オーバーロード 短編集:駆け出しの冒険者   作:Esche

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これは“俺たちの責任”だからさ、と悲愴な決意を滲ませて、一人の若い男が呟いた。
誰よりも弱いはずの男が先を歩けば、その背中を追いかけて皆が続いていく。
――魔法剣士、神官、忍者、光の魔法使い、闇の魔法使い……何も人間ばかりではない。
小生意気な吸血姫、自己犠牲の半悪魔騎士、嫌味な白銀鎧、大斧を振るう風巨人、大酒呑みの魔法工、跳ね返りな森妖精、大翼を持つ戦士……大勢の者たちが立ち上がり、厭世の死霊使いも後に続いた。



青い理想を追いかけて(2)

 入場待ちの列が伸びていた王都〈リ・エスティーゼ〉の城門から、三頭の馬影が飛び出していく。

 鉛色の雲に覆われる空は、いまにも驟雨の降り出しそうな気配があり、吹きつける風は頬を裂くように冷たい。

 振り落とされまいと手綱を握り締めている手も、悴んでしまったように感覚が鈍かった。

 目的地までは目立つ小石を払い除けただけの粗末な街道が伸びるばかりで、駆ける悍馬の乗り心地は最悪だが――それでも、この悪路の先に自分たちの到着を待ち侘びている人々がいるのだと思えば、ラキュースに臆する理由は何もない。

 ただ一心に願うのは、冒険者組合で無為に費やしてしまった遅れを取り戻すことだった。

 王都近郊のミスリル鉱山における崩落事故が確認されたのは昨日のことであり、既に相当な時間が経過してしまっている。

 地上に残された現場の作業員が救助に当たっていたものの、折り悪く石喰猿〈ストーンイーター〉の群れが現れてしまったせいで作業を中断せざるを得なくなり、緊急の討伐依頼が冒険者組合に早馬で届けられたという経緯であった。

「お願い、できるだけ急いで――」

 焦れる気持ちを抑え切れずに、ラキュースは〈クイック・マーチ/早足〉の魔法を唱えて馬に重ねがけをする。

「……向こうでは、戦闘になるはずだ。魔力は温存しておきな」

 並走する馬上から短く言い差され、思わずと声の主を睨みつけてしまう。

「……気の強さは買うが、ここで慌てても良いことは何一つもないよ」

 こちらの怒気を軽々と受け流してみせる総白髪の老婆は、“死者使い”として名を馳せる最高位アダマンタイト級の冒険者リグリット・ベルスー・カウラウだった。

 今回の依頼を鉄級〈アイアン〉のラキュースでも受けることができたのは、彼女が助力を申し出てくれたお蔭に他ならない。

「そう……ですよね、失礼しました」

 老獪な女冒険者は、小さく顎を引いただけで視線を前方へと戻した。

 自身の未熟さに唇を噛み締めつつ、ラキュースは履いた鐙をぐっと踏み込む。

 跨っている鞍を両側から太腿で強く締めつけ、少しでも早く到着できるようにと願いを託すことしかできなかった。

 

 そうして、寒さに身を強張らせながらも街道をひた駆けていったのなら、緩やかな丘の向こうに現れる岩壁。

 遠目に見えていた緑の樹々が生い茂っている山峰の中で、そこだけ剥き出しとなっているのが目指すべき採掘場だろう。

「おいっ、ありゃ……人じゃねーか?」

 ふと呼びかけられたガガーランの声に視線を落とせば、道の向こうから脇目も振らずに駆けてくる二つの人影に気がつく。

 肩で息をするように疲労の滲んだ表情と裾を絞った灰被りの作業服が、やけに草臥れて見えた。

 こちらの姿を見止めたらしい男の一人が、「――た、助けてくれっ!」と走りながら開口一番に声を張り上げる。

「アンタら、冒険者なんだろ!?」

「え、えぇ……依頼を受けてあそこのミスリル鉱山に向かうところよ」

 慌てふためく男たちの勢いに押され、思わずと頷いてしまったラキュースではあったが、少しだけ訝るように小首を傾げた。

「――見たところ、採掘場の作業員だね。他の連中はどうしたんだい?」

 横合いから投げかけられたリグリットの問いかけには、やや険のある響き。

「それは、えっと……」

 言葉を詰まらせた男たちを馬上から見下ろす、老練な視線は冷ややかだった。

「お前ら、仲間を見捨ててきたってのか?」

 その無言の問いを引き取ったガガーランが凄みを効かせれば、肩に担いだ巨大な戦鎚が否応なく威圧感を放っている。

「――し、仕方ないだろ! 凶暴なモンスターの群れが現れたのに、俺たちに何ができるんだ!」

 馬上からの鋭い視線に耐えられなかったのか、年若い男が声を荒げながら「警備に雇っていた冒険者もやられちまうし……」と吐き捨てた。

「――っち、急がねーとマズそうだな」

 小さく舌打ちをこぼしたガガーランが馬首を採掘場へと向け直し、小さく肩を竦めてみせたリグリットも続いていく。

「お、俺たちを守ってくれないのか!?」

 先を急ごうとする二人の背を目で追いかけ、切羽詰まった様子で男が叫んだ。

「あぁん? 街道に沿って歩けば、勝手に王都まで着けるだろうよ」

 首だけで振り返り、ガガーランが呆れたように溜め息を吐いた。

 王都を出てから、ここまでの道程でモンスターとは遭遇していない。街道沿いに進むのならば、それほどの危険はないようにも思えるのだが――、

(……このまま、あの人たちだけで行かせても良いのかしら)

 目立った怪我はないが、疲労の滲む男たちの表情を見遣ったのなら、ラキュースの信条が彼らを捨て置くことに良しとはできない。

「……何をしてるんだい、ラキュース」

 こちらの逡巡を嗜めるようなリグリットの声音。

 優先順位を間違えてはいけない、と言外に告げる厳しい眼差しに気圧されながらも、ラキュースは小さくかぶりを振ってみせた。

 ――冒険譚に謳われる英雄は、助けを求める全ての人々を救ってこそだ。

「街道沿いに進めば、安全なはず……でも、保証はできない」

 短く言い差したラキュースの言葉に、消沈していた男たちがビクリと肩を震わせる。

「……だから、私たちと一緒に来てほしい。危険は私たちが請け負うから力を貸して! 閉じ込められた人たちを救うためには、貴方たちの力が必要なのよ!」

 唐突な発言に男たちばかりでなく、先を進みかけていたガガーランまでもが振り返って瞠目した。

「お、おい……ラキュース」

「彼らの護衛をしつつ、ストーンイーターの群れを何とかします! 現場の安全を確保できたのなら、次は崩落に巻き込まれた人たちを助けないといけないわ!」

 考えを纏めるよりも早くに宣言をすれば、言葉が口を衝いて紡がれていく。

 冒険者組合に届けられた依頼内容は、“ストーンイーターの討伐”のみではあったが、その目的は崩落事故で生き埋めになっている作業員たちの救助にあるのだから、後事の人手は少しでも多い方が良いはずだった。

「お願いします! 私たちを信じて、力を貸してください!」

 切迫した状況なので無作法に馬上から頼みとする形にはなってしまうものの、その姿勢が真摯なものであることは伝わってほしい。

 今の光景を幼少期の躾に携わっていた侍女長が目撃したのなら、「貴族たる者が簡単に頭を下げてはいけません」などと叱られてしまいそうなものだが――、構うものか。

 古の英雄譚に憧れ、冒険者として身を立てることを誓った旅立ち日から、本当に“必要なこと”を見誤るつもりはない。

 冷たい風が無遠慮に頬を撫でつけ、ラキュースの長い金髪を吹き散らせば、分厚い雲間から僅かに差した一筋の光芒に煌めいた。

 思いがけない懇願の様子に、男たちは驚きで顔を見合わせつつ――それでも、「……俺たちにできることなら」とどちらからともなく頷きを交わしてくれたのだから心強い。

「――ありがとう、絶対に後悔させないわ!」

 彼らの勇気ある選択を無為としないために、ラキュースは頬を両手で張って意気込んだ。

 

「――あっ、あそこです!」

 二人乗りの馬で採掘場に駆けつけると後席の男が焦りに声を上げた。

 肩越しに示された先へと目を向けてみれば、窪地の簡易な石組みの建物――作業員向けの詰め所だろう――を取り囲みながら唸り声を上げている七、八頭ばかりの大柄な猿に似た亜人の群れ。

 全身を覆い尽くす茶褐色の毛並みに、剥き出しの牙と長い前肢を振り回して威嚇を繰り返す凶相は、見るからに恐ろしいものだ。

 ――ラキュースの背後、同乗の男が微かに身震いする気配。

「間違いないわ、ストーンイーターね」

 人間種を遥かに凌ぐ身体能力もさることながら、その種族特性として食べた石を吐き出す力にも注意が必要となる厄介な亜人種だ。更なる上位種にもなれば、食べた原石に応じて特殊な力を隠し持つこともあるらしいので、それらしい強そうな個体を確認できないのは幸いだろうか。

 事前に叩き込んでいた情報と照らしつつ、ラキュースは背後を振り返って呼びかける。

「……貴方たちは、ここで馬を降りて岩陰に隠れていてほしい。万一、私たちがやられてしまった場合は、この馬たちを譲るから何とか逃げてね」

「おいおい、あの程度にやられる訳ないだろ」

 はははっ、と頼もしい笑みを浮かべたガガーランが馬から跳び降り、巨大な戦鎚を軽々と肩に担ぎ上げてみせる。

 その向こうでは音もなくするりと下馬したリグリットが、「帰りの足がなくなっちまうから離すんじゃないよ」と強い口調で言い差し、男に手綱を預けていた。

 明らかにラキュースよりも格上な彼女たちにしてみたのなら、ストーンイーターの群れも気負うほどの相手ではないのかも知れない。

「――それでどうするんだ、ラキュース? お喋りしてる余裕はなさそうだぜ」

 眼下の様子を油断なく見据えながら、ガガーランが顎をしゃくって問いかけてくる。

「えっと……」

 義憤に駆られた冒険者組合での一幕やこれまで道中において、ラキュースは結構な無茶を通してしまった自覚があった。

 そうであるからこそ、実際の戦場を前にして冷静な判断ができているのか――最も経験の浅い自身が指揮を取るよりも、リグリットやガガーランに任せるべきではないのかという懸念が、かけるべき言葉を躊躇わせる。

「――そのくらい自分で考えな。名前は貸してやったが、嬢ちゃんの受けた依頼だろう」

 思わずと縋りかけたラキュースの視線の先で、老練の女冒険者がやれやれとばかりに肩を竦めた。

「全く……この私にまで馬の二人乗りをさせるなんてね」とわざとらしい溜め息までこぼしてみせるのだから、思わずと苦笑いになってしまう。

 出会った街道から採掘場までを徒歩の男たちに合わせる余裕はなく、それぞれにラキュースとリグリットの後ろに相乗りしてもらうことになったのは、単に体格の問題であったのだが――お気に召されなかったらしい。

 手綱を預けられたままに馬上で恐縮している男の一人を見遣ったラキュースは、ふと強張っていた自身の緊張が解れていたことに気付かされる。

(……流石は、“アダマンタイト級”といったところかしら)

 尊敬の念とともに軽く目礼し、ラキュースは気を取り直すように周囲の顔触れを見回した。

「――正面から突撃して、ストーンイーターの群れを追い払います」

 作戦も何もあったものではない。

 しかし、このメンバーならできると確信を抱きながら凛と言葉を続ける。

「鉱山の作業員たちの救出を最優先しますが……無暗な殺生は避けたいので、山奥に逃げる場合は追撃をしないでください」

 冒険者組合で受けた依頼内容は“ストーンイーターの討伐”であっても、本来ならば対話も可能なはずの亜人種を相手取り、諍いの禍根を広げるべきではないとラキュースは考えていた。

 賢しい者には甘い考え方だと断じられてしまうのだろうが、未熟者なりにも自らの信念を曲げたくはないのだ。

「……嫌いじゃないぜ、そういうの」

 小さく口笛を鳴らしたガガーランが、豪快な笑みを浮かべてみせてくれた。

「……やれやれ、これだからケツの青い小娘の御守りは疲れるんだよ」

 大袈裟に肩を竦めたリグリットも、態度とは裏腹に立派な剣を構えて了承の意思を示してくれる。

「――じゃあ、やるわよ!」

 

 *

 

「うおぉぉぉぉりゃあーっ!」

 ラキュースからの支援魔法〈バフ〉を受け、獰猛な雄叫びとともにガガーランが窪地へと駆け下っていく。

 不意の襲撃に虚を突かれたのか、蹈鞴を踏んだストーンイーターの横腹を振り抜かれた戦鎚の剛打が捉えた。

 相当な衝撃に弾き飛ばされ、毛むくじゃらの巨体が大きな放物線を描いて空を舞う――その光景は、群れの戦意を削ぐのに充分な一撃だったのだろう。

 大柄なガガーランの背を追いかけていたラキュースが続き、抜き放ったブロードソードを手に躍りかかれば、算を乱したように詰め所を包囲していたストーンイーターの群れが崩れた。

 後先なく飛び込んでいった二人の勢いに苦笑いを浮かべつつ、後方に控えていたリグリットは〈サモン・アンデッド/死者召喚〉の魔法を唱える。

 作業員や冒険者の救出を目指すガガーランとラキュースの暴れっぷりに、戦慄いたストーンイーターが方々に逃げ始めている様子が見て取れたのだ。

「……ったく、面倒なことばかりを押し付けられた気分だね」

 軽い愚痴をこぼしつつ、冥府より呼び出したニ十体の食屍鬼〈グール〉を展開し、平野方面への逃げ道を塞いで山林側へと追い立てていく。

 リグリットが本気を出したのなら、単独でもストーンイーターの群れを殲滅することは容易いのだが――後々のことを鑑みたのであれば、ラキュースの提案通りに鉱山を狙うリスクを覚えさせる方が獣の躾には最適だろう。

「……若さ故か、或いは“英雄の片鱗”か」

 どこか懐かしいような気持ちを抱きながら、ぽつりと呟いた言葉に大した意味はない。

 人間種でない友人や知人の多いリグリットの身上としては、ラキュースの考え方を好ましく感じただけだ。

 長らくと生きていれば、個人の感情ばかりではどうにもならない状況に直面することもある。

 ――そのときに何を選択できるのか。

 眼下の光景を眺めるリグリットは、独り言ちるように顎先へと手をやった。

 

 やがて、騒々しかった剣戟の音が遠退いていき、突然の襲撃に揺れていたミスリル鉱山の採掘場にも静けさが訪れていた。

 窪地に数体ばかりの人間や亜人の遺骸が横臥する戦場跡を一瞥し、リグリットは思わずと小さな溜め息を吐いてしまう。

「終わったようだね。仕方がない、とは言いたかないけど……」

 対応が後手に回った状況において、これだけの犠牲で済んだのだから良しとするべきなのだろう。

 ストーンイーターの逃げ去っていった稜線に目を向けつつ、リグリットは岩陰に隠れている男たちを手招きで呼び寄せた。

 採掘場周辺の安全を確保できたのなら、ようやくと生き埋めになっている作業員たちの救出活動を再開できるのだ。

 先ほどまでの怯えていた姿から様変わりし、使命感を湛える男たちの顔つきにリグリットは少しだけ感心するように頷いた。

 自分たちが助かるためではあったが、ストーンイーターの包囲を突破できた二人なのだから、元より体力はあったのだろう。

 わざわざと馬の背に乗せてやったからには、キリキリと働いてもらわなくてはならない。

「……いつの間にか周りの人間を巻き込んでしまうのが、ある意味で“らしい”のかも知れないね」

 あのリーダーもそうだった、という感慨がリグリットの口端からこぼれかけ――、

「――っ、まだ息があるわ!」

 ちょっとした郷愁を吹き飛ばす不意の吉報は、周辺を確認しながら詰め所に向かっていたラキュースからだ。

 弾かれたように身を翻したリグリットは、足早に声の方へと駆け寄った。

「……護衛の冒険者かい、随分と手酷くやられたもんだね」

 詰め所の扉前に倒れ伏していた傷だらけな戦士の姿を見遣り、リグリットは懐から手早くポーションの小瓶を取り出す。

 大きく抉られた傷跡は半死半生なほどに痛々しいものだが、扉の前に陣取って最後まで奮戦していたのだろう。

 ――そして、命さえあれば何とかなるはずだ。

「助かるよ、気をしっかり持ちな」

 努めて強い口調で呼びかけつつ、リグリットがポーションの小瓶を傾きかけたとき――ふと傍らで輝き始める神々しい光。

 

〈ヘビーリカバー/重傷治癒〉

 

 ラキュースの唱えた信仰系魔法の眩い発光が、傷付いた戦士の身体を包むように広がっていく。

 死人のような表情が僅かに和らぎ、微かな身動ぎとともに閉じていた目蓋が開かれる。

「…………お、俺の仲間たちは?」

 意識を取り戻した戦士の絞り出すような第一声。

「ごめんなさい、助けられたの貴方だけよ」

 小さくかぶりを振り、口許を引き結んだラキュースが頭を下げる。

「……でも、貴方たちのお陰で鉱山の作業員を守ることができたわ。ありがとう」

 淡々と告げられた事実に戦士が顔を歪ませ、それでも気丈に顎を引いて言葉を続けた。

「まだ生き埋めになってる奴らがいるはずだ。……頼む、救ってやってくれ」

「えぇ、必ず救い出します!」

 戦士の差し出した手をしっかりと握り返し、ラキュースが太陽のような笑みで応える。

 一切の躊躇いもない即答に戦士が満足そうに微笑み、起こしていた身体を静かに横たえた。

 傷口が塞がったとしても、失われた体力までは戻らないので、今は素直に寝かせてやるべきだろう。

 機会を逸してしまったポーションの小瓶を持て余しつつ、リグリットは賛辞を心のうちに留めた。

 そうして、馬の手綱を引きながら駆け下りてくる男たちに視線を向ける。

 引き伸ばした袖口で目許をゴシゴシと拭っている戦乙女の横顔が、赤く腫れぼったくなってしまうのを見つめてやるのは野暮に思えたのだ。

 

 *

 

 空を覆っていた灰色の雲が流れていき、いつしか柔らかな陽の光が差し込んでいたことにリグリットは気付かされる。

「……見事なものだね」

 ぽつりと呟いた言葉が、採掘場に響き渡る男たちの歓声に呑み込まれていく。

 崩落した坑道の遮蔽物が取り除かれ、生き埋めにされていた作業員たちが這い出してきたのなら、ようやくと再会できた者たちが咽びながら肩を抱き合っていた。

「負傷している人は教えて、すぐに治療します!」

 喜びの溢れる人々の中心では、先ほどまでも救助活動の陣頭指揮を執っていたラキュースが凛と声を張り、惜しむことなく作業員たちに治癒魔法を施している。

 形の良い額に汗を滲ませ、艶やかな金髪を振り乱しながらも、その姿は煌びやかな英雄譚の一幕を描いた絵画のように美しい。

 救出活動での的確な指示や懸命な治療に奔走する聖女の振る舞いから、一部の者たちは既に陶酔しているような気配さえあった。

 無償での治癒魔法の行使に神殿勢力は良い顔をしないだろうが、ラキュースを貶めるような真似をする者はこの場に存在するはずもないだろう。

「……これは、本物かも知れないね」

 忌み嫌われる死霊系の魔術師であり、神殿勢力との折り合いが悪いリグリットからすれば、一層と痛快なほどだ。

 

「――さて、よっこいせ……っと!」

 ふと大袈裟な掛け声とともに、ガガーランが隣に腰を下ろしてくる。

 重装鎧を外して豪快な片肌脱ぎとなっていた女偉丈夫は、誰よりも優れた怪力を発揮して落石の除去に奮闘していた。

「……ご苦労さん、大活躍だったじゃないか」

 こちらが労いの言葉を向ければ、「おうよ、ちーっとばかし疲れたぜ」とガガーランが清々しい笑みを浮かべてみせる。

 わざとらしく戯けているようで、少しばかりの気恥ずかしさを誤魔化そうとする雰囲気に、リグリットは口許を綻ばせながら問いかけた。

「……随分と気前が良いね。最近の護衛ってのは、人助けも仕事のうちなのかい?」

「ん? なんだ、気付かれていたのか」

 小さく肩を竦めるガガーランを一瞥したリグリットは、「ただの勘だよ」とかぶりを振ってみせる。

「――実力が申し分ないとはいえ、まだまだケツの青い小娘さ。親御さんの気持ちになれば、一人で冒険者なんて危険な真似はさせたくない。あの器量なら、珠のように育てられていただろうしね。……けど、『やめろ』と言われて素直に聞いたとは思えない跳ねっ返りだね」

 冒険者組合での発言に始まり、自身の信じた道を一直線に突き進んでいくラキュースの姿勢は傍目にも爽快だった。

 しかし、少しばかりの経験を積んだ者であれば、誰しもがそこに一抹の危うさを覚えるだろう。

 ストーンイーターの群れに飛び込んでいった剣の技量に加えて、信仰系魔法詠唱者としても非凡な才能は可能性の塊であり、未熟ながらも高潔な精神を持ち合わせたラキュースを掴まえて、冒険者の道を諦めさせるのは並大抵のことではない。

 更に厄介なのは、“悪い影響”ばかりを与えていそうな叔父の存在だろうか。

 異端を嫌う貴族社会では爪弾きにされながらも、今まさに“英雄”としての道を駆け上がっている“朱の雫”のリーダー、アズス・アインドラの後ろ姿を見せてしまえば、もう止められるはずもない。

「――なら、せめて娘のために身体を張ってくれる護衛くらい……と考えるところだが、あっさりと本人に断られてしまうだろうね」

 答え合わせを引き取り、ガガーランが口端を持ち上げてニヤリと笑った。

「……俺は北の方で傭兵をしていたんだが、とある筋から割りの良い仕事が回ってきてな。王都で開かれる大会に参加して欲しいとよ」

 その視線の先では、「聖女様だ」と誉めそやされて戸惑っている様子のラキュースが、作業員たちの間を忙しなく動き回っていた。

 先頃に開催された“御前試合”に流れ者の傭兵が出場し、その活躍から冒険者組合にスカウトされるのは自然な流れだろう。

 そうして、気高い理想のために孤立してしまう若き冒険者の前に、手を差し伸べてくれる頼もしい先達者が現れることになるのだ。

 誰がどこまでの絵図を描いていたのかはリグリットにも知れないが、随分とふてぶてしく成長してしまったあの女組合長も最初から承知していた、と考えて間違いないはずだった。

「なるほどね……それで、今後はどうするつもりなんだい?」

「いくら割りが良くても、面倒そうな相手なら一度きりで断るつもりだったんだが……多分、アンタと同じ考えだと思うぜ。何なら、元々の仕事抜きでも構わないくらいだ」

 こちらに向き直ったガガーランが苦笑いを浮かべながら、「想像していたよりも、ずっと面倒そうな娘っ子だったけどな」とわざとらしく溜め息を吐いてみせる。

 これまでとも変わらず、飾らない態度の女戦士に好感を抱きつつ、リグリットもまた苦笑いがこぼれるように口許を綻ばせた。

「ほぅ……やはり、お前さんは良い女だね」

「おうよ! 俺はアンタたちみたいに“英雄”には届かないだろうが、“未来の英雄”様のために全力で引き立て役になってみせるぜ!」

 やや自嘲めいた台詞ながらも、晴れやかな笑みを浮かべたガガーランを見遣り、リグリットはやれやれと肩を竦める。

 二百年以上の時間を生きてきた中で、その背中を追いかけたいと思えた相手は僅かばかり――、

(……どこかで、インベルンの嬢ちゃんにも引き合わせてやりたいね)

 ふと脳裡に過ぎった懐かしい仲間の小生意気な横顔を思い、リグリットは遠い晴れ空の彼方へと目を向けた。

「ケツの“青い”小娘と“棘持ち”の美女が二人も揃ったのなら、それなりに面白いことになるだろうね」

「……まぁ、向こうに断られちまったら、どうしようもないけどな」

「ふん、断らせるもんかね。あの可愛らしい口が裂けても、嫌とは言わせないさ……絶対にね」

 

 

 ――麗らかな陽だまりの中、ふと背筋を襲った寒気に、ラキュースは怪訝な表情で周囲を見回しつつも、すぐに治癒魔法の詠唱を再開するのだった。

 

 

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