やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第5話 妖精の国

 木花(このはな) (かおる)は、才色兼備、文武両道を地で行く優等生だった。

 

 小柄で可愛らしい容姿。県内でも有数の進学校に通いながら、成績は常にトップを維持。中学高校と続けている剣道は、華奢な体に見合わず全国ベスト16に入るほどの腕前だった。

 加えてその人柄には嫌味がなく、温厚質実。しかし時には強引に人を引っ張っていくようなリーダーシップも持ち合わせており、傍から見ればおおよそ欠点など見当たらない――本人としては背の低さがコンプレックスであったのだが――そんな一廉(ひとかど)の人物だった。

 

 そんな彼女が今まで全く縁のなかったVRゲームへと関心を持ったきっかけは、5つ歳の離れた妹がソードアート・オンラインへと囚われてしまったことだった。

 普通なら逆に嫌悪し、遠ざけてしまうような出来事だ。実際彼女たちの両親はナーヴギアを悪魔の機械と称していたし、VR業界全体を敵視するようになっていた。薫自身もVRゲームにネガティブなイメージが全くないと言えば嘘になる。

 しかし、彼女はそれ以上に興味を持ったのだ。

 妹は今、どんな世界で、何を感じて生きているのだろうか、と。

 

 しかし興味を持ったとは言っても、当時はそう簡単にVRゲームを始められる状況ではなかった。SAO事件の影響で、世間ではVR業界に厳しい目が向けられていたし、そもそも薫は当時大学受験を目前に控えた受験生だったのだ。

 結局彼女が仮想世界を体験することが出来たのは、SAO事件から一年後。ナーヴギアの後継機であるアミュスフィアが発売されてからだった。

 VRゲーム全体を嫌悪する両親を説得するのは骨が折れたが、ようやく仮想世界にフルダイブした薫はその甲斐もあったと全身を喜びに震わせた。電気信号が作り出した大地が、風が、街並みが、確かに仮想世界の息吹きを持って薫を惹きつけたのだ。

 妹もこんな世界で生きているのだろうか。元気にやっているのだろうか――そんなことを殊勝に考えていたのは初めのうちだけで、やがて妹のことなど関係なしに、薫はどっぷりとVRゲームにハマっていった。

 

 そうしてさらに月日は流れて一年後。SAO事件から二年もの月日が流れた頃。

 ソードアート・オンラインがクリアされ、妹――美琴が意識を取り戻したのだった。

 

「ええ!? フルダイブのゲームやってんの!? あのお姉ちゃんが!?」

 

 都内のマンションの一室。大学生の一人暮らしには少し広すぎる間取りに、妹の大きな声が響いた。

 既に一通りのリハビリを終えて病院から退院していた美琴が、この日は勉強を教えてもらうという名目で薫の家に訪れたのだ。美琴は勝手に家の中を散策し、目ざとく寝室にアミュスフィアが置かれているのを見つけたのだった。

 

「ああ。美琴がSAO事件に巻き込まれてから、何となく興味が湧いてな」

「普通そこは怖がるところなんじゃないの……。けど、ふうん。あのお姉ちゃんがねー。なんて奴やってんの?」

「アルヴヘイム・オンラインってやつだよ」

「え、今めちゃくちゃ人気の奴じゃん! いーなー、いーなー! あたしもやりたい!」

 

 寝室のベッドの上で、アミュスフィア片手に子供のように手足をばたばたとさせる妹の姿に、薫は苦笑した。この二年、SAOに囚われている間にも体は成長し、既に妹の身長は薫よりも大きくなっていたが中身は昔と変わらないようだ。

 

「美琴はまず勉強に専念しなさい。母さんたちに心配をかけないように。……というか、美琴こそ怖くないの? VRとか、アミュスフィアとか」

「んー、そういう人もいるかもしれないけど、あたしは大丈夫かな。怖いこともあったけど、楽しいこともたくさんあったし。それにほら、《Hachiという漢》が読めるのは、SAOだけ!」

「なんの宣伝だよそれは……」

 

 最近、妹の話す話題はそればかりだ。どうやらハチというSAOプレイヤーに、多大な恩義を感じているらしい。

 妹曰く、命の恩人であり、目の腐った英雄であり、相棒とのカップリングが捗る存在らしい。

 最後の話は薫にはよくわからなかったが、妹がハチという男性プレイヤーに心酔しているのはよくわかった。最初は変な男に騙されているのではないかと心配したが、実際にゲーム内で会ったのは1度しかないらしい。

 

「ふっふっふ。今日も語りつくしてあげよう。風林火山のハチの偉業を……いてッ」

「お前は今日これからわたしと一緒に勉強だ、馬鹿者」

「そんなー」

「まあ、ノルマが終わってからな。最近わたしもその話を聞くのが楽しみになってきたよ」

「お? お姉ちゃんもハチラーになっちゃう?」

「なんだその頭の悪そうな造語は……。あ、でも美琴、あんまりその話をよそでしないようにな。SAO内部の話は一応口外禁止と言われているし」

「え? う、うん。わかってる……ヨ?」

「なんだか歯切れが悪いぞ」

「そ、そんなことより勉強! ほら早く勉強教えて!」

「全く……」

 

 急かす美琴に背中を押され、そうして居間での勉強会が始まったのだった。

 姉妹仲は良好だった。SAO事件よりも前は美琴に思春期特有の壁を感じることもあったが、意識を取り戻してからはそれもなくなった。世間ではSAO事件による心的外傷やストレスのことばかり取り上げられているが、少なくとも妹にとってはそういった悪影響はないように見えた。

 退院後の体調も、勉強の進度も順調のようだし、あとは両親さえ説得できればいずれ2人で一緒にアルヴヘイム・オンラインを遊ぶことも出来るだろう。そう考えるだけで胸が躍った。

 

「あ、そう言えばお姉ちゃん、アルヴヘイム・オンラインはどの種族でやってるの? 10種類くらいあるんだよね?」

「おい、今は勉強に集中を……まあ、いいか。少し休憩にしよう」

 

 時計を見れば、勉強を始めて1時間半ほどが経っていた。薫は席を立って、キッチン脇に置かれた電気ポットで紅茶を淹れながら口を開く。

 

「種族は全部で9種類だよ。わたしがやってるのはシルフだ。風魔法が得意で、飛ぶのが速い種族だな」

「へえ、魔法かあ。いいなあ、SAOにはなかったし、使ってみたい」

「実際に呪文を唱えないといけないから結構大変だぞ。わたしも多少は使っているけど、戦う時はもっぱらカタナばかりだな」

「あー、お姉ちゃん剣道鬼強いもんね……。こんなにちっこいのに」

「ちっこい言うな」

 

 紅茶のカップを差し出しながら、睨みつける。美琴は悪びれもせずに笑いながら、それを受け取った。

 

「けどアルヴヘイム・オンラインのアバターは性別と種族以外ランダム生成だからな。ゲーム内でのわたしはグラマラスで背の高い大人の女だ。ふふっ、美琴がゲームを始めたら、上から見下ろしてやるぞ」

「ええー、大きいお姉ちゃんとか、違和感すっごい……。ていうか、そっか。ランダムなんだ。あたし可愛くないアバターになったらやだなあ」

「そこはもう運次第だな。まあまだ先のことだろうけど、もしゲームをシルフで始めたら色々教えるよ。わたしはシルフの領主だからな」

「領主?」

「そういうシステムがあるのさ」

 

 紅茶を啜りながら、薫は窓の外を眺めた。

 実のところ、薫はゲーム内で自分を取り巻く環境に少し倦んでいた。

 サービス開始から1年以上が経ってもクリアの見えないグランドクエスト。ログインしても政務に忙殺される日々。種族内での不和。悩みの種は尽きない。

 特に領主を始めてから、色々と窮屈に感じることばかりだ。最後にあの空を自由に飛び回ったのは、いつのことだろうか。少し憂鬱な気分で、そんなことを考えた。

 

 その日、なんだかんだと夜遅くまで話し込んでしまった美琴は薫の家に泊まっていき、翌日の朝早くに帰っていった。何やら友達と用事があるらしい。休日ではあったが、薫もゲーム内で予定があったので都合がよかった。

 兼ねてから進めていたケットシーとの同盟計画が、ようやく実を結ぼうとしている。会談の準備や移動、予定は山積みだ。領主になってから、ホームタウンから少し外出するだけでも一苦労である。

 この同盟が成れば、憂鬱な気分も少しは晴れるだろうか。そんなことを考えながら、薫はアミュスフィアを装着してベッドに横になる。

 

「リンク・スタート」

 

 こうして木花 薫――シルフ領主サクヤは、いつものようにアルヴヘイムの世界へとダイブしたのだった。

 いつもの街並みに、いつもの顔ぶれ。変わり映えのしない仮想世界での生活が始まる。領主館の自室に積まれた書類を前に、彼女は漠然とそう考えていた。

 

 しかしこの日、彼女はひとりの少年と思わぬ出会いを果たすことになる。

 突然空から落ちてきた、サラマンダーの少年。そんな彼の瞳は、何処かの英雄と同じように腐っていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぐへっ!」

 

 途方もなく長い落下の末、受け身に失敗した俺は情けない声を漏らした。潰れたカエルのような体勢のまま、しばらく悶絶する。

 あわやHP全損かと思ったが、何とか生きているらしい。猛烈な速度で落ちてゆく途中、先ほど見た砂漠とは打って変わって眼下にはちらりと森が見えた気がしたが……などと考えながら顔を上げると、幾人かのプレイヤーが目に入った。

 

「サ、サラマンダー!? 何処から湧いて出やがった!?」

「あ、や、えっと、俺は……」

 

 混乱する頭で、状況を把握しようと努める。

 森の中。目の前には十人ほどのプレイヤー。(はね)の色が緑っぽいので、おそらくシルフの種族のはずだ。その全員がもれなく武器を構えて殺気立っている。

 

「情報が漏れたのか!?」

「待て、詮索は後だ! まずはこいつを排除するぞ!」

「え、ちょ……!?」

 

 言うや否や、一番近くにいた三白眼の男が剣を片手に斬りかかってくる。俺は武器を求めて咄嗟に背中へと手を伸ばしたが、かつてそこにあったはずの槍はなく、その行為はただの空振りに終わった。

 内心舌打ちをしながら、しかしすぐに迎撃から回避へと思考を切り替えて一歩下がる。幸い男の踏み込みは鈍く、剣速も大したことはない。次の瞬間には、剣先は俺を捉えることなく通り過ぎた。それに安堵したのも束の間、左右から挟み込むように新手が襲い掛かってくる。

 

「待て! 俺は戦うつもりは……」

「問答無用!」

「マジかよ!」

 

 悪態を吐きながら、回避に専念する。ロングソードの袈裟斬り、短剣の刺突、上空から太刀の振り下ろし。飛翔するプレイヤーからの攻撃には一瞬ぎょっとしたが、空中で足腰が安定しないせいかその太刀筋に冴えはない。回避は容易だ。だが慣れない徒手空拳かつこの多対一の状況では、反撃の余地はなかった。

 状況はわからないことだらけだ。だが、激しく身体を動かすうちに思考は冴えてきた。SAO当時の、あの頃の感覚が戻ってくる。

 目視、敵は12人。囲まれれば終わりだが、幸いここは木々が生い茂る森の中だ。集団戦に適した場所ではないし、空中戦もある程度封じることができる。不利な状況には変わりないが、上手くすれば逃げることも可能かもしれない。

 

「この……ちょこまかとッ!!」

「魔法を使う! 下がって!」

 

 ――魔法!?

 地形を利用し、地面を這うように攻撃を回避し続けていた俺の耳に、そんな言葉が届く。そういえば、このゲームには魔法が存在するのだ。

 後衛の女性プレイヤーが、何やら詠唱を始める。すると燐光を放つ、見たことのない文字が空中に浮かび上がった。プレイヤーが詠唱を重ねるにつれて、文章を作るように文字も追加されてゆく。

 未知の攻撃を前にして、身体が強張る。ただの直線的な遠距離攻撃なら、避ける自信はある。だがホーミング機能があるものや広範囲攻撃だった場合は……。

 

「――待て!」

 

 凛とした女性の声が、戦場に響いた。

 その一言によって、対峙していたシルフのプレイヤーたち全員が動きを止める。魔法を準備していたらしいプレイヤーの詠唱は中断され、燐光を放っていた文字はくすんだ灰色となって崩れ落ちていった。

 どうやら魔法は失敗したようだと悟り、ほっと息を吐く。次いで、周囲のシルフたちを鶴の一声で静止させたプレイヤーへと視線を向けた。

 長い髪を深緑に染め上げた、長身の女性プレイヤーだ。豊満な胸部を惜しげもなくさらけ出すような松葉色の着流しに、紫の帯。腰には大太刀を佩いている。

 つり目がちの瞳には意志の強さが垣間見え、端正な顔立ちとも相まってその佇まいには人の上に立つ者の気品が満ちていた。間違いなく彼女が、この集団のリーダーだろう。

 

「矛を納めろ。戦う意思のない相手をキルすることはわたしの信条に反する。そこのサラマンダー君、部下が失礼したね」

 

 髪と揃いの深緑の瞳が、俺を捉える。どうやらこれ以上戦う気はなさそうだと察した俺は安堵の息をついたが、最初に俺に斬りかかってきた三白眼の男は納得のいかない表情で口を開いた。

 

「しかしサクヤ様、こいつは……」

「落ち着いてよく見てみろ。相手はガチガチの初期装備だぞ。というか、武器すら装備していないじゃないか」

「だから怪しいんじゃないですか! サラマンダー領からここまで、どれだけ距離があると思ってるんです! あんな装備の初心者(ニュービー)が一人で来れる距離じゃない!」

「まあ、それも一理あるな」

 

 その会話から、俺は改めてここがサラマンダーの領地外なのだということを理解した。本来ホームタウンからスタートするはずだったが、何らかのアクシデントによってここに飛ばされたのだ。あの時発生した映像のフリーズやノイズから察するに、システムのバグか何かだろう。

 本来なら運営側に連絡をして対応してもらうのが筋なのだが……あまり運営の人間に目を付けられたくはない。幸い進行不能系のバグではないし、黙ってこのままゲームを始めるべきだろう。

 そうと決まれば、まずは目の前の危機に対処しなくてはならない。俺は敵対の意思がないことを示すように両手を上げながら口を開いた。

 

「なあ、俺は本当にあんたたちと戦うつもりはないんだ。どっかに行けって言うなら、すぐに消える」

「きみが本当に初心者(ニュービー)なら知らないのかもしれないが、シルフとサラマンダーは長いこと敵対関係にあってね。ここはシルフ領の奥地だし、悪いがこのまま見逃すわけにもいかないんだ。いくつか質問させてもらっても?」

「……ああ」

 

 シルフとサラマンダーが敵対関係にあるというのは、知らない情報だった。開始早々バグに遭遇した上に敵対勢力のど真ん中に落とされるなど、いよいよ運がないようだ。

 

「おっと、その前に自己紹介がまだだったな。わたしはサクヤというものだ。きみの名前は?」

「ハチだ」

「ハチ……? ふむ」

 

 サクヤと名乗った女性プレイヤーは、俺の名前を聞くと少し目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、ひとつ頷いて会話を続ける。

 

「じゃあまず聞かせてくれ。きみは何故サラマンダー領から遠く離れたこの場所に居たんだ? しかもそんな装備で」

「……このゲームは今日始めたばかりなんだ。けどちょっとアクシデントがあって、気付いたらここにいた」

「アクシデント?」

「俺にもよくわからない。いきなり飛ばされたんだ」

「領地を追放されたのか? 普通は中立都市に飛ばされるはずだが……」

 

 良い言い訳が思いつかず、俺はやむを得ず正直に答えた。運営に通報されないか内心冷や冷やしていたが、サクヤは何か勘違いしてくれたようで、思案顔で何やら呟いていた。都合がいいので俺はそれを訂正せず、次の質問を待つ。

 

「しかし先ほどの立ち回り、きみは随分と戦い慣れているように見えたぞ。とても今日始めたばかりの初心者(ニュービー)とは思えない」

「長いこと他のVRゲームやってたからな。そのおかげだと思う」

「他のゲーム、ね……。それで、この後はどうするつもりだい?」

「いきなりこんなことになったから、具体的にはまだ考えてなかったけど……とりあえず、何処かで装備を整えたい。んで、最終的には世界樹に行きたいと思ってる」

 

 言いながら、首を捻って遠くを見つめた。夜の闇を突き抜けるように、その巨大樹は佇んでいる。ここから世界樹までまだ相当距離があるはずだが、あれはこの大陸なら何処からでも見えるほどにでかいらしい。

 

「ふうむ。その様子だと、やはり脱領者(レネゲイド)か」

「レネゲイド?」

「自分の種族の領地を出奔、あるいは追放されたプレイヤーを指す言葉さ」

 

 それを聞いて、俺は眉を顰める。領地を出たプレイヤーにわざわざ名称を付けるなんて、このゲームは種族への帰属意識が相当高いようだ。

 なんかギスギスしてそうでやだな……。ゲームなんだから好きにやらせてくれよ。やっぱりノルマとかあるんだろうか。『モンハンは遊びじゃないんだよ!』という迷言が頭を過った。

 

「しかしそうなると……よし」

 

 妙な思考を走らせる俺の前に、いつの間にかサクヤが歩み寄っていた。警戒するこちらをよそに、サクヤは朗らかな笑みを浮かべて手を差し伸べる。

 

「これも何かの縁だ。わたしたちと一緒に行かないか?」

「サクヤ様!? こんな目の腐った、得体のしれないサラマンダーを信用するのですか!?」

 

 彼女を守るように横に控えていた三白眼の男が声を上げる。

 ……え? また俺の目、腐ってるの? ランダム生成のアバターなのに?

 猛烈に自分のアバターを確認したい欲求に駆られたが、生憎と手近に鏡になるようなものはない。代わりに自分の顔や頭をぺたぺたと手で触ってみたが、少し髪が長くなったことくらいしかわからなかった。

 そういえば今更だけど、背丈は現実世界とあまり変わっていないようだ。あんまり極端に体形が変わると体を動かす感覚を掴むのに苦労するから、これは幸運だったといっていいだろう。……この際、目が腐っているのは許容しよう。

 

「それに万が一密偵だったら、今回の会談は……!」

「密偵にしてはお粗末すぎるだろう。それに、信用できないのなら尚のこと手元に置いておいた方がいい。妙な動きをすれば、その場で斬ればいいからな」

 

 腰に佩いた大太刀に手を添えて、サクヤがぞくりとするような笑みを浮かべる。それに気圧されたのは俺だけではないようで、反対していた三白眼の男も押し黙ってしまった。 サクヤがシルフたちの顔を軽く見回す。これ以上反対する声はないようで、彼女は満足げに頷いた。

 

「ここから少し北に行った場所に中立の村がある。今回はわたしの部下が迷惑をかけたからな。一杯おごるぞ?」

「……わかった。よろしく頼む」

 

 少しためらってから、俺はその提案を飲むことに決めた。

 というか、他に選択肢はないだろう。これを拒否すればまた戦いになってしまう可能性もある。それにそれを抜きにしたとしても、わざわざガイドを買って出てくれるというのだから乗らない手はない。右も左もわからないこの状況ではまさに渡りに船だった。

 個人的には初対面の相手、それもこんなに大人数といきなり同行することになるのは胃が痛いのだが……そんなことは些細な問題だ。俺には何としてでもあの世界樹へと辿り着かなければならない理由があるのだから。

 差し出された手を取って、サクヤの深緑の瞳を見つめる。どこか、底の見えない女性だ。こちらを騙しているとも思えないが、彼女が語ったことが全てとも限らないだろう。警戒しつつ、利用できる点は最大限利用させてもらうとしよう。そう決意する。

 しかしそんな悪ぶった思考を働かせる俺とは対照的に、サクヤはニカっと少年のような笑みを浮かべた。

 

「よし、決まりだな! それじゃあ早速出発……の前に」

 

 シルフたちの顔を見回していたサクヤが、思い出したように再びこちらを見やる。彼女の視線は、何も持っていない俺の両手に向けられていた。

 

「武器くらいは装備しておいた方がいいんじゃないか? 最初は初期装備の片手剣がストレージにあったはずだが」

「ん、ああ、そうだな」

 

 そういえば、素手のままだった。片手剣などほとんど使ったことはないが、それでもないよりはマシだ。槍が手に入るまでの繋ぎとして、とりあえず装備しておこう。

 システムメニューを呼び出すのはどうやるんだったか……。考えながら、とりあえずSAOと同じように右手の指を立てて振り下ろしてみる。しかし、システムは何の反応も示さなかった。そんな俺の動きを見ていたサクヤが口を挟む。

 

「ウインドウの呼び出しは左手だよ。……本当に初心者(ニュービー)なんだな」

 

 言われた通りに左手を動かすと、ようやくシステムメニューが現れた。サクヤに礼を言って、目の前のウインドウを確認する。

 ステータス、装備、アイテム、スキルなどの欄が並ぶ中、一番端にはログアウトのボタンがある。当たり前のことだけど、内心ちょっと安心した。

 気を取り直して、アイテムの欄をタップする。用意されているのは初期装備とせいぜいちょっとした回復アイテムくらいだろう……そう考えていた俺の目の前に現れたのは、予想外の文字の羅列だった。

 

「ん? どうかしたか?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 動揺を悟られないように、努めて冷静に言葉を返した。他人のシステムウインドウを勝手に覗くのはマナー違反だから大丈夫だとは思うが、一応他のプレイヤーの目に触れないよう注意しながら、ストレージを弄る。

 初期状態のはずのストレージには、何故か大量のアイテムが詰まっていた。しかもそのほとんどが見たことのない漢字や意味のない記号などで表記されており、いわゆる文字化けの状態になっている。

 完全にバグってやがる……。こんな場所にいきなり放り出されたこともそうだし、ちょっとおかしいぞ。ALOは既に1年以上サービスが続いている大手のゲームだし、普通こんなにバグが頻発するはずがない。

 サーバー側の問題だとは考えにくいし、そうなるとやはり……ナーヴギアのせいだろうか。キリトは互換性があるから大丈夫だと言っていたが、他に原因は思い当たらなかった。

 まあ原因の追究は後回しだ。後でログアウトしたらキリトにでも連絡を取るとしよう。

 

 ストレージをスクロールしているうちに、いくつか文字化けしていないアイテムが混じっているのを発見した。そのうち《初心者用ショートソード》と表記されたものをタップし、装備を試みる。すると軽やかなサウンドエフェクトとともに、背中のホルダーに粗末な片手剣が現れた。

 問題なく装備できたことに安堵し、ストレージを閉じる。顔を上げると、こちらを見つめていたサクヤと目が合った。

 

「さて、今度こそ出発するとしようか。きみ、飛行の経験は?」

「悪いけど、まだない。どうやって飛べばいいんだ?」

「初めてなら、まずはコントローラだな。左手を、こう、ゆるく握るように構えてみてくれ」

 

 言われた通りにゆるく手を握ると、先端にボタンのついた棒状のハンドルが現れた。それを認めたサクヤが説明を続ける。

 

「手前に引けば上昇、押し倒すと下降、左右で旋回だな。加速は上のボタンだ。放せば勝手に減速する。ドローンの操作よりも簡単だよ」

「いや、ドローンの操作なんてやったことな……うおっ!」

 

 言葉を返しながら、コントローラーを操作してみる。背中の(はね)が独りでにパタパタと動き出し、身体がふわりと浮き上がった。

 妙な感覚だ。ワイヤーで吊り上げられているような感覚になるのかと思ったが、違う。身体が重量を感じないのだ。水に浮いている感じに近いだろうか。完全に無色透明で、重さを感じない水だ。

 これは、ちょっと楽しいかもしれない。柄にもなく興奮して、俺は簡単な操作を繰り返した。そうしてしばらく夢中になって空中遊泳を楽しんでいたが、不意に我に返る。12人のシルフたちの視線が、俺に突き刺さっていた。

 

「わ、悪い、待たせた」

「ははは、構わないさ。飛ぶのは楽しいからな。初めてならなおさらだ。それで、感覚は掴めたかな?」

「ああ、とりあえず真っ直ぐなら飛べると思う」

「上出来だ。では行こうか」

 

 サクヤが言うと、シルフ全員がふわりと浮き上がった。コントローラを使っているプレイヤーは半数ほどだ。

 

「目的地はリュナンの村だ。フリック、先導を頼む」

「了解です」

 

 サクヤが三白眼の男――フリックとやらにそう言うと、彼の指示でシルフたちが隊列を組み始める。俺は適当に後ろからついていこうと思ったのだが、サクヤに引っ張られてその真ん中に位置することとなった。

 

「まだ飛行には不慣れだろう? 一応、はぐれないようにな。道すがら、良ければこのゲームのことをレクチャーさせてもらうが?」

「……助かる」

 

 何故こんなに良くしてくれるのかという疑問は、一旦頭の隅に置いて頷いた。下手に突っついて藪蛇になっても困る。ひとまず情報さえもらえたなら、後で厄介なことになったとしても最悪バックレてしまえばいいのだ。

 サクヤに腕を引かれて、森の上に出た。一気に視界が開けて、仮想世界の全貌があらわになる。

 

「さあ、初心者(ニュービー)くんの記念すべき初フライトだ」

 

 満天の星空。果てしなく続く大地。連なる山稜の向こうに、天を衝く世界樹がそびえて見えた。木々の騒めきとともに、一陣の風が頬を打つ。

 大地が段々と遠ざかってゆき、空が近くなっていった。若干の恐怖や心細さとともに、大きな興奮が訪れる。

 息をのんで、見入ってしまった。こんな光景はSAOでも出会ったことがない。このゲームが人気だという理由が、よくわかった。

 不意に、俺の腕を引くサクヤと目が合う。彼女はまるでこの世界を自慢するように、どこか誇らしげな笑顔を浮かべて口を開いた。

 

「ようこそハチくん。アルヴヘイム・オンラインの世界へ」




 ソースは見つかりませんでしたが、シルフ領主サクヤのリアルネームは薫だという情報をネットで見かけました。原作では書かれていませんが、原作者様の頭の中ではそう決まっていたとのことです。
 そんなわけで下の名前は薫。苗字はサクヤという名前から適当に連想して木花とつけました。リアルの設定などはすべて捏造なのでご注意ください。

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