やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第8話 交渉

「なあ、提案なんだが、わたしに雇われないか?」

 

 リュナンの村。宿屋に併設された大衆居酒屋。その一角。

 少し話がしたいというサクヤの誘いに応じて数時間前に1度訪れたこの店に再び腰を落ち着けたのだが、NPCに注文を終えるや否や、彼女は前置きもせずにそう切り出した。飲み物を運ぶNPCを横目に、俺は疑問を返す。

 

「雇う? どういうことだ?」

「傭兵というやつさ。とりあえずは当面の護衛として。最終的には世界樹の攻略にも同行して欲しい」

「……詳しく聞かせてくれ」

 

 世界樹の攻略という言葉につられて、食いついた。

 しかしあまり必死な様子を見せると足元を見られるかもしれない。内心の焦りを悟られないよう、俺はなるべく冷静な態度を装ってサクヤを見た。

 

「少し長くなるが、構わないか?」

「ああ」

 

 横目で時間を確認してから頷く。小町と約束した時間にはまだ余裕があった。

 

「ではまずこちらの事情について話そう。実はわたしはシルフ領の領主なんだ」

「領主?」

「領主というのはプレイヤーの投票で決まる役職でね。それぞれの種族にひとりずつ存在して、様々な特権を持っている。まあその辺りの詳しいことを知りたければ後でネットでも使って調べてみてくれ」

 

 それぞれの種族にひとりずつ。つまり彼女は、このALOに9人しかいない領主のひとりということになる。ALOのプレイヤー数など詳しくは知らないが、その人気を考えればおそらく数万人は下らないだろう。

 サクヤの話が本当だとすれば、彼女はその数万人の中の頂点の一角ということになる。思った以上の大物である。

 しかし、この情報を鵜呑みにするのは危険だ。新手の詐欺という可能性もある。領主の名前などはネットで調べられるだろうし、あとで裏を取っておこう。そんな若干失礼なことを考えている俺をよそに、サクヤは話を続ける。

 

「今知っていておいて欲しい情報はひとつだけだ。領主を他種族のプレイヤーがキルすれば、その種族から莫大な額の資金(ユルド)を奪うことが出来るということ」

 

 資金(ユルド)を奪う――それにどれだけのメリットがあるのか、このゲームを始めたばかりの俺にはどうにも実感が湧かず、少し考え込んだ。通貨そのものにどれだけの価値があるのかは、それぞれのゲームで違う。

 しかし大抵のMMORPGにおいて、資金とは力に直結する。強い装備を購入すればその分強くなれるのは自明の理だ。キャラクターレベルが存在せず、ステータスのほとんどを装備に依存するこのALOにおいては、それを購入するための通貨の重要性も高いものとなるかもしれない。

 

 つまり、他種族が領主を倒すメリットはかなり大きいと予想できる。サクヤがその領主だというのなら、多くの護衛を侍らせていたのも納得だ。あれはただのロールプレイではなかったということだろう。

 

「以前、私の前の領主がサラマンダーにキルされたことがあってね。その時は領主館に保管されていた資金がごっそりと持っていかれたよ。他にもスイルベーンでの取引に税金がかけられたり、それはもう散々に絞り取られたんだ。だからサラマンダーは今9種族の中で最も力を持っているし、逆にシルフたちは他種族の後塵を拝することとなった」

 

 サクヤはそこで一旦言葉を止めた。周囲に他の客の姿はなく、店内に流れるBGMと厨房から届く喧騒が場を支配する。

 なるほど。そんな経緯があったからシルフとサラマンダーの仲は険悪なのだろう。初めて会った時に護衛の連中が殺意マシマシだったのも納得だ。

 しかし色々と腑に落ちたのと同時に、ひとつ疑問も残る。何故この状況で他種族の……それも、サラマンダーである俺にその話をしたのかという点だ。

 

 俺自身はその話を聞いたからと言って、じゃあサクヤを殺して資金を奪い取ろうなどとは考えないが、客観的に見れば俺がそういった行動をとる確率は低くないはずだ。リスクを考えれば、今ここで話すべき内容ではない。

 彼女は様子を伺うようにこちらを見つめていた。俺も視線を返し、少し顔を顰めるようにして抱いた疑問を口にする。

 

「どうしてその話を俺に? しかも護衛も居ない今のこの状況で」

「あまり隠す必要がないからさ。私がシルフの領主だということは調べればすぐにわかることだし、それに私だっていざという時の自衛手段くらいは持っている。君と真正面からやり合って勝てるとも思わないが、ひとまず身を守りつつすぐそこの宿屋に逃げ込むことくらいは出来るというわけだ」

 

 澄ました顔で、サクヤは手に持ったグラスに口を付ける。まあ言われてみれば、領主という立場のプレイヤーが何の保険もなく危険に身を晒すことはないか。

 

「とはいえ、確かにこの状況に少しでもリスクがあるのは間違いないな。だが――」

 

 言って、彼女は中身が半分ほど残っているグラスをテーブルへと置いた。次いで不敵な笑みを浮かべて、強い眼差しで俺を見つめる。

 

「私はそれ以上に、きみという戦力に魅力を感じている。あ、もちろん人間的にもハチ君に興味を持っているよ」

「そりゃどうも」

 

 俺は脱力するように頷いて、適当に聞き流した。前半はともかく、後半は明らかなリップサービスだ。それに、今はさっさと話を先に進めたい。俺が本当に聞きたい部分の話は、まだ聞けていないのだ。

 

「まああんたが護衛を必要としているのは分かった。けど、今回の話はそれだけじゃないんだろ? 世界樹の攻略に関してってのはどういうことだ。1つの種族しか光妖精族(アルフ)って奴になれないから、世界樹を他種族と攻略することはないって聞いたぞ」

「ああ。きみの言うことは間違っていない。だからこそ今まで世界樹の攻略は難航してきた。……いや、難航してきたなんて言い方は正しくないな。何の進展もないと言った方がいいだろう」

 

 サクヤは自嘲するようにそう語った。領主を務めるほどこのゲームに精通している彼女がそういうのなら、それは間違いないのだろう。

 

 ALOのサービス開始当初からプレイヤーたちに課せられていたグランド・クエスト《世界樹の攻略》

 グランド・クエストとは言わば物語の最終目標にあたる。だからこそそう簡単にクリアできるものではないという理屈は分かるのだが、サービス開始から1年以上が経っても攻略に全く進展がないというのは異常だ。

 

 何か見落としがあるのか、そもそも根本的に攻略法が間違っているのか……。どちらにせよ、これまでと同じやり方を続けていては今後もめぼしい成果は期待できないだろう。世界樹攻略を進めようと思うのなら、きっと何かしらのテコ入れが必要なのだ。

 

 まあそんなことは初心者(ニュービー)の俺に言われるまでもなく、サクヤならば十分わかっているだろう。彼女は瞳に強い意志を浮かべ、今後の展望を語り始めた。

 

「だから私は、この状況を打破するためにそのやり方を変えようと考えたんだ。他種族と協力しての世界樹攻略、私はそれを成そうと尽力している。今ここで詳しく話すことは出来ないが、その目途も立ちつつあるんだ。きみのように実力があって、種族に囚われないプレイヤーには是非それに参加してもらいたいと思っている」

「ふうん……。けど結局、光妖精族(アルフ)になる件はどうすんだよ? そこを解決しないと最終的に仲間割れになっちまうだろ」

「それについては一旦保留だ。世界樹の上にたどり着いてから考える」

「いや、保留ってお前……」

 

 ただの問題の先送りじゃねえか。そう突っ込もうとしたが、遮るようにしてサクヤが口を開く。

 

「そもそも、ひとつの種族しか光妖精族(アルフ)になれないという情報も確定ではないんだ」

「そうなのか? ネットじゃ確定情報みたいに言われてた気がするけど」

「可能性が高いのは確かだ。だが――」

 

 言いながらサクヤが目をつむり、優雅な動作で胸に手を当てた。そうして芝居がかった仕草で、大袈裟に話し始める。

 

「偽の情報が種族間の不和を招き、アルヴヘイムでは長い長い争いの歴史が始まってしまった。しかしやがて争いの醜さや不毛さに気付いた妖精たちは、種族の壁を乗り越え、互いの手を取り合って世界樹の攻略を成功させるんだ。そうして訪れた妖精王オベイロンの下で、勇者たちはみんな仲良く高位種族である光妖精族(アルフ)へと至る……。どうだ? 性格の悪いゲームクリエイターが考えそうなことじゃないか?」

「いや、そりゃあまあ否定は出来ないけど……。つーか、お前自身そんな話を本当に信じてるわけじゃないだろ」

「まあね」

 

 芝居がかった仕草から一転、サクヤは脱力して苦笑を浮かべる。テーブルに置かれたグラスを手に取って口をつけると、彼女は軽く息をついた。

 

「さすがにこんな与太話を支持しているわけじゃない。けど実際のところ、単一種族での世界樹攻略に拘ると下手をすれば数年規模での準備が必要になる。そんな捕らぬ狸の皮算用を続けるよりも、まずはなりふり構わず世界樹を攻略してみるというのも悪くないかと思ったんだ」

「まあ、確かに」

 

 サクヤの話は十分理にかなっていると思う。世界樹の攻略さえ成功させてしまえば彼女が光妖精族(アルフ)になれる可能性は十分あるし、もしなれなかったとしても何かしらのクリア報酬は手に入るだろう。

 何よりグランド・クエストがクリアされるのだ。ALOというゲーム全体に変化が起こるだろうし、それは種族を問わず多くのプレイヤーたちにとって朗報だろう。足の引っ張り合いを続けて停滞しているよりもずっといいはずだ。

 

 ここまでサクヤの話を聞いて、俺は世界樹攻略については彼女に協力してもいいと考え始めていた。そもそも俺の目的は光妖精族(アルフ)になることではないし、他種族と組むことにデメリットはないのだ。

 ただ問題があるとすれば、攻略のスケジュールを彼女たちに合わせなければいけないということだ。おそらくレイドを組んでの攻略になるだろうし、準備にはそれなりに時間が掛かるだろう。

 

「ちなみにその他種族と協力しての世界樹攻略が実現するとして、実際にアタックをかけるのはいつぐらいになるんだ?」

「んー……。まだ具体的には何とも言えないが、まあ早くて1、2か月先といったところかな。もっと先になる可能性もあるが、早まることはないと思う」

「そうか……。悪い、ちょっと考えさせてくれ」

 

 俺が顔を顰めながらそう言うと、サクヤは再びグラスを手に取りながら頷いた。俺はテーブルの上で手を組み合わせ、思案する。

 世界樹の攻略まで1、2か月……そんなには待てない、というのが正直な感想だ。準備さえ整えば、俺は今すぐにでも世界樹に向かいたいのだ。

 しかし、サブプランとして考えれば悪くないかもしれない。俺とキリト、2人だけでの世界樹攻略が難しいとなれば、次の方法を考えなければならないのだ。

 しかしサブプランなどというふざけた態度ではサクヤも快くは思わないだろう。それに彼女らと共同で世界樹を攻略するなら、他にもいくつか飲んでもらわなければならない条件がある。

 しばらくの沈黙の後、俺が顔を上げるとこちらを伺うサクヤと目が合った。

 

「考えはまとまったかい? 護衛と世界樹攻略、どちらか片方だけでも構わないんだが」

「……世界樹攻略については、協力してもいいと思ってる。3つ、条件を飲んでくれるなら、だけど」

「ふむ。聞こうか」

 

 サクヤは迷うことなくそう返した。これは交渉慣れしてる奴の反応だ。

 そんな彼女の態度に一瞬気後れしそうになったが、すぐに気を持ち直す。失敗しても命を取られるわけじゃない。交渉の経験など多くはないが、修羅場ならば散々通ってきた。

 そうして自分を鼓舞しながら、口を開く。

 

「ここで雇われたとしても、俺はそれより先に個人的に世界樹攻略に挑むつもりだ。それを認めてほしい」

「ああ、それは構わないよ。傭兵として雇うとは言っても、ずっと拘束するわけじゃない。仕事以外の時間にきみが何をしていても、それは君の自由だ」

 

 拍子抜けするほど、サクヤはあっさりと頷いた。

 個人での世界樹攻略などどうせ不可能だと、高を括られているのかもしれない。まあ、それならそれで好都合だ。俺はそう好意的に捉えて、次の条件を口にする。

 

「2つ目は……俺の他に、もうひとり世界樹攻略に加えて欲しい奴がいる。俺と一緒でこのゲームを始めたばっかの奴だけど、実力は保証する」

 

 言わずもがな、これはキリトのことだ。この条件ついてはさほど問題はないだろうと思っている。会ったばかりの俺を雇おうとするくらいだし、サクヤはそれだけ戦力を欲しているということだ。キリトの実力を知れば、むしろ向こうから頼み込んできてもおかしくはない。

 そんな俺の予想は間違っていなかったようで、サクヤは軽く笑みを浮かべて頷いた。

 

「戦力が増えるのなら大歓迎だよ。一応テストも兼ねて強さは確かめさせてもらうが、まあきみのお墨付きというのなら問題ないだろう。サラマンダーの友人か?」

「いや、種族はスプリガンだな。今は俺とは別行動で世界樹を目指してる」

「スプリガン……? はははっ、きみたちは自由だな」

 

 一瞬呆けた顔をしたかと思えば、次いでサクヤは額に手を当てて笑い出した。何がそんなに可笑しいのか理解できず、俺は困惑しながらしばらくそれを眺める。

 やがてサクヤは大きく息をつくと、そこでようやく戸惑う俺の様子に気付いたのだろう、軽く頭を下げた。

 

「ああ、いやすまない。別に馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ長い間このゲームをやっていると色々と(しがらみ)が増えていってね。自由なきみたちが羨ましかったのさ」

「……あんたは、随分と窮屈そうだな」

「まあね。少し領地を出て、他の種族と話をしようとするだけでも一苦労さ」

 

 そう言ったサクヤの顔には、疲労の色が滲んでいた。本来なら楽しむべきゲームにおいてそんな重荷を背負ってしまうことは本末転倒にも思えるが、話はそんな単純なものではないのだろう。

 まあ俺もイライラしながらゲームすることあるしな。剥ぎ取っても剥ぎ取っても宝玉が出ないことなんてザラだし、理不尽な当たり判定に文句を言いながらもハンターは狩りを続けるものなのだ。

 

「話が脱線してしまったな。じゃあ、最後の条件を聞こうか」

 

 俺も脳内で盛大に話が脱線していたが、再び頭を切り替えて気を引き締める。最後の条件、これが一番の難関だった。

 幸い、サクヤの機嫌は悪くなさそうだ。にこやかな表情で、俺の言葉を待っている。それを見つめ、俺は意を決して口を開く。

 

「俺の目的は、光妖精族(アルフ)になることじゃない。だから世界樹の上にたどり着いた時、オベイロンに会いに行くお前らとは別行動を取るかもしれない。それでもいいか?」

 

 俺が目指しているのは、世界樹の枝にぶら下がっているという鳥籠の中だ。世界樹の上までたどり着いたとして、まず間違いなくサクヤたちとは別行動を取ることになるだろう。

 これは予め許可を取っておかないと、土壇場でトラブルになりかねない。世界樹の上で仲間割れになるなど御免だ。

 

「薄々感じてはいたが、やはり目的は光妖精族(アルフ)ではないのか。しかしそうなると、きみの目的とやらは一体何なんだ?」

「……」

 

 その問いに、すぐ答えることは出来なかった。話してわかってもらえるとも思えないし、そもそもSAOでのことから遡って説明しなければならない。そんなことまでべらべらと口にするつもりはなかった。

 だが、何もかもを隠してサクヤたちと一緒に世界樹を攻略することは難しいだろう。だからある程度、話せる情報だけは話さなければならない。

 

「……世界樹の上に、会いたい奴がいるんだ。会って、確かめたいことがある」

 

 良い嘘も思いつかず、考えがまとまらないままそう口にしていた。至極曖昧な俺の答えに、サクヤは首を傾げる。

 

「会いたい人物? 妖精王オベイロンではないとすると……まさか、鳥籠の姫君か?」

「……鳥籠の姫君?」

 

 眉を顰めて、聞き返す。聞き覚えのない言葉だったが、鳥籠という単語に引っかかった。

 サクヤは意外そうな表情を浮かべ、俺の問いに答える。

 

「知らないのか? 少し前にネットの掲示板に貼られていた、世界樹の枝にぶら下がる鳥籠のスクリーンショット。それに移りこんでいた女性のことだよ。会いたい人物というのはてっきりそのことかと思ったんだが……」

「あ、いや……あってる。俺が会いたいのは、そいつだ」

 

 少し動揺したが、すぐに冷静になって頷いた。そう言えば、あのスクリーンショットはエギルがネットから拾ってきたものだという話だ。それについて知っている人間がALOにいてもおかしくはない。きっとネット上では《鳥籠の姫君》という通称で呼ばれていたのだろう。

 

「その鳥籠の姫君ってのは、有名なのか?」

「ALOプレイヤーなら知っている人間は多いと思うよ。数少ない世界樹の上の情報だし、一時期はかなり話題になったからな。まあスクリーンショット以上の情報は出てこなかったから、すぐに話に上がらなくなってしまったが」

「……そうか」

 

 アスナについて新たな情報が得られるかと思ったが、そううまいことはいかないらしい。やっぱり直接会いに行って確かめるしかなさそうだ。

 

「よし、いいだろう」

「……え?」

 

 アスナについて考えていた俺を、サクヤの声が現実に引き戻した。思わず間抜けな顔で聞き返すと、彼女は真剣な表情で言葉を続ける。

 

「ハチ君の提示した3つの条件を飲もう。よろしく頼むよ」

 

 言って、彼女は右手を差し出した。雰囲気に流されて俺は咄嗟にその手を取ろうとしてしまったが、寸前で思いとどまる。

 

「い、いやいや、ちょっと待て……。本当にいいのか? 正直、自分でも結構無茶言ってる自覚があったんだけど」

「何だ? こちらが良いと言っているのに、何が不満なんだ?」

「いや、不満とかじゃないんだけど……」

 

 最後の条件は、自分でもかなり厳しいだろうと思っていた。世界樹の上では別行動をしたいなどと言えば、抜け駆けをして報酬の独り占めを企んでいると疑われても仕方がないからだ。拒否される可能性は高かったし、少なくとも渋られるだろうと予想していた。それが蓋を開けてみれば、あっさりと快諾である。

 裏切られるリスクを抱えこんでまでも、何が何でも戦力を確保したいのだろうか。いや、サクヤの態度にはそれほど切羽詰まっている様子は見られない。

 そもそも、彼女の言動から下心を感じないのだ。それなりに人の悪意には(さと)い方だと自負しているが、彼女の言葉には裏がないように思えた。初めて会ってからここまで色々と疑ってはみたものの、全ては杞憂に終わっている。

 俺が彼女から感じるのは、俺に対する妙な信頼感だけだ。

 

「……なあ、なんでこんなに良くしてくれるんだ」

 

 思わず、問いかけていた。

 サクヤは何故か俺に対して強い信頼を抱いているように見える。だからこの場でリスクを取ってでも彼女の事情を話してくれたのだろう。

 しかし、その理由がわからない。彼女の信頼を得るようなことを、俺は何ひとつやった覚えがないのだ。

 理由のわからない好意というのは怖いものだ。訳も分からず手に入れたものは、訳も分からず失ってしまうリスクを孕んでいる。

 

「ん? 世界樹攻略のことなら、私にもメリットがあるからだが……」

「それだけじゃない。随意飛行やALOのことを色々と教えてくれたこともそうだし、そもそも種族間の対立が激しいこのゲームで、領主であるサクヤが俺みたいな怪しいプレイヤーに関わろうとする時点でおかしいだろ」

「ああ、なるほど。そういうことか」

 

 サクヤは曖昧に頷いて、顎に手を当てて考え出した。じっとそれを見つめていると、やがてサクヤは俺に視線を返して口を開く。

 

「そうだな。私がきみに関わろうとする訳……あえて理由を挙げるなら――君の目が腐っていたから、かな」

「……んん?」

 

 一瞬、頭が混乱して、俺は妙な声を漏らした。

 今こいつ、なんて言った? 俺の目が腐ってるからって言ったか? なんで急にディスられたの?

 

「いやちょっと待て、『君の目が澄んでいたから――』とかは小説とかでよくあるパターンだけど、逆は聞いたことないぞ」

「はははっ、まあただの冗談……というわけでもないんだが」

 

 俺の反応が可笑しかったのか、サクヤが声を上げて笑う。しかしすぐに真剣な表情に戻ると、何故か急に話題を変えた。

 

「きみはSAO事件は知っているかい?」

 

 ぎょっとして、返事に詰まる。

 知っているも何も、俺は事件に巻き込まれた当事者だ。しかし、それを吹聴するつもりはない。

 少し考えて、俺はなるべく無難になるように言葉を返す。

 

「そりゃあ、知らない奴の方が珍しいだろ。あんだけニュースになったんだ」

「私の妹がそれに巻き込まれたんだ。ゲーム内での死が、現実世界での死に繋がるあのゲームに」

「それは」

 

 色々な想像をして、俺は再び言葉に詰まってしまった。あの事件では、多くの人間が犠牲になったのだ。

 しかしそんな俺を見て、サクヤは安心させるように首を横に振る。

 

「ああいや、大丈夫。幸い、妹はちゃんと帰ってくることが出来たんだ。今は以前にも増して元気にしているよ」

「……そうか」

「そんな妹がね、最近嬉しそうに話すんだ。SAOで活躍した、青い槍の英雄の話を」

 

 青い槍の英雄――うん。中々かっこいい二つ名だ。英霊召喚とかされそう。

 ……いや、まあ、ちょっと落ち着こう。俺もSAOでは最終的に青い槍を使っていたが、とりたてて珍しい装備というわけではない。自分のことかと勘違いして、恥ずかしい思いをするのはごめんだ。いや、そもそも名乗り出るつもりもないけど。

 

「妹は1度だけそのプレイヤーに会ったことがあるらしい。街の外、危険なモンスターが跋扈(ばっこ)するフィールドでひとり迷子になってしまって、いよいよ死を覚悟した時、彼に助けられたそうだ。安全圏である街まで彼に送ってもらって、妹は生き残ることが出来た」

 

 不自然にならないよう、適当にふんふんと相槌を打ちながらサクヤの話を聞く。

 ……つーか、なんか聞き覚えのある話だな。いや、聞き覚えというか、身に覚えというか。あ、でも待てよ。確かその時って、街に着いた後に――。

 

「ただ、どうにも彼は死んだ魚のような目をしていたそうでね。傍から見たら完全に不審者で、妹と一緒に街に到着した途端、誘拐犯に間違えられて治安部隊に取り囲まれてしまったそうだが」

 

 そこまで話して、サクヤはおかしそうにくつくつと笑う。いや、笑い事じゃないから。もうちょっとで本当に黒鉄宮にぶち込まれるところだったんだぞ。

 しかし、これはもう誤魔化しようがない。青い槍の英雄とは、俺のことだろう。さっきの話は身に覚えがありすぎる。

 

 ただそうなると、問題はサクヤがこの話をした意図だ。

 俺の正体に気付いているわけではない……と、思いたい。くそっ、やっぱりプレイヤーネームは変えておくべきだったか。サクヤの話ではハチという名前は出てきていなかったが、妹がSAO生還者だというのならその名前も知っている可能性が高い。

 

「……言っとくけど、俺はその英雄とやらとは関係ないぞ」

 

 先手を打って、否定しておいた。少なくとも、俺の正体について確信を持っているわけではないはずだ。ここは惚けておくのが正しい選択だろう。

 サクヤ自身は好意的なようだが、俺はSAO時代には色々と恨みも買っている。ここで俺がSAOプレイヤー《Hachi》だと知られることがプラスに働くのか、マイナスに働くのか、正直予想することが出来ない。だったら隠しておく方が無難だ。

 しらを切り通してやる――そう決意しながら、サクヤの反応を伺う。しかし俺の心配は杞憂だったようで、彼女は軽く笑って首を横に振った。

 

「あはは。私もきみが本当に英雄と同一人物だと思っているわけじゃないさ。そもそも、詮索するつもりもない。だからまあ、私がきみにお節介を焼く理由は、単なる自己満足だな」

 

 サクヤが優し気な微笑みを浮かべる。それはALOプレイヤーであり領主であるサクヤの顔ではなく、愛すべき妹を持ったひとりの姉の顔に見えた。

 

「かの英雄によく似たきみに施しをして、少しでも妹が受けた恩を返した気になりたいだけなんだ。だから、きみが気に病む必要はない」

 

 彼女の言葉になんと返していいかわからず、俺は曖昧に頷く。

 

 ――最後の戦いであなたが何もできなかったのだとしても、それでそれまでのあなたの行いがなくなったわけじゃない。

 

 不意に、雪ノ下の言葉が頭に過った。

 SAO時代に、たまたま俺が助けた少女。その縁が巡り巡って、今の俺を助けてくれたのだろうか。そうだとすればサクヤと繋がるこの縁は、とても尊いもののように思えた。

 

「それで、どうかなハチ君。私に雇われてくれるか?」

 

 再び、サクヤが問う。いつの間にかその表情は、シルフ領の領主サクヤのものに戻っていた。

 その顔をまじまじと見つめる。もはや、彼女を疑うような気持ちは微塵も湧いてこなかった。

 

「わかった。よろしく頼む」

「交渉成立だな」

 

 笑みを浮かべて、サクヤが手を差し出した。今度は迷うことなく、俺はその手を取るのだった。


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