やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第37話 一時の休息

 善は急げということで、温泉旅行の決行はすぐ翌日ということになった。

 メンバーはキリト、アルゴ、アスナ、フィリア、シリカ、俺に加え、ジャンケンで勝ち残ったクラインとトウジを含めた男プレイヤー6名である。

 残されたプレイヤーたちからはブーイングの嵐だったが、また後日改めてギルド全員での旅行を企画するということで何とか治まった。今回は抜け道の関係で人数が制限されてしまったが、一度通ったプレイヤーなら次は新たにパーティメンバーを加えて通れるという話である。つまりネズミ算式に行ける人数が増えるので、次回はギルド全員で行ってもなんとかなるはずだ。

 

 そんな訳で今回は下見のようなものだ。周囲の安全確認なども含めて情報収集を行うために、とりあえず2泊3日というスケジュールになっている。

 

「お、何か温泉っぽい匂いがしてきたな」

「硫黄の香りですね。そろそろ出口が近いのかな」

 

 薄暗い洞窟の中に、クラインとトウジの声が響いた。言葉通り、ゆで卵を割ったような硫黄の匂いが鼻を衝く。この匂い少し苦手なんだよなと思いつつ、俺は槍を構えたまま歩を進めた。

 第65層の西、温泉街へと続くという洞窟の中を歩いていた。インスタンスマップなのでキリトたちとは別行動である。こちらのパーティメンバーはアルゴ、アスナ、クライン、トウジ、俺、それに加えて風林火山の最古参の1人であるギースという男だ。

 洞窟に入って既に20分ほど経過している。ここまで長い一本道だったが一度もモブと遭遇することはなかった。今も危険な気配はないので或いはモブが生息していないのかもしれないが、一応警戒は怠らずに進んでゆく。

 

「温泉地ってたまに有毒ガスが出るとかで立ち入り禁止になってる場所あるよな。これ下手したら毒ダメとか食らったりする?」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ」

 

 俺の適当な思いつきの発言に、隣のアスナが眉を顰める。寒さ対策にブラウンのPコートというカジュアルな格好をしているが、その手には油断なくレイピアが構えられていた。ここのような視界の悪いフィールドでは臨戦態勢のまま行動するのが定石である。

 

「事前の調べじゃそんな情報はなかったヨ。まあ念のためハチを先頭にして進んだ方がいいかもナ」

「しれっと人をセンサー代わりに使うなよ。……いや、まあ、行くけど」

 

 アルゴの発言に文句を言いながらも、俺は先頭に立って歩く。この中で一番耐久力があるのは俺である。さすがにこの層で俺が即死するような初見殺しはないだろう。

 その後さらに5分ほど行くと、洞窟の中、遠くに光が差し込んでいるのが目に入った。身を切るような冷たい風が吹き込んでくるのを感じながら、俺たちは残りの道を一息に抜ける。

 

「おー……」

「いいところね」

 

 洞窟から抜け出すと、強い日差しと冷気が俺たちを包んだ。隣に立つアスナと共に、周りを見渡しながらゆっくりと息をつく。

 目の前に広がるのは一面の雪景色である。山脈に囲まれた処女雪の平原。抜けるような空の蒼さと相まって、まるで地表から色が抜け落ちてしまったかのように思えた。

 切り取るように丁寧に除雪された一本の道は、遠く山裾の集落へと繋がっていた。あれが噂の温泉街だろう。

 しばらくすると、隣までやってきたクラインが目を見開いて声を上げる。

 

「おー! トンネルを抜けるとそこは……ってヤツだな!」

「洞窟に入る前から既に雪国でしたけどね。それと、正確には『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』です」

「細けぇこたぁいいんだよ! フインキだ! フインキ!」

 

 風林火山ではもはやお馴染みとなったクラインとトウジの夫婦漫才を聞き流しながら、俺は手に持っていた槍を背中に収めた。それとクライン、正確には雰囲気(ふんいき)な。

 不意に細かい雪を巻き上げながら風が吹いた。俺は咄嗟にコートのポケットに両手を突っ込み、襟に首を埋める。寒さ対策はしているが、それでも寒いものは寒い。吹きさらしのこの場所にあまり長居はしたくなかった。

 

「うー、さむ……。この辺り一帯全部安全地帯っぽいし、さっさと行こうぜ」

「そうね。えーっと、多分あそこが温泉街よね? とりあえず行ってみましょう」

「よーし! 待ってろよ温泉!!」

 

 キリトたちとは現地集合という打ち合わせになっている。妙に張り切って先導するクラインに従って、俺たちはすぐにその場を後にしたのだった。

 

 その後は特にアクシデントもなく、10分ほどで目的の温泉街へと到着した。

 煤こけた木造の建物が並ぶ、古き良き宿場町のような景観である。宿や茶屋、的当てなどの遊戯店が立ち並び、アインクラッドでは一般的な武器屋や道具屋などは逆に見当たらない。おそらくそう言ったコンセプトの街なのだろう。

 さらに街の中へと入っていけば、大通りの真ん中には長く伸びた木組みの水路のようなものが無数に並んでいた。街を中央から縦断するように走り、もうもうと湯煙を上げながら湯を運んでいる。これは地下から汲み上げたばかりの熱すぎる源泉を冷ましつつ街の温泉施設に供給するための装置らしい、というのはトウジの談である。

 ゲーム内のことなのでこんなことをせずともプログラムを弄ればお湯の温度なんてどうとでもなるのだろうが、SAOでは妙なところがリアルだったりする。きっとクリエイターのこだわりなんだろう。特にこの温泉街は色々と無駄なところが作り込まれているように思えた。

 

 土産屋などを軽く冷やかして回っているうちに、遅れてキリトたちが街へと到着した。合流を果たした俺たちはひとまず今日泊まる宿を取ることに決め、折角だからと街の中央、最も大きいと思われる旅館へと足を向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「的当てって言うのは基本的に景品の左上か右上を狙うのが定石なんだ。あと気を付けるべきは入射角。垂直に当たるのがベストだけど放たれたコルクは放物線を描くわけだから、それを計算に入れて銃は下から構えて少し上に向けて撃つ。最後は銃を打つラインも重要だ。力を殺さないために、腕のリーチも使ってなるべく景品に近い位置で構える。つまり――こうだッ」

 

 うんちくを垂れながらコルク銃を構えていたキリトが、気合いのこもった声と共に引き金を引いた。放たれたコルクは狙い通りに景品の左上を捉えるも、コツンと情けない音を立てて呆気なく弾かれる。台に置かれた景品はビクともしていない。その結果にキリトは今にも「なん……だと……!?」と呟きそうな表情で立ち尽くした。

 

「惜しかったな兄ちゃん。ほれ、残念賞だ」

 

 NPCのおっちゃんがそう言ってキリトの前に飴玉を置く。キリトはしばらく呆然とそれを眺めていたが、やがてその姿がいたたまれなくなったのか隣のシリカが気を遣ったように声を掛けた。

 

「ざ、残念でしたね。そういう時もありますよ。ほら、元気出してください」

「ていうかこれバネ弱すぎてムリゲーだろ。妙なところでリアルだよなこの世界」

 

 キリトが使っていたコルク銃を弄りながら俺もそう口にする。現実世界の祭りの屋台などではよくある手法だ。向こうも簡単に景品を取られては商売あがったりなので、コルク銃のバネを弱くなるように細工していたりする。

 

「いや、絶対に何か攻略法があるはずだ! 俺はあの景品のアクセを手に入れるまで諦めないぞ!」

「ああ……うん。頑張れよ。じゃあ俺らは他のとこ見てるから」

 

 ゲーマー魂に火がついてしまったらしいキリトにそう声をかけ、俺はシリカを伴って射的屋を後にした。

 

「あの、キリトさん放っておくんですか?」

「ああなったら手の付けようがない。マジであの景品手に入れるまで動かねえぞ」

「そ、そうですか」

「さてと……他の奴らはどこ行ったんだ?」

 

 言って、周囲を見回す。街の大通りには多くの人々が行きかっていた。アルゴが言うにはまだ俺たち以外のプレイヤーは居ないということだったが、この街は他の場所に比べてNPCが多く表面上は中々賑わっているように見える。

 

 宿を取った後、俺たちはいくつかのグループに分かれて各々自由な時間を過ごしていた。

 キリト、アスナ、シリカ、フィリア、俺の年少組は街の中を見て回り、クライン、アルゴを含む年長組は――アルゴは年齢不詳だが、諸々の発言から考えるに俺よりは上のように思う――宿の娯楽室で遊んでいる。どうやら麻雀卓があったらしく、男連中はえらく興奮していた。トウジは今日中に終わらせておきたい作業があるとか何とかで、1人宿の部屋に籠っている。

 俺もひとまず宿でゆっくりしようかと思っていたのだが、下手をするとトウジに仕事を押し付けられそうな気がしたので逃げてきたのだった。

 

 しばらくキョロキョロと辺りを見渡していると、通りの向こう側、行き交うNPCの影に紛れてフィリアとアスナの姿を発見した。向こうもこちらに気付いたようで、人波をかき分けてこちらに駆け寄ってくる。2人の両手には何やら白い包み紙が握られていた。

 

「あっちでクレープ売ってたのよ。はいこれ、シリカの分」

「あ、ありがとうございます!」

 

 フィリアが右手の包みをシリカへと手渡す。包みの中には小麦の生地に赤い果実と生クリームがたっぷりとのせられていた。同じ種類のものを、アスナが俺の前に差し出す。

 

「はい、ハチ君にも。甘いもの大丈夫だったよね?」

「あ、ああ。じゃあ金を」

「別にいいわよこれくらい」

「俺は養われる気はあるが施しを受ける気は――」

「はいはい。早く受け取って。耐久値なくなっちゃうわよ」

「……」

 

 若干俺の主義に反するが、ここで押し問答しても時間の無駄なのは分かっている。結局俺は素直に礼を言って、アスナからそれを受け取ったのだった。

 

「キリト君の分もあるんだけど、どこいったのかな」

「ああ、あいつはちょっと取り込み中だ。そこの的当てでムキになってる。多分しばらく掛かるぞ」

「あー、いつものアレね……」

 

 射的屋を覗き込んだアスナが、呆れたように笑う。キリトのああいった行動は今に始まったことではなく、よく一緒にいる俺やアスナにとってはいつもの光景だ。ああ言う凝り性というか負けず嫌いな部分があいつをこの世界でトッププレイヤーたらしめているのは間違いないのだが、度々無意味だと思えることにもムキになるのが玉に瑕である。付き合わされるこちらの身になれば堪ったものではない。

 しかも今回は景品である限定アクセという付加価値もあるので、いつもよりも長引きそうだ。

 

「じゃあとりあえず私たちだけで見て回ろうか」

「そうだね。えーっと、まだ行ってないのは西側かな。アスナとシリカは何処か行きたいところある?」

 

 そうして和気あいあいと話し始める女子たち。ていうか俺の希望は聞いてくれないんですねフィリアさん。などと思っていた俺の恨みがましい視線に気付いたのか、フィリアは「あ、どうせハチは帰りたいとか言うから却下ね」と口にした。最近風林火山の女子陣の俺に対する扱いが酷い気がするんですけど……。

 

 結局、適当にぶらぶらしながらまだ行っていない場所を回ろうというプランに決定し、キリトに一声かけてからその場を後にすることになった。しかし俺1人で女子たちに交じるのは居心地が悪いどころの話じゃない。これならまだトウジの仕事を手伝った方がマシである。

 ここは若い者に任せてぼっちは退散するとしよう。そう思って口を開きかけた俺だったが、先んじてフィリアがこちらに身を寄せてくる。

 

「ねえ」

「ん、んだよ。つーか近いんだけど……」

「話があるの。アスナのこと」

 

 前を歩くアスナとシリカに聞こえないように、フィリアが声をひそめる。その真剣な表情に俺は若干面を食らって押し黙った。

 

「やっぱりなんか元気ないの。話してても、何処かうわの空っていうか」

「……お前も話は聞いてるだろ。あんだけのことがあったんだ。すぐに元気いっぱいって訳にはいかねぇよ」

「それはそうだけど……。お願い。少しでいいから、ハチも気にかけてあげて」

 

 その提案に俺は渋面を作る。《不吉な日》の一件以来、アスナが本調子ではないことは重々承知している。だが俺が気に掛けたところでどうにかなる問題ではないということも分かっていた。

 

「いや、何で俺? そこは同性の方が色々と都合いいだろ」

「私じゃ駄目なのよ」

 

 フィリアが目を伏せる。眼差しには苦渋の色が満ちていた。

 

「最前線で命を懸けて戦ってきたわけじゃない。ずっと安全なところで戦ってきて、人が死ぬ場面だって見たこともない。そんな私と、今まで最前線で戦い続けてきたアスナとじゃ立場が違いすぎるでしょ」

「それは別に悪いことじゃ……」

「うん。でも、それじゃあきっと深いところまではアスナを理解してあげられない。多分私がどれだけ言葉を重ねても、安っぽくなっちゃう気がするの」

 

 顔を上げたフィリアが、真摯な瞳でこちらを見つめる。その視線に居心地が悪くなった俺は咄嗟に目を逸らしてしまった。

 

「今アスナの力になれるのは、本当の意味で今まで一緒に戦ってきた仲間だけだと思う。それは私じゃなくて――」

「ハチさーん、フィリアさーん! どうしたんですか? 置いてっちゃいますよー?」

 

 フィリアの言葉は最後まで続かなかった。声のする方へと目を向けると、遠くでシリカが手を振っているのが目に入る。いつの間にか随分と離されてしまっていたらしい。

 軽く手を上げてシリカに応える。俺はフィリアとの話を打ち切るつもりで歩調を速めて歩き出した。

 

「行くぞ」

「……うん」

 

 気持ちを切り替えるように、フィリアが声を上げて頷いた。

 

 今まで、俺は俺に出来ると判断したことだけをやってきたつもりだ。

 出来もしないことに手を出して、余計に事態をややこしくするのは愚か者のやることである。無能な働き者ほど厄介な存在はいない。大事なのは分をわきまえることだ。

 その点で言えば、俺は同年代の男子の中では自分を正しく認識している方だろう。いつか隠された力に覚醒するかもしれないと期待していたのは中学の頃までだし、自分には特別な力が宿っているなどと妄想することももうない。

 そこそこ優秀な基本スペック(数学を除く)を持つ、ちょっとぼっちな普通の男の子。それが俺だ。SAOの世界に来て多少の成長はあるものの、根本的なところでは大して変わっていない。人の本質はそう簡単に変わるもんじゃない。

 

 そんな俺が、今のアスナに対して何が出来るのだろうか。繊細な少女の心の機微など、俺にわかるはずもない。それが分かるなら、かつて俺は奉仕部で選択を間違えることもなかったはずだ。

 不用意にアスナの心に踏み込むべきではない。下手をすればかえって傷付けるだけだ。問題はきっと時間が解決してくれるだろう。アスナは強い人間だ。

 

 言い訳がましくそう考えながら、街を歩いた。

 気分を変えるように大きく息を吸う。冷たい空気が肺を満たし、その刺激に少しだけ思考がクリアになる。しかし心に重くのしかかった黒い靄は、いつまでたっても晴れることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁー……極楽だぜぇ……」

 

 肩まで湯船に浸かったクラインが、気の抜けた声を上げる。トレードマークのバンダナを外し、いつもはガチガチに逆立てている髪の毛も今はくたびれたようにしな垂れていた。

 旅館に設けられた露天風呂である。洗い場と併設して大小様々な湯船が並び、雪の積もる大きな庭園を眺めて寛げる作りとなっていた。

 陽も落ちて宿に帰って来た俺たちは、この街へ訪れた一番の目的である温泉に来ていた。現在俺たち以外には人の姿はなく、風林火山の貸切状態である。

 一足先に湯船に浸かるクラインやキリトたちを横目に、俺は洗い場で備え付けのシャンプーを手に取ってガシガシと頭を洗う。ゲーム内ではどれだけ体を洗わなくても臭くなったりすることはないが、まあ気持ちの問題だ。

 

「なんかそれおっさん臭いぞクライン」

「おっさんたぁ何だ! オレはまだピチピチの20代だぞ!」

「ピチピチって……。というか若く見られたいならその髭どうにかした方がいいんじゃないのか?」

「このワイルドさが分からんとは……。キリトはまだまだお子ちゃまだな」

 

 シャワーで泡を洗い流す俺の耳に、そんなキリトたちの会話が届く。俺にもそのワイルドさはよくわからない。あれかな。デニムのベストにデニムの短パンを合わせて、1.5リットルペットボトルコーラの蓋をすぐに捨てちゃう人のことかな。あの人、今はどこにいるんだろうか……。

 その後、体の隅々まで洗い終えた俺は、クラインたちとは離れた小さい湯船へと向かった。人ひとりが入れる大きさの壺のようなものがいくつか並び、その中に湯が沸きだしている。壺湯とでも呼ぶべきだろうか。御1人様専用といった感じで、まさに俺好みだ。その1つに沈み込むと、一気にあふれ出した湯が大きく飛沫を上げた。

 湯加減はちょうどいい。壺の縁に頭を預け、俺は大きく息を吐いた。

 

「お疲れみたいですね。隣いいですか?」

「……別に俺のじゃないし、好きにしろよ」

 

 体勢を変えないまま、いつの間にか近くまでやってきていたトウジにそう答える。ややあって、隣からお湯の溢れる音が響いた。

 

「どうでしたか? 今日1日街を回ってみて」

「なんか本物の温泉街って感じだったぞ。色々遊ぶところもあったし、時間潰すのには困らないだろうな」

「なるほど。情報を纏めておきたいのでまた後で詳しく聞かせて貰えますか?」

「また仕事の話かよ……。お前も少しは休めって」

「あはは。すみません、何かしてないと落ち着かない性分で」

「いやもう性分っつーか病気だろそれ。こっちに移すなよ」

「酷い言われようですね……」

 

 過労というものは病気のように伝染するとよく言われる。隣でめっちゃ仕事してる奴がいると自分も働かなきゃいけないような気がしてくるものなのだ。逆に言えば隣に働いていない奴が居ると働かなくてもいいような気がしてくる。つまり働き過ぎによる病死や自殺が問題視される現代社会においては、俺のように能動的に働かない人材が求められているのかもしれない。違うか。違うな。

 

「ところで、あそこで死んでる奴らはどうしたんだ?」

 

 露天風呂の端、浅い湯船に死屍累々と横たわる風林火山の男たちに視線をやりながら話題を変える。昼間、クラインやアルゴと一緒に宿で麻雀をしていた連中だったはずだ。

 

「アルゴさんに麻雀でボコボコにやられたらしいですよ。コルも賭けていたみたいで」

「ああ……」

 

 アルゴは金が絡む勝負事にはめっぽう強いイメージがある。男どもを鴨にするアルゴの姿が目に浮かぶようだった。クラインは途中からトウジに引っ張られて仕事に付き合わされていたらしく、難を逃れたそうだ。

 ふと、何とはなしにクラインの方へと視線をやる。いつもやかましいくらいに騒いでいるのに、何故か今は妙に静かである。

 クラインは既に湯船から上がっていたようで、素っ裸で石畳の上に仁王立ちし、露天風呂を囲む仕切りの板を見上げていた。寒くないのかあいつ。というか前隠せよ。

 

「向こうが女湯なんだよな……」

 

 クラインの小さな呟きが風に乗って俺の耳まで届いた。ホントぶれない奴だな……と半ば感心しながら俺はため息を吐いた。クラインの近くで湯船に浸かったままのキリトも呆れた表情を浮かべている。

 

「アルゴも言ってたけど、システム的に覗きは出来ないぞ」

「わーってるっての! けどちょっとくらい向こうの声とか聞こえたっていいよなぁ。うら若き乙女たちが今、向こう側でキャッキャウフフしてるワケだろ?」

「……ああ、うん。そうだな」

 

 もう付き合うのも馬鹿らしいと適当に頷くキリト。しかしその態度が気に食わなかったようで、クラインは急に声を荒げながら振り返った。

 

「なんだぁ、その気のない返事はぁ! お前にもあるはずだぞ! 思春期の滾るリビドーが!!」

「いや、リビドーって……」

「正直になれよ! 男同士腹を割って話そうぜ!」

「いやだから俺は……って近い近い! 素っ裸で近づいてくるな!」

 

 迫るクラインに、逃げるキリト。海老名さん大歓喜のそのむさ苦しい絵面に辟易しながら、俺はゆっくりとその場から立ち上がった。

 

「じゃ、俺先に上がるわ」

「あ、はい。じゃあ僕もサウナの方に避難しようかな」

 

 面倒事に巻き込まれる前にこの場からの撤退を決めた俺は、トウジに別れを告げてすぐに風呂から上がる。背後からは助けを求めるキリトの声が響いていたが、俺はそれを振り切るようにして歩いた。キリトは犠牲になったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目にあった……」

 

 俺が脱衣所で涼みながら売店で買ったコーヒー牛乳をチビチビと飲んでいると、背後から疲れた声が耳に届く。振り返ると心なしか目が死んでいるキリトの姿がそこにあった。おい、キャラ被ってんぞ。

 クラインのウザ絡みからなんとか生還を果たした様子のキリトだったが、しかしもう動く気力は残ってないようで、雑に体を拭いた後はタオルを腰に巻いたまま化粧台に突っ伏した。さすがに気の毒になって来たので余分に買っておいたコーヒー牛乳を差し入れしてやる。キリトは礼を言ってそれを受け取ると一気にそれを飲み干し、少し元気を取り戻したようだった。

 

「クラインたちはどうしたんだ?」

「サウナで我慢大会してるよ」

「元気だなあいつら……」

 

 未だ姿の見えないクラインたちが気になって俺が尋ねると、キリトからはそんな言葉が返ってきた。いやゲーム内で我慢大会とか、終わりが見えないんですけど。システム的に水分補給も必要ないし熱中症にかかることもないから、頑張ればそのままサウナの中で暮らすことも可能なはずだ。

 まあ別にあいつらを待つ必要もないし、もう少しここで涼んだら部屋に戻って晩飯までひと眠りするとしよう。ちなみに晩飯は旅館が7時に用意してくれることになっている。ここはそれなりに値段の張る旅館だったので、食事にも期待できそうだった。

 そんなことに想いを馳せる俺の横、ふと目をやると、もう元気を取り戻したらしいキリトが何やらボディビルのようなポージングを決めながら化粧台の鏡を眺めていた。妙に静かだと思ったら、何やってんのこいつ。

 

「……何してんの?」

「あ、いや……」

 

 悪ふざけでもしているのかと思ったが、声を掛けるとキリトは微妙に真剣な表情を浮かべた。予想外の反応に困惑しながらそれを見つめていると、キリトは再び丸椅子へと腰掛けて軽く息を吐く。

 

「自分のアバター見てたら少し考えちゃってさ。現実世界の自分の身体のこと。寝たきりの点滴生活でガリガリになってるんだろうなって」

 

 え、この流れでそんな重い話始めちゃう? と心の中で妙な突っ込みを入れながらも、真面目な顔をしたキリトに茶々を入れるのは憚られた。そして俺もひとまず頭を切り替えることにして、目の前のキリトの身体と自分の身体を見比べる。

 お互い筋肉はあまりついていないが、2人ともそれなりに均衡のとれた健康的な身体だ。ゲーム内では顔以外の箇所についてはそれほど厳密に再現されているわけではないが、まあSAOを始めた当初の自分と比べてもそれほど差があるようには感じない。

 だが、キリトの言う通り現実世界の自分の身体はもうすっかり変わり果てていることだろう。SAOが始まってから2年近くもの時間が経とうとしている。いくら日本の医療が発展していると言っても、それだけの期間寝たきりの状態で体形を維持することは不可能だ。現実世界の自分の姿。それを想像すると、ジワリとした恐怖心が首をもたげる。

 

「そんな状態で身体に負担がかからないはずがない。今は大丈夫だと思っていても、現実の身体には取り返しのつかない後遺症が残ってる可能性だってある。多分、俺たちが思ってるほどこのゲームのタイムリミットは長くない」

 

 俺の抱いた恐怖心を形にするように、キリトが言葉を続ける。アインクラッドで暮らす多くのプレイヤーたちがみな薄々気付きながらも、考えないようにしている事実だった。

 現在の到達層は第70層である。残り30層、順調に進んでも恐らくまだあと1年弱はかかるだろう。終盤になるにつれて難易度が上がっていくことを考えれば、さらに時間がかかる可能性は高い。

 そこまで考えて、しかし俺はその思考を振り払った。

 

「まあ言ってることはわかるけど、そんなこと今さら考えるだけ損だぞ。どうせ俺らのやることは変わんないんだし」

「……だな。ごめん、この世界じゃ普段あんまり鏡なんて見ないし、色々と考えちゃって……あ」

 

 苦笑いを浮かべていたキリトの表情が何かに気付いたように一瞬固まり、それきり黙り込んでしまう。困惑する俺を放置し、たっぷり10秒ほど何か思案する。やがて口を開いたキリトの顔には、若干の興奮が滲み出ていた。

 

「ハチ、ちょっといいこと思いついたかもしれない」


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