やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

27 / 62
第26話 PoH

 第2層。南東の森。

 かつて俺が犯罪者(オレンジ)プレイヤーになってしまった時に、身を潜めていた場所だ。その一角に、ヘリカルレッドの咲き乱れる群生地が存在する。当時は回復アイテムの補給もままならなかったために、かなりお世話になったのだ。

 森の中に入っても、道を選べば月明かりのお蔭で視界はそれほど悪くなかった。俺が記憶を頼りに進んで行くと、少し木々が開けた場所に背の低いヘリカルレッドの花が並んで咲いている場所が目に入る。その中央、花々に囲まれるようにオレンジカーソルの男が静かに佇んでいた。

 頭から腰下までを覆う黒いポンチョに、くすんだモスグリーンのカーゴパンツ。右手のグローブには、不気味に笑う棺桶が刺繍されていた。

 こちらの存在に気付いた男が、ゆっくりと顔を上げる。そして俺と目が合うと、嬉しそうに笑みを浮かべた。それにつられて右頬に刻まれた刀傷のような刺青が歪む。

 

「よォ。感心だな。約束の時間丁度(ジャスト)だ」

「……待つのも待たせるのも好きじゃないからな」

 

 軽口を返しながら、俺は目の前の男――PoHを睨み付ける。余裕綽々といった様子だ。俺は既に槍を手にしていたが、PoHは未だその得物さえ見せていない。

 

「……ちゃんと1人で来たみたいだな」

「生憎とぼっちだからな。まあお前1人くらいなら俺だけで十分だ」

「ハッ! 言うようになったじゃねえか」

 

 予測されるステータス差を考えれば俺の発言もあながちただの強がりでもなかったのだが、PoHはそれを笑い飛ばした。

 底の知れない相手だ。昨日相対したジョーのように何か奥の手があるのかもしれない。そう考えて警戒心を引き上げる俺をよそに、PoHは感慨深そうに周囲を見回していた。

 

「お前とこの森で初めて会ったのも、もう1年以上前か……。ここまで長かったな」

 

 今すぐに刃を交えるつもりはなさそうで、PoHは棒立ちでそんなことを語り始める。隙だらけの体勢だ。このまま切り伏せてしまおうかという考えも過ったが、そんな不意打ちが通用する相手ではないことは俺が良くわかっている。ここはひとまず相手の会話に乗ってやろうと決め、俺も口を開いた。

 

「お前は結局、何がしたかったんだ。犯罪者(オレンジ)たちを従えて、無関係なプレイヤーを殺して……悪役気取りでロールプレイか」

「おいおい。そりゃあ言い掛かりだぜ。この世界のプレイヤーに悪役(ヒール)なんて存在しねえ。ただ1人《茅場晶彦》だけが全プレイヤー共通の敵だ。俺たちに出来るのは、精々ゲームのシステムが許す範囲で遊ぶことだけ。言ってみりゃあプレイヤーの正当な権利だ。それを行使して何が悪い?」

 

 PoHはさも当然のことのようにそう口にする。こんなものは当然屁理屈だが、芝居がかった話術も相まってか妙な説得力があるように感じられた。奴が笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の中でカリスマと崇められていた理由が少しわかった気がする。

 

「そうやって口車に乗せて、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中を操ってたのか?」

「人間なんて皆お互いを殺したがってる生き物だろ。俺は見込みのある奴らの背中を少し押してやっただけだ。まあ、最後は拍子抜けだったがな。今朝の殺し合いはもう少し面白い見世物(ショー)になると思ったんだが……」

 

 そう言ってPoHは大げさにため息を吐く。しかしすぐに気を取り直すように顔を上げると、フードの向こうで爛々と輝く瞳が俺を射抜いた。

 

「まあ、そんなことはもうどうでもいい。今までのことは全部安い前菜(オードブル)みたいなもんだ。そろそろ主菜(メインディッシュ)と行こうぜ」

 

 殺気を放ちながら、PoHがようやく武器を構える。背中から取り出したのは、板斧かと見間違えそうな形状の短剣――友切包丁(メイトチョッパー)だ。

 PoHの愛剣として有名なそれは、四角い刀身から見て分かるように突きの攻撃力は皆無に等しい。しかし、それと引き換えに斬る攻撃力は現存する全武器の中でも破格である。短剣のソードスキルには突属性と斬属性の技がバランスよく含まれるため、つまりはそのほぼ半分が使い物にならなくなるというかなりピーキーな武器だが、使いこなせば魔剣クラスの強力な武器だ。

 PoHの放つ禍々しい殺気に顔を歪めながら、俺もゆっくりとした動作で槍を構えて覚悟を決めた。

 これが、俺と奴との最後の戦いだ。負けることは許されない。

 互いに低く腰を落とし睨み合う。虫の音さえ聞こえない静寂の中、木々の騒めきが俺たちの間を掛け抜けて行った。

 

「さあ――Show timeだ」

 

 先手を打ったPoHが、獣のように地を這って駆ける。

 懐への侵入を嫌い、俺は牽制するように槍を振るった。1合、2合、PoHが短剣で俺の槍を弾き、次いで跳躍する。槍は空を切ったが、間合いを詰められる前に石突で迫る相手の短剣をかち上げた。似たような応酬が、数秒の間に幾度か繰り返される。

 相変わらず、ズバ抜けた戦闘センスだ。おそらくキリトにも匹敵するだろう。だが、やはりレベルの差が大きかった。1つ1つの動きは俺の方が速いし、武器のリーチの違いもある。

 攻防を繰り返す中で、徐々にその差が浮き彫りになる。こちらは無傷だったが、その過程でPoHには浅い傷が蓄積していった。このまま焦らずに長期戦に持ち込めば、いずれこちらに軍配が上がるだろう。

 そんな安易な考えが頭を過るが、そう易々と勝たせてもらえるはずもない。

 不用意に放ってしまった突き。それを甘んじて右肩で受けたPoHが、そのままソードスキルを構える。

 下段から水平に薙ぎ、そのまま回転してから中段の一撃。初撃は足元の草花ごと俺の足を浅く刈ったが、二撃目は何とか単発のソードスキルで弾き返した。

 ヘリカルレッドの赤い花弁が舞い散る中、一際大きな剣戟の音が響く。お互いに大きくノックバックを受け、そのまま距離を取った。森に再び静寂が訪れる。

 今のは危なかった。大きく息を吐きながら、俺は彼我のHPバーを注視する。今の攻防戦でお互いに4分の1ほど削られていた。

 平均的なステータスはこっちが勝っているはずなのに、ここまで五分かよ。勘弁してくれ……。うんざりとそんな感想を抱いたが、俺の心情などお構いなしにPoHは生き生きとした笑みを浮かべていた。

 

「Cooooool!! Excellentだ、ハチッ! ああ、これだ……。これが、俺が求めていたものだッ!! This is it!!」

 

 狂ったような笑い声を上げ、PoHが天を仰ぐ。その豹変ぶりに若干引きながら、俺はその光景を眺めていた。ひとしきり笑って少し落ち着いたのか、PoHはその後ゆっくりと息を吐く。

 

「……が、さすがにレベルの差がでけえな。少し分が悪いか。まあこの綱渡り感も悪かねえんだが」

「……大人しく捕まるなら、殺しはしないぞ」

「ハッ! 面白いジョークだ!」

 

 俺の降伏勧告を笑い飛ばし、PoHは再び短剣を構える。

 まあ、そうなるわな……。さすがに俺もこの状況でPoHが白旗を上げるとは思っていない。言ってみただけだ。

 予定に変更はない。隙を見て、用意しておいた奥の手(・・・)を使うのだ。まあこいつ相手にその隙を作るというのが骨が折れるんだが……。

 

「さて……かなりノッて来たからな。ハチ、面白いモン見せてやるよ」

 

 腰を落とし、左手を前に突き出した体勢で担ぐように短剣を構えるPoH。それを目にし、俺は妙な違和感を覚えた。不吉な予感が頭を過る。

 曲がりなりにも攻略組で最前線を張っている俺は、既存のソードスキルは大体記憶している。その対処法も頭に叩き込んであった。短剣のような使用者も多い武器ならば情報も出尽くしているために、知らないソードスキルはないと言う自負があった。

 だが、あんな構えは見たことがない。

 ソードスキルではないのか? だが、通常の動きだけでこの間合いから俺に仕掛けるには、あの構えはあまりに稚拙――

 そこまで考えたところで、俺はその光景に目をみはる。

 PoHの構える、友切包丁(メイトチョッパー)。その刀身に禍々しい黒い光(・・・)が宿った。

 

「小手調べだ。まだ死ぬなよ?」

 

 言って、PoHが大きく一歩踏み出す。同時に、黒い剣閃が振り下ろされた。

 踏み込みが浅い。そして、それほど突進力のある攻撃でもない。この距離では完全に俺を捉えることは出来ないはずだ。

 ギリギリまで踏み込んで空振りを誘い、スキル後の隙を衝けば勝てる。そこまで瞬時に見て取った俺だったが、同時に嫌な感覚を覚えていた。故に深入りはせず、この一撃は見に徹する判断を下して後ろに下がる。だがその瞬間、ありえないことが起こった。

 

 ――リーチが伸びたッ!?

 

 慌てて槍を起こし、その柄でなんとか剣撃を受け流す。しかしバランスを崩して大きく後方へと飛ばされた。

 咄嗟に体勢を立て直し、槍を構える。しかしPoHはすぐに追撃をするつもりはなさそうで、ただニヤニヤとこちらを伺っていた。俺の反応を楽しんでいるようだ。

 視線を自分の右手に移す。上手く受け流したと思ったが、小指が切断されていた。

 この程度ならば戦いには影響はない。だが、事態は最悪だ。

 

 黒いエフェクト。伸びるリーチ。高い切断判定。

 そんな特徴を持つソードスキルなど聞いたことがない。これは、つまり――

 

「ユニークスキル、か……」

 

 苦々しく、口を開く。その呟きは、夜の闇の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニークスキルとは、その名の通り固有スキルのことだ。

 公式にユニークスキルというものがある訳ではなく、厳密に言えばエクストラスキルに分類されるのだが、その取得条件が不明であり、現状ではアインクラッドで1人しか扱うことのできないスキルのことを便宜上ユニークスキルと呼んでいる。

 まあこんな定義付けをしたところで、現在ユニークスキルと呼ばれているのはヒースクリフが持つ《神聖剣》だけだ。第48層攻略中に俺はそのスキルの存在を知ったのだが、初めはユニークスキルなど眉唾ものだと思っていた。たまたま、まだ他のプレイヤーが取得していないだけのエクストラスキルだと考えていたのだ。レベルの高い攻略組が他のプレイヤーを差し置いて最初にエクストラスキルを取得するのは当然のことだ。だが、後になって俺はその認識を改めた。

 第50層のボス攻略。あの時の衝撃を未だに覚えている。

 クォーターポイントのフロアボスである双頭の巨人は強かった。その強力な攻撃に幾度となくタンク部隊が吹き飛ばされ、陣形を崩された攻略組は危機に陥った。しかしその度に、大盾を構えたヒースクリフがただ1人で戦線を支えたのだ。

 フロアボスと1対1で対峙出来るなど、尋常ではない。それがクォーターポイントともなればなおさらだ。しかもヒースクリフはその間、常に半分以上はHPに余裕があった。相当の苦戦が予想されていたクォーターポイントのボス攻略。しかし蓋を開けてみれば、ヒースクリフの活躍によって1人の死者を出すこともなくそれは達成されたのだった。

 圧倒的な防御力に、見たことのない剣技。ゲームバランスを崩壊させるほどのそのスキル。こんなものを多くのプレイヤーが所持してしまえば、ゲーム攻略の難易度は格段に下がってしまうだろう。

 故に固有(ユニーク)スキルなのだ。選ばれたものだけが手にすることが出来る、規格外のスキルだった。

 

 

 

 

正解(Exactly)!」

 

 俺の小さな呟きに、PoHが楽しそうに答える。その声は夜の森の中に響き渡った。

 

「《暗黒剣》ってスキルだ。情報屋のデータベースにも載ってない奴だぜ」

 

 相当気分がいいのだろう。PoHは聞いてもいないのにそんなことを説明してくれた。一気に劣勢に立たされた俺は内心かなり焦っていたが、それを相手に悟らせないようにしながら頭を働かせる。

 暗黒剣――名前からして、ヒースクリフの神聖剣の対になるようなスキルだろうか。神聖剣は俺の知る限り防御特化のスキルだったはずだ。つまり暗黒剣は攻撃特化の可能性が高い……かもしれない。

 まあ、決めつけるのは危険だ。そもそも奴の発言がブラフだという可能性もある。

 

「レベルはお前の方が上。だが、俺にはユニークスキルがある。状況は五分だ。楽しくなって来ただろ?」

「ふざけんな、何が五分だっつーの……。リーチが変わるとか反則だろ」

「まだそんな口を利ける余裕があるなら十分だ。さあ、第2ラウンドと行こうぜ」

 

 微妙にかみ合っていない会話を終え、PoHが再び短剣を構える。未知のユニークスキルに対して、どう対抗するか。そんなことを考える間もなく、PoHが黒い剣閃と共に突っ込んで来た。

 

 ――速いッ!!

 

 先ほどのソードスキルとも違う。横薙ぎの一撃。

 俺も咄嗟にソードスキルで応戦し、攻撃を弾いた。そして、一瞬の間隙。次いでPoHは俺よりコンマ1秒早くスキル後の硬直から抜け出し、こちらへと距離を詰めてくる。頭を狙った一撃を何とか柄で受け、俺は筋力値にものを言わせて強引にPoHを弾き飛ばした。

 ただでさえ間合いが分かり辛くてやりにくいのに、更に暗黒剣は通常のスキルよりもディレイタイムが短いようだ。ソードスキルを打ち合っていればジリ貧になりかねない。

 6合ほど、そのまま切り結んだ。剣戟の音と、PoHの高笑いが夜の森に響く。こちらの隙を見て、再びPoHがソードスキルを構えた。俺はそこで打ち合いではなく、回避を選択する。

 身を伏せて1撃目をやり過ごし、2撃目を槍で何とか受け流す。しかし上から振り下ろされた3撃目が俺の額を浅く斬った。若干バランスを崩したが、なんとか踏み止まる。俺はそこから反撃を試みようとしたが、既にPoHは槍の届かない位置へと下がっていた。そのままお互いに距離を取って対峙する。

 乱れた息を整えながら、俺は歯噛みした。ここまで、常に戦いの主導権を握られているのだ。こちらから仕掛ける余裕が全くない。そしてそんな状況に追い打ちを掛けるように、俺は1つの事実に気付いてしまった。

 奴の頭上に浮かぶHPバー。先ほどまで4分の1ほど削られていたそれが、いつの間にか全回復している。回復アイテムを使う余裕などなかったはずだ。これは、まさか――

 

「気付いたか?」

 

 俺の目線を察知したのだろう。にやけた表情でPoHが呟いた。

 

「ドレインか……?」

「Yes.暗黒剣は敵の命を吸いとるんだ」

 

 俺の言葉を、PoHが肯定する。

 攻撃した相手のHPを吸収する能力――反則すぎる。これでは持久戦など望めるはずもない。ユニークスキルというのはこんなにも理不尽なものなのか。

 俺の心に、じわじわと絶望が広がって行った。どんな戦い方を想定しても、こいつに勝てるビジョンが持てない。既に俺のHPも半分を割っている。おそらく暗黒剣のソードスキルが1度でも急所に直撃すればゲームオーバーだろう。

 押して駄目なら諦めろ。そんな俺の座右の銘が頭を過った。

 退くべきなのかもしれない。PoHを逃がしてしまうのは痛手だが、それは俺がここで殺されても同じことだ。

 

 ――だが、まだ手はある。

 

 出来れば相手の隙を衝いて、余裕を持って実行したかった。しかしもうそんな保守的なことを言っていられる状況ではない。玉砕覚悟で臨むべき状況だ。

 

「……PoH、お前の言う通りだったぞ」

「あ?」

「初めて会った時、お前を殺さなかったことを死ぬほど後悔した」

 

 ――俺を殺さなかったこと、必ず後悔させてやる。

 

 かつてPoHが俺に投げかけた言葉は、事実となった。あの時、あの瞬間、奴の心臓をこの槍で貫かなかったことを、幾度となく後悔した。そして今ここで奴に背を向ければ、きっと俺はまた後悔するのだろう。

 突然の俺の告白に、PoHは訝し気な顔をこちらに向ける。だが、俺は構わず語り続けた。

 

「あれから、人も殺した。そんで今、お前とこうして殺し合ってる……。きっと、全部お前が思った通りの展開なんだろうな。でもな――最後までお前の思惑に乗ってやるつもりはないぞ」

 

 自分を鼓舞するようにそう言って、俺はPoHを見据える。

 いつから俺はこんな熱いキャラになってしまったのか。多分、誰かさんたちの影響だろう。自嘲気味にそんなことを考えつつも、もう逃げる気はなくなっていた。

 槍を低く構えた俺と、PoHの視線が交差する。PoHは、嬉しそうに笑っていた。

 

「全部、終わりにしてやる」

「上等だ! 来い! ハチッ!!」

 

 同時に、弾けたように駆け出す。先に仕掛けたのは、向こうだった。

 駆けながらソードスキルを構えるPoH。黒いエフェクトが短剣に宿るのを見つめながらも、俺は構わずその間合いに飛び込んだ。

 走る黒い剣閃。それがこちらへと達する前に、俺は持っていた槍を投げ出した。次いで懐へと手を滑らせ、そのコマンドを口にする。

 

回廊よ開け(コリドー・オープン)ッ!!」

 

 俺が取り出したのは、赤い光をその中に宿した回廊結晶。それが光を放って砕け散るのと、PoHの短剣が振り下ろされるのは同時だった。

 辛うじて、身を捻る。しかし訪れる斬撃と共に、俺の左腕が宙に舞った。その瞬間、HPバーが一気に残り数ミリまで減少する。だが俺はそれに構わずさらに足を踏み出した。

 バランスを崩し、倒れそうになる体。しかし食いしばって駆ける。無意識に雄叫びを上げ、俺はPoHへと肉薄した。

 視界にあるのは、驚愕するPoHの顔と――その後方に立つ、光り輝くゲートだけ。

 残った右手で、俺はPoHへと飛びついた。

 

 ――ざまあみろ。

 

 自然と笑みが浮かぶ。

 そうして俺たちは、もつれ込むようにして光の中へと飛び込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端から、1人で勝てるなどとは思っていなかった。

 相手はあの犯罪者(オレンジ)たちのカリスマ、PoHなのだ。そもそもステータスで勝る俺とわざわざ一対一での対決を望むあたり、何か秘策があるだろうことは予測できる。だから俺も、いざという時のために用意をしておいたのだった。

 俺が懐に忍ばせていたのは、キリトに用意して貰った回廊結晶。既に位置登録も済ませて貰ってある。

 あとは奴を巻き添えにして、攻略組のプレイヤーが待ち伏せるフィールドへと転移すればいい。お膳立ては全てキリトに頼んである。言ってみればこれは、《ポータルPK》の要領だ。

 正々堂々と悪を倒すヒーローなどではない。浅ましく結果だけを得ようとする、小者(おれ)らしい手段だった。

 

 

 

「Shit!!」

 

 瞬時に状況を理解したPoHが悪態をつく。嵌められた苛立ちと、勝負に水を差された怒りが合わさっているのだろう。先ほどまでの愉快な表情は消え、鬼の形相を浮かべていた。

 PoHと共にゲートを潜り抜けた、その先。鬱蒼と茂る森の風景に代わりはなかったが、そこでは十数人のプレイヤーがこちらを待ち構えていた。攻略組、その中でも更に精鋭と言っても差支えのないプレイヤーたちだ。当然、キリトやアスナの顔もある。

 状況を横目で確認し、安堵したのもつかの間、俺は腹に蹴りを食らって突き飛ばされた。幸い、ダメージはほぼない。

 俺を突き飛ばしたPoHは、尻餅をついていた体勢からすぐに立ち上がる。そしてすかさず懐から青い転移結晶を取り出し、それを掲げた。

 

「転移! ノルン!」

 

 珍しく焦ったようなPoHの声が、森に響く。しかし、PoHの掲げた転移結晶は沈黙したままだった。

 

「無駄だ。ここは第35層の《迷いの森》。転移結晶使用禁止エリアだ」

 

 そう言ってプレイヤーの中から一歩踏み出したのは、ヒースクリフだ。既に盾と剣を構えて臨戦態勢になっている。

 そう、ここは第35層の迷いの森だ。奴を絶対に逃がさないために転移結晶使用禁止エリアであるここへと飛んだのだ。回廊結晶でもここからゲートを開いて出ていくことは出来ないが、逆に地点登録をしてこちらに来ることは出来る。監獄エリアへと直接ゲートを繋げることが出来れば手っ取り早かったのだが、あそこは全アイテムの使用が禁止されているために不可能だった。

 PoHは転移結晶を懐に仕舞いながら、舌打ちをする。次いで、睨み付けるように周囲に視線をやった。既に他のプレイヤーたちも武器を構え、遠巻きに包囲を完成させている。逃げ道はない。

 

「だ、大丈夫かハチ!? 待ってろ、すぐに回復結晶(ヒールクリスタル)を……」

 

 攻略組の集団から1人抜け出して来たキリトが、そう言って俺の側へと膝をつく。しかし、俺にはそれに構っている余裕はなかった。PoHの目の前に立つヒースクリフへと視線を向ける。

 暗黒剣による不意打ちを食らえば、万が一がある。友切包丁(メイトチョッパー)という魔剣クラスの武器とも相まって、その攻撃力も相当なものだ。

 故にそれについて忠告しようとしたが、俺と目が合ったヒースクリフは先んじて口を開いた。

 

「ハチ君、よくやってくれた。後は私たちに任せ給え」

「ま、待てッ、そいつは――!」

 

 俺の言葉が届く前に、PoHが動く。右手の短剣に宿るのは、黒いエフェクトだった。

 最悪の想像が、頭を過る。しかしそれは俺の杞憂に終わった。

 黒い連撃を、ヒースクリフは難なく全て大盾で凌ぎきったのだ。真正面から受けたと言うのに、ノックバックを食らった素振りさえない。そして敵のソードスキルが終わったタイミングで、右手の剣を相手へと突きつけた。

 初見のソードスキルを、ここまで完璧に捌き切れるのか。その事実に驚愕したのは俺だけではないようで、PoHも訝し気にヒースクリフの顔を睨み付けていた。

 

「てめぇ……まさか――」

「見たことのない技だな。エクストラスキル……いや、ユニークスキルかね?」

 

 PoHが何か言いかけたが、ヒースクリフの言葉に遮られ、黙り込む。新しいユニークスキルの存在に驚くこともなく、ヒースクリフは淡々と言葉を続けた。

 

「しかし、それだけではこの包囲は抜けまい。まだ抵抗すると言うのなら引導を渡してやるが、どうするかね? 言っておくが、私は彼のように優しくはないよ」

 

 言って、ちらりとこちらに視線を寄越す。

 数秒の沈黙。この場全員の視線が、PoHの一挙一動へと向けられていた。風と共に木々の騒めきが駆け抜けていき、やがて痛いほどの静寂が訪れる。

 

 PoHの命を助けてやる義理などない。いや、むしろ殺されて然るべき人間だろう。それだけのことを奴はこの世界で犯したのだ。

 だが俺は奴が降伏するならば、命までは取らないと決めていた。そしてそれは、攻略組の総意でもある。

 俺たちは、人を殺した。だが、感情に任せて命を奪った訳ではない。

 俺たちが人として、自分自身を許せるか否か。酷く曖昧でいて、しかし確かに存在するそのライン。無抵抗な相手を殺してしまえば、きっとそれを踏み越えてしまう。

 

 再び、風が吹いた。PoHの黒いフードの裾が揺れる。

 やがて沈黙を破ったのは、奴のふてぶてしいため息だった。

 

「――やられたな……。自殺の趣味はねえ」

 

 そう言いながら、PoHは右手の短剣を放り投げた。そのまま両手を上げる。

 場の緊張感が、一気に和らいだ。そしてすぐにヒースクリフの指示が飛び、血盟騎士団のプレイヤーの手によってPoHは拘束される。俺はその光景を、呆然と眺めていた。

 

「終わった……」

 

 やがて俺は項垂れ、小さく呟いた。

 ゲーム攻略には関係のない、しかし大きな戦いだった。それが、全て終わったのだ。

 張りつめていた心が、一気に弛緩する。

 

「お、おいハチッ――」

 

 どこか遠くに、キリトの声が聞こえる。何を焦っているんだと俺も口を開こうとしたが、言葉にはならなかった。

 視界が、白く霞んでいく。

 眠い。思った次の瞬間には、俺は意識を手放していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい陽の光に包まれて、目を覚ました。

 見慣れた天井。柔らかいベッド。部屋の隅に置かれた名前のわからない観葉植物。

 すぐに第1層にあるギルドホームの自室だと思い至った。窓から差す陽の光に目を細めながら、俺はベッドから体を起こす。

 どうにも体が怠い。昨日は何をしていたんだったか――いまいち働かない頭でそんなことを考えたが、その答えに至るよりも先に、俺は目の前の光景に絶句した。

 備え付けられた机に突っ伏すようにして眠る、キリトとクライン。その隣には、壁にもたれかかりながらトウジが膝を抱えて眠っていた。

 そして極めつけは、ベッドの傍らで健やかな寝息を立てる少女たち。床にへたり込みながら無防備にベッドへと体を委ねるのは、アスナ、サチ、シリカの3人だ。シリカの使い魔であるピナも、俺の足元で体を丸くしながら就寝中だった。

 

「いつから俺の部屋は難民キャンプになったんだ……」

 

 自然とそんな言葉が口をついて出てしまう。

 6畳程度の小さな個室だ。そんな部屋に集まる7人と1匹。明らかに容量オーバーだ。

 ていうかそもそも年頃の娘がこんな男どもと雑魚寝とか……危機感足りないだろ。そう思いながら俺の右手側すぐに突っ伏すアスナに視線をやる。いつも通りの鎧姿だったが、乱れた髪が妙に艶めかしかった。そして何故か目元に赤く泣き腫らした跡がある。

 ごくり、と喉を鳴らす。

 う……うろたえるんじゃあないッ! ドイツ軍人はうろたえないッ! いや、俺ドイツ軍人じゃないけどッ!

 脳内でそんな1人芝居をしながら、なんとか平静を保つ。

 ……ていうか冷静に考えたらこの状況アレじゃないか? 親父の言ってた美人局(つつもたせ)って奴じゃないのか? この後恐いお兄さんが現れて俺の女を傷物にしやがって云々と言って慰謝料をふんだくられるパターン――

 と考えていたところに、部屋のドアが開く。ベッドの上で飛び跳ねそうになったが、俺の前に現れたのは恐いお兄さんではなかった。

 

「お。起きたみたいダナ」

「な、なんだ、アルゴか……」

「なんダとはなんダ。人が心配して様子を見に来てやったのに、失礼な奴ダナ」

「あ、悪い……」

 

 そう謝りつつも、俺は現れたアルゴの顔を見ながら安堵のため息を吐いた。幸いアルゴはそれほど気にした様子もなさそうで、部屋の様子を見回しながらベッドの前まで歩いてくる。

 

「ウーン、しかし凄い状態になってるナ……。ゆうべはおたのしみでしたネ?」

「いや、違うから……。つーかそのネタ、平成生まれには多分あんまり伝わんないぞ」

 

 視線を女性陣の寝顔に向けながら、某ゲームの有名な台詞をアルゴが口にする。いや、この状況だと洒落にならないからやめてくれ。

 そんなどうでもいい話をしてるうちに、俺もようやく目が覚めてきた。

 

「昨夜のこと、覚えてるカ?」

「……何となく。PoHと戦って……そうだ、あいつと一緒に回廊結晶のゲートに突っ込んだところまでは覚えてる」

「オイラは直接見たわけじゃないケド、その後はPoHがヒースクリフに負けて、そのまま攻略組に捕まったらしいヨ。ハチはそれを見て気を失ったそうダ」

「あー……」

 

 そう呟きながら、俺は頭に手を当てる。そうだ。何となく思い出してきた。ヒースクリフがその圧倒的な力で、PoHを下した光景。そして降伏するPoHを見届けた後、急に意識が途切れたのだ。

 ゲームの中で気を失うことなんてあるんだな……。かなり前にアスナにそんなこともあったが、あれは連日寝ずに狩りをしていたらしいから寝落ちに近いはずだ。今回の俺はそれほど疲労が蓄積していたわけではなかった。

 

「まあ、それだけ気を張っていたってことだろうネ。暗黒剣なんてもの相手にしてたら無理もないサ。しかし良く生きてたナ、ハチ」

「全くだ……。ん? あいつのユニークスキルのこと、知ってるのか?」

「うん。ユーちゃんが張り切って取り調べをしてるからナ」

 

 「ユーちゃん」というのは、確か雪ノ下のことだったはずだ。初めて聞いた時は由比ヶ浜以外にあいつにあだ名を付けるような怖いもの知らずがいたことに少し驚いたが、まあアルゴなら何となく納得だ。おそらくなし崩し的にではあろうが、雪ノ下がそんな呼び方を許しているところを見るに2人の関係は案外悪くないのかも知れない。

 まあそんなことはともかく、雪ノ下が取り調べをしているということは、既にPoHは軍の監視下にあるということか。そう予想はしつつも、確認のために俺はアルゴに問いかける。

 

「……PoHは今、どうしてるんだ?」

「夜のウチに黒鉄宮の監獄エリアに投獄されたヨ。きっともう出てくることもないだろうナ。それで、ユーちゃんから伝言ダ。『後のことは全部ALFに任せて、あなたはゆっくり休みなさい』だってサ」

「そうか……」

 

 呟いて、俺は項垂れた。脱力するように息を吐く。

 

「本当に、全部終わったんだな……」

「ああ。だから、今はゆっくり休みなヨ」

 

 存外に優しい言葉をかけられ、俺はアルゴの方に目をやる。しかしアルゴはこちらから目を逸らすと、ゆっくりと踵を返しながら再び口を開いた。

 

「それじゃあオイラはもう行くヨ。皆も昨日は遅かったみたいだから、しばらく寝かせといてあげナ」

「あ、ああ……。今回は、色々世話になったな」

「なに、オイラとハチの仲ダロ? 安くしておくヨ」

 

 ニヤリと笑いながら、アルゴはそう言って部屋から出て行った。ぶれない奴だ。

 1つ大きく息を吐いて、部屋を見渡した。

 キリト、クライン、トウジ、アスナ、サチ、シリカ。

 今の俺を取り巻く、日常。

 この世界からの脱出が近づいたわけではない。だが、今俺の胸にあるのは確かな満足感だった。

 ここに帰ってくることが出来て、よかった。

 素直にそう思い、俺は再びまどろみの中へと落ちていくのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。