オーバーロード 短編集:駆け出しの冒険者   作:Esche

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旧交を温めに組合を訪れたリグリットは、とある騒ぎの中心に若き日のラキュースを目撃する。
いつか魅せられた懐かしい輝きを前に、英雄と謳われた老冒険者が選択する未来とは――。



青い理想を追いかけて(1)

「それにしても、泣いてばかりだったお前さんが、組合長の席に就くとは思ってもみなかったよ」

「……昔の話です。私から言わせて頂くのなら、かの高名な“死者使い”リグリット・ベルスー・カウラウ様が未だに現役であることの方が驚きです」

 こちらの他愛ない軽口に、微笑みを絶やさないままで答えた壮年の女性――リ・エスティーゼ冒険者組合の長が、温かな湯気の立ち昇るティーカップを手に言葉を続けた。

「二十年も前に初めてお会いしてから、少しもお変わりないようにお見受けするのですが……宜しければ、その秘訣を教えて頂きたいものですね」

「何を言ってるんだい、ここに皺が一つ増えちまったよ」

 トントンと指先で左目尻の辺りを叩きながら、リグリットは大袈裟に溜め息をこぼしてみせる。

 こちらの投げやりな物言いに小さく肩を竦めた女組合長は、「……女は秘密を着飾って美しくなる、でしたっけ?」と諦めたように息を吐いた。

 その通りさね、と軽い調子で嘯いてみせたリグリットも、用意されたティーカップへと手を伸ばす。

 まだまだ若い者には負けないと自負を持っているものの、一方で老いは確実に自らの身体を蝕んでいるだろう。

 いつだって強気な姿勢を崩さない老魔術師の仮面の内側には、言い知れない不安の火種が燻り続けていた。

(……せめて、次の“揺り返し”までは保って欲しいものだけどね)

 かけがえのない大切な仲間たちと守り抜いた世界を“余所者”の手で汚されたくはない。

 そうしたリグリットの想いは、ともに戦った全員の胸にも共有されているはずだった。

「――ところで、リグリット様。本日はどのようなご用件でしたか?」

 横道に逸れていた思考が、女組合長からの気安げな問いかけに呼び戻される。

「……いや、特別な事情はないよ。久しぶりに近くまで寄ったから、引退前に顔を出してみただけさ」

 ただの気紛れだよ、と笑いながら口にして、リグリットは室内を観察するように見回した。

 王都〈リ・エスティーゼ〉の中心街に位置する冒険者組合の応接間には――宮廷会議の場である、ヴァランシア宮殿のような華やかさはないが――質実を旨とする組合方針の反映された品の良い調度品が並んでいる。

 出世とともに権力欲に取り憑かれ、身を持ち崩していく者たちを何人も見てきたが、元ミスリル級の冒険者として鳴らした歴戦の女傑を相手に、そうした余計な心配は無用だろう。

 微かに口許を緩めたリグリットは、ティーカップを傾けて柔らかな紅茶の香味を楽しむ――と、不意に室外からの怒声が耳に届いてきた。

 

「……ロビーの辺りが、騒がしいようだね」

 何の気なしに呟いてから、目線を交わし合う。

「そのようですね。冒険者には血気の盛んな者も多いので、今更ではありますが――」

 組合内で刃傷沙汰にまで及ぶことは滅多にないものの、報酬の分配などで即席のチームが多少なりとも言い争うこと事態は珍しくもない。

 少しだけ奇妙に感じたのは、扉越しに響いている怒気を孕んだ謗りが、年端のいかない少女の声音に聞こえたことだろうか。

 ――貴方たちは、それでも冒険者なの!?

 批難よりも失望の色が滲んだ叫びに、リグリットは無言のうちに椅子を引いて立ち上がった。

 意外そうに見上げてくる女組合長の視線を軽い咳払いで受け流し、足早に応接間を後にする。

 そうして、リグリットが扉を押し開いたのなら、二階の吹き抜けから眺められる眼下のロビーに多くの人集りができていた。

 剣や槍、弓矢などの武装に身を固めた屈強な者たちは、当然ながら組合に属する冒険者なのだろう。

 駆け出しから中堅程度まで幅広い層が揃っている様子だが、リグリットの目に留まるほどの上位と思しき冒険者の姿は見られない。

「……ほぅ、威勢の良い娘っ子がいるようだね」

 興味を惹かれたのは、遠巻きにされた受付台の前で憤然と拳を握り締めている一人の女冒険者だ。

 年齢のほどは、まだ十代半ばといったところか。

 整った高い鼻梁に白磁の柔らかな頬、後ろ手に括った金髪は手入れを欠かしていないように艶やか光沢を放っている。

 青い神官衣の上に着込んだ真新しい軽鎧と腰に下げたブロードソードを目にしていなければ、どこかの偉い貴族の令嬢が迷い込んだのかと早合点していたかも知れない。

 豪華なドレスや綺麗な宝石に着飾り、ロ・レンテ王城で催される舞踏会にでも顔を出したのなら、たちまちに話題を集めそうな見目麗しい少女だった。

「――何より、あの瞳が良いね」

 最近になって、すっかりと増えてしまったと自覚する独り言をこぼしつつ、リグリットは階下の騒動を見守るように視線を向けた。

 

 *

 

「――今、助けを求めている人たちがいるの! 私たち冒険者が動かないでどうするのよ!」

 必死の訴えを続けながら、焦れるように噛んでしまった唇に浅く血が滲んだ。

 嘲笑と軽蔑に、奇異と憤慨の感情が渦を巻くように押し寄せてくる。

 ――何も分かっていない小娘が、偉そうに口を出すな。

 そう投げつけられた言葉に、反論できるだけの実績はまだ持っていない。

 数日前、初めての昇格試験を終えて喜びとともに首から下げたはずの鉄級〈アイアン〉の冒険者プレートが、少しだけ疎ましかった。

(……勇気と蛮勇を履き違えてはならない、か)

 叔父の膝に抱かれ、紡がれる冒険譚に目を輝かせていた幼少期において、耳に煩わしいほどに繰り返された言葉が脳裡を過ぎった。

 しかし、同時に覚えた反発心も呼び起こされる。

 ――それが正論だとしても、冒険者は弱い人々を守るためにこそ、力を振るうべきではないのか。

 こちらを遠巻きにしながら顔を見合わせるばかりで、何もしようとしない先達の冒険者たちの姿を前に、幼い日から思い描いていた憧景の念が脆くも崩れてしまいそうになる恐怖があった。

 焦れるような思いを堪え切れずに、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは再び周囲へと声を振り絞る。

「――貴方たちは、それでも冒険者なの!?」

 悔しさに身を震わせるままに言い放った言葉が、一層と周囲からの怒気を強めていく。

 若輩者の無遠慮な台詞に奮い立つ訳でもなく、ただ苛立ちを覚えているばかりな雰囲気に接し、「これ以上は、無意味のようね」と見切りをつける。

 踵を返した背中に突き刺さる敵意の視線を無視して、ラキュースは困惑顔の受付嬢へと足早に歩み寄った。

「ねえ、お願い……この依頼を受けさせてよ!」

「で、ですが……現場では、石喰猿〈ストーンイーター〉の群れが確認されています。上位の冒険者チームが不在の現状では、組合としても認める訳にはいきません」

 先ほどまでの繰り返しになってしまう応答に、もどかしい気持ちを覚えながらラキュースは言葉を続ける。

「それでも、ミスリル鉱山での崩落事故なら事態は一刻を争うはずよ。上位冒険者の帰還を待っているだけでは、手遅れになってしまうかも知れないわ」

 こうした説明も、今更ではあった。

 ラキュースが口にするまでもなく、この場にいる受付嬢や冒険者たちは、既に事故の状況について事情を知っているはずなのだ。

 そして、緊急の事態を知りながらも動こうとしない冒険者たち……いや、“動けない”というのが正確なところなのだろう。

 難度にして五十を超えるとされる石喰猿の群れが確認されている厄介な事態となれば、下位の冒険者が依頼に尻込みをするのは当然の判断ではあった。

 決して臆病なのではなく、彼らは自身の分を弁えているだけであり、感情を抑え切れないラキュースよりも、余程に冷静な視点から物事を考えることができているのだろう。

 救援に向かったはずの冒険者が、討伐対象であるモンスターに返り討ちにされてしまうのでは本末転倒も甚だしい。

(……私は、無謀なことを口走っているのかしら)

 頭の冷めた部分では、上位の冒険者が帰還するのを待ってから対処する、という組合の判断が妥当なのだと理解していた。

 しかしながら、ラキュースの胸を熱くさせて止まなかった憧れは、そうした合理的な考え方を素直に良しとできない。

 力のない人々を助けたいという真摯な想いが、絶対に間違いでないと信じたいのだ。

「――私は、もう第三位階の魔法を使えます。最低でも、白金級〈プラチナ〉くらいの働きならできるはずよ」

 毅然と発した自身の言葉に、周囲を取り巻く冒険者が騒つく気配。

 こちらに向けられる視線から、これまでにも何度となく体験させられた嫉妬めいた感情を帯びるのが分かった。

 才能ある者の一つの到達点とされる、第三位階の魔法をラキュースと同世代で行使できる存在は稀だろう。

 リ・エスティーゼ王国において、唯一の最高位アダマンタイト級を戴く冒険者チーム“朱の雫”のリーダーである、アズス・アインドラを叔父に持ち、自らも貴族の家を出奔して冒険者に身を投じた異色の経歴は、いつだって好奇の目に晒されたものだ。

 内心の苦笑いを押し隠すようにしながら、ラキュースは敢えて胸を張ってみせる。

 誰から妬まれようとも、どれほどに疎まれようが全てを原動力に変えて、自身を奮い立たせることで目標へと進み続ける。

 そうしなければ、決して手を届かせることの叶わない“頂き”があるはずだった。

 両親らの反対を押し切り、成人の誕生日を前に十四歳で家を飛び出したときから、変わらずに抱き続けている決意を簡単に裏切ることはできない。

「……お気持ちはお察しいたしますが、お一人では無謀です」

 自身でも分かっていたことを的確に指摘され、思わずと受付嬢に向ける視線が厳しくなってしまう。

 無遠慮にこぼれそうになる文句を飲み込み、ラキュースは一つ呼吸を置いてから気持ちを落ち着けるようにして口を開いた。

「……危険は、百も承知よ。それでも、救えるかも知れない命があるのなら、このまま待っているだけなんて私の性格には合わないの」

「しかし、規則ですので……それに危険性を考慮すれば、組合としても看過することはできません」

 少し怯んだ様子を覗かせながらも、職分を忘れない受付嬢を前にして、ラキュースは説得するべき言葉に悩む。

 

「――確かに、一人じゃ無謀だな。……だったら、二人ならどうだい?」

 不意に耳朶を打った問いかけは背後から――やおらと振り向いたラキュースの見上げた先、巨石のような体躯を誇る重装の戦士が、巨大な戦鎚を肩に担いだままに直立していた。

 短く刈り上げた金髪に、肉食獣の鋭さを宿した瞳の輝き。

 ラキュースの腰周りよりも逞しい首と丸太のような両腕に、異様なほどに分厚い胸板は、極限まで鍛え上げた者だけが持つことのできる芸術品のようでもあった。

 一方で、戦士の鑑のような風貌に結びつかない、ハスキーな声音は女性特有のものだろう。

 先ほどまでは見かけなかった顔だが、首から下げた冒険者のプレートと良く使い込まれた装備は何よりの身分証明になる。

「……えっと、貴女は?」

 やや気圧されるような思いを表情に出してしまうのを堪えつつ、ラキュースは軽く小首を傾げて問いかけた。

「俺の名は、ガガーランだ。嬢ちゃんの心意気に賛同するぜ。俺も一緒に依頼を受けさせてくれ」

 迷いのない口調で言い切り、巨躯の女戦士〈ガガーラン〉が不敵な笑みを浮かべながら顎を引いてみせた。

 相手に名前を尋ねる前に自身から名乗らなければいけなかった、と一瞬の後悔が過ぎったものの、ガガーランの方に気にした素振りはない。

「……っ、失礼しました。私は、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。貴女のような戦士に、ご助力をいただけるのなら――」

「――いや、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。見ての通り、俺は無頼者だからな。よろしく頼むぜ、ラキュース」

 口上は途中で遮られ、代わりにガガーランの大きな手が差し向けられる。

 無骨なガントレットを介した握手に一切の礼儀もあったものではないのだが、不思議と嫌な感じはしない。

「こちらこそ……よろしくお願いするわね、ガガーラン」

 この場での畏まった敬称は、却って不作法な気がして、ラキュースは僅かに頬を緩めながらガガーランの手を強く握り返した。

 こうして顔を合わせるのは初めてのはずなのに、胸の内に広がる安心感は長年を連れ添った仲間とともにあるように温かい。

 ガガーランの頼もしい笑顔を振り仰いだラキュースは、どちらからともなく頷きを交わした。

「――さぁ、これで二人よ。お願い、私たちに依頼を受けさせて!」

 

 *

 

 二人組の女冒険者に詰め寄られ、階下の受付嬢が頭を抱えるように一歩を後退っていく。

「くくっ、随分と面白い小娘たちがいるね」

「……お気に召されましたか?」

 軽く肩を竦めつつ、振り向かないままでいると右隣に女組合長が並んでくる。

 手摺りに背を預けるようにしながら、こちらの表情を窺わんとする気配を視界の端にして、リグリットは小さく鼻を鳴らした。

「あれが、アズスの可愛がっている姪っ子かい。どうやら噂に聞いていた以上のお転婆娘らしいね」

「あの若さで既に、ミスリル級にも迫る実力を有しています。本人が特別扱いをされたくないとの希望でしたので、今は通常通りの昇格手順を踏んでもらっています。アズス様からも、冒険者の厳しさを教えてやって欲しいとのことでしたが――」

「……あの娘は、苦難を成長の糧にしてしまう手合いだろうね」

 くつくつと喉の奥で笑いを堪えながら、リグリットは言葉を続けた。

「もう一人は、確か……“御前試合”で見た覚えがあるね」

「えぇ、あの大会で優勝者に敗れはしたものの、確かな実力を見せてもらいましたので、私の方から冒険者組合にスカウトをさせていただきました。本人の弁を借りるのであれば、“当てのない流れ者”とのことでしたが、戦士としての素質に疑いはありませんよ」

 本当は後の二人も組合に欲しかったのですけど、とぼやいてみせる女組合長から視線を逸らし、リグリットはやれやれと溜め息を吐いた。 

(……そう言えば、ローファンの奴が珍しく上機嫌だったね)

 元来は寡黙だった古馴染みの親爺が、優勝を勝ち取ったはずの大柄な戦士を無理矢理に引き摺り、拉致していく後ろ姿が思い起こされた。

 久しぶりに鍛え甲斐がある、と振り返った好々爺の悪戯めいた横顔には、リグリットをして僅かばかりの憐憫が湧いたものだ。

 どれほどの“モノ”になるのかは、元アダマンタイト級の冒険者にして偏屈な剣術道場の師範、ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンの執拗な訓練を受けることになってしまった、あの哀れな“勇者見習い”の頑張り次第といったところだろうか。

 去り際に見せていた藁にも縋るような弱々しい瞳を思い出せば、自然と口許が緩んでしまう。

「……リグリット様も引退されてしまう前に、もう一人、二人くらい後進を育ててみるのも宜しいのでは?」

 訳知り顔な女組合長からの問いかけ――碌に剣を振るうこともできずに泣いてばかりだった小娘が、いつの間にか随分とふてぶてしくなってしまったものだと思う。

「……あんまり、年寄りを働かせようとするんじゃないよ」

 小さくかぶりを振りつつ、相変わらずの喧騒が続いている階下へとリグリットは意識を向けた。

 奔放な家出娘と流れの女戦士という即席の二人組は、狼狽する受付嬢の肩を両側から抱くようにしながら、“説得”を重ねている様子が見て取れる。

「でも、まぁ……ちょっとした退屈凌ぎには、ちょうど良いのかも知れないね」

 そうして、戯けるように顎先を撫でてみせたリグリットの口許には、はっきりとした笑みが形作られているのだった。

 

 




ラキュースが不治の病を患ってしまうのは、魔剣キリネイラムを手に入れた後らしいので、この短編の時点では清らか?な設定です。

御前試合の流れとしては、ブレインとガガーランが出場して「同じ相手に負けた」というオバマスでの台詞から準決勝でガガーラン、決勝でブレインを破ってガゼフが優勝したという解釈をしています。
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