やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第35話 裏切り

 不意に、敵からの圧力が強くなった。

 四方を敵に囲まれた状況だ。何故、などと考えている余裕はない。元々かなり無理をして何とかここに踏み止まっていたのだ。既に10分ほど休みなく戦い続けている。十分仕事はこなしたはずだ。そう判断し、俺はすぐにこの場から撤退することに決めた。

 

 気合いを入れ、1度大きく槍を払う。周囲の敵はその攻撃に大きく吹き飛ばされて一瞬の間隙が生まれた。次いで陣が乱れている場所を見極め、一気に突っ切る。すれ違いに武器を引っ掛けられたりと軽微なダメージを負ったが、ステータスにものを言わせて駆け抜けた。

 

 十数秒で敵陣を抜け、開けた草原が視界に入る。一旦ヒースクリフたちと合流しようと周囲を見回すと、数百メートル先、始まりの街の門その一歩手前まで後退しているプレイヤーたちの部隊が目に入ったのだった。

 

「くっそ! なんでだッ、ほぼ確定で相手を麻痺させるレアアイテムだぞ!? なんで効かねぇんだよ!!」

 

 俺が近づいていくと、男の喚き散らす声が響いた。怪訝に思いながらもさらに部隊の中へと分け入っていくと、体を縄で縛られたオレンジカーソルの男が1人座り込んでいたのだった。

 状況が飲み込めず、俺はその場で足を止める。この男、確かヒースクリフの部隊に組み込まれたギルド無所属のプレイヤーだったはずだ。それが何故オレンジカーソルになり、縛られているのか。

 そうして立ち尽くす俺の前に、重装備のプレイヤーが1人歩み寄る。ハッとして顔を上げると、少し疲れたような表情を浮かべたヒースクリフと目が合った。

 

「ハチ君か。無事で何よりだ。すまない、君に撤退の合図を出す余裕がなかった」

「それは別にいい。それより、何だこの状況?」

 

 俺はオレンジカーソルの男に視線を向けながら尋ねた。男は両脇を血盟騎士団のプレイヤーに挟まれながらも、口汚くまだ何か喚き散らしている。

 

「黒騎士まで今一歩というところまで行ったのだが……少々イレギュラーが起こってね」

「そこのオレンジカーソルの奴か?」

「ああ。と言っても、幸い被害はなかったのだが」

 

 ヒースクリフ曰く、乱戦の中であの男にPKされかかったらしい。攻撃対象に高確率で麻痺の状態異常を付与するダガーで後ろから刺されたそうだが、運良くヒースクリフは麻痺に掛からず、軽微なダメージを負っただけで済んだようだった。

 

「私でもあの黒騎士の前で行動不能に陥れば危なかっただろう。今回は運に助けられたようだ。だが、部隊は混乱してね。あの状況では撤退を選択せざるを得なかった」

 

 悪意を持ったプレイヤーに殺されかけたというのに、ヒースクリフの言葉は妙に淡々としたものだった。その態度と話の内容に俺は何か違和感を覚えたが、ひとまず今はそれを振り払って別の思考を走らせる。

 妙な胸騒ぎがする。何か、大きなものを見落としているような気がしてならない。

 

「乱戦の中でPK……そんなことして、何の得があるんだ。下手すりゃ自分も死ぬぞ」

「本人に事情を聞いてはいるが、要領を得なくてね。今のところはなんとも――」

「だ、団長ッ! これ見てください!!」

 

 プレイヤーの焦った声が上がる。振り返ると、縛られた男が血盟騎士団のプレイヤーに押さえつけられて装備をはぎ取られていた。恐らく念のため武装解除させていたのだろう。その過程で何かを見つけたらしい血盟騎士団の男が、押さえつけられている男の脇腹辺りを指さす。

 細身の体にフィットするように作られた、黒いインナー。無地のものが一般的だが、その男の脇腹にはあるエンブレムの刺繍が施されていた。それを見たプレイヤーたちの間に戦慄が走る。

 

笑う棺桶(ラフコフ)……!?」

 

 静寂の中、誰かが呟いた。男の脇腹に刺繍された、笑う棺桶のエンブレム。攻略組で、あのエンブレムの意味が分からないプレイヤーは居ない。

 

「ま、まだ残党が居たのか? 目的は攻略組に対する復讐……?」

 

 動揺を隠せない様子で、周りのプレイヤーたちが口々に声を上げる。

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)討伐戦から既に半年ほど経っている。その間、プレイヤーによる犯罪はほとんど起こらなかったし、PKに至っては一件も報告されていなかった。それ故、アインクラッドに住むプレイヤーたちにとって、もはや笑う棺桶(ラフィン・コフィン)という名前は過去のものとなっていたのだ。

 だが、違った。奴らの残党は姿を隠し、静かに爪を研いでただひたすらに機を伺っていたのだ。

 

 押さえつけられた笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の男は、何も言わずに薄く嗤っていた。それを見て、俺は考える。

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党は、こいつ1人だけなのか。もし他にもいるとすれば、どうする。ヒースクリフを殺して、それで終わりなのか。そんなはずがない。今この状況で何か仕掛けるとすれば、むしろ本命は――

 

 俺は1つの結論に至り、血の気が引いた。何故、今までそれに気付けなかったのか。

 

「――ヒースクリフ、ここ任せるぞッ!」

「1人で行くつもりかね?」

 

 恐らくヒースクリフも俺と同じ思考を辿ったのだろう。急に態度を変えた俺に驚くこともなく、ただそう言葉を返した。

 話が早くて助かる。そう思いながら、俺はアイテムストレージを弄って転移結晶を取り出した。ここからなら、アイテムで飛んだ方が早い。

 

「ここもそんな余裕ある訳じゃないだろ。何とかする」

「わかった。ここは任せたまえ。そちらも健闘を祈る」

 

 頷き、俺は青く輝く転移結晶を掲げる。

 間に合ってくれ。祈りながら、俺は大声でボイスコマンドを唱えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラディール……! あなた、これはどういうつもりッ……!?」

 

 黒く冷たい石の床へと膝を付きながら、アスナは目の前に立つクラディールを睨み付けた。しかし当のクラディールはそれを意に介すことなく、厭らしく唇を歪ませる。周囲の薄暗さとも相まって、その笑みはアスナに強い嫌悪感を抱かせた。

 

 黒鉄宮。そのエントランスホール。ここを守護するために配備されていた多くのプレイヤーたちは、アスナと同じように苦し気に膝を付いていた。麻痺毒による状態異常である。

 膝を付くプレイヤーたちには、未だに状況が把握できていなかった。自分たちは《不吉な日》イベントによって襲来する悪魔の軍勢に対抗するために警戒をしていたはずである。それが何故、プレイヤー同士の争いに巻き込まれているのか。

 

 始まりは、突然現れた黒ポンチョの集団だった。武器を構えて黒鉄宮へと押し寄せた彼らの存在に、部隊のプレイヤーたちには動揺が走った。しかしそこは彼らもこのSAOで戦い続けてきた歴戦の猛者たちである。混乱しながらも咄嗟に戦闘の体勢を取り、敵を迎え撃つべく動き出した。

 だが、そこでさらに予想外の出来事が起こった。仲間だと思っていたプレイヤーたち数名の裏切りよって、背後からの攻撃を受けたのだ。突如部隊に反旗を翻した者の中には、《軍》のプレイヤー数名に紛れてクラディールの姿もあった。

 彼らは攻撃した相手に麻痺毒を付与する短剣を使用し、あっという間にアスナを含む半数以上の部隊のプレイヤーを無力化した。何とかそれを回避した者たちも、襲撃者たちに囲まれて身動きが取れない状態だった。

 

 麻痺毒を付与する短剣は、ゲーム内ではかなり希少である。その上に耐久力が低く、修復不可という特性のためにほとんど消耗品のようなものだ。それをあれだけの数を用意していることから見ても、この襲撃がただの急場の勢いではないということが見て取れた。

 そして何より、あの頭から膝丈までをすっぽりと覆う黒ポンチョの姿。それはアスナに、戦慄と共にあるギルドを思い起こさせた。

 その考えを肯定するように、クラディールは左手のガントレットを外し、腕に刻み込まれた刺青を見せつける。そこには不気味に笑う棺桶のエンブレムが描かれていた。

 

「そのエンブレム、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の……」

「私の力を認めようとしない貴女たちが悪いのですよ。私は、こんな下っ端で終わっていい人間じゃないんだ」

 

 ――そんなの、貴方の逆恨みじゃない!!

 そう口に出しそうになるのを、アスナは必死に堪えた。下手に刺激して機嫌を損ねればどうなるかわかったものではない。アスナだけではなく、血盟騎士団の多くのプレイヤーが身動きが取れない状態なのだ。なんとか麻痺を治療しようとしても、アイテムを取り出すそばから邪魔をされてしまうという状況だった。

 ゴドフリーを含む数名の血盟騎士団の精鋭たちが不意打ちを回避したのは幸いだったが、それでも断然敵の方が数が多い。今は膠着状態になっているが、いつ殺し合いに発展してもおかしくなかった。

 

「彼らと手を組んだのは最近ですがね。色々と面白いことを教えてもらいましたよ。効率のいいPKの方法などをね」

 

 ガントレットを付け直しながら、にやついた顔で語るクラディール。そこには罪悪感など欠片も無いようだった。

 

「……クラディール、思い直して。今ならまだやり直せるわ」

「やり直せる? 何言ってんの?」

 

 一縷の望みをかけて何とかクラディールを説得しようとするアスナだったが、すぐに横やりが入った。鈍色の兜を被った、小柄な男。アスナの指揮下にあったはずの《軍》のプレイヤーだった。

 敵の集団の中央から歩いてきたその男は、アスナの前に立つと兜を取ってそれを適当に放り投げた。長い黒髪が肩に落ち、目つきの悪い三白眼でアスナを見下ろす。そして馴れ馴れしくクラディールの肩に手を置くと、男は鋭い犬歯をむき出しにして笑いかけた。

 

「むしろこいつはこれからだよ。黒鉄宮を襲撃した笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党とやり合って、生き残った数少ないプレイヤーになるんだから」

 

 静まり返った黒鉄宮の中、男の声が響いた。

 その素顔に見覚えはないが、周りのプレイヤーの態度から伺うに恐らくこの男が部隊のリーダー格なのだろう。アスナは咄嗟にそう判断したが、言葉の意味までは理解できずに首を傾げた。男はそんなアスナの顔を覗き込むように姿勢を低くする。

 

「筋書きはこうだ。始まりの街のアンチクリミナルコードが解除されたタイミングを狙って、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちが黒鉄宮を襲撃した。その戦力は強大で、お前らは抵抗虚しくその大半が死亡。何とか生き延びた俺たちは、PoHの脱獄と笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の復活を他のプレイヤーたちへと伝えるんだ」

「PoHの脱獄……それが貴方たちの狙い?」

「まあ他にも色々とやってるけど、概ねはそうだな」

 

 言って背を伸ばし、男はやれやれと言ったふうに首を振る。

 

「いやあ、ここまで苦労したんだぜ? 大好きな殺しも我慢して、いざと言う時のためにレベル上げて装備も整えてよ。俺なんか軍に潜り込んで、攻略組(お前ら)に気付かれないように水面下で頑張ってたんだ。――そして!!」

 

 芝居がかった仕草で男が両手を広げて天を仰いだ。靴音を響かせながら、黒鉄宮の冷たい床の上を歩き出す。

 

「ようやく力を付けてきたところに始まったのが、この《不吉な日》イベントだ! 運命を感じたね! イベントに夢中になってるプレイヤーどもの不意を突いて殺して、さらにPoH(リーダー)も助けられる! 最高の一日だ!!」

 

 隠れて力を蓄え、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちは虎視眈々と時機を待っていたのだ。彼らの存在に、そしてクラディールの裏切りに気付けなかった自分の不明に臍を噛む思いだったが、今のアスナにはどうすることも出来なかった。

 広間の中央まで歩いて行った男が振り返る。アスナと目が合うと、急にクールダウンした調子で再び口を開いた。

 

「あ、態度次第でお前は生かしてあげてもいいよ。ゲーム内でも、女には使い道があるから」

「……あなたは人間の屑ね」

「ふーん。まだ自分の立場わかってねぇみたいだな」

 

 嫌悪感を堪えきれず吐き捨てるように言葉を口にしたアスナに、男は無表情で視線を向けた。再びアスナへと歩み寄ると、満面の笑みを浮かべる。次の瞬間、男の足がアスナの頬を思い切り蹴り飛ばした。

 

 ゴドフリーたち血盟騎士団の怒号が上がる。しかし当のアスナは呻き声を漏らすことなく、倒れたまま男を睨み付けた。今の状況では手も足も出ないが、それでも心だけは屈しまいと彼女は強く決めていた。

 

「おい、新入り。麻痺がきれねえうちにコイツふん縛っとけ。身包み剥がすのも忘れんなよ」

「は、はいっ」

 

 指示を受けたクラディールが、アスナに縄をかける。もはや興味はないとばかりに男はアスナに背を向けて周囲を見回した。

 

「お前ら、奪えるものは粗方奪ったな? よーし、じゃあそろそろショータイムといきますか」

 

 声を弾ませながら、男は腰に佩いた剣を抜く。細身の片手剣を構え、それを血盟騎士団のプレイヤーたちに向けた。

 鋭利な瞳がギラついた光を放つ。もう堪えきれないとばかりに不気味な笑みを溢しながら、男は短く呟いた。

 

「――殺せ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が黒鉄宮へとたどり着いた時、遠目に見えたのは四散する青白いガラス片だった。

 オレンジカーソルの黒ポンチョの集団に囲まれて、嬲られる血盟騎士団の男たち。確認出来るのは2人だけだ。そのうち1人も、数による暴力によってすぐにその体を飛散させることになった。

 俺は無心で槍を構え、駆ける。しかし背中を守っていた仲間が居なくなったことで、残された最後の1人も間もなく敵の凶刃に倒れることになった。

 HPが全損するその瞬間、倒れる男と視線が交わる。見たことのある顔だ。もみあげと顎鬚がつながった、男くさい壮年の男。名前は確かゴドフリーと言ったか。相手も俺の顔を覚えていたのだろう。最期の瞬間、ゴドフリーは懇願するように叫び声を上げた。

 

「頼む、少年……アスナ様を――ッ!」

 

 言いかけて、砕け散る体。俺は足を止めて、呆然とその光景を眺めた。

 間に合わなかった。あれだけいたはずの防衛部隊のプレイヤーたちが、ほとんど残っていない。見覚えのあるプレイヤーも、今この状況で黒ポンチョの集団と肩を並べているということは、元から奴らの内通者だったということだろう。

 他の者たちは全員殺されてしまったのか。いや、ゴドフリーは最期にアスナの名前を口にした。彼女だけはまだ生きているはずだ。

 

「ハチ……くん……?」

 

 微かに耳に届いた小さな呟き。俺は黒鉄宮の中、薄暗い屋内に目を走らせた。そして黒ポンチョの集団に紛れて、蹲っているアスナを見つける。装備を剥ぎ取られて無力化され、薄ピンク色のインナー1枚の姿で縛られていた。彼女は大きな瞳に涙を浮かべながら、呆然とこちらを見つめていた。

 俺はアスナの無事に安堵し、同時に沸々と自分の中に黒い感情が湧くのを感じた。

 

「あれ? 攻略組の援軍でも来たのかと思ったけど、お前1人か?」

 

 立ち尽くす俺に、1人の男が声を掛ける。その顔に見覚えはない。だが、周囲の雰囲気から察するに恐らくこの集団のリーダー格なのだろう。小柄な体に、長い黒髪。釣りあがった眼が特徴的な男のプレイヤーだった。

 兜は被っていないが、その体の装備からするに《軍》の人間だ。今朝、始まりの街の広場で集合した時、俺に意味深な笑みを向けたプレイヤーと背格好が一致する。

 

「お前、風林火山のハチだろ? もしかして俺たちの計画に気付いて駆けつけちゃった感じ?」

「お前らの目的はPoHの奪還か」

「ああ、うん。後はあわよくばヒースクリフとかも殺せるといいかなと思ってたけど……あっちの部隊に居たはずのお前がこっち来てるってことは、失敗したっぽいな」

 

 余裕のある表情で、男は俺の言葉を肯定する。今さら俺1人増えたところで脅威にはならないと思っているのだろう。

 確かに今の状況はこちらの分が悪いどころの話ではない。敵はざっと見積もっても30人以上だ。レベルも低くはなさそうである。それでもまだ俺の方が総合ステータスは高いだろうが、この人数差をひっくり返せるほどの違いではない。

 このままやり合えば、俺に勝ち目はないだろう――普通なら。

 

「……悪いけど、今、手加減出来る気がしない。死にたくなかったら今すぐ武器を捨てて投降しろ」

 

 胸に沸々と湧く感情を押し殺しながら、俺はなるべく冷静に口にした。それは今の俺に出来る最大限の譲歩だったのだが、奴らには狂言にしか聞こえなかったようだ。一瞬、間の抜けた表情を浮かべた後、奴らは嘲けるように笑いだした。

 

「すげーよこいつ! 俺らのこと雑魚扱いだぜ! かっくいーっ!!」

「この人数相手に、何粋がってんだこいつ?」

「こいつキリトとか言う奴の腰巾着だろ? それで自分が強いとか勘違いしてんじゃねーの?」

 

 ひとしきり笑い声を上げた後、それを制するようにリーダー格の男が手を上げる。

 

PoH(リーダー)はなんかお前のこと買ってたみたいだけど、俺にはどこが良いのかさっぱりわかんねぇな……。まあいいや。こっちも立て込んでるから、さっさと死んでくれ。まだこれから監獄エリアの《軍》の看守とやり合わなきゃいけないし」

 

 言って、男が周りに目配せをする。それを受けた黒ポンチョのプレイヤーたちは下卑た笑みを浮かべ、武器を構えて包囲を狭めるようににじり寄ってきた。

 警告はした。これ以上、こいつらに情けを掛けてやる義理はない。

 

 戦う意思を固め、軽く息を吐いた。意識が深く沈んでゆき、やがてふと体が軽くなる。死域に至ったのだと感覚的に分かった。

 1度目の経験以降、訓練を繰り返すうちに最近では意識的に死域へと入ることが出来るようになってきていた。まだ完璧というわけではないが、命が掛かるような場面ではある程度制御出来る。

 

 包囲を狭めるように、にじり寄る笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたち。余裕ぶった態度とは裏腹に随分と慎重なようだ。数にものを言わせてじわじわとこちらのHPを削るつもりなのだろう。

 だが、拙い。集団戦の経験が少ないのか、その隙が今の俺にはありありと見て取れた。最も脆い部分に目を付け、こちらから仕掛ける。

 

 弾けるように駆けだし、ソードスキルを放った。本来なら悪手だが、今の俺ならばなんとかなる。

 俺の攻撃に泡を食った笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の下っ端の1人が、2合と持たずに崩れる。目を見開いたまま、砕け散る体。飛散するポリゴンを顔に浴びながら、俺は続けてソードスキルを放ち続けた。

 

 突き、薙ぎ払い、叩き伏せ、かち上げる。本来は単発技のそれを繋ぎ合わせ、1つのソードスキルへと昇華する。止むことのない連撃。勢いのまま、俺は5人のプレイヤーのHPを全損させた。

 徐々に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中に動揺が広がる。さらに2人ほど討ち取ったところでようやくその異様さを感じ取ったのか、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたちは浮足立ってこちらと距離を取ったのだった。それを認め、俺は一旦ソードスキルを止める。

 

 耳を刺すような激しい剣戟の音から打って変わって、周囲に静寂が下りる。息をするのも忘れてしまったように、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたちはその場で固まっていた。

 

「な、なんだそりゃ……。今の、何連撃だ? 《両手槍》にそんなスキルはなかったはずだぞッ」

 

 焦った様子でリーダー格の男が呟くが、当然そんな質問に答えてやる義理はない。俺は無言で槍を握り直し、今度はアスナの側に立っているそいつへと穂先を向けた。男は一瞬怯んだようにたじろいだが、すぐに怒りの形相を浮かべてこちらを睨み付けた。

 

「くそッ! テメェらぼさっとしてんじゃねえ!! 一斉に斬りかかれば何とかなる! 殺せッ!!」

 

 苛立った男の言葉に反応して、我に返ったプレイヤーたちがこちらに襲い掛かる。肌を刺す殺気を感じながら、俺も気合いを入れ直した。

 まだやるつもりなら、とことんまで付き合ってやる。頭に来ているのはこちらだって同じなのだ。

 胸に渦巻く黒い感情。もはやそれを押さえつける必要もない。俺は激情に身を任せるように、槍を大きく払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《無限槍》

 それが俺に発現したスキルの名前だった。

 

 発現条件は分からない。キリトの《二刀流》と同じように、気付いたらスキル一覧に並んでいたのだ。それを確認したのが2ヶ月程前である。

 強いかどうかはさておき、無限槍はかなり変わったスキルだった。その1番の特異性は、ソードスキル同士をいくつも繋げて発動できるという点だ。

 無限槍のソードスキルには終了間際に僅かな再入力時間があり、それを利用することでディレイタイムなしに続けてソードスキルを放つことが可能だった。理論上は気力が持つ限り無限にソードスキルを打ち続けることが出来るだろう。

 まあ実際には色々と問題があってそんなに使い勝手のいいものではないのだが、使いこなせることが出来れば非常に強力なスキルなのは間違いない。特に対人、対多数戦においては無類の強さを誇るスキルだった。

 

 

「クソッ、クソッ、何だよコレ! こんなん反則(チート)だろッ!!」 

 

 大量の青白いガラス片が舞い散る中、リーダー格の男が叫んだ。その声が黒鉄宮の薄暗いエントランスホールの中に虚しく響く。その間にも1人、また1人と笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたちは脱落していった。

 槍を振るうたびに、敵がポリゴンとなって砕け散る。もはや笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中に最初の余裕ぶった表情はなく、その多くが及び腰になっていた。それでもリーダー格の男に怒鳴り散らされて、連中はやけくそ気味に俺へと攻撃を繰り返している。

 

 無限槍の強みは、50種類以上もの単発系ソードスキルを繋げて繰り出すその変幻自在の攻撃だ。ソードスキルの再入力時間がかなりシビアで難易度が高いために普段は予め決めておいたパターンをなぞるように使用するのだが、死域に入った今なら即興でソードスキルを繋げていくことが出来る。

 逆に1つ1つのソードスキル自体はそこまで強くないため、敵のソードスキルと真正面から打ち合えば硬直に陥りこの状況では敵の数に圧殺されてしまうだろう。故に攻撃を上手くいなすという立ち回りが求められるのだが、今の俺ならばなんとか敵を捌くことが出来た。

 

 敵の数は既に最初の半分以下になっている。俺もそれなりに攻撃を受けていたが、戦闘中徐々に体力を回復してくれる《バトルヒーリング》のスキルでギリギリ相殺される程度のダメージに抑えられていた。

 

「む、無理だッ! 勝てるわけねぇ!!」

「こんなの聞いてねぇよ! 俺は降りるぞ!」

「お、おいッ、テメェら!!」

 

 もはやリーダー格の男の制止も聞かず、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーたちは情けない声を上げて逃げ始めた。最初の数人がそうして逃げ出すと、クモの子を散らしたようにそのほとんどが去ってゆく。

 黒鉄宮から出ていく連中のその背中を、俺は黙って見送った。奴らを取り逃がしてしまうのは口惜しいが、今はアスナの安全が最優先だった。

 

「後は、お前らだけだぞ」

 

 急激に人口密度の減った黒鉄宮のエントランスホール。俺の視線の先にあるのは、縛られたアスナの側に立つ2つの影。リーダー格の男と、逃げるタイミングを失ったのか呆然と立ち尽くすクラディールだけだった。

 

「ク……ソがッ……! クソがクソがクソがクソがァアァッ!!」

 

 男は頭を掻き毟りながら、癇癪を起したように叫んだ。

 

「見下してんじゃねえッ!! この日のために、俺が、俺がどれだけ……!! お前が居なけりゃ全部上手くいってたんだ!! 全部お前のせいだッ!! クソがァ!! ぶち殺してやる!!」

 

 喉が裂けるほどに叫びながら、男が片手剣を構える。俺を睨み付ける血走った眼は、もはや正気には見えない。男は片手剣を振り上げると、そのままソードスキルを発動した。

 冷静さを失っているからか、その太刀筋は酷く隙だらけだ。俺は振り下ろされる斬撃を弾くように突き上げ、次いで薙ぎ払う。それは男の急所を捉え、そのHPを大きく削った。

 そのまますれ違い、一瞬の沈黙が降りる。男は膝を付くと、右手に持っていた片手剣を取り落とした。甲高い金属音がホール内に響く。

 

「ク……ソ……がァ……」

 

 膝を付いたまま、男が恨みがましい目でこちらを振り返った。そうして呟いた悪態が断末魔の言葉となり、男の体は荒いポリゴンとなって四散していったのだった。

 

「動くなァ!!」

 

 再び黒鉄宮のホール内に絶叫のような声が響く。見ると声の主であるクラディールは短剣を構え、その切っ先をアスナへと向けていた。

 

「お前ッ……」

「う、動いたらこの女を殺すぞッ!!」

 

 かつてはアスナの護衛まで勤めていたはずのクラディールは、今やそのアスナの命を盾にして歪な笑みを浮かべている。

 こいつはどこまで墜ちれば気が済むのだ。奴の短絡的な行動に俺は眩暈がするほどの怒りを覚えたが、歯を食いしばってそれを飲み込んだ、

 

 アスナは今かなり無防備な状態だ。恐らく麻痺毒を食らい、その間に装備品を剥ぎ取られたのだろう。薄ピンクのインナー姿のアスナの周囲には、彼女のものと思われる武器防具が散乱していた。

 SAOでのプレイヤーの防御力は、装備品頼りなところが大きい。今の状態ではいかに高レベルであるアスナと言えども、下手をすればソードスキル1発でHPが全損する。

 クラディールとの距離は10メートル弱。ステータスを考えれば一足一刀の間合いだが、さすがに俺の攻撃が届くよりもクラディールがアスナを攻撃する方が早い。上手く不意を突ければ可能性はあるが、やはり下手には動けない。

 

「私は! 私はこんなところで終わっていい人間じゃないんだ!! ましてやお前みたいな小僧に潰される器では……!!」

 

 クラディールは焦点の合わない瞳で、そんなことを口走る。この肥大した虚栄心に付け込まれ、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の連中に利用されたのだろう。だが予想外の事態に混乱し、今さらに破滅的な行動に出ようとしている。

 刺激するのは危険だ。俺はその場から動かず、宥めるように口を開いた。

 

「落ちついてくれ。今ここでアスナを殺しても……」

「いいの、ハチ君」

 

 俺の言葉を遮ったのは、腕を後ろ手に縛られたままのアスナだった。2つの大きな瞳には悲しみをこらえるように涙を湛えていたが、眼差しにはいつも以上に強い意志があった。そこに宿る覚悟を感じ取り、俺は息を詰まらせる。

 

「こんなところでハチ君の足を引っ張るくらいなら、死んだ方がマシだわ」

「アスナッ!? やめ――」

「ぐあっ……!?」

 

 急に体を仰け反らせたアスナが、クラディールの鼻づらに頭突きを食らわせた。無様な呻き声をあげてよろめいたクラディールだったが、すぐに短剣を構え直すと怒りの形相でアスナを睨み付ける。

 

「こ、この女ァ!!」

 

 光を宿し、突き出される短剣。その凶刃がアスナの白い首筋へと迫る。

 気付いた時には、槍を突き出していた。その一閃はアスナへと達する寸前の短剣を弾き上げ、そのままの勢いでクラディールの胸を貫いた。

 硬直するクラディールの体。俺は激情のままに、さらに2度3度槍を振るう。ふと我に返ると、握り締めた槍でその体を貫いたまま、俺は項垂れるクラディールと組み合うようにして立っていた。

 その目には急激に減ってゆく自分のHPバーが映っているのだろう。虚ろな瞳のまま、クラディールはぼそりと呟いた。

 

「わた、私はこの世界で英雄になるんだ……。こんなところで……」

「……英雄なんかじゃない。ただの人殺しだ。お前も、俺も」

 

 吐き捨てるように、そう口にした。その言葉がクラディールに届いたかは分からない。一瞬の沈黙の後、クラディールの体は青白いガラス片となって砕け散って行った。

 支えを失った俺は、よろめいてその場に膝を付いた。床の冷たさと共に、徐々に体に疲労が返ってくる。死域から脱したのだ。気怠さからその場に寝転んでしまいたい衝動に駆られたが、食いしばって耐える。槍を杖変わりにして、何とか立ち上がった。

 

「ハチ君……」

 

 振り返ると、その場にへたり込むアスナと視線が合った。HPはほとんど減っていないようだ。そのことに安堵しながら俺はすぐに彼女の下へと駆け寄り、彼女を拘束していた縄を解く。

 拘束から解放されても、アスナは呆然と座り込んだままだった。俺はかける言葉が見つからず、彼女から目を逸らす。

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党によって率いていた部隊を全滅させられ、自分だけ生き残ってしまったのだ。彼女の無念は計り知れない。この場で下手な慰めを口にすることは憚られた。

 

 ふと、黒鉄宮の床に散らばる装備品が目に入る。見慣れたその紅白の装備品は、間違いなくアスナのものだ。高レベルプレイヤーの装備品一式となるとかなりの重量である。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の奴らは武装解除するためにアスナからそれを剥ぎ取ったはいいものの、邪魔になって適当に放置していたのだろう。

 いつまでもインナー1枚の姿では色々と問題がある。ひとまず散らばっている装備品を集めようと立ち上がったが、アスナはそれを引き止めるように俺の服の裾をそっと掴んだ。

 

「ごめんなさい……」

 

 その言葉に、振り返ってアスナに視線を向ける。俯いて嗚咽を堪える彼女の姿は酷く頼りないものに見えて、胸を衝かれた。普段攻略の最前線でギルドの指揮を取る副団長の面影はない。そこにあるのは歳相応にか弱い少女の姿だった。

 

「謝るな。お前は何も悪くねぇだろ」

「でも皆、死んじゃった……」

「未然に防げなかったってことなら、みんな同罪だ。1人で背負い込むな」

 

 俯く彼女に手を伸ばしかけ、止める。こういうのは柄じゃないだろう。そう言い訳をして、行き場を失った右手を握りしめた。

 

「……お前が生きていてくれてよかった」

 

 無意識に口をついて出たその台詞は、掛け値なしの本心だった。

 クラディールがアスナへとその刃を向けた時の、あの感情。我を忘れるほどの不安や怒りを覚えたのは初めてのことだった。今思い出しても体が震える。

 

 不意に顔を上げたアスナと目が合った。大粒の涙が一筋、彼女の頬を伝う。何がきっかけになったのか、やがて彼女は縋るようにして俺の胸に飛び込み、声を殺して泣き始めた。俺は一瞬驚きに身を固めながらも、それを受け止める。

 左手で槍を強く握りしめ、胸の中でむせび泣くアスナを静かに見つめた。彼女の心情を思えばしばらくこうして傍にいてやりたい。だが、今は状況がそれを許さなかった。

 

 まだ《不吉な日》のイベントは終わっていないのだ。黒鉄宮を守護する部隊が居なくなってしまったのなら、俺1人でもその代わりを努めなければならない。そして可能なら監獄エリアにいるはずのPoHの様子も確認しておきたかった。ないとは思うが、先ほどの奴らが別動隊を先に監獄エリアへと向かわせていた可能性もある。

 

 静かに頭を働かせ、今後の予定を立てる。そしていざ動こうとした時、この場に似つかわしくない軽やかなサウンドエフェクトと共に、目の前にメッセージウィンドウが出現したのだった。

 

『プレイヤーによって、全ての黒騎士が撃破されました。《不吉な日・侵攻イベント》は、プレイヤーサイドの勝利となります。現時刻を持ってイベントを終了とし――』

 

 そこまで読み、俺は全身の力を抜いた。終わったのだ。他のプレイヤーたちがやってくれたのだ。

 大きく息を吐いた。アスナの震える肩を抱いたまま、薄暗い黒鉄宮のエントランスホールを見上げる。天窓から差す頼りない光が、今は何よりありがたく思えた。

 

 2024年9月13日金曜日。多くのプレイヤーたちを巻き込んだイベント《不吉な日》は、襲来した笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちによって大きな爪痕を残しながらも、プレイヤーサイドの勝利という形でその幕を閉じたのだった。




ストックが底をつきました。
また少し間が空きますがご了承ください。

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