やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第49話 偽物

「さてと……この部屋か」

 

 周囲を見回しながら、独り言ちた。

 薄暗い、石造りの古代遺跡風の部屋だった。第75層、迷宮区のセーフティゾーンである。ボス部屋の少し手前にある大部屋であり、恐らくボス攻略に当たっては攻略組のレイドが事前に訪れるであろうポイントだ。

 この場所で、俺、比企谷八幡はヒースクリフに挑むつもりである。今日ここに訪れたのはその下見だった。

 

「えーっと……あっちから来るとして、この辺で仕掛けて、俺とあいつの立ち位置がこの辺だろうから……こっちか」

 

 1人で長いこと探索していると、どうにも独り言が多くなる。ここ数日は誰とも顔を合わせずソロで迷宮区をうろちょろしていたので、思考が完全におひとり様モードになっていた。まあやばいレベルになるとモブ相手に天気の話をし始めたりするので、まだまだ正常な域である(当社比)

 

「この辺でいいか。登録(エンター)

 

 唱えると、右手に持っていた回廊結晶が一瞬強い光を放ち、黄色いクリスタルの中央に赤い光が灯った。地点登録が完了した証である。これを使って、キリトはヒースクリフへと奇襲をかける手筈である。

 

「いよいよだな……」

 

 興奮を滲ませながら、呟いた。

 とうとう、ここまで来たのだ。あと数日の内にボス攻略会議が開かれ、攻略組はここに訪れるだろう。第75層フロアボス攻略直前のタイミング、そこで俺はヒースクリフに――いや、茅場晶彦に挑む。このゲームのクリアを賭けて。

 命懸けで駆け抜けてきたこの2年間。月並みな感想だが、長いようで短かったように思う。そんなことを感慨深く考えると自然とアインクラッドで過ごした2年間の記憶が頭を過ったが、俺は強引にそれを振り払った。今はまだ思い出に浸るような時間はない。そんなものは、全てが終わってからで十分だ。

 

 回廊結晶をストレージに仕舞った俺は、息を大きく吐き、背負っていた槍を手に取った。

 ひんやりとした柄の感触。手に馴染む重み。それをどこか心地よく感じながら、俺は青く澄んだ切っ先を虚空へと向けて構える。

 これから相対するのは、かつてないほどの強敵だ。攻略組最強の男。それと戦うと考えるだけで、身が竦んだ。1人で戦って勝てるイメージは、微塵も沸かなかった。

 

 鋭く息を吐きながら踏み込み、渾身の突きを放つ。見据えているのは、茅場の幻影。それを打ち倒そうと、俺は槍を振るい続けた。突き、打ち、払い、次第にリズムを上げてゆく。茅場の幻影と共に、己の怯懦を消し去ろうとした。

 

 茅場晶彦に勝つ。それ以外を考えられなくなるまで、俺はその場で槍を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトが不在となった攻略組によるゲーム攻略は、しかし意外なほど順調に進んでいた。

 攻略組最大戦力の1人であるキリトが居なくなったことによって危機感を抱いたプレイヤーたちは、今まで以上に強く団結するようになったのである。第73層、第74層ともに普段よりも日数は掛かったが、ボス攻略において攻略組に死者は出なかった。

 これについてキリトは攻略が順調に進んでいることを喜ぶ半面、自分が居なくなっても割と上手く回っている攻略組に対して複雑な感情を抱いているようだった。まあ世の中そんなもんだ。代えがきかない人間など、世の中そうそう居るもんじゃない。それで言うと俺なんて居なくなっても気付かれないレベルである。

 実際のところキリト不在の穴を埋めるための苦労は相当だったはずだが、突出した個の力に頼らなくてよくなった分、かえってレイドとしての安定感は増している。怪我の功名という奴だろう。

 

 そうして攻略組がなんとかゲーム攻略を進めている一方、キリトは部屋に閉じこもって生産系スキルで経験値を稼いだり、体が鈍らないように素振り等を行っていたらしい。部屋に籠りっぱなしで気が滅入るのもそうだが、お見舞いに来てくれるプレイヤーたちを病気の芝居で騙さなければならないのが辛かったと語っていた。

 だが、それも今日までだ。

 先日、血盟騎士団主導でボス攻略会議が開催された。そしてそこで本日11月26日の午後、第75層フロアボス攻略戦が行われることが決定したのだった。

 

 

 

 

回復結晶(ヒールクリスタル)、ちゃんとポーチに入れたか? ポーション類も忘れるなよ? あと煙幕と蛍光玉と手鏡と……ああ、それと装備の耐久値は――」

「お前は俺のオカンか。大丈夫だっつーの」

 

 捲し立てるキリトの言葉を遮って、俺はため息交じりに答えた。

 ボス攻略に発つ前に顔を出しておこうとキリトの部屋に寄ったら、これである。準備は昨日のうちに済ませてあるし、さすがに直前になってバタバタとするようなことはなかった。

 ここまで長い時間をかけて散々準備を重ねてきたのだ。当日忘れ物をしてその全てを台無しにするようなことは俺だってしたくない。持ち物や装備の耐久値については今日だけでもう5回はチェックしていた。

 

「ようやくここまで来たんだなあ」

「感傷に浸るのはまだ早いけどな」

「……だな」

 

 苦笑いを浮かべながら、キリトは頷いた。気持ちを切り替えるように大きく息を吐いてから、キリトは真面目な顔になってこちらを見つめる。

 

「本当は色々話したいことがあるけど、今はやめておくよ。全部終わらせて、また現実世界(あっち)で会おう」

「……おう」

 

 どちらからともなく、拳を付き合わせた。こういった内輪での無意味な儀式的行為は嫌いだったはずなのだが、今では自然とそれが出来てしまう。慣れと言うのは怖いものだ。

 そんな無駄な思考を振り払って、俺はキリトに背を向ける。

 

「じゃ、行ってくる」

「ああ。また後でな」

 

 これを今生の別れにするつもりはない。だから俺はゲンを担ぐつもりで、あえて普段通りの挨拶をした。そうしてキリトの部屋を後にする。

 

 この後は第75層の主街区へと向かい、集合した攻略組のメンバーと共にボス攻略に向かう予定である。普段は迷宮区手前の街から徒歩でボス部屋へと向かうのだが、今回は少しでもプレイヤーの消耗を抑えるために回廊結晶を使ってボス部屋の前まで行く手筈だ。

 つまり、もう決戦まであまり猶予はないということである。俺は改めて戦う覚悟を固めながら、ゆっくりと歩を進めた。

 しかしホームの玄関を開けたところで俺を待っていた光景に、心の中で高まっていた緊張感はあっさりと霧散していってしまったのだった。

 見慣れた顔のプレイヤーたちが、ワイワイと集まってギルドホームの前に並んでいる。風林火山のプレイヤーに加え、月夜の黒猫団やら軍やら外部のプレイヤーも混じっているようだった。

 

「なんだこれ……」

「お、来たか!」

 

 呆然とする俺の前に駆け寄ってきたのはクラインだった。笑顔を浮かべながら、この状況について説明してくれる。

 

「今日は大一番だからな。みんなお前の顔を見に来てくれたんだよ。そんで折角だから、オレらも集まって見送りしようと思ってよ」

「……ああ、なるほど」

 

 クラインを含めほとんどの人間は打倒ヒースクリフの作戦を知らないはずだが、それを抜きにしたって今日は第75層(クォーターポイント)のフロアボス攻略である。気合いが入るのも無理はなかった。

 先ほどからなんとなくホームの中が静かだなと思っていたのだが、ほぼ全てのメンバーは外で待っていたようだ。そうして俺が納得していると、やかましく声を上げたクラインがヘッドロックを仕掛けてくる。

 

「おいおい、嘘でもちったぁ嬉しそうな顔しろよ! ホント不愛想だなお前は!」

 

 そうは言いながらも、クラインは特に気を悪くした様子もなく笑っていた。単なるじゃれ合いである。この状況で変に水を差すのもアレだし、別に痛いわけでもないのでされるがままになっていると、そのうち他のプレイヤーたちもわらわらと集まり、バシバシと俺の身体を叩きながらそれぞれ激励の言葉を投げかけてきた。

 

「頑張れよ!」

「俺らなんにも出来ねえけど、応援だけはしてるからよ!」

「死ぬなよ!」

「兄貴、やっちまってくだせえ!」

「絶対、生きて帰って来て下さいね!」

「ここがお前の帰ってくる場所だぞ!」

「ちくわ大明神」

「誰だ今の」

 

 なんか1人か2人悪ふざけしている奴が居たが、突っ込むのも面倒なのでスルーしておく。きっと俺の緊張をほぐそうとしてくれたのだろう、と好意的な解釈で受け取っておいた。

 そうして一通りやり取りを終えた後、クラインが表情を真剣なものに変えて改めて口を開いた。

 

「今日のボス戦、相当厳しいことになると思う。一緒に戦ってやれなくて、わりぃ。オレらに出来んのはこうやって見送ることぐらいだけどよ――」

「あぁ……いや」

 

 クラインの言葉を遮るようにして俺は口を開いたが、気恥ずかしさのせいで次の言葉は中々出てこなかった。

 まあ旅の恥はかき捨てというし、SAOを1つの旅と考えれば最後に1つくらい恥をかいておいてもいいだろう。今日の作戦がどう転んだとしても、俺がこの世界でこいつらと言葉を交わせるのはこれが最後の可能性が高い。

 そうやって自分に言い聞かせ、やがて躊躇いながらも俺はなんとか口を開いた。

 

「……最前線で体を張ることだけが、戦うことじゃない。お前らが大勢のプレイヤーのために戦ってきたことはみんな知ってるよ。俺だって、お前らには……感謝してる」

 

 言って、ちらりと周りの反応を伺う。先ほどまでの喧騒が嘘のように皆静まり返り、ほとんどの人間が呆気にとられたようにポカンと口を開いていた。しかしやがて我に返ったようにざわつき始める。

 

「……ハチがデレた」

「お、おい! 今の誰か録音してないのか!?」

「大丈夫? 熱でもあるんじゃない? 今日のボス攻略はやめておいた方が……」

「ていうかこれって死亡フラグって奴じゃ……」

「お、おい。縁起でもないこというなよ。否定できないけど」

「お前らな……。もう2度と言わねえ」

 

 あんまりな反応に俺が吐き捨てるようにそう言うと、クラインがすぐにフォローするように口を開く。

 

「ははっ! 悪かったって、拗ねんなよ! 面と向かってそう言われるとむず痒くってよ」

 

 クラインの瞳は、心なしか潤んでいるようだった。それを誤魔化すように鼻を啜りながら、力強く俺の肩を叩く。

 

「絶対生きて帰ってこい! オレらみんな、待ってっからな!」

「……ああ。行ってくる」

 

 込み上げてくる様々な感情を全て飲み込んで、頷いた。クラインに続いて、集まったプレイヤーたちから色々な言葉を投げかけられたが、俺は振り向かずに転移門へ向かう道を歩き出した。

 次に会う時は現実世界で、だ。

 俺は改めて、強くそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遅刻という訳ではないはずだが、俺が集合場所に着いた時点でもうほとんどの攻略組プレイヤーは揃っていた。見送りに来たのか冷やかしに来たのか、それを取り巻くように攻略組以外のプレイヤーも大勢集まっている。

 第75層主街区コリニア。古代ローマ風の街並みで、転移門の前には巨大なコロシアムも存在する。そのすぐ横に位置する広場が今日の集合場所となっていた。

 第75層のフロアボスとの戦いはまず間違いなく厳しいものになると予想されるが、集まったプレイヤーたちの間に暗い空気はない。皆それぞれ談笑しながら、自然体で来るべき決戦の時を待っていた。

 恐怖がない、という訳ではないはずだ。だがここまで最前線で戦い続けて生きた猛者たちの中に、今さら恐怖で取り乱すような人間は居ないということだろう。

 浮ついた空気ともまた違う、静かな闘気と緊張感が漂うこの空間は、決戦を前にした俺にとっても心地よかった。攻略組の集団の中に紛れ、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「こんにちは、ハチ君」

「ん、おう」

 

 人混みの中から俺を見つけ、声を掛けてきたのはアスナである。「昨日はよく眠れた?」「まあ……」なんて当り障りのない会話を一言二言交わし、互いに沈黙する。

 今日、第75層のボス攻略が行われることはない。俺たちの仕掛ける作戦がどう転んだところで、その後すぐにボス攻略へと乗り出すことはまずありえないからだ。だから俺たちの作戦に組み込まれていないアスナは他のプレイヤー同様、今日戦うことはないだろう。それはアスナ自身も理解しているはずなのだが、長い沈黙の後、俺の顔を見つめた彼女はどこか覚悟を決めたような表情をしていた。

 

「ハチ君たちが今日のためにずっと準備してきたこと、知ってる。だから今さら止めたりしないけど……いざという時は、自分の命のこと最優先に考えてね」

「……ああ、わかってる」

 

 少し考えてから、頷いた。俺だって死にたいわけじゃない。生きて現実世界に帰るために、ここまで最善を尽くして準備を進めてきたのだ。

 だが心の奥底には相反する想いも存在した。命を危険に晒さずにして勝てるほど、ヒースクリフは生易しい相手ではないはずだ。用意してきた手札が全て破られた時、俺は自分の命をベットすることを躊躇わないだろう。

 そんな俺の考えを見透かしたかのように、アスナは言葉を続ける。

 

「お願いよ……。ハチ君が死んじゃったら、私……」

 

 懇願するように言葉を発するアスナの顔を、俺は見ることが出来なかった。

 何と言って返すべきか。俯いて言葉を選んでいるうちに、やがて集まっていたプレイヤーたちの間から声が上がった。

 

「諸君、時間だ」

 

 そう言って注目を集めたのはヒースクリフだった。第75層のフロアボス攻略については、血盟騎士団に指揮権が与えられている。当然、それを主導するのはそのギルドマスターであるヒースクリフだ。

 集まったプレイヤーたちが静まり返る中、ヒースクリフはストレージから黄色いクリスタルを取り出して頭上に掲げる。

 

「今からこの回廊結晶を使って、第75層迷宮区最奥へと向かう。細かな隊列の確認などは向こうで行う予定だ。何か質問のある者はいるかね?」

 

 その問いかけに攻略組プレイヤーたちは沈黙で応える。ヒースクリフは満足げに1つ頷き、言葉を続けた。

 

「では、出発する。回廊よ開け(コリドーオープン)

 

 手に持ったクリスタルが砕け散り、光り輝く巨大な門が出現するのと同時に、ヒースクリフを先頭にして攻略組が動き出した。その背中に、集まっていた周りのプレイヤーたちからの声援が飛ぶ。

 

「ハチ君……」

「行くぞ」

 

 さすがにこの場でゆっくりと話をしている時間はない。俺はアスナの視線を振り切って、先を行くプレイヤーたちの後を追った。

 眩く輝く門を潜り抜けると、目の眩むような光の本流から一転、薄暗い遺跡の中へと転移していた。第75層迷宮区、ボス部屋直前のセーフティゾーンである。

 ひんやりとした空気をゆっくりと吸い込みながら、辺りを見回した。既にヒースクリフは周りへと指示を出し、班ごとにプレイヤーを纏めているようである。

 

 事前に想定していた立ち位置と、それほど差異はない。最初の条件はクリアである。

 振り返って、アスナの顔を見た。言葉は交わさず、頷いてみせる。アスナは何かを言いたげな顔をしていたが、やがては全ての感情を飲み込むようにして頷き返してくれた。

 1つ息を吐いて、心を落ち着ける。俺は再びヒースクリフへと視線を戻し、プレイヤーの間を縫うようにして歩き出した。

 

 作戦開始だ。もう、後には引けない。

 

「あー……、なあ。ちょっといいか?」

 

 平静を装って、ヒースクリフへと話しかけた。部下と何か話し合っていたヒースクリフが、意外そうな表情を浮かべてこちらを見る。

 

「ん、なんだね」

「いや、ちょっと気になることがあってな……。これを見てほしいんだけど」

 

 言って、俺はあるアイテムをストレージから取り出した。相手が何か反応する前に、俺は有無を言わせずそのアイテムを無理やりヒースクリフへ握らせるように手渡す。

 強引な俺の行動を訝しむヒースクリフだったが、それも束の間のことだった。手に持たされたアイテムに目を落とした瞬間、その瞳が驚愕に見開かれる。

 

「む、これは――!?」

 

 白銀に輝く無骨なガントレット。

 その大きな手に収まっていたのは、小さな四角い《手鏡》だった。

 

 ――それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。

 

 2年前、デスゲームが始まったあの日。あの時のあいつの言葉が、頭を過った。

 

 ヒースクリフの体を、唐突に白い光が包み込む。それを見た周囲のプレイヤーたちが驚いて声を上げたが、2、3秒もするとすぐに光は霧散した。攻撃や転移の罠を食らった訳ではなさそうだとプレイヤーたちが安堵したのも束の間、その変化に気付いた者たちは、あまりの出来事に息を呑んだ。

 

 光が収まり、そこに現れたのは元のヒースクリフの姿――ではなかった。

 小ざっぱりと切り揃えられた黒髪。研究者然とした、冷たい印象を与える鋭利な眼差し。メディアへの露出を嫌いながらも、しかしこのSAOというゲームをプレイしている人間ならば知らぬ者はいないだろう、その男。

 永遠とも思える沈黙の後、やがて誰かが呟いた。

 

「茅場、晶彦……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直、上手くゆくとはあまり思っていなかった。

 きっかけはキリトのちょっとした思いつきだったのだ。

 

「――ハチ、ちょっといいこと思いついたかもしれない」

 

 キリトが若干の興奮を滲ませてそう言ったのは、もうずいぶんと前のことのように思う。

 第65層、西の温泉街。その旅館の脱衣所でのことである。

 既に入浴を済ませた俺とキリトは涼みながら色々と話をしていたのだが、不意に脱衣所の鏡に目をやって何やら考え出したキリトが、やがてそう口にしたのだ。

 

「あん? なんだよ急に。何の話だ?」

「ハチさ、SAOが始まった時のチュートリアルで茅場が配った《手鏡》まだ持ってたよな?」

「《手鏡》? ……あー、あったな、そんなん」

 

 2年前の古い記憶をなんとか掘り起こし、頷いた。SAOの正式サービス開始時に、茅場がデスゲームの宣告した時のことだ。その説明の最後に、茅場は「全てのプレイヤーのストレージにあるアイテム入れておいたから見て欲しい」と言って《手鏡》を手に取らせ、プレイヤーたちのアバターを現実世界の姿に則したものに変化させてみせたのである。俺自身は警戒して《手鏡》はストレージから出さなかったのだが、結局アバターは変化させられた。

 後で知ったことだが、《手鏡》はストレージから出してしばらくすると消滅してしまうらしい。あの時どれほどのプレイヤーが律儀に茅場の言葉に従って《手鏡》を取り出したのかは不明だが、今のところ全く同じアイテムは見ていないし、現状《手鏡》はチュートリアルでしか手に入らない結構レアなアイテムに分類されている。かといって何か使い道があるわけでもないので、レアだからどうしたって話だが。

 捨てるタイミングもなかったので、《手鏡》はしばらく俺のアイテムストレージの肥やしとなっていた。現在は自室のタンスの中で眠っている。

 

「もし茅場晶彦が姿を偽ってヒースクリフを演じているんだとしたら……その《手鏡》使えると思わないか?」

「は? いや、使うったって……。え、そういうこと? ……いやいや、それは無理だろ」

 

 キリトの意図するところを理解した俺は、咄嗟にそう言って否定した。

 《手鏡》を使って、ヒースクリフのアバターを現実世界(リアル)の茅場晶彦の姿へと変換する――キリトはそう言っているのだ。だが、おそらくそれは不可能である。

 

「そもそも俺、あの《手鏡》ストレージから出さなかったのに結局アバター変えられたんだぞ? ってことは《手鏡》にそういう効果があったわけじゃないってことだろ」

「あの時、確か俺たちの姿が変えられたタイミングにはズレがあった。俺とクラインがほぼ同時で、ハチだけ10秒くらい遅かったはずだ。《手鏡》自体に姿を変える効果があって、それを手に取らなかったプレイヤーだけを後で茅場がシステムを操作してアバターを変えた可能性もある」

「よく2年も前のことそんな細かく覚えてんな……。けど、さすがに希望的観測過ぎないか」

「でも絶対にないって否定出来る要素もない」

 

 真剣な顔でそう口にするキリトに、俺は反論することが出来なかった。さらに畳み掛けるように、キリトは言葉を続ける。

 

「それに《手鏡》はストレージから出してしばらくしたら消滅するし……多分、消費アイテム扱いなんだ。あと前にアイテムテキスト見せて貰った時、『覗き込んだ者の真実の姿を映し出す』とか書いてあっただろ」

「いや、それはいわゆる香り付け(フレーバー)テキストって奴なんじゃ……」

 

 前に話のタネとして《手鏡》のアイテムテキストをキリトに見せたことがあったのだが、それを覚えていたらしい。しかしそれはアイテムの効果を保証するものではない。SAOでは一見しただけではフレーバーテキストなのか、実際の効果を表したものなのか判別しないアイテムも多かった。

 どれだけもっともらしい理由を並び立てても、結局は不確定要素が強すぎる話である。しかし、もし上手くいくとすれば、これほど魅力的な話はなかった。

 

「……けどまあ、試してみる価値はあるか。失敗しても大したリスクはないし。けどそうなると、茅場の正体を暴いた後どうするかも考えないとな」

「むしろそっちの方が本題だな。ちょっと作戦考えてみるか」

 

 そんな一幕を経て、打倒ヒースクリフの作戦は発足したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正解だよ、ハチ君」

 

 その男――茅場晶彦は、口元に笑みを浮かべてそう言った。焦った様子も、悪びれた様子もない。その口ぶりは、まるで難問を解くことの出来た子供を褒めるかのようだった。

 攻略組が集結する迷宮区の一室には、時が止まってしまったかのような静けさが広がっていた。あまりに想定外の事態に、多くのプレイヤーは身動ぎすることさえ出来ないようだった。そうして唖然とする周囲のプレイヤーたちを置き去りにして、茅場晶彦は1人言葉を続ける。

 

「私に辿り着くための手段はいくつか想定していたが……まさか《手鏡》を使うとはね。2年前のチュートリアルで配布した一見無価値なアイテムを、ここまで大事に持っているプレイヤーがいるとは思わなかったよ」

「……貧乏性なもんでな」

 

 平静さを保つために、俺はあえて茶化した答えを返した。

 第一段階はクリアした。《手鏡》が通用しなければ、恐らくHPが半分以下にはならないように設定されているだろうヒースクリフに攻撃をして、システムの不自然な挙動を指摘するつもりだったのだが……失敗する可能性も高かったので、正直助かった。

 

 次は、上手く交渉に持ち込まなければならない。俺が頭をそう切り替えたところで、ようやく事態を飲み込み始めたプレイヤーたちがざわつきだした。

 

「さっきの光は……もしかして、チュートリアルの時の……」

「だ、団長? これは、何かの間違いですよね……?」

「いや、でもあの顔は間違いなく……」

「まさか、俺を……俺たちを、騙していたのか……?」

「ああ。その通りだ」

 

 動揺する血盟騎士団の団員たちを冷たく一瞥し、事もなさげに茅場は頷いた。

 

「この世界を作り上げ、諸君に望まぬデスゲームへの参加を強いた張本人である茅場晶彦は、いちプレイヤーに扮してゲームを内部から操っていた、というわけだ。私の計画では第95層をクリアした時点で正体を明かすつもりだったのだが……。随分と予定が前倒しになってしまったよ。まあ、それも想定の範囲内ではあるが」

 

 やはり、茅場は自分の正体が見破られる可能性も織り込み済みだったのだ。だから《手鏡》などという、奴の不利にしかならないアイテムが存在したのだろう。

 その事実を確認し、俺はほっと小さく息を吐いた。少なくともこれで、自分の計画を狂わされた茅場が逆上して俺たちを皆殺しにするという可能性はなくなったと見て良いはずだ。

 そうして内心安堵した俺とは対照的に、裏切りの事実を突きつけられた血盟騎士団のプレイヤーたちは怒りの感情を露わにして声を上げた。

 

「ふ、ふざけるなぁ!! 俺が、俺たちが、一体どれだけのっ……!! 俺たちの忠誠は! 信頼は! 全部茶番だったっていうのかッ!!」

「ああ。君たちには本当に済まないと思っているよ。だが、これもこのSAOを完成させるためには必要なことだった」

 

 あくまでも淡々と、他人事のように受け答えをする茅場の態度が火に油を注いだようだった。体を震わせて激昂した血盟騎士団の団員たちが、怒りのままに武器を取る。

 

「こ、のッ……!! クズ野郎があぁぁあああぁぁッ!!」

「悪いが、しばらく静かにしていてくれ。これから少し彼と話をしなければならないのでね」

 

 茅場へと襲い掛かろうとする団員達。しかし先手を打って茅場が何かシステムウインドウを操作すると、彼らは唐突にその場に蹲って動かなくなった。頭上に稲妻のようなマークが表示されているのを見るに、強制的に麻痺の状態異常を付与されたようだ。その後茅場はついでとばかりに、この場に居る俺を除いた全てのプレイヤーたちを麻痺によって拘束していった。

 しばらく恨み言を口にしながら、なんとか体を動かそうと必死にもがいていた血盟騎士団の団員たちだったが、やがて心が折れてしまったのか抵抗を断念し、ついには小さな嗚咽の声さえ聞こえてきた。

 その光景を前に、無関係な俺の胸中にさえやるせない思いが湧いてきたが、当事者である茅場は特に思うところもなさそうに「これでゆっくりと話が出来る」などと口にした。

 血盟騎士団の連中には悪いが、俺もあいつらに構ってやれるような余裕はなかった。茅場が対話を望んでいるのなら、ありがたくそれに乗らせて貰うつもりである。

 

「何故私に気付いたか……とは今さら聞くまでもないことか。私も少しヒントを与えすぎてしまったと反省していたところだ」

「……ああ。つーか、怪し過ぎだろ。お前のHPが半分を割ったところ、1回も見たことなかったしな。不死属性か何かついてんのか?」

「ああ、ご名答だ。私のHPは半分以下にはならないように設定されている。それを逆手にとって、私に対して攻撃を加え、その正体を暴くと言うルートも存在したのだが……」

「ああ。《手鏡》が使えなかったら、そうするつもりだった」

 

 俺の返答に、茅場は微笑んで満足そうに1つ頷いた。ゲームの制作者側としては、自分の用意した仕掛けを認知しておいてほしかった、ということだろうか。まあ、気持ちはわからないではない。用意しておいたいたずらをスルーされると悲しいしな。

 

「さてハチ君、本題に入るとしよう。私に何か提案があるのではないのかね? 君が何の考えもなしにこのようなことを仕掛けてくるとは思えないが」

 

 この場でどうやって話を切り出したものか、必死にそれを考えていた俺は、茅場のその言葉に内心苦笑した。茅場晶彦は、やはり本物の天才のようだ。常に先を行かれている感覚が拭えない。

 だがまあ、この場ではそれにあやかるとしよう。

 

「……なあ、茅場。お前の作ったこの世界、すげえよ。2年前にデスゲームが始まったあの日から、まぎれもなくここが俺たちの現実になった」

 

 心を落ち着けて、言葉を紡いだ。

 茅場晶彦にこちらの提案を飲ませるため、ずっと前から準備していた前口上である。ここでしくじる訳にはいかなかった。

 幸い、茅場はひとまず話を全て聞いてみる姿勢のようだ。黙り込み、興味深そうにじっとこちらを伺っている。

 

「この世界で死ねば、本当に死ぬ。それだけで、目に見えるもん全部の価値観が変わった。手に入れたアイテムも、育てたステータスも、隣に立つプレイヤーも、起こった全部の出来事が、俺たちにとって紛れもない本物になった。だから必死になって装備を揃えたし、馬鹿みたいにレベリングもしたし、本気でアインクラッド(この城)の頂上を目指して戦ってきた。この世界が、俺たちにとってもう1つの現実だったからだ」

 

 俺は、ずっと考えていた。

 茅場晶彦は、このゲームに何を求めていたのか。

 築き上げた地位も名誉もかなぐり捨てて、何を手に入れたかったのか。

 

 現実に倦んでいたのかもしれない。夢の世界に逃げ込みたかったのかもしれない。いつか見た空想の世界を、本物へと近づけたかったのかもしれない。

 それらしい理由は、いくらでも思いついた。だが、本当のところはわからない。茅場晶彦のような本当の天才が考えるようなことは、所詮一般人である俺には分かりようもないとも思う。

 だが、1つだけ強く疑問に思うことがあった。

 

 ――茅場晶彦は、今この状況に本当に満足しているのだろうか。

 

「お前、昔何かの雑誌で言ってたよな。『これはゲームであっても遊びではない』って。ああ、その通りだ。今この世界で、このゲームが遊びだなんて言う奴は居ないだろうな――たった1人を除いて」

 

 強く、茅場を睨み付ける。その時初めて、茅場晶彦と言う天才の顔に陰りが見えた気がした。

 強制的に命を賭けさせ、ログアウトという逃げ道を塞ぎ、ゲームからの解放という餌で俺たちに戦う理由を与えた。そこにはもはや、お遊びなどという要素はない。俺たちはこの世界で、本当の意味で戦っていた。

 だが、目の前に立つ男はどうだ。

 

「お前、さっき言ってたよな。死なないように設定弄ってあるって」

 

 既に言質は取ってある。

 SAOという本当に命が掛かったゲームにおいて、こいつだけが異物なのだ。

 どれだけゲームに介入しようと、結局は安全圏で物語を眺めているだけの部外者なのだ。

 

「滑稽だと思わないか。何もかもが本物のこの世界で、それを作り上げた本人、お前だけがどうしようもなく()()だ。お前とってだけは、このゲームは()()()だ」

 

 死の危険性はなく、その気になればログアウトも出来る。それどころか、システムを弄れるならば今すぐにゲームをクリアすることも可能だろう。そんな状況で、ただゲームで遊ぶ以上の何が手に入ると言うのか。

 

「自分が作った世界でチート使って俺ツエーして、それで満足か? 違うだろ。こんなテロみたいなことまで仕出かして、お前がやりたかったことは、そうじゃないだろ」

 

 全てを投げ打って、このSAOという世界を作り上げた男。

 単純な損得勘定で測れる相手ではない。こいつと交渉するのなら、その心に訴えかけねばならない。

 俺は槍を構え、目の前の男の心を揺さぶるように、その提案を持ち掛けた。

 

「命を懸けて、今ここで戦え茅場晶彦。俺がお前を本物にしてやる」




手鏡については自分の恣意的な解釈に基づいて書いております。
独自設定ということで適当に流して頂ければと思います。

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