やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

3 / 62
 今回登場する風林火山のメンバー(クラインの他のゲームでの知り合い)は、調べても名前がわからなかったので勝手に命名しました。
 一応原作にもちらっと出てくる彼らですが、もはやほとんどオリキャラと化してますね。
 この辺からオリジナル設定増えてきますが、それでも良ければ読んでください。


第3話 友人

 第一層。始まりの街。二階建ての民家。

 そこがクライン率いる風林火山の本拠であり、ガイドブック制作も主にここで行われている。

 ちなみにギルドの結成はまだ出来ないのだが、ガイドブック制作にあたってはわかりやすい旗印があったほうがいいということで、暫定的な寄り合いとして風林火山という団体が結成されたのだった。

 

 風林火山出版の本拠であるこの民家の一階部分には、現在3人の男が集まっており、そのうちの1人――クラインは、今朝からずっと落ち着かない様子でそわそわとしていた。

 今もせわしなく部屋の中を歩き回り、事あるごとに時間を確認し、自分にメッセージが来ていないか再三チェックしている。その様子を見かねて、風林火山のメンバー、ヤスが声をかけた。

 

「おい、少しは落ち着けよ。こっちまで落ち着かなくなる」

 

 その言葉にクラインはようやく立ち止まり、友人に向き直った。

 

「これが落ち着いていられるかよ! 今、あいつらはボスと戦ってんだぜ!?」

 

「そりゃそうだけど、俺らが焦ってもしょうがないだろう」

 

「それはわかってるんだけどよぉ……。はあ、待つ身は辛いぜ……」

 

 その返答にヤスは、「乙女かっ!!」と心の中で突っ込みを入れた。そこでその場にいたもう一人の風林火山のメンバー、トウジが口を挟む。

 

「でも聞いてた開始時間からもう大分経つよね……。そろそろ連絡があってもいい頃じゃ……」

 

 そう言いかけたところで、家の玄関が乱暴に開かれた。

 慌てた様子で飛び込んできたのはギースだった。彼も風林火山のメンバーだ。

 

「た、大変だ!」

 

「ど、どうした? 何かあったのか?」

 

 ギースのその焦った面持ちに不安を感じつつ、クラインは冷静に話を促した。

 

「そこで聞いた話なんだけどよ……攻略組からメッセージを貰った奴がいて、そいつが言うにはボス攻略自体は成功したらしいんだが……その後プレイヤー同士でトラブルがあって、人が1人死んだって……」

 

 プレイヤー同士のトラブル、という言葉にも引っかかったが、それ以上にクラインはその後に続いた言葉に動揺して口を開く。

 

「死んだって、誰が……?」

 

「死んだのはディアベルって奴らしい……」

 

 

 クラインはそれがハチとキリトではないことに安堵し、同時に安堵した自分に自己嫌悪した。だがすぐに、友達の心配をするのは当然だ、と思い直す。

 そこまでの話を聞いて朝から張りつめていた気持ちが弛緩したクラインは大きく息を吐き、置いてあった椅子にへたり込んだのだが……続くギースの言葉に、衝撃を受けた。

 

「それでその……ディアベルって奴を殺したのが……ハチって名前のプレイヤーだって……」

 

「は……?」

 

 クラインは口を半開きにし、間の抜けた顔をした。その後ろに控える2人も、同様の反応をしている。

 その中でクラインはいち早く我に返り、声を荒げた。

 

「ハチがそんな真似するわけねえだろっ!!」

 

 クラインはそういってテーブルに拳を打ち付ける。

 

「お、俺だってそう思うよ! 多分、情報が交錯して間違った話が伝わったんだと思う……。プレイヤーの間で何かトラブルがあったらしいのは間違いないっぽいが……詳しい話は攻略組が戻ってきてからじゃないと……」

 

「くそっ……何がどうなってやがんだ……!」

 

 クラインはそう呟きながら焦った様子でシステムウインドウを呼び出した。

 ハチとキリトに連絡を取ろうとしたのだが、何かに気付いて手を止める。システムウインドウの端に、メッセージを受信したことを知らせるアイコンが点滅していた。クラインは慌ててそれをタップし、内容を確認する。メッセージの主はキリトだった。

 

『ボス攻略は成功した。1人死亡者が出たけど、俺とハチは無事だ。ただ、ハチとは別行動することになった。詳しくは会って話す。第二層のアクティベイトが済んだらそっちに向かう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二層到達の一報を受けた始まりの街は、お祭り騒ぎだった。

 ボス攻略において犠牲者が1人出ているのでそれは不謹慎とも言えるのだが、何しろこのゲームが始まってから初めての明るいニュースであったので、誰も彼らを諌めるものはいなかった。

 しかしそれに反し、第二層の転移門をアクティベイトして凱旋した攻略組の顔には、皆一様に暗い影が差している。

 特に、その面々の中で最後に転移してきたキリトの顔色は酷いものだった。

 帰還を歓迎してくれたプレイヤーたちに対して作り笑いさえも出来ず、キリトはその場を逃げるように走り去った。

 

 

 

 キリトがまっすぐに向かったのは、風林火山の本拠だった。

 

「キリト……」

 

 クラインはキリトに問い詰めたいことが山ほどあったが、その顔を見た瞬間息を詰まらせた。キリトのその憔悴した顔から、ボス攻略中に何か問題が起きたことが伺える。

 クラインはひとまずキリトを部屋へ招き入れ、椅子にかけるよう促した。

 部屋の中にはキリトの話を聞こうと、風林火山の面々以外にアルゴも訪れている。

 しばしの沈黙の後、クラインが口を開いた。

 

「キリト、ゆっくりでいい。何があったのか、話せることを話してくれ」

 

「……ああ」

 

 促されたキリトは、とつとつと語り始めた。

 

 攻略会議でのキバオウの発言。

 ボスの使用する武器が、βテストから変わっていたこと。

 そのボスに単身で挑み、ディアベルが死んだこと。

 ボスを倒した後に、ディアベルが死んだのは自分のせいだと糾弾されたこと。

 その騒動の中心にいたキバオウを、ハチが殺しかけたこと。

 それについて詰め寄った自分を、ハチが冷たく突き放したこと。

 

 全てを説明するには長い時間を要したが、その間、誰も口を挟むことはしなかった。

 

「あの時は俺も混乱してて……ハチに裏切られたと思って、ショックで……俺はあいつを、追いかけられなかった……」

 

 それだけのショックを受けるほど、既にキリトにとってハチの存在は大きなものになっていた。行動を共にしていた期間はまだ一ヶ月ほどだが、その間、この命がかかったゲームの中で常に互いの背中を守りあっていたのだ。

 

「でも、後になって結果だけ見てみれば……あの騒動で救われたのは、俺だったんだ……。無茶苦茶なやり方だったけど、きっと、ハチは、俺を……」

 

 キリトは拳を強く握り、うなだれた。それ以上の言葉は紡げなかったが、その場にいた全員が彼の意を察していた。

 

「あの捻くれモンが……!」

 

 それまで沈黙を守っていたクラインが、押し殺したように苛立った声を上げた。それに次いで、アルゴが冷静な様子で口を開く。

 

「事情は大体わかったヨ。けど、このタイミングでオレンジプレイヤーになるとはナ……。ちょっとまずい状況ダゾ」

 

 うなだれたままのキリトが、力なくそれに相槌を打った。そのやり取りに困惑した様子のトウジが、口を挟む。

 

「すみません、ちょっとその辺り詳しくないんですけど……。オレンジプレイヤーって、犯罪者プレイヤーのことですよね? どういうデメリットがあるんですか?」

 

 問われたアルゴが、「いつもなら金を取るんだがナァ……」と思いながら答えた。

 

「まあ、まず圏内に近づけなくなるナ。ボスが雑魚に思えるくらいの憲兵がウジャウジャ出てきて排除されるヨ。だから常にフィールドにいなきゃいけない上に、今回の話が広まれば、イカれた正義感に駆られたバカどもがハチの命を狙う可能性もあるナ……オレンジプレイヤーに攻撃しても、こっちのカーソルの色は変わらないしナ」

 

 それに続いて、ようやく顔を上げたキリトが情報を補足する。

 

「……カーソルを緑に戻すための贖罪クエストってやつもあるんだけど……βテストの時は、そのクエストが受注出来るのは第五層からだった……」

 

「じゃ、じゃあハチは第五層に行くまで、街に入れねえってのか?」

 

 クラインの問いに、アルゴが頷いた。

 

「ま、そうゆうことになるナ」

 

 その事実に風林火山の面々は絶句する。説明されなくとも、それがどれだけ危険なことか彼らは理解していた。

 

「ひとまず、オレっちはハチを探すことにするヨ。第二層なら、アイツを匿えそうな場所にあたりもあるしナ。その間にそっちでどうするか考えといてクレ。ハチはオマエラに会いたがらないだろうケド、このままにしとくつもりはないんダロ?」

 

 アルゴの問いかけに、クラインは強く頷いた。

 

「ああ、当然だ。勝手に1人で抱え込みやがって……。どんだけ嫌がっても、ぜってぇここまで連れ戻してやるぜ」

 

 その答えにアルゴは満足したようで、薄く笑みを作った。

 

「それが聞ければ十分ダ。じゃあオレっちは行くヨ。またナ」

 

 そう言ってアルゴは早々とこの場から去っていった。キリトはそれを目線で見送り、再びクラインへと顔を向ける。

 

「……それでクライン、ハチを連れ戻すって、何か考えがあるのか?」

 

 そのキリトの問いに対し、クラインはニヤリと笑った。

 

「あるぜ、とっておきのがよ。ただ、それを成功させるためには……トウジ! お前の力が必要だ!」

 

 クラインの考えとやらを興味津々に聞き入っていたトウジは、急に話を振られて狼狽した。

 

「え!? ぼ、僕!?」

 

 狼狽えているトウジを無視し、クラインは話を続ける。

 

「オレはよ、今回の件、結構頭にきてんだ……。だから、手段は選ばねぇ。あいつが滅茶苦茶嫌がるやり方で、この状況を打開してやるぜ! 目指せ、打倒ハチ!」

 

「打倒してどうすんだよ……」

 

 ヤスが呆れて突っ込みを入れ、風林火山の面々に笑顔が生まれる。そんな光景を見ながら、キリトは自分の心が軽くなるのを感じた。

 

 ハチがこんな状況になってしまったのは、自分のせいだ。だが、まだ手遅れではない。

 

(ハチは絶対死なせない……!)

 

 そう決意したキリトの瞳には、ボスを倒した時以上の強い意志が灯っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一層攻略から4日が経っていた。

 オレンジプレイヤーになった俺は圏内に入ることが出来なくなってしまったが、何とか今日までしぶとく生き残っている。

 あの事件の後、第二層へと到達した俺はすぐに森林フィールドを拠点に選び、今日までここを中心に活動してきた。今現在も森の中を探索中だ。

 ここを選んだのにはいくつか理由がある。

 まずは食糧確保のためだ。買い物が出来ない俺は、この森の恵みで何とか飢えを凌いでいる。さらにここでは稀に回復効果のある薬草なども手に入るので、補給が出来ない俺にとって非常に都合がよかった。

 次に人目を避けるため。

 この森は狩場としては効率が悪く、あまりプレイヤーは寄り付かないし、仮に遭遇してしまったとしても、ここなら死角も多いので身を隠しやすい。

 そして最後の理由は――アレだ。

 隠蔽スキルを使いながら森を歩いていた俺は、目当てのものを見つけて立ち止まった。短槍を構えた俺が凝視している先に居るのは、5匹の猿の群れだ。

 

 《ヴァイオレントエイプ》

 

 直訳で《獰猛なサル》であるそいつらは、名前の通り気性が荒いだけのただのサルなので大して強くもない。厄介な点と言えば奴らは常に群れで行動していて、その群れのボスを倒さなければ、延々と仲間を呼ぶくらいだ。

 ただ、それも何故か最初の群れの数以上になることはないことと、ある程度近くにいる仲間しか呼べないので精々2~30匹程度呼べば打ち止めになることを考えると、危険度は低い。そして、今の俺にとってその特性はむしろ好都合だった。

 

 相手に気付かれることなく群れのすぐ近くまで来た俺は、すぐにボスザルを見極めた。ボスザルはだいたい偉そうにしているので、リア充を観察する要領で見ればすぐにわかるのだ。

 物陰でソードスキルを構えた俺は、一気に飛び出してその群れのボス“以外”の4匹を横薙ぎの一閃でまとめて屠った。

 あえてボスを残したのは、俺がこいつらのドロップする槍を狙っているからだ。

 カーソルがオレンジになってから、全く武器のメンテナンスが行えていないため、そろそろ耐久値がやばい。ここでこいつらを大量に狩って、早いところ武器を新調したいのだ。出来れば予備の槍も確保しておきたい。

 そう言った思惑で俺はボスザルに攻撃はせず、少し距離を取った。

 俺の期待通り、ボスザルはすぐに仲間を呼ぶために雄叫びを上げる。その声は遠くまでこだまし、それを聞きつけた仲間が――現れなかった。

 

 何故か妙に気まずい沈黙の中、俺たちはたっぷり5秒ほども見つめ合っていた。心なしか、ボスザルが寂しげな顔をしている気がする……。

 そしてどこか投げやりになった様子で突っ込んで来たので、俺はやむなくそいつを撃退した。

 

 モンスターの中にもぼっちっているんだな……。

 と、そんな馬鹿な考えが頭をよぎったが、すぐに冷静になって思案する。

 おそらく、この辺りに他のプレイヤーが居るのだ。ヴァイオレントエイプたちは、既にほとんど狩り尽くされた後だったのだろう。

 俺は他のプレイヤーと接触したくはなかったので、周囲を警戒しつつ来た道を戻ろうとしたのだが……その前に俺はあるものを見つけ、思わず足が止まった。

 ――20メートルほど前方に、人が倒れている。

 俺はβテストの時に行き倒れのNPCを助けると発生するイベントがあったことを思い出したが、すぐにその可能性を否定した。遠目からでも緑のカーソルが確認できる。あれはプレイヤーだ。

 しかし死んでも死体が残らないSAOにおいて、プレイヤーが倒れているというのはそうあることではない。意識を失うような状態異常はないし、考えられる可能性としては――罠か。

 フィクションでよくある手口だ。心配して近づいてきたお人よしを、追いはぎたちが包囲するのだ。

 ならばここは警戒しつつ来た道を戻るのが賢明だな……と思いつつも、俺はその場から動くことが出来ないでいた。何となく、倒れているあのプレイヤーに引っかかるものを感じるのだ。

 しばらくそこで悩んでいたのだが……結局、俺は意を決して近づいてみることにした。

 自慢ではないが、俺の索敵スキルはかなり高い。そんな俺に全く察知されずに埋伏できるプレイヤーは、現時点ではほとんど存在しないはずなのだ。

 とは言いつつも、周囲への警戒は怠らない。俺は槍を構えてジリジリと近づいていった。

 ある程度近づいたところで、その緩やかな服のシルエットから、倒れているプレイヤーが女であることがわかった。右手には細剣を持ったままうつ伏せに倒れている。頭にはブラインド補正のかかったフードを被っていて――と、そこまで見て取ったところで俺は立ち止まった。

 なんか、めっちゃ見覚えがある。

 俺はもはや警戒するのもやめてさっさと歩いていき、フードの中を覗き込んだ。

 

「なにやってんだ、こいつ……」

 

 そこではかつてのパーティメンバー、アスナが健やかな寝息を立てて眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……はれ? ここ……どこ……?」

 

 アスナがそんな気の抜けた声を出して目を覚ましたのは、あれから数時間が経ち、日が沈もうとしている頃だった。

 まだ寝ぼけているようで、胡乱げな眼差しでキョロキョロと周りを見回している。そして後ろにいた俺と目が合うと――

 

「ひっ……! お、おばけ……!」

 

 このアマ……。

 

「違うっつーの。俺だ、俺」

 

「……ハ、ハチ君?」

 

 アスナは俺の顔をよく確認すると、安堵の声を漏らした。

 

「よかった……。目が死んでたから、てっきり……」

 

「お前な……」

 

 そこでアスナは大きく息をつくと、急に冷静な顔になって俺に尋ねる。

 

「……あれ? なんでハチ君が? それに、ここは……」

 

 そう言ってアスナは改めて周りを見回していた。

 

「聞きたいのはこっちだっつの。森ん中でお前が倒れてんの見つけて、ここまで運んで来たんだよ」

 

 俺がアスナを運んできたのは、森の中に存在する湖のほとりだ。森にぽっかりと穴が開いたように木々が途切れているそこは、モンスターの入り込めないセーフティゾーンとなっている。フィールドや迷宮区にはこういった箇所がいくつか存在するのだ。今の俺はここを寝床にしていた。

 

「あ、そうか……。たしか私、狩りの途中で疲れて……」

 

「疲れて、ってお前……いつから狩ってたんだよ……」

 

 呆れた声を出した俺に、アスナは当然のように答える。

 

「二層にきてからだから……3日間くらいかしら。休み休みだったけど……」

 

 その答えに俺は絶句した。狩りにはかなりの集中力が必要で、普通は数時間もやっていればすぐに限界が来るのだ。

 それをこの女はソロで、しかも来たばかりのエリアで、休み休みとはいえ3日間も続けていたのか。それは疲労で倒れもするだろう。

 アスナはそんな呆れ顔の俺に気付くこともなく、話を続ける。

 

「それでハチ君は……って、それ何してるの?」

 

 そういってアスナは俺の目の前にある焚き火を指さした。

 

「え……? ああ、これは飯作ってんだよ。そろそろいいか……ほれ、お前も食うか?」

 

 何とか気を取り直した俺は、そう言って焚き火のそばで火に当てていた魚を1つ、串ごと引き抜いてアスナに手渡した。

 

「や、焼き魚……?」

 

 そう言ってアスナはこんがりとした焼き色のついた魚を、まじまじと見つめる。

 

「おう。料理スキル持ってると、こういうのも出来んだよ。ちなみにその魚はそこの湖から釣ったよくわからん奴だが、毒はない」

 

 それを聞いてアスナは、何故か険しい顔をした。

 

「料理に、釣りって……そんな無駄なこと……」

 

「食わないのか? さっさとしないと耐久値なくなるぞ」

 

 そう言いながら俺も自分の分の魚に齧り付く。

 

「……いただきます」

 

 しばらく悩んでいたアスナもそう言って、フードをめくってからその小さい口で魚に噛り付いた。その瞬間アスナは驚いたように目を大きく開かせる。

 

「おいしい……」

 

 専業主夫志望の俺としては、ゲーム内とは言え自分の作ったものを褒められて悪い気はしなかったので、上機嫌になりながら口を開いた。

 

「この世界の飯屋はあんまりうまくねえからな。料理スキルは持っといて損はないぞ」

 

 しかし、俺の助言にアスナは顔をしかめた。

 

「料理なんて……そんな無駄なことしている時間ないわ。私たちは一刻も早くこの世界から脱出しなきゃいけないのよ」

 

「……ま、お前の言ってることも間違っちゃいないけどな。それで倒れて死にかけてたんじゃ、意味ねーぞ」

 

 俺の諌言に、アスナは少し俯いた。

 

「確かに今日のことは私の不注意だったわ……でも……」

 

 そこまで言って、言葉を止める。おそらく、今までこいつは色々な気持ちをため込んでいたのだろう。しばらく黙り込んでいたアスナだったが、やがて堪えきれなくなったように、己の心情を吐露しだした。

 

「……私、一層をクリアするまで、ここで死ぬんだと思ってたの。死者はどんどん増えていくのに、外からの助けは来ないし、一ヶ月経っても攻略はろくに進まないし……。だからこのゲームをクリアするのなんて、不可能なんだって、そう思ってた。それならせめて私らしく足掻いて足掻いて……どこかで力尽きて死ぬつもりだったの」

 

 俺は口を挟むことなくその話を聞いていた。アスナは俺に視線を合わせることなく話を続ける。

 

「でも、一層はクリアされて……私たちは先に進むことが出来た。この世界からの脱出も夢じゃないかもしれないって、そう思えたわ。だったら迷ってる暇なんてない。全力を尽くして、ゲームを攻略するべきよ。違う?」

 

 そう言ってアスナは俺に強い視線を向ける。俺はその瞳の中の決意に、危ういものを感じながら口を開いた。

 

「……お前は、正しいよ。俺だってあっちの世界に残してきたものもあるし、早く帰りたいと思ってる。でも、じゃあこの世界で上手い飯を食ったり、好きな時間を過ごすのは間違ってることなのか?」

 

「そんなの、ただの現実逃避じゃない。こんな全部作り物の世界で、そんな時間を過ごすのに何の意味があるのよ」

 

 俺の問いに、アスナはすかさず反論した。その勢いに若干気圧されつつも、俺ははっきりと抗弁する。

 

「俺に言わせりゃ、現実が見えてないのはお前の方だよ」

 

「……どういう意味よ」

 

 予想外の反撃を食らったアスナが、苛立ちつつも冷静に問う。

 

「バーチャルとか、作り物とか、そんなのは関係ないんだよ。いいことがあれば気分が良くなるし、嫌なことがあれば鬱にもなる。その気持ちは本物だ。ここでも俺らはそうやって生きていくんだよ。そこから目を背けてるお前は、そのうち破綻する」

 

 俺の話を聞いていたアスナは、難しい顔をして俯いた。そうして、しばらく沈黙が訪れる。

 そして今さらながらにくさい説教をしてしまったなと徐々に恥ずかしくなってきた俺は、誤魔化すように話を続けた。

 

「……まあ、要は肩の力を抜けって話だ。SAOの中にも面白いもんは色々ある。例えばだな……そろそろか」

 

 その俺の言葉にアスナは顔を上げ、「何が」と口にしそうになり――息を飲んだ。

 

 いつの間にかすっかりと暗くなった森の中。そこにぽつぽつと小さな光が浮かんでいた。七色に光るそれは徐々に数を増しながら、湖へとむかってゆらゆらと飛んでゆく。

 あれはこの世界で《ナナイロホタル》と言われている昆虫で、この時間になるとこの湖へと集まってくるのだ。

 数千匹ものナナイロホタルが湖上を舞う様は幻想的で、それがバーチャルリアリティーであることも忘れてしまうほどの圧倒的な光景だった。

 

 ……言っておくが、俺は別にアスナを口説こうと思ってここに連れ込んだわけではない。この森唯一のセーフティゾーンがこの湖であり、やむを得ずアスナをここに連れてきただけだ。むしろ、こんなオサレスポットに女子と2人きりなんて死ねる。胃が痛い。

 

「綺麗……」

 

 そう言ったアスナの顔からは先ほどまでの気難しさは抜け、うっとりと目を輝かせていた。

 

「……そんな顔も出来るんじゃねえか。お前、さっきまで目が死んでたし……」

 

「ハチ君に……目のことなんて、言われたく……ないわよ……」

 

 そう言ったアスナは、堰を切ったように泣きだした。

 ……え? ちょ……これ、俺のせい?

 イケメンリア充ならこんな時とっさに胸を貸すんだろうが……そんな行為が俺に出来るはずもない。

 俺はこいつが泣き止むまで、ただテンパりながら隣に立っていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その……色々と迷惑をかけてごめんなさい……。何度も助けて貰ってるのに、ろくにお礼も言ってなかったし……今日も喧嘩腰になってしまって……」

 

 アスナがようやく落ち着いてそう話を切り出したのは、それから小一時間ほど経ってからだった。食べかけだった焼き魚も、既に耐久度の限界を迎えて消滅している。

 

「別に、気にしてねえよ。お前の言ってることも間違ってなかったしな」

 

 俺は本心からそう答えた。一時は俺の《絶対に許さないリスト》に名前を連ねたアスナだが、今はそれほど気にしていない。こんな異常な状況下で、他人を慮ることが出来るような精神力を持つ人間の方が珍しいのだ。

 しかし未だ申し訳なさそうな顔をしているアスナに、俺は言葉を続ける。

 

「それに、今日のことも別に感謝するようなことじゃない。俺はこの辺でやることがあったからな。ついでだ、ついで」

 

「今日のことだけじゃないんだけど……ハチ君には何て言ってもはぐらかされちゃいそうだわ。でもこれだけは言わせて。本当に、ありがとう」

 

 そう言ってアスナは真っ直ぐ俺の目を見つめた。

 

「お、おう……」

 

 その視線にたじろぐ俺のことなど意に介さず、アスナは話を変える。

 

「それで、ハチ君は何でこの森に? やることがあったってさっき言ってたけど……」

 

「ん、ああ……。この辺りにいるサルのドロップ品目当てでな。あいつら槍を落とすんだよ」

 

「槍? それなら確か……」

 

 そう言ってアスナはシステムウインドウを呼び出し、アイテムストレージを漁りだした。そしてすぐに目当てのものを見つけたようで、それをタップし、アイテムを出現させる。

 

「もしかして、これ?」

 

 アスナが手に持っていたのは、まさに俺が欲していた槍だった。

 

「おお、それだ。……それ、俺に売ってくれないか? 相場の2倍で買うぞ」

 

 買い物の出来ない今の俺にとって、金などいくらあっても無用の長物だ。そう考えて俺は売買の交渉に入るつもりだったのだが……。

 

「お金なんて要らないわよ。あげるわ」

 

「いや、金払うっつーの」

 

 そう言って俺はシステムウインドウからアスナに取引申請を行おうとしたのだが、その前に無理やり槍を押し付けられた。

 

「いいから受け取って。散々助けて貰って、その上ここでお金までとったら私の気が済まないの。どうしても受け取らないっていうなら、このままこの槍を捨てるわ」

 

「……強情な奴だな」

 

「ハチ君に言われたくないわよ」

 

 そう言ってアスナは薄く笑った。

 

「……まあ、その、なんだ……サンキューな」

 

 俺はそうして人生初となる女子からの贈り物(小町を除く)を受け取ったのだった。まあ品物は槍っていうムードの欠片もないものだが。

 そこで会話が一段落ついたので、俺は話を変えた。

 

「じゃあまあ、お前はそろそろ街に戻った方がいいんじゃないか? 宿でしっかり休んだ方がいいぞ」

 

「ハチ君は? 街には戻らないの?」

 

 そう言って、アスナは俺に疑問の目を向けた。

 戻るも何も、俺は今圏内には入れないのだが……そうか、こいつオレンジプレイヤーについて知らないのか。

 

「俺はまだやることがあるからな。1人で帰れるだろ?」

 

「それは大丈夫だけど……」

 

 ここでオレンジプレイヤーについて説明してやることも出来たが、今それを話すといらぬ気を遣わせるかもしれないので、黙っていることにした。

 ただ、少しだけ心配になった俺は1つだけアスナに忠告しておく。

 

「街に戻る前に、一個だけ言っとく。俺みたいにカーソルがオレンジのプレイヤーを見かけたら、そいつには近づくな。これはゲーム内で犯罪行為を働いた奴の烙印みたいなもんなんだ」

 

「犯罪行為って……あ、そうか。ハチ君は第一層でキバオウさんを攻撃したから……」

 

 そう言ったアスナは少し俯き、表情を曇らせた。

 

「まあそういうことだ。……つーか今さらだけど、一層であんなことがあったんだから、俺のことももっと警戒しろよ」

 

「キバオウさんとのこと? でもあれはハチ君の言い分の方が明らかに正しかったし……それにハチ君、キバオウさんのこと殺すつもりなんてなかったでしょ? キリト君が止めに入るのを予想してたんじゃないの?」

 

 そのセリフに俺は絶句してしまった。そんな俺に構うことなく、アスナは言葉を続ける。

 

「ま、ハチ君のことだから否定するんでしょうけど……。でも、見る人が見ればあれがお芝居だってことくらいすぐに分かるわよ」

 

 アスナの推察に、俺は反論する言葉を持たずただ黙っていることしか出来なかった。しばらく沈黙する俺を見つめていたアスナだったが、やがてため息をついてから口を開く。

 

「じゃあ、私は街に戻るわ。街に戻って……ハチ君に今日言われたこと、もう一度よく考えてみる」

 

 そう言いながら立ち上がったアスナにつられて、気を取り直した俺も腰を上げる。

 

「だからそうやって難しく考えるなっての。ただ、道中楽しめってことだ」

 

「……うん。じゃあもう行くわ。元気でね」

 

 そう言ってアスナは俺に背中を向けた。その背中に俺も声をかける。

 

「お前も、帰りに気を付けろよ」

 

 その言葉に、歩き出そうとしていたアスナは動きを止めて振り返った。

 

「その……お前っていうの、やめて。……アスナって呼んで」

 

 以前にも同じようなことを言われたが、その時と比べてずいぶんとしおらしい声音に、俺の鼓動が跳ね上がる。

 

「え、お、おう……アスナ?」

 

「うん、それでよし! じゃあね!」

 

 そう言って満面の笑みを作るアスナ。彼女は大きく手を振って森の中へ駆け去って行った。

 アスナを見送った俺の手には、彼女にもらった槍《ハート・ピアス》が固く握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナと分かれてから、さらに数日後。

 俺は相も変らず森林フィールドを拠点にし、例の湖のほとりを寝床にしていた。

 湖のほとりはセーフティゾーンでありモンスターが侵入することはないのだが、しかし完全に安全地帯というわけでもない。このセーフティゾーン、実はプレイヤー同士の攻撃は通るのだ。

 そう言った理由もあってここでも俺は完全に気を抜くことは出来ないのだが、睡眠は取らなければならない。

 だから俺はいつも索敵スキルを使用しつつ就寝しているのだが……今日、そんな索敵スキルによる警戒網を潜り抜け、俺に接触をはかった奴がいた。

 湖のほとりで寝ていたところを肩を叩いて起こされた俺は、そいつに目を向ける。

 

「ヨォ。久しぶりだナ、ハチ」

 

 俺が目を向けた先に立っていたのは、フードを被った小柄な女情報屋、アルゴだった。相変わらず鼠の髭のような3本線のフェイスペイントをしている。

 

「お前……なんでここがわかったんだよ?」

 

「前にも言ったダロ? どこに引っ越してもすぐに見つけてやるヨ」

 

「こええよ……ストーカーか……」

 

「ニャハハ! それも悪くないかもナ! ハチと居たら退屈しなくてすみそうダ」

 

 そうやって笑っていたアルゴだったが、すぐに一息ついて少し真面目な表情になった。

 

「相当な無茶をやらかしたらしいじゃないカ」

 

 アルゴがボス攻略後の事件のことを言っているのだとすぐに理解した俺は、自虐気味に答えた。

 

「……むかつく奴がいて、我慢出来なくなったんだよ。まあ自業自得ってやつだ」

 

 その俺の言葉に、アルゴは全て見透かしたような顔で応える。

 

「ふぅン……。まあ、そういうことでいいヨ。ハチの捻くれをどうにかするのは、オレっちの役目じゃないしナ」

 

 俺はアルゴのその発言が気になったが、どうせ聞いても「その情報は2000コルダナー」とか言うのが目に見えているので、黙っていた。

 

「さて、今日のオネーサンは商売をしにきたんダヨ。ハチが喉から手が出るほど欲しがる情報を1つ持ってきてやったんだナー」

 

「俺が欲しがる情報?」

 

 そう尋ねると、自慢げな顔でアルゴは語りだした。

 

「この2層に、オレンジプレイヤーでも受け入れてくれる家があるんダ。ボロいが、まあここよりはマシだろうナ。かったいパンだケド、3食飯も出るヨ」

 

 そこで一拍おいて、アルゴはさらに続ける。

 

「この情報は、たぶんオレっち以外に知ってる奴は居ないと思うヨ。街からも遠いし、人に会うこともないだろうナ。……どうすル、この情報、買うカ? 今ならハチの居場所の口止め料も合わせテ……しめて5万コルってところかナ」

 

 決して安くはない値段だったが、確かにアルゴが言うようにその情報は俺にとって喉から手が出るほど欲しいものだった。ここで生活しだして一週間ほどが経過したが、精神的にはそろそろ限界が近い。

 俺は少し考えてから、アルゴの取引に乗ることを決めた。

 

「その情報、買った。すぐに場所を教えてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルゴに案内された場所は、俺の拠点にしていた森から距離的にはそう遠くなかった……のだが、その道のりはかなり過酷だった。

 まず4~50メートルはあろうかという岩壁をよじ登り、小さな洞窟を進み、ウォータースライダーじみた地下水脈を滑り――と言った道とも言えないような道を移動して30分ほど進んだところに、その目的地はあった。

 つーか普通、こんな道通らないだろう……。

 なんでアルゴはこんなところにたどり着けたのか俺は気になったが、本人に聞いても「その情報は(以下略」と言われるのがわかっていたので、口にはしない。

 そんな道を経て今俺たちが立っているのは、第二層の東の端に一際高くそびえ立つ岩山の頂上近くだ。そこには岩に囲まれた小さい空間があり、その中に古びた小屋が建っていた。

 

「ここか?」

 

「……ま、ついてきナ」

 

 アルゴはそう言って小屋の中へと入っていく。

 俺も警戒しつつその後についていくと、殺風景な小屋の中には1人のNPCが立っていた。

 筋骨隆々とした、スキンヘッドのおっさんだ。年季の入った空手の道着のようなものを着ている。

 普通NPCはオレンジプレイヤーが近づくと慌てて逃げ出すか、迎撃の体勢に入るのだが……このおっさんは憮然とした表情でただ静かに佇んでいる。

そして、俺の気になったことはもう1つあった。おっさんの頭上に浮いている、金色に光る《!》のマーク。あれはクエスト開始点である印だ。

 

「クエスト……? こんなところで?」

 

 その俺の疑問に、すかさずアルゴが答えた。

 

「あのNPCが、エクストラスキル《体術》を教えてくれるのサ。クエストを受注すればここに居候しながら修行することになるんダ。武術以外のことには無頓着で、オレンジプレイヤーだろうと気にせず受け入れるって設定らしいヨ」

 

「体術……? そんなのβテストの時にも聞いたことないぞ」

 

 そう言って訝しげな表情を作る俺に、アルゴは淡々とした様子で情報を補足した。

 

「まあたぶんだケド、ここにたどり着いたことがあるのはオレっちだけだろうし、情報は出回ってなかっただろうナ。そのオレっちも修行は途中で断念したし……まあ、本来の目的は寝床の確保ダロ? 細かいことは気にしないでとりあえずクエストを受けてみなヨ」

 

「まあ、そうだな」

 

 そうして俺は深く考えることなく、おっさんへと話かけた。おっさんからは散々と修行は過酷だとか、覚悟が必要だとか脅されたが、今の俺にとっては寝床の確保が最優先なので適当に聞き流し、クエストを受注した。これで粗末だが、久しぶりにベッドで眠ることができる。

 そう思って喜んでいた俺だったのだが……

 俺はすぐに、自分の不用意さを後悔することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後俺は、おっさん改め師匠……いや、やっぱりおっさんでいいか。そのおっさんに小屋から連れ出され、岩壁に囲まれた庭の端にある巨大な岩の前に立たされた。

 おっさんは高さ2メートル、差し渡し1メートル半はあろうかというその岩をぽんぽんと叩き、語った。

 

「お前の修行はたった1つ。両の拳のみで、この岩を割るのだ。成し遂げれば、お前に我が技の全てを授けよう」

 

 なるほど、確かにこの修行は過酷かもしれない。ぱっと見た感じ、この岩を素手で割ることなど不可能だ。今後筋力のステータスが上がっていけばわからないが、少なくとも今の俺にはできないだろう。

 まあ真面目に修行するつもりのない俺には関係ない話だ。正直体術スキルは気にならなくもないが、ピーキー過ぎて使い勝手が悪いだろうことは容易に想像出来る。修行がクリア出来なくても、適当なタイミングでバックレてしまえば何の問題もないだろう。

 と、その時の俺は暢気に考えていたのだが……。

 

「この岩を割るまで、山を下りることは許さん。お前にはその証を立ててもらう」

 

 そう言っておっさんは懐から壺と筆を取り出し、俺に近づいてきた。

 え、ちょ……どういうこと?

 何やら不穏な展開に、少し不安になった俺は隣に控えるアルゴに視線を送ったが、当のアルゴは何も言わずニヤニヤとしている。

 そして俺が正面に視線を戻すと――次の瞬間、筆を持ったおっさんの腕が恐ろしいスピードで動いた。筆を壺に突っ込んで墨をたっぷりと含ませ、その筆を俺の顔へと――

 

「うぉおお!?」

 

 そのあまりのスピードに俺は反応することも出来ずに、両の頬に3本ずつ、まるで“鼠”のようなフェイスペイントを施されてしまった。

 

「その証は、お前がこの岩を割り、修行を終えるまで消えることはない。信じているぞ、我が弟子よ」

 

おっさんはそう言い残して早々と小屋の中へと帰って行った。そしてこの場に静寂が訪れる。

 

「……おい。アルゴ……」

 

 俺が目線を送ると、アルゴは必死に笑いを堪えながら答えた。

 

「プッ……。な、なんダ? ハチえもん?」

 

 どうやら俺の髭は鼠系ではなくネコ型ロボット系らしい。

 

「お前、βテストの時にこのクエストを受けたのか……」

 

 そこで必死に笑いを堪えていたアルゴは大きく深呼吸をし、少し落ち着いてから話しだした。

 

「フゥ……。その通りだヨ。まあそれで修行を断念してネ。βテスト中にそのペイントのおかげで“鼠のアルゴ”として名前が売れちまったカラ、今もこうして自分でペイントをしてるのサ」

 

 俺は期せずしてアルゴのお髭の秘密を知ってしまったわけだが……いや、今そんなことはどうでもいい。

 

「アルゴ……嵌めやがったな……?」

 

 俺の抗議の視線に、アルゴは平然と答える。

 

「随分な言い草ダナ。ここがオレンジプレイヤーにとって一番安全なのは事実なんダヨ?」

 

 アルゴのその言葉は間違っていなかったので、俺は反論出来なくなってしまった。

 

「むしろ今回オレっちとしては、出血大サービスダヨ。隠れ家の提供に加えてエキストラスキルについての情報と、オレっちのお髭の秘密を教えてやったんダ。いやー、得したナ、ハチえもん!」

 

 このアルゴの全く悪びれない態度に、俺はいっそすがすがしささえ感じていた。

 

「今回はオマケにもう1つ教えといてやるよヨ! その岩……鬼ダヨ!」

 

「だろうな……」

 

 そう言って俺は例の岩を見つめた。

 

「ま、たまにオネーサンが様子を見に来てやるヨ。ガンバレ、ハチえもん!」

 

「……」

 

 こうして、俺の望まない修行の日々が幕を開けた。

 

 余談だが、この一件の功績を認め、アルゴは俺の《絶対に許さないリスト》史上初の殿堂入りを果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修行開始から一週間――そして第二層に到達してから2週間が経過した頃、俺は例の岩場に囲まれた小屋の中で、アルゴからボス攻略成功の一報を受けた。

 話によれば様々なイレギュラーがあったものの、キリトやアスナ他数名の活躍によって犠牲者なしでのボス攻略を成し遂げたらしい。

 ちなみにその際アスナは顔を隠すのをやめ、素顔で攻略に参加していたそうだ。よく笑うようになった彼女は、既に攻略組のアイドル的存在になっているらしい。

 

 そしてその話を聞いたさらに2日後、俺はとうとう巨大岩を素手で破壊することに成功し、体術スキルを習得するとともに髭の呪縛から解放されたのだった。

 晴れて自由の身となった俺は、すぐに新しく解放された第三層へと向かった。

 修行を終わらせず、贖罪クエストが開放されるであろう第五層まで攻略されるのをあの小屋で待っているのも1つの手だったのだが、俺はそれを選ばなかった。

 いざ第五層が開放された時にそこに向かうためには結局三層、四層でレベリングをする必要があるし、それならば中堅プレイヤーたちが上の層に上がってきて人口が増える前にそれを済ませておきたかったのだ。

 

 そう考えた俺は今、第三層に渡るべく第二層の迷宮を上っている。

 オレンジプレイヤーである俺は転移門を使うことが出来ないので徒歩での移動になったのだが、アルゴからマップデータを貰っていたので特に問題はなかった。

 

 途中までは。

 

「いたぞ! こっちだ!」

 

「くそっ……!」

 

 悪態をつきながら、迷宮の奥へと駆けてゆく。

 俺は今、追われていた。

 理由ははっきりとはわからないが、おそらくオレンジプレイヤーに対する粛清であったり、俺の第一層攻略での悪名を聞いた奴らの行動だろう。

 二層に上がってきたばかりの頃にも、何度かそういったプレイヤーとの衝突はあったのだ。ただ、その時は相手も少人数で、なんとか殺すことも殺されることもなくその場を切り抜けることが出来たのだが……。

 

「奥に行ったぞ! そっちで回り込んでくれ!」

 

「了解!」

 

 今回俺を追っている奴らはざっと確認しただけでも十数人いて、しかも妙に組織立っていた。もしかしたら、治安維持のために自警団などが組まれているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、俺は隠蔽スキルを駆使し、モンスターたちをすり抜けて迷宮の奥へ奥へと走っていく。

 圏外で一日中隠蔽スキルを使い、そのレベルを上げた俺だから出来る芸当だ。俺を追うプレイヤーたちはモンスターに阻まれて、足止めを食らっていた。

 マップによればボス部屋はもうすぐだ。このまま第三層へと抜けてしまえば、逃げ切れる。

 

「絶対逃がすな! 追え!」

 

 そんな声を後方に聞きながら、俺は速度を緩めることなく駆けた。前方の曲がり角。そこを右に曲がればすぐにボス部屋があるはずだ。

 俺は速度をほとんど落とさずそのコーナーを駆け抜け、すぐ目の前のボス部屋へと飛び込み――絶望した。

 

「待ち伏せ……!?」

 

 呟いた俺の目線の先では、また十数人のプレイヤーたちが待機していた。ボス部屋の中で、第三層への階段を塞ぐように隊を組んでいるように見える。

 俺はその事実を見て取った瞬間に踵を返そうとしたのだが、後方から俺を追ってきた部隊が既にそこまで迫ってきていた。

 窮地に立たされた俺は、何故これほどまでに統率された組織が俺を追っているのかと疑問に思ったが、すぐさまその思考を頭の端に追いやった。

 

 今考えるべきは打開策だ。イチかバチか強行突破を試みるか、大人しく降伏して助命を乞うか。

 強行突破するならば待ち伏せしていたグループに突っ込むべきだろう。後方のグループを突破しても、再び他のグループと鉢合わせする可能性が高い。しかし、正直あの人数を相手にしてここを切り抜けられる自信はない。ならば降伏した方がいいか。しかし、有無も言わさず殺される可能性もある。ならばいっそ賭けに出た方が、いやしかし――

 

 そうして俺の中の葛藤がピークに達した時、待ち伏せグループの中から1人の男がこちらに歩いてきた。軽装備の優男だ。武器は構えておらず、片手に本のようなものを持っていて敵意はないように見えた。

 

「貴方が、ハチさんですか?」

 

 男が温和な表情で尋ねた。どう答えたものか少し迷ったが、相手の態度が意外と好意的であったので、俺は正直に答える。

 

「……そうですけど、なんか用すか」

 

 俺の発言に、男は予想外のリアクションをとった。

 

「ほ、本物なんですね!? あ、握手を……! それと、これにサインお願いします! 俺、ハチさんの大ファンなんです!!」

 

「……………………は?」

 

 意味の分からない状況に、俺は間の抜けた声を出してしまった。そして、ふと男が差し出している本に目を移す。その表紙に記されていたのは――

 

 《『hachiという漢』 実録! 第一層攻略の真実! 隠された彼の苦悩……!! 著:トウジ 風林火山出版》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだな。ハチ」

 

「……おう。一ヶ月ぶりくらいか……」

 

 久しぶりに合ったクラインは、相変わらずのひげ面で俺を見つめていた。その隣にいるキリトも、俺に視線を向けて口を開く。

 

「ハチ……よかったよ、生きていて」

 

「ああ、まあ、なんとかな……」

 

 手ごろな岩に腰かけた俺たちは、向かい合って言葉を交わしていた。

 俺がさっきの連中に連れてこられたのは、第三層に入ってすぐのところにあるセーフティゾーンだった。森林フィールドの中に大きな岩山があり、その岩壁に囲まれて小さな空間があるのだ。

 そこでクラインやキリト、そして他の風林火山の面々が待っていたのだった。

 久しぶりの再会は、微妙な空気が流れていた。まあ、あんな別れ方をしてしまったんだから、それは仕方のないことだろう。

 いつもなら俺はこの場の空気を読みつつ、大人しくしているのだが……どうしても気になることがあり、こちらから口を開く。

 

「とりあえず聞きたいことがあるんだが……“それ”なんだ?」

 

 俺はそう言って、今クラインが持っている……そして俺を追っていた連中全員が持っていたその本を指さした。

 クラインは「よくぞ聞いてくれた!」とでも言いたげに、自信満々な顔でそれに答える。

 

「これはSAO内でのハチの偉業を余すところなく詰め込んだ、伝記小説だ! 捻くれた主人公が何だかんだ言いながら人助けをするっていう話で、3000部の大ヒット作だぜ! ま、全部ガイドブックと一緒に無料配布なんだけどよ」

 

「んなアホな……」

 

 あの本の表紙を見た瞬間から、半ば予測していた答えではあったのだが……意気揚々と語るクラインを見て、俺は頭が痛くなってきた。

 ていうか、3000部って……今のSAO内で3人に1人が持ってる計算になるんだが……。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、クラインは語り続ける。

 

「この世界じゃ娯楽が少ないからな。結構熱狂的なファンが付いてよ。今日お前を捕まえるために協力してくれたのも、そんな奴らさ」

 

 その言葉に、周りに控えていた30名程度のプレイヤーたちが頷く。

 

「ま、タネ明かしはこんなもんでいいだろ。本題はここからだ」

 

 そこでクラインの表情が真面目なものに変わる。

 

「第一層のボス攻略で何があったのかは聞いた。この本にも、ありのままのことが書いてある……お前が他のプレイヤーを殺しかけたことはよ」

 

 そう言いながらクラインが手に持った本をぽんぽんと叩く。

 

「けどオレらだってバカじゃねえ。どうしてお前がそんなことしたのか、わかってるつもりだ。オレらと距離を置いた理由もな」

 

 俺を見つめるクラインの眼差しが、いっそう真剣みを増した。

 

「確かにその場はハチのおかげで丸く収まったかもしれねえ。でもオレは……いや、この場に居るオレらは、このままハチに貧乏くじを全部押し付けて、知らん顔なんて出来ねえんだよ」

 

 その言葉に反応した風林火山の面々が、大きく頷く。

 

「この本が広まって、ハチの悪評はなくなった……とは言い切れねえけど、少なくとも味方は増えたんだ。お前が気にすることなんか何もねえ。オレらと一緒に来いよ」

 

 そう告げたクラインの表情には、嘘も打算も感じられなかった。

 今まで、これほど真っ直ぐに人に求められたことはない。その誘いに俺の心は大きく揺らいだ。

 しかし、理性が感情にブレーキをかける。今さらどの面下げて戻れというのか。

 

「俺は……」

 

 口を開いたものの、俺はそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。数秒の沈黙が流れる。

 

「なあ、ハチ」

 

 言葉に詰まる俺を見て、今まで黙って話を聞いていたキリトが口を開いた。足元に視線を落として、キリトはとつとつと言葉を続ける。

 

「このゲームが始まってから、一ヶ月、ずっと一緒に戦ってたよな。お互いに、助けて、助けられてさ……俺、単純だから、ハチのこと親友だと……相棒だと思ってた。いや、今もそう思ってる」

 

 そこでキリトはゆっくりと顔を上げた。

 

「それって、俺だけか?」

 

 その瞳が、俺を捉える。目を逸らすことは出来なかった。

 この感情が何なのかは、自分でもよくわからない。

 ただ、俺はもう自分を偽ることは出来なかった。

 

「……俺も、そう、思ってるよ」

 

 

 

 

 

 この一件の後、俺はまたこいつらと行動を共にすることになった。

 しばらくはオレンジプレイヤーのままだが、圏内に行き来できるグリーンのプレイヤーの協力があるだけでも、危険度はかなり減るだろう。

 例の伝記小説を読んだプレイヤーたちの視線が正直鬱陶しかったが、まあそれもそのうち治まるはずだ。

 

 こうして俺は初めて出来た“友人”と共に、アインクラッド攻略を再開した。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。