やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第41話 急転

「先ほどのこと、本当に助かりました。なんとお礼を言えばいいか……」

 

 木製のテーブルと椅子が並ぶ食堂らしき一室の端、日当たりのよい窓辺の席。向かいに座る黒縁メガネを掛けた暗青色のショートヘアの女性、サーシャさんは俺たちに礼を言うと深々と頭を下げた。

 路地での《軍》とのトラブルから後、子供たちの無事を確認した俺たちは改めてサーシャさんと接触し、この教会に案内されてやって来たのだった。既に道中で何度も感謝の言葉を貰ったのだが、サーシャさんは駄目押しとばかりに再び頭を下げる。

 

「あの、本当に気にしないで下さい。当然のことをしただけなので」

 

 そう言ってむず痒い表情を浮かべるのはアスナだ。大の男たち十数人を相手に大立ち回りを演じるのは当然のことではない気がするが、まあ突っ込むのも野暮だろう。

 しかし、ここまで感謝されると逆に申し訳なくなってくるな。別にお礼や見返りを期待しての行動ではないので、気にしないで欲しい。いや、俺は本当に何もしてないんだけど。

 俺とユイがあの場を一旦離れた後はアスナが1人で《軍》のリーダー格の男を徹底的にボコボコにし、追い払ったそうだ。最近ではあまり言われることはなくなったが、かつての《狂戦士》という二つ名は伊達じゃない。

 

「あ、ごめんなさい。これでは逆に気を遣わせてしまいますね。でも、本当にありがとうございました。それで、本日のご用件ですけど……」

 

 居心地が悪そうにするこちらの表情に気付いたのか、サーシャさんが最後にもう1度だけ礼を言って話を変えた。俺たちは顔を見合わせて頷いた後、ユイに視線をやる。

 

「色々と聞きたいことが増えましたけど、まずはユイちゃんのことを済ませましょう」

 

 そう言ってトウジが場を仕切る。聞きたいことが増えた、とは先ほどの《軍》の非常識な行動のことだろう。《軍》の連中が何か暴走しているのなら、風林火山としても放置しておくわけにはいかない。

 まあ、それもまずは当初の目的を済ませてからだ。トウジの話に異議があるわけもなく、俺たちは黙って続く言葉を待った

 

「ユイちゃんについては事前に連絡させて頂いた通りです。今は一旦風林火山で預かりながら保護者や知り合いを探しているところでして、サーシャさんにもご協力頂けないかとこちらに伺った次第です」

「はい。もちろん、私に出来ることなら最大限協力させて頂きます。ただ……」

 

 サーシャさんは口ごもりながらちらりとユイを見やると、申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「ユイちゃん、ですか……。ごめんなさい、今まで見かけたことはないと思います。少なくとも始まりの街に住んでいた子ではないかと」

「そうですか……」

「ま、この辺に住んでたわけじゃないってわかっただけでも収穫だろ」

「……うん。そうね」

 

 俺のフォローに頷きつつも、アスナの表情は晴れない。いつかは攻略に戻らなければならない俺たちではユイとずっと一緒に居ることは難しいし、内心焦っているのだろう。ここで手掛かりが掴めないとなると、この後の捜査はかなり難しいものになる。

 早く攻略に戻らなければならないという使命感と、せめて保護者が見つかるまではユイと一緒にいてあげたいという気持ちの板挟み。そんな心情を察知したのかどうかはわからないが、隣に座っていたユイが心配そうにアスナの顔を覗き込んだ。話の内容はよくわかっていない様子だったが、心の機微には敏いところがあるようだ。一瞬ハッとした表情を浮かべたアスナはすぐに笑顔を作り直し、「大丈夫よ」と言ってユイの頭を撫でた。

 

 その後はサーシャさんが知っている限りの始まりの街以外に住む子供たちの情報を貰い、今後について話し合った。この教会とはまた別に保護者と共にゲームにログインしている子供たちが集まって暮らしている場所があるらしく――この教会に住んでいるのは多くがゲーム内に保護者の居ない子供たちである――彼らと面識のあるサーシャさんに渡りをつけてもらえることになった。

 

 そうして話を進めるトウジとサーシャさんを横目に、俺はちらりとこの部屋唯一の扉に視線をやった。いつの間にか半開きになっていた扉の向こうから、無数の気配が感じられる。耳を澄ませてみると、ひそひそと囁き合う声が聞こえて来た。

 

「あれが風林火山のハチか……本当に目が腐ってるんだな……」

「隣のきれいな人がせんこうのアスナさん?」

「うん、めちゃくちゃ強かったし間違いないよ。たくさんいた軍の奴らを1人でボコボコにしたんだぜ」

 

 ボリュームを抑えながらも若干興奮した様子で交わされる会話は、おそらく教会に住む子供たちのものである。大事な話があるということで、ここに来る前にサーシャさんが半ば押し込むようにして別の部屋に待機させていたはずだったが、やんちゃ盛りの子供たちが大人しく言うことを聞くはずもない。どうやら部屋を抜け出して扉越しにこちらを伺っているようだ。

 

 ていうか俺、やっぱり目が腐ってるで認知されてるんですね。そのうち腐眼のハチとか呼ばれそう。……あれ? ちょっとカッコイイかもしれない。

 ひとりそんなことを考えていると、扉の向こうがにわかに騒がしくなった。何やら揉めている雰囲気が伝わってくる。

 

「ねえちょっと、見えないんだけど。もっと詰めてよ」

「俺も俺も。俺にも見せてくれよ」

「わっ! ちょっ、押すなって!!」

「うわっ!」

 

 バタン! と音を立てて大きく開かれる扉。そして男女10人近い子供たちが折り重なるようにして部屋の中になだれ込んだ。下敷きにされた最前列の男の子は割と悲惨なことになっているが、まあそこは圏内なので問題ないだろう。

 驚いたサーシャさんが振り返ってその光景を見やると、穏やかだった表情を一変させ、まなじりを吊り上げて子供たちに雷を落とした。

 

「こら! あなたたち! 今はお客様が来てるから向こうで遊んでなさいって言ったでしょ!」

「だ、だって先生……」

「だっても何もありません!」

 

 有無を言わさぬ口調でそう言い放ち、サーシャさんが子供たちの前に立つ。先ほどまでの物腰柔らかな女性の姿はそこになく、防御力下がっちゃうんじゃないのと心配してしまう勢いで子供たちをにらみつけた。鋭い眼光に射竦められた子供たちはもう既に半べそである。

 その豹変ぶりに若干ビビりつつも、きっとこれだけのバイタリティが無ければ大勢の子供たちの面倒なんて見れないんだろうな、と俺は妙なところで納得してしまった。

 それではこれから説教タイムかと思いきや、トウジがそこに横やりを入れる。

 

「まあまあ、サーシャさん。そう怒らなくても」

「ですが……」

「こちらの2人はゲーム内では有名人ですからね。気になっても仕方ないですよ」

 

 そう言って微笑むトウジに、同意するようにうんうんと頷く子供たち。それに毒気を抜かれたのか、サーシャさんはため息を吐いて脱力した。それでもキチっと「ごめんなさい」を言わせてから改めて子供たちを部屋から退室させる辺り、しつけはしっかりとしているようだった。

 

「どうですか、アスナさん。ユイちゃんを連れてあちらで子供たちと遊んで来ては。ユイちゃんも難しい話ばかりでは退屈でしょう」

 

 部屋を出ていく子供たちの背中を見ていたトウジがそう提案する。アスナは少し考える素振りを見せてから、頷いた。

 

「そうね。ユイちゃん、一緒に行きましょう。きっと新しいお友達が出来るわ」

「……うんっ」

 

 俺の方を一瞬ちらりと見やったユイだったが、ややあって頷く。一応サーシャさんの許可も貰い、そうして2人は子供たちの後を追うようにして部屋を出て行った。

 扉が音を立てて閉まると、一気に人口密度が減った部屋の中に静寂が降りる。改めて席に座り直し、俺たちは若干重い表情で顔を向き合わせた。

 

「……で、あの《軍》の連中は何だったんすか?」

 

 俺は単刀直入にそう切り出した。

 ここに来る前の一件。《軍》がカツアゲ紛いの行為を行っていた件である。正直他人のご近所トラブル、しかも金銭絡みの問題になど首を突っ込みたくはなかったが、さすがに放置しておけるほど小さな問題でもない。ユイに関する話はとりあえず一段落ついたので、次はこの件について話を聞くべきだろう。

 とはいえユイの前であまり重々しい話をするのもどうかなーと思っていたところだったので、トウジが上手く外に誘導してくれて助かった。

 サーシャさんもこの件について聞かれることは予想していたのか、悩む素振りもなくすぐに俺の質問に答える。

 

「わかりません……。少し前から、急に徴税だと言って金銭を要求してくるようになったんです」

「徴税、ですか」

「第1層に住んでいるプレイヤーたちからは例外なく請求しているみたいです。自分たちは全プレイヤーのために戦っているのだから、その為にお金を払うのは当然のことだ、というのが彼らの主張だそうです」

 

 淡々としたサーシャさんの説明に、俺とトウジは黙り込んだ。

 徴税とは、大きく出たものだ。確かにゲーム内における行政や司法の分野についてその多くを担ってきた《軍》はアインクラッドの自治政府のようなものだと言えなくもない。だが実際のところ彼らはゲーム内においてそれほど強い権力を持つわけでもなく、あくまで暫定的に、騙し騙しその役割を担ってきたに過ぎなかった。その上、先日の《不吉な日》によって《軍》はその力を大きく落としたばかりだ。或いはその傷を癒すための方針とも考えられるが、どうにも腑に落ちない。

 

「《軍》の方にはお世話になったこともあるので、本当にお金に困っているなら協力したい気持ちはあるのですが……どうにも妙な気がして」

「妙というのは?」

 

 トウジが話を促す。サーシャさんは言葉を選ぶように少し考えてからゆっくりと語りだした。

 

「今までも《軍》の中には一部横柄な振る舞いをする人たちは居ました。でも組織としての規則や規律みたいな根っこの部分ではしっかりしていた気がするんです。だから始まりの街に住む多くのプレイヤーたちも、これまで大人しく《軍》の方針に従っていたんだと思います。でも、今回の徴税の件に関しては不明瞭で筋の通らないことが多くて」

 

 サーシャさんの持つ《軍》に対しての印象は的を射ていると言っていいだろう。一時期は専横な態度をとるプレイヤーの多かった《軍》だが、雪ノ下が幹部に就任してからは相当締め上げたらしく、今ではそれほど悪い噂を聞くことはなくなっていた。

 だがどこかでそのたがが外れてしまったのか、サーシャさんが語る《軍》の現状はあまりいいものとは言えないようだった。

 

「徴税の対象者や金額は曖昧だし、納付のための書類や証明書も一切なし。集めたお金を何に使うつもりなのかの説明もなく、事前の通告もなしにいきなり押しかけて来たかと思えば、金を払えの一点張りでした。私にはどうしてもこれが《軍》の組織全体としての方針には思えなくて」

 

 サーシャさんの言葉に、俺とトウジは同意するように相槌を打った。《軍》のギルドマスターであるシンカーやその補佐をしている雪ノ下という人物を知っている俺たちからすれば、今回の徴税について彼らが主動しているとは考えられない。

 

「だから差し当たって徴税の件はお断りしていたんです。もしこれが《軍》の中の一部のプレイヤーの暴走だとしたら、そのうち治まるだろうと。でも、そうしたら今日こんなことになってしまって……」

「なるほど。状況は把握しました」

 

 話に聞き入っていたトウジが、そう言って顔を上げた。次いでサーシャさんを安心させるように笑みを作る。

 

「サーシャさんの判断は間違っていなかったと思います。僕も《軍》幹部の方々とは面識がありますが、そんな無茶苦茶な要求をするような人たちではありませんし、今回のことは一部のプレイヤーたちの暴走と見ていいでしょう。その辺りは僕が探りを入れてみます」

 

 トウジは顎に手を当てて、何か考えるように視線を彷徨わせた。しかしそれも一瞬のことで、すぐにサーシャさんへと視線を戻す。

 

「《軍》幹部の方々に話が通りさえすればこの件はすぐに落ち着くと思いますが……その間の一時的措置として、風林火山から何人かここに護衛を付けさせます。命の危険はないとはいえ、今日のようなことが続いては子供たちの情操教育に良くないでしょう。子供たちにはしばらく外に出ないように言って頂いて、《軍》への対応はこちらに任せてください」

 

 果断即決、とばかりにトウジが提案する。その判断は至極妥当なものだろう。うちは《軍》の中枢とは太いパイプがあるし、トウジの言う通りシンカーや雪ノ下に話を付ければおそらくすぐに解決する問題だ。

 サーシャさんにとっても悪い話ではないはずだが、急な話で頭が追いついていないのか、彼女は少し目を見開いた状態で固まり、ややあって気おくれしたように頷いた。

 

「あ、はい。すみません、何から何まで……」

「いえ、むしろこういうことでもないと僕らは役に立てないですから。サーシャさんこそ1人で子供たちの面倒を見るのは大変でしょう。何かあればいつでも声を掛けてください」

「お気遣いありがとうございます。でも、好きでやってることですから」

 

 そうしてサーシャさんは硬い表情を崩し、笑顔を作った。

 しかし、さすがは今まで実質的に風林火山というギルドを中心で支えてきたトウジさんだ。俺が口を挟むまでもなくポンポンと話が決まっていく。楽で助かるけどちょっと自分の存在意義について考えてしまうのでほどほどにして欲しいと思わないこともない。

 そうして若干置いてけぼりになっていた俺は黙ってその場の趨勢を見守っていたのだが、唐突にトウジはくるりと首を巡らせてこちらに目を向けた。

 

「と、いう訳でハチさん。僕は早速《軍》とコンタクトを取ってみます。ハチさんはアスナさんとユイちゃんと一緒にここに残ってもらっていいですか」

「護衛ってことか?」

「そうです。ユイちゃんのことはすぐには動けませんし、まずはこっちを何とかしましょう。お2人が居ればとりあえずの護衛としては十分……というかお釣りが来ますし。《軍》が来た時の対応はお任せします。一応また後から交代要員も呼ぶので、その後の指示はまたその時に」

「……わかった」

 

 少し考えつつも、結局俺はトウジの指示に二つ返事で頷いた。一応トウジは俺のギルドでの上司に当たるわけで、真面目な場面での指示は断れないし断る必要もなかった。こういうトラブルはさっさと解決してしまって欲しいところだ。

 

 ここからなら直接行った方が早いということで、トウジはその後すぐに《軍》のギルドホームへと出かけて行った。俺はトウジの指示に従い、やんちゃ盛りの子供たちにおもちゃにされながら、護衛役としてアスナとともに教会に残ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事態が急変したのは、トウジが出かけて行ってから数時間後のことだった。

 

 当初危惧していた《軍》の連中が教会へと押しかけてくるようなことはなく、大勢の子供たちを相手にするのが想像以上に大変だったことを除けば特に問題は起こらなかった。日も傾き、夕方になって何者かが訪ねて来た時には少し警戒もしたが、ノックの後に続いた声はトウジのもので、すぐに警戒を解いて招き入れた。

 

 帰ってきたトウジの隣には1人のプレイヤーの姿があった。銀色の長髪をポニーテールに束ねた、長身の女性。確か《軍》のギルドマスターであるシンカーの側近、ユリエールというプレイヤーだったはずだ。個人的に話をしたことはないが、雪ノ下と同様、度々うちのギルドホームにも訪れていたので、それなりの頻度で顔は合わせていた。

 

 しかし何故、今そのユリエールがトウジと一緒にいるのか。そんな疑問を口にしようとして、俺は途中で言葉を飲み込んだ。妙に憔悴したユリエールの様子とトウジの固い表情が、緊急事態であるということを物語っていた。

 それを察してか、サーシャさんは子供たちと共に別室へと籠っている。教会のエントランスではトウジとユリエールの他、俺とアスナとアスナにべったりとくっ付いたユイが顔を合わせていた。

 

「まずいことになりました」

 

 開口一番、トウジが言った。口元に添えられた手は小さく震えていて、俺は珍しく彼が取り乱していることに気付いた。

 

「《軍》内部で、キバオウがクーデターを起こしたようなんです」

「……は?」

 

 トウジの言葉に、俺は呆けた声を返した。

 キバオウが、クーデター? クーデターとは、つまり武力による権力の奪取だ。誰から? 《軍》内部で強い権力を有していたのは、俺の知る限りでは3人。ギルドマスターであるシンカーと、その側近であるユリエール。そして、もう1人は――。

 

 纏まらない頭でそこまで考えて、はっとした。まさか、とシステムウインドウを開く。震える手でそれを操作し、フレンドリストを表示した。

 俺のフレンドはそう多くない。だから、探している名前はすぐに見つかった。濃い黒字で書かれた《Yukino》の文字。雪ノ下雪乃のプレイヤーネームは、その生存を主張するようにちゃんとそこに存在していた。

 

 死んだプレイヤーの名前は、フレンドリストでは灰色に表示される。つまり、現時点で雪ノ下はちゃんと生きているということだ。

 その事実に、俺は大きく息を吐いて安堵した。だがそれも束の間、フレンドリストに記された雪ノ下の現在の位置情報が視界に入り、自分の目を疑った。

 

 ――第1層 虚ろの九天 深き場所

 

「これは……ダンジョンの中にいるのか?」

「はい。そのようです」

 

 誰ともなしに呟いた俺に、トウジが頷いて返した。

 

「シンカーさんもユキノさんも今のところは無事です。ただ、状況はよくありません」

「……どういうことだ。説明を――」

「キバオウがっ……!」

 

 俺の言葉を遮って、ユリエールが声を荒げた。強く握られた拳は見ているこちらが痛々しいほどで、今にも泣き出しそうな表情で言葉を続ける。

 

「キバオウが、2人を回廊結晶でどこかのダンジョンへと飛ばしてしまったんです! 私には、何も出来なかった……! このままでは、2人が……」

 

 不意に顔を上げたかと思うと、ユリエールは涙を湛えた瞳で俺を見つめた。次いでその場に膝を付いて懇願する。

 

「お願いします……。シンカーとユキノさんを助けて下さいッ……。お願いします……!」

「ユ、ユリエールさん、落ち着いてください」

 

 もはや嗚咽を堪えきれずに泣き崩れてしまったユリエールを、トウジが支える。突然の事態に俺も先ほどまで内心かなり動揺していたが、自分以上に取り乱すユリエールの姿を見て、逆に冷静さを取り戻していた。

 事態はおそらく急を要する。だが、まずは状況を把握しなくてはならない。

 

「何があったのか、知ってることを全部話してくれ」

「……はい」

 

 ユリエールを宥める様に肩を抱いたまま、トウジは固い表情で頷いた。

 それから、トウジは順を追って説明してくれた。

 

「《第25層事件》以降、キバオウの《軍》内部での力が弱くなっていたのはご存知の通りだと思います。それでも一部の実戦部隊の顧問についたり、この間まではそれなりの立場に居たようですが……先日の《不吉な日》での失態が、とどめになったみたいです」

 

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の内通者にキバオウがそそのかされ、《軍》の部隊が壊滅に陥った第25層事件。それ以降、キバオウの動静は大人しいものだったが、先日の《不吉な日》では久しぶりに動きがあった。自分の肝入りの部隊のプレイヤーを強引に防衛部隊へと捻じ込み、あまつさえその編成に口を出してきたのだ。

 直属の部隊に防衛戦で手柄を立てさせることによって、ギルド内での自分の立場を取り戻そうとしたのだろう。だが実際には先走った《軍》のプレイヤーたちの暴走、および笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党による襲撃によって部隊は壊滅し、立場を取り戻すどころの話ではなくなってしまった。キバオウ直属の部隊に笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の残党たちが多く潜り込んでいた件についても責任を追及されていたようだった。

 

「ギルド内に派閥を作り、度々対立を煽るキバオウというプレイヤーは、正直私たちにとって厄介な存在でした。今回のことの責任を取らせ、もう少しで奴をギルドから放逐出来るというところまで行ったのですが……」

 

 少し落ち着きを取り戻したユリエールが、トウジの説明を継いだ。声は震えていたが、それでもつかえることなく言葉を紡ぐ。

 

「4日前、追い詰められたキバオウは、私たちを罠にかけるという強硬策に出ました。出口をダンジョンの奥深くに設定した回廊結晶を使って、シンカーと、その時一緒にいたユキノさんを転移させてしまったんです。その時シンカーは、キバオウの『お互い丸腰で話をしよう』という言葉を信じたせいで非武装で……。ユキノさんについてはほとんど戦闘の経験もありませんし、とても2人でダンジョンの最深部から脱出できるような状態ではありませんでした。2人とも転移結晶も持っていなかったようで……」

 

 知らず、俺は拳を強く握りしめていた。

 雪ノ下はナーヴギアとの接続不良の影響で物との距離感が掴み辛く、それはこの世界での戦闘に耐えられるような環境ではない。生産系スキルの使用やクエストのクリア報酬によってそれなりにプレイヤーレベルは上がっていると本人から聞いているが、気休めにもならないだろう。シンカーの戦闘力に関しては未知数だが、非武装状態ではやはり期待できない。

 

 ダンジョンの奥深くに閉じ込められたシンカーと雪ノ下。《虚ろの九天》というダンジョンに聞き覚えはないが、わざわざポータルPKに利用するような場所だ。それなりにレベルが高い場所だろう。つまり、もし2人がモンスターと遭遇してしまえば命はない。

 ポリゴンとなって砕け散る雪ノ下の姿が頭を過り、俺は胸を掻き毟って叫びだしたい衝動にかられた。しかし、今はそれを腹の奥深くに沈め込む。

 

「この4日間、私もギルドホームの一室に軟禁されていました。それでも何とか今日、隙を突いて抜け出しまして……」

「そこで、僕と会ったというわけです」

 

 2人の救出を阻むために、キバオウはユリエールを軟禁したのだろう。奴は本気でシンカーと雪ノ下を殺そうとしている。それでも事件から4日もの時間が経過し、まだ2人が生きているのは幸運だと言えた。

 まだ、手遅れではない。まだ、助けられる。

 俺は自分にそう言い聞かせ、腹の中で渦巻く衝動を何とか押さえつけた。

 

「状況は大体理解してもらえたと思います。僕たち風林火山としては、ユリエールさんからの依頼を受けて、これから2人の救助を試みるつもりです。ハチさん、アスナさん、協力してもらえますか?」

「ああ」

「ええ」

 

 トウジの問いかけから間を置かず、俺とアスナの返事が重なった。しかし返した答えは同じでも、その内に抱えるものは大きく違う。アスナはきっとその強い正義感や狭義心から。対する俺が抱えるのは、もっと個人的な感情だった。

 こんなところで、雪ノ下を死なせるわけにはいかない。奉仕部のことも、由比ヶ浜とのことも、何もまだ前に進めてはいないのだ。

 

 その後、俺たちはすぐに今後の詳しい方針を話し合った。ユイの身元捜索はしばらく保留となってしまうが、この状況では仕方がないと割り切るしかない。シンカーと雪ノ下の救出は一刻を争う。

 今は1秒の時間さえ惜しい。手早く戦闘用の装備に着替えた俺は、槍を片手に駆けるようにして教会を後にした。


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