゃアンタはまたお尋ね者になるな」
「要求を言え」
それ以上喋らせないという思いの方が強かったかもしれない。しかし、ローガンは話し続ける男が何で唐突に昔話を始めたのかの理由を察し、その思惑に乗っかることにした。
だが、男は首を横に振ると、
「別に何も望んじゃいない。今日は単に挨拶に来ただけだ。絶滅したっていう噂のミュータントがどんな奴なのか一目見てみたくてな」
「······」
「ま、良ければ今後とも仲良くしようや。ほら、友好の証としてこれを渡しとくよ」
男は銃はローガンに固定したまま、反対の手をコートのポケットに突っ込むと何かを取り出した。ローガンの目の前まで持ってくるも、彼は受け取らない。
それを見た男は肩をすくめて、助手席に指先で弾くようにして放り投げた。
助手席に投げ込まれた何かをローガンは目で追うと、男はドアの取っ手に手を掛けて外に出ようとする。
しかしただで帰すわけにはいかない。ローガンは敵意を向けながらこう質問する。
「てめえ、何者だ?」
「言ったろ? 俺はファンだ、アンタのな」
そう言うと、男は名も告げずに車のドアを開けて去っていく。本当に何事もなかったかのように群衆に紛れ込む様子は、素人の動きではなかった。平然として、ローガンに銃を向けていたというのに笑い続けて、周囲に溶け込むように道を歩く人々の中へと消えていった。
去り際に、彼が助手席に投げ込んだ何かをローガンは拾い上げる。
写真だった。
背景を見終えた後、彼は次に写された日時が書かれた部分を見る。小さくてよくは見えないが、時間を見たところ撮られたのはほんの数分前。
みしり、と写真を握る手に力が籠る。
「くそッ!!」
舌打ちをすると、ローガンはその場から早く消えるために必要以上にアクセルを踏みつける。急発進にエンジンとタイヤが不気味な悲鳴を発し、駐車場を飛び出して車は暴走した。
写真を適当に放り捨て、ローガンはどこかへと走り去っていく。
写真に写っていたのは、一台の車と銃器が取り付けられたドローン。ドローンに取り付けてあるのはUZI、秒間十発の九ミリの弾丸をぶっ放す短機関銃。銃口は一台の車へと向けられ、今にも火を噴きそうな状況だった。
その車の中には、最近知り合ったばかりの少女達が乗せられていた。