全てを憎んだ暴虐の嵐は、瞬く間に花を散らせ、草木を薙ぎ倒し、泉を枯らし、大地を荒野に変えた。
砦は砕かれ、街は焼かれ、兵士は槍を手放し、恋人は引き裂かれ、父と母を探して幼子は泣いた。
――それでも、人々の願いを胸に立ち上がる十三人の英雄たちがいた。
高い城壁越しの街明かりも、すっかりと消えてしまった静かな夜更け。
二度目となる墓地の見回りを無事に終えたペテルたち一行は、再び待機のために墓守用の建物へと戻っていた。
「――今回は収穫なしか。楽なのは良いけどよ、昇格試験的にはどうなんだ?」
持ち込んだ携行食を指先で摘まみ上げたルクルットが、ひょいっと口に放り込みながら首を傾げる。
「試験の合否に、不死者〈アンデッド〉の討伐数が影響する訳ではないと思いますが、多いに越したことはないですよね」
こちらも疑問符を浮かべたニニャが、小さく溜め息をこぼした。
一時間余りをかけて共同墓地を見回った結果が、徒労に終わってしまったのなら、愚痴の一つでも言いたくなる気持ちはペテルにも良く分かる。
通常の依頼報酬とは別にして、モンスターを討伐することで得られる追加の報酬を思えば尚更だ。
ペテル自身がそうであるように、ルクルットたちも皆が駆け出しである銅級〈カッパー〉の冒険者なので、各自の懐事情も切実だろう。
保存性のみに重点が置かれた固いばかりの干し肉を噛み切って、水と一緒に無理矢理と飲み込む。
そうして、ふと自身の口からこぼれた溜め息の大きさに、ペテルは僅かに苦笑いをこぼした。
(……いや、このままじゃ駄目だな)
最初に出会ったときに比べて、三人の顔にも疲労の色が濃く浮かんでいる。
最後の見回りに備えて、このまま身体を休めることも悪くはないのだろうが、少しでも嫌な雰囲気を変えてしまいたい。
墓守用の小屋の周囲には、ニニャの唱えてくれた〈アラーム/警報〉の魔法がかけられているので、短時間なら依頼にも支障はないはずだった。
「あ、あの……皆さんは、どうして冒険者になろうと思ったのですか?」
自分の台詞ながら、もう少しマシな話題の振り方はなかったのか、とペテルは自問してしまうが、幸いにもルクルットが素早く話に乗ってくれる。
「そりゃあ、決まってるだろ? 女の子にモテるためだよ」
迷いのない言い切りに、思わずペテルは吹き出してしまう。
「なんだよ、当たり前のことだろー」
「あぁ、いえ……ルクルットさんらしいなぁ、と思いまして」
如何にも憤慨したという態度で顔を背けつつも、ルクルットの口許には笑みが浮かんでいる。
「へー。じゃあ、絶対に昇格試験を合格しないといけないですね」
「おうよ、すぐにアダマンタイト級にまで昇り詰めて、国中の可愛い娘を虜にしてやるぜ!」
ニニャの悪戯っぽい言葉に、ルクルットが大見得を切って息巻いてみせる。
「大きな夢を持つことは、良いことなのである」
「だろー。そんで、ダインの旦那は、何で冒険者になったんだ?」
腕組みをしたまま鷹揚に頷いてみせたダインの手前に屈み込み、ルクルットが答えを急かすように手招きをしていた。
「ルクルットのように大それた夢ではないのであるが、田舎での変わらない暮らしに退屈を感じて、知らない世界を見てみたいと思ったのである」
「なるほどー、都会には綺麗な女の子が多いしな」
「いや、そういう意味ではないのでは?」
やや呆れた調子で笑ったニニャが、「……でも」と言葉を続ける。
「確かに、冒険者になれば色々な場所に行く機会もありますよね」
「そうですね、何といっても“冒険者”ですからね」
同意の声を上げながら、ペテルにも思うところがあった。
冒険者組合で登録をしてから、それほどの月日は経っていないものの、城塞都市〈エ・ランテル〉を拠点にした生活は新しい刺激に溢れている。
故郷の村で過ごした一年よりも、冒険者として過ごす一日の方が、よほど記憶に残る出来事が多いくらいだった。
「けっ、二人して良い子振りやがって……じゃあ、お前らの夢は何なんだよ?」
やれやれとばかりに肩を竦めてみせたルクルットが、今度はニニャを標的にして詰め寄っていく。
「そうですね……夢、とは少し違うかも知れませんが、僕は強くなりたいんです」
決意を帯びた言葉とともに、年相応の笑顔を見せていたニニャの表情が僅かに曇る。
どこか遠い眼差しで小屋の灯りを見つめる横顔に浮かんでいるのは、――憂いだろうか。
冒険者としては華奢な身体に、この“少年”はどのような想いを抱いているのか。
この場で、それを問いかける行為は憚られた。
「……ニニャなら強くなれるぜ。なんたって、エ・ランテルでも有名なタレント持ちなんだからな」
茶化すようだったルクルットの声音にも、真剣な響きが宿っていた。
「ルクルットの言う通りですね。しっかりと研鑽を積んでいけば、必ず強くなれます」
口をついて出た言葉は、ニニャに向けての激励だったのか――或いは、ペテルが自身に言い聞かせるためのものだったのかも知れない。
「この能力を持って生まれたことは幸運でした。最初の一歩を踏み出すことができましたから」
薄い胸元に小さな拳を握り締め、ニニャが確かめるように静かな声音で呟いた。
そうして、伏せられていた顔が持ち上げられたのなら、そこには悪戯っぽい笑み。
「でも、ルクルットさんは僕のタレントをご存知なかったんでしょう?」
「はっ、俺が興味あるのは女の子だけさ。男は勝手にやってろ、ってな」
「……ふふっ、そうですよね」
「まったく、ルクルットらしいのである」
軽口の応酬に、強張っていた空気が心地良く弛緩していく気配があった。
ペテルもまた皆と同じように口許を緩めながら、水筒を少しだけ傾ける。
「そんで……、言い出しっぺのお前はどうなんだ、ペテルさんよ?」
不意に感じる周囲からの視線――やけに熱の込められた六つの眼光に当てられ、ペテルは小さく咳き込んだ。
「わ、私ですか――」
「当たり前だろ、恥ずかしいから言わない、なんて湿気た真似はナシだぞ」
ずいっと身体を寄せてきたルクルットに威圧されつつ、ペテルは必死に言葉を紡ぐ。
「私は、その……村に訪れた吟遊詩人の方から聞いた“十三英雄”の冒険譚に憧れまして――」
口にした瞬間、羞恥心が顔に迫り上がってくる。
にんまりと笑みを浮かべた三人の表情に、背中を嫌な汗が伝っていく。
「お前が一番、ガキっぽいじゃねーか!」
草木も寝静まる夜半の暗がり、人気のない共同墓地の一角に、楽しそうな四人の笑い声だけが響いていた。
*
「……こいつは、やべーな」
これまで軽妙な話し振りで、皆を盛り立ててくれていたルクルットの口調に苦いものが混じる。
夜空を渡っていた月が城壁の向こうへと沈んでいく頃、三度目となる最後の見回りを進めていたペテルたち一行の目の前に、前触れもなくその異形の人影は現れた。
落ち窪んだ眼下に炯々と燃える瞳、文字通り肉を削ぎ落としたように痩けた体躯と異様に長い四肢の先端には、禍々しい光沢を持つ鋭い鉤爪――食屍鬼〈グール〉と呼ばれるアンデッドの出現に、ペテルは思わずと息を飲み込む。
「ルクルット、離れてください!」
必死の思いで叫び、左腕のラウンドシールドを押し出しながら、ペテルは身体を躍り込ませる。
「鉤爪には麻痺毒があります! 気をつけて!」
後方からはニニャの注意が飛び、同時に魔法の詠唱が聞こえてくる。
〈リーンフォース・アーマー/鎧強化〉
ペテルの全身を包む、淡い魔法の輝き。
「助かります、ニニャ」
振り下ろされるグールの鉤爪の一撃を構えた盾で受け止め、返しのブロードソードで横薙ぎに斬りつける――が、思いがけない弾力に刃が滑るような浅い手応え。不完全な態勢で放った一撃は、グールの濁った皮革を傷つけることができない。
「――くそっ!」
悪態を吐き捨てながらも、ペテルは剣と盾を構え直して、すぐにグールと正面から対峙する。
背筋の底冷えするような感覚は、生者への憎悪のみを糧に彷徨う醜悪なアンデッドの気配に当てられてのものか。
獲物を見据えた蛇が鎌首をもたげるように大きく開かれたグールの鉤爪には、ニニャが指摘したように麻痺毒が備えられているので注意が必要だ。
再び振り下ろされた爪撃を盾で弾き、剣を振るって応戦するものの、迂闊には反撃もできない中でペテルの手には不快な汗が滲んでいく。
「――おらっ、化物こっちだ!」
思いがけない怒鳴り声は、何故かグールの姿越しに響き、僅かに身動いだグールの撫肩を飛来したルクルットの矢が射抜く。
不快げな呻めき声をこぼすグールに構わず、ペテルは驚きの声を上げた。
「な、何をやっているんですか!?」
近接戦に脆い野伏〈レンジャー〉が、前衛もなしに相手の背後に回るなど無謀が過ぎる。
「俺がこいつを引きつける! お前が仕留めろ、ペテル!」
勝手なことを口にしつつ、第二射を放ってみせたルクルットが軽やかに身を翻す。
「なんて、無茶を! すみません、ダイン。援護をお願いします!」
「心得たのである!」
ルクルットを獲物と見定めたらしいグールの背を追って、ペテルは地面を蹴りつける。
大上段から勢いに任せて振り下ろしたブロードソードが、黒々とした肩口に食い込んでギチギチと筋繊維を断ち切る感触。
しかし、肉体の損傷を意に介した素振りも見せないグールが、こちらを振り返って再び鋭い鉤爪を振り上げた。
〈トワイン・プラント/植物の絡みつき〉
不意打ちに墓地の石畳を突き破り、急速に成長した緑蔦がグールの四肢を捉えて拘束する。
「バッチリだ、ダイン!」
喚声とともにルクルットが更に矢を射掛け――、
「僕も忘れてもらっては困りますよ」とニニャがスタッフを振るう。
〈マジック・アロー/魔法の矢〉
生み出された二つの眩い光弾がグールの顔面を強襲し、確かに怯んだ気配。
「「「決めろ、ペテル!」」」
唱和された三人の声を奮起に、ペテルはブロードソードを腰溜めに構え直し、力強く大地を駆った。
「うおぉおおおおー!」
全力の突進――両手で固く握り締めたブロードソードをグールの顔面に突き立てる。
「倒れろーっ!」
無我夢中で叫び、力を込めて更に深々と剣先を突き刺していく。
憤怒に燃える双眼が、間近に迫るペテルの顔を睨みつけ――やがて、色を褪せるように闇の中へと溶けていった。
訪れたのは、耳に痛いほどの静寂。
四肢を拘束していたダインの魔法が解かれると、支えを失ったグールの黒々とした肢体は、冷たい石畳の上にどさりと崩れ落ちた。
「……や、やった」
こぼれたのは、小さな呟き。
剣の柄を握り締めていた両手が、今更ながらに震えてくる。
「よっしゃー、グール討伐完了だぜ!」
ぼんやりと視線を巡らせた先で、感情を一気に爆発させたルクルットが跳び上がり、高々と腕を掲げながら吠えていた。
「えぇ、良くやりました」
「まったく、その通りなのである」
厄介な難敵の討伐を果たし、拳を打ち合わせてニニャとダインが健闘を称え合う。
「殊勲ものだせ、ペテル!」
「ははっ、ありがとうございます。……でも、本当に全員の力ですよ」
どこか照れくさい思いで、ペテルは肩を竦めてみせる。
最後のトドメになった一撃こそ、ペテルの功績ではあったが、危険を背負ったルクルットの機転に、ダインとニニャの的確な援護がなければ、絶対に成し遂げることはできなかっただろう。
喜びに沸く仲間たちの姿を見遣りながら、ペテルの胸のうちには一つの願いが生まれていた。
「……おっと、忘れちゃいけねー。討伐証明部位の回収を――」
殊更に明るく戯けてみせたルクルットが、小振りのダガーを取り出して、グールの亡骸へと歩み寄っていく。
「倒しても、爪に麻痺毒は残っていますから、気をつけてくださいね」
「あぁ、分かってるさ。ニニャ」
心得たように笑いかけるルクルットに続き、駆け寄っていったニニャも満面の笑みを浮かべていた。
何とはなしに力が抜けるような思いで、ペテルは石畳に座り込む。
ふと身体が温かくなるような感覚――淡い魔法の輝きが身体を包んでいた。
「〈ライト・ヒーリング/軽傷治癒〉なのである。大事はないと思うのであるが、念のために癒してしまうのである」
「あ、ありがとうございます」
傍らに屈み込んで穏やかな笑みを浮かべてくれるダインに、ペテルは素直に御礼を口にした。
グールの重い攻撃を盾で受け止めた左腕から、鈍い痛みが引いていく。
具合を確かめるように軽く動かし、「……うん、問題なさそうです」とペテルは破顔する。
それは良かったのである、と身を起こしたダインが、ふと何かに気付いたように視線を向けた。
「……いつの間にか、夜が明けていたのであるな」
ダインから促されるようにペテルが視線を持ち上げた先――、城壁の向こうに広がる東の空が鮮やかな向日葵色に染まっていく。
清々しい朝の風が墓地を吹き抜け、汗ばんだ頬を優しく撫でてくれる。
心地良い眩しさに目を細めたペテルは、そうしながら気持ちを確かめるように、ゆっくりと時間をかけて立ち上がった。
「皆さん、私から一つ提案があるのですが――」
*
「こちらが、皆様の新しい冒険者プレートになります。これからも、ご活躍を期待していますね」
丁寧な言葉とともにウィナは、真新しい四つのプレートを差し出す。
見慣れた受付台の向こう、光沢のある鉄〈アイアン〉に刻まれた各々の名前を見つめる若者たちの瞳は、気持ちの良い達成感に溢れていた。
ようやくと“駆け出し”の期間を終えた彼らは、やがてこの場所が単なる通過点であったことに気が付くのだろう。
それでも――今、この瞬間ばかりは素直に昇格の喜びを感じてもらえたのなら、とウィナは柔らかに口許を緩めてしまう。
そうして、首から下げた冒険者プレートを互いに見せ合いながら、意気揚々と組合の扉を出ていく四人の若き冒険者たち。
少しだけ頼もしくなった背中を笑顔で見送り、ウィナは一つ大きく伸びをするようにして後ろの書棚を振り返った。
「よっ……と、ふぅ」
少しだけ爪先立ちになって、奥から羊皮紙の束を引っ張り出してくる。
これから、エ・ランテルの組合に所属している全ての冒険者たちの経歴を綴った冊子に、新しい頁を追加しなければいけないのだ。
羊皮紙の束を纏めていた麻紐を解き、新たに加えるチーム結成の申請書とともに、何枚かの順番を並び替えてから、もう一度しっかりと結び直す。
「えっと……名前の由来は、“十三英雄”の暗黒騎士様なのかしら?」
かつて、破壊の限りを尽くした強大な魔神の脅威に抗い、種族の垣根を越えて共闘して、世界に平和を取り戻した古の英雄たちの一人。
悪魔の半身を持ちながら人間の愛を知る騎士は、四振りの“漆黒の剣”を手に戦場を駆け、自分の身体が犠牲となることも厭わずに、誰よりも多くの仲間を守ったと謳われている。
――願わくは、新しい舞台へと踏み出したばかりの彼らもまた、多くの人々に希望を与えられる存在になってくれたのなら。
記入した者の性格を表すように、丁寧な文字で綴られた申請書を目で追いながら、ウィナはそこには書かれていない意気込みに思いを馳せるのだった。