やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

43 / 62
 今回の話の中で、SAOのゲームシステムの一部を改変しております。
 原作ではユリエールがフレンドのマップ追跡機能を使ってダンジョン内に居るシンカーの下に辿り着きましたが、この作品内では『ダンジョン内ではマップ追跡機能は使用できない』としています。ご了承下さい。


第42話 激情

 SAOにおいてエリア区分はまず犯罪防止コードの有効圏内と圏外の2つに分けられ、さらに圏外は大雑把にフィールド、ダンジョン、迷宮区の3つに分類される。

 モンスターが出現する草原や森林などを総称してフィールドと呼び、対して固有の名前が付けられた地下や塔などある程度閉じられた空間のことを――例外も多いが――ダンジョンと呼んでいる。迷宮区もダンジョンに近いものがあるが、アインクラッドの層と層を繋ぐ無骨な円柱の中のエリアは、次の層へと到達するためには必ず攻略しなければならないエリアとして明確に区別されていた。

 

 そんな3つのエリアだが、プレイヤーによってただ便宜上そう分類されているというわけではなく、ゲームシステム的にもそれぞれの特徴、傾向を持っている。細かいことを上げて行けばきりがないが、そのうち押さえておくべき要点は主に2つだ。

 1つは、基本的にダンジョンや迷宮区内に出現するモンスターはフィールドのものより強力であるということ。もう1つは、ダンジョンや迷宮区に入ると、フィールドや街の中で使用出来る一部のシステムメニューに制限が掛かることである。

 

 今、重要なのは後者。ダンジョン内で使用できなくなるシステムメニューの中には、フレンドシステムのマップ追跡機能、メッセージ機能、ギルド共有ストレージの使用などが含まれる。つまり今回シンカーと雪ノ下の救出に当たって、俺たちには2人の詳細な位置情報は分からないし、メッセージによって連絡を取ることも不可能、《軍》のギルド共有ストレージを使って転移結晶などのアイテムを送ることも出来ないということだった。

 

 現時点で俺たちが持っている情報は、第1層のどこかに存在する《虚ろの九天》というダンジョンの《深き場所》というポイントで2人が身動きが取れなくなっているということだけだ。虚ろの九天という名前に覚えのなかった俺たちは、まずは第1層を駆け回って情報を集めることになった。

 

 プレイヤー向けのガイドブックを作成しているという関係上、風林火山にはゲーム攻略に関する多くの情報が集まる。しかし虚ろの九天というダンジョンは、もはやフロアの隅々まで探索され尽くされたはずの第1層に存在するにも関わらず、俺たち風林火山にさえ認知されていないというダンジョンだった。ほぼ間違いなく、最近解放されたエクストラダンジョンだろう。一応アルゴにも確認を取ったが、彼女も何も知らないようだった。

 

 サーシャさんと子供たちの住む教会の一室を一時的に救出作戦本部として借り受けた俺たちは、すぐに風林火山に所属するほぼ全てのメンバーを招集し、虚ろの九天を探す班とキバオウを探す班の2つに分かれた。キバオウを探すのは、奴から情報を得るためである。虚ろの九天を直接探し出すか、或いはキバオウを見つけて情報を吐かせることが、俺たちの前に立つ第一の課題だった。

 

 直接虚ろの九天を探す班を希望した俺は、第1層北部に広がる山地を1人で駆けずり回った。今さら第1層で警戒するものなど何もなく、パーティを組んで行動する必要もない。それぞれ事前に割り振られた地域を手分けして探索、村などがあった場合には情報収集を行い、それをトウジへと逐一報告することを繰り返した。迂遠な方法にも思えるが、現状他にやりようがなかった。

 

 第1層は、広い。アインクラッドは上層に行くほど先細ってゆく構造をしているため、当然のことながら第1層が最も広大な面積を持つ。ほぼ真円を描くフロアの直径は10キロメートル、面積は約80平方キロメートルにも及んだ。

 風林火山の総力を以ってしても、その全域を捜索するには数日掛かり、下手をすれば1週間以上もの時間が必要になる。そんな当初の予定より探索自体は順調に進んだが、それらしきダンジョンを見つけることは出来なかった。

 

 1日、2日、俺は夜を徹して探索を続けた。何の成果も得られず、焦りだけが募る。数時間おきにフレンド欄で雪ノ下の生存を確認する作業が、ひどく恐ろしく感じた。

 

 ――死なないでね。

 

 いつか、雪ノ下に言われた言葉。

 違う、そうじゃない。俺のことなど、どうでも良いのだ。雪ノ下こそ、絶対に死んではならない人間だった。

 

 歯を食いしばって、駆け続けた。不安と苛立ちをぶつけるように、次々と遭遇するモブを蹴散らす。そうして、さらに2日の時が過ぎていった。

 

 

 

「――このエリアは、全部調べた。それらしいもんは何もなかった」

「そうか……」

 

 俺の報告に暗い表情で頷いたクラインが、マップにチェックを入れる。マップに記されたほとんどのエリアは濃い藍色で塗りつぶされ、わずかに薄緑色で残されているのは中央に近い沼地エリアだけだった。

 第1層北西部に位置する圏外村。宿屋に併設された食事処でテーブルを囲みながら、俺とクラインとキリトの3人は顔を合わせていた。

 しばらく無言でマップを睨んでいたクラインが、低く唸る。

 

「こんだけ探して見つからねえなんて、なんか見落としてんのか? 入るのに特別な条件が必要なダンジョンだったりしたら……」

「それなら何処かで情報が拾えないとおかしい。ノーヒントで入場条件も厳しいダンジョンなんてゲームとして破綻してる」

 

 クラインの懸念に、キリトが冷静に返した。キリトの言うことはもっともである。元から存在を知っていないとたどり着けないようなダンジョンなど、ゲームとしては完全に欠陥品だ。認めるのは業腹だが、SAOはその辺りのゲームバランスは良心的である。

 アルゴにも頼んで第1層で情報を集めているが、まだそれらしき報告はない。特殊な入場条件があるダンジョンならば、逆に情報は集まりやすいはずだった。

 まあ、まだ完全に行き詰ったわけではない。そう思いながら、俺は席を立つ。

 

「まだ探してないエリアも残ってるだろ。とりあえず俺はそっちに回るから、トウジへの報告は頼んでいいか」

「ああ。それは構わないけど……」

 

 答えるキリトに礼を言って、俺はすぐにその場を後にしようとした。しかし、足を踏み出した瞬間、視界が明滅する。一瞬不快な浮遊感が体を支配し、次いでぐらりと地面が揺れた。

 

「お、おいっ!? ハチ!?」

「……わり。ちょっと躓いた」

 

 気付くと、クラインに支えられるようにして立っていた。すぐに足に力を込めて、身を離す。気合いを入れ直すようにその場で大きく息をつくと、真剣な表情でこちらを見つめるクラインと目が合った。

 

「ハチ。おめえ、最後に寝たのいつだ?」

「……休憩は取ってる。大丈夫だ」

「大丈夫なわけあるか! 足元フラフラじゃねえか!」

 

 言って、クラインは眉間の皺を深くした。すぐにそこから目を逸らしたが、隣のキリトも険しい顔でこちらを見ていることに気付き、俺は苛立ちを込めて再び息をついて顔を伏せた。

 確かに、しばらく睡眠をとっていなかった。だが、それが何だというのだ。今何よりも優先すべきは、雪ノ下とシンカーを見つけ出すことだった。自分のことは、後でいい。

 しかしそんな俺を否定するように、クラインは待ったを掛ける。

 

「おめえが倒れたんじゃ元も子もねえだろ。今は一旦休め」

「……だから、大丈夫だって言ってんだろ」

「ハチ、ギルマス命令だ。休め」

「うるせえなっ! 関係ねえだろッ!!」

 

 伸ばされたクラインの手を払いのけながら、叫んでいた。苛立ちが全身に溢れ、かっと体が熱くなる。しかし、癇癪を起した俺に全く臆することなく、クラインは真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 

「関係ある。仲間だからな」

「な――」

 

 そんな一言に、圧倒されてしまった。馬鹿みたいにポカンと口を開けたまま、数秒間沈黙する。ややあって、急速に頭が冷めていった俺は大きく脱力して額に手をやった。体に充満していた苛立ちはいつの間にか霧散し、代わりに罪悪感が立ち込める。

 俺は今、きっと酷いことを言ってしまった。俺とこいつらが、関係ないはずがない。

 

「……悪い。八つ当たりだった」

「わかってるっつーの。おめえが性根の曲がりまくった捻デレちゃんだってことはな」

 

 妙に懐かしいと思える造語を耳にして、俺は苦笑いを浮かべた。いや、「捻デレ」って共通語じゃないよな? などと馬鹿なことを考える。

 

「おめえがユキノさんのことをすげえ心配してんのはわかってる。けど、そのままじゃ助けに行く途中でダウンしちまうぞ。どうせダンジョンが見つかったら、自分で中に入るつもりなんだろ? だったら、ここはオレたちに任せて、1度ちゃんと休んどけ」

「……わかった」

 

 今度は素直に頷いた。冷静に考えれば、休息は必要だ。このまま自滅してしまっては、助けられるものも助けられない。

 幸い、宿屋はすぐそこである。そこで仮眠を取り、再び探索を開始しよう。冷静になった頭でそう考えた。

 キリトとクラインにそう告げると、2人は安堵の笑みを浮かべた。かなり気を遣わせてしまっていたようだ。

 そうして2人と別れて宿屋へと向かおうとした時だった。ピコン、と機械的な音がその場に響いた。

 

「ん? トウジからメッセージか」

 

 呟くキリトと同様に、俺とクラインもシステムウインドウを開く。どうやら一斉送信のメッセージのようだ。手早くそれをタップし、メッセージを開封する。

 恐らく、相当急いで打ったのだろう。いつもの丁寧なトウジの言葉はそこになく、簡潔な一文だけがそこに記されていた。

 

 ――キバオウ発見。始まりの街南部。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐに転移結晶で始まりの街へと飛んだ俺は、転移門広場に着いたことを確認すると同時に駆け出した。数人、おそらくキリトとクラインの2人が後ろから俺を追ってくる気配があったが、今は待っていられるような余裕はなかった。

 前方に注意しながら、システムウインドウを開く。トウジの位置情報が始まりの街南部となっていた。おそらく、キバオウはそこにいる。

 手早くマップ追跡機能を起動し、トウジを対象に選択した。それが正常に作動したことを確認して、俺はさらに足を速める。《軍》の影響で街にプレイヤーの姿が少ないことは幸いだった。閑散とした大通りを、全力疾走で駆け抜けた。

 

 始まりの街もかなりの広さがあり、トウジの座標まではそれなりに距離があったが、今の俺のステータスで思い切り走ればそれほどの時間は掛らない。5分もしないうちに、目的の場所に到着した。

 

「シンカーさんたちをどこにやったのかと聞いているんです!」

 

 遠目にプレイヤーの集団を確認した時、耳に届いたのはトウジの声だった。鈍色の鎧を纏った《軍》のプレイヤーたちと、風林火山の赤揃えの鎧を纏ったプレイヤーたちが、険悪な雰囲気で対峙している。その中で1人だけ私服風のトウジは弱々しく見えたが、毅然とした態度でキバオウを睨み付けていた。

 

「せやから知らん言うとるやろ! いちゃもんも大概にせいや!!」

「しらばっくれないでください! 確かにユリエールさんが……」

「やかましいわ! 知らんゆうたら知らん!!」

 

 声を荒げるトウジに負けじとその場でがなり立てるのは、トゲトゲとした奇抜な髪型の男。その姿を見紛うはずはない。雪ノ下とシンカーを罠に嵌めた張本人、キバオウだった。

 その姿に目を留めた瞬間、腹の底に抑え続けてきた黒い感情がゆっくりと湧き上がってくる。

 

「だいたい、あん2人がどうなったところでジブンらに何か関係あるんかいな。うちのギルドの問題に他所モンが首突っ込むんやないで!」

 

 ふてぶてしく言い放ったキバオウが、話は終わりとばかりにその場を立ち去ろうとした。しかしその瞬間、駆け付けた俺と正面から鉢合わせる。

 一瞬驚いた表情を浮かべたキバオウだったが、それはすぐに厭らしい笑みへと変わった。

 

 ああ、この顔は良く知っている。他者を貶めることに喜びを覚え、そのことになんの違和感も抱かない下衆の笑みだ。

 俺と雪ノ下の関係を、ある程度知っているのかもしれない。彼女の命を握っているキバオウは、俺に対し優位に立っていると思っているのだろう。

 

 そこに、かつて攻略組で部隊を率いて戦っていたキバオウの面影はもうなかった。我が強く、度々他のプレイヤーと衝突を繰り返していても、あの頃のキバオウは全プレイヤーのためにと大義を掲げて戦っていた。

 時間が、キバオウを変えてしまったのだ。そのことに俺は却って安堵した。これなら、遠慮はいらないだろう。

 

「あん? なにガン付けとんじゃワレ。なんか文句あるん――がッ!?」

 

 チンピラのようにこちらを睨み付けてきたキバオウの鼻っ面に、ソードスキルを放った。青く澄んだ槍の柄が、キバオウを大きく吹き飛ばす。これで、こいつを殴るのは2回目か。頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は無限槍を発動してさらに追撃を掛けた。

 都合6回、俺の槍を食らって大きくかち上げられたキバオウが、宙に浮いたまま路地の壁に叩き付けられる。そのまま壁に縫いとめるように、俺は槍の石突でキバオウの首を押さえつけた。

 

 足をばたつかせながら、キバオウがくぐもった声を上げる。槍を押しのけて必死に逃れようとしたが、圏内ではソードスキルでも使わなければ他人に大した干渉はできない。この状態ではもはや自力で動くことは叶わないだろう。

 少し遅れてキバオウの取り巻きたちが色めきだち、剣を抜いたが、それを遮るようにして風林火山のプレイヤーたちが前に立つ。その中にはキリトやクラインに加え、いつの間にか合流していたらしいアスナの姿もあった。

 

 これなら邪魔は入らない。そう判断し、改めてキバオウに視線をやった。

 意外なことに、頭は冴えていた。怒りはあったが、決して感情に任せてキバオウを打ちのめしたわけではない。あくまで、こちらの目的は情報を引き出すことだった。

 キバオウは首にあてがわれた槍に手をやって苦し気に顔を歪めていたが、実際に苦痛を感じているわけではないはずだ。どれだけ首を圧迫しようと、ゲーム内ならば会話は出来るはずだった。

 

「ユキノとシンカーをどこにやった?」

 

 今さら前置きなど不要だろう。単刀直入にそう聞いたが、やはり素直に答えるつもりはないようで、キバオウは反抗的な瞳でこちらを睨み付けた。

 

「ワレ、こんなことしてただで済むと……」

「質問に答えろ。ユキノとシンカーをどこにやった?」

「だ、だから知らんゆうて……」

「キバオウ」

 

 要領を得ないやり取りに、抑えきれない苛立ちが沸々と湧いてくる。俺はキバオウの言葉を遮って、口にした。

 

「前に1度、警告したな。今度余計なことをしたら、お前を殺すって」

 

 あれは第1層フロアボス戦後のこと。最早1年半以上も前のことだったが、キバオウも覚えていたのだろう。目が合った瞬間、その瞳が恐怖に揺れるのが分かった。

 

「ああ、安心しろ。あれは本気じゃない。ただ脅すだけのつもりだった。――でもな、今度は違うぞ」

 

 槍を握る手に、自然と力が込もった。抑えつけていた憎悪が、腹の底から顔を覗かせる。もはや取り繕うこともなく、俺は感情のままに声を荒げた。

 

「あいつに何かあったら、お前を殺す……! どこに隠れても、必ず見つけ出して殺してやるッ……!」

 

 低く震える俺の言葉は、静まりかえった始まりの街に響いた気がした。

 これ程までに、誰かを殺してやりたいと思ったことはない。このまま雪ノ下が帰らなければ、きっと俺はその衝動に抗えないだろう。例え無益な行いだとしても、キバオウを許すことなど出来るはずもなかった。

 

 俺の言葉がはったりではないということが伝わったのだろう。先ほどまでの反抗的な眼差しは何処かに行ってしまい、キバオウの表情には深い怯懦の色が満ちていた。そこにはもう抵抗の意志など微塵も感じられない。

 そこで槍を収め、俺はキバオウを開放する。キバオウは足腰が砕けてしまったようにその場にへたり込み、体を震わせていた。

 小さく息を吐き、昂ぶっていた感情を静めてキバオウを見下ろす。

 

「もう1度、よく考えて答えろキバオウ。ユキノとシンカーをどこにやった?」

 

 数秒の沈黙が場を支配する。やがて、キバオウはしわがれた声で口を開いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハチという人間があれほどまでに感情的になった姿を、アスナは初めて目にした。

 

 常に本当のところでは自分の気持ちを表に出さない人だった。他人の領域に踏み込むことも滅多になければ、こちらから近づこうとしても離れて行ってしまう。まるで警戒心の強い猫のようだと、何度か思ったものだった。傍から見れば誰かのためだと思える行動も、自分のためだと嘯いて、いつも自己責任で自己完結しようとしてしまう。そんな、捻くれた男の人だった。

 

 だから、キバオウを相手に怒りを露わにする彼を見て、アスナは驚いた。強い自意識の壁を越えて、初めて目の当たりにした彼の激情。そこに、まだ自分の知らないハチという人間の一面を見た気がした。

 

 きっとユキノという女性の存在が、彼を焚きつけるのだろう。それに気付いた時、アスナの心は大きく波打った。それは、ユキノに対する暗い感情。そして、そんな感情を覚えてしまった自分自身に対する戸惑いだった。

 

 ――いずれ身をもって気付く時が来る。綺麗なままじゃ人を愛せないってことに。

 

 頭に響いたのは、いつの日かグリムロックと言う男が口にした言葉だった。愛ゆえにと口ずさみながら、自分の妻の死を望んだ男。

 自分と彼は違う。そう思いながらも、しかしアスナはその中に1つの答えを得てしまった。

 

 ああ、そうか。自分はきっと、ハチ君のことが――。

 

「アスナ? 大丈夫か? ぼーっとして」

 

 思索に耽っていたアスナを、キリトの声が現実に引き戻した。

 キバオウとの対峙を終えて、まだそれほど経っていない。キバオウの情報をもとに、これからシンカーとユキノが閉じ込められたダンジョンへと向かうところだった。

 

「ううん、大丈夫。ちょっとさっきのこと考えてたの。あんなに怒るハチ君、初めて見たなって思って」

「だな。それだけユキノさんのことが大事ってことかな。本人は絶対認めないだろうけど」

「……そうね」

 

 ズキンとした胸の痛みを覚えながら、頷く。ユキノに対して抱いた暗い感情は、もはや否定しようもなくアスナの中に存在していた。それを自覚しながらも、しかしアスナの強い自尊心は、そんな感情に身を任せることを是とはしなかった。

 

「絶対、助けましょう」

 

 自分の決意を表明するように、アスナは強い口調で言った。個人的な感情と、今回の事件は別物だ。自分の心と向き合うのは、全てが終わってからでいい。

 隣に立つキリトが、アスナの言葉に力強く頷いた。そうしてアスナはキリトとともに歩調を速め、先を行くハチの背中を追ったのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。